(1)指揮者の小澤征爾さん(75才)は、ちょっと落ち着かないしかし一目でいかにも好奇
心旺盛な目をして、いつ見ても音楽少年の若さを感じさせる。初期の食道がんの治療後、
職業病の腰痛を抱えて、なお音楽少年の若さを感じさせるのだから、クラシック音楽に賭
ける気持ちは計り知れない無限のものがあるのだろう。
小澤さんは、ボストン交響楽団、ウィーン国立歌劇場の音楽監督にウィーンフィル、ベル
リンフィルハーモニーオーケストラの定期的な指揮と、クラシック音楽の本場で日本人指揮
者として活動しながら、その間、日本でも恩師の齋藤秀雄さんの意志を継いだサイトウ・キ
ネン・フェスティバルを毎年、松本市で開催して、同時に夏休みを利用して日本のクラシッ
ク音楽を目指す若者にもガイダンス(guidance)を実施して、本職の指揮活動のほか世界、
日本のクラシック音楽の興隆に幅広く積極的に関与している。
今年も昨日、松本市で開催中のサイトウ・キネン・フェスティバルで指揮をとった。最初に
事情説明の上、病後と腰痛ということもあり指揮台にはイスも用意され、時折そこに腰かけ
ながらチャイコフスキーの弦楽セレナード第1楽章だけ7分間の指揮をとった。
拳(こぶし)を握って手を折り曲げて指揮をとる力強さ、情熱は「世界のオザワ(world wide
ozawa)」を彷彿(ほうふつ)とさせるに十分な気迫だった。今後は、腰痛の治療に専念して
来年からの本格的な指揮活動に備えるという。
小澤さんには、好きなように、好きなだけ、思いどおりにクラシック音楽、オーケストラ、指
揮とかかわってほしい。小澤さんがこれまで世界に残してきた計り知れない活動の軌跡(locus)
を考えるのなら、これが当然のすべての人の思いだ。
昨近の酷暑に政治、経済、社会で停滞した日本に、小澤さんの登場でまた新しい風が吹き
込んだ。
(2)そこで、たけなわの民主党代表選、興味もないがちょっと気になる論評を見た。もうひとり
のオザワ(前幹事長)の政治とカネ。
ジャーナリストが、いつまで政治とカネか、ウンザリするというものだ。「捜査のプロの検察が
必死になって捜査しての不起訴」(当ジャーナリスト)で終わりというコメントだった。そうだろう
か。
確かに、いつまでの政治とカネの問題かというのはあるが、前幹事長の政治権力を行使す
る手段としての政治資金の不透明性は、①土地購入資金の妥当性、②億単位の記実不載の
会計責任者任せの関与否定で明らかであり、そもそも「言った」、「言わない」の証拠不在の
の世界に検察を引き込んでの不起訴だ。
「捜査のプロの不起訴」論は、前幹事長の主張と同じで、しかしそれで国民の多くは納得は
していない。国会の場でも国民に理解を得るような説明責任は果たさずに、問題をみだりに
長期化させているのは前幹事長そのものだからだ。
従来の手法のように、政治とカネの問題をうやむやにするような不透明感は、断ち切る必
要がある。いつまで政治とカネか、を早く断ち切るのは、当事者の善良な説明責任にかかっ
ている。
心旺盛な目をして、いつ見ても音楽少年の若さを感じさせる。初期の食道がんの治療後、
職業病の腰痛を抱えて、なお音楽少年の若さを感じさせるのだから、クラシック音楽に賭
ける気持ちは計り知れない無限のものがあるのだろう。
小澤さんは、ボストン交響楽団、ウィーン国立歌劇場の音楽監督にウィーンフィル、ベル
リンフィルハーモニーオーケストラの定期的な指揮と、クラシック音楽の本場で日本人指揮
者として活動しながら、その間、日本でも恩師の齋藤秀雄さんの意志を継いだサイトウ・キ
ネン・フェスティバルを毎年、松本市で開催して、同時に夏休みを利用して日本のクラシッ
ク音楽を目指す若者にもガイダンス(guidance)を実施して、本職の指揮活動のほか世界、
日本のクラシック音楽の興隆に幅広く積極的に関与している。
今年も昨日、松本市で開催中のサイトウ・キネン・フェスティバルで指揮をとった。最初に
事情説明の上、病後と腰痛ということもあり指揮台にはイスも用意され、時折そこに腰かけ
ながらチャイコフスキーの弦楽セレナード第1楽章だけ7分間の指揮をとった。
拳(こぶし)を握って手を折り曲げて指揮をとる力強さ、情熱は「世界のオザワ(world wide
ozawa)」を彷彿(ほうふつ)とさせるに十分な気迫だった。今後は、腰痛の治療に専念して
来年からの本格的な指揮活動に備えるという。
小澤さんには、好きなように、好きなだけ、思いどおりにクラシック音楽、オーケストラ、指
揮とかかわってほしい。小澤さんがこれまで世界に残してきた計り知れない活動の軌跡(locus)
を考えるのなら、これが当然のすべての人の思いだ。
昨近の酷暑に政治、経済、社会で停滞した日本に、小澤さんの登場でまた新しい風が吹き
込んだ。
(2)そこで、たけなわの民主党代表選、興味もないがちょっと気になる論評を見た。もうひとり
のオザワ(前幹事長)の政治とカネ。
ジャーナリストが、いつまで政治とカネか、ウンザリするというものだ。「捜査のプロの検察が
必死になって捜査しての不起訴」(当ジャーナリスト)で終わりというコメントだった。そうだろう
か。
確かに、いつまでの政治とカネの問題かというのはあるが、前幹事長の政治権力を行使す
る手段としての政治資金の不透明性は、①土地購入資金の妥当性、②億単位の記実不載の
会計責任者任せの関与否定で明らかであり、そもそも「言った」、「言わない」の証拠不在の
の世界に検察を引き込んでの不起訴だ。
「捜査のプロの不起訴」論は、前幹事長の主張と同じで、しかしそれで国民の多くは納得は
していない。国会の場でも国民に理解を得るような説明責任は果たさずに、問題をみだりに
長期化させているのは前幹事長そのものだからだ。
従来の手法のように、政治とカネの問題をうやむやにするような不透明感は、断ち切る必
要がある。いつまで政治とカネか、を早く断ち切るのは、当事者の善良な説明責任にかかっ
ている。