ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



オレって、会社勤めなんかに納まり切れない能力の人間だって思うんだよね。もう脱サラして、独立しようって思うんだけど、いけるよね? なーんて切実な疑問抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 それまで、「自分には能力がある」と思っていたとしても、それは、実は組織の力であったことが多いのです。それが今度はまったくの個人の実力となったときに、「さあ、どうなるか」という未知数の部分がずいぶんあります。(中略)
 独立して成功するための大事な条件として、私があげておきたいのは、自主独立の精神があることです。これが第一前提です。「人の力をそれほど借りなくとも、なんとか自分で独立してやっていける」という気性の持ち主であることが第一の条件になります。
 第二の条件は、金銭感覚が発達していることです。
 あなたがいまの会社をやめて独立するとして、成功するかどうかをズバリ占うには、あなたがいったい何年勤務して、いくらの貯金をしたかを見れば、だいたい分かります。
 その貯金の額が、同年代の人の平均より少ないようならば、独立して成功する可能性は少ないと見て間違いありません。結局、あなたは浪費型なのです。浪費型の人は、独立しても成功できません。金銭に対する感覚が非常にシャープでなければ、たいていは失敗します。
 少なくとも、自分の事業資金を自分の力で貯めることができ、そのお金の大事さが分かったうえで仕事をする人ならば成功しますが、ひもつき型、「親方日の丸」型の発想で仕事をすると、ほとんど失敗することになるのです。
 自分自身で蓄財をしたことのない人間には、経営などできません。それは、入金と出金のバランスがとれないことを意味しているのです。
 個人として金銭にルーズな性格の人は、おそらく成功しないはずです。「一発、当ててみよう」「ひと花、咲かせてみよう」「何かチャンスがあったら、うまくいくのではないか」などと考えるような人は、ほとんど成功しないと思って間違いありません。こうした人は、やはり、人から給料をもらう側に回るのが筋でしょう。
 独立して、ひとりでやっていくためには、「やりくりをする」「リスクをできるだけ抑えて、将来を見すえていく」という考え方ができなければ絶対に無理なのです。
 第三の条件は、人に好かれる性格であることです。人にきらわれる性格であるがゆえに、会社をやめて独立しようとしているのならば、おそらく、また失敗するはずです。なぜならば、人間は決して銭金だけで動くものではなく、心意気で動いてくれるものだからです。
 あなたがよい人ならば、「協力したい」という人が必ず出てくるでしょう。ところが、あなたがまるで毛虫か何かのように人からきらわれる性格ならば、独立しても成功するはずはありません。その人に成功の雰囲気が漂っていなければ、成功はなかなか舞い込んでこないものなのです。
 以上の三つをよく考えてください。(中略)このなかの二つ以上の点で不安がある場合には、おそらく、あなたは現在の会社で給料をもらいながら人に使われつづけるか、あるいは転職して、他のところで給料をもらうのが筋でしょう。それを私は勧めておきます。
(245~250ページ)

第一に、自主独立の精神があるか。

第二に、自分で蓄財した経験があるか。平均以上の金銭感覚を持っているか。

第三に、人に好かれる性格、人が協力してくれるような性格であるか──。

今日は、前回の「勤め先を変える転職」を超えて、会社を辞めて自分で起業(脱サラ)しようとしている人へのアドバイスです。

この書籍の初版が刊行された1988年は、日本経済はまだ絶好調な時代でしたので、今の目からみると、大川隆法先生のアドバイスは、少し甘めだったのかもしれません。

その頃に比べると不況も長期化していますし、さらにコロナ禍の大不況も予想される時代ですので、独立起業の成功率は、比べ物にならないくらい厳しくなっていると考える必要がありそうです。

