いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

なわばり検察の陰影。 blind spot of sectionalism

2010-09-30 19:32:19 | 日記
 (1)検察も検事も、本当に地に墜ちた。郵便料金不正利用事件で証拠FDデータを改ざんし
たとして逮捕された検事は、取調べ当初は「データを書き換えて遊んでいただけ」と供述し
て過失を主張してきたが、一転「故意に書き換えた」ことを認める供述をしているという。
 さらに故意のデータ書き換えを当時の上司検事にも伝えたはずだと、検察の組織的犯罪
をも認めている。

 社会正義、公正、公平のパラダイム(paradigm)となるべき司法の検察、検事の犯罪容疑
となれば、事実否認か容認の二者択一しか通常考えられないところだ。それがせめてもの
社会正義への国民の信頼をつなぎとめる図式であったはずだが、検察、検事は違った。

 逮捕検事は、取調べ当初は「データ処理は遊んでいただけ」とその資質も疑われる発言で
容疑を否認してみせて、事件当時のその後の行動の整合性にも疑問がある中、一転FDデー
タを故意に改ざんしたと容疑を認める供述をしている。
 この犯罪過程の図式は、社会正義、公正、公平とは無縁のあらゆる犯罪容疑者が必ずと
いっていい程取る通例のパターン(pattern)と同じだ。
 社会正義のパラダイムとなるべき検察、検事が、それとは無縁の犯罪容疑者と同じ犯罪
図式の中での犯かした反社会的な意思行動で、検察、検事は本当に地に堕ちた。

 (2)司法の検察、検事への信頼が根底から損なわれたことで、今、捜査、裁判(公判)では
証拠を巡って一旦認めたものまで、一転否認する事例が相次いでいる。
 検察、検事の機能再生改革のために、取調べでの可視化が叫ばれているが、事は急務
の社会正義、公正、公平の再生だ。
 検察、検事の現捜査体制の「本質」が変わらなければ、社会正義の回復は無理だ。可視
化は取調べ以上に検察組織内部に必要だ。

 検察捜査の非開示性で、捜査実権があまりに容易に「人」に偏(かたよ)って、組織として
の客観的視点が見過ごされている。その組織も、「人」に捜査の丸投げだ。
 判決の裁判官の合議制(多数決)のように、検察組織の客観的視点、判断のわかりやす
い合議制の法制化だ。

 もちろん、社会正義、公正、公平のパラダイムとなる検事も、人だ。検察のそれこそ公正、
公平な捜査維持のための非開示性とかいって、あまりに不透明第一主義で伏魔殿のように
検察組織の「閉そく感」を助長してきた。その中での組織から人への捜査実権の偏り、閉そ
く組織の盲点(blind spot)だった。こういう専門集団は変なセクショナリズム(sectionalism:
なわばり意識)が強すぎる欠陥がある。

 検察組織の風通し、国民の前に透明性(合議制原則)をプライオウリティ(priority)として、
検事の資質(採用も含めて)、検事(捜査)能力、パラダイム意欲、検察組織の可視化につ
いて、客観的視点、判断を持つ最高検察庁の機能役割は大きい。

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