ユニバーサル社が1982年に頒布した会社案内によれば、同社の創業は、1967年に栃木県小山市に興した「株式会社ユニバーサルリース」だそうです。創業当初はジュークボックスやゲーム機のレンタル、販売、サービスなどを行っており、ゲーム機メーカーというわけではなかったようです。社長である岡田和生氏自身は、会社設立以前からAM関連の仕事に就いて現在につながる人脈を築いてきたと言いう話も聞きますが、それらの中には名誉棄損と訴えられかねない怪しい話も多いので、ここでは単に岡田氏のAM業界でのキャリアはユニバーサルよりも早くから始まっていたという事実を示すにとどめておきます。
ユニバーサルの最初の製品は、1970年にリリースした「Time80」というパチンコ機を改造したプライズ機とされています。Time80は大ヒットし、日本の初期のAM史にその名を残していますが、ただ、ユニバーサル以外にも「Time80」を売り出している会社がいくつかあって、ワタシは混乱をきたしています。どなたか詳しい方がいらっしゃいましたらご教示いただけませんでしょうか。
ユニバーサルではない「Time80」の一例として、日本自動販売機株式会社が業界誌「アミューズメント産業」1972年4月号に掲載した広告。画像は無いが、フライヤーでは「類似品、粗悪品にご注意ください」とまで訴えている。
その後の調査で、ユニバーサルの創立者である岡田和生氏の実兄、岡田正生氏が、Time80の販売拡大のため、当時タイトーの子会社となっていた日本自動販売機へ移籍してTime80を販売していたことが判明しました。出典はアミューズメントジャーナル2017年1月号の「時代の目撃者たち 第19回」。なお、その記事では、Time80の発売は1972年となっています。(2021年1月21日追加)
日本自動販売機社は、「Game Mate」のブランドマークを付けた製品を1960年代から開発製造していますが、ユニバーサルとの関係については見聞したことがなく、この「Time80」は謎です。同社は1975年以降その名を見なくなりましたが、「昭和遊園機械」と協業していたと思われる痕跡もあるので、吸収合併されているのかもしれません。
ユニバーサルは1975年8月に自社工場を建て、以降精力的に各種のAM機を製造していきます。
今回は、その新工場建設から間もない1977年10月に頒布されたユニバーサルの総合カタログをご紹介しようと思います。
「ユニバーサル総合カタログ 77」の表紙。頒布時期は77年10月。
2ページ目の「ご挨拶」は省略して、3ページ目の「小型メダル機」。
「小型メダル機」のページとしていますが、左上の「ICBM」は、「Time80」のニューバージョンともいうべきプライズ機です。
右上の「ミニルーレット」はコナミの「ピカデリーサーカス」の類似品ですが、右下の「スーパーマシン」は「ウィンターブック」のバリエーションであり、ピカデリーサーカスの模倣品が多かった子供用シングルメダル機としてはひねりが加わっています。
4ページと5ページ目。見開きの「大型メダル機」。おそらく当時のユニバーサルが最も力を入れていたと思われる大型メダル2機種を誇らしげに紹介している。
「ビッグアンドスモール」はこのフライヤーを頒布する前年に発売され、同年8月にはすぐにニューバージョンが出ているはずです(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(7) ユニバーサル その2b)が、ここではなぜか旧バージョンの筐体が掲載されています。
6ページ目。大型メダル機「スーパースター」と「ニューケンタッキーダービー」が掲載されている。
「スーパースター」は1975年発売の旧型機なので一段小さい扱いになるのはわかります。「ケンタッキーダービー」もやはり1975年発売ですが、ただ、この画像は「ニューケンタッキーダービー」となっています。ワタシはこの機種については記憶が無く、調査が必要です。
7ページ目。両替機。
プライスリスト。
1977年10月と言えば、AM業界ではそろそろインベーダーブームに火が付きかけているころです(関連記事:TV報道番組に見る1978年のAM業界(5):インベーダーブーム直前とテーブル筐体の台頭)が、この時点では、ユニバーサルはまだビデオゲームへはそれほど力を入れていないことが見て取れます。
1978年のビデオゲームブーム後のユニバーサルは、メダルゲームからは手を引いて、その代わりにパチスロやカジノ向けスロットマシンへと伸びていきました。また、ビデオゲームも積極的に開発し、「ギャラクシーウォーズ」をはじめ、人の記憶に残るタイトルを数多くリリースしていきました。
ユニバーサルの最初の製品は、1970年にリリースした「Time80」というパチンコ機を改造したプライズ機とされています。Time80は大ヒットし、日本の初期のAM史にその名を残していますが、ただ、ユニバーサル以外にも「Time80」を売り出している会社がいくつかあって、ワタシは混乱をきたしています。
ユニバーサルではない「Time80」の一例として、日本自動販売機株式会社が業界誌「アミューズメント産業」1972年4月号に掲載した広告。画像は無いが、フライヤーでは「類似品、粗悪品にご注意ください」とまで訴えている。
