ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



私って、人に信頼されないんだよね。二枚舌を使ったり、ふたごころがあると、人に信頼されないって、前回、教えてもらったと思うけど、私って、そんなことしてないともう思うんだよね?  なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 言うことがあまりにもコロコロ変わる人も、人から信頼されません。こうした人は気分にむらがあるのです。(中略)
 こうした人は物事の大小の判定をしっかりと行なうことが大切です。「これは重要な事項なのか、それとも取るに足りない事項なのか」ということを見きわめなくてはなりません。
 そして、重要な事項に関しては、確認を義務づけることです。「このようにする」ということを、他人に対しても自分に対してもしっかりと確認したうえで、実行することが大切です。
 一方、瑣末なことに関しては、自分がむら気のある性格であることをまわりの人に理解してもらうように努力するしかありません。(中略)
 他人に信頼されないタイプとして、そのほかに考えられるのは、仕事ができない人、仕事を任されると必ず失敗する人です。(中略)
 そうした人からは仕事のほうが逃げていきます。まわりの人たちは、その人に仕事を任せないようにしているのです。本人は非常に憤慨しているのですが、まわりの人は危険を感じて、その人を避けているのです。
 こうした人は憤慨ばかりしていてはいけません。(中略)仕事の面で人から信頼されない人は、仕事のよくできる人のやり方を学び、また、しかるべき人からアドバイスを受けて、自分のやり方を変えていくことが大事なのです。
 仕事のできない人にかぎって、「自分は仕事ができる」という顔をして大きなことを言うので、そこに矛盾が生じて苦しむことになります。(中略)見栄を張らずに、自分のできる範囲でコツコツと仕事をしていくことが大切です。「小さなヒットを打つ」という方針でいくことです。(中略)
 人に信頼されないタイプとして、情報管理ができない人もいます。話が右から左へ筒抜けになる人です。これは口の軽さに原因があります。他人に言ってはいけない話というものがあるのです。(中略)
 したがって、人の信用を得るためには、他人に話してよいことと悪いことを、きちんと分ける必要があります。(中略)
 そして、(中略)「私は人から聞いたことを心の内にとどめておくことができない性格なので、私に話すと、だれかにもらすかもしれない。だから、ほかの人に言ってほしくないことは私に話さないでほしい」と事前に言っておくことです。(中略)
 また、情報管理ができない人には、逆に、自分の秘密を何から何まで人に話してしまう性格の人もいます。こうしたタイプも人から信頼されなくなっていくので注意が必要です。
 ほんとうの友情や信頼とは、何もかも見せてしまうことではないのです。「親しきなかにも礼儀あり」という言葉があるように、友人に対しても、自分のよい面を出してつきあうことが大事です。
(103~109ページ)

言うことがあまりにもコロコロ変わる人、仕事ができない人、情報管理ができない人も、人から信頼されない──。

今日は、前回に引き続いて、「人に信頼されない悩み」対策の第二弾。

要は、なぜ自分が人から信頼されないかを分析してみて、そのタイプに合わせて対策を考えていけばよいってこと、なんですよね!



『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著


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オレって、学生時代は部活が命だと思ってる体育会系なんだけど、やっぱ学歴社会なんだから、勉強できなきゃダメなんだろうなあ。でも、今さら勉強なんてできるようになるわけないしなあ。どうすりゃいいの? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『青春の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 十代後半から二十代前半ぐらいの年代の人たちにとって、まず大切なことは、頭脳を鍛えることですが、次に体力も非常に大事です。体は、やはり資本です。
 そのため、自分について、「頭のほうは、もうこれ以上は伸びる可能性がほとんどない」と見たら、体力を強化することです。こちらのほうは、まだ伸びる可能性が少しあります。体力そのものを二倍にするぐらいのことは、可能性としてはあるのです。場合によっては五倍ぐらいになる人もいます。体力も能力のうちであり、とても大事です。
 私は宗教家ですが、宗教家にとっても、体力は、やはり要ります。体力のない宗教家は、すぐにコロッと死んでしまいます。意外なことに、そういう人は、けっこういるのです。
 私は楽に仕事をしているように見えるかもしれませんが、ある人の説では、一時間の説法をすることには、ジョギングで八キロメートルを走るぐらいの負担が心臓にかかることもあるのだそうです。
 そのため、体を鍛えないで説法をしている人は、ときにコロッと死んでしまうわけです。「お経だけ知っていればよい」などと思って、体力のところを甘く見たら、宗教家であっても早死にしてしまうのです。
 「体を鍛える」ということも大切であり、それが仕事能力を高めることにもつながります。「仕事をして、また翌日にも戦えるかどうか」「よい仕事を続けられるかどうか」ということは体力と関係があるのです。
 もちろん、仕事能力も体力も両方とも要るのですが、体力がないと、よい仕事を長く続けることはできません。
 また、体力がないと、物事の判断が悲観的になってきます。人間関係においても、悲観的になり、とにかく悪いほうへ悪いほうへと考えますし、仕事においても、先行きを暗く悪く感じるのです。
 体力があると、先行きは明るく見えてきます。人間関係においても、「何とか改善できるのではないか」と思えますし、仕事においても、「この先、うまくいくのではないか」と思えます。(中略)
 私は、「かなり体を鍛えなければいけない」と考えて、水面下の努力を地道に行ってきました。
(63~66ページ)

若い人にとってまず大切なことは、頭脳を鍛えることだが、次には体力も非常に大事である。

頭のほうがこれ以上は伸びる可能性がほとんどない場合は、まだ伸びる可能性があるので、体力を強化する努力をすること。

体力がないと、よい仕事を長く続けることはできないし、判断が悲観的になってくる。体を鍛えれば、それが仕事能力を高めることにもつながるのである──。

大川隆法先生のように、講演活動、著作活動で大量に発信し続けている方が、知力を鍛え続けているだけでなく、体力をも地道に鍛え続けておられるという事実は、私たちを励ましてくれます。

体育会系も、捨てたものではないし、それ以上に、これまでの豊富な蓄積で、これからの人生に前向きに立ち向かっていけるってこと、なんですよね!



