旅限無(りょげむ)

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続・史上最悪の大統領 其の弐

2008-11-12 11:18:18 | 外交・情勢(アメリカ)
ブッシュ政権が04年以降、国際テロ組織アルカイダ掃討のため、イラクやアフガニスタンなどの交戦国以外でも、米軍特殊部隊や中央情報局(CIA)による機密作戦を許可していたことが分かった。作戦は十数回にわたって実行され、先月のシリアへの越境攻撃も含まれる。10日付の米ニューヨーク・タイムズ紙が、政権高官らの話として報じた。

■本来なら、こうした陰の部分はもっと時間が経過してから「真相」が明らかになるものですが、不人気も極みの状態で政権が末期になると、早々と自白して身奇麗になって逃げ出そうとする者が続出するのでしょう。


……この作戦は04年春、ブッシュ大統領の承認を得た上で、ラムズフェルド前国防長官が許可。シリア、パキスタンや湾岸諸国など、アルカイダが活動しているとみられる15~20カ国が対象となった。イスラム原理主義勢力が首都モガディシオを制圧したソマリアには、エチオピア軍の軍事介入直後の06年後半、米軍の特殊部隊が繰り返し展開。ケニアとタンザニアで起きた米大使館爆破事件(98年)の犯人とみられるメンバーの拘束を目指したという。また05年には、アルカイダ副官のザワヒリ容疑者拘束のため、パキスタンの部族地域での作戦を計画。この際はCIAと国防総省との間で対立があり、最終的に前国防長官が許可しなかった。
毎日新聞 2008年11月11日

■軍と諜報機関の対立は毎度のことで、見識不足の大統領が指揮を執ると互いにサボタージュしたり、ウソ情報を流したり、自滅的な足の引っ張り合いをするのも有名な話です。もう懐かしい響きになったラムズフェルドの名前が飛び出して来ると、正に隔世の感がありますなあ。行け行けドンドンだったネオコン時代が懐かしい、と当時の側近が雪崩を打って逃げ去った後に残されたブッシュ大統領は涙ぐんでいるのかも?

■パキスタンは原爆を持っていようとタリバンが逃げ込んでいようと、同盟国として特別待遇することになっていましたから、主権侵害を承知で特殊作戦を行うわけには行かなかったのでしょうが、最近は形振り構わずアフガニスタン側からの越境攻撃が盛んになっているというのも皮肉な話で、政権移譲の前に事を急いでいる連中がいるのなら、何とも恐ろしい話ですなあ。金融危機への対処も重要ですが、手を広げ過ぎてしまった「対テロ戦争」の後始末は無理としても、これ以上の失敗を重ねないようにブレーキを踏んでおいてくれないと困ります。


国際テロ組織アルカイダの指導者オサマ・ビンラディン容疑者の19人いる実子の1人であるオマル・ビンラディン氏(27)が最近、スペインやエジプトから相次いで入国を拒否された末、ようやくカタールにたどり着くというたらい回しの憂き目に遭った。

■日本の妊婦さん達みたいな話ですが、こちらは物騒な亡命問題です。元々、ブッシュ一家とビンラディン一家はとても仲が良い商売仲間だったのは有名な話で、石油商売と建設業で互いに大儲けしていたとか……。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉もありますが、父親がテロの親玉だからと言って息子を責めるのは筋違いなのは、ブッシュ大統領や前期政権の側近たちが大失敗したからと言って、その家族が責めを負う必要がないのと同じです。ブッシュ政権が推奨したビジネス・モデルを踏襲して巨万の富を得た上にタイ国の首相になったタクシンさんも、亡命先を探して放浪しているそうですなあ。亡命騒ぎは起きなくても、ブッシュ一家もホワイトハウスを出ても、何処からもお呼びが掛からぬ寂しい前大統領として手持ち無沙汰な漂流をすることになるかも?


オマル氏は近年、英国人の妻ゼイナさん(52)と出会って結婚し、エジプトに滞在していた。父ビンラディン容疑者を批判し「平和主義」を唱える同氏は今月3日、自らが暗殺の危険にさらされているとして、スペインのマドリード空港で亡命を申請。しかし、スペイン当局は「オマル氏に危険はない」と判断し申請を却下した。
 夫妻はカイロへ戻ったが、今度はエジプト当局が入国を拒否。夫妻は9日にカタールへ飛び、受け入れられた。 
11月11日 時事通信

■27歳にして52歳の英国女性と結婚とは、英国のゴシップ新聞が大喜びしそうな話であります。故人となったダイアナ妃とアルファイド氏の思い出と重なるようなロマンスで、たくさんの暗殺説が流れたのも不思議な共通点になるかも知れません。ビンラディンの息子を暗殺するように指示しているのは父親なのでしょうか?家族の中で骨肉相食むようになるのは末期症状ですなあ。まるで最近の米国共和党みたいに……。
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続・史上最悪の大統領 其の壱

