オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

コインマシンやギャンブルゲームやカジノの歴史的エピソードとか、時々カジノ旅行記とか、たまにスポーツやマンガとか。

セガのマスビンゴゲーム(4) ビンゴパーティー(Bingo Party, 1992)とそのシリーズ

2018年03月11日 16時30分41秒 | スロットマシン/メダルゲーム
セガのマスビンゴ機のシリーズには、前回述べた「サーカス系」の他に、「パーティー系」というものがありました。

実際のところ、ワタシはこの「パーティー系」にはさほど熱中しませんでした。当時としては破格に大きく迫力があった筐体を眺めることはあるものの、実際にメダルを投入して遊んだ経験は数えるほどです。また、手持ちの資料もあまり充実しているとは言えません。

しかし、そうは言っても「パーティー系」は、「サーカス系」と共に、セガのマスビンゴゲームの双璧をなすシリーズなので、まるっきり無視するわけにもいきません。幸いワタシは、開発関係者からパーティー系の開発にまつわるエピソードを僅かながらも聞いているので、今回はその辺を中心に進めて行こうと思います。

「パーティー系」の初代「ビンゴパーティー」(1992)は、「ビンゴサーカスはアドバンスドプレイヤー向けなので、もっと初心者にやさしいビンゴを作れ」というミッションから開発が始まったものだそうです。企画担当者は、「初心者向けという事であればひと目見ただけで理屈抜きに興味を惹くような筐体が必要だ」と考え、抽選機構の原案として、直径2mくらいの透明カプセルを回転させてカラフルなボールを舞い上げる筐体案を提案しました。しかし、これはメカの開発担当者から、「そんなに大きなものを動かすなんて狂気の沙汰だ」と抵抗があったそうです。そこで企画側は代替案として、カプセルを固定とする代わりにワールドビンゴのようにボールを空気で吹き上げる抽選機を再提案しました。しかしこの空気を使う案は、「ワールドビンゴ」での悪夢(関連記事:セガのマスビンゴゲーム(1)グループビンゴからワールドビンゴまで)がまだ記憶に新しいメカ開発担当側にとっては大きな回転カプセル以上の強い抵抗があったそうです。最終的に、企画担当側の「常識的な大きさのものを動かしても誰も驚いてくれない」との説得にメカ担当側が折れて、開発がスタートしたとのことです。この決定は、セガの技術力と企業力のアピールともなり、以下に続くシリーズにもそのコンセプトが受け継がれていくことになりました。




ビンゴパーティーのフライヤー。A3サイズが二つ折りになっており、画像は表紙側(上)と中側(下)。

「パーティー系」は、初代の「ビンゴパーティー」以降、全7機種が開発、発売されました。

・ビンゴパーティー(Bingo Party, 1992)
・ビンゴパーティー・マルチカード(Bingo Party Multi Card, 1994)
・ビンゴパーティー・スペシャル(Bingo Party Multi Card, 1994)
・ビンゴパーティー・フェニックス(Bingo Party Phoenix, 1996)
・ビンゴパーティー・スプラッシュ(Bingo Party Splash, 2002)
・ビンゴパーティー・スプラッシュSP(Bingo Party Splash SP, 2004)
・ビンゴパーティー・パイレーツ(Bingo Party Pirates, 2007)

ビンゴパーティー・スペシャル」のゲーム内容は「マルチカード」と同じでしたが、抽選機構はサテライトから切り離され、自由にレイアウトできるサテライトは16台まで増設可能というものでした。最近アジアを中心に世界のカジノで導入が進んでいる「ETG(Electronic Table Game)」を想起させるこのシステムには先見性が感じられます。

 

