二畳庵庵主の戯れ言

一輪の桜に従い野に。ついに2015年、人生の第三ステージの場・高知に立つ。仁淀川に魅せられたオヤジの戯れ言日記。

大意

2014-08-14 10:17:26 | 徒然に想う

自分が、社会地位においてマイノリティに近いせいかどうかわからぬが、小意が常に無視されることに無性に腹が立つ。今日のニュースから:

米軍普天間飛行場返還に伴う名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局は14日午前7時半すぎ、キャンプ・シュワブ沿岸の海上に施工区域を明示するブイの設置を始めた。昨年12月に仲井真弘多知事が埋め立てを承認後、海上作業が本格化した。普天間飛行場の返還発表から18年、沖縄は重大な局面を迎えた。

東京電力福島第1原発海側のトレンチ(地下道)に滞留する汚染水を遮断するための「氷の壁」が3カ月以上たっても凍らない問題で、7月末から投入している氷やドライアイスに効果が見られないことから、政府が「氷の壁」の断念を検討し、別の工法を探り始めたことが13日、分かった。

「小意を捨て大意を得る」とも聞く。目標を達成しようとする時には有効な方法かもしれないが、目標が目先のことだけ、ならば成立する、かもしれない。しかし、それでいいんだろうか。河川の汚濁だって、自然破壊だって考えてみたらいい。目先のことで走ったから、そのつけが身の周りを取り囲んでいる。もちろん、先人たちの努力をどうのこうのと言う気はない。ただ、これまでのように、目先のことばかり追いかけていていいんだろうか。

四国の1,200だか、1,400キロも自宅の玄関で踏み出した一歩からだった。この一歩を踏み出すため、考えもしたし準備もした。この一歩の大きさは歩いている日々毎日あって、結果、その大切、その重さが体にしみ込んだ。この小さきものがなければ、目標を達しえなかった。

環境アセスメントも十分やりつくした、法律などで定められた手続きに逸脱はない。としても、どちらも、今の都合ということで選択された。ここ数年、数十年なら、それでもいいかもしれぬ。だが、基地が必要なくなったら、場当たり的にあれこれ試み結局海が汚染されたら…。「…たら」なぞ、小意で、考えてもしかたないんだろか。目標の置かれているところが、自分(今)の懐のことだけ。自分の生きている間に自分が潤えばそれだけで良い、か…。数百年後の子供たちは、いったい何を見るのだろう。

 

 

今日の一枚:10日の18時半過ぎ、西の空。


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