熊本地震で被災された方々にお見舞い申し上げます。昨日、地震関連のニュースを見てて、ちょっと書き残したいことが出てきました。現在の耐震基準に基づかれたてられた家でも、数多く倒壊した、と。二つのことが頭をよぎったんです:斜交いが同じ方向に入れられてた。例えば左上から右下へと9本見える斜交いのうち8本が同じ方向。一定方向には強いが逆に来るとひとたまりもないという指摘。耐震基準は平成10年だか12年に定められてる。10年以上経って形式的な運用になっていませんでしょうか? “最新”の基準を持っても安全ではなかった。今回のような二回の最大級の揺れ、は想定されたことでしょうか。一回目では被害は少なかったが、二回目で倒壊ということも。基準が作られたとき‟想定”されたことは、十分なんでしょうか?
同じことなんです、原発に関しても。今使われてる、あるいは使われようとしている再稼働に関する基準、どうなんでしょう。規制委員会の判断基準は“最新”、十分な調査研究の上で‟想定”されてることに対し、問題なしと判断される、に、ちがいありません。根拠はありません。でも、同じ方向に斜交いを入れてしまうのが人間です。素人が考えても「同じ方向」では意味がない。それを平気で専門家がやってしまう。原発の場合、科学者という専門家。ですが、福島を見れば、取り返しがつかないことが続いてます。地域社会の崩壊、地域文化の崩壊などなど目に見えぬ崩壊が起きる。地域社会・文化の再建の扱いは? 果たして、科学者に「想定」できることなんでしょうか?
雨が降ってます。昨日の「予報」では、曇りだった。曇りを「想定」し、あれとこれをなどと予定を立ててました。でも、日が変わると「雨」、想定外です。どうしたもんでしょう? 雨が続きいろいろ滞りそう、晴耕雨読もなかなか難しいもんです。ワクワクしますがね。退行じゃない、逆の方向を考えるなんてのもいいときの過ごし方かもしれません。
今日の一枚:里芋の周りの草を刈った。毎度刈るとき水滴の美しさには手を止めてしまう。昨日の11時ころ。
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