読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

『船に乗れ!Ⅲ合奏協奏曲』

2010年04月30日 | 作家ハ行
藤谷治『船に乗れ!Ⅲ合奏協奏曲』(ジャイヴ、2009年)

連作の最終巻。高校二年生で付き合っていた南枝里子が他の男性とのあいだに子どもができて退学し、恋愛も破綻してしまうという事件があり、なんとかその痛手を隠しつつ、三年生になって、音楽ホールの落成をきっかけに、オーケストラは専攻科だけでやるという方針転換に新たな気持ちで取り組んでいた津島たちの演奏会に突然枝里子がやってきて隠れてバッハのブランデンブルグ協奏曲5番を演奏して、またあっという間に去ってしまう。後から渡された手紙とかつて一緒にやっていた曲の楽譜でやっと踏ん切りをつけた津島は、チェロを捨てる決心をして予備校に通い始める。

たぶん作者が高校生のときに経験したことをほとんどそのまま小説にしたんだろうなと思いながら読んだ。また小説だからそういうふうに作ってあるのかもしれないが、なんだかすごく凝縮された高校三年間という気がする。普通の人間の3倍も4倍もの出来事が濃縮されているというか。

私の高校三年間も心の中ではけっこう波乱だったけど、外見的にはとくにたいした出来事もなく過ぎていった三年間だった。毎日(日曜日も祝日もなく、休みだったのは正月くらいか)ボートの練習に明け暮れ、帰宅したら、勉強もせず、テレビを見るばかりで、音楽を聴いたり、小説を読んだりはたまにするくらい。坐骨神経痛で膝が痛くなってボートができなくなった三年生の初め頃からは小説を読むようになった。それでちょっとは小説らしきものを書いたりして、大学も文学部に行こうと決めた。

「あのときこうしていればよかった」というようなことは誰しも考えることだが、あのときあの子が言ったあの言葉はじつはこういうことを意味していたんじゃないのかとか、あのときのあいつの行動はこういうことから来ていたんじゃないかというようなことが、つぎつぎと合点がいくというか、思い当たる節がある的に、突然ひらめいたりするということが、20歳代の出来事について私の場合は40歳代まであった。しかしそういうことも最近はほとんどない。たぶん人はそういう形で若い頃の過去と切れていくんじゃないかと思う。忘れるということは、本当に忘却してしまうということもあるけれども、重要な出来事の場合は、本当に忘れてしまうことはできないで、その隠された意味が突然分かる、よみがえるというような、牛の反芻行為ににたことが起きなくなることを言うのだろうと思う。

この作家はこれを30年後の45歳くらいで書いているわけで、まさに反芻行為を行なってきたことを思い出しながら書いたのだろうが、きっとこれでそれも終わりになるにちがいない。そういうことで青春時代に踏ん切りをつけることになるのだろう。


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『音楽の聴き方』

2010年04月29日 | 評論
岡田暁生『音楽の聴き方』(中公新書、2009年)

音楽にはサウンドとしての面と言語としての面があるという考え方から、先ず最初にサウンドとしての音楽を聴くということは「感じる」か「感じない」かの二者択一しかないので、ある意味普遍的で、どんな音楽もどんな状況でも成り立つ音楽受容のありようだと説明し、ついで言語としての音楽を聴くには外国語を習わなければ理解できないのと同様に、その分節規則とか作曲家ごとの形式を理解しなければならないと説明されている。これはこの本で書かれていることのごく一部にすぎないのだけど、私が理解できたところだ。多くの音楽愛好家はこの本を読んで日ごろのもやもやがすっきりしたという思いをもつのではないだろうか。それくらい、音楽というものの特徴にそって、「聴く」「する」「語る」音楽について縦横無尽に書かれている。

この著者は定式化がたいへん巧みである。われわれがもやもやとしか状態でしか理解できていないことをスパッと定式化して提示してくれるので、「あぁそうか」「あれはこういうことだったのか」とすっきりすることが多々ある。しかしよく考えてみれば、本当にそうなのだろうか、もやもやしていたのはそれなりの理由があったのではないかともう一度よく考えてみると、そんな簡単には割り切れないよということもある。

