旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

欲しいけど要らないノーベル平和賞 其の壱拾壱

2008-11-04 02:52:59 | チベットもの
■ダライ・ラマ法王のノーべル賞授賞記念スピーチの続きです。今、読み返しますと20年もの間、北京政府はまったく変わっていない事がよく分かります。でも、チャイナの経済は(中身と実質はともかく)大きく躍進し、それ故に業突く張りのIOCも五輪大会の開催に踏み切ったのでしょうなあ。

先週も、公開裁判の場で幾人かのチベット人に最高19年の懲役が宣告されました。これは恐らく、本日の授賞式を控え人々を威嚇しておく意図のものでしょう。彼らの「罪状」は、愛する祖国の独立回復に対するチベット人共通の願望を表明した、ただそれだけのことなのです。過去40年間にわたる占領期間中、我が国民が強いられた苦痛は、よく文書に記録されています。それは長い闘争の歴史です。私たちの主張が正しいものであることをよく認識しています。暴力はなお一層の暴力と苦痛を生みだすだけですから、私たちの闘争は非暴力に徹し憎悪から離れたものでなければなりません。我が国民の苦しみに終止符を打ち、他の民族にも苦しみを与えることがないよう私たちは努力しているのです。

■今でも「不当逮捕」が行われても、それに対して抗議するのはもっと多くの逮捕者を出すだけですから、ぐっと我慢していなければなりません。危険を犯して情報を外国に流そうと努力する人も居ますが、通信手段やネットワークを持っているチベット人は極僅かです。その証拠に五輪大会前に始まった騒乱の後、現在に到るまで事件の真相はまったく明らかにはなっていませんし、今も続く厳戒体制の実情も不明なままであります。

■北京五輪の開会式で、可愛い少女に口パクをやらせたのと同じ流儀で、「56民族の融和」を表現する出し物には各種の民族衣装を着た北京市在住の漢族の少年少女を仕込んで歩かせたのは、永久保存版の映像として残ります。中華○千年の歴史絵巻を展開した開会式でしたが、勿論、チベットの60年間などは真っ先に削除されたのでしょうし、縦横斜めに格差と差別で引き裂かれているチャイナの現状もきっちりと封印されておりました。「非暴力に徹し憎悪から離れた」闘争というのは実に難しいもので、多くの人命が奪われ無数の寺院が破壊され、数知れない御本尊や宝物が略奪して行った者に対しても「苦しみを与えることなく」闘争するのはもっと難しいことです。


私が多くの機会を捉え、チベット・中国間の交渉を提案してきたのもそれを念頭においてのことです。1987年、チベットにおける平和と人権を回復するための五項目プランの中で具体的な提案をしました。その中には、全チベット高原を、人と自然が平和で調和を保ちながら共存できる平和と非暴力の聖域「アヒンサー地域」とすることも含まれています。……

■仏教国であるはずの日本で、「アヒンサー地域」構想が注目されなかったのは不思議な話でした。でも、今年、長野市で行われた聖火リレーの時に長い伝統を持つ善光寺内部で起こった僧侶間の対立を知れば、日本の仏教が精気と国際感覚を失っていることが分かります。因みに「アヒンサー」は仏教の「不殺生戒」の元となったヒンドゥーの教えにもある輪廻転生を引き起こす悪い「業」を積まないように生きることを意味します。では殺さなければよいのか?などという愚かな冗談を言う者のためには念のために「非暴力」と訳す場合もありますなあ。要は心と動機の問題で、残虐で残酷なことを思うこと自体を否定する教えであります。まあ、生活のために魚介類や動物の命を奪わざるを得ない人々はどうすればよいのだ?という重大な問題が残されるのですが……。

■仏教国でもなく、かつてはインドを宗主国として植民地にしていた英国には「アヒンサー」が根付いているというのも不思議で皮肉な話で、昨年の10月8日に英国のロンドンでのことです。その日の夜、英国下院で盛大な式典が執り行われたのでした。「チベットの精神的・政治的指導者ダライ・ラマ法王」と「南アフリカ共和国前大統領ネルソン・マンデラ氏」に、第一回アヒンサー賞を贈るセレモニーだったのですなあ。大英帝国の栄光に隠された大いなる罪業を、少しでも減らせる効果があったかも知れませんぞ。この賞を授与したのはロンドンに拠点を置くジャイナ研究所 (IOJ)という組織だったそうです。

■ネルソン・マンデラ氏は、大英帝国の遺産とも言えるアパルトヘイト政策に反対してちょっと激しい抵抗運動を行って投獄された人であり、釈放後には大統領になった人であります。不思議な事に、1992年10月5日にチャイナの北京大学が名誉博士号を授与しているのですなあ。その翌年12月10日にノーベル平和賞を受賞していますから、順番が逆だったら名誉博士号は与えなかったのでしょうか?でも、ノーベル平和賞を受けたという理由で名誉博士号を剥奪したという話は聞きませんから、どうやら北京政府はノーベル平和賞自体が嫌いではないようです。しばらく?の間は北京政府の要人で授賞の候補者になる人は出ないから逆恨みして嫌って見せている可能性はありますが……。

-------------------------------------------
■こちらのブログもよろしく
雲来末・風来末(うんらいまつふうらいまつ) テツガク的旅行記
五劫の切れ端(ごこうのきれはし)仏教の支流と源流のつまみ食い

