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読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『還れぬ家』

2023年10月22日 | 作家サ行
佐伯一麦『還れぬ家』(2013年、新潮社)

認知症が始まった父親と、彼を取りまく母親や「私」や妻の日常を父親の死まで描いた私小説。

昨日の『朝日新聞』のなんでも相談室みたいなコーナーに50歳代の女性がこんな内容の投稿をしていた。自分の母親は認知症で、娘である私のことも孫のこともわからなくなり、たぶん自分自身のこともわからなくなっているのではないか、そんな母親にやっと面会できたが、そんなふうになった祖母を見て、娘が「こんなになってまで生きていたくない」と言ったのでショックを受けて、「そんなことを言うものではない」と諌めたが、心のなかでは自分も同じことを考えていた。どうしたらいいのだろうか、というものだった。

回答者の姜尚中は、人間の命は自分で決めることができない、人生をまっとうするのが人間としての努めだから、みたいなことを答えていたが、この小説でも描かれているような悲惨な老後を果たしてまっとうしなければならないのかどうか、そもそもそんなことももうわからなくなってしまっているのに。

本当に尊厳死というものを真面目に検討しなければならない時代になっていると思う。つまりそのための法的な整備をしなければならないという意味だ。一番厄介なのは、認知症によって、まったく判断ができなくなってしまった場合だろう。そうなる前に自分の意思表示をしておくにしても、そこで指示された状態が今の状態だと判断するのは他人になるからだ。

これから十年先・二十年先の日本は、病院や施設に入ることができなくて、自宅でのたうち回って死ぬという人が続出することになるのではないか。まぁ自分ひとりのことなら、それもいいかと思うが、やはり身内がそういう事態になるのは、つらいだろう。

すでに人口の三分の一が65歳以上。ピラミッド型どころか、寸胴鍋型の人口配分になっている。最近では、身内が惜しんでくれるうちに、早く死ぬのが一番いいという考えになってきた。

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『音楽は自由にする』

2023年05月01日 | 作家サ行
坂本龍一『音楽は自由にする』(新潮社、2009年)

米子に行く前に、新大阪駅の書店を回っていたら、店頭に置いてあって、新刊かと勘違いしたのだが、2009年、つまりいまから14年も前、坂本龍一が57歳のときに『エンジン』編集長の鈴木正文を相手に喋ったことを文字にしたもののようだ。

人の人生で私にとって興味深いのは、学生時代だ。とくに思春期と言われる中学・高校時代、そして人生の準備期間である大学時代、こういう時期がその人の人間形成にとって一番重要だと思うし、その時期にどんな過ごし方をしたかで、人生のかなりの部分は決まってしまうような気がする。もちろんそれはやり直しがきかないというような意味ではないのだが。

例えば北杜夫だって、終戦後の旧制松本高校で過ごした日々があればこそ、職業としては医師を選びながらも、作品を発表し続けていくことになったのではないかと思う。

まぁこの辺の、どの時代に関心を持つかは読む人それぞれなので、坂本龍一のYMO時代の話が面白かったという人もいるかもしれない。

以前、山本直純の青春時代の話を読んだことがあるが、戦後の何もない時代にいろんなところに首を突っ込みながら、作曲活動や演奏活動を行なった、じつに充実した青春時代を過ごしたことが書かれてあった。それと同じで、坂本龍一の青春時代もこれを読むと、本当に充実していたんだなということがわかる。

どうしてこんなにあれやこれやできるんだろうと私なんかは不思議な思いがする。私なんかは本当にひとつのことしかできないタイプなので、単線的というか、高校時代ならボート部、そしてそれを引退してから日本近代文学の読書や小説執筆の程度だ。ろくに勉強もしなかったし、趣味と言えるようなものも何もなかった。

ただ坂本龍一が成功したポイントはどんなハードスケジュールでもこなしたということにあるのだろう(もちろん才能を前提での話だが)。『ラスト・エンペラー』のベルトリッチ監督との話は、もうすごい、としか言いようがない。普通ならほっぽり出すだろう。依頼主の無茶振りにも食らいついていくだけの根性がなかったら、この世界では通用しないのでしょうなぁ。

