読書な日々

読書をはじめとする日々の雑感

「バベル」

2007年04月28日 | 映画
『バベル』(2006年)

北アフリカのモロッコの荒涼とした土地(明らかにアフガニスタンとかイラン・イラクのテロリスト達が跳梁させる地域をイメージさせる)に住む貧しい一家の主が同じような羊飼いの主からライフルを買う。子供たちにそれをもたせて羊を襲うジャッカルをやっつけるためだ。試し打ちしているうちに、弟のほうが打った弾が通りかかった欧米人たちのツアーバスにあたり、ケイト・ブランシェットの肩を打ち抜いてしまう。通訳の若者が自分の村にバスを誘導して治療にあたらせるとともに救急車を呼ぶがなかなか来ない。そのあいだにバスに乗っていた欧米の旅行者たちが怒り出し、ブラッド・ピットとけんかになる。しかし彼らは立去ってしまう。やっと赤十字のヘリがやってきてケイトを大きな町の病院に運び、緊急手術が施され、一命を取り留める。

ケイトが病院に収容されて多少とも落ちつたブラッドは子どもたちのいるアメリカの自宅に電話する。その日は代わりのベビーシッターが来るはずだったのにこれなくなる。アメリアはその日に息子の結婚式がメキシコで行われるので出席すると告げていたのだ。結局代わりが見つからず、ブラッドに電話で押し切られる。アメリアは仕方なくブラッドの子どもたちを連れてメキシコの結婚式に出かける。アメリアの甥が車で連れて行ってくれるのだが、子供たちは何も知らない。結婚式も終わりその日のうちに帰ってくるために飲酒運転の甥の車にのって深夜の国境を越えようとするが、白人の子どもを乗せているために怪しまれ、尋問される。甥は警備員を振り切りアメリカ側に入るが、パトカーが追ってきたので、アメリアと子供たちを下ろして、行ってしまう。翌朝、荒涼とした平原に残された三人。アメリアは救助してくれる車を探しに出かけるが、警察に連行されて戻ってみると、二人の子どもたちがいない。やっと見つかるが、アメリアは不法就労を咎められ強制送還されることに。いくら事情を話しても理解してもらえない。

東京の見晴らしのいい高層マンションに住む美保は聾唖者。ただそれだけでなく、他人とのコミュニケーションが取れないことに苛立つ。すぐ喧嘩腰の物言いになる。性によってコミュニケーションを取ろうとするが、父親のことを話したいと呼び寄せた刑事にも拒否され、絶望的になる。

この映画の主題はなんなのだろうかと考える。コミュニケーションの不可能性?菊地凛子ふんする聾唖の美保を見ている限りでは、そうなのかなと思う。人を見かけで判断する人たち、そしてそれが裏切られたときに怪物でも見るように態度を変える人たち、コミュニケーションによってそうしたずれを乗り越えようとする努力は存在しないことへの苛立ち。何のために言葉があるのか?というのが凛子の心の叫びだろう。

だが言語が違えばなにも理解されない。なぜ何百何千もの言語があって、相互の意思疎通を不可能にしているのか?言語は何のためにあるのかという苛立ちがブラッドの叫びだろう。なんとも絶望感漂う映画だ。いまの世界情勢を反映していると言ってもいい。

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「魂萌え」

2007年04月27日 | 作家カ行
桐野夏生『魂萌え』(毎日新聞社、2005年)

定年退職をしてまだ3年くらいというのに夫が心筋梗塞で突然死してしまった関口敏子がなにも知らなかった専業主婦の毎日から、夫の隆之の愛人関係や友人関係、そして自分の友人関係、息子の彰之の家族、マモルという男との結婚を考えている娘の美保たちとの、かかわりを通して、自立していく姿を描いている。

以前にも重松清とか奥田英朗について書いたことだけど、先にそのトップの作品を読んでしまったために後から読む作品がどれも力を抜いて書いた作品にしか見えないのがつらい。桐野夏生でいえば「OUT」だ。あんな強烈な作品を読んだら、この作品なんかも一年かけて書いた力作といえば力作なんだろうけど、どうということのないしろものにすぎないと感じてしまう。

登場人物に個性が感じられない。言い換えると、登場人物の顔つきが浮かんでこない。私は強烈な個性の持ち主だと、自然と俳優とか知り合いとかの顔が浮かんでくる。たとえば「OUT」のときだったら、主人公のような女性が私はすごく好きなのだが、だれかを思い浮かべながら読んでいた。たとえば女囚シリーズ時代の梶芽衣子とか。夫を殺してしまう若い主婦は、女子マラソンの加納由理とか。

