オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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「野村電機」と「データイースト」の謎

2020年07月26日 16時09分16秒 | メーカー・関連企業
昨年の3月3日、ワタシは「きっと誰も覚えていない大型メダル機「The Great Ocean Cup(恵通商事, 1975)」の記憶」という記事をアップしました。そこでは、業界誌「コインジャーナル」1976年6月号の記事を出典として、「野村電機」という会社が開発した、ボートレーステーマの「The Great Ocean Cup」と言う大型マスメダルゲームを取り上げています。

ワタシは「野村電機」というゲーム機メーカー(?)を知らなかったので、ブログの記事中で情報のご提供を訴えたところ、先月、ご高覧下さったTOMさんという方から、「業界紙『ゲームマシン』1976年8月15日号の記事では、野村電機の社長が、後にデータイーストの創業者となる福田哲夫氏となっている」との興味深いコメントをお寄せくださいました。


TOMさんが指摘する、野村電機の倒産を報じる記事(業界紙「ゲームマシン」1976年8月15日号3面より)。確かに社長は「福田哲夫」と記載されている。

TOMさんはその後の掲示板でのやり取りの中で、さらに野村電機は「The Great Ocean Cup」を作る前に、日本ブランズウィック社とコインオペレーションの光線銃を共同開発したというゲームマシン紙の記事をご紹介くださいました。しかし、その記事では、野村電機の社長に別人の名前が記載されており、謎が謎を呼ぶ展開になっていました。


野村電機が日本ブランズウィックと開発したコインオペレーションの光線銃の記事(業界紙「ゲームマシン」1974年11月10日号4面より)。この記事では、野村電機の社長は「野村良男」となっている。

ちょっと横道ですが、日本ブランズウィック社は、1961年に米国のブランズウィック社と三井物産の合弁会社として設立されたボウリング関連事業の総合商社でしたが、日本のボウリング市場の低迷により2007年に合弁が解消され、現存しません。
Brunswick」のブランドは、日本ではボウリング設備や用具で有名ですが、エアホッケーやプールテーブルなどでもその名を見かけることもありました。米国ではボウリングだけでなく、プレジャーボートの大手メーカーとして等、総合レジャー機器メーカーとしてもよく知られている大企業です。

コメントの内容の詳細については上記当該記事のコメント欄をご参照いただくとして、ワタシとしては、手元の資料にもう少し詳しい話はないものかとひっくり返してみたところ、データイーストの初のオリジナルビデオゲームと言っても良いと思われる「アストロファイター」のフライヤーに、興味深い記述を発見しました。




アストロファイターのフライヤーの表紙側(上)と中身側(下)。A3を二つ折りした4ページ構成。

フライヤーの裏表紙に当たる部分には、代表取締役社長としての福田哲夫氏の署名が入った「ごあいさつ」が掲載されています。画像では読みにくいので書き起こします(注と下線はワタシによる)。

************
ごあいさつ
データイースト株式会社は、昭和51年(注1)、エレクトロニクス分野の第一線で活躍する技術者が、共通の目的のもとに結集した頭脳集団です。コンピューターを中心としたシステム・コンピュータ周辺機器、計測システム機器の開発・生産の必須化という今後の業界の方向を察知し、そのニーズに応えようというのが、その共通の目的でした。以後一転して、メダルマシン、ジャックロット(注2)を契機にスーパーブレーク(注3)、バルーンサーカス(注4)、スペースファイター(注5)等のゲーム機器を製造販売致して参りました。
私たちの原動力は<技術力>と<ユーザーに密着した機器開発>の一語に尽きます。今後もこの姿勢を崩さず、技術に一層の磨きをかけてゆく所存です。より一層のご指導とご鞭撻を仰ぎたくお願いする次第でございます。
代表取締役社長 福田哲夫(自筆署名)