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『少女を埋める』

2022年04月15日 | 作家サ行
桜庭一樹『少女を埋める』(文藝春秋、2022年)

この作品集は、表題となっている『少女を埋める』と、鴻巣友季子(作中ではC氏)が朝日新聞の文芸欄に書いた書評をめぐるやり取りを書いた『キメラ』と『夏の終わり』の三編でできている。

純粋に創作として書かれたのは最初の『少女を埋める』だけだし、鴻巣友季子の書評をめぐる問題は多くの人が書いているので、私は取り上げない。ここでは『少女を埋める』だけを取り上げて、私の感想を書いてみる。

舞台はほぼ鳥取県の米子市の駅前のビジネスホテルとそこからあるいて10分くらいのところにある錦海(中海の一番底にあたる部分を地元では錦海と呼ぶ)に面した鳥大医学部の附属病院(通称医大病院)と葬儀屋である。

2021年2月も終わり頃に、20年来病気と闘ってきた父親の様子が悪いというので、7年前から帰省していなかったこともあるし、コロナ禍であるため面会に行っていなかったので、ネットでの面会をしようとしたが、不可能になり、思い切って帰省したところ、その数日後には父親が亡くなり、これまたコロナ禍のために親戚一同を集めた葬儀もできないので、母親と二人で葬儀を済ませ、遺骨を持って、父親の出身地の町に出かけて、そこで法事をしてから、東京に帰ってきた、というようなあらすじになっている。

私の感想としては、この小説の主題の一つは、語り手であり主人公の冬子(東京で作家をしている)と母親の確執であるように思う。

この母親は冬子が子供の頃に冬子に暴力を振るったこともあるような女性で、冬子が作家として駆け出しで、まだ作家として食べていけるかどうかわからない時期には、自分が探してきた寺の息子と無理やりお見合いをさせて、寺の住職の嫁の仕事をしながら小説を書けばいいと言うような母親、作家として軌道に乗ってきたら、秘書をしてあげると言うような母親として描かれている。

そういうこともあってか、冬子は母親に東京の自宅の住所を教えていないし、今回の米子行きの後でも、母親からのメールに着信拒否を設定するような関係として描かれている。

そして例の論争で問題になった出棺前の場面

「お父さん、いっぱい虐めたね。ずいぶんお父さんを虐めたね。ごめんなさい、ごめんなさいね…」と涙声で語りかけ始めた。(…)
内心、(覚えていたのか……)と思った。
自分は知らない、という人たちは、実際はすべてわかっているものだのだろうか。あの人もこの人も、みんな。
異母妹の百夜を虐め殺した赤朽葉毛毬みたいに……。
(…)
父は、許しているように、わたしには感じられた。あれだけ優しかった人が、泣いて謝っている人を、しかも愛妻を許さないという姿は想像できなかった。
何もかもが一昨日で終わったのか。すべては恩讐の彼方となるのか。
それにしても、とわたしは思った。
――夫婦って、奴はよ!
深いな。沼だな。で、おっかねぇなぁ、おい。
(…)
……愛しあっていたのだな。ずっと、わたしは知らなかったのだな。
(p. 75-76)

私はこの箇所を読んだとき、冬子の母親への侮蔑感・嫌悪感を思った。この小説は父親の死に直面した娘の話ではなくて、母親に対する娘の縁切りを決断した一連の経緯を書いた小説なんだなと思った。

考えてみれば、同じ市内に実家があるのに、帰省してもそこで過ごさずに、ビジネスホテルに宿泊するというのも変だし、母親が家に来るなと娘に言うのも変だし。

そしてさらに遺骨を持って父親の出身地に行って、父親の一族と合流して寺に行く場面で、突然SF小説の『キリンヤガ』の話になり、自分自身としての成長と夢の実現を願い、生まれた共同体にありのままの自分を受け入れてほしいと願っていた主人公の少女と自分を冬子がダブらせて見ていることが明らかになると、この小説は、母親をこうした共同体を擬人化したものとして描き、そこからの離脱を「少女を埋める」という言葉で象徴させているのではないかと、考えるようになった。