だいたい設定がどうなんだろうと思う。死んだ夫にじつは愛人がいた。退職後はけっこうその女性との付き合いに力を入れていて、相手の娘夫婦のためにそばの店を出す資金を500万円も出したとか、彼女と一緒にゴルフをするためにゴルフ会員権をやはり500万円も出していたのを妻が何も知らないでいたということが、自営業とか、それぞれが仕事をもっていたのならいざ知らず、サラリーマンと専業主婦の場合にありうるのだろうか?

もちろん夫の死後にせよ、夫が不倫をしていたということを知れば誰だって腹が立つだろうし、裏切られたと思うに違いない。働く女性に比べて専業主婦が世間知らずだと自分を責めるのも分かる。だが、初めて不倫相手の女性のところに乗り込んで、新たな事実を知らされたことで心の動揺をきたしたからといって、初対面の男性とホテルにいって性的な関係を結ぶなんてことがあるのだろうかといぶかしくなる。

それに私のことから類推するに、60歳くらいの女性が、そう簡単に性的関係がうまくいくとは思えない。互いにリラックスして信頼して失敗してもいいよというような関係の中でならいざ知らず、性的衝動に突き動かされて、やってしまったというのは、はっきりいって40歳台まででしょう。ましてやこの主人公の場合、おそらくここ数年はもう夫との性的な関係はなかったような設定になっているし。桐野さん、あなたは若いから、同じように考えちゃだめだよ、っと説教しようと思って、本の奥付で年齢を調べたら、彼女ははこの主人公くらいの年齢だ。げっ、もしかして、実体験?

でもまぁ話としてはありそうな話ばかりで、(って、えらい調子変わってるじゃん)これくらいの年齢になったら、自分にも降りかかることなのかなと思いながら読んでた人が多かったのかもしれない。2006年には阪本順司監督が風吹ジュン主演で映画にしている。風吹ジュンだったら、まぁ話も違うかと思ってしまう。若い頃の美しさを知っているものとしては、なんというかね。Yahooのレヴューではけっこう好意的なものが多いよう。小説と映画はまた違うからね。

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「めざめの時」

2007年04月26日 | 現代フランス小説
Charles Juliet, L'annee de l'eveil, POL, 1989, Folio 4334.
シャルル・ジュリエ『めざめの時』(POL書店、1989年)

演劇作品や詩集を多く出しているシャルル・ジュリエによる少年時代の思い出を小説化した作品である。1991年にはジェラール・コルビオー監督によって映画にもなっているらしいが、私は見たことがない。

農村で生まれ育ち、ずっと雌牛の世話をしながら毎日を過ごしていたシャルル少年が陸軍学校に入り、寄宿生活を送りながらすごした16歳の一年間を描いている。その多くは学校での上級生からや将校からのいじめの数々がエピソード的に綴られているが、全体を通して一貫している話もあり、それは彼の班の班長が目を掛けてくれて、ボクシングを教えてくれたり、自分の家に毎週日曜日には誘ってくれて、彼の妻と性的関係を結んでしまうという話がずっと基調として描かれている。めざめの時というのはそうした性的な目覚め、悪意に満ちた人間たちの存在にたいする目覚めということを意味するのだろう。

冒頭を読み出したときには、なんてひ弱な子どもなんだろうと思ったものだ。
「全ては10月のその朝に始まった。学校の120人の生徒たちは食堂に集まって朝食を取っているところだ。私はといえば、ひとりで廊下の壁に肩をおしつけて、泣いている。班長が私に気づいて、どうしたのか知りたがった。私は奴らに仕返しをされるのが怖くて、訳を言うのを拒んだ。だが班長はどうしても言えという。私はしゃくりあげながら次のような説明をした。毎朝毎朝のこと。司祭の求めに応じて私はミサを手伝いに行く。いつも少し遅れており食堂に帰ってくると他の奴らは私に何も残してくれていない。コーヒー、パン、いわしは跡形もなく残っていない。(...)班長は私を慰め、調理場に連れて行ってくれる。そこで砂糖入りのコーヒー、パンを好きなだけ、一枚のチョコレートを分けてくれた。(...)調理室を出るとき、私は新学期が始まってひと月になるが、初めて空腹を満たしたことに気づいたのだった。」(p.11-12)

