ヨーロッパの、王侯貴族を中心に培われてきた文化の絢爛豪華さも
素敵だなあ、って憧れるんですけど、
アメリカの、大富豪たちの絢爛豪華さも
うむむ、見応えあるなあと思います。
ゴージャスで、陽気で、パワーがあって、空虚で。
青年ニックを通して語られる、
ギャツビーという謎の富豪の物語です。
私はむかし原作を読んだとき、
「ギャツビーは女を見る目がないなあ」
「ギャツビーのどこがグレートなのか分からないなあ」
というのが2大感想でしたが(もう少し歳を取ってから読むべきでした)
この映画のデイジーは綺麗すぎたので、
これはギャツビーでなくてもころりと参るだろう、というのと、
あとラストで「あ、うん…グレートですね。了解です」って納得しました(笑)。
ギャツビーの城で繰り広げられるパーティーがすごかったです。
シャンデリアと音楽とシャンパンと、綺麗なおんなのひと、
タキシード、照明に照らされるプール、降ってくるスパンコール、カクテルの中に映る光、
何もかもきらきらと輝いていて、
大富豪のお屋敷に数日滞在していたかのような気持ちになる映画でした。
これは大画面で見た方がいいかもしれない。
(動画サイトの予告映像を貼ろうと思ったんですが、色が汚いのでやめた)
内容ばれ
ニックを演じたトビー・マグワイアさんの
あの堅実で謙虚で清潔な感じがギャツビーと真逆で際立ってた。
柔和に微笑したままでドン引きしていたり、
柔和に微笑したままで軽く非難していたりする表情が良かったです。
ギャツビーの名乗りと同時に花火が開くところ、
笑ってしまったけど、あの演出のために前日から予行で花火を上げて練習して
ギャツビーがニックに声をかけるタイミングを完璧に計算していたとしたらちょっと泣ける。
自分のことをよりよく見せようと
ニックに必死でマシンガントークをするギャツビーの表情を見て、
ああ…と顔を覆いたくなりました。
カラオケでも自分ばかり歌って
人にマイクを渡さなかったら引かれるのと同じで、
「自分を尊敬して!」「すごいと思って!」「信用して!」って
押しつけてはいけませんギャツビー…。あと息継ぎしようね。
デイジーは魂のない女性で、理想の女神像を投影しやすいのですが
その実、おしめが不快で泣いている赤子くらいの自我しかなくて、
自分を楽しませて快適な状態にしてくれるひとなら誰でも何でもいいんです。
でもギャツビーも、デイジーが何を考え、芯のところはどういう女性なのか
見る能力がないし見ようともしていなかったのでお互い様です。
デイジーなんかやめてニックにしておけばよかったのに……。
この映画の監督バズ・ラーマンは「ロミオ+ジュリエット」とか撮った人。
(あの映画すごく好きなんですよ)
フィッツジェラルドも、あまり幸せにはしてくれなさそうな女性を好きになり、
酒で体を壊して亡くなったんですね。
うんまあ平穏に天寿を全うさせてくれるパートナーと、
芸術的天啓を与えてくれるミューズは違いますもんね。
wikipediaを見たらヘミングウェイさんに
「フィッツジェラルドは変な所がいっぱいあるけど
あれだけ書けたらやっぱ友逹になって、
親切にしてあげないといけないよね!天才だもんね!」
って言われてる…。ヘミングウェイさんが大人だ…。
せっかくなのでハルキ・ムラカミ訳のギャツビーを読んでみようと思います。