『青春の原点』

大川隆法著


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ね、ね。「ダム経営」って言葉、ちょっと聞いたんだけど、何のことなの? なーんて疑問もってる人

幸福の科学の大川隆法先生は、『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 松下幸之助は、もともとの出発点は低く、元手もあまり持っていなかったので、経験を智慧に変えて成功していった人です。そういう人の言葉は、やはり、珠玉の言葉です。学問的ではないのですが、経験から出てきた言葉には、オリジナリティーや独創性が、あちこちに光っていて、とても参考になりました。
 例えば、彼の有名な言葉の一つに、「雨が降れば傘をさす」というものがあります。禅問答のようですが、これは“経営のコツ”を言っているのです。(中略)
 「雨が降る」とは、どういうことかというと、それは、不況のとき、あるいは経営が苦しいときです。「そういうときには、ごく自然に傘をさしなさい」と言っているのです。(中略)「その傘に当たるものが、いったい何であるかを、お考えください」ということでしょう。
 彼自身は、「九十数年、自分は無理をせず、天地自然の理に合わせて生きてきた。そうしたら、大成功し、大きなものが出来上がった」というわけです。「なるほどな」と思う面があります。(中略)
 もう一つ、印象的な言葉として、「ダム経営」という言葉があります。(中略)
 昔、松下幸之助が経営者を集めてセミナーを行ったときに、「好況・不況の波にかかわらず、安定した経営をしていくためには、ダム経営というものが大事なのだ」という話をしたのです。
 雨はいつも降るわけではないので、雨が降ったときに、水甕であるダムに水をためておいて、必要なときに放流します。それによって、田畑を潤すとともに、発電もしています。「雨が降ったときにだけ発電して、晴れたら発電が止まる」ということでは困るので、雨が降ったときに雨水をためておき、雨が降っていないときにも、少しずつ水を流しながらタービンを回し続けて発電するわけです。
 これが「ダム経営」の考え方です。水量を調整するダムという考え方は非常に大事であり、「このダム経営というものを一つ頭のなかに入れておけば、非常に安定した発展が望める」ということを彼は教えています。
 これは、サラリーマンとしての立場で読んでいるうちは分からないかもしれません。私も、独立して、幸福の科学という団体をつくり、それを運営する段になってから、彼の言っている意味が本当によく分かるようになりました。(中略)
 今、世間では、「ひどい不況だ」「金融恐慌前夜だ」など、いろいろなことが言われていますが、幸福の科学のほうは、景気の波に左右されることなく、堅実に精舎建立の計画等を進めています。それはなぜかといえば、私がダム経営を実践してきたからです。今、当会は金融機関等からの借入金はゼロであり、無借金経営です。(中略)
 幸福の科学は、規模から見て、他の宗教に比べて支部などの建物を建て始める時期は少し遅かったと思います。(中略)十年ぐらい遅れたのですが、やり始めたら速いのです。海外の展開も、おそらく同じようになると思います。
 これがダム経営の強さなのです。
(58~64ページ)

好況・不況の波にかかわらず安定した経営をしていくためには、「ダム経営」が大事である。

つまり、雨が降ったときに雨水をためておき、雨が降っていないときにも、少しずつ水を流しながらタービンを回し続けて発電するように、経営を行なっていく──。

この経営の考え方は、この夏、幸福実現党が提言していた、国家の「予算単年度制の廃止」政策にも、生かされてるってこと、なんですよね!



『日本の繁栄は、絶対に揺るがない』

大川隆法著


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不況だよね。リストラの時代だし、ボーナスもほとんど出ないんだよね。こんな時代、オレたち、どう乗り切ったらいいの? なーんて悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福へのヒント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 これからの、リストラやデフレの時代は、よい面では家庭回帰の時代だと思うのです。
 残業をしても残業手当はあまり出ないし、飲み屋に行くとお金がかかるので、みな家に早く帰ってきます。
 家庭回帰の時代であり、ちょっと、つましいけれども、何十年か前に返ったような感じになるので、少し別な価値観を持ってもよいと思うのです。
 「家族で、これまでやらなかったようなことをする」ということでもよいでしょう。十年も二十年もやっていないようなことで、できるだけお金のかからない楽しみを考えればよいのです。
 たとえば、新婚当時は、「よく二人で喫茶店に行った」「よく二人で散歩をした」「ときどき花を買ってきて飾った」など、さりげない行為がいろいろあったと思います。そういうことは、結婚して十年や二十年たつと、もう忘れているでしょう。そのような、なるべくお金のかからない、懐かしい趣味や遊びを、再び実践してみるのです。
 また、子供がいるのであれば、「これまでは仕事が忙しくてなおざりにしていた、子供に関する些細なことに価値を見いだす」ということもあります。(中略)
 これからの時代においては、少し価値観の転換をしなくてはなりません。これは、単なる諦めではなく、「内に入りながら、少しずつ力をためていき、また盛り返すときを待つ」ということです。(中略)
 学校は、週休二日を進めて、子供をなるべく家に置こうとしています。(中略)ただ、土日に親子が一緒にいること自体は悪いことではないのです。週休二日になれば、親子でいろいろな所へ行くこともできます。仕事の付き合いのゴルフもなくなり、子供も土曜日に家にいるということになれば、親子で幸福の科学の精舎に行くこともできます。そういう楽しみも出てくるのです。
 そのように価値観のシフトをしなければいけません。(中略)努力して道が開けるのもよいのですが、努力しても道が開けない場合には、多少、老荘的な思想も大事です。
 仏教にも少し隠遁的な面(俗世間を逃れた生活をすること)があるので、それを充分に生かせばよいでしょう。(中略)
 それから、「足ることを知る」ということが大事です。
 今後は、会社も個人も、これまでのように猛スピードでいろいろなものを実現するということはできません。給料もあまり上がらないし、減点主義で評価されることも多くなります。
 したがって、足ることを知り、低いレベルでも喜びを見いだす努力をしなければいけません。
 「職業があるだけでも、ありがたいではないか」「子供が学校に行けるだけでも、ありがたいではないか」「成績は悪いが、塾に通えるだけでも、ありがたいではないか」というような考え方が大事です。
(78~84ページ)