たとえば本書の85ページにサウンドとしての音楽はグローバルだが、言語としての音楽はローカルである、と書かれている。音楽を普遍的と言ったり、いや時代や国に限定されると言ったりするのは、音楽そのものにこういう二面性があるからだな、と合点するのだが、はたしてサウンドとしての音楽はグローバルなのだろうか。言い方を変えてみれば、昔からサウンドとしての音楽は普遍的であったのだろうかということである。

音楽で使われる音というのはすべての民族の音楽で同じではない。いわゆる音律というものが西洋でさえ古代ギリシャと中世と近代とではちがう。三度を協和音と見るか不協和音と見るかがいい例だ。さらに西洋と日本も違う。くわしくは知らないがインドやアフリカの音楽も違うだろう。ちょうど面のように存在する音的素材に網をかけるようにして、網から漏れた音的素材は音とはみなされない。ただの雑音とされてきた。ということはどんな音、あるいはどんな音の組み合わせを心地好いと感じ、不快に感じるかということは、じつは時代的にも民族地理的にも相対的で、絶対的なものはありえなかったのだが、近代以降、とりわけラモーが近代和声を確立した頃から、すでに社会的には進んでいた植民地支配の後追いをするようにして、西洋の近代和声が全地球を制覇することになった結果、サウンドとしての音楽はグローバルだといえるような状況になってしまったのではないのだろうか。

言語としての音楽ももちろんそれぞれの民族で存在した。これは西洋のなかでも国によって、つまり言語のちがいによって音楽の違いが生じていたが、そういう違いが崩壊していったことについては、この本でも触れられている。それが19世紀になって、資本主義社会になって、まさに民族だとか共同体だとかいうものが不必要になって、個と個の関係になっていく過程で、共同体と強く結びついていた言語としての音楽という側面が崩壊していったであろうこと、また音楽が商品としての価値を見出され、市場を世界に広げていく過程で(レコードの発明はそれを加速したに過ぎないだろう)そういう側面が捨てられていったということだ。

私に理解できたことはここまでで、とくに第四章・第五章で書かれていることについては、あまり理解できたといえない。議論について行けなかったというのが正直な感想だが、その理由の一つにフルトベングラーだとかポリーニだとかをあまり知らないということもあるのかもしれない。ホロビッツの○○は絶品だなんてことに関心のある人なら、興味深いのかもしれない。

あとがきを読むと、これまで中公新書として出版した本のなかで一番苦労したと記されているが、私には一番分かりにくい本だった。

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『「健康」という病』

2010年04月27日 | 評論
米山公啓『「健康」という病』(集英社新書、2000年)

昨今の健康ブームはすごい。テレビで病気に関する番組をやっていない日はない。「たけしの本当は怖い○○」、NHK教育の「今日の健康」などなど。余命何年なんてことまで出演者に告げる番組まであるのには驚いた。もちろん余命を告げられるタレントの側には、あらかじめそれがどういう意味なのか説明してあるのだろうし、また場合によっては、担当した医者がアフターケアをしてくれるという特典つきなのかもしれない。

そしてそれらに輪をかけたようにすごいのが、健康サプリメントの広告である。グルコサミン、コンドロイチン、酢、セサミン、青汁などなど、たしかにそれぞれに効能があるのだろうけれども、広告に出ているタレントや素人さん(ほんとうに素人なのかどうかあやしい)たちは、決してそういったサプリメントを飲んだ結果健康になったわけでも長寿になったわけでもないのだけど、そういう年齢の割には元気な人たちが「これで健康になりました」なんて言ったら、みんなそう思ってしまうだろう。

そういうご時勢のなかで、それを批判するこの本はなかなか貴重だと思う。この人がこの本でメインに批判していることの一つに健康診断の意味である。ものすごい金額の税金を使って行なわれている健康診断がはたして病気の予防になっているのか、早期発見によって死亡率を減らすことができているのか、診断の精度が上ることで、健康な人にでもある「変異」がまるで病気の兆候であるかのようにみなされて、不必要な精密検査を受けなければならなくなるようになっているのではないかというような話であるが、私なんかも受けないよりも受けたほうがいいだろうくらいの気持ちで受けているが、もっと国全体の視点で見れば、すごい税金の無駄づかいなのだそうだ。