チベット語になった『坊っちゃん』―中国・青海省 草原に播かれた日本語の種

山と溪谷社

このアイテムの詳細を見る

------------------------------------------

歴史は繰り返す? 其の壱

2008-11-04 02:11:19 | 歴史
■麻生総理は日本経済の現状を「全治3年」と診断していたのは総裁選前のことだったはずで、それが素人の誤診だったのか、名医の正しい判断だったのか?日経平均株価は10月27日にバブル経済崩壊後の安値7603円(2003年4月28日)を割り込み、翌28日には一時7000円を下回るという歴史的な事件が起きまして、各種雑誌には「全治5年」やら「10年間の不況」やら、麻生診断とは違う意見が提出されているようです。その後、日本の外を意識して世界経済の惨状を「100年に1度の暴風雨」と表現した麻生総理は、国内向けの緊急経済対策を発表しまして、「赤字国債は出さない」と断言した上で「3年後に消費税を引き上げる」と付け加えたところを見ると、最初の見立ては正しかったと今でも考えているようであります。

■解散総選挙の方も、某新聞社の勇み足報道から10月だの11月だのと、候補者にとっては気が気でない憶測記事が次々と現われましたが、麻生総理は「解散のカの字も言った覚えはない!」と発言し、自民党幹部の誰かさんは狼少年扱いされて権威が失墜したそうな……。とは言っても公明党のエライ人から「誰のお蔭で総理になれたと思っているんだ?」と鍛え抜かれた声で怒鳴りつけられれば、このまま解散を先へ先へと延期するわけにも行かないのでしょうなあ。

■解散するために総理総裁が交代したはずなのですが、自民党が極秘に行った当落シミュレーション調査の結果が悪過ぎたので、先手必勝作戦は棚上げして、柳生新陰流の極意とも言われる「負けないコツは戦わないこと」戦法に切り替えたという説が実しやかに流されておりますなあ。


麻生太郎首相はさきに打ち出した追加経済対策の具体化と並行し、11月15日のワシントンでの金融危機に対する緊急首脳会議に出席するなど、年末に向け「麻生外交」を積極果敢に展開する。「経済」とともに得意と自任する分野で自らの指導力を内外にアピールすることで得点を積み上げ、当面先送りした衆院解散・総選挙に打って出る環境を整えていく思惑のようだ。与党幹部は首相の最近の姿勢をこう評してみせた。「『日本の総理』ではなく、『世界の総理』を目指しているようだな」……

■前のホイホイ首相も「外交の福田」を自認していましたが、北京五輪と洞爺湖サミットに関連する「記念写真」ぐらいしか残せなかったのでした。「拉致問題は自分の政権で解決」とも言っていましたし、環境問題でも「日本がリーダーシップを取る」などという恐れを知らない発言もありましたが、誰も覚えていないのでしょうなあ。どうも日本の政治家たちは、族議員の習性がこびり付いてしまうようで、財務省の役人に取り込まれると「財政通」を自称し、外務省に取り込まれると「外交の○○」を看板にしてしまうような傾向が有るようです。役人の言葉を信じ、政策作りの頼みの綱にしたばかりに「失われた10年」になってしまったという反省は何処にも無いようです。


……首相がまず自身をプレーアップする舞台に据えているのが、20カ国・地域(G20)首脳による金融サミットだ。首相は10月30日の記者会見で、米国を震源地とする国際金融危機を「100年に1度の暴風雨」とし、サミットで金融機関に対する監督、規制に関する国際協調の新たな枠組みなどを提唱する考えを表明した。中川昭一財務・金融担当相は31日……サミットで打ち出す首相の提案を「麻生イニシアチブ」と命名し、「(日本には)人材も経験も資金もある。世界での役割を果たすことができる会議と思って準備をしている」と強調してみせた。……

■ちょっと前まで、金融危機を克服するには「経験のある日本」が主導して処方箋を書くべきだ!という威勢の良い話も出ていたのは確かで、中川大臣が「人材・経験・資金」と鬼に金棒みたいな発言をするのも同じ流れに乗ったものなのでしょう。しかし、本当に人材が居るのでしょうか?バブル崩壊後に大失敗を重ねたのは事実ですが、それが世界の首脳たちが傾聴する価値のある「経験」談になるのでしょうか?そして、1400兆円とも言われる世界一の貯蓄財産が存在する日本ではあっても、今回の「暴風雨」でどれほど毀損しているのやら分かったものではありません。

■「人材」を探すにしても、少なくとも日本銀行や財務省の中には見当たらないようですから、何処から見つけ出す心算なのでしょうなあ。


サミットの中核をなす主要8カ国(G8)の議長国としての自負もあるが、自民党閣僚経験者は「首相はむしろ背水の陣でサミットに臨む気構えだ。ここで日本の指導力や存在感を示せるか否かで、解散戦略も左右される」と指摘する。……金融安定で国際社会をリードしたい首相はなおも、「成田サミット」の年内開催を模索している。

■「サミット議長国」の総理がコロコロ変わっていては、重要度が高くなればなるほど本格的な国際会議の座長役は回って来ないでしょうなあ。確かに「成田サミット」というアイデアは近年稀に見る傑作でした。無駄な儀式は省いて、続々と到着するメンバーが相手を替えながら2国間交渉を行い、面子が揃ったらてきぱきと話をまとめて決定事項の発表が終わったら一斉に帰国!その姿が世界中に流されれば、どれほど力強いメッセージになったことでしょう?でも、一度潰されたアイデアを実現しても、何だか二番煎じみたいで新鮮味に欠けるでしょうし、「選挙はいつだ?」などと出鼻を挫かれて面子が丸潰れになる危険もありそうですなあ。