これからのリストラやデフレの時代は、家庭回帰の時代である。

ちょっとつましくとも、これまでと別な価値観(老荘思想や、「足ることを知る」)を持って、家族でこれまでやらなかったようなことをするとか、できるだけお金のかからない楽しみを考えればよい。

これは、単なる諦めではなく、「内に入りながら、少しずつ力をためていき、また盛り返すときを待つ」ということである──。

明らかに時代が変わってきているのだから、価値観を変え、行動を変えることで、力を蓄えて、また盛り返す時期を待つのが大切だってこと、なんですよね!



『幸福へのヒント』

 大川隆法著


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学生なんて、いつもひどい目にあってるよね。宿題はどっさりあるし、定期試験はあるしさ。しかも、あんな親が、いろいろ口を出してきて、自分の自由にできないんだよ。早く大人になりたいな。 なーんて悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、子供向け書籍『子どもにとって大切なこと』(幸福の科学出版)で、子供たちに対して、こう教えておられます。

 みんなの両親は平凡に見えるかもしれない。理想的に見えないかもしれない。(中略)でも、「大人というのは、やはりえらいものだ。」と思わなければいけないよ。(中略)
 家庭を持つということは、二十年、三十年の間、家族に対する責任がずっとあるということだから、その場しのぎで生きたいと思っている人には、とてもせおえるような荷物ではないんだ。
 けれども、仏様や神様からは、大人の人間に求められる基本の力として、家庭を少なくとも何十年かは持ちつづけるぐらいの、重荷にたえることのできる力が求められている。家庭を何十年か持ちつづけることができるほどの根気や努力があり、社会に対して役に立つ働きをしなければいけないということだ。ふつうは、このくらいの努力が求められているんだね。
 しょうらい、それだけの仕事をしていくために、二十歳になるまでの間、努力をする期間が人生にはあるんだ。
 それまでは、ほとんど何も生み出していないし、お役に立っていないよね。人のお世話になり、人のお金を使って勉強や運動をしているだけだよね。
 「今、自分はひどい目にあっている。」と思っている人は多いかもしれない。(中略)けれども、つらいと思っていることも、やがて去っていくことなんだ。
 勉強だけしていればよかった時代がどれほど幸福だったか、大人になったら分かるよ。働く必要がなく、勉強だけしていればいいというのは、すごく幸福なことなんだ。毎日毎日クラブ活動をしていても、だれもおこりはしないね。
 でも、社会人になったら、毎日毎日、柔道をしたり、空手をしたり、野球をしたりはできないんだ。プロの選手など、運動を仕事にしている人はともかく、ふつうの仕事をしている人は、そんなに、毎日毎日、運動ばかりはできない。
 「勉強だけしていれば、親におこられない時期がある。」ということが、どれほど幸福なことか、まだ今は分からないんだ。
 勉強は、しょうらい職業につくときの基礎にはなるけれども、勉強することそのものがお金を生むわけではないよね。でも、親はそれをさせてくれているんだ。ありがたい話だね。
 大きくなってみると、勉強ができることのありがたみがじわじわと分かってくると思うけれど、子どものときは、なかなか、そうは思わないものだ。
 社会人になると、勉強したくても思うように行かないんだ。毎日、仕事でいそがしいから、仕事の合間に勉強しようと思っても、くたびれてしまっていて、なかなかできない。そのつかれは大変なものだ。一日八時間、十二時間と働いて、土日もつかれがたまってくる。その合間に勉強することは、とても大変なことだ。
 君も、やがて、学校を卒業してから勉強を続けることが、どんなに大変なことかが分かるよ。
(161~166ページ)

仏様や神様は大人に対して、家庭を何十年か持ちつづける根気や努力と、社会に対して役に立つ働きをすることを求めている。

将来それだけの仕事をしていくために、努力をする人生の期間が、学生時代である。

大人になったら、勉強だけしていればよかった時代がどれほど幸福だったか分かってくる──。

私も学生時代にはたしかに、学生の立場のありがたさに、感謝したことなどなかったように思います。

でも、自分が社会人になってしまってから、その大変さ、そして全時間を勉強にあてられることのありがたさに気がついたときには、もう遅いわけです。

どうか学生・生徒のみなさんは、今日の仏陀のお言葉をかみしめて、貴重な青春の日々、悔いなく大事にすごしてくださいますように!