以前、内科医で作家の南木圭士の小説で描かれた「心を病んでいない」病人のことを書いたことがある。南木圭士は体はだれでも病気になったり、老いて死んでいくが、体の病気になっても、心の病気にならないことが人生をまっとうすることではないかと、健康に死んでいく人間のありようを提案していた。だが心を病まないでいるとはどういうことか、たしかにそういう人がいるのだろうが、自然にそうなるというのではなくて、努力によってそうなるにはどうしたらいいのか、そういう処方箋は彼は提示していなかった。

だがここでは米山は新しい健康観を提示している。彼の考えによれば「自分の目標設定したことを、苦痛なく遂行できる」ということが、体の病気との共存という意味も踏まえて、真に心も健康で生きていくための健康観だという。

年を取れば、いわゆる病気でなくてもあちこち不都合が起こるし、また病気にもなるだろうが、それが「自分の設定した目標」を「苦痛なく遂行できる」ような程度のものなら、精神的にそれを病む必要はないし、そのような「異常」でくよくよする必要もない。そもそもそういう状態であるのに健康診断なんか受ける必要もない、ということなのだろう。
「自分の目標」といってもピンからキリまであるわけで、別に大層なものでなくていいわけで、趣味の世界でこういうことをしたいというものでも、社会的に認知された重要な役職を全うすることでもいい。とにかく自分で決めた「これこれをやり遂げたい」というものが「苦痛なく遂行できる」身体状態・精神状態にあれば、まさにそれは健康とみなしていいわけで、そういう状態にあるのに、毎年毎年人間ドックなど受ける必要はないということなのだろう。

ただ現実にはそういう人間ドックで初期ガンが発見されて大事にいたらなかったなんて話も聞くしなーと思ってしまう。この本の議論は大きな視点で見ているので、それはそれで国の厚生政策にたいする提言としてはいいのだろうけど、個々の個人の問題としてははたしてどうなのだろうかと思う。

まぁ国のやる政策やなんとかブームには気をつけろ、安易に乗っかるなということなんでしょうね。

ここからは私見なのだが、健康ブームやら健康サプリメントなんかが流行っている日本とかアメリカに共通するのは競争社会ということではないかと思う。とにかく健康でいなければ人生の落伍者だみたいな風潮、それはひいては老人になって自分で自分のこともできなくなるのは落伍者、みっともない、恥ずかしいことだという風潮になっている。さらにそれは障害者にたいする否定的な見方を増長することになるのではないかと思う。社会全体でケアーするというコンセンサスができている国、北欧諸国なんかでは、こんな健康ブームだとか健康サプリメントの流行などはないのではないかと思うが、どうなんだろうか。

だからパラリンピックを日本とかアメリカの人が観る視点と北欧諸国の人たちが見る視点は違うような気がする。私なんかは障害者だってここまでできるんだぞというような見方ではなくて、障害を持っていてもあそこまでできない人はだめ、ぐだぐだ言っているようではだめといわれているように見てしまう。つまり障害や病気を持っている人たちへの励ましではなく、叱咤、尻叩きにしか見えない。たぶん社会全体で障害者や老人を見ていこうとしている北欧の人たちには障害者でもここまでできるんだよという励ましに見えるのだろうと思う。


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『ブログ』

2010年04月22日 | 現代フランス小説
ジャン=フィリップ・ブロンデル『ブログ』(アクト・シュッド書店、2010年)
Jean-Philippe Blondel, Blog, Actes Sud, 2010.

15歳で高校一年生の「僕」は3年前から始めたブログを父のフィリップが何も言わずに秘かに読んでいたことを知って、激怒し、口もきかなくなる。母のとりなしで、休戦状態になったが、父がノートや写真の入った古い箱を「僕」に渡す。それらのノートには父が高校生の頃に書いたと思われる日記や小説のようなものが書かれていて、「僕」はそれを読んで、何度も捨てようと思うのだが、徐々に惹かれていく。毎夜、自分の部屋で読むのが楽しくなってくる。ついにはそこに出てくる高校生たち全員と友だちになったような錯覚さえ生まれるようになるのだった。

