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吉田松陰『留魂録』

2010-03-07 21:40:12 | 読書/新聞/映画など
最近読み直している本の一つです。

吉田松陰『留魂録』(講談社学術文庫、2002年9月10日、820円+税)

1859年10月25日に獄中で書き始め、26日の夕刻に書き終わった吉田松陰の遺書といえるものです。処刑の前日に書き終わった5千字ほどの文章です。

この『留魂録』は、ひそかに持ち出され、同志たちにわたりました。松下村塾のおもな顔ぶれ30人のなかには、明治政府で活躍したひとたちもいますが、明治まで生き残ったのは半数にすぎません。実に、割腹自殺8名、陣没3名、討死2名、斬首1名、獄死1名という激烈な戦いのなかで、松下村塾は歴史的な役割をはたしました。

(第十章)、(第十一章)で、「京師において大学校を興し、」と大学校の設立をのべていることも注目されます。 あらためて気がつきましたが、これはすごい。

吉田松陰は、塾生を「諸友」と呼ぶ。
「諸友けだし吾が志を知らん。ために我を哀しむことなかれ。我を哀しむは、我を知るにしかず。我を知るは、吾が志を張りてこれを大いにするにしかざるなり。」
わが志をしっているならば、哀しまずに、わが志をひきつげと檄をとばしています。

自ら「二十一回猛士」と称した、猛烈なはげしい生き方が伝わってきます。

26日夕刻に書き終わったあとの辞世の歌は、五首。
わたしが好きなのは、

愚かなる
吾をも友と
めづ人は
わが友どもと
めでよ人々

わたしを友と思っていただけるなら、わが友にもその気持ちをもってほしい。

吉田松陰にとって、塾生は弟子ではなく同志であった。同志は、最高の人間関係である。



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