『子どもにとって大切なこと』

 大川隆法著

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オレって、仕事ができるからさ、まわりからも上司からも注目されてるんだ。能力高いんだし、好調な人生は当然だよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「自分は仕事ができる」と思うようになってきたとき、そこに一つの落とし穴があると思って間違いないのです。(中略)なぜなら、それは大きな慢心を招くことにもなりかねないからです。自分が、その小さな社会において、まるで「井のなかの蛙」になったような状態になりやすいからなのです。
 世界は広いのです。世間は広いのです。そして、この大宇宙は広いのです。みなさんは、ビジネスのなかの勝利感に酔うだけではなく、ときおり、そこから抜け出す必要もあります。ふと夜空を見上げて、大宇宙の神秘を考えてみる必要もあるでしょう。また、この大宇宙の法則について考えてみる必要もあるでしょう。
 「人間は、何ゆえに生まれ、何ゆえに死んでいくのか。過去の多くの人々の営みというものは、いったい何であったのか。自分の生涯もまた過ぎゆくものであろうけれども、さて、自分の人生とは、いったい何なのか」ということについて、思いを巡らしていただきたいと思うのです。(中略)
 ここで、みなさんにお願いしておきたいことがあります。
 それは、「『崇高なるものへ敬意を払う』という気持ちを決して忘れてはいけない」ということです。特に、経営者の立場に近づいていけばいくほど、多くの人の面倒を見なければいけない立場に立てば立つほど、「崇高な精神に対して帰依する」という気持ちを忘れてはいけないのです。人知を超えたものへ帰依する気持ちです。
 「仏や神と言われるような、高次の意識があるのではないか。自分は、自分というものを万能の人間のように思っているけれども、自分を小さく見下ろしているような、巨大な存在があるのではないか」という考えを持っていただきたいと思います。
 これは、裏を返せば、「謙虚な気持ちを忘れない」ということでもありましょう。階段を上れば上るほどに謙虚となるような、あなたがたであってほしいのです。一歩一歩、高みに上れば上るほど、崇高な精神に近づいていけばいくほど、ますます己を空しゅうし、低くしていくような、そういうあなたがたであってほしいのです。
 次々と目標を実現すればするほど、大いなる目標が湧き出でて、みずからの至らなさ、力の足りなさが実感されるような、あなたがたであってほしいと私は思います。
 「自分が、いかに生かされているか。万象万物によって、大宇宙の意志によって、いかに生かされているか」という視点を抜きにした成功というものは、ビジネスのなかにもないと思います。それは数字の上だけの成功であって、ほんとうの意味の成功ではないからです。
 数字の上で、いくら業績をあげたとしても、あなたも、やがてビジネスの社会から消えていくときがあるでしょう。そのときに、「いったい何が遺ったのか。自分という存在は何だったのか。自分という存在がなかったとして、どうだったのか」ということです。こういう視点を忘れてはいけないのです。
(147~151ページ)

ビジネスのなかであっても、万象万物によって、大宇宙の意志によって、自分が生かされているという視点を抜きにした、ほんとうの意味の成功はない。

高みに上れば上るほど、崇高な精神に近づいていけばいくほど、ますます己を空しゅうし、低くしていくようであってほしい。

崇高なるものへ敬意を払う気持ちを、決して忘れてはいけない──。

慢心をいさめる大川隆法先生の珠玉のお言葉は、成功のための大切なポイントの一つでもあるってこと、なんですよね!



『成功の法』

大川隆法著


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なんだか政権が変わってから、不況が厳しくなってきたような気がすんだけど、さ。これからの経営って、どうしていけばいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊の『社長学入門』(幸福の科学出版)のあとがきで、こう教えておられます。

 自らに厳しくあれ。脇を引きしめよ。無駄な経費は削れ。しかし、それでも、会社は生き残れまい。どうやって、これからの「鳩山・小沢十年不況」から抜け出すか。私の頭はそのことに集中している。社会主義体制下の自由経済は、刑務所の中の営業の自由と同じで、あってなきが如しである。
 ただ、いえることは、逆風下でも前進するヨットのように一筋の「商機」に「勝機」を見出し、高付加価値企業を練り上げることだ。遅くはなろうとも人々は、間違いに気がつき、真のリーダーを発見するだろう。
 苦難を勝利に変えるべく、努力せよ。
(380~381ページ)

社会主義体制下の自由経済は、刑務所の中の営業の自由と同じで、あってなきが如し。「鳩山・小沢十年不況」──。

厳しいお言葉です。でもようやく、この夏に幸福実現党があれほど訴えていた、民主党政権のもつ問題性が、構造不況を呼び込む体質が、少しずつですが、誰の目にも明らかになりつつあるのではないでしょうか。

だからこそ私たちは、これからの十年、この大川隆法先生のお言葉に従って、「苦難を勝利に変えるべく」、智慧を絞って、ただひたすら努力していくほかないってこと、なんですよね!



『社長学入門』

大川隆法著


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幸福の科学って、何を教えてるの。たくさん出てるから、本を読めって言われても、どれから読んだらいいか、分からないよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)のあとがきで、こう教えておられます。

