これはまるで、麻薬の売人の所業だ。買う方は、バンバン打ち依存を高める。そして中毒。善悪の判断を失い骨の髄までしゃぶられる。それを見て、ほくそ笑むのはその売人、仕入れ以上に手元に利益が転がり込んでくる。原発マネーという麻薬。昨日の2時31分配信の毎日新聞を読んでいて、そう思えた。
小さな自治体に、原発マネーという麻薬をバンバン出す、そして依存しなければ生活できなくする。フクシマのことがあろうと、リスクのアセスが終わってなかろうと関係ない。麻薬がもらえなくなるよりも、国が保証しているのだからと、つまり自分で善悪の判断ができなくなって、再開を受け入れる…。
その記事によれば、標準的な行政に必要な財源のうち独自の収入で賄える割合を示す「財政力指数」というらしい。その財政力指数の全国平均が0.55(09年度決算)で、町村では0.1台の所が多い。ところが原発立地21市町村では、過半数の11自治体が1を超え、他も1に近い。原発マネーはインフラや公共施設の整備に使われてきたほか、福祉や教育など住民生活に密着した分野にも活用が進む。先日再開を受け入れた北海道泊村も財源の5割を依存するなど、どの立地自治体も原発マネーがなくなると、「今」の生活が壊れていってしまう、甚大な影響を受けるのは必至の状況だ、そうだ。
でも、いまフクシマで起きていることを、新聞やニュースから考えると…。戻りたくとも戻れなくなってしまった人たちの涙。そこにあったコミュニティーの崩壊。子供たちの笑顔も笑い声も空虚なものに写る。それを、それを見ておきながら、麻薬のせいで、中毒した大人たちは今に固執し、これからのことを考えず、再開を受け入れる。裏で、ニタァ~と笑いながら金を勘定している連中がいるのにもかかわらず。ちなみに、「麻薬売買」も国が行えば正当な行為、個人が行うと犯罪になる。殺人という行為も、戦時下とそうでないときによって評価が異なるのと同じか。まったく…。
今日の一枚:昨日の雨で、一気に秋めいた朝。セイバンモロコシの穂。カワセミの川の土手で、6時頃。