この連作は、こうした抑圧的な共同体―朝日新聞社という共同体、評論家の文芸共同体―との闘いを描いたという意味で一貫していると言えるのかもしれない。

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『北帰行』

2022年03月16日 | 作家サ行
外岡秀俊『北帰行』(河出書房新社、1976年9

少し前の新聞の書評欄で見たので興味を惹かれて読んだ。

作者が23才、東大法学部の学生のときに出版された。

「目を覚ますと、列車は降りしきる雪の中を、漣ひとつ立たない入り江に辷り込む孤帆のように、北に向かって静かに流れていた。」という出だしから、すぐに作品世界に入っていける文章力は素晴らしいとしか言いようがない。

石川啄木の生涯を自分の生涯とダブらせた主人公が、埼玉県あたりの飯場で再会した幼なじみの卓也から、子どもの頃から淡い恋心を抱いていた由紀への手紙を託されて、ちょうど啄木がたどったのと同じ行程―東京、盛岡、青函連絡船、函館、札幌を昭和47年にたどりながら、自分の生涯を振り返り、啄木の作品批評をしていくロードムービーならぬロード小説とでも言えばいいだろうか。

思索に裏打ちされた「華麗」とでも言っていいような文体に、えっ!これが23才の若者の処女作?と驚きながら読み始めたが、だんだんと、数十年後の著者が読み返したら恥ずかしくなるのではないかと思えてくるほど理念的な言辞を撒き散らした小説だということが見えてくる。

啄木の生涯と自分の生涯を同一視している主人公の作りといい、自意識過剰な自分をもてあましているような理念先行の文章への脱線といい、それはいいから事実―もちろん小説内の事実―だけを書いてくれ!と言いたくなる。

きっとこの小説が書かれた時代状況を知った上で読まなければ、作者の意図を汲み取ることはできないのだろうと思う。1970年代始めは、60年代後半の安保反対闘争の火が消え、だんだんと人々の精神が体制に絡め捉えるようになっていった時代だ。72年にはあさま山荘事件や大企業爆破事件を嫌ほど見せつけて、国民の反体制運動への嫌悪感を掻き立てた。労働組合はだんだんと右傾化し、政治的革新運動は切り崩された時代。今までなかったほど全国に燎原の火のごとくに広がっていた戦後の民主主義の意識はだんだんと、個よりも国家を優先するようになる。

こういう時代に戦前の民主化運動弾圧の始まりであった大逆事件後の時代を批判しきった『時代閉塞の現状』を書いて死んだ啄木を自分に重ねた主人公を造形することがどういう意味を持つものか、想像にかたくはない。

そういう意識を持って書いた作者であったればこそ、大学卒業後に作家の道ではなくて、ジャーナリストの道を選んだこともうなずける。

たしかジャーナリストになった作者が三陸沖地震と東電原発事故の問題を扱った著作の紹介とともにこの小説のことを知ったのだった。

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『ブラックボックス』

2021年01月03日 | 作家サ行
篠田節子『ブラックボックス』(2013年、朝日新聞出版)

タイトルだけではなんのことかわからないが、食の安全をめぐる問題を書いた野心的な小説だ。

農薬汚染の問題は、中国の農薬汚染があまりに酷いので、それの反面教師的に日本では消費者の意識が高くて、かなり抑えられていると思う。

それでもひん曲がったきゅうりは駄目とか、虫食いの葉物は駄目だとか、変な形をした野菜は駄目だとか、とにかく見てくればかりを気にする消費者のエゴのせいで、バンバン農薬が使われている。

そして一番の問題は、年がら年中同じ野菜を求めることだ。冬にトマト、正月にイチゴなんて、ありえない。しかしハウス栽培がそれを可能にした。しかしそれは自然界のサイクルとは真逆なので、当然お金もかかるし、本来なら無用な化学肥料や農薬を使わなければならなくなる。