 かつて二千五百年前に、インドのゴータマ・シッダールタ、釈尊が説いた八正道は、現代人には難しくて、もう、はるか彼方のことと思われていよう。
 そこで私は、現代人にふさわしい、分かりやすい新しい道を探した。そして、四つの柱から成り立っている現代的四正道である「幸福の原理」を説いた。第一原理「愛の原理」、第二原理「知の原理」、第三原理「反省の原理」、第四原理「発展の原理」というかたちで、新しい取り組み方を示したのだ。
 おそらく、この四本柱、四つの原理をマスターして生ききることができれば、あなたがたの未来は、今世においても、来世においても、充分、光り輝いたものになるであろう。
 「愛」という言葉は簡単ではあるが、本来の意味における「愛」、仏陀の説く「慈悲」という意味における「愛」を、いまの時代に再現することは、とても大変なことであると感じた。
 また、情報社会が限りなく発展する現代において、宗教として、あえて、知の原理を説いた。このなかには、もちろん、私の本来願っている「仏法真理」という意味合いが入っている。しかし、それ以外の、いわゆる一般的な知の世界の原理をも射程には収めている。限りなく広がっていく学問の世界、情報の世界をも、じっと見据えた原理である。この教えの現代性を、きっちりと見極めていただきたい。
 反省の原理は、「仏教やキリスト教が何を教えんとしたか」といった、宗教の根本原理に立ち戻る教えである。もっともっと奥を学びたい方には、他の書籍や、幸福の科学のなかでの研修をお勧めする。
 発展の原理には、「これが宗教の内容か」と驚かれる現代性、未来性がある。これこそ、当会の一つの特徴とも言える。しかも、単に未来原理とするのみではなく、ギリシャ的精神から逆照射して、人間の生きるべきユートピア建設への道を説いたのが、この発展の原理なのだ。これを説くことによって、「いま行き詰まり感のある仏教やキリスト教、イスラム教などの未来が、どのようにあるべきか」ということさえ、指し示していると考えてよい。
(315~316ページ)

今日は、大川隆法先生が初めて法を説かれたことを記念してお祝いする、「初転法輪祭」。

そのよき日に、幸福の科学の教えを、大川隆法先生の言葉で端的にまとめられた部分を、今日はとくにご紹介してみました!



『幸福の法』

大川隆法著


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幸福実現党って、今日、再始動の大会を開いたんだってね。衆院選の結果、あれあれって感じだったから、もう政治なんてやめちゃったのかなって思ってたら、やっぱりまだやるんだ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福実現党宣言』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 本書には「幸福実現党軍言」という題を付けましたが、一八四八年にマルクスが出した『共産党宣言』の向こうを張ったつもりです。『共産党宣言』のために、そのあと人類は百五十年以上も苦しんだのです。
 結局、唯物論国家をつくる文明実験をされてしまったので、こちらは、「幸福実現党宣言」において、その正反対のものを目指したいのです。
 「幸福実現党宣言」は、「神仏の存在を認め、正しい仏法真理を信じる人々の力を結集して、地上に、現実的ユートピアを建設する運動を起こす。そして、その政治運動を、日本を起点として起こしつつも、万国の人々にもまた波及させていく。正しい意味での世界同時革命を起こすつもりである」という宣言です。
 このように、「マルクスの逆をやるつもりである」ということであり、人類を不幸にする一切の政治的な勢力と決別し、対決し、真理を地上に根づかせて、その真理に基づいた国家運営、政治運営をなしたいと考えています。
 そういうことを具体的に実行していきたいのです。
(23~24ページ)

幸福実現党の理想は、そして気概は、大きい。とてもとても大きい。まさに、マルクスの「共産党宣言」を滅ぼすために立党された、幸福実現党。

だからこそ、今年の最初の衆院選だけで終わってしまうなんて、最初からあり得ない。当然のこととして、今日の報道にもありましたけど、また全国で活動を開始したってこと、なんですよね!



『幸福実現党宣言』

 大川隆法著


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これまでは順調な人生だったのにさ、突然、重い病気なんだ。なにか、前世の因縁とかあったりするのかなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『朝の来ない夜はない』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 病気をしている人の心を探究したならば、ほとんどの人は憎しみや怒りを持っています。(中略)
 あなたには、誰か、憎んでいる人はいませんか。もし、憎んでいる人がいるのであれば、まず、その人と和解することが大事です。その憎しみが原因で病気を引き起こしているのですから、その憎しみを止める必要があります。
 あなたの憎しみには理由があるでしょうし、相手にも問題があるだろうと思います。そして、あなたは一方的に相手を責めているかもしれませんが、おそらく、相手の立場から見たことはないでしょうし、神様、仏様の目から見たこともないでしょう。一方的に相手を悪人にして、「あいつにやられた。いじめられた。あいつが憎い」などと思っているのでしょう。
 しかし、その憎しみが、あなた自身を病気にしているのなら、それは高くつきすぎです。
 ばかばかしい話ではありませんか。誰が、そんなに努力して毒薬を飲み続けるでしょうか。体が悪くなることが分かっているのに、毒薬を飲み続ける愚か者はいません。しかし、憎しみや怒りは“毒薬”なのです。
 「憎しみを持っている」ということは、「自分の体を破壊し続けている」ということです。それが、ガンなど、さまざまな病気になって表れてきます。
 その場合は、要するに、憎しみの想念が、自己を破壊する方向に働いているのです。相手を破壊しようとする想念が、実際には自分のところに戻ってくることがよくあります。あなたが憎しみの念で他人を攻撃しようとしても、その人が、あなたよりも強い人だったときには、その憎しみの想念が、あなたのほうに戻ってきて、あなた自身を破壊し始めるのです。
 「嫁が憎い」と思い、嫁をいじめている姑が倒れることもあれば、「お義母さんが憎い」と思っている嫁が倒れることもありますが、嫁と姑、この二人の心境と念力の差によって結果は違ってきます。相討ちになる場合も当然あります。力が拮抗している場合には両方が入院するのです。
 憎しみを持つのは損です。仏神に祈る前に、まず、「自分の心のなかに、憎しみや怒りなどが満ちていないかどうか」ということを反省してください。
 また、あまりにも不当な欲望や願望を持っていることが原因で病気になる場合もあります。人を出し抜いて金儲けに走ったり、ほかの会社を罠にかけて潰し、その商売を横取りしたりして、大勢の人を苦しめながら、自分だけの利益を追求して病気になった人の場合は、反省によって病気を治すことができます。
 そういう病気は自分自身で治せるので、どうか反省をしてください。そうすれば、病状は、悪化せず、良い方向に転化し始めます。
(49~52ページ)

