いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

本質と根幹の論理(ロジック)。 logic of essence and origin

2018-07-04 20:10:19 | 日記
 (1)財務省決裁公文書改ざん問題で、裁判で公文書偽造に問われた前理財局長ら財務省数十人の職員全員が無罪とされた。判決理由は、改ざん部分は公文書の本質を変えるものではないという趣旨のもので、ある意味文書の本質論に基づくものだった。

 改ざんを主導した前理財局長は決裁公文書を逐次点検して、自身が国会で答弁した内容との整合性をはかるものに改ざんしたことが報道でわかっている。

 (2)無罪の判決理由は文書の本質論に基づくものだと文学論を書いたが、公文書の効力の行政論でいえば改ざんはあきらかな業務違反、背信行為であり、そこでまた同じ論理展開を見た。

 芥川賞候補作のひとつに既刊本と類似した表現があるとして問題になっていることについて、同作品を掲載した講談社が「類似は作品の根幹にかかわるものではなく、著作権法にかかわる盗用や剽窃(ひょうせつ)に一切あたらない」(コメント報道)というものだ。

 (3)冒頭の判決理由とまったく同じ論理展開を見るもので驚いたが、こちらは講談社と類似されたとするルポルタージュ作品を発行する新潮社との版元の言い争いの中での出来事だ。

 判決文も類似表現も「本質」(essence)にかかわらない、「根幹」(origin)にかかわらないから仮に勝手に改ざん、登用していいという論理(logic)ではなく、もちろん決裁の取り直し、登用の注釈が必要なのはいうまでもない。

 (4)ともに文書構成として一部始終意味のある内容であり、勝手に改ざん、登用できるものではない本質、根幹を占めるものだ。ただし、この手のものは周りがとやかく言う前に当事者本人(たち)がこれをどう理解し、解釈してそうしたのか、そうなったのかが大きな意味を持つ。

 決裁公文書改ざんは国会答弁にあわせる目的で改ざんしたことがあきらかになっており、芥川賞候補作は著者が説明することであきらかにすべきことだ。著者の説明もないままに版元出版社同士の言い争いでは、問題の本質、根幹をゆがめるだけだ。

 (5)書籍にしろ楽曲にしろ、これだけ多くの作品が発表されれば中には心に残る印象的な内容について、意図的でなくとも類似したものにつながることはまったくないとはいえずに、著作権で生活する創作者にとっては勝手に登用されて営業されることは認めるわけにはいかないが、問題の本質、根幹は意図的にそうだったのか、そうでなかったのか当事者本人の意向、意思の問題だ。

 周りがとやかく勝手に解釈して問題の本質、根幹をゆがめていくのは、問題を複雑に展開させるだけだ。

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