M・ナイト・シャマラン監督。
シャマラン監督は作品の振り幅がでかいので、
ファンの間でも作品の評価が割れる監督なのですが、
大きく分けて、混沌奇妙派閥と、大オチ秩序派閥と、抒情派閥に分かれる気がする。
各派閥は、アンブレイカブルサイン高評価、シックスセンスヴィレッジヴィジット高評価、
サインヴィレッジレディインザウォーター高評価、という印象。
私は大オチ秩序派閥です。アンブレイカブルとサインは苦手。
(でも全員アフターアースが失敗作だというのは共通意見だと思う)
(あれは金のかかったホーム・ビデオです)
さてこの映画は非常に変わった映画で、
18年前の「アンブレイカブル」の続編です。
アンブレイカブルを見ていないと登場人物の心情の理解はおそらく難しいでしょう。
あと最近の「スプリット」の登場人物も出てきます。
この2本は見ておいた方がいい。
非常にシャマラン的な映画です。人にはおすすめしませんが私は好き。
異常なほど強い肉体を持つデヴィッドは、
その能力を生かし、息子の協力を得て自警団のような活動を続けていたが
少女連続誘拐犯と格闘中に警察に捕縛され、
施設に収容されてしまう。
そこでデヴィッドは「自らがスーパーヒーローである」という
妄想を持った人物を矯正する治療を受けるが…というあらすじ。
アンブレイカブルもスプリットも単体で評価できない、
3つ揃って1つの話だったのかーと驚きました。
スーパーヒーローものなんですが、
マーベルやDCの文法のそれではなく、
かといって王道の逆張りでもない、メタでもない、
シャマランの頭の中にあるルールで撮られた世界という感じ。
オチばれ(3作品の)
正義VS悪ではなくて、正義と悪の利害は真逆ではない。
強いて言えば混沌VS秩序なのだと思う。
混沌とは多様性であり、スーパーヒーローであり、自由意志であり、夢、みたいな。
大勢を殺した犯罪者だけど、イライジャはデヴィッドを大切に想っているし感謝している。
そんなイライジャは母に愛されている。
同じく犯罪者だけどケヴィンも同じく虐待を経験した少女に愛されている。
何の見返りも求めず人を助け続けたデヴィッドは豚のように殺される。
白とか黒ではなく、みんながグレー。
そしてオオサカビルの屋上では戦わない。
(予算の都合もあるだろうけど)これはシャマランにとって、
特に変わった事ではないんだろう。たぶん。
始まりのための終わりを描いて、そしてたぶん始まりは描かれない。
クールだなあと思います。でも意図してのクールじゃない。
ヒーロー文法を期待して行くと激怒する事になるので
向いた人だけ見るといいです。