しかし目をつけてくれた班長がかわいがってくれるようになり、ボクシングのトレーニングを受けるようになる。そして日曜日には彼の家に招待してくれる。彼には若い妻と幼い少女がいるが、ほとんど彼らの相手をすることはなく、昼食がすむと自室にこもって本を読んだりしているのだった。夫から優しくされていない若い妻はいつしかまだ少年っぽいシャルルを相手にするようになり、性的関係を結んでしまう。次に日曜日昼食後班長が部屋に戻って寝てしまうと、妻は娘をソファーで遊ばせているあいだにシャルルを外に連れ出す。
「私たちは木々のあいだを攀じ登った。冬の太陽がかなり暖かくて、杉の木からかすかな香が立ち上っていた。彼女は私の前を歩き小声で歌っていた。(...)家が見えなくなると、立ち止まって私を茂みのかげに連れて行き、大胆に欲求をさらけだした。
 私は男と女が愛し合うのは暗闇に隠れて、ベッドの上に横たわってしなければならないものだと思っていたので、まっぴるまに外でやることもできるのだということをが分かって私の驚きはこの上なかった。」(p.51)

こうしてひ弱だったシャルル少年もボクシングと性的関係を通して自我の強い青年になっていく。あるとき第二次大戦を闘ってきた教師からナチが行ってきた虐殺のむごたらしさ、そしてそれに抵抗したレジスタンスたちの崇高さを聞き、人間にはどちらの要素もあることを忘れないようにと言われ、今後はけっしてドイツ語を勉強しないと決める。さらには班長がキャリアアップのために数ヶ月この地を離れて遠くに住まうことになると、妻との別れ、そしてそれまで班長がいたためになにも手出しをしなかったものたちからいじめられ、自暴自棄になってさまざまの悪事に手を染め、あげくは学校長にたてつき、2週間の独房入りを課されてしまう。あやうつ放校されそうになるのだが、その危機を乗り越える。

文章はオーソドックスで読みやすい。しかし1989年にいまさらなぜこんな小説が?しかも映画化?と首をかしげる。この年には『エル』という女性雑誌の女性読者賞を受賞したというから、また首をひねる。映画を見ても、きっとスケベじじいの私は班長の妻とのシーンにしか気が向かないだろうね。

この小説は1993年に大栄出版から翻訳されているが、他には彼の小説の翻訳はないようだ。

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「ママの残したラブソング」

2007年04月25日 | 映画
「ママの残したラブソング」(アメリカ、2004年)

高校にも行かず、ならず者とトレーラーハウスに住み、すさんだ毎日を過ごしているパースリーのもとに母親のロレーンが亡くなったという知らせが届く。同棲している男がその手紙を隠していたせいで、彼女は母親の葬式には間に合わない。母親が住んでいた家に行ってみると、ボビーとローソンという二人組みのアル中が住んでおり、そこでの共同生活が始まる。三人は毎日のように衝突を繰り返しながら、母親のロレーンの思い出だけを大事にして、とにかくつながりを続ける。ローソンは彼女が高校を卒業し大学に入るのを手伝うようになり、最後にはボビーがじつはパースリーの父親だったことが分かる。

例の大型台風で大災害を蒙ったあのニューオリンズが舞台になっている。台風災害のあとは微塵も思わせないが(といって、見る人が見れば分かるのかもしれない)、ボビーとローソンがそうだったように、暮らしやすい町のようだ。彼らはバラックのそばの木陰でぼろ椅子やテーブルをだして集まり、歌ったりおしゃべりしたりする。その様子が、アメリカが象徴する過激なビジネスの競争から完全にリタイヤした人たちの、なんともいえない情景を醸し出している。日本ではきっと成り立ち得ない情景かもしれない。沖縄は別として。

ただ話の展開が私には理解できなかった。いわゆるハリウッド物と違って、アメリカ人の心情を描き出したものなのだろうけど、彼らの人間関係の作り方もよく理解できないし、彼らは何が悲しくてあんな生活をしているのか、私には理解できない。たぶん彼らが描こうとしたことは共通な何かなのだろうけど、その描き方が日本人である私にはまったく理解できない。

ただ本読みとしてうれしかったのは、こんなアル中たちとは一緒に住めないと駅だかバスターミナルだかまで引き返してきたパースリーが、出掛けにローソンからママの形見だといって渡されたペーパーバックスを読み出し、けっきょく最語まで読んでしまって、ママの家に残ることになる場面だな。その後もその小説(タイトルがなんだか意味深だったんだけど思い出せない)をソファーや木の下で読んでいる場面が出てくる。それは小説というものが学校を捨ててろくに勉強もしなかった小娘の心をも打つことができること、そういう稀有な小説を書けるのはしかし限られた才能のあるものにしかできないこと、そういうことをそれとなく伝えようとしていたのではないかと思うのだ。


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もうじきゴールデンウィークか?!

