■ダライ・ラマ法王のノーべル賞授賞記念スピーチの続きです。今、読み返しますと20年もの間、北京政府はまったく変わっていない事がよく分かります。でも、チャイナの経済は(中身と実質はともかく)大きく躍進し、それ故に業突く張りのIOCも五輪大会の開催に踏み切ったのでしょうなあ。
先週も、公開裁判の場で幾人かのチベット人に最高19年の懲役が宣告されました。これは恐らく、本日の授賞式を控え人々を威嚇しておく意図のものでしょう。彼らの「罪状」は、愛する祖国の独立回復に対するチベット人共通の願望を表明した、ただそれだけのことなのです。過去40年間にわたる占領期間中、我が国民が強いられた苦痛は、よく文書に記録されています。それは長い闘争の歴史です。私たちの主張が正しいものであることをよく認識しています。暴力はなお一層の暴力と苦痛を生みだすだけですから、私たちの闘争は非暴力に徹し憎悪から離れたものでなければなりません。我が国民の苦しみに終止符を打ち、他の民族にも苦しみを与えることがないよう私たちは努力しているのです。
■今でも「不当逮捕」が行われても、それに対して抗議するのはもっと多くの逮捕者を出すだけですから、ぐっと我慢していなければなりません。危険を犯して情報を外国に流そうと努力する人も居ますが、通信手段やネットワークを持っているチベット人は極僅かです。その証拠に五輪大会前に始まった騒乱の後、現在に到るまで事件の真相はまったく明らかにはなっていませんし、今も続く厳戒体制の実情も不明なままであります。
■北京五輪の開会式で、可愛い少女に口パクをやらせたのと同じ流儀で、「56民族の融和」を表現する出し物には各種の民族衣装を着た北京市在住の漢族の少年少女を仕込んで歩かせたのは、永久保存版の映像として残ります。中華○千年の歴史絵巻を展開した開会式でしたが、勿論、チベットの60年間などは真っ先に削除されたのでしょうし、縦横斜めに格差と差別で引き裂かれているチャイナの現状もきっちりと封印されておりました。「非暴力に徹し憎悪から離れた」闘争というのは実に難しいもので、多くの人命が奪われ無数の寺院が破壊され、数知れない御本尊や宝物が略奪して行った者に対しても「苦しみを与えることなく」闘争するのはもっと難しいことです。
私が多くの機会を捉え、チベット・中国間の交渉を提案してきたのもそれを念頭においてのことです。1987年、チベットにおける平和と人権を回復するための五項目プランの中で具体的な提案をしました。その中には、全チベット高原を、人と自然が平和で調和を保ちながら共存できる平和と非暴力の聖域「アヒンサー地域」とすることも含まれています。……
■仏教国であるはずの日本で、「アヒンサー地域」構想が注目されなかったのは不思議な話でした。でも、今年、長野市で行われた聖火リレーの時に長い伝統を持つ善光寺内部で起こった僧侶間の対立を知れば、日本の仏教が精気と国際感覚を失っていることが分かります。因みに「アヒンサー」は仏教の「不殺生戒」の元となったヒンドゥーの教えにもある輪廻転生を引き起こす悪い「業」を積まないように生きることを意味します。では殺さなければよいのか?などという愚かな冗談を言う者のためには念のために「非暴力」と訳す場合もありますなあ。要は心と動機の問題で、残虐で残酷なことを思うこと自体を否定する教えであります。まあ、生活のために魚介類や動物の命を奪わざるを得ない人々はどうすればよいのだ?という重大な問題が残されるのですが……。
■仏教国でもなく、かつてはインドを宗主国として植民地にしていた英国には「アヒンサー」が根付いているというのも不思議で皮肉な話で、昨年の10月8日に英国のロンドンでのことです。その日の夜、英国下院で盛大な式典が執り行われたのでした。「チベットの精神的・政治的指導者ダライ・ラマ法王」と「南アフリカ共和国前大統領ネルソン・マンデラ氏」に、第一回アヒンサー賞を贈るセレモニーだったのですなあ。大英帝国の栄光に隠された大いなる罪業を、少しでも減らせる効果があったかも知れませんぞ。この賞を授与したのはロンドンに拠点を置くジャイナ研究所 (IOJ)という組織だったそうです。
■ネルソン・マンデラ氏は、大英帝国の遺産とも言えるアパルトヘイト政策に反対してちょっと激しい抵抗運動を行って投獄された人であり、釈放後には大統領になった人であります。不思議な事に、1992年10月5日にチャイナの北京大学が名誉博士号を授与しているのですなあ。その翌年12月10日にノーベル平和賞を受賞していますから、順番が逆だったら名誉博士号は与えなかったのでしょうか?でも、ノーベル平和賞を受けたという理由で名誉博士号を剥奪したという話は聞きませんから、どうやら北京政府はノーベル平和賞自体が嫌いではないようです。しばらく?の間は北京政府の要人で授賞の候補者になる人は出ないから逆恨みして嫌って見せている可能性はありますが……。