そしてここで描かれているのはそうした目に見える汚染の問題ではなくて、植物工場と呼ばれるような、完全管理されたはずの野菜生産が引き起こす恐ろしい問題である。

たとえば問題ないとされている硝酸態窒素がいろんなものと結びついて最後には発がん性物質であるニトロソアミンになるというような事態が起きているということだ。ハムやベーコンに発色のためによく使用されている亜硝酸ナトリウムもニトロソアミンを作る危険性がある。

普通家でハムを作るとしたら使用するものは単純に豚肉と塩くらいなものだろうが、そこに見た目や味や食感や保存性を「よくする」ために10種類くらいの添加物が使われることになる。

そういうことを考えただけでもそういうものを日常的に使用することの恐ろしさを感じないように飼いならされている国民がおかしい。

もっと手間ひまかけて食べるようにすべきで、そのためにも労働時間の短縮が必要だし、賃上げも必要だと考えるべきだろう。

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『山海記』

2020年08月20日 | 作家サ行
佐伯一麦『山海記』(講談社、2019年)

「八木駅」を出発した「新宮駅」行きの路線バスが、「橿原市役所前」を過ぎて飛鳥川を渡り、…」という冒頭の文章を読んで、てっきり作者が住んでいる東北の話かと思ったら、意外と身近な地名が出てくる地域が小説の場所となっていたので、親しみを感じながら読み始めた。

高速道路を使わない路線バスで日本最長と言われる「大和八木駅」から「新宮駅」までの路線バスに揺られながらの、一種のロードムービーならぬ、ロード小説みたいな体裁になっている。

著者の最近の活動が、執筆活動をしながら、日本各地の水害の土地をめぐるということにあるらしく、しかもそれぞれの土地の歴史などもかなり詳しく調べているようだ。

だから、停留所が来るたびに、その地名とそれにまつわる歴史―場合によっては神話時代や飛鳥時代にまで遡ることも―や、その周辺の土地の災害の歴史などについての、講釈も披瀝しながら、進行していく。

ただ場所柄か、2011年の台風による大水害の話をメインにしつつ、江戸時代の災害の話や、天誅組の変の話も出てくる。

そして主人公の青春時代をともにした四人の友人、なかでも数年前になくなった唐谷という音楽好きの友人の死のことなども出てきて、話はあっちに飛び、こっちに飛びして、目の前に見えている紀伊半島の山の中の寒村―季節は真冬―と自らの回想と歴史の披瀝とが走馬灯のように次々と移り変わる。

奥付を読むと、けっこういろんな文学賞をもらっている人のようなんだけどな。最近はこういうのが流行りなのかな。

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『ドゥ・ゴール』

2019年06月14日 | 作家サ行
佐藤賢一『ドゥ・ゴール』(角川選書、2019年)

パリ北部の国際空港にも名前がついているシャルル・ド・ゴールについての評伝である。

見開きに、ロンドンのBBCからフランス国民に向けてラジオ演説でレジスタンスを呼びかける有名な写真のしたにパリ凱旋をするド・ゴールの写真があるが、2メートル近い背丈は異様に目立っている。

これを見ながら、戦時中はあちこち指揮のために出かけていたというが、まっすぐ体を伸ばして寝ることができるベッドがあったのだろうかと、どうでもいい心配をしてしまった。(写真はウィキペディアから借用)

フランスは徹底した自主独立の国である。というか自主独立を国是としていると言ってもいい。そのために、核武装もするし、NATO軍からも撤退する。

そういった軍事的なことだけではなく、食料も自給率100%を超えるほど農業も自国産を大事にするし、買っておけばい何年でも保存がきくウランを大量に購入しておいて、原子力発電所をたくさん作って、エネルギー100%を自国で確保する。

食料もエネルギーも、おまけに政治そのものも、アメリカや中国に従属しているどこかの国とはおおちがい。

そういった国是を確立して、実際に政治の世界で実行したのが、シャルル・ド・ゴールだったということがこの評伝ではよく分かる。

かつてフランスではアメリカ嫌いと言われるような現象があった。英語を話せるのに、わざと知らないふりをする。観光客が英語で話しかけても答えない、みたいな。アラン・ドロンが英語をけっして学ぼうとしなかったのもそうした風潮に応えていたというような話を聞いたことがある。