110ページ程度の短い小説の半分くらいまではあまり面白くなかったのだが、父から渡された彼の日記のなかに1981年にミッテランが大統領になり、社会党支持者でなくても、また彼に投票しなかった者たちのあいだにも、社会が変わりそうだという興奮が拡がり始めた夏、それは「僕」に言わせると、ちょうどアメリカでオバマが大統領になって、世界が変わりそうだと何かしら興奮状態になっている現在に通じるところがあるのだが、1981年の8月のある日の記述に、近所のジャン=フランソワの結婚式のことが書かれているところに、「僕たちは招待されていた。とくにジャン=フランソワは僕の兄の友だちだから」という箇所を見つけ、「僕」があれ?父さんに兄弟っていたかな?そんな話聞いたことがないぞ、と不思議に思うところから、話は面白くなってきた。

それまでほとんど高校の友人であるマルク(今では「僕」は彼のことをTonton Marc「マルクおじちゃん」と呼んでいる)たちのことしか出てこなかったのに、このジャン=フランソワの結婚の頃からパスカルという名前の兄らしき人のことが頻繁にかかれるようになり、次の年の夏には完全に日記が途切れてしまう。

「僕」はそのことを恋人のアンヌ=ソフィーに話すと、ずっとここに住んでいる家族なんだから、事情を知っている人がいるはずだから、調べてみたらと言われ、この「マルクおじちゃん」に聞きに行く。

マルクは「いつかそういう日が来るんじゃないかって分かっていたんだ」と言って、最初は真相を話そうとはしなかったが、「僕」がしつこく頼んだのでしぶしぶ話し始める。

フィリップよりも六歳年長の兄のパスカルはパリの大学を出て商社に勤めていた。23歳だった。1982年7月バカンスの直前の頃、フィリップはバカロレアを取得して、さらに高等師範学校に入学する準備のために9月からはパリの準備級に入ることになっていた。兄は商社に勤め、弟は高等師範学校に入学できれば、場合によっては大学の教員になるかもしれないということで、彼らの両親は自慢の息子たちを誇りにしていた。それで両親はまだMiniしかもっていなかったフィリップのためにフィアットを買ってやり、フィリップはパスカルとドライブに出て、人が変わったようにスピードを出し、コントロールがきかなくなって交通事故を起こして、フィリップだけが助かったのだった。母親は精神を病み、フィリップは自責の念からパリ行きを辞めて、家に閉じこもるようになった。彼を引きこもりから救い出したのは、「僕」の母との出会いで会った。

思春期の若者の、人間関係―とくに親との関係―をうまく調整できず、鬱屈した毎日を送る様子が手に取るように読める小説とでも言ったらいいだろうか。だれでも思春期というのは、将来像も見えてこない、社会との関係もよく分からない(今風に言えば、自分の立ち位置がよく分からない)、これまでの親子の密着した人間関係をぶち壊したのはいいけれど、これからどんな人間関係を作っていったらいいのか分からない、勉強のなかにも没頭できない、内部からの欲望という今まで知らなかったものを経験して自分の体が自分のものでないように押さえがきかない、そういう居心地の悪さというものを、誰でも経験するものだろう。

私自身もそうだったし、たぶんだれもが同じような経験をしているのだろう。それをどんなふうにして抜け出してきたのか、私の場合はたんに時間の経過を待っていただけだったような気がする。そういうときにこの小説のように、両親もそうだったのだということを何かの手段で知るという経験があるかないかは、重要なことかもしれない。


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『ドン・ジョヴァンニ』

2010年04月21日 | 映画
『ドン・ジョヴァンニ』(サウラ監督)

今週もテアトル梅田で映画を観た。今日は二つあるホールのうち広いほうだったので、座席の心配はいらなかった。というは、前回のことに懲りて、30分も前に着いたから、余裕で後ろのほうの席が取れた。

モーツァルトのオペラ『ドン・ジョヴァンニ』製作にまつわる作詩家のダ・ポンテを主人公にした映画で、イタリア語での作品で、モーツァルトとダ・ポンテはイタリア語、モーツァルトと妻のコンスタンツェはドイツ語という、申し分のない使い分けがされていた。フランス人を主人公にした映画なのに英語なんてというのは悲しすぎる。

昨年夏に『ドン・ジョヴァンニ』をカレッジ・オペラハウスで観る前に、アンソニー・ルーデル『モーツァルトのドン・ジョヴァンニ』というのを読んでいったのだが、それと同じようにダ・ポンテとモーツァルトの共同作業としてのオペラ製作ということが主題になっている。やはりオペラというものはこれまで作曲家だけに関心が向けられていたが、作詞家との共同作業であるわけで、もっと作詞家のモチベーションとかものの考え方などにも注意が向けられるべきだろうと思っているので、そういう方向に進みつつあるのかなと興味深い。

