齋藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書1035A、2020年)
飛ぶ鳥を落とす勢いの若手研究者の本。まだ34才という若さ。ドイツ生まれなのかどうかしらないが、大学からドイツで学んでいることから、当然ドイツ語や英語はネイティブ言語のように使いこなせるのだろう。やはりそれくらいの基礎力がないと、この若さで世界の最先端の主張を取り込んで、自説を展開するというのは無理だと思ったので、今後はこれが主流になるのだろうか。
この若者に感心したのは、徹頭徹尾、資本主義を根幹から転換して新しい生産関係のシステム(それは新しい意味でのコミュニズムにほかならない)を作り出さなければ、現今の環境問題や貧困問題(南北問題と言われてきた問題)を解決することはできないという立場に立っていることだ。
資本主義システムの改良によって問題が解決できるのではないかというのは幻想だとはっきりと私たちに突きつけたのは、じつに興味深い。
環境問題は、広く主張されるようになって、多くの市民の理解を得るようになったが、その主張の多くは、あたかも私たちの生活そのものが害悪であるかのような主張になっていることだ。つまり資本主義システムが問題なのではなくて、どんなシステムでも生産力が発展すればこうした環境問題が起きるというように思わせてきた点である。
しかし著者は、環境問題は資本主義システムの当然の帰結であるとはっきり主張する。それは資本主義システムが人という存在であれ、地球という一見無尽蔵に見える存在であれ、すべて利潤追求のために私有化すること蕩尽することから起きることだということを明らかにした。
それを防ぐには、土地、水、空気をはじめとした自然由来のものから、電力、道路、情報網など社会生活に必要な人間が作り出したものまで、人間の存在に必要なものはすべて「コモンズ」として私的所有を許さないで共同体の共同所有、共同管理、共同運営に委ねるなければならないという。
そうすることによって自然は適切に管理され、私たちの生活を豊かに潤すものとなり続けることが可能になる。
彼はそれを『資本論』第一巻を書き終えてから死ぬまでの20年くらいの後期マルクスの研究ノート(MEGAとして編集されており、この著者もそれに関わってきた)から読み取ることができるという。この意味で、マルクスはけっして滅びていないし、現今の諸問題にも私たちが取るべき道を示唆してくれているというのだ。
しかし資本主義システムを解体して「コモンズ」を共同運営していく道は端緒にさえもついていないように思える。果たして環境崩壊に間に合うのだろうかという心配も出てくる。同時に、私たちが進んでいくべき道を提示してくれたことは喜ぶべきことであり、これをもとに私たちが活発な議論を広げていかねばならないと思う。
『人新世の「資本論」 』(集英社新書)のアマゾンのコーナーへはこちらをクリック
飛ぶ鳥を落とす勢いの若手研究者の本。まだ34才という若さ。ドイツ生まれなのかどうかしらないが、大学からドイツで学んでいることから、当然ドイツ語や英語はネイティブ言語のように使いこなせるのだろう。やはりそれくらいの基礎力がないと、この若さで世界の最先端の主張を取り込んで、自説を展開するというのは無理だと思ったので、今後はこれが主流になるのだろうか。
この若者に感心したのは、徹頭徹尾、資本主義を根幹から転換して新しい生産関係のシステム(それは新しい意味でのコミュニズムにほかならない)を作り出さなければ、現今の環境問題や貧困問題(南北問題と言われてきた問題)を解決することはできないという立場に立っていることだ。
資本主義システムの改良によって問題が解決できるのではないかというのは幻想だとはっきりと私たちに突きつけたのは、じつに興味深い。
環境問題は、広く主張されるようになって、多くの市民の理解を得るようになったが、その主張の多くは、あたかも私たちの生活そのものが害悪であるかのような主張になっていることだ。つまり資本主義システムが問題なのではなくて、どんなシステムでも生産力が発展すればこうした環境問題が起きるというように思わせてきた点である。
しかし著者は、環境問題は資本主義システムの当然の帰結であるとはっきり主張する。それは資本主義システムが人という存在であれ、地球という一見無尽蔵に見える存在であれ、すべて利潤追求のために私有化すること蕩尽することから起きることだということを明らかにした。
それを防ぐには、土地、水、空気をはじめとした自然由来のものから、電力、道路、情報網など社会生活に必要な人間が作り出したものまで、人間の存在に必要なものはすべて「コモンズ」として私的所有を許さないで共同体の共同所有、共同管理、共同運営に委ねるなければならないという。
そうすることによって自然は適切に管理され、私たちの生活を豊かに潤すものとなり続けることが可能になる。
彼はそれを『資本論』第一巻を書き終えてから死ぬまでの20年くらいの後期マルクスの研究ノート(MEGAとして編集されており、この著者もそれに関わってきた)から読み取ることができるという。この意味で、マルクスはけっして滅びていないし、現今の諸問題にも私たちが取るべき道を示唆してくれているというのだ。
しかし資本主義システムを解体して「コモンズ」を共同運営していく道は端緒にさえもついていないように思える。果たして環境崩壊に間に合うのだろうかという心配も出てくる。同時に、私たちが進んでいくべき道を提示してくれたことは喜ぶべきことであり、これをもとに私たちが活発な議論を広げていかねばならないと思う。
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