それもNATOからの自立、どんな国際情勢にあっても、自国の自主独立の立場から発言するというド・ゴールの姿を国民が応援したからだろう。(フランス人はけっしてアメリカが嫌いというわけじゃない。)

最後に、佐藤賢一のこの評伝。文章としてはおそらく私が読んだ彼の作品の中で一番出来が悪いと思う。とにかく細かすぎて読むのがしんどい。固有名詞が多すぎるのだ。国際情勢や国内情勢をわかりやすく提示するような手法を取らないで、記録集みたいな書き方をしたからだ。なんか原典をただ翻訳しただけみたいにも見えないこともない。

ただ、最近テレビでNHKの映像の世紀を見ていたら、ちょうど戦中戦後のところだったが、フランスが、ド・ゴールがまったく出てこなかったので、フランスも、ド・ゴールもナチス・ドイツとの闘いをやっていたのだということがこの本でよくわかった。これまで私は戦中にド・ゴールはイギリスで安穏を暮らしているだけだと勘違いしていたので。



『かの名はポンパドール』

2019年02月16日 | 作家サ行
佐藤賢一『かの名はポンパドール』(世界文化社、2013年)

パリのさる占い女がジャンヌ=アントワネットが国王の愛妾になると占ったという逸話から始まって1764年に死去するまでを描いた小説である。小説だから読みやすい。読みやすい上に、もともと西洋史学を大学院で勉強し、ほとんどの小説をフランス物で書いてきた著者(小説『フランス革命』なんてのもあるくらいだから)にしてみれば、資料を渉猟するのも、お手の物だろう。きちんとした下調べのもとに描かれているから安心して読める。

例えば、ポンパドゥール夫人が国王のために作った「小部屋劇場」と言われる14人ほどしか収容できない小劇場で『タルチュフ』から様々の牧歌劇などを上演してルイ15世を楽しませたという話も演者や、いついつ何を上演したかなどもさり気なく書き込んであり、興味深い。

また面白かったのは、オーストリア継承戦争が終わったエクス・ラ・シャペルの和約のあと、その成果が僅かだったことで、国民が不満を募らせる事態になり、かつてポンパドゥール夫人を宮廷に引き込むのに後押しをしてくれたモールパがポンパドゥール夫人を中傷する文書ポワソナードの張本人であったことを知った彼女とモールパとのやり取りの場面もモールパという人物をよく理解した上で作られており、さもありなんと思わせてくれた。

しかし政治がらみの問題などでは、常識的な描写にとどまっているところもある。これが小説作法の限界かもしれない。最後にフランス語をよく知っている著者なのに、なぜ「ポンパドール」としているのか理解できない。「ポンパドゥール」と書くべきだろう。

ナンシー・ミットフォード『ポンパドゥール侯爵夫人』(東京書籍、2003年)

翻訳は2003年の出版だが、原書は1954年の出版である。2000年頃から、ポンパドゥール夫人に関する著作が増えてきていることを思うと、早すぎた著作と言えるかもしれないが、第二次大戦後にパリに移住したとのことで、フランスの資料を相当に調べた上での著作だと思われる。

そしてこの本の優れたところは、そうした資料的なことだけではなくて、随所に当時の政治的社会的宗教的な重要事項の、つまり時代背景についての解説があり、それが簡潔なのだが、実に的確であることだ。

とくに第15章の「教会と、高等法院と、役人と」以降は非常に優れている。驚いたことに、1750年前後にフランスを賑わした高等法院(ジャンセニスト派の牙城)とイエズス会(王室を支配していた)との紛争であった「ウニゲニトゥス回勅」問題や秘跡拒否問題、さらにはそれをてこにした高等法院のストライキ問題などが非常に分りやすく書かれている。専門書にも負けないほどの詳述ぶりである。

第16章の「同盟の逆転」では、当時のヨーロッパの同盟関係、力関係などの説明から、どのような思惑でフランスが宿敵オーストリアと同盟を結ぶにいたったのかが、逸話中心ではなく、政治論としても読めるほどの視点から描かれている。

