■さてさて、北京五輪を開催するに当たって人権問題の解決を推進させると約束した北京政府でしたから、その約束を履行するためにチベット亡命政府との「話し合い」が再開されました。残念ながらダライ・ラマ14世の「楽観主義」を動揺させるような結果しか出なかった模様なのですが……。
2008年11月7日、中国紙「国際先駆導報」は英国をはじめとする欧州諸国のチベット問題に対する態度が変化してきたと指摘した。金融危機の影響で苦しむ欧州諸国は中国の助けを借りるため、チベット問題で対中関係を悪化させたくないという思惑が透けて見える。
■500年も前、1494年6月7日にスペインとポルトガルとの間で結ばれた大西洋上の西経46度30分の子午線で世界をニ分割した「トルデシーリャス条約」以来、世界をサクリ、サクリと勝手に切り分けて我が顔に縄張りを分け合って来た欧州ですから、アジアやアフリカを植民地支配しようと経済的な収奪の対象にしようと驚きはしませんが、北京五輪の前後には人権問題を大きく取り上げていたのも忘れたように、ひらりと掌を返して借金を申し込むためにチベット問題をダシに使うとは、「貧すれば鈍する」典型みたいな話ですなあ。
先月29日、英国のミリバンド外相は、公式にはチベットを中国の一部として認めてこなかった過去の英国外交は誤りだったと明言、今でははっきりと中国の領有権を認めていると発表した。これまでチベット独立運動に最も協力的だったイギリスの方針転換は大きな驚きをもって迎えられた。
■元はと言えば国内でアルコール中毒患者が蔓延するのに手を焼いて、酒の代わりに茶を飲むようにしたのが始まりで、紅茶が英国文化の象徴みたいになる頃には、チャイナから大量に輸入した茶葉の支払いが嵩(かさ)み、大幅な貿易赤字に陥った大英帝国は、インドで芥子を大規模に栽培してアヘンを精製してチャイナに売りつけ、強引に貿易赤字を解消しようとしたのでした。その一方で植民地のインドやスリランカの高地に広大な茶畑を作って輸入品だった茶をちゃっかり輸出品にしてしまうのですが、貿易赤字を解消する為に始めたアヘン商売が事の外儲かるというので、清朝チャイナ全体をアヘン窟にしてしまうほどの勢いで悪どい麻薬商売を続けたのが大英帝国で、その分け前に預かったのが米国という具合だったようです。
■恥知らずなアヘン戦争を仕掛けたばかりに、江戸時代の日本が覚醒したのは想定外だったようですが、ロシアと対抗するためには同盟を結んで咬ませ犬にしようと考えたのも英国で、中央アジアでは「グレート・ゲーム」と呼ばれるユーラシア大陸の分割競争をやったのも英国でしたなあ。その主要な舞台となったアフガニスタンの東隣で、インドの北に位置したチベットを清朝から切り離してロシアの影響力を削ぐために独立を認めたのも英国でしたが、今回は米国の欲張り投資銀行にまんまと嵌められて大損害を受けた穴埋めをしようにも、好き勝手に地図上でフランスと分け合った中東諸国に対して臆面も無く借金を申し込まねばならなくなった英国は、今度ばかりはアヘンなどの売り物が無いのでチャイナに借金を頼むしかないというわけで、手土産にしたのがチベット問題!という流れなのでしょうなあ。
チベット問題に対する態度が変化を見せているのは英国だけではない。08年2月にはドイツのメルケル首相が「『一つの中国』原則を認め、チベット独立を支持しない」と発言。また最近ではフランスでもダライ・ラマ14世らチベット関係者と距離を置く動きが広がっているという。国際先駆導報はこうした欧州諸国の動きは「良心がとがめたためではない」と皮肉り、金融危機に苦しみ中国の助けを必要とする欧州諸国が、中国との関係悪化を恐れてとった措置だと伝えている。
11月8日 Record China
■「腹は読めている」というわけです。香港を返した英国が、今度はチベットを見棄ててパイプを太くしようと形振り構わず走り出しても驚きませんが、あまり慌てるとこうした譲歩は結果的に高くつく危険がありますぞ。米国との距離を取ろうとするEUが、アジアの成長センターになったチャイナを取り込もうと画策するのも分かりますが、これではノーベル平和賞の意味も価値も無くなってしまいますなあ。まあ、ダライ・ラマ法王としても血みどろの独立闘争を仕掛けるのは好まず、国家としての独立は早々に諦めて「高度な自治」を求める姿勢に変わっているのですから、欧州が突如としてチベットを犠牲にした!と目くじら立てて騒ぐほどのことでもないかも知れませんが……。でも、北京政府としては嬉しい話であるのは確かでしょう。
