ワタシは1998年以来毎年複数回、ラスベガスに巡礼をしていましたが、昨年はコロナの世界的蔓延のため、24年ぶりにラスベガスに行かない(行けない)年となりました。1年で失効するカジノの会員ステータスを維持できなかったので、来年は平会員になってしまう事でしょう。
そのラスベガスですが、ストリップエリアで見られる人の殆どは観光客ではないのだそうです。そんな状態なので、週末しか営業しないカジノホテルも出ていると、付き合いの長いカジノホストからSNS経由で聞きました。
最近になってようやくワクチンができたかのような報道がされるようにはなりましたが、コロナ禍はまだ終息時期の見当がつかない状態です。皆様におかれましては大過なき年をお過ごしいただけますよう祈念いたします。
今回は年の始めのご挨拶として、49年前のセガの広告をご紹介して終わろうと思います。

アミューズメント産業1972年1月号(創刊号)の表2に掲載されたセガの広告。
画像は、業界紙「アミューズメント産業」の1972年1月号(創刊号)に掲載されたセガの広告です。事実上の初めての商用ビデオゲーム「PONG」が登場する年(関連記事:それはポンから始まったのだけれども(1) 業務用ビデオゲームの黎明期の記憶)であり、またメダルゲームと言う市場が確立される年(関連記事:「メダルゲーム」という業態の発生から確立までの経緯をまとめてみた)ではありますが、この広告の時点ではまだエレメカ機ばかりです。その中には、同年2月に開催される札幌オリンピックにぶつけたと思しきフリッパー・ピンボール機「SAPPORO」や、間もなくそのブームの終焉を迎えるボウリングテーマの「プロ・ボウラー」(関連記事:プロボウラー(セガ、1972)に関するメモ)が見えます。
また、「オリンピア・マークIII」(関連記事:オリンピアとワタシの関わりの記録)が見えるところから、1964年に風営許可を得たオリンピアが、この頃はまだ現役だったことが窺えます。
ところで、この広告に見られるゲーム機はどれも時代を感じさせるものなのに、晴れ着姿のねえちゃんは今でも何の違和感もなく通用してしまいそうに思えるのは、いったい何がどう違ってのことなのでしょう。「普遍性」とは何なのか、少し考えさせられてしまった今年の始めでした。
そのラスベガスですが、ストリップエリアで見られる人の殆どは観光客ではないのだそうです。そんな状態なので、週末しか営業しないカジノホテルも出ていると、付き合いの長いカジノホストからSNS経由で聞きました。
最近になってようやくワクチンができたかのような報道がされるようにはなりましたが、コロナ禍はまだ終息時期の見当がつかない状態です。皆様におかれましては大過なき年をお過ごしいただけますよう祈念いたします。
今回は年の始めのご挨拶として、49年前のセガの広告をご紹介して終わろうと思います。

アミューズメント産業1972年1月号(創刊号)の表2に掲載されたセガの広告。
画像は、業界紙「アミューズメント産業」の1972年1月号(創刊号)に掲載されたセガの広告です。事実上の初めての商用ビデオゲーム「PONG」が登場する年(関連記事:それはポンから始まったのだけれども(1) 業務用ビデオゲームの黎明期の記憶)であり、またメダルゲームと言う市場が確立される年(関連記事:「メダルゲーム」という業態の発生から確立までの経緯をまとめてみた)ではありますが、この広告の時点ではまだエレメカ機ばかりです。その中には、同年2月に開催される札幌オリンピックにぶつけたと思しきフリッパー・ピンボール機「SAPPORO」や、間もなくそのブームの終焉を迎えるボウリングテーマの「プロ・ボウラー」(関連記事:プロボウラー(セガ、1972)に関するメモ)が見えます。
また、「オリンピア・マークIII」(関連記事:オリンピアとワタシの関わりの記録)が見えるところから、1964年に風営許可を得たオリンピアが、この頃はまだ現役だったことが窺えます。
ところで、この広告に見られるゲーム機はどれも時代を感じさせるものなのに、晴れ着姿のねえちゃんは今でも何の違和感もなく通用してしまいそうに思えるのは、いったい何がどう違ってのことなのでしょう。「普遍性」とは何なのか、少し考えさせられてしまった今年の始めでした。
旧年中はコメント欄汚しで失礼しました。
CASINOのSTATUSは、失効してしまうのですが!それは大変悲しい限りです。
航空会社は、昨中旬頃にSTATUS維持継続を実施しましたが、次年度はどうなるのでしょうか。
早くコロナが終息し、nazoさんにお会いするため関東方面にお邪魔出来る事を願って止みません。
今年もお元気でお過ごしください。
カジノの会員ステータスのポリシーは運営企業によって異なりますが、今しがた確認したところ維持されていました。それでも、今年中にコロナ騒ぎが終息してくれないと、二度目はないかもしれません。そうは言っても健康第一ですので、お互い終息の日が来るまで気を付けて、良い年に致しましょう。
その機種名は長らく謎のままでした。
最近ダメもとで調べてみたところ、こちらの記事に目が止まりました。
そして、私が当時遊んだ機種はどうやら『オリンピアマークⅢ』だったようです。
長年の謎を解明する重要な手がかりとして、こちらの記事がとても参考になりました。ありがとうございました。
「オリンピアマークIII」は、海外カジノ向けに作られた「ウィンザーシリーズ」の筐体を転用したもので、それらも日本のゲームセンターで見ることができました。ご記憶の機械にストップボタンは付いていればオリンピアの転用、付いていなければカジノ向けの転用になります。
ウィンザーシリーズについてはこちらで少し述べておりますので、よろしければご参照ください。
セガ60周年記念・1960年以前のプレセガ期(4) セガのスロットマシンその2
https://blog.goo.ne.jp/nazox2016/e/4319442d654d9287983cbacb5bf2bbba
お返事ありがとうございます。
ボタンですが、今となっては確信が持てないのが正直なところです。オリンピックのキャラクター(ピクトグラム)がモチーフで、メダルが大きくて重かったという記憶だけは鮮明に残っています。
それから思い出したのですが、こちらのブログでは、以前に『エビスボール』に関連する記事を読ませていただきました。オリンピアと同じく90年代前半に一度だけ遊んだことがあり、当時から見てもあまりにも古いデザインだったので、いつ頃製造されたものなのかと、ふと疑問に思ったのがきっかけでした。
他にもとても興味深い記事が多く、またコメントさせて頂く機会もあるかと思います。今回はありがとうございました。
偶然ゲーム少年(きっど)さんのブログを発見して拝読しました。ピクトグラム風のシンボル、大きなメダルなどもオリンピアというところから、やはりオリンピアで間違いなさそうに思われますが、90年代前半にまだ残っていたとは少し驚きです。差し支えなければどのホテルだったか伺ってもよろしいでしょうか。
ゲーム少年(きっど)さんも古いゲームがお好きなようですね。どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
ホテルの名称については覚えていないのですが、定山渓(じょうざんけい=北海道札幌市、いわゆる温泉街です)のホテルだったことは間違いないです。そして遊んだ年は91年でした。
私は世代的に専らビデオゲームの方ですが、メダル(エレメカ、電力を使わないタイプも)などもよく遊びました。
こちらこそよろしくお願いします。
ありがとうございました。