本当にこの種の本でこれほどの内容が読めるとは思わなかった。


デュック・ド・カストル『ポンパドゥール夫人』(河出書房新社、1986年)

これはフランス人の歴史学者による評伝である。非常に細かい所まで記述されている。ポンパドゥール夫人と同時代人で、日記や回想録を書いた人々(バルビエ、リュイーヌ公爵、ダルジャンソン侯爵)の著者は当然用いられており、随所にその抜粋が織り込まれているので、資料集として手元に置いておくのもいい。

しかし非常に詳しい記述の本であるにもかかわらず、またなぜ国王がこういうことをしたのか、ポンパドゥール夫人がこういうことをしたのかについて、その背景を記述しているにもかかわらず、ある出来事についてはそれをしていなかったりと、編集方針が恣意的な印象を受けた。というかやたらと詳しすぎて全体が見えてこないということ。

例えば、1751年はカトリックで全贖宥と呼ばれる、100年に一度というような重要な年であった。ポンパドゥール夫人をヴェルサイユから追放させるために、また1749年に導入されていた全階級からの20分の1税を撤廃させようとして聖職者たちはこれを利用した。結果的には聖職者たちの勝利で、ポンパドゥール夫人追放はできなかったが、20分の1税は聖職者階級から徴収を中止させた。

ところが翌年の初めにルイ15世がお気に入りのアンリエット王女が亡くなった時にもポンパドゥール夫人追放のために利用したにもかかわらず、これについてはまったく触れられていない。

もう一つ、登場人物が非常に多くなるのは仕方がない。しかし、素人には爵位などをつねに明記してもらわないと誰のことなのか分からないことが多い。例えばダルジャンソンは兄弟でルイ15世の重臣を努めた。伯爵と侯爵がおり、爵位を付けてくれないとどちらのダルジャンソンなのか分からないのだ。

非常に参考になる本であるだけに、そういった細部までの注意を向けてもらいたかった。

訳者は、著者の訳し方を研究者に依頼してフランスの大学教授に尋ねてもらっているほど用心深いのに、当時有名な金融家のパリス兄弟を「パリ」と訳しているのはどういうことなのだろうか。


クロスランド『侯爵夫人ポンパドゥール』(原書房、2001年)

このだけは以前読んだことがあって、このブログでも感想を書いている。これも非常によく出来た本で、どうでもいいようなゴシップが書いてない分、必要最小限のことが書かれている。著名な芸術家たちからダンス、朗唱、歌などの教育を受けて優れた才能を見せたことや「小部屋劇場」のことなどもそうである。こちらを参考に。


『失われた手稿譜 ヴィヴァルディをめぐる物語』

2018年09月25日 | 作家サ行
サルデッリ『失われた手稿譜 ヴィヴァルディをめぐる物語』(東京創元社、2018年)

1720年代から30年代にかけて人気の絶頂にあったアントニオ・ヴィヴァルディも、1730年代末になると隆盛してきたナポリ派の音楽に押されて凋落し、多額の借金を踏み倒すほどになっていた。そして1740年に状況を挽回するためにウィーンに出かけるも、支援者を見つけることができず、当地で病死することになる。

そのためにヴェネチアの自宅に残された多数の手稿譜がその後どうなったかを、ヴィヴァルディの世界的研究者である著者が、小説風にかいつまんでまとめたのが本書である。

長い間忘れられていたヴィヴァルディが復活するのは1930年代ということらしい。そにエズラ・パウンドが貢献したというのは有名な話らしいが、それもここに書かれている。ただし、ヴィヴァルディを自分の好きなように演奏しようとしたということで、著者からは胡散臭い存在として描かれているが。

大きな流れとしては、こんな感じである。

1740年頃、ヴィヴァルディがウィーンに旅立って不在であったヴェネチアで、弟のフランチェスコが借金取りたちから手稿譜を秘密裏に持ち出して、他の場所に保管した

18世紀末に、これを所蔵していたヴェネチアの貴族ソランツォコルからイエズス会のカノニチ司祭に安く買い叩かれ、さらにそれが、ウィーンでグルックのオペラ改革運動の立役者となったドゥラッツォ伯爵に売られる。

