束脩(述而第七の7)
ソクシュウ
① 束ねた干し肉
② 教えていただく先生に会うとき、持参する進物
③ =束修(約束修整)=品行をつつしむこと
ここでは、②の意味で使われているのだが、納得できない。なぜか?
束脩をもってきたからには、私は教えなかったことはない(自行束脩以上、吾未嘗無誨焉)と言っているからだ。
学びたい、と思う心の強さを、束脩を持ってくることで、計るのだろう。
孔子といえども、しょせん、そんなものなのだろうか。
凡人ではなく、かの孔子様なのだから、何も持ってこなくても、学びたい心を強く持っている人には、貧富の差をつけず、教えてほしい。逆に、大金を持ってきても、学ぶ心がない人は、追い返してほしい。
独断偏見解釈だが、がっかりさせる文章だ。間違っているか?
ソクシュウ
① 束ねた干し肉
② 教えていただく先生に会うとき、持参する進物
③ =束修(約束修整)=品行をつつしむこと
ここでは、②の意味で使われているのだが、納得できない。なぜか?
束脩をもってきたからには、私は教えなかったことはない(自行束脩以上、吾未嘗無誨焉)と言っているからだ。
学びたい、と思う心の強さを、束脩を持ってくることで、計るのだろう。
孔子といえども、しょせん、そんなものなのだろうか。
凡人ではなく、かの孔子様なのだから、何も持ってこなくても、学びたい心を強く持っている人には、貧富の差をつけず、教えてほしい。逆に、大金を持ってきても、学ぶ心がない人は、追い返してほしい。
独断偏見解釈だが、がっかりさせる文章だ。間違っているか?