eラーニングの現状と展望

ネットラーニングHD、ネットラーニング、WIWIW、Phoenix Consulting、各代表取締役 岸田徹

来年からサンノゼ直行便

2011-12-24 12:51:02 | 旅行
来年から、全日空がサンノゼ直行便をとばすという話をききました。自分で確かめていないので、正しいかどうかわかりませんが、直行便が飛ぶなら助かります。

サンフランシスコ空港からでは、かなり遠い。

ところで、今回は、ユナイテッド航空できました。全日空は、ときには、人をおこらせるようなサービス品質が悪いキャビンアテンダントがいる。

かつて3年にわたって1Kフライヤー(10万マイル以上)であり使い慣れたユナイテッドですが、いまなお2階建てのジャンボが飛んでいるのにびっくりしました。シートテレビもなく、エコノミー座席はかなり狭い。機体はかなり古いのかもしれません。

最近、エコノミー座席がどんどん少なくなってきている。


シリコンバレーの夜景

2011-12-23 20:46:38 | 旅行
シリコンバレーの夜景が見えるレストランで食事をしました。

1000メートル級の山の中腹にあります。140年ほど前、まだ、馬車の時代にこの山頂に天文台をつくったサンフランシスコの大富豪がいたそうです。馬車がはるばるサンフランシスコから建設用機材や光学機器をはこび、急な坂を上る休憩の場所だったところに、レストランがあります。その天文台は、シリコンバレーから小さくみえて、いまもつかわれています。

レストランのオーナーは、フランスからやってきた品がよいもう高齢の婦人です。「東京から来たの?」といいながら、クリスマスが近いからと、ブルーベリーのケーキをプレゼントしてくれました。いわゆるアメリカのケーキほど甘くなく、おいしかった。

このレストランには、ネットバブルのころにも何度かきたことがある。当時は、成功した起業家のお好みのレストランで、高級車がずらっとならび、予約もほとんどできない人気ぶりでした。夜景がみえるレストランは、ここしかありません。起業家たちの一番人気であったレストランが、時代がかわったのか、きょうは満席にもなっていません。メニューも少しさびしくなった気がする。

上空をみると何機も飛ぶ飛行機の光が見えます。きくと、自家用機だそうです。

写真にみえる街の灯の中心は、サンノゼのダウンタウンです。

イタリア料理

2011-12-22 20:38:11 | 旅行
ホテルの近くでイタリア料理を食べました。

Angel Hair とメニューに説明があった、そうめんのように細いトマト味のスパゲッティがおいしかった。かるいビールとサラダをそえて、チップ込みで43ドルほど。日本にくらべれば、少し高いかな。

店の前を市街電車が走っている。クリスマスが近いので、家族連れとカップルが多い。

グーグルでホテルの周りのレストランを検索すると、地図上に点々とピンがおちる。ひらくと、その店の前のストリートビューやメニューさえもでてくる。なかなか、お店でメニューをゆっくりチェックすることはできないし、わからない単語もあるので、事前に調べられるのはありがたい。

少し早かったので、写真では空席がありますが、すぐに満席になりました。100席以上ある大きなレストランです。

となりのテーブルには、おばあさん、おかあさん、4歳くらいの娘という3人組が食事をしていました。白人のなかで、娘だけが養女なのか黒人です。その黒人のおちゃめな子が、ちいさな身体でテーブルのまわりで、バレーをさかんに踊ってみせる。




シリコンバレーにいます。

2011-12-22 09:29:19 | 旅行
シリコンバレーにいます。

日曜日にロンドンから帰国。水曜日からシリコンバレーです。

サンフランシスコには、40回以上きましたが、これまでシリコンバレーはサンフランシスコからの日帰り往復でした。今回のように、シリコンバレー滞在ははじめてです。

前にときどききたときには、思わぬ出会いもありました。今回、旧知の何人かとも会います。

写真は、成田の夕日です。

久しぶりに乗ったユナイテッド航空は、古いジャンボ機。シートテレビさえなく、エコノミーシートで身動きできず、ひたすら寝る努力。でも、ロンドンの12時簡にくらべると、8時間程度の飛行はずいぶん楽です。

帰国しました

2011-12-19 08:50:02 | 旅行

イギリスの国立大学オープンユニバーシティの会議をおえて、帰国しました。

退任したばかりの学長のジェームスにも、新任の新しい学長にも会いました。ジェームスは、昨年日本の英国大使館で開催した記者発表にもかけつけてくれました。ネットラーニンググループが、日本におけるOUの公式代表としてMBA学生募集、選考、学習支援をはじめることを自ら発表してくれました。

おなじくかけつけてくれて記者発表で発表してくれたオープンユニバーシティ・ワールドワイドの責任者アントニーも、定年退職になったのはさびしい。新任の責任者と昼食しました。

今回、MBA以外でも、さらに多くのマネージメント系のすばらしい講座を日本で学生募集していくことがきまりしました。

写真は、前学長のジェームスが案内してくれたオープンユニバーシティのクリスマスコンサートです。第一バヨリンはかれの奥方です。

 

 

 


温泉のグローバル化

2011-12-03 08:08:16 | 旅行
恒例の幹部研修で、箱根にいます。

露天風呂がぬるい。いくつか湯船をかえても、いつもより温度がひくい。もしかして、温泉もグローバルスタンダード?