2007年04月23日 | 日々の雑感
もうじきゴールデンウィークか?!

うっかりしていたらもうじきゴールデンウィークだ。来週から。早い人は今週の土曜日から休みになるという人もいるのだろう。もっと先かと思っていたら、もう目の前にきている。ことしは4月になってからあまり急激に気温が上がるということがないので、なんだかまだ先のような感覚があったのだ。

私はとりたててゴールデンウィークに何をするという予定はない。これは毎年のことだ。疲れているのに、一番混雑するこの時期にわざわざ出かけることはないと思っている。今年もとくに上さんの仕事がけっこう大変そうで、毎日帰りが遅いので、たぶん連休は寝て過ごすことになるだろう。

でも連休って、べつに何をするというわけでなくても、うれしいな。働き出して一番うれしいのはやはり休みだな。働くということ自体が嫌なわけでもないし、収入は少ないけれど、自分のしている仕事自体も嫌なことではないが、それと休みは別。デザートが別腹というのと同じことだろう。

去年はたしか天野街道を金剛寺まで歩いたのだったと思う。あるいは花の文化園に行ったのかな。たぶんこちらだろう。それでいつもバラの花を買ってくる。去年はそれに紫蘭を買ってきたんだった。それがいま蕾を出している。

でも今年は昨日も書いたが、きっとパソコンいじりですごすことになるのじゃないかという予感がする。きっと一発では上手く行かないから、あれやこれや試してみたり、あっちを取り替えこっちをひっくり返しして、結局連休全部がこれに埋まってしまう気がする。

まぁ上さんも最近疲れていることだし、そんなところでいいのじゃないのかな。

それにしても子どもたちが小さかった頃はとにかく休みになるとどこかに出かけることばかり考えて、実際あちこちに出かけていた。この時期によく出かけたのは、たしか九度山のほうに川遊びに行って、川べりで飯盒炊飯をしたり魚釣りをしていたな。ほんと、やはり元気が違っていたんだね。

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パソコン病

2007年04月22日 | 日々の雑感
パソコン病

私の病気の一つにやたらとパソコンをいじりたがるというのがある。数年に一度というのんびりしたテンポで発病するのだが、それが最近発症する兆しを見せている。

はやい話がパソコンの自作のこと。あれは98年頃だろうか、Windows98が出始めた頃に、もっていたWindows95を98にバージョンアップするためにパソコンをいじりだしたのだが、病み付きになった。ちょうどインターネットの時代になってきた頃で、たしか自分のホームページを作り出したのもこの頃だったように思う。

2001年にはすべての部品を自分で買って来て自作した。貧乏性なんで、とにかく安い部品を買って来て自作すれば、ずっと性能のいいパソコンが安くできるのじゃないかと思ってのこと。まぁたしかにWindows98やOfficeソフトは前のが使えるから、ソフト代はいらない。ケース、CPU、マザーボード、メモリー、グラフィックボードなどを買って来てセッティングするだけかと思っていたのだが、じっさいには、マザーボードをケースに取り付けるときに、きっと漏電防止用だったのだと思うが、小さなゴムをかませなければならなかったのを無視していたために、何度やっても上手くいかなかった。

何日もセットしては外しを繰り返し、やっとこのゴムをかませなければならないことが分かったときは、ちょっとしたことで失敗するものだなと面白がったりしたのを思い出す。

そしてハードができたら、今度はOSをインストールする。これがとにかくなんかスリルがありそうなんだけど、けっこう簡単にいってしまって、拍子抜けという感もあった。しかし自分でインストールをしたというのはけっこう自信になって、それからしばらくは友人とか親戚にパソコン作ろうか?と勧めてまわったが、うまく断られてましたね。

