雑誌「ポパイ」1979年4月25日号の内容記録の1回目はビデオゲームです。
◆「フットボール (ATARI, 1978)」
全39ページからなる大特集記事「POPEYE GAME BOOK」の第1面を飾ったのは、「アメリカン・フットボール」をシミュレートしたATARIの「フットボール (FOOTBALL)」でした。
フットボールの記事。63ページ。男女のファッションがいかにも当時のシティボーイ風。
全米が熱狂する一大人気スポーツであるアメリカン・フットボールは、三菱自動車が米国のカレッジフットボールの公式戦を「ミラージュボウル」というカンムリ興業にして日本に誘致するなど、1970年代から80年代にかけて日本でも流行らせようというムーブメントがありましたが、ルールが難しくて理解されなかったからか、あるいは体格が貧弱な日本人にはなかなかスターが現れなかったからか、メジャー競技に発展することはありませんでした。
とは言え、1979年は日本にとってアメリカン・フットボールが最も「旬」だった時期でもあり、特集記事の一番にこのゲームを持ってくるのはやはりポパイだなあという気もします。記事中では、「今このマシンがあるのは東京・六本木の<ヘンリー・アフリカ>だけ」と述べられていますが、過去記事「【小ネタ】トラックボールを使ったビデオゲーム二題」でも触れている通り、この後日本でも広く普及しました。
◆スペース・インベーダー (TAITO, 1978)
◆スペース・ウォーズ (CINEMATRONICS, 1977)
次に掲載されているビデオゲームは、TAITOの「スペースインベーダー」と、シネマトロニクスの「スペース・ウォーズ」です。
「スペースインベーダー」と「スペース・ウォーズ」の記事。79ページ。
ポパイのこの号が発売されていたころは、インベーダーブームの真っ最中でしたが、そのわりに扱いが小さいです。「スペースインベーダーはスター・ウォーズから発想された」「スター・ウォーズが先生」などと書かれていますが、スペース・インベーダーのアイディアの原案がスター・ウォーズに由来しているというわけではなく、敵キャラをインベーダーとする着想に、スター・ウォーズに代表される当時のSFブームが影響したというだけの話であり、無理やりにでも今の米国の流行りと結び付けようとしているところがやはりポパイだなあという気もします(2回目)。ただし、プレイヤーが攻撃されるという概念が新機軸であったところに触れているのは正しく、ひょっとすると中藤保則氏(関連記事:ポパイ@1979年(1):AMゲームは「カッコいい」ものだった(らしい)」のアドバイスがあったのではないかと思われます。
このコーナーはあまり書くネタが無かったと見えて、埋め草なのか、シネマトロニクス社の「スペース・ウォーズ」(関連記事:それはポンから始まったのだけれども(1) 業務用ビデオゲームの黎明期の記憶)の筐体画像も掲載されていますが、たった一言「人気今ひとつ」とキャプションが付いているだけで、なかなかひどい扱いにちょっとジワります。確かに、あまり遊んでいる人を見ないゲームではありましたが。
◆ジービー (namco, 1978)
次は89ページに掲載されているnamco初のビデオゲームである「ジービー (GEE BEE)」です。
「ジービー」の記事。89ページ。画像を大きくするため、記事を三分割して個別の画像としてある。
「隠れたる名器」「ナムコの名器」とべた褒めですが、記事の内容はゲームのルールの解説のみです。その解説も専門用語(カタカナ語)が多く、知っている人にしか伝わらないんじゃなかろうかと心配になります。
しかし、このゲームを特集に取り上げる意味はそこ(攻略法)じゃないだろうと思います。例えば、殆ど同じルールのブロック崩しばかりだったパドル&ボールゲームに新たな可能性を示したゲームであるからこその「名器」というまとめ方だってありそうなものです。まあ、一般誌にそこまで求めるのは酷なんでしょうか。
◆スーパー・スピードレース・ファイブ (TAITO, 1978)
◆スパークリング・コーナー (SEGA, 1976)
◆ザ・ドライバー (関西精機, 1979)
最後は「ドライブゲーム」にまとめられた三つの機種です。
ドライブゲームの記事。97ページ。
「スーパー・スピード・レース・ファイブ (SUPER SPEED RACE V)」は、コックピット筐体の「スーパー・スピードレース」が行っていたハイスコア表示を上位5位まで表示できるようにしていました。他社の競合機種として、セガは「モナコ・グランプリ(1979)」を、ユニバーサルは「ゲッタウェイDX(1979)」を発売していますが、この記事が発表される時期には間に合っていなかったようです。
