■今回の胡氏がノーベル平和賞の候補になった話も、五輪大会記念の大盤振る舞いとして、「環境問題は緊急に解決すべき問題だから」という真っ当な理由で北京政府が賞讃でもしておけば、世界中のチャイナを見る目ががらりと変わったのではないでしょうか?
そしてもちろん、私はこの賞を600万のチベット人、つまりチベット本土の勇敢なる我が同胞-過去、現在にわたり多くの苦難を耐え続けてきている人々にかわってお受けします。チベットの民族と文化の独自性が計画的、組織的に破壊されようとしています。この賞は、私たちの武器である真実、勇気、決意の力でチベットは解放されるだろうという信念を確固たるものにしてくれます。
■「多くの苦難」の一言の中に、大量虐殺や大規模な施設破壊など北京政府が隠し続ける恐ろしい出来事が集約されております。「文化の独自性が計画的、組織的に破壊され」つつある現状に関しては、拙著『チベット語になった「坊っちゃん」』にも書きましたが、長い時間が過ぎる中で世代が交代し、国内の経済政策も変わり、変わらないチベット政策に対応して日々を暮らす人々が内面の葛藤を隠して妥協や譲歩をしながら生きている現状をつぶさに知っているダライ・ラマ法王の言葉は重みがあります。
世界のどこの人であろうと私たちは基本的に同じ人間であります。私たちは皆、幸福を求め苦痛を避けようと努力します。私たちは、等しく人間としの欲求や関心を持っております。私たち人間は総じて、自由、及び自らの運命を決める権利を個人としても民族としても求めています。これが人間の本質なのです。東欧やアフリカをはじめ、世界各地で起こっている大きな変化は明らかにそのことを示しています。
■「東欧」で起こった事に言及されると、北京政府は心中穏やかではないでしょう。社会主義の失敗が明らかにされつつあった微妙な時期のことでもありますから、ソ連崩壊の次は北朝鮮か北京政府か?などとも噂されていたものです。ただ、復活した小平が指導する改革・開放政策には大きな期待が持たれていた時代でもありましたなあ。
今年(89年)の6月、中国では、民主主義を求める民衆の運動が軍事力で無残にも打ち砕かれてしまいました。しかし、私はこのデモが無意味だったとは思いません。なぜなら中国の人々の間で自由の精神に再び火がついたからです。そして、世界中至る所に奔流となって流れるこの自由の精神の衝撃を中国が回避することは不可能です。勇敢な学生とその支持者たちは、中国の指導部や世界に対し、あの大民族の人間的な素顔を見せたのです。
■言わずと知れた「第二次・天安門事件」に関する言及です。この大事件の真相に関しては、世界中が知っているのに北京政府は絶対に認めないというネジレ現象が続いておりますが、北京五輪開催が決まってから天安門広場の警戒が一層厳重になり、開催中は観光客もおちおち記念撮影もしていられないくらいピリピリしていたのは何故でしょう?「勇敢な学生」も「その支持者」も、目立った者は国外に亡命し、国内に残った者は沈黙を守って生きねばならない境遇のようです。愚かなIOCが北京での五輪大会開催を決めたことで、北京政府は天安門事件をうやむやにしたまま免罪されたと秘かに自画自賛しているのは間違いなく、あの殺伐とした聖火リレーの苦い思い出も世界の興行主たちはころりと忘れて次のロンドン大会での荒稼ぎを計画中なのでしょうなあ。
そしてもちろん、私はこの賞を600万のチベット人、つまりチベット本土の勇敢なる我が同胞-過去、現在にわたり多くの苦難を耐え続けてきている人々にかわってお受けします。チベットの民族と文化の独自性が計画的、組織的に破壊されようとしています。この賞は、私たちの武器である真実、勇気、決意の力でチベットは解放されるだろうという信念を確固たるものにしてくれます。
■「多くの苦難」の一言の中に、大量虐殺や大規模な施設破壊など北京政府が隠し続ける恐ろしい出来事が集約されております。「文化の独自性が計画的、組織的に破壊され」つつある現状に関しては、拙著『チベット語になった「坊っちゃん」』にも書きましたが、長い時間が過ぎる中で世代が交代し、国内の経済政策も変わり、変わらないチベット政策に対応して日々を暮らす人々が内面の葛藤を隠して妥協や譲歩をしながら生きている現状をつぶさに知っているダライ・ラマ法王の言葉は重みがあります。
世界のどこの人であろうと私たちは基本的に同じ人間であります。私たちは皆、幸福を求め苦痛を避けようと努力します。私たちは、等しく人間としの欲求や関心を持っております。私たち人間は総じて、自由、及び自らの運命を決める権利を個人としても民族としても求めています。これが人間の本質なのです。東欧やアフリカをはじめ、世界各地で起こっている大きな変化は明らかにそのことを示しています。
■「東欧」で起こった事に言及されると、北京政府は心中穏やかではないでしょう。社会主義の失敗が明らかにされつつあった微妙な時期のことでもありますから、ソ連崩壊の次は北朝鮮か北京政府か?などとも噂されていたものです。ただ、復活した小平が指導する改革・開放政策には大きな期待が持たれていた時代でもありましたなあ。
今年(89年)の6月、中国では、民主主義を求める民衆の運動が軍事力で無残にも打ち砕かれてしまいました。しかし、私はこのデモが無意味だったとは思いません。なぜなら中国の人々の間で自由の精神に再び火がついたからです。そして、世界中至る所に奔流となって流れるこの自由の精神の衝撃を中国が回避することは不可能です。勇敢な学生とその支持者たちは、中国の指導部や世界に対し、あの大民族の人間的な素顔を見せたのです。
■言わずと知れた「第二次・天安門事件」に関する言及です。この大事件の真相に関しては、世界中が知っているのに北京政府は絶対に認めないというネジレ現象が続いておりますが、北京五輪開催が決まってから天安門広場の警戒が一層厳重になり、開催中は観光客もおちおち記念撮影もしていられないくらいピリピリしていたのは何故でしょう?「勇敢な学生」も「その支持者」も、目立った者は国外に亡命し、国内に残った者は沈黙を守って生きねばならない境遇のようです。愚かなIOCが北京での五輪大会開催を決めたことで、北京政府は天安門事件をうやむやにしたまま免罪されたと秘かに自画自賛しているのは間違いなく、あの殺伐とした聖火リレーの苦い思い出も世界の興行主たちはころりと忘れて次のロンドン大会での荒稼ぎを計画中なのでしょうなあ。