注1:1976年。
注2:1977年発売のシングルメダル機(関連記事:メダルゲーム ジャトレ「TV21」の開発元が判明!)。
注3:ウィキペディアによれば、1976年発売のブロック崩しゲーム。販売時期が、「(ゲームメーカーとなる)契機」と言っているジャックロットよりも早いのはどういうこと?
注4:詳細不明。おそらくは米国Exidy社が1977年に開発した「Circus」という風船割りゲーム(関連記事:それはポンから始まったのだけれども(3) スペースインベーダー(1978)以前のヒットゲーム)のコピーもしくは類似品と思われる。
注5:1978年発売の、スペースインベーダーの類似品。
************

さて、ここまでについてまとめておこうと思います。
1974年:野村電機日本ブランズウィック社とコインオペレーションの光線銃ゲームを共同開発。この時の野村電機の社長は野村良男氏らしい。
1975年:野村電機、娯楽提供企業恵通商事の依頼で大型マスメダルゲーム開発。
1976年:野村電機倒産。この時の野村電機の社長は福田哲夫氏らしい。
   :福田哲夫氏がデータイースト立ち上げ。
1977年、データイースト、一人用メダルゲーム機「ジャックロット」発売。
不明(1977以降):データイースト、米国Exidy社のビデオゲーム「Circus」の類似品「バルーンサーカス」発売。
1979年:データイースト、スペースインベーダーの類似品「スペースファイター」発売。
1980年:データイースト、「アストロファイター」発売。

まだまだ謎の多い野村電機とデータイーストではありますが、少なくとも「野村電機」がAM産業に関わって来た実績の一部と、「データイースト」の出自の一部が垣間見えたことはワタシにとっては進歩です。特に、「ジャックロット(TV21)」がゲームメーカーとしてのデータイーストに強く関わっていたという事実は全く予期していなかった新事実でした。

ところで、ワタシも「アストロファイター」をそこそこプレイしましたが、当時のワタシの主たるホームであった「マジックランド都立大学店」に設置されていたものは、敵弾が僅か1ドットの微小な点で表されていました。ところが、よそでは敵弾が縦長の棒状であるバージョンを見ています。幅も2ドットくらいあったかもしれません。おそらくはバージョン違いという事なのでしょう。この辺にも何かエピソードがありそうなものですが、ご存知の方はいらっしゃいませんでしょうか。

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16 コメント

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Unknown (tom)
2020-07-26 19:33:48
ご無沙汰しております。
タコヤキ市在住の小文字のtomです(爆)

アストロファイターのご質問に対して小生からお伝え出来るような内容もなく、以下失礼します。

データイースト製の”風船割りゲーム”って「バルーンサーカス」だったのですね!

”風船割りゲーム”はブラウン管モニタの横表示が多かったのですが、当該機は縦表示の変わり種だったように記憶しております。

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Unknown (nazox2016)
2020-07-26 21:34:13
小文字の(w)tomさん、コメントをありがとうございます。
tomさんは「バルーンサーカス」をご存知でしたか。
確かに、風船割りゲームでCRTを縦方向に使っていたものがあった覚えもあるのですが、それが「バルーンサーカス」とは認識しておりませんでした。何しろ当時はコピー品、類似品がたくさんあり、いちいち覚えていられなかったものも多いのですから。
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デコカセの「ハードウエアミサイル」機能 (佐久間 晶)
2020-12-18 12:56:25
はじめまして。
1983年~88年にデータイーストに勤務していた佐久間と申します。
ZAVIGA/B-WINGS、ラストミッション、オスカー等に関わりました。
アストロファイターは私がデコに勤務する前にリリースされたゲームですが、学生時代、良くプレイした物です。

>敵弾が僅か1ドットの微小な点
これは見たことがありません。

>敵弾が縦長の棒状
デコカセには「ハードウエアミサイル」と言う機能が備わっていて、スプライト(ドット絵)を用意しなくとも、(確か)1×5ドットのラインを描画することができました。
プロサッカーの上部レーダー画面(?)に表示される赤や青のマークも「ハードウエアスプライト」です。