夕食になって、誰かが言った。「メニューが変わっている!」たしかに、半年前と変わっている。皿が小さくなり、品数が増えて、肉が中心だ。食事もグローバルスタンダード?

そういえば、先ほど廊下ですれちがった人たちは、日本語ではなかった。

さらに、エレベーター入り口にある各階の案内を見て驚いた。日本語がない!!英語、中国語、ハングルの表示だけだ。日本人には、中国語の表示で代用している。

ここには、半年ほど前にも泊まっているので、その間の変化です。たしかに、宿泊客も増えています。

浸透するグローバル化をあらためて感じました。おそらく従業員も、多国語を話すのでしょう。

夕日のなかを着陸する飛行機

2011-11-26 21:52:46 | 旅行
羽田から八丈島へとぶ全日空最終便が、夕日をあびる雲を背に東方向から西向きに空港へ進入してきます。

冬の日は暮れるのがはやい。

ボーイング737型機の定員は、120名ほど。羽田ー八丈島便は、わたしが八丈島にきたころは、1日に6便でした。現在、3便にへっています。このままでは、1日2便となる日もあるのかもしれません。

写真は、八丈島の自宅の庭から、きょう撮影したものです。

夕食260円

2011-11-19 19:48:43 | 旅行
食事は、街の食堂で食べています。近くに、24時間営業のおおきなITモールがあります。

カメラなどをふくめて、24時間営業らしい。なかには、サッポロラーメンの店もありました。

写真のとおり、かなりおいしい。


ラッフルズホテル

2011-11-19 17:35:47 | 旅行
サマセット・モームで有名なラッフルズ・ホテル。

モームは、シンガポールに建つラッフルズ・ホテルを「ラッフルズ、その名は東洋の神秘に彩られている」と絶賛し、長期滞在したという。

ちょうど大学受験のときに、モーム研究家の朱牟田夏雄先生が出題者であったのか、モームの作品からの出題が多かったので、本を買って、その難解な文章に挑戦していました。

40年ほど前にシンガポールにきたときに、野村證券の担当者が、わざわざラッフルズホテルのティールームにつれていってくれました。天井からつりさげられた大きな扇風機がゆっくり回るそれほど大きくない落ち着いた部屋でした。

ウィキペディアによれば、「1989年に設立されたラッフルズ・インターナショナルにより全面改装が行われ、1991年に再開された。」という。わたしが行ったのは、もちろん、改装前の伝統的なままの建物でした。

「シンガポールが日本に占領された第二次世界大戦時の1942年2月15日にラッフルズ・ホテルは日本軍に接収され、陸軍将校の宿泊施設となり、ホテル名も昭南旅館に変更させられ」ました。わたしが生まれるのが早いのか、シンガポール占領がはやいのかと当時の親族は話題にしていたそうです。

そういえば、村松 友視の本に『モームの部屋 旅の物語』(河出書房新社 1997.1)という短編集があります。モームに関心があるので買って読みました。そのなかに、おどろいたことに、わたしが出てきています。
金沢の闇笛についての短編です。たまたま、吉祥寺のある店で友人と闇笛の話をしていました。この小説のなかでは、主人公がその店(具体的な名前がでてきます)でとなり合わせて座ったはじめて会う男から闇笛の話きいて、金沢まででかけて体験するというものです。たぶん、著者が隣にいたのですね。

そのほかにも、たまに小説のなかに登場させられますが、物書きにはあまり近づきたくないですね。

ところで、シンガポールの小説は、とくに戦前のものを5冊ほど読んだことがあります。 林芙美子や岡本かの子のものも、そのひとつです。なまなましい戦争の小説もありました。

シンガポールといえば、40年くらい前にきたときに、灼熱の道を一人で歩いているときに、ぱったり有名な政治評論家に出会いました。知っている人なので、おたがいにびっくり。昼食にさそわれて近くのレストランにはいって、かれが日本語ちゃんぽんの発音の悪い英語でウエイトレスとふざけあっているのをきいて目をみはりました。すばらしく、コミュニケーションができている。
フィクサーのような感じもあったので、なぜシンガポールに?と感じましたが、くわしくは聞きませんでした。



港をうめる雲霞のごとき船

2011-11-19 17:16:53 | 旅行
前回シンガポールにきたのは、よく考えると40年ほど前でした。着陸する飛行機の窓から見た港の周辺を埋め尽くす雲霞のごとき船の数におどろいたものです。

当時、トヨタの仕事で、アジアカーや割賦販売の可能性などを調査するための、インドネシアやタイ、フィリピンのたびの途中に立ち寄ったものです。ちょうど、シンガポールが都心への自家用車の乗り入れ制限を開始するその日にも合わせていました。