ただ、この映画ではダ・ポンテが師匠であるカサノヴァからドン・ジョヴァンニという主題を提案されたということになっているが、それはそれでいいとして、もう一つなぜドン・ジョヴァンニだったのか、またそれまでたくさん書かれてきた同類の作品とどう違うのかというところを丁寧に描いてくれるとよかったのだがと思うのは、ないものねだりだろうか。

それにしてもイタリア人というのは、聖と淫のぎりぎりのところで生きているという感じがする。あと一言で、あと指の一触れで淫に落ちてしまうというところで踏みとどまって聖に踏みとどまるか、そのままあと一言を言ってしまって落ちるところまで落ちるか。そういう綱渡りみたいな生き方に喜びを感じているようにも見えないのだけど、たぶん喜びを感じているのだろうな。日本人とか韓国人というような儒教的精神の強いところでは信じられないような生き方に見える。そういう綱渡り的な人間関係を当然だわなと思わせるほど男も女もきれいなのだから、仕方ないのかもしれない。

映画としては感動ものということではなかったが、面白いものを観たというところだろうか。

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『書く―言葉・文字・書』

2010年04月19日 | 評論
石川九楊『書く―言葉・文字・書』(中公新書、2009年)

石川九楊『書く―言葉・文字・書』(中公新書、2009年)

年末にはたいていこの一年に出版されたなかでお薦めの三冊とか五冊なんて特集がどの新聞でもあるのだが、昨年の年末には多くの評者がこの本を挙げているのに驚いて、いったいこの人だれなんだろうと思っていたが、図書館に行ったらちょうどこれがあった。

しかし読んでみてさらに驚いたのは、なにが言いたいのか私にはさっぱり分からないことである。漢字・平仮名・カタカナ、要するに東アジアの漢字文化圏での文字は、欧米のアルファベットとはまったく違う、文字そのものが意味をもつという特徴があるのはその通りだろう。

文学も含めた芸術作品が芸術たるゆえんは鑑賞行為にあるように思う。どんな芸術作品もそれ自体では存在しえず、鑑賞行為によってなんらかの価値を持った芸術作品となる。ただジャンルによって鑑賞行為のあり方は直接的であったり、重層的であったりするし、また鑑賞の対象となるものの媒体が重要かどうかに違いがある。しかし、鑑賞行為によってさまざまな芸術的価値が生まれてくるのであって、作品そのものになにか客観的な価値のようなものが存在するわけではない。だから文学の場合だって、まったく印象的な鑑賞行為もあれば、作品が書かれた時代におきなおして新たな価値を浮き彫りにするような批評という鑑賞行為もある。こういう書き方では何を言っているのか分からないだろうから具体的に書いてみる。

文学の場合、文字を使って表記されるが、その表記が印刷によるものであろうと手書きによるものであろうと関係なく、それにはなんら意味表出機能はなく、書かれた内容だけが意味をもつ芸術である。つまり表現媒体そのものは意味がゼロであるから、いくらでも複製が可能になる。したがって、何年に印刷されたものであろうと、文字のフォントが違おうとも、それは文学作品の価値になんら影響をあたえることがない。

文学の場合、鑑賞行為はこの媒体にこだわらない紙に印刷された文字あるいはパソコンの画面に表示された文字と鑑賞者とのあいだで行なわれる直接的なものになる。あいだには何も介在しない。それは言葉というものが鑑賞者が日常的に使用しているものであるという特殊性があるからだろう。批評というのは批評家による一つの鑑賞行為をとおして鑑賞することになる。その意味で重層的な鑑賞行為ということになるだろう。

これと同じように鑑賞行為が直接的なものに絵画がある。鑑賞者が作品を見るということだけで鑑賞が成り立つ。あいだに介在するものはなにもない。しかし文学と違うところは対象としての作品が一回限りのもので、作品の意味と素材との関係が密着していることにある。同じ対象を描いた絵画であっても、それが油絵の具によるのか水彩絵の具によるのかエッチングによるのか、またエッチングでもどんな種類のものかによって、まったく意味産出が違ってくるので、作品の価値を異ならせることになる。