あなたには、誰か憎んでいる人はいないか。もしいるならば、まずその人と和解することが大事である。

憎しみや怒りは体にとって“毒薬”。それで自分の体を破壊し続けることになって、さまざまな病気を引き起こす。

また、あまりにも不当な欲望や願望が原因で、病気になる場合もある。

そういう病気は自分自身で治せる。反省をすれば、病状は、良い方向にと転化し始める──。

もちろんすべての病気が、これが原因ではないわけですが、でも、この心の観点から、自分の病気を捉え治してみたときに、ハッと気づくこともあるってこと、なんですよね!



『朝の来ない夜はない』

大川隆法著


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いやあ、仕事ができない部下ばっかりでさ、しょうがないから自分でやるしかなくってね。もうオーバーワークで倒れそうよ。これじゃ、疲れ果てちゃって、もう仕事への意欲なんてわかないよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『感化力』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 スランプに陥りやすいのは、「何もかも自分でやろう」という気持ちの強い人です。完全主義の人ほどスランプになりやすいのです。
 そういう人は、「自分がしなければならない仕事、自分にしかできない仕事をしているのか。それとも、他の人の仕事を奪っているだけなのか」ということを、よくチェックする必要があります。
 完全主義者は、「自分でなければできない」と思い込み、力んでいることが多いのですが、実際には、「人を使うのが下手なだけ」「他人の仕事を奪っているだけ」「知恵がないだけ」という場合がよくあります。(中略)
 たとえば、会社の課長のなかには、自分がいないと仕事が絶対に回らないようにしている人がよくいます。そのため、その人が休みを取ると、課員は何をすればよいのか分からず、「課長が出てくるまで、お待ちください」と言って電話番をしています。こういう課長は他の人の仕事をかなり奪っているのです。
 自分が頑張るのは当然のことですが、それだけではなく、自分がいなくても、ある程度は仕事が回るようにしておかなくてはなりません。そうしたバックアップ・システムをつくっておくことは、自分のためでもあれば、他の人のためでもあり、また、会社全体のためでもあるのです。(中略)
 世の中には、駕籠をつくる人だけではなく、駕籠を担ぐ人もいれば、駕籠に乗る人もいるのですから、役割分担が非常に大事です。いろいろな人に、それぞれ仕事を受け持ってもらわなくてはなりません。
 したがって、自分が頑張るだけではなく、他の人にも仕事を与え、その人を育てることが大切なのです。
 上司とは、部下に仕事を与える存在です。上司が仕事を与えなければ、部下は伸びません。仕事を与えることは、その人を苦しめることではなく、育てることなのです。
 また、上司は部下を導く存在でもあります。上司は、「どうすれば部下が自分で判断できるようになるか。どうすれば部下がうまく育つか」ということを考えなくてはならないのです。
 たとえば、部下から相談を受けたときには、その人に対して、「こうしなさい」「ああしなさい」と言うだけではなく、「この点をどう思うか」「この本には、こう書いてあるが、それについて、どう思うか」などと問うことも大切です。
 そうすると、その人は、「うーん、そうだな」と考えはじめます。そのあと、「この本をよく読んで、もう一回、考えてみなさい」などとアドバイスすればよいのです。
 「相手の問題を、自分がすべて解決しなければならない」と思ってはいけません。その人にとって大事なヒントを与えてあげれば、それで充分なのです。(中略)
 相手の悩みに付き合うのではなく、その人がみずから立ち上がれるように導くことが大切です。それは、自分の仕事を軽減すると共に、その人をレベルアップさせることにもなりますし、ひいては、両方がスランプに陥ることを防ぐことにもつながるのです。
(194~199ページ)

上司とは、部下に仕事を与える存在。上司が仕事を与えなければ、部下は伸びない。自分が頑張るだけではなく、部下に仕事を与え、育てることが大切である。

また、上司は部下を導く存在でもある。どうすれば部下が自分で判断できるようになるか、どうすれば部下がうまく育つかを考えなくてはならない。

部下の問題を、自分がすべて解決しようとするのではなく、その人にとって大事なヒントを与えれば、それで充分である──。

大川隆法先生は問うておられます。

スランプになってるあなたは、完全主義じゃないですか。何もかも自分でやろうという気持ちが強すぎませんか。

自分がしなければならない仕事、自分にしかできない仕事をしていますか。他の人の仕事を奪っているだけじゃありませんかって。

今日は、部下への指導法とともに、どうして指導ができない上司なのか、という心の面からも、教えていただいたってこと、なんですよね!