そのセガからは、4人同時に遊べるドライブゲーム、「スパークリング・コーナー (SPARKLING CORNER)」が紹介されています。ワタシは遊んだことはありませんが、新宿歌舞伎町などで見てはいます。多人数同時プレイのドライブゲームは過去にもありましたが、このあまりにも特異な筐体はさすがセガだと思います。この記事の画像だけではあまりにも惜しいので、フライヤーの筐体画像も追加しておこうと思います。
スパークリング・コーナーの筐体(フライヤーより)。たった一つの26インチモニターがバックボードの左側にオフセット配置されており、席によって見え具合が異なる。コーナリングという設定だからこそのアイディア。
今回の最後は、関西精機の「ザ・ドライバー (THE DRIVER)」です。エレメカの雄である関西精機が1979年春にリリースしたものなので、ひょっとするとこのポパイに掲載されているゲーム機の中では最も新しいものかもしれません。
ザ・ドライバーは、車載カメラで撮影した実写映像をスクリーンに投影し、前方を走る赤い車を追うように操作するというエレメカ機で、IC基板から映像を出力するゲームとは構造が根本的に異なりますが、ポパイではそこまでの突っ込みはないどころか、実写映像を使用したものとの記述もありません。実は、「ザ・ドライバー」の映像は、映画会社の東映に依頼して撮影されたもので、ロケ地は比叡山中腹の比叡平だったのですが、そんなことは「シティボーイ」には興味の対象外だったのでしょうか。
(次回「フリッパー・ピンボール」につづく)
◆「フットボール (ATARI, 1978)」
全39ページからなる大特集記事「POPEYE GAME BOOK」の第1面を飾ったのは、「アメリカン・フットボール」をシミュレートしたATARIの「フットボール (FOOTBALL)」でした。
フットボールの記事。63ページ。男女のファッションがいかにも当時のシティボーイ風。
全米が熱狂する一大人気スポーツであるアメリカン・フットボールは、三菱自動車が米国のカレッジフットボールの公式戦を「ミラージュボウル」というカンムリ興業にして日本に誘致するなど、1970年代から80年代にかけて日本でも流行らせようというムーブメントがありましたが、ルールが難しくて理解されなかったからか、あるいは体格が貧弱な日本人にはなかなかスターが現れなかったからか、メジャー競技に発展することはありませんでした。
とは言え、1979年は日本にとってアメリカン・フットボールが最も「旬」だった時期でもあり、特集記事の一番にこのゲームを持ってくるのはやはりポパイだなあという気もします。記事中では、「今このマシンがあるのは東京・六本木の<ヘンリー・アフリカ>だけ」と述べられていますが、過去記事「【小ネタ】トラックボールを使ったビデオゲーム二題」でも触れている通り、この後日本でも広く普及しました。
◆スペース・インベーダー (TAITO, 1978)
◆スペース・ウォーズ (CINEMATRONICS, 1977)
次に掲載されているビデオゲームは、TAITOの「スペースインベーダー」と、シネマトロニクスの「スペース・ウォーズ」です。
「スペースインベーダー」と「スペース・ウォーズ」の記事。79ページ。
ポパイのこの号が発売されていたころは、インベーダーブームの真っ最中でしたが、そのわりに扱いが小さいです。「スペースインベーダーはスター・ウォーズから発想された」「スター・ウォーズが先生」などと書かれていますが、スペース・インベーダーのアイディアの原案がスター・ウォーズに由来しているというわけではなく、敵キャラをインベーダーとする着想に、スター・ウォーズに代表される当時のSFブームが影響したというだけの話であり、無理やりにでも今の米国の流行りと結び付けようとしているところがやはりポパイだなあという気もします(2回目)。ただし、プレイヤーが攻撃されるという概念が新機軸であったところに触れているのは正しく、ひょっとすると中藤保則氏(関連記事:ポパイ@1979年(1):AMゲームは「カッコいい」ものだった(らしい)」のアドバイスがあったのではないかと思われます。
このコーナーはあまり書くネタが無かったと見えて、埋め草なのか、シネマトロニクス社の「スペース・ウォーズ」(関連記事:それはポンから始まったのだけれども(1) 業務用ビデオゲームの黎明期の記憶)の筐体画像も掲載されていますが、たった一言「人気今ひとつ」とキャプションが付いているだけで、なかなかひどい扱いにちょっとジワります。確かに、あまり遊んでいる人を見ないゲームではありましたが。
◆ジービー (namco, 1978)
次は89ページに掲載されているnamco初のビデオゲームである「ジービー (GEE BEE)」です。
「ジービー」の記事。89ページ。画像を大きくするため、記事を三分割して個別の画像としてある。
「隠れたる名器」「ナムコの名器」とべた褒めですが、記事の内容はゲームのルールの解説のみです。その解説も専門用語(カタカナ語)が多く、知っている人にしか伝わらないんじゃなかろうかと心配になります。
しかし、このゲームを特集に取り上げる意味はそこ(攻略法)じゃないだろうと思います。例えば、殆ど同じルールのブロック崩しばかりだったパドル&ボールゲームに新たな可能性を示したゲームであるからこその「名器」というまとめ方だってありそうなものです。まあ、一般誌にそこまで求めるのは酷なんでしょうか。
◆スーパー・スピードレース・ファイブ (TAITO, 1978)
◆スパークリング・コーナー (SEGA, 1976)
◆ザ・ドライバー (関西精機, 1979)
最後は「ドライブゲーム」にまとめられた三つの機種です。
ドライブゲームの記事。97ページ。
「スーパー・スピード・レース・ファイブ (SUPER SPEED RACE V)」は、コックピット筐体の「スーパー・スピードレース」が行っていたハイスコア表示を上位5位まで表示できるようにしていました。他社の競合機種として、セガは「モナコ・グランプリ(1979)」を、ユニバーサルは「ゲッタウェイDX(1979)」を発売していますが、この記事が発表される時期には間に合っていなかったようです。
そのセガからは、4人同時に遊べるドライブゲーム、「スパークリング・コーナー (SPARKLING CORNER)」が紹介されています。ワタシは遊んだことはありませんが、新宿歌舞伎町などで見てはいます。多人数同時プレイのドライブゲームは過去にもありましたが、このあまりにも特異な筐体はさすがセガだと思います。この記事の画像だけではあまりにも惜しいので、フライヤーの筐体画像も追加しておこうと思います。
スパークリング・コーナーの筐体(フライヤーより)。たった一つの26インチモニターがバックボードの左側にオフセット配置されており、席によって見え具合が異なる。コーナリングという設定だからこそのアイディア。
今回の最後は、関西精機の「ザ・ドライバー (THE DRIVER)」です。エレメカの雄である関西精機が1979年春にリリースしたものなので、ひょっとするとこのポパイに掲載されているゲーム機の中では最も新しいものかもしれません。
ザ・ドライバーは、車載カメラで撮影した実写映像をスクリーンに投影し、前方を走る赤い車を追うように操作するというエレメカ機で、IC基板から映像を出力するゲームとは構造が根本的に異なりますが、ポパイではそこまでの突っ込みはないどころか、実写映像を使用したものとの記述もありません。実は、「ザ・ドライバー」の映像は、映画会社の東映に依頼して撮影されたもので、ロケ地は比叡山中腹の比叡平だったのですが、そんなことは「シティボーイ」には興味の対象外だったのでしょうか。
(次回「フリッパー・ピンボール」につづく)
「SPARKLING CORNER」は、私も見たことも経験した事もありません。しかし当時だと技術的に26インチモニターって画期的だと思います。
「THE DRIVER」は、私がバイトをしていたゲームセンターでも良く稼働していました。ただ映写投影用のクリプトンランプが大変よく球切れを起しやすく、球が切れると単なる、効果音のみのトーキーBOX化としていました(懐かしい想い出です 爆)
「THE DRIVER」はどこでも見かけましたが、実はそんなトラブルが頻発していたのですね。
1976/4/11のセガ新作発表会で披露されたらしいですが、ポパイの掲載時期から考えても<、もっと後に発売されたのかもしれませんね。
よくわからないけど凄そうな雰囲気を出している所はセガらしいです。
「ゲームマシン・アーカイブ」を調べてみたところ、76年6月1日号の第一面のセガの新作披露会の記事中に、確かに「スパークリング・コーナー」の名前がありました(東京での開催は5月11日だったようです)。
これに先立つ同年5月1日号では、13面「話題のマシン」でいち早く製品紹介が行われており、そこには「大型カラーTV (二十六インチ)」と記されていました。
また、同年7月15日号7面掲載のセガの広告と、10月15日号掲載のAMショウ出展内容にも「スパークリング・コーナー」が含まれており、どうやら本当に76年に発売されていたようです。
ゲームマシン・アーカイブは本当にありがたい貴重な資料です。
ありがとうございました。