以上、ご参考まで
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Unknown (nazox2016)
2020-12-18 23:34:22
佐久間さん、初めまして。元データイーストの方からコメントをいただけるとは光栄です。

デコカセは今も多くの人の口から聞く機会のある名システムですが、「ハードウェアミサイル」機能は今まで聞いたことがありませんでした。今、試しにウィキペディアを調べてみたのですが、そこでもやはり言及されておりません。貴重なお話をありがとうございます。これからもどうぞ埋もれているエピソードをお聞かせください。
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デコカセの機能 (佐久間 晶)
2020-12-19 17:23:33
返信ありがとうございます。

実は、私が係わったデコカセゲームは、入社したばかりの頃の「プロボーリング(海外版)」だけですので、デコカセについて、それ程、詳しくはありません。
ですので、うろ覚えですが、その他の機能について少々。

・1つのカラーパレットは1バイト(8ビット)構成
(R:3ビット、G:3ビット、B:2ビット)
これは、「ヒトの目は青色の変化に弱いため2ビットで済ますことで1バイトに納めた」と上司から聞きました

・BG画面の特殊機能(観音開き)
BGは、良くあるタイル形式のマッピング画面ですが、縦画面とした場合、画面中央を境に分割した左右部分を各々、左右方向へ位置をずらすことが可能でした。(正式名称は不明ですが、プログラムセクションでは「観音開き」と呼んでおりました)
「マッドエイリアン」で背景の道幅が変化するのは、この機能を使っているはずです。

以上です。
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Unknown (nazox2016)
2020-12-20 01:19:40
佐久間さん、またもや当時の貴重なお話をありがとうございます。

カラーパレットを1バイトで済ませていたというのはちょっと驚きです。今思えば、確かに色数の少ない基板ではあったと思いますが、当時はそんなことは全然気にならず、「プロゴルフ」に熱中していました。フェアウェイとグリーンでボールが跳ねる音を変えていたのは大変すばらしい演出に思えたものでした。

もう一つ、アドバタイズ中にゲームのデモが流れないので、やってみないとどんなゲームかわからない「マンハッタン」にも、実は結構嵌っていました。あの赤いグミの実のような障害物は何だったのでしょうか。
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Unknown (佐久間 晶)
2020-12-21 14:32:59
こんにちは。
>あの赤いグミの実のような障害物は何だったのでしょうか。
はて?マンハッタンも私がデコに入社する前のゲームですので、詳細は不明です。(申し訳ありません)
勿論、これも学生時代に何度もプレイしました。一発で屋上に着地すると拍手がアニメーション表示されたと記憶しております。
私が、デコカセで良くプレイしたのは
・プロゴルフ
・プロテニス
・フィッシング
・ハンバーガー
・バーニンラバー
辺りです。
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Unknown (nazox2016)
2020-12-21 22:05:09
マンハッタンの赤いモノの正体、いつかは解明したいものです。

ハンバーガー、バーニンラバーも良くやりました。面白かったですね。
ほとんど見かけられず、やりたくてもできなかったタイトルとしては、「ディスコNo.1」と「ラッパッパ」なんてのも思い出しました。
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Unknown (佐久間 晶)
2020-12-30 11:24:09
こんにちは。
「ラッパッパ」であれば「データイーストクラシックコレクション」でプレイ可能です。
https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1252295.html

因みに「ラッパッパ」の企画(ゲームデザイナー)は、「ロックンチェイス」「ハンバーガー」「zaviga/b-Wings」等、多くの作品を手がけられた「権藤裕二」さんです。

良い年をお迎え下さいませ。
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Unknown (nazox2016)
2021-01-01 16:27:04
佐久間 晶さん、コメントが遅くなってすみません。あけましておめでとうございます。

「権藤裕二」さんのお名前は存じ上げませんでしたが、タイトルはどれも往時のデータイーストを代表するものですね。ゲーム業界には、表にその名は出ないけれども、重要な役割を果たした人がたくさん埋もれていると思います。今年もどうぞ貴重なお話をお聞かせください。
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