旅限無(りょげむ)

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欲しいけど要らないノーベル平和賞 其の壱拾

2008-11-03 13:03:39 | チベットもの
■今回の胡氏がノーベル平和賞の候補になった話も、五輪大会記念の大盤振る舞いとして、「環境問題は緊急に解決すべき問題だから」という真っ当な理由で北京政府が賞讃でもしておけば、世界中のチャイナを見る目ががらりと変わったのではないでしょうか?

そしてもちろん、私はこの賞を600万のチベット人、つまりチベット本土の勇敢なる我が同胞-過去、現在にわたり多くの苦難を耐え続けてきている人々にかわってお受けします。チベットの民族と文化の独自性が計画的、組織的に破壊されようとしています。この賞は、私たちの武器である真実、勇気、決意の力でチベットは解放されるだろうという信念を確固たるものにしてくれます。

■「多くの苦難」の一言の中に、大量虐殺や大規模な施設破壊など北京政府が隠し続ける恐ろしい出来事が集約されております。「文化の独自性が計画的、組織的に破壊され」つつある現状に関しては、拙著『チベット語になった「坊っちゃん」』にも書きましたが、長い時間が過ぎる中で世代が交代し、国内の経済政策も変わり、変わらないチベット政策に対応して日々を暮らす人々が内面の葛藤を隠して妥協や譲歩をしながら生きている現状をつぶさに知っているダライ・ラマ法王の言葉は重みがあります。


世界のどこの人であろうと私たちは基本的に同じ人間であります。私たちは皆、幸福を求め苦痛を避けようと努力します。私たちは、等しく人間としの欲求や関心を持っております。私たち人間は総じて、自由、及び自らの運命を決める権利を個人としても民族としても求めています。これが人間の本質なのです。東欧やアフリカをはじめ、世界各地で起こっている大きな変化は明らかにそのことを示しています。

■「東欧」で起こった事に言及されると、北京政府は心中穏やかではないでしょう。社会主義の失敗が明らかにされつつあった微妙な時期のことでもありますから、ソ連崩壊の次は北朝鮮か北京政府か?などとも噂されていたものです。ただ、復活した小平が指導する改革・開放政策には大きな期待が持たれていた時代でもありましたなあ。


今年(89年)の6月、中国では、民主主義を求める民衆の運動が軍事力で無残にも打ち砕かれてしまいました。しかし、私はこのデモが無意味だったとは思いません。なぜなら中国の人々の間で自由の精神に再び火がついたからです。そして、世界中至る所に奔流となって流れるこの自由の精神の衝撃を中国が回避することは不可能です。勇敢な学生とその支持者たちは、中国の指導部や世界に対し、あの大民族の人間的な素顔を見せたのです。

■言わずと知れた「第二次・天安門事件」に関する言及です。この大事件の真相に関しては、世界中が知っているのに北京政府は絶対に認めないというネジレ現象が続いておりますが、北京五輪開催が決まってから天安門広場の警戒が一層厳重になり、開催中は観光客もおちおち記念撮影もしていられないくらいピリピリしていたのは何故でしょう?「勇敢な学生」も「その支持者」も、目立った者は国外に亡命し、国内に残った者は沈黙を守って生きねばならない境遇のようです。愚かなIOCが北京での五輪大会開催を決めたことで、北京政府は天安門事件をうやむやにしたまま免罪されたと秘かに自画自賛しているのは間違いなく、あの殺伐とした聖火リレーの苦い思い出も世界の興行主たちはころりと忘れて次のロンドン大会での荒稼ぎを計画中なのでしょうなあ。

欲しいけど要らないノーベル平和賞 其の九

2008-11-03 12:47:22 | チベットもの
■福田ホイホイ首相の助力があってか?北京五輪が無事に終わり、環境問題を話し合う洞爺湖サミットも何の成果も無かったとは言え、テロ事件も起こらずに終了したのですから、北京政府に対して不必要に気兼ねすることも無いと思うのですが、外相経験もある麻生首相の言動にも注目しましょう。とは言っても、五輪大会の開催条件に含まれていた人権問題、その代表がチベット問題だというのは衆知の事実で、大会前から騒乱状態になって大会後も強化された監視体制が続いているようですから、そんな中で北京政府とチベット亡命政府の話し合いが再開されるとなれば、ダライ・ラマ14世の発言の方が断然、注目されるのは当然です。