その後の調査で、ユニバーサルの創立者である岡田和生氏の実兄、岡田正生氏が、Time80の販売拡大のため、当時タイトーの子会社となっていた日本自動販売機へ移籍してTime80を販売していたことが判明しました。出典はアミューズメントジャーナル2017年1月号の「時代の目撃者たち 第19回」。なお、その記事では、Time80の発売は1972年となっています。(2021年1月21日追加)
日本自動販売機社は、「Game Mate」のブランドマークを付けた製品を1960年代から開発製造していますが、ユニバーサルとの関係については見聞したことがなく、この「Time80」は謎です。同社は1975年以降その名を見なくなりましたが、「昭和遊園機械」と協業していたと思われる痕跡もあるので、吸収合併されているのかもしれません。
ユニバーサルは1975年8月に自社工場を建て、以降精力的に各種のAM機を製造していきます。
今回は、その新工場建設から間もない1977年10月に頒布されたユニバーサルの総合カタログをご紹介しようと思います。
「ユニバーサル総合カタログ 77」の表紙。頒布時期は77年10月。
2ページ目の「ご挨拶」は省略して、3ページ目の「小型メダル機」。
「小型メダル機」のページとしていますが、左上の「ICBM」は、「Time80」のニューバージョンともいうべきプライズ機です。
右上の「ミニルーレット」はコナミの「ピカデリーサーカス」の類似品ですが、右下の「スーパーマシン」は「ウィンターブック」のバリエーションであり、ピカデリーサーカスの模倣品が多かった子供用シングルメダル機としてはひねりが加わっています。
4ページと5ページ目。見開きの「大型メダル機」。おそらく当時のユニバーサルが最も力を入れていたと思われる大型メダル2機種を誇らしげに紹介している。
「ビッグアンドスモール」はこのフライヤーを頒布する前年に発売され、同年8月にはすぐにニューバージョンが出ているはずです(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(7) ユニバーサル その2b)が、ここではなぜか旧バージョンの筐体が掲載されています。
6ページ目。大型メダル機「スーパースター」と「ニューケンタッキーダービー」が掲載されている。
「スーパースター」は1975年発売の旧型機なので一段小さい扱いになるのはわかります。「ケンタッキーダービー」もやはり1975年発売ですが、ただ、この画像は「ニューケンタッキーダービー」となっています。ワタシはこの機種については記憶が無く、調査が必要です。
7ページ目。両替機。
プライスリスト。
1977年10月と言えば、AM業界ではそろそろインベーダーブームに火が付きかけているころです(関連記事:TV報道番組に見る1978年のAM業界(5):インベーダーブーム直前とテーブル筐体の台頭)が、この時点では、ユニバーサルはまだビデオゲームへはそれほど力を入れていないことが見て取れます。
1978年のビデオゲームブーム後のユニバーサルは、メダルゲームからは手を引いて、その代わりにパチスロやカジノ向けスロットマシンへと伸びていきました。また、ビデオゲームも積極的に開発し、「ギャラクシーウォーズ」をはじめ、人の記憶に残るタイトルを数多くリリースしていきました。
随分前に記事にされていらっしゃった「キング・オブ・キングス」で思い出しました事を二つばかり。
1.抽選方法は物理的で、ウィルがボーリリース後に逆回転となるタイミングのみをズラしていたと記憶しております。
2.当該機には、当時最新の?エスカレーターホッパーが実装されており、メダルの払い出し/中止を遊技盤のボタンで操作できた訳ですが、エスカレータ部分が長いため、メダル払い出しでメダルが1枚飛び出したタイミングでキャンセルボタン操作をする…あら不思議!
※友達から聞いた話です(笑)
ユニバーサルは早い段階から払い出し機構にホッパーを積んでいたように思いますが、70年代の上出しホッパーは特に先進的でした。ワタシはシグマの「ザ・ダービー」(1975)くらいしか思い出せません。セガの「ブラックジャック」(1976)も上出しでしたが、モーター駆動のスライサーで払い出したメダルをベルトコンベアで挙上しており、ホッパーは使われていなかったはずです。
しかし、「ビッグアンドスモール」では、「(ゲームで当たった配当が)クレジットに加算されている最中にメダル払い出しボタンを押すと払い出されるメダルは必ず少なくなる」という注意書きがありました。エスカレーターに残った1枚が余分に払い出されるというのも当時のホッパー技術の未熟さから来ているものでしょう。そしてプレイヤーは、そういうアラを良く見つけ出すものなんですよねw
http://pinballnovice.blogspot.com/2020/05/exploring-arcade-in-supaidaman-ep-13.html
BTW the Supaidaman episode is gone from youtube, but I downloaded it in case you ever want to see it again