そして5年ぶりに、Windows98をXPに変えようと思っている。って、信じられないくらい時代遅れでしょ。マイクロソフトが98のサポートをしなくなったので、いろんなソフトが98対応のものはバージョンアップしなくなっている。だからどんどん進化から取り残される一方だ。そろそろXPに乗換えかなと。時代はヴィスタの時代なのにね。

ただ私としては新しいのを買い換えるだけでは満足できないところが病気なんですね。今のパソコンをなんとかして使いまわそうという、ビンボウ根性丸出しで、ただ周辺の装置やマザーボードのBiosがXPに対応していなかった場合には、98を入れているハードディスクを完全にフォーマットしたら、取り返しが着かなくなるので、とりあえずハードディスクだけ新しいのを買って来て....とあれこれ思案する、これが病気なんですね。

古い98のノートパソコンにデータは全て移して、80Gのハードディスクを買って来て、さぁいつでもやるぞと腕まくりをしているところ。まだ決心が着いていない。たしかに世間はヴィスタの時代とはいえ、98で十分動いている、仕事はできている、なんでXPに変える?このままでいいじゃない、いやいや、もう新しいソフトは入れれないし、バージョンアップもしてくれない、第一、ハードディスク買ってきたでしょ。使わないんならどうすんのよ、ってなわけで、たぶん連休あたりまで、思案した挙句、やるんじゃないでしょうか。(まぁ、自分の心なんて、一番わからないけどね。)

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風薫る季節

2007年04月20日 | 日々の雑感
風薫る季節

本当にいい季節になった。この時期は外よりも家の中のほうが気温が低いので、ちょっと厚着をして出ると、けっこう思った以上に気温が高いのを感じることが多い。ベランダ越しに見える木々や家なみも明るくなったように感じるし、ずっと遠くに見える二上山から葛城山から金剛山も薄黒い色から明るい緑に色づいているように見える。

ベランダの草花も芽を出し葉っぱを広げて賑やかになってきた。チューリップやフリージアは花が終わったが、銀杏、樫、ニオイパンマツリ、梅などの木が若葉を出しているし、紫蘭がすでに花芽を出している。ハープたちも元気だ。

今年うれしいのはなんといってもバラの花芽がたくさん出ていることだ。上さんがミニバラが好きなのでなんとか育てたいと思ってときどき買ってくるのだが、いつも花が終わると枯らしてしまうのだ。原因が分からない。土をバラ専用にしてみたり、肥料を変えてみたりするのだけど、失敗ばかり。ところが娘がなんかの用事に買ってきた、それこそプラスチックのプランターに入ったバラが、なぜかしらずっと元気がよくて冬を越したかと思ったら、すでに花芽を出している。訳が分からないけど、とくかくうれしい。

私は、しかし、一週間ほど風邪をひいてしまって、喉の痛みがひかなかった。先週の木曜日におかしいなと思って、次の日には喉が痛くなり、まぁ今日一日寝ていれば日曜日くらいには治るさと気楽に考えていたのが、月曜日もひどい声で仕事に行き、時間の合間をみて医者に見てもらい、火曜日、水曜日と薬を飲んで、やっと木曜日に治った。まるまる一週間かかったのだ。

ちょうどその頃は気温も下がり、けっこう冷たい雨が降ったりして、ちょうど私の体調やら気分やらを表しているような天候だったのが、やっと治って、今日は爽やかな天気になって、これまた私の体調を表しているよう。今朝は久しぶりにジョギングもした。

しかし読書の方はさっぱりで、辻村深月の三冊本を図書館から借りてきていたのに、あのながーいイントロを思うととても読む気になれなくて、図書館に返してしまったのだ。こんな風にして予定された驚きのあるものにしか手を出さないことになると、ほんとうに開けてびっくりの経験をすることはなくなってしまうだろう。なんでこんな臆病なことになってしまったのか、それとも根気がなくなってしまったのだろうか。

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「サン・ジャックへの道」

2007年04月18日 | 映画
「サン・ジャックへの道」(2005年、コリーヌ・セロー監督)

サン・ジャックというのは、いわゆるキリスト教の巡礼の目的地となる聖地サンディアゴ・デ・コンポステラ(世界遺産になっている)のことで、フランスからスペインにあるこの聖地まで数千キロを歩いて訪れるということが中世から行われてきた。ピレネー山脈を超えてスペインに入ってからも800キロあるこの道を、フランスのル・ピュイという中部から歩いていかざるを得なくなった9人のフランス人の悲喜こもごもを描いたロードムーヴィーがこの映画である。