2008-11-12 11:17:48 | 外交・情勢(アメリカ)
■1ヶ月前に、『史上最悪の大統領』シリーズを書きましたが、このタイトルを思い付いた時には若干の躊躇がありました。それに加えてオバマ大統領が誕生するというアメリカ史上空前の快挙?を目の当たりにしてしまったので、もしも、ブッシュ息子大統領が8年間も訳の分からない能天気な政治を続けていなかったら?と考えると、オバマ大統領の出現は有り得ない話だったはずだと誰もが考えたはずです。従って、ブッシュ息子大統領は、否、親子二代に亘ってブッシュ家の大統領が祖国アメリカのために大変な貢献をしたという逆説的な結論を引き出すことも理論的には可能でしょう。

米CNNテレビは10日、ブッシュ大統領の不支持率が過去最悪の76%を記録したとする最新世論調査(6~9日実施)結果を報じた。同テレビとギャラップ社の調査で、戦後の不支持記録は、トルーマン大統領(1952年)の67%、ウォーターゲート事件後のニクソン大統領(74年)の66%だったが、ブッシュ大統領はこれらを約10ポイントも上回った。調査では、「米国はうまくいっていない」と考える人も過去最悪の83%を記録。政権末期の悲観的な世論を映し出した。
11月11日 読売新聞

■ブッシュ息子大統領が初当選した時、ゴア候補の当選確実がマスコミに流れた後で、パンチ・カード式の投票用紙の「穴」が不鮮明だなどというIT時代には起こるはずのない奇怪な騒動が起こりました。それもブッシュ一家の縄張りだったフロリダ州で!疑惑の投票用紙を手作業で確認するわ、その判定結果が裁判沙汰になるわ、その裁判を担当したのがブッシュ父のお仲間だったとマイケル・ムーアの『華氏911』では大いに茶化された前代未聞の大統領選挙でした。

■ニューヨークが同時多発テロに襲われ、何が何だか分からないままテロ事件とは何の関係も無いイラク攻撃が始まると、ブッシュ大統領の支持率は天井知らず勢いで急上昇!あの時に熱狂的な支持を表明した人達が、今頃になって「不支持」に回るというのですから、こういう単細胞な戦争好き国家には付き合い切れませんなあ。それにしても、あのニクソン大統領よりも嫌われているというのは只事ではありません。熱気を帯びた大統領選挙の最中でも共和党候補の応援にも出向けない立場に追い詰められていたブッシュ大統領でしたが、金融危機が起こってしまったので第一期の頃みたいに休暇ばかり取って自分の牧場で遊んでいる訳にも行かず、自ら撒いたタネから生まれた化け物じみた強欲投資銀行が仕出かした不始末を何とかしなければならず、それでも「自分が間違っていた」とは言えないのがアメリカ大統領という職務のようです。


オバマ次期米大統領は10日、大統領選後初めてホワイトハウスを訪問し、ブッシュ大統領と大統領執務室で1時間以上にわたり1対1で会談した。オバマ氏は選挙期間中、ブッシュ大統領の政策を激しく攻撃してきたが、この日の会談では過去の“遺恨”を乗り越え、内外に山積する懸案の引き継ぎに専念したと見られる。米メディアによると、次期大統領が当選6日後という早い時期にホワイトハウスを訪れるのは異例。

■ブッシュ大統領夫妻も日本人に比べれば大柄なのですが、オバマ夫妻はもっと大柄で、仲良く並んでの写真撮影の図はなかなかに象徴的でしたなあ。マケイン候補がダブル・スコアで敗北したのはアラスカの女性知事が無知だったのも一つの原因でしょうが、何よりもブッシュ政権が採った経済政策と対外戦略との矛盾によって世界中がメチャクチャになってしまった事で、単純で素朴で頑固な共和党支持者たちでさえ「変えねばならぬ!」と腹を括ったのが真の敗因でしょう。そのアメリカの失敗を体現してオバマ新大統領を迎えるのですから、情ないやら恥ずかしいやら、ブッシュ大統領の心中は世界で最も孤独な敗残者の気分だったでしょう。泣き出さないように神様に祈っていたのかも知れませんなあ。

■最初の握手をした時に、オバマ新大統領の左手がブッシュ大統領の肩に触れ、写真撮影の後も新大統領の左腕が現大統領の背中に回されて、消沈している友人を慰めているような具合になっていましたなあ。


オバマ氏が大統領執務室に足を踏み入れるのは初めて。オバマ氏の政権移行チームの報道担当者は、会談は「生産的で友好的だった」とし、2人が、米国が金融危機やイラク戦争などの「経済上、安全保障上の課題」に直面しているのをにらみ、政権移行期に一致協力することの重要性などについて話し合ったことを明らかにした。
2008年11月11日 読売新聞

■既に勝負は決しているのですから、ねちねちと失政を詰(なじ)って傷口に塩や辛子を塗り込むような事は言わなかったのでしょうが、経済政策の内政も世界戦略の対外政策も揃って大失敗なのですから、すべてを御破算にされても何の文句も言えないブッシュ息子大統領だったのでしょう。これが切っ掛けになって、またまたアルコール中毒に逆戻りなどせぬように、元気を出してと慰められたのかも?