これにたいして、音楽と書は、一部の人を除いて、作曲家の書いた作品を演奏者という鑑賞者が芸術的価値を付与したものをさらに鑑賞するとか、誰かの書いた詩を書家という鑑賞者が芸術的価値を付与したものを鑑賞するというように、鑑賞の仕方が重層的である。しかしだからといって、鑑賞行為によって初めて作品が芸術的価値をもつという芸術固有のありかたにはなんら違いがない。もちろん書には書に固有の芸術的価値産出の機能がある。それがこの本で書かれているような筆圧だとか流れだとか書体だとか墨の濃淡だとかということになるのだろう。

こういう視点からみれば、書というのも、同じ漢字あるいはおなじ詩を書いたものであっても、どのような書体でどのような紙にどのような筆で描いたかによって、作り出される価値が、あるいは意味内容が違ってくるわけで、つねに一回限りのものとして存在するという意味において、あるいはこの人も言っているように、そこに倫理的な価値までが付随するようになるという意味において、それは絵画や音楽と同じ芸術である、と考えてしかるべきと思う。

ところが、どうもこの人は、そうではないと言い張り、やたらと書は文学であると繰り返しているが、なにをもって書は文学だと言いたいのか、まったく理解できない。たとえば8ページから9ページにかけて、まさに「書は文学である」という見出しで書かれている。そこでは「書は裏返した文学である」という定義が提示され、その一例として、拓本の存在が挙げられている。通常の白地に墨による黒字によるものにたいして、拓本は黒地に白字で描かれている。そこで説明されていることはただそれだけのことで、いったい拓本のどこが「書は裏返した文学である」という定義の一例になるのか、さっぱり分からない。

万事がこんな調子で話が進んでいくこの本のどこがいったいすごいのか、今年のお薦めの本なのか、私にはまったく理解できない。ある意味、こんなわけの分からない本にめぐり合うというのも、はっきり言って初めてのことで、世の中にはこんなわけのわからないことが書かれているのに、「すごい」とか言われるということもあるものなんだなと、驚いた。

私の勘違いで、この本のことではなかったのかもしれないな、となんだか不安になってきた。アマゾンのレビューを見たら、これまた絶賛ものばかりで、またまた不安になってきた。

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『生活保障』

2010年04月16日 | 評論
宮本太郎『生活保障』(岩波新書、2009年)

BSフジのプライム・ニュースという二時間ものの番組をときどき見ている。一つのテーマに絞って二人か三人のゲストからしっかり話を聞くという作りの番組で、毎回のゲストがそうというわけでもないのだが、竹中平蔵がでてきたり、朝青龍の問題のときには相撲について一家言をもっている東大教授がでてきたりして、弁舌爽やかな人たちの話をじっくり聞けるというのはじつに心地好い。このあいだは生活保障というタイトルで宮本太郎と、長くスウェーデン社会との交流があるという実業家がゲストとして、日本の社会保障について話していた。

宮本太郎の話がじつに上手く、手際がよかったので、日本の社会保障がどういう特徴をもつものであるかすんなり分かった。この本でも書かれているが、ようするに社会保障についてはそれほど充実していない。しかし終身雇用を守るために国家と大企業が一緒になって雇用を創出してきたことで、高年齢まで相当額の給与が保障されてきたために社会保障が貧弱でもそれほど問題が生じていなかった。ところが20年位前から終身雇用が壊れ、正規社員も雇用が確実でなくなったうえに、大量の非正規雇用が生まれ、しかも彼らは将来設計は言うまでもなく、今現在の生活さえも保障されていないという状況が起きたために、これまでの社会保障が通用しなくなり、かといって新たな社会保障や雇用保障の枠組みもまだ試行錯誤の状態にあるというものであった。

宮本太郎は以前立命館大学の教員をしていのだが、見かけなくなったなと思っていたら、北海道大学の教員になっていた。で、久しぶりにテレビに出ていたので彼の話を聞いていたら、話が分かりやすくて、ずいぶんと勉強しているなと感心した。繰り返しになるが、ずいぶん弁舌が爽やか、理路整然、日本の社会保障、雇用保障の過去と現在、スウェーデンの社会保障や雇用保障の特徴がじつによく分かった。それで、そこでも紹介されていたので、この本を読んでみようと思ったような次第。