この聖地への巡礼については、http://www.sonoda-u.ac.jp/private/gakusei/g9931131s/ginn(10).htmlを参考にしたらいいだろう。

長男は会社の社長で業績とアルコール中毒の妻のことが心配で精神安定剤がなければ生きていけないような毎日を過ごしている。長女は高校の国語教師でスカーフ問題やら学力の低下の問題に日々頭を悩まし、家庭では夫が失業中で年頃の子どもたちのことも心配している。次男は無職でアルコール中毒で、妻と娘からも見放されて一人暮らしをしている。この三人兄弟の母親が亡くなり、遺産相続の条件として三人でフランスからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラまでの巡礼コースをすべて徒歩で歩くことという遺書があったことが弁護士から告げられる。さぁ、蜂の巣をつついたような騒動になるが、三人揃って歩きとおさないと遺産は1ユーロも入ってこないから仕方がない。ガイドつきで高校卒業の祝いに(?)にこのコースの費用を出してもらった二人の若い娘、彼女達目当てと、なにを勘違いしたのか、サンティアゴをイスラムの聖地メッカと思って、聖地めぐりをするつもりで参加したアラブ系の若者二人、そして心の病か薬の副作用か知らないが、髪の毛が抜けてしまった40歳台前半とおぼしき女性とガイドのギーの9人の巡礼の旅が始まる。

薬と携帯依存症の長男はいつしか薬がなくても生きていける健康な体になり、すぐに辛辣な言葉で人を非難するくせのある長女は、ちょっとおバカで文字が読めないアラブ系のマジル(だったかな?)に文字を教えるうちに、なんだか心穏やかなおばさんになり、アル中の次男はアルコールから脱却していく。まさにこれがこんな巡礼を遺産相続の条件に課した母親の狙いだったのだろうことはすぐにわかる。

面白いなと思ったのは、いわゆるイスラエルにある聖地のメッカがキリスト教もイスラム教も同じ所にあることをパロディー化したつもりなのか、このアラブ系の二人の若者が聖地サンティアゴをイスラム教の聖地と勘違いしていることだ。こうして二人はイスラムの聖地をめざしているつもりなのだ。そしてその一人のマジルは文字も読めない若者なのだが、それは決して能力の問題ではなく、きちんと教育されてこなかっただけだ、だから丁寧に教えてやれば読めるようになるのだということをこの映画が示しているところだ。キリスト教とイスラム教の血を血で洗うような対立を、やんわりと諌めている映画になっている。

すぐにねたはばれるので、そういうものとして見るなら、たいした映画ではないが、それにしてもこの巡礼地の美しさは、フランスという国がいかに自然の豊かな国であるかを見せてくれる。日本なら四国八十八箇所めぐりというところだろうか?はたしてこんな自然が残っているのだろうか?

飽食の時代、宗教には関係なくても、17世紀や18世紀のように、歩いて国中を旅行した時代のように、数千キロを歩いて旅行してみるのもいいのかもしれない。

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「空文」

2007年04月14日 | 現代フランス小説
Linda Le, Lettre morte, Christian Bourgeois, 1999.
リンダ・レ『空文』(クリスチャン・ブルジョワ書店、1999年)

ここでも以前に取り上げた『声』につづくリンダ・レの小説。憲法9条の空文化というような使い方をする「空文」はなんの意味もない文章というような意味だが、ここでは、主人公のモノローグがシリウスという女友達に話し掛けているようにできているにもかかわらず、夜の闇にすべて消え去ってしまう空ろな言葉になっていることをさしているのだろう。

100ページにわたる主人公のモノローグはそのほとんどが最後を看取ることができなかった父とすごした少女時代のこと、その頃の両親の絶えざる言い争い、精神に異常をきたしていた父の弟のこと、そして自分を奴隷のように精神的に縛り付ける不倫相手のモルグとの関係のことにつきる。そしてその色調は、モルグに溺れて、何度も手紙で自分への呼びかけをしてきた父を裏切ったことへの後悔の念、危篤の父の知らせを受けながら、モルグがやってきたために出発が遅れ最後を看取ることができなかったことへの後悔の念に、全体が彩られている。

この後悔の念が発狂のかたちをとるのは、作品の上では『声』ということになるが、その前の段階、原因をしめす段階を描いている。モノローグの時間はどうやら夜のようで、そうした雰囲気だけでも暗いが、内容がまさにその暗さを上塗りしている。だが、少女時代に父親と遊んだ楽しかった日々の回想だけは、明るい色調となっている。動物園、父が読んでくれるお話、囚われの姫の話などなど。