『感化力』

大川隆法著


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なんで、あの世があるとか、死んでも霊となって生きてるなんて話、信じられるのかね。宗教が言ってることなんて、信じられないよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『知的青春のすすめ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「あの世があるか、ないか」ということは、可能性としては二つに一つなのです。
 単に、「自分が行ったことがないから信じられない」ということだけでは、「ない」ことの証明にはなりませんね。
 例えば、外国に行ったことがない人は大勢いますよ。でも、外国がないことにはならないでしょう。
 外国から帰ってきた人がいる。外国の情報を知っている人がいる。その人が外国について語る。それに対して、「自分は行ったことがないから、そんな話は全部、嘘だ」と言い切ることが通用するでしょうか。
 アメリカという国がある。「アメリカに留学しました」「アメリカで働きました」という人が帰ってくる。アメリカの話をする。それに対し、「私はアメリカに行ったことがない。私は村から出たことがない。そんな国を私は見たことがない。だから、君は嘘つきだ」と言う。
 「あの世なんか信じない」と言うことは、これと同じようなことなのです。(中略)
 われわれは、実際に実験したことがないことであっても、信じていることはたくさんありますよ。実際、そうですよね。 
 教科書に載っている科学的な内容を、誰もが信じているけれども、実際に自分で実験して調べたわけではありませんよね。
 例えば、石炭に強力な圧力をかけたら、ダイヤモンドに変わるらしいのですが、実際に自分でやったことはありませんよね。みなさんは、どうでしょうか。信じられますか。 
 成分は同じく炭素であり、石炭にグーッと強い圧力をかけたら人工ダイヤモンドができてくるわけなんです。
 しかし、それを信じるかどうかは自由ですよね。「石炭とダイヤモンドは違う」と言い張れば、それまでです。
 だから、われわれは、自分で実験していないことでも信じているのですが、これと同じなんですね。「何であれ、自分が実験しないかぎり信じられない」と考える人ばかりでは、世の中は回っていきません。
 やはり、それぞれの分野で専門的に研究している人がたくさんいるわけです。
 宗教も、全部が全部、詐欺師の集団ではありません。「何千年も、連綿と詐欺師が人々を洗脳し続けている」などということはありえません。
 国は違えども、世界各国で、いろいろな宗教が次から次へとできてきます。やはり、必要なものだから出てくるのであって、「あの世は実際にある」と考えたほうが結論は早いのです。
 真理とは単純なものなんですよ。宗教が起きる背景には、霊的な存在があるんです。あの世があるから、宗教が必ず起きるんです。シンプルなものが真理であり、正しいことなんですよね。
(267~270ページ)

自分が行ったことがないから信じられないということだけでは、あの世がないことの証明にはならない。それは、自分が外国に行ったことがなくても、外国がないことの証明にならないのと同じことである。

人は、自分で実験したことがないのに、教科書に書かれているだけで信じている科学的な事柄がたくさんある。宗教の専門家の報告を信じるのは、それと同じことである。

真理とは、単純なものである。国は違えども、時代が違えども、いろいろな宗教が次から次へと起きてくるのは、あの世があって、霊的な存在があるからと考えればよいのである──。

なぜ自分は、あの世があると信じることができるのか。今日は、その分かりやすい説明の仕方のひとつを、教えていただいたってこと、なんですよね!



『知的青春のすすめ』

大川隆法著


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ね、伝道が大事なんだよね。だったら、「精舎」で修行とかいって、研修なんか受けてる場合じゃないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 一見、逆説的なのですが、この世の多くの人たちを救うためには、多くの人たちから離れなければいけません。それができないと、逆に救えないのです。
 これはイエスにおいてもそうでした。群衆が、イエスを慕い、「助けてください」と、ぞろぞろと何千人もやってくるのですが、イエスは、霊力が切れてくると、この群衆から逃れています。舟に乗って逃げたり、山に籠ったりして、独りになりたがっています。
 独りになって閑静な所に退かないと、霊的な充電ができないのです。騒々しい群衆のなかでは、なかなか、それができません。閑静な所で瞑想し、霊的な充電をして、力が満ちてくるのを待つわけです。力が満ちてくると、群衆の前に出て話をすることもできます。そのときには、別人格のような強い力が出てくるのです。
 このように、宗教においては、「霊的エネルギーを補給し、そして放出する」というスタイルになっています。伝道など、外に対しての光の供給の部分が強くなればなるほど、光を補給する部分が必要になり、瞑想的生活が非常に大事になってくるのです。
 そのため、宗教家たちの多くは、山や森など、静かな所に、人知れず籠ります。これは非常に大事な大事なことです。そのあいだに、この世的な塵や垢の部分を落とさないと、どうしても、だめになるのです。
 この世に生きているかぎり、この世的な仕事から逃れることはできないので、実務的処理をやらなくてはいけないことがありますが、それが多くなると、霊的な資質が落ちてきます。しかし、瞑想状態にばかり入っていると、今度は、この世的な運営など、仕事の面で問題が起きてきます。
 宗教は、いつも、こういう矛盾した面を抱えています。逆に、この矛盾したものを抱えていなければ、本物ではありません。
 偽物であれば、むしろ一本化できるのです。何の霊感もなければ、この世的にだけやれるからです。
 また、あの世的にだけやっていて、お籠りだけをしている人がいます。仙人などはそうです。そういう、一人だけで修行している人は多いのですが、お籠りだけをしていると、大乗的な運動はできません。人々の救済にはならず、自分の救済までしか行かないのです。
 「それが幸福だ」という人もたくさんいるのですが、お籠りをして自分の救済中心になっている人は、いわゆる仙人なのです。仙人は組織も大勢の人もあまり好きではないので、仙人的なものは、やはり、趣味人の集まり、サークルのようなものまでしか行きません。
 お籠りと大衆布教、伝道は、宗教的には実は両輪なのです。
(208~211ページ)

伝道などで、外に対しての光の供給が強くなればなるほど、光を補給する部分が必要になり、瞑想的生活が大事になってくる。

しかし、逆に瞑想ばかりしていると、今度は、この世的な運営など仕事面で問題が起きてくる。

本物の宗教は、いつも、こういう矛盾を抱えているし、逆に、それがなければ本物ではない──。

「精舎」というのは、幸福の科学の参拝・研修のための宗教施設。

そこでの修行が大切にされているというのは、天上界から降ろされる「光」の充電を前提とした活動をしているってことで、それはすなわち、幸福の科学が本物の宗教であることを意味してるってこと、なんですよね!