やっぱ学者の書いたものだと少々がっかり。数字やらよく分からない図表やら、そして研究者の名前やらが多すぎる。もちろん専門用語が多いのは仕方ないにしても、できるだけ専門用語を用いないで書くのが新書の作法ではないのかなと思うのだがどうだろうか。まるで専門書を書いているような具合で書いてあるので、面白くもなんともない。テレビで話をするようなつもりで書けば、もっと分かりやすくて、そして重要なことだが、試行錯誤をしている現在の日本への有効な提言になるだろうに、はっきり言って、読んでもよく理解できないことを書かれたのでは、提言にならないだろう、社会全体のコンセンサスを得ることはできないだろうと思う。

たとえば同一労働同一賃金がスウェーデンを初めとした北欧諸国では当たり前になっている。労働内容が同一かどうかなんて、言葉では簡単だが、実際には簡単なことではない。同一労働同一賃金がなぜ先端企業には有利になるか、テレビでは分かりやすく説明していたのに、この本を読んでも訳が分からない。

同僚の山口二郎を引き合いに出して、三ヶ月で一本書く彼に比べて、やっと10ヶ月もかけて初めての新書を書いたとあとがきで述べているが、まぁ初めてだから仕方がないにしても、こんな本、だれも理解できないよ。

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『モリエール 恋こそ喜劇』

2010年04月15日 | 映画
『モリエール 恋こそ喜劇』(ローラン・ティラール監督)

火曜日は男性が1000円均一ということなのでテアトル梅田(ロフト地下)にこれを見に行ってきた。一月くらい前にもなんだったか忘れたが、見に行ったら、朝一の上演時間だったのに、もう最前列しか席がないということだったので、諦めて帰ったが、またまた昨日も最前列と二列目しか残っていないといわれ、少々頭にきたけど、目がくらくらしてもいいから観ようと意を決して観たら、それほどでもなかった。これからは最前列でも空いていれば観ることにしよう。ちょうど来週からは『ドン・ジョヴァンニ』というのが上演されると予告していたし。

なんでこんなモリエールなんて映画にたくさん来るのだろうかと不思議でならないけど、映画は面白かった。じつによくできている。1664年頃にパリに戻ってきてルイ14世にその才能を見出されて、ヴェルサイユでの祝祭などでの喜劇の上演を任される前の、フランス一周の旅に出る前の下積み時代のモリエールを描いている。

『恋するシェイクスピア』と同じように、モリエールがのちに『町人貴族』や『タルチュフ』で描くことになるような経験をしたという設定で、そこでであったジュルダン夫人が彼に新しい喜劇を創始しなさいと勧めてくれたことが、フランス一周のどさ回りに出かけて、腕を磨くきっかけになったという話になっているのだが、たぶんこれは実話ではない。でもモリエールの家系は実際にジュルダン氏のような成上がりの商人であったのだし、あちことで似たような人たちを見たことだろうし、またタルチュフのようなえせ信者も見たことだろうから、まったくの作り物とはいえないだろうけど、この映画そのものを経験したというわけではないだろう。

モリエールといえばもう20年くらいまえに太陽劇団が史実に忠実な映画を作っているが、こちらは時代考証などはしっかりした上に、創作の楽しみを付け加えた、新しいタイプの時代映画、有名人映画になっていて、面白い。

冒頭でジュルダン氏が貴族になろうとして貴族としての必須の教養である音楽、ダンス、剣術、絵画などを先生について習うという場面が出てくるが、先生たちを待たせておいて、次から次へととっかえひっかえこれらの科目を習う場面は、部屋の壁に白馬の馬上のルイ14世に似た絵がかかっていることからしても、『王は踊る』のパロディーだと思う。

それにしてもフランスの古典悲劇の朗唱というのはすごい。顔を白塗りにして、下駄のような履き物をはき、ほとんど直立不動で、Seigneur, vivez, seigneurとか大声をはりあげるのだから、よくまぁあれで観るものを感動させることができたものだなと、17世紀フランスの感性がどんなものだったのか、不思議な感じがする。この辺は、最近では『女優マルキーズ』だとか『シラノ・ド・ベルジュラック』などで一般でも観ることができるようになった。