死者というものにたいする考え方が、これは私の勝手な思いかもしれないが、ヴェトナム出身のリンダ・レの場合には、死者の甦りとか死者の魂ということについて、私たち日本人のそれと類似したところがあるような気がする。

「死者は私たちを放してくれないものなのよ」と私は引出しの中の父の手紙を整理しながら、友人のシリウスに言う。「悲しき接吻」と同じように、死者に手に手を口に口を結び付けられた私が耐えているのはメゼンティウス(ウェルギリウスの「アエネイス」のなかの登場人物)の拷問と同じものなのよ。父の手紙は私が少女時代をすごした土地からたえず送られてきた。それを書いた人は孤独な死を迎え、川べりに埋葬されたの。でも彼はここにいるのよ。彼の皮膚が私の皮膚に触れ、私の域が彼の唇に生命を与えるの。私があなたに話しているとき、食事をしているとき、寝ているとき、散歩しているときでも彼はいるの。死んだのは私で、父は命をとりもどしているように思える。父は私を所有し、私の血を吸い、私の骨をしゃぶり、私の思考を糧にしているのだわ。父の手紙を読み直すと、私は子どもの頃に住んでいた家にもどり、それからずっと住んでいる、もうここにはいない。何千キロも果てにいて、私は冷たくなったお茶のまえで娘の訪問を待っている老人になっている。何ひとつ楽しいことのない疲れた老人、不在の娘のことしか考えることのない老人、まるで青いインクの血を流して手紙を書いている瀕死の人なのよ。(Lettre morte, p.9-10)

主人公のモノローグは迷走に迷走をつづけて、尽きることがない。人間の想いとはこんなものなのだろう。とくに一人娘である自分が世話をせずに、一人で父親を死なせてしまったということが、束になった自分への手紙のたくさんの文字とともに、自分に言葉をつむぎ出させるのだろうが、それは行くあてもなく迷走するしかない。

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「ブラックブック」

2007年04月12日 | 映画
『ブラックブック』(オランダ、2006年)

まずは、Yahoo映画の解説から。

「第二次世界大戦ナチス・ドイツ占領下のオランダで、家族をナチスに殺された若く美しいユダヤ人歌手の復しゅうを描いたサスペンスドラマ。鬼才ポール・ヴァーホーヴェン監督が23年ぶりに故国オランダに戻り、過酷な運命に翻弄されながらも戦火の中で生き抜く女性の壮絶なドラマを撮り上げた。復しゅうと愛に揺れ動くヒロインには、オランダの新星カリス・ファン・ハウテン。オランダ映画史上最高の製作費をかけた壮大なスケールの映像は必見。」

やはりこの映画の主題はナチスでもレジスタンスでもユダヤでもなく、「苛酷な運命に翻弄された女性の人生」ということなのだろう。ナチスをすべて悪としては描いていないし、かといってレジスタンスを全て善ともしていない。レジスタンスのなかに裏切り者がいて、その結果、主人公のラヘルの両親家族は皆殺しにされてしまうし、レジスタンスの若者達も殺されてしまう。他方、ナチスのなかにもラヘルがスパイであることを知った上で彼女を助ける幹部もいる。だからレジスタンスの大義を歌い上げる映画でもなければ、ナチスの非人間的暴虐を告発する映画でもない。

人間が普遍的にもつ(?)醜さ、そして善良さを、リアリスト的に見つめようとする映画なのだろうか?結局、どこにも正義とか絶対的な悪は存在しない、状況によって人間は変わっていくという覚めた目で人間を見ているという印象を受けた。

オランダが解放されてラヘルとナチスの将校だったがレジスタンスとの内通を咎められて投獄されていたミュンシュ(だったっけ?)が解放を喜ぶ人々の波をかき分けるようにして歩いていくシーンは、どうみても、同じようにドイツ軍占領下のパリの庶民の自由への渇望を描いた「天井桟敷の人々」で、バティストが立去るアルレッティを追う場面のパクリである。

だけど、「天井桟敷の人々」を初めて映画館で観たときの感動は、この映画にはない。社会の複雑さがレジスタンスの大義をしぼませてしまったのか、あるいは人生の複雑さが私を変えてしまったのか。主人公のカリス・ファン・ハウテンがよかった、それだけだ。

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