ビンゴパーティーマルチカード(上)とビンゴパーティースペシャル(下)。セガ総合カタログ1998年版より。

「スペシャル」が作られたころの日本は、ちょうどバブルが弾けて世の中が不景気になってきたと言われ始めた時期でした。レジャー産業においては、従来のように大きな費用をかけずに楽しめるものが好まれるようになり、「安・近・短」などというキーワードも生まれました。そしてその条件に合致する典型的なレジャーであるゲームセンターは、世間からは不景気などどこ吹く風の絶好調の分野と思われていました。確かに、当時のメダルゲームは3度目のブームと言ってもよいくらいに盛り上がっており、「スペシャル」はそんな社会情勢の中で、豪華版というポジションで作られたものです。

「スペシャル」はまた、当時セガが狙っていた海外のカジノ市場も視野に入れていました。当時のセガは、米国のネバダ州ラスベガスにオフィスを置いてカジノ進出を目指しており、競馬ゲーム機の「ロイヤルアスコット」とともにカリブ海域のリゾート地や北米のインディアンカジノ、あるいはヨーロッパにもいくらか出荷した実績があったようです。しかし、なぜか2000年前後頃に、セガのカジノ進出計画は頓挫してしまいました。セガというメーカーは、逆境に弱いのかなんなのか、困難にぶつかるとけっこう簡単に諦めるというイメージがありますが、これもその例の一つだと思います。

「フェニックス」までは初代から変わらなかったパーティー系の筐体は、「スプラッシュ」で一新されました。球形だったカプセルは、薬のカプセルのような横に長い形状となるとともに、野球ボールくらいの大きさだったボールはハンドボールくらいの大きさになりました。また、液晶モニターを採用したサテライトのデザインも、当時としては非常に洗練されたものになりました。


ビンゴパーティースプラッシュSPの筐体とサテライト。セガのニュースリリースより。

これには、従来の大きさに慣れてしまったプレイヤーに対し、より大型化することで今以上のインパクトを与えてマンネリ感を払拭する意図がありました。新しいカプセルの形状は、球形のカプセルを単純に大型化すると天井高の問題で導入できないロケーションが出てくるため、横方向のみを大型化させた結果でした。ボールの大型化は、カプセルの容積が大きくなったのに従来の大きさのままでは見栄えがしないための対応策でした。

「スプラッシュ」ではさらに、プレイヤー自身がカプセルの角度を変えることでボールの撹拌状況を変化させ、意図する番号のボールをより選び出しやすくできると思わせるフィーチャーが付加されました。実効性は殆どありませんでしたが、ゲームの結果に介入できるかもという錯覚と、大きなものを自分で操作できる気持ち良さがそれなりにウケてはいたようです。

しかし、「スプラッシュ」のころにはゲームセンターの好景気も退潮傾向に移りはじめており、また筐体価格の高額化やコナミの「ドラゴンパレス」に端を発する大型プッシャー機の台頭により、それ以前の機種ほど普及はしなかったように思います。そして、「スプラッシュ」のコンバージョンである「ビンゴパーティー・パイレーツ」を最後に、パーティー系は供給されなくなりました。

メダルの単価が極端に安くなってしまった昨今、この種のゲームはのべつまくなしにメダルを投入できる大型プッシャー機と比較してインカム的に見劣りがするので、ロケーションに買ってもらえなくなっているいう状況が発生しています。ゲームのバリエーションの縮小はメダルゲーム全体にとって全く好ましくない事であることは間違いありません。この状況を打破するシステムとして、プリペイドカードやICカードをメダルゲームにも応用することも考えられているようですが、これはこれで新たな設備投資を要するなどロケーションの負担が大きい部分もあり、すぐには実現できそうもありません。このままではメダルゲームは衰退の一途を辿っていきそうな予感もして、やきもきしてしまいます。

(このシリーズおわり)

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
石焼き芋スタイルが静電気で (YOU)
2021-12-04 22:30:30
パーティー系はアクリルドームの中でゴロゴロ回すので特に冬場は「静電気除去剤」が必須で油断をするとすぐ判別エラー発生となりました。
たしかN社の鶴見にあった機械は現場の人間が嫌になってS社ではなくN社のサービスに持ち込まれ、エラーの多発を解除できないという話になって除却になったと聞いております。
返信する

コメントを投稿