2008年11月7日、中国紙「国際先駆導報」は英国をはじめとする欧州諸国のチベット問題に対する態度が変化してきたと指摘した。金融危機の影響で苦しむ欧州諸国は中国の助けを借りるため、チベット問題で対中関係を悪化させたくないという思惑が透けて見える。
■500年も前、1494年6月7日にスペインとポルトガルとの間で結ばれた大西洋上の西経46度30分の子午線で世界をニ分割した「トルデシーリャス条約」以来、世界をサクリ、サクリと勝手に切り分けて我が顔に縄張りを分け合って来た欧州ですから、アジアやアフリカを植民地支配しようと経済的な収奪の対象にしようと驚きはしませんが、北京五輪の前後には人権問題を大きく取り上げていたのも忘れたように、ひらりと掌を返して借金を申し込むためにチベット問題をダシに使うとは、「貧すれば鈍する」典型みたいな話ですなあ。
先月29日、英国のミリバンド外相は、公式にはチベットを中国の一部として認めてこなかった過去の英国外交は誤りだったと明言、今でははっきりと中国の領有権を認めていると発表した。これまでチベット独立運動に最も協力的だったイギリスの方針転換は大きな驚きをもって迎えられた。
■元はと言えば国内でアルコール中毒患者が蔓延するのに手を焼いて、酒の代わりに茶を飲むようにしたのが始まりで、紅茶が英国文化の象徴みたいになる頃には、チャイナから大量に輸入した茶葉の支払いが嵩(かさ)み、大幅な貿易赤字に陥った大英帝国は、インドで芥子を大規模に栽培してアヘンを精製してチャイナに売りつけ、強引に貿易赤字を解消しようとしたのでした。その一方で植民地のインドやスリランカの高地に広大な茶畑を作って輸入品だった茶をちゃっかり輸出品にしてしまうのですが、貿易赤字を解消する為に始めたアヘン商売が事の外儲かるというので、清朝チャイナ全体をアヘン窟にしてしまうほどの勢いで悪どい麻薬商売を続けたのが大英帝国で、その分け前に預かったのが米国という具合だったようです。
■恥知らずなアヘン戦争を仕掛けたばかりに、江戸時代の日本が覚醒したのは想定外だったようですが、ロシアと対抗するためには同盟を結んで咬ませ犬にしようと考えたのも英国で、中央アジアでは「グレート・ゲーム」と呼ばれるユーラシア大陸の分割競争をやったのも英国でしたなあ。その主要な舞台となったアフガニスタンの東隣で、インドの北に位置したチベットを清朝から切り離してロシアの影響力を削ぐために独立を認めたのも英国でしたが、今回は米国の欲張り投資銀行にまんまと嵌められて大損害を受けた穴埋めをしようにも、好き勝手に地図上でフランスと分け合った中東諸国に対して臆面も無く借金を申し込まねばならなくなった英国は、今度ばかりはアヘンなどの売り物が無いのでチャイナに借金を頼むしかないというわけで、手土産にしたのがチベット問題!という流れなのでしょうなあ。
チベット問題に対する態度が変化を見せているのは英国だけではない。08年2月にはドイツのメルケル首相が「『一つの中国』原則を認め、チベット独立を支持しない」と発言。また最近ではフランスでもダライ・ラマ14世らチベット関係者と距離を置く動きが広がっているという。国際先駆導報はこうした欧州諸国の動きは「良心がとがめたためではない」と皮肉り、金融危機に苦しみ中国の助けを必要とする欧州諸国が、中国との関係悪化を恐れてとった措置だと伝えている。
11月8日 Record China
■「腹は読めている」というわけです。香港を返した英国が、今度はチベットを見棄ててパイプを太くしようと形振り構わず走り出しても驚きませんが、あまり慌てるとこうした譲歩は結果的に高くつく危険がありますぞ。米国との距離を取ろうとするEUが、アジアの成長センターになったチャイナを取り込もうと画策するのも分かりますが、これではノーベル平和賞の意味も価値も無くなってしまいますなあ。まあ、ダライ・ラマ法王としても血みどろの独立闘争を仕掛けるのは好まず、国家としての独立は早々に諦めて「高度な自治」を求める姿勢に変わっているのですから、欧州が突如としてチベットを犠牲にした!と目くじら立てて騒ぐほどのことでもないかも知れませんが……。でも、北京政府としては嬉しい話であるのは確かでしょう。