■ノーベル平和賞の受賞者をお迎えするのですから、1989年12月の授賞式で発表されたダライ・ラマ法王のスピーチを再読するのも意味があると思います。


国王陛下、ノーベル委員会メンバーの皆様、兄弟姉妹の皆様。

ノーベル平和賞受賞のため、本日ここで皆様とお会いできますことを私は大変に嬉しく存じております。皆様がこの重要な賞をチベットから参りました一介の僧侶に与えてくださることに対し、私は光栄に感ずると同時に謙虚な気持ちで深く感動致しております。私は、決して特別な人間ではないのです。この授賞は、仏陀、そしてインドとチベットの善知識の教えに従い、私が実践しようとする利他心、愛、慈悲、非暴力の価値が認められた結果であると思います。

■冒頭部分を読んだだけでダライ・ラマ法王の立場と考え方が明瞭に分かりますなあ。「一介の僧侶」などという謙虚な発言は、昨今の日本ではお坊さんから聞かれなくなっているのではないでしょうか?「利他心、慈悲、非暴力」の間に「愛」が入っているのは欧米向けのサービスで、苦の元となる業を生み出す「愛欲」や「執着」とは違うアガペーの愛という意味だと解釈すべきでありましょう。御自分が決して「特別な人間」ではないという御言葉をオウムの残党などには是非とも味わって欲しいものです。


世界各地で抑圧の憂き目にあっている人々にかわり、また自由のために戦い世界平和のために活動している全ての人たちのために、私はこの賞を深い感謝の念をもってお受けします。私はこの賞を、非暴力の活動をもって変革をめざすという現代的伝統の基礎を築いた人物 、マハトマ・ガンジーへの賛辞としてお受けします。ガンジーの一生は、私に多くを教え励ましてくれるものでした。

■1948年1月30日に暗殺されるまで、5回もノーベル賞候補になりながら、授賞を固辞し続けたガンジーでしたが、ダライ・ラマ法王はガンジーの名を引き合いに出して授賞したのには大きな理由が有りそうです。ガンジー暗殺の直後からチベットは中国人民解放軍によって「解放」され、暗殺から10年後にはダライ・ラマ14世がインドに亡命せざるを得なくなったという歴史の経緯があります。ガンジーの非暴力・不服従の闘争は大英帝国を追い出すには有効でしたが、宗教対立を克服して大インドを実現することは出来ませんでした。イスラム教とヒンドゥー教の対立が国家を分断し、今も国境地帯ばかりでなく国内問題としても未解決のまま残っているのが現実です。近代化の障害となっているカースト制度に関しても、長い伝統となっている制度自体には触れず、各個人の差別意識を戒めるのに留まったという政治指導者の限界もあったようです。

■何から何まで一挙に解決しようすれば、運動の主要目的が達成されないという判断力も必要ですから、ダライ・ラマ法王も北京政府との「話し合い」を重ねる選択をして、外交と軍事に関する権限は北京政府に委ねたままで、文化や教育に関する高度な自治を求め続けているわけであります。今にして思えば、このノーベル平和賞の受賞を利用して「分裂主義者」のレッテルだけでも剥がしておけば、北京政府も選択肢が広がったのではないか?と甘い空想もしてしまうのですが、北京政府内の権力闘争で誰かが批判されても、人民解放軍だけは常に別格扱いで、解放軍の名で行ったすべての軍事作戦は絶対に正しい!という前提だけは崩れませんから、チベット解放戦争だけを切り離して封印し、その後の占領政策を少しばかり修正するぐらいの妥協は出来なかったものか、と後の祭りの詮無い話にってしまいますが……。