それに比べれば、モリエールの喜劇はやはりすこし前にここにも書いた『町人貴族』なんか今見ても面白い。スタイルがやはり町人を描いているということ、自分の本来のものとは違うものを身につけようと無理をする姿が多少とも滑稽に映るというのはいつの時代にもあることだからだろう。

役者もいい。主演のロマン・デュリスとかジュルダン夫人役のリュディヴィーヌ・サニエなんかはすごく上手だし、久しぶりにみたファブリス・ルキーニがジュルダン氏をじつに上手に演じていた。

歴史上の有名人をただ史実そのままに描くのではなく、こういう風にアレンジして作り上げるのも面白い。フランス映画はあんがいこういう方向で新たな発展を見せるのかもしれない。


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『日当たりのよい人たち』

2010年04月14日 | 現代フランス小説
ジョエル・エグロフ『日当たりのよい人たち』(ロシェ書店、2000年)
Joel Egloff, Les Ensoleilles, Editions de Rocher, 2000 (Folio 3651)

1999年8月11日の昼の12時17分から32分にかけて起きた皆既日食を観ようと右往左往する10数人のフランス人たちの様子をブラックユーモアをきかせて書いた小説。

ヴァカンスで海辺に来ているが、ずっと雨で、ヴァカンスどころか日食も観ることができなかったのに、親戚への絵葉書には、ヴァカンスを楽しんでいるとか、日食を観たとか書いたことで妻と言い争いになる男性。

マンションから出るたびに、家の中のあらゆる道具や電化製品の電源がきってあるか、すべての窓の戸締りができているかを確かめてからでないと出かけられない強迫観念症の男性が、日食を観るためにすべての戸締りを確認してやっとマンションの外に出たところで、自分のマンションから煙が出ていることに気づくというブラックコメディー。

どこかのビーチに日焼けをしにやってきた水着姿の若い女性が、たぶん日食中だということもしらずに無頓着に振舞っている姿。

ロジェさんと呼ばれて、海辺の小さな町のカフェで、知り合いたちに人生のアドバイスをしたり、馬券のアドバイスをしたりして尊敬を得ている退職後の男が、一人の見知らぬ男の登場でその権威が失墜してしまう様子。

12時といっても夜の12時と勘違いしてしまう男もいれば、怪我をしたら危ないからと長い間外出させてもらえなかった老婆が日食を観たくて、腰も曲がっているのに杖を突きながら公園にやっとたどりついたけど、腰が曲がっていて見上げることができなかったとか。

恋人のエステルと公園の噴水の傍で待ち合わせしていたポールはずっと前から日食を観ながらエステルにプロポーズしようと決めていた。ところが時間になってもエステルが来ない。携帯をもっていないので連絡のとりようがなく、どこかで事故に遭ったのではないかと気になって、警察や病院に電話をしてみるが埒が明かない。友人のマルシアルのところに行けば助けてくれるだろうと思い、行ってみると、マルシアルのワイシャツをきてしどけない姿をしたエステルが彼のマンションにいたという、これも笑えない話。

最後は、いつも寝起きしている公園のベンチで寝ていると回りに大勢の人がやってきて日食を観ているので、それにならってグラスなしで日食をみて目をつぶしてしまった浮浪者の話でオチがついている。

このときの皆既日食はおそらくその情報がいきわたっていたこともあって、人類史上最も多数の人が観たのではないかといわれている。

つぎにヨーロッパとくにフランスで観察できる皆既日食は2081年で、そのとき自分はどうなっているだろうと死後の自分と死後の世界に思いをはせる女性の話もある。

「ずいぶん前から予想されているこのお祭り、でも私は招待されていないこのお祭りのことを考えると、私は絶望的になる。でも私がいなくてもみんなうまくやるのだろう。それがまた私を苦しめるものなのだ。私は自分自身にしか必要とされない。地球は回り続けるだろうし、月もおなじだ。太陽は光り輝いて、同じ場所で待っていればいいのだ。すべてが予想されたとおりになるだろう。私がいなくても。」(p.142)

なんだか私がいつも思う私の死後の世界と同じことが書いてあるのでびっくりした。そんな風に自分がいなくても世界が続くと考えることは辛いものだ。

タイトルはフランス語をそのまま訳したのだけど、なんか違うような気がする。

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