1960年代の半ばころ、日本にボウリングブームという社会現象が発生しました。日本各地にボウリング場が林立し、最盛期には全国で4000軒に迫るほどのボウリング場があったそうです。1971年には定期的にボウリングを放映するTV番組が10本もあり、さらには「美しきチャレンジャー」というTVドラマまで作られて人気を博しました(関連記事:「きゅぽかの(ボウリング漫画)」の単行本を買った話)。ボウリングブームは結局1973年のいわゆる「オイルショック」を機に急激に衰退していきましたが、ブーム時には2時間待ち、3時間待ちが当たり前というくらい人が押し寄せており、順番待ちの客の退屈しのぎとしてボウリング場にはAMゲーム機が設置されるようになったことが、その後日本のAM業界が発展してゆく重要な一因となりました。
セガは1972年に「プロボウラー(PRO BOWLER)」というボウリングゲームを発売しました。ワタシはこのゲームを、JR目黒駅の駅ビルの屋上でプレイしています(関連記事:商業施設の屋上の記憶(2) 目黒近辺)。当時のゲーム料金は1回10円から高いものでも30円が相場だったのに、プロボウラーは50円もしたので、小遣いの乏しい子供にとって気軽に遊べる機械ではありませんでした。
PRO BOWLERのフライヤー(英語版)。
この、テンピンボウリングを非常に良く再現したゲーム機は、しかしセガのオリジナルではなく、米国Williams社製のコピーであることは後に知りましたが、今回記事として取り上げるにあたってその辺も含めていろいろ調べていたところ、実はWilliamsも、拙ブログでは「ウィンターブック」というギャンブル機で何度か言及している米国Evans社(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム)が1939年以売り出した「Ten Strike」というボウリングゲームを元に作っていたことが判明しました。
Evans社の「Ten Strikes」の広告。出典はPinrepair.com
この画像を掲載している「Be a pin monkey」の記事を読むと、Evansは1955年に操業を停止し、このボウリングゲームのアイディアはWilliamsに買い取られ、1957年に「Williams Ten Strike」 の名で売り出されたとあります。Evansの「Ten Strike」は1ゲームを5フレームに圧縮してありましたが、Williamsはこれを10フレームと本来のルールに近づけました。
この後の1970年、Williamsはさらに「Williams Mini-Bowl」を売り出し、そしてセガは1972年にそのコピーである「PRO BOWLER」を売り出したという流れです。
更に調べを進めていたら、これらの詳しい話を、なんと日本語で、しかも2007年に既に書かれていたウェブサイトを発見してしまいました。
それは「ピンボールの階梯」というピンボールを解説したサイトで、該当する記事は「フリッパー・トピックス『セガのプロ・ボウラーとウィルのミニ・ボウル』」です。古いエレメカ機を日本語で解説しているとは珍しいと思って拝読したところ、実にたいへんよくできた記事でしたので、ぜひハイパーリンクから原文をお読みいただければと思います。「ピンボールの階梯」はたいへんに見事なサイトなので、URLのメモの意味も含めて、ここに記録させていただこうと思います。
セガは1972年に「プロボウラー(PRO BOWLER)」というボウリングゲームを発売しました。ワタシはこのゲームを、JR目黒駅の駅ビルの屋上でプレイしています(関連記事:商業施設の屋上の記憶(2) 目黒近辺)。当時のゲーム料金は1回10円から高いものでも30円が相場だったのに、プロボウラーは50円もしたので、小遣いの乏しい子供にとって気軽に遊べる機械ではありませんでした。
PRO BOWLERのフライヤー(英語版)。
この、テンピンボウリングを非常に良く再現したゲーム機は、しかしセガのオリジナルではなく、米国Williams社製のコピーであることは後に知りましたが、今回記事として取り上げるにあたってその辺も含めていろいろ調べていたところ、実はWilliamsも、拙ブログでは「ウィンターブック」というギャンブル機で何度か言及している米国Evans社(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(4) 競馬ゲームその2・1975年の競馬ゲーム)が1939年以売り出した「Ten Strike」というボウリングゲームを元に作っていたことが判明しました。
Evans社の「Ten Strikes」の広告。出典はPinrepair.com
この画像を掲載している「Be a pin monkey」の記事を読むと、Evansは1955年に操業を停止し、このボウリングゲームのアイディアはWilliamsに買い取られ、1957年に「Williams Ten Strike」 の名で売り出されたとあります。Evansの「Ten Strike」は1ゲームを5フレームに圧縮してありましたが、Williamsはこれを10フレームと本来のルールに近づけました。
この後の1970年、Williamsはさらに「Williams Mini-Bowl」を売り出し、そしてセガは1972年にそのコピーである「PRO BOWLER」を売り出したという流れです。
更に調べを進めていたら、これらの詳しい話を、なんと日本語で、しかも2007年に既に書かれていたウェブサイトを発見してしまいました。
それは「ピンボールの階梯」というピンボールを解説したサイトで、該当する記事は「フリッパー・トピックス『セガのプロ・ボウラーとウィルのミニ・ボウル』」です。古いエレメカ機を日本語で解説しているとは珍しいと思って拝読したところ、実にたいへんよくできた記事でしたので、ぜひハイパーリンクから原文をお読みいただければと思います。「ピンボールの階梯」はたいへんに見事なサイトなので、URLのメモの意味も含めて、ここに記録させていただこうと思います。
I didn't know the "Perfect Bowler", but I have ever seen the brand logo that drawn on the upper left of the back glass.
This is a logo of the "Nihon Jidohanbaiki kabushiki kaisya (日本自動販売機株式会社)”, a Japanese arcade machine manufacturer.
At least I can find this company's name in Japanese AM industrial magazine published in 1972, but can't find in the "遊戯機械名鑑 74/75 (Amusement machine guide book 74/75)" published in 1974 and other materials published after that.
I think it was either absorbed by another company or go out of business in before 1974.
EM好きおじさん
グレープフルーツくらいの大きさのボールを転がすやつですね。遊園地のゲームコーナーでよく見かけました。お台場にある「台場一丁目商店街」にはシカゴコイン社製のこの種の機械が1台現役で動いているはずです。でもさすがに古いのでレーンはいくらか荒れており、また動作が完全ではないところがあります。
ピンが上方から吊り下げられており、ボールが当たると不思議な動きで消えて行くのが面白くて他人のゲームを横からよく見ていました。自分でもトライしたけれども結構難しかった記憶があります。ボウリングのアーケードゲームを考えた人は沢山いたでしょうが、オリジナルのメカを考え付いた人は偉い。
ボウリングゲームと言えばもうひとつ、もっとレーンが長くて手のひらサイズのボールを人が実際に転がすものがありました。ピンは上方からヒンジで吊り下げられており、レーン上にある硬い∩形ワイヤをボールが踏むとピンが跳ね上がって隠される様になっていました。つまり実際にはボールとピンはぶつかりません。∩形ワイヤは数十個あって、ボールのコースがずれると踏まれるワイヤが変わるのでピンの倒れ方(と言うか、隠され方)が変わりました。
I found it in this article https://rocketnews24.com/2018/07/30/1095473/