いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

パラドックス政治。 paradoxical politics

2010-09-19 19:35:47 | 日記
 (1)要するに、国会議員が信用されていない、ということ。国民が選んだ国会議員をその国民
が信用できないパラドックスな構図というのは、どういうことか。
 先の民主党代表選で、結果としては現首相が、国民の80%近くが復帰を望まない前幹事長
を「大差」で退けて、国民の意思を反映したものとなった。
 ところが、民主党国会議員412名の数だけをみれば、支持者はほぼ拮抗していた。この結果
が、国民と国会議員との政治意識の落差を示すものとして、メディアでも国会議員の国民かい離、
軽視を強調するテーマとなっていた。

 確かに、国民から選出された国会議員としては政治運営、政策実行に際して国民の意思、意
識の現況についてオンタイムで斟酌(しんしゃく)して、効果的に反映することは基本的な政治姿
勢だ。当然、それがすべてではない。もしそうなら国会議員は、国民の操り人形(manipulate puppet)
となる。

 国会議員にも政治家として国、国民に対する責任の有り様として、自ら考え、行動する「政治
哲学(political philosophy)」はある。

 (2)問題は、その「政治哲学」。日本の政治では、ほとんど「実感」したこともなければ、お目にか
かれない言葉だ。既得権、地域利益誘導、裏技(腹芸)、談合と国、国民全体の利益を顧みない
自己都合、野望の政治スタンスが横行していたのが日本の政治風土だったからだ。

 そういう「政治風土」に根ざして、今回の民主党代表選に国民の意思とはかかわらずそれに挑
戦するかのように再登場したのが前幹事長とその勢力だ。
 「政治とカネ」の基本的な政治問題を除けば(結局、その野望政治が否定のすべてだが)、確か
に仮に閉そく感のある政治、経済情況を打開する政治力(政策)があれば、それもひとつの選択
肢となり得る。

 国会議員が自らの判断で、そう考え、行動することまで、「国民の意思」と「かい離」していると
ばかり安易に一斉に批判されるものでもない。そういう別次元の高い「政治哲学」や政治風土の
ない、自ら招いた政治社会での国会議員が国民から信用されていないというパラドックス政治
(paradoxical politics)なのだ。

 (3)代表選後の世論調査で、脱・前幹事長人事の改造内閣支持率が前回比較16%増の64%
まで回復した。
 政党支持率にはそう変化はないので、昨年の本格的な政権交代に対する「政治が変われる」
政治風土の変化への国民の期待が否定されずに、継続していることのあらわれだ。
 しかし、政策(特に経済政策)についての評価は23%と低い。

 政治主導による国民主体の政策実行に向けて、政治理念のある理論的で透明、公正、公平、
最大公約数の「政治哲学」の実行が必要不可欠の時が来た。
 国民が選んだ国会議員が国民から信用されていないパラドックス政治に、当事者の国会議員
がどんな解答(solution)を出すのか。政治、経済、社会が閉そく(blockade)している。

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