オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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1977 Sega Price List (2):表紙と会社案内系その2

2021年03月14日 21時31分12秒 | メーカー・関連企業

今回は、昭和52年(1977年)にセガが頒布したプライスリストの第2回目、表紙と会社案内系の後半で、ページとしては18、19、それに裏表紙となります。推奨サイズでなるべく大きく表示できるように、例によって各ページの画像は上下に2分割にしています。



18ページ目。ゲーム機の運用例として、リゾートホテル、カクテルラウンジ、ゲームセンター、メダルゲーム場の4種が提示されている。

このプライスリストが頒布された1977年5月は、まだインベーダーブームが発生する前のことで、ゲームが設置されるところと言えばボウリング場や商業施設などの付帯施設である場合が多く、独立したゲームセンターはそれほど多くなかった時代です。



19ページ目。日本国内の事業拠点の地図。関東、東海、近畿関西に多く見られる。

田中角栄が「日本列島改造論」をブチ上げたのは、この5年前の1972年でした。当時は地方には産業が少なく貧しいところが多かったので、交通や情報インフラの整備で富の流れを東京一極集中から地方に分散させようとするこの日本列島改造構想自体はあって然るべきものだったと思います。しかし、この地図を見る限り、1977年時点ではまだその改造はそれほど進んでいなかったように見えます。

とは言え、60年代半ばには全国15カ所しかなかった営業所(関連記事:セガ・エンタープライゼス@1966)がここまで増加しているところを見ると、着実に発展していることがうかがえます。



裏表紙。

(文面)
世界のオペレーターに喜ばれる
セガ・アミューズメント・マシン

株式会社セガ・エンタープライゼス
本社 東京都大田区(以下略)
関西支店 大阪府豊中市(以下略)
博多支店 福岡県福岡市(以下略)

札幌事務所 札幌市中央区(中略)札幌公楽会館内東宝札幌ゲームセンター(以下略)
森岡事務所 盛岡市下太田(以下略)
名古屋事務所 名古屋市千種区(以下略)
広島事務所 広島市西川口町(以下略)


さて、今回は18ページ目の各画像を拡大してみようと思います。


リゾートホテル

左手前、3人のご婦人がのぞき込んでいるのは「ハーネスレース(SEGA, 1974)」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(3) 競馬ゲームその1・ハーネスレース(セガ、 1974))。

その背後の壁沿いに見えるアップライトの筐体は、左から順に
エア・アタック(セガ、1972)
フォックス・ハント(セガ、1974)
不明
コンバット(セガ、1969)

です。「フォックス・ハント」は、2P同時プレイが可能なガンゲームでした。また、「コンバット」は、戦車を操作して敵の戦車やヘリコプターを撃つというものですが、操作系はボタン付きの操縦桿なので、ガンゲームと呼んで良いのかどうかはよくわかりません。

それら壁沿いのエレメカ機とハーネスレースの間にビルボードだけ見えているのは、拙ブログでは取り上げたことがない「プント・バンコ(セガ、1975)」というメダルゲームです。

中央の、車のハンドルのようなものが付いている機械は4P同時プレイ可能なドライブゲーム「スパークリング・コーナー(セガ、1976)」(関連記事:ポパイ@1979年(2):その1・ビデオゲーム)、その右がボクシングテーマで2P対戦可能の「ヘビーウェイトチャンプ(セガ、1975)」です。セガの機械しか並んでないように見えるところから、セガが請け負っているゲームコーナーなのでしょう(2021.11.06追記:自社のフライヤーに掲載するのだから当然でしたね)


ラウンジ

当時の飲み屋は、ジュークボックスの一大市場でした。ここに見えるのは、前回にも登場した米国ロッコーラ社の「464」です。


ゲームセンター

左手、エアホッケーは、サイドネットから「スピードホッケー(セガ、1973?)」だと思われます。

両替機の向こうには「オリンピア・マークIII」(関連記事:オリンピアとワタシの関わりの記録)が見えるので、向こう側にはメダルゲームコーナーがあるものと思われます。

オリンピアの右手、壁沿いにある5台のフリッパー・ピンボールは、左から
サーカス(Bally, 1973)
不明
カーニバル(セガ、1971)
スーパースター(Williams, 1972)
不明
です。77年のカタログに掲載されるには少々古い機種が多いですが、それだけフリッパー・ピンボールは製品寿命が長いということなのかもしれません。なお、右側に見えるフリッパーの列のうち、最も手前にあるのは「デルタ・クイーン(Bally, 1974)」で、この中では幾分新しい機種です。

この他に、ヒトには感情、体調、知性の波があると称して70年代に流行した「バイオリズム」を測定する機械「バイオリズム(セガ、70年代前半)」が、中央奥に見えます。


メダル・ゲーム場

最も手前の見切れている機械はわかりません(スキル・ディガか?)が、チェックのシャツの男性が向かっているのは「グループビンゴ(セガ、1975)」(関連記事:セガのマスビンゴゲーム(2) グループビンゴ(Group Bingo,1975))です。

その向こうのハーネスレースの右には「マッチマップ(セガ、1975)」(関連記事:初期の国産メダルゲーム機(1) マッチマップ(Match'em Up, SEGA, 1975))が2台、さらに奥には「ファロ(セガ、1974)」(関連記事:初の国産メダルゲーム機の記憶)などがあります。

さらにその奥に見えるスロットマシン類は、ほとんどが米国Bally製のように見えます。

(次回「ジュークボックス系のページ」につづく)


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