ね、幸福の科学の教えって、「現代の四正道」とかいって、「愛の原理」は4つの原理の一つなんでしょ。だったら、愛の教えの大切さは、4分の1なのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
愛の原理は、「『奪う愛』をやめて、『与える愛』に生きなさい」ということであり、これを守るだけでも天国に入れるのですから、ありがたいことです。
ただ、「与える愛」の実践に智慧が足りないと、失敗することもあります。人を甘やかして堕落させたり、悪いことをしている人をほめて、それを助長したりすることも、たまにあるので、そういう局面が出てきたら、智慧を使わなければいけません。
そういう意味で、智慧を使って、ときどき、心ならずも叱らなくてはいけないときがあります。厳しい面、厳しい父親のような面を見せて、導かなくてはいけないところもあります。そういう生かす愛も勉強しなくてはいけないでしょう。
ただ、生かす愛が強くなると、善悪の目がかなりはっきり出てきますが、善悪を分けすぎると、本来の仏の心から少し離れるところもあります。それを超えていくものは、やはり、許す愛なのです。生きとし生けるものに対する深い慈悲の心、これで超えていけるのです。
さらには、「自分の今生での数十年、あるいは百年の人生を、最大限の光として遺したい。多くの人に光を与えたい。闇夜の法灯のように、できるだけ光で照らしたい。港にある灯台の光のように、できるだけ遠くまで光を届けたい」という気持ちを持たなくてはいけません。
そういう愛の発展段階があるということを、修行者はみな、心のなかに銘記しておかなくてはならないのです。
しかし、現実には、最初の出発点からつまずくでしょう。「存在の愛の実践をしよう」と思っても、夫婦げんかや親子げんか、兄弟げんか、友達とのけんか、職場での上司とのぶつかり合い、同僚の嫉妬など、いろいろなものがあって、うまくいかないものです。
したがって、「この段階が終わったから、自分の修行はもう終わった」というようなものではないのです。いつも原点はここにあり、くり返しくり返し出てくるものであって、常に点検し、修行しなくてはいけないものなのです。
これが愛の原理です。ここだけでも押さえていただければ、世界は平和になりますし、もう一つ、キリスト教の愛の教えに足りない部分を補うことができます。キリスト教では、愛の教えが説かれていながら、足りないものがあるため、争いが絶えません。そこへ、仏教的な部分を加味した愛の教えが入り、慈悲の教えに転化すると、争いがやんでいくところがあります。
したがって、当会の愛の教えが世界に広がるだけでも、人類はかなり幸福になると思います。
(258~361ページ)
「愛の原理」は「与える愛」の大切さを説くが、愛にも発展段階があることを銘記しておかなくてはならない。
そして、愛の発展段階の最初の出発点から、現実にはつまずくものだから、修行はそう簡単に終わるものではなく、常に点検し修行し続けなくてはいけない。
「愛の原理」は、キリスト教の愛の教えの足りない部分を補うから、当会の愛の教えが広がるだけでも、世界は平和になり、人類はかなり幸福になっていく――。
大川隆法先生は、仏法真理というのは、抽象的に頭で理解すればいいわけではないことを、未熟な修行者である私たちの実態を見据えた上で、説いておられるのだと思います。
愛の教えの深さ、広がり、そして大切さ。
改めて学び直していきたいと私は思っているのです。
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『幸福の法』
大川隆法著
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