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先週も、公開裁判の場で幾人かのチベット人に最高19年の懲役が宣告されました。これは恐らく、本日の授賞式を控え人々を威嚇しておく意図のものでしょう。彼らの「罪状」は、愛する祖国の独立回復に対するチベット人共通の願望を表明した、ただそれだけのことなのです。過去40年間にわたる占領期間中、我が国民が強いられた苦痛は、よく文書に記録されています。それは長い闘争の歴史です。私たちの主張が正しいものであることをよく認識しています。暴力はなお一層の暴力と苦痛を生みだすだけですから、私たちの闘争は非暴力に徹し憎悪から離れたものでなければなりません。我が国民の苦しみに終止符を打ち、他の民族にも苦しみを与えることがないよう私たちは努力しているのです。
■今でも「不当逮捕」が行われても、それに対して抗議するのはもっと多くの逮捕者を出すだけですから、ぐっと我慢していなければなりません。危険を犯して情報を外国に流そうと努力する人も居ますが、通信手段やネットワークを持っているチベット人は極僅かです。その証拠に五輪大会前に始まった騒乱の後、現在に到るまで事件の真相はまったく明らかにはなっていませんし、今も続く厳戒体制の実情も不明なままであります。
■北京五輪の開会式で、可愛い少女に口パクをやらせたのと同じ流儀で、「56民族の融和」を表現する出し物には各種の民族衣装を着た北京市在住の漢族の少年少女を仕込んで歩かせたのは、永久保存版の映像として残ります。中華○千年の歴史絵巻を展開した開会式でしたが、勿論、チベットの60年間などは真っ先に削除されたのでしょうし、縦横斜めに格差と差別で引き裂かれているチャイナの現状もきっちりと封印されておりました。「非暴力に徹し憎悪から離れた」闘争というのは実に難しいもので、多くの人命が奪われ無数の寺院が破壊され、数知れない御本尊や宝物が略奪して行った者に対しても「苦しみを与えることなく」闘争するのはもっと難しいことです。
私が多くの機会を捉え、チベット・中国間の交渉を提案してきたのもそれを念頭においてのことです。1987年、チベットにおける平和と人権を回復するための五項目プランの中で具体的な提案をしました。その中には、全チベット高原を、人と自然が平和で調和を保ちながら共存できる平和と非暴力の聖域「アヒンサー地域」とすることも含まれています。……
■仏教国であるはずの日本で、「アヒンサー地域」構想が注目されなかったのは不思議な話でした。でも、今年、長野市で行われた聖火リレーの時に長い伝統を持つ善光寺内部で起こった僧侶間の対立を知れば、日本の仏教が精気と国際感覚を失っていることが分かります。因みに「アヒンサー」は仏教の「不殺生戒」の元となったヒンドゥーの教えにもある輪廻転生を引き起こす悪い「業」を積まないように生きることを意味します。では殺さなければよいのか?などという愚かな冗談を言う者のためには念のために「非暴力」と訳す場合もありますなあ。要は心と動機の問題で、残虐で残酷なことを思うこと自体を否定する教えであります。まあ、生活のために魚介類や動物の命を奪わざるを得ない人々はどうすればよいのだ?という重大な問題が残されるのですが……。
■仏教国でもなく、かつてはインドを宗主国として植民地にしていた英国には「アヒンサー」が根付いているというのも不思議で皮肉な話で、昨年の10月8日に英国のロンドンでのことです。その日の夜、英国下院で盛大な式典が執り行われたのでした。「チベットの精神的・政治的指導者ダライ・ラマ法王」と「南アフリカ共和国前大統領ネルソン・マンデラ氏」に、第一回アヒンサー賞を贈るセレモニーだったのですなあ。大英帝国の栄光に隠された大いなる罪業を、少しでも減らせる効果があったかも知れませんぞ。この賞を授与したのはロンドンに拠点を置くジャイナ研究所 (IOJ)という組織だったそうです。
■ネルソン・マンデラ氏は、大英帝国の遺産とも言えるアパルトヘイト政策に反対してちょっと激しい抵抗運動を行って投獄された人であり、釈放後には大統領になった人であります。不思議な事に、1992年10月5日にチャイナの北京大学が名誉博士号を授与しているのですなあ。その翌年12月10日にノーベル平和賞を受賞していますから、順番が逆だったら名誉博士号は与えなかったのでしょうか?でも、ノーベル平和賞を受けたという理由で名誉博士号を剥奪したという話は聞きませんから、どうやら北京政府はノーベル平和賞自体が嫌いではないようです。しばらく?の間は北京政府の要人で授賞の候補者になる人は出ないから逆恨みして嫌って見せている可能性はありますが……。
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