1890年頃、長年ヴィヴァルディの手稿譜を所蔵してきたドゥラッツォ家で、兄弟への財産分与のために、中身を無視した単純な二分割が行われ、偶数巻と奇数巻が分かれてしまう。

1930年頃、奇数巻を所蔵していたマルチェッロ・ドゥラッツォが死去に際して手稿譜などをサン・ヴァレリオ教会に寄贈するが、価値のわからない院長がそれらを乱暴に扱いばらばらにして屋根裏部屋に無造作に入れ置く。

1937年、後任の院長がこれを売り払って金にしようとしたことから、音楽学者のジェンティーリにヴィヴァルディの手稿譜があることが発見される。

私が高校生の頃(60年代末)にはヴィヴァルディをはじめとしたバロック音楽がブームになり始めていたので、『四季』なんかは知っていたと思う。音楽の授業中によくレコードを聞かせてくれた教師もいたから、その頃に聞いたのかもしれない。楽器を何も習っていなかったけどクラシック音楽が好きだった私には楽しい時間だった。

私は30歳ころからヴァイオリンを始めて、いちおうヴァイオリン教室にも通って習ったが、有名なスズキ・メソードの教則本なんかにはヴィヴァルディがよく使われているので、いろいろ練習で使ったが、やはりカルテットでもいいからチェロのような低音楽器と一緒に演奏するのがいい。低音が入ると雰囲気ががらっと変わるからだ。

ヴィヴァルディの場合だとまだまだチェロのような低音楽器は単純な動きしかしないので、チェリストはやりたがらない(モーツァルトだとかベートーヴェンなんかの四重奏を弾きたがる)ので、ちょっとした室内管弦楽団にでも入らないと、なかなか演奏する機会がない。

ヴィヴァルディってこれだけ有名なのに伝記本がほとんどない。ヨーロッパではたくさん出ているのだから、翻訳でもいいから出したら売れると思うけどな。こんな七面倒臭い小説を読むより、ずっといいのではないかな。



『秋の花火』

2015年08月03日 | 作家サ行
篠田節子『秋の花火』(文藝春秋、2004年)

篠田節子の小説で最初に読んだのが『カノン』だったと思う。だから篠田節子というと音楽家の狂気みたいなものをサイコ調に書く作家というイメージがある。今回読んだのは短篇集なので、ちょっと趣が違うが「秋の花火」と「ソリスト」がこうした系列にあたる。

「秋の花火」はセミプロの「イ・ソリスティ・トーキョー」という楽団の第二バイオリンを担当している「私」とチェロの井筒との淡い恋愛関係を書いたもの。

「ソリスト」は天才的なピアニストであるロシア人のアンナの演奏会であやうくドタキャンになりそうになりながらも、舞台では素晴らしい演奏をして、万雷の拍手を得た話に、アンナの来歴とソ連の裏側を絡めて書いたもの。

それにしてもこの二作と「灯油の尽きるとき」などとの落差はいったい何だろうなとびっくりする。もちろん篠田節子が「灯油の尽きるとき」みたいな小説を書いてはいけないとは思わないが、これほど落差のある短編を一つの短篇集に収録するという編集者の意図が分からない。

篠田節子が一流の作家かどうかはおくとしても、「灯油の尽きるとき」は、これだけコンスタントに優れた作品を発表している作家の作品とは思えない。売れない三文作家が週刊誌とは言わないが、日刊なんとかというようなところに飯のために書いたような小説だとしか思えない。

繰り返すが、そんな小説を篠田節子が書いたことはそれほど問題にする気はない。誰だって調子の悪い時はある。しかしそれを短篇集に再録するという意図が分からない。

このブログを読み返してみたら、意外と篠田節子の小説をたくさん読んでいた。篠田節子の小説のことを書いたブログはこちら

以前は小説を読んで感動していたこともあったのにな。