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ピンボールのアートワークの話(2):ポインティ・ピープルを描いた二人のアーティスト

2018年12月02日 15時44分06秒 | ピンボール・メカ
【はじめにおことわり】今回の記事の多くの部分は、ネット上から得た情報を根拠としています。ネット上には緻密で詳細なデータがたくさん存在しますが、それらは正確性や網羅性が保証されているわけではないので、本記事中の記述とは異なる説が仮にあったとしても、必ずしもそれを否定するものではないことを予めご承知おきください。

「ポインティ・ピープル」を描いたアーティストは二人いました。一人は「ジェリー・ケリー(Jerry Kelley=以降本文中では「ジェリー」とする)」と言う人で、ピンボールのバックグラスアーティストとしては、1963年から1969年までの7年間で16機種程を手掛けたようです。「ポインティ・ピープル」は1965年の「Pot 'O' Gold (Williams)」で初めて描かれ、以降ジェリーは最後までこの画風を保ちますが、1968年以降は、通常のカーツーンと「ポインティ・ピープル」のハイブリッドのような画風に後退したものが混じるようになっています。


ジェリーの「ポインティ・ピープル」の初期作品「A-GO-GO (Williams, 1966)」のアートワーク。最前面にいるあご髭の人物はジェリー自らをモデルとしているらしい。この前年に発表された「Pot 'O' Gold」で描かれている人物も「ポインティ・ピープル」だが、全身潜水服姿のダイバーであるため典型例としてはわかりにくいので、次作となるこちらを紹介。


ジェリーのおそらく最後の仕事となる「Gator (Bally, 1969)」。「ポインティ・ピープル」の特徴はかなり控えめになっている。ワタシは高校時代に、この「Gator」を学校の近くの元ボウリング場だったゲームセンターでよく遊んでいた覚えがある。

もう一人は「クリスチャン・マルケ(Christian Marche=以降本文中では「クリス」とする)」と言う人です。こちらは1966年から1979年頃までの14年間にわたって、「PINBALL NEWS」2009年7月によれば150機種ものアートワークを担当していますが、「ポインティ・ピープル」を描き始めるのはジェリーよりも2年ほど遅い1967年からのようです。


クリスの「ポインティ・ピープル」の初期作品「Jolly Roger (Williams, 1967)」のアートワーク。尖る部分は指やつま先くらいだが、色使いや、前後に重なる部分が透過したり線を共有して描かれるなどの点が前述の「A-Go-Go」に通じる。この直前に発表された「Derby Day(Williams, 1967)」にもやはり「ポインティ・ピープル」の要素が感じられるが、人物よりも馬がメインで特徴がわかりにくいためこちらを紹介。

クリスはジェリーとは逆で、はじめのうちは尖る部分は手指などの極めて限られた部分にとどまっていましたが、1968年より徐々にその特徴を強めて行き、ジェリーのアートワークが見られなくなる1969年頃から1971年までは、典型的な「ポインティ・ピープル」の作品を多く描いています。前回の記事で触れた「STARDUST」も、1971年のクリスの作品です。

そのクリスも、1972年頃より再び「ポインティ・ピープル」の特徴が抑えられた作品が混じるようになり、また「ポインティ・ピープル」の手法を採らない新しい画風の作品も現れるようになっていきます。1974年には約20機種(バージョン違いを含む)のアートワークを担当していますが、このうち「ポインティ・ピープル」を描いたのは3機種(うち2機種はバージョン違い)に留まり、1975年以降は「ポインティ・ピープル」を一切描かなくなっています。


クリス後期の「ポインティ・ピープル」である「JUBILEE (Bally, 1973)」。人物やポーズは前出「STARDUST」を連想させるが、「ポインティ・ピープル」の特徴は後方の踊り子を除いてずいぶん抑えられている。


クリス最後の「ポインティ・ピープル」作品と思われる「STAR POOL (Williams, 1974)」。

クリスがどのような経緯でジェリーの「ポインティ・ピープル」を受け継いだのかはわかりません。オランダのウェブサイト「PINSIDE」には、「クリスはジェリーの画風を模倣するよう要請された」との記述が見えますが、誰が、いつ、なぜそのような要請をしたのかまでの言及は(少なくともそのページには)ありません。ただ、少なくともクリスがジェリーという先人を意識していたことは確かなようで、クリスは1974年に発売された「CHAMP (Bally)」のアートワークの中に、ジェリーが過去に手掛けたマシン2機種を描き込んでいます。「PINSIDE」はこれについて、「(クリスが)『ザ・チャンプ』と呼んだジェリーに対する彼の追懐なのかもしれない」と述べています。


クリスが描いた「CHAMP (Bally, 1974)」のアートワーク(部分)。矢印左がジェリーが手掛けた「MINIZAG (Bally, 1968)」、右がやはりジェリーが手掛けた「RockMakers (Bally, 1968)」。「CHAMP」のアートワーク自体は、「ポインティ・ピープル」の手法は全く採り入れていない。

ところで、ジェリーもクリスも、特定のピンボールメーカーの専属デザイナーと言うわけではなかったことがうかがえます。ジェリーはウィリアムズとバーリーの2社にまたがって「ポインティ・ピープル」を描いており、クリスはやはりウィリアムズ、バーリー、それにシカゴコインズの3社で描いています。

当時小学生~中学生だったワタシの記憶にいつまでも痕となって残るひっかき傷が付けられたのも、この二人によって複数のメーカーの数十もの機種に「ポインティ・ピープル」が描かれていたからであることがわかりました。そしてそれは同時に、「ポインティ・ピープル」を全く、一件たりとも採用しなかったゴットリーブと言うメーカーの独自性をワタシに意識させるものでもありました

(次回「ジェリーとクリスのその他の仕事&資料」につづく)

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2 コメント

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Unknown (tom)
2018-12-02 22:05:20
掲載有り難うございます!

当時私のは小学校時代なので、背か低いぶんビール便の通箱をひっくり返して、踏み台にして遊んでいました。

ポインティ・ピープルの作者は、2人いらしたのですね!

当時印象に残ったバックグラスは、「Bally Expressway」と「Williams Doodle Bug」とかのクリス画伯でした。

仰る通りゴットリーブには登場いなかったですね。(ゴットリーブは別の意味で選任的なアーティストが多かった印象です)

また、楽しみにしています。

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Unknown (nazox2016)
2018-12-03 22:18:02
tomさん、またもやコメントいただきありがとうございます。
BallyのExpresswayは実はあまり覚えていないのですが、WilliamsのDoodle Bugは良く遊びました。当時の機械には珍しく10万点の桁までスコアがありましたね。
ただし10万の位はリールではなくランプの点灯で「1」の数字が抜けて
表示されるだけだったと記憶しています。
私は「Doodle Bug」フィーチャーを10000点まで上げた状態で
起動させるのが夢でしたが、100点まで上げて起動するのが
精いっぱいでした。あと、フリッパーの回転軸部分とスリングショットの間に隙間があるのが
ソンな気がしていました。

ゴットリーブについては、このシリーズの最終回で
少しだけ触れておきたいと思って、現在少しずつ調べています。
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