とするならば、です。

独立起業の可能性を考える方は、最低限、ここで説かれた3条件は満たすように、まずは自らを鍛えておくことをお勧めしたいと私は思っているのです。

『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著


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この世で成功するってのは、神仏が人間に望まれてることなんだから、当然、死んだら、天国に行けるんでしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀再誕』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
さらに、私の話を続けて聞くがよい。
おまえたちの幸福は、また、今世限りのものではない。
今世おまえたちが、この世にて味わった幸福は、
この地上を去った時に、あの世にて、どのような世界が、
おまえたちを待ち受けているか、それを明確に表しているのである。
おまえたちの今世得た心境が、
来世おまえたちが住む世界の境涯を決めるのである。
おまえたちはすでに学んでいることであろう。
あの世の天国といわれる世界にも、
さまざまな境涯があるということを。
下には、もちろん地獄という世界がある。
地獄という世界から上にも、まだまだ迷いの世界にいる人びともいる。
その上に、善人の世界もあり、
その上に、優れたる高級霊たちの世界もある。
世界は、幾層、幾十層に分かれており、
その細かい区分は、あの世に住んでいる者でさえわからないほどだ。
しかし、これがやはり真実であるのだ。
おまえたちが天界と呼んでいる世界も、
数多くの層にて出来上がっている。
その人間の心のありようが、明確に規定されるのである。

地上にいた時には、その肉体の良し悪しや、
肉体を用いた自己実現によって、
さまざまな結果が現れたであろうが、
来世において、おまえたちを待ち受けているものは、
それは、おまえたちの心の境地の高下しかない。
心高ければ高き世界に行き、心低ければ低き世界に行く。
それ以外の基準はないと思わねばならない。
ただ、心しなければならないことは、
地獄へと行っている人は、
この世的に成功しなかった人ばかりではないということだ。
この世的には成功しても、地獄へ行っている者は数多くいる。
これらの者たちは、人の幸福を祝うことができず、
自分の幸福のみを求めた人たちである。
いや、他人の犠牲のもとに自分の幸福を達成し、
自分の幸福を追求してきた者たちが、地獄界で苦しみのなかにある。

それは、生きていた時に、
その人を成功させるために苦しんできた人たちの
怨嗟の声であるということだ。
生きている時に、その人の成功のために犠牲になっていった人たちの、
その悲しみや苦しみの念波が、
その者たちを、そのように苦しめているのだ。
いや、生きている時に、多くの人たちを苦しませ、
悲しませたという事実が、その人の魂に蘇り、
その人の魂自身が、
今、そのカルマを刈り取っていると言ってもよいだろう。
およそ、心の世界とはそのようなものなのだ。
地上にいた時に、
自らは肉体のなかに宿っているがゆえに、鈍感であり、
他の人びとの感情に気がつかなかったかもしれないが、
もし、肉体を持っている時に、
あたかも地上を去った後のごとく敏感であるならば、
生きているうちにて、そのような地獄を感じたのである。
そのような地獄の波動を感じたのである。
されど、数十年の後に、
あの世にあってはじめて、そのように苦しむ者もあるのだ。
それをあざ笑うことは、何人もできない。
なぜならば、そのあざ笑う人自身が、
やがてそのようになる可能性が高いからだ。
(273~278ページ〔携帯版284~289ページ〕)

この世的には成功しても、地獄へ行っている者は数多くいる──。

今日は改めて、この仏陀の言魂によって、この世でのどのようなかたちの成功が、あの世での幸福でもあるのかを、深く味わい、考えてみたいと思います!

『仏陀再誕』

 大川隆法著


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田中角栄って、なんだかんだ言っても、人気あったよね。どうやったら、あんな人気を得られるのかな。そのコツ、知りたいよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『救国の秘策―公開霊言 高杉晋作・田中角栄』(幸福の科学出版)で、田中角栄本人の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 わしも雪の日の選挙運動っていうのが、よう効き目があるのを知っとるんだよ。
 若いころねえ、最初に逮捕された日(笑)……、まあ、あんまり古傷には触れたくはないがな。みな、最後のロッキード事件しか知らんだろうけれども、それより前にもあるわけよ。古傷があるんだ。
 最初に逮捕されたときは、「ああ、もう角栄は終わりだ」って言われてたんだ。だけど、雪の日に“雪だるま”になって、選挙演説をやったら、魚沼だったかな? なんか、ものすごい人気が出てなあ。それで大量得票しちゃって、落