いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
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明治150年と日中平和友好条約。 meiji 150 years & a treaty of peace & friendsship

2018-10-25 19:54:36 | 日記
 (1)23日は明治150年を迎えて政府主催の記念式典が開かれ、日中平和友好条約締結40年の日となった。明治150年がどういう意味、意義があるのかわからずに、日中平和友好条約40年はこれまで何をしてきて、どう役に立ってきたのかもわからない。

 明治150年は安倍首相の出身山口県の当時長州が明治維新を主導したということで、安倍首相が「私が頑張っていけば、(明治150年の)18年も県出身の首相となる」(15年地元の講演ー報道)と式典開催に強いこだわりをみせたといわれる。

 (2)自民党政権は明治100年も大々的に式典を開いているので、明治維新に強い懐古、郷愁を持っていることがわかる。明治時代は日本の近代化の始まりであり、日清、日露戦争を経験して世界に向けて欧米に対抗する拡張路線を歩み始めた歴史転換期でもある。

 歴史評価の仕方はいろいろあると思うが、鎖国政策から解放された日本、国際情勢と現在のグローバル化、情報化された時代の国際環境はまったく異質なもので、明治時代懐古、郷愁比較が随分と不釣り合いにみえる。

 (3)安倍首相は明治期の近代化で「憲法改正、議会の設置、工業化、義務教育導入など社会の土台が築かれた」(報道)と述べて「今を生きる私たちも、これを誇りに力強く歩んでいかなければならない」(同)と述べているが、「社会の土台」そのものが現在とまったく異なるもので比較しようもなく、明治150年式典は明治時代に憲法が制定されて戦後日本国憲法(平和憲法)のもとに一度も改定されてこなかった憲法改定を自らの手で実現したい意向、意欲のあらわれのように映る。

 明治維新を主導した安倍首相出身と同じ長州が引き合いに出されて、時代感覚の違う明治150年が「今を生きる誇り」にされても国民にとっては時代錯誤にしかみえない。

 (4)日中平和友好条約40年はさらに本当の意味、意義、役割がわからない。政治体制が全く違う近隣国同士として、ないよりはあったほうが良い平和友好条約ではあるが、節目、節目で強調されてきたわけでもなくとりわけ尖閣諸島領有権、歴史認識問題では平和友好条約のある国同士とはとてもみえない敵対関係が続いており、米中貿易戦争で米国から圧力をかけられて不利な立場に立たされた中国がようやくここぞとばかりに日本との接近、関係改善に向かわせているという、パラドックス(paradox)として実質効力性が疑われる名前だけの形だけの日中平和友好条約だ。

 (5)むしろ日中を取り巻く政治、外交、軍事環境をみれば、途中破棄されずによく40年も同条約が続いてきたという不思議な感慨のほうが強い。明治150年式典を開催するよりは日中平和友好条約40年の式典を日中両国で主催することのほうが現在の国際情勢からは必要でふさわしかった。

 トランプ大統領の中国非難のおかげで日中接近、関係改善に向かわせているという副産物であるが、同じアジアをけん引する近隣国同士が協力、理解しあうことは形ばかりの平和友好条約よりは実効性、影響力がある。

 (6)安倍首相が現在中国を訪問しており、どういう話し合い成果をみせるのか、米国トランプ政権の追随外交の安倍首相としての言動が注目される。トランプ大統領は米国に対する貿易黒字で日本に対しても厳しい経済、貿易条件、対応で臨む姿勢をみせており、安倍首相に米中関係改善の橋渡し、調整は期待できない状況だ。

 せめて日中平和友好条約の意味、意義について実効性を担保する話し合い、確認を求めたい。
 

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