『神秘の法』

大川隆法著


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仏教って、八万四千の法門(教え)があったんだってねー。なんでそんなにものすごい数の教えが説かれたんだろ。聞いてるほうは、もう勉強なんてできないじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『信仰告白の時代』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 釈尊には八万四千の法門があるといわれていますが、それは非常に数多くの教えがあるということの象徴です。なぜ釈尊がそれだけの数の教えを説いたかというと、多くの種類の人間がいるので、それぞれの人に合った法を説かなければ、それぞれの人にとっての救いにならないからです。
 他の人にとってはまったく問題にならないことが、ある人にとっては非常に大事なこともあります。また、釈尊の弟子や在家信者のあいだには、法の理解力にずいぶん差があって、そうとう勉強が進んでいる人もいれば、そうでない人もいて、さまざまなレベルがありました。それに応じて、教えに高低や幅の広さといった種類があり、それで教えの数が非常に増えたのです。
(132~133ページ)

交通も通信手段も、なきに等しいほど未発達だった2500年前のインドにおいては、海外に住む人々を意識して法が説かれる状況でなかったのは、間違いないでしょう。

でも、それでも、八万四千の法門が必要だった。

そう考えてみると、このブログもそろそろ1100回に達しようとしているというのに、大川隆法先生が新たな法を嵐のように説き続けられる驚異的なスピードにまったく追いつけていないのも、むしろ当然なのかもしれません。

世界の人口が100億人に向かっている増え続けている、この21世紀初頭。現代日本に再誕された仏陀は、あらゆる機根の人に向けて、さまざまなレベルの教えを、さまざまな角度から、強い情熱をもって、ひたすら説き続けておられる。

それはまさに、一切衆生の救済に向けた仏の慈悲なんだってこと、なんですよね!



『信仰告白の時代』

大川隆法著

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医学がこれだけ発達したのに、なんで、医学の力ではどうしようもない難病・奇病があるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心と体のほんとうの関係。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 まず、白血病など、血液に関する病気について述べると、これには明らかに霊的な原因があります。
 血液に影響が出てくるものは何でしょうか。血液は人間の生命の栄養源、供給源に当たるところです。この部分に何らかの病気が出てくる人には、通常、生命の発展・繁栄を阻害する要素のあることが多いのです。(中略)
 一つは、この世に生まれてくる前から、魂のカルマとして刻印されているものです。(中略)
 具体的には、過去世において、他の人の血を見るような事実があった人、人の生命を奪う出来事に参加したことがある人は、その光景が、魂の記憶として、魂の奥深いところに刻印されています。(中略)
 こういう人は、魂のなかに「自己破壊の思い」があります。(中略)人間の体は自然にできていると思うかもしれませんが、実際には、思いがあって形ができ、その維持もできています。その思いのなかに、自己処罰的な思い、本人が気づいていない潜在意識があると、病理現象が起きてきやすいのです。(中略)
 生命の発展・繁栄を阻害する要素のもう一つは悪霊です。
 悪霊に憑依されると、その霊の死因となった病気と同じ症状が出てくることがあるのですね。
 たとえば、原爆の後遺症など、血液系統の病気で亡くなった人の不成仏霊に憑依されると、その病気と似たような症状が出てきます。それは、人間の想念には物質的なものを形成する力があるからです。(中略)
 ただ、もちろん、すべてがカルマだけで片づけられるものではありません。ヘレン・ケラーが三重苦になったように、尊い目的を持ち、障害者の人生を計画して生まれてくる人もいます。(中略)
 それは、霊的に見れば一時的なことではあるのです。その間、徳を積むために、そういう姿をとっている人もいるのです。この地上を去ると、肉体的障害は、すべて解消され、自由な姿に戻ります。(中略)
 一般的に難病・奇病と言われるものにかかっている人には、可能性として、いま述べた三種類があります(中略)が、「自己責任の原則」というものがあるため、たいていは一番目か二番目が原因です。
 二番目の「悪霊の作用を受ける」という場合は、やはり問題は心にあります。私の著書に繰り返し書いてありますが、心の世界には「波長同通の法則」というものがあり、自分の心が出している波長と同じもの、同じ世界に通じるのです。(中略)波長が同通しなければ、悪しき霊とも通じないのですから、自分の心をまったく違った波長に変えていくことです。(中略)
 高級霊波長になるためには、明るさ、積極的な考え、希望、愛、勇気、こうしたもので心を満たしていくことが必要です。(中略)また、現に病人として生きている人の家族たちも、その方向で努力していくことによって、家庭を明るくしていくことができるでしょう。
(159~171ページ)

白血病など、血液に関する病気には、霊的な原因がある。

第一に、過去世で人の生命を奪う出来事に参加したことが原因となって、魂のカルマとして「自己破壊の思い」が刻印されている場合。

第二に、悪霊が憑依して、その霊の死因となった病気と同じ症状が出ている場合。

第三に、尊い目的を持ち、障害者の人生を計画して生まれてくる場合。

二番目の場合であれば、「波長同通の法則」で、問題は自分の心にあるので、明るさ、積極的な考え、希望、愛、勇気などで心を満たし、高級霊の波長に変えていけばよい──。

うーん、そして、私たち普通の人間には、原因がこのどれであるのかは分からないことなんですけれども、かりに第一の場合であったとしても、「病気の考え方」については、なんどかこのブログでも取り上げてきました。

要は、この病気を、今世の自分の「人生の問題集」の大事な問題のひとつとして前向きに捉えていくことが大事なんだってこと、なんですよね!



『心と体のほんとうの関係。』

 大川隆法著


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