468 花のなか目にあくやとてわけゆけば 心ぞともに散りぬべらなる
「はをはじめ、るをはてにて、ながめをかけて時の歌よめ」と人のいひければ、よみける
僧正聖宝
見てるうちの飽きるだろうと思って、花の中に入っていったのですが、(あまりの見事さに)心がおどってしまいました。
巻第十物名の最後に採録されている歌で、題詞に注目。
春の「ハ」と「ル」を、それぞれ、最初と最後に使い、なおかつ、眺め「ナガメ」、を途中に入れた歌、と出題された。
僧正聖宝:832~909、真言宗の高僧
真言密教を究めるために努力・精進している、深窓の僧侶であっても、世俗の支配階級の人々とのつきあいは欠かせなかった、のだろうと想像します。「こんなくだらぬ、遊びなんてやってられるか!」と、心中でつぶやいたのではないでしょうか。
でも、インテリジェンスを試されているわけですから、まともな歌を作らねばなりません。
結果、面目をつぶさず、さぞやほっとしたことでしょう。
もうすこし俯瞰の位置を高くして考えてみると、このような、一見くだらぬ「言葉遊び」が、実は、日本語の深みを増してきたのかもしれません。
「はをはじめ、るをはてにて、ながめをかけて時の歌よめ」と人のいひければ、よみける
僧正聖宝
見てるうちの飽きるだろうと思って、花の中に入っていったのですが、(あまりの見事さに)心がおどってしまいました。
巻第十物名の最後に採録されている歌で、題詞に注目。
春の「ハ」と「ル」を、それぞれ、最初と最後に使い、なおかつ、眺め「ナガメ」、を途中に入れた歌、と出題された。
僧正聖宝:832~909、真言宗の高僧
真言密教を究めるために努力・精進している、深窓の僧侶であっても、世俗の支配階級の人々とのつきあいは欠かせなかった、のだろうと想像します。「こんなくだらぬ、遊びなんてやってられるか!」と、心中でつぶやいたのではないでしょうか。
でも、インテリジェンスを試されているわけですから、まともな歌を作らねばなりません。
結果、面目をつぶさず、さぞやほっとしたことでしょう。
もうすこし俯瞰の位置を高くして考えてみると、このような、一見くだらぬ「言葉遊び」が、実は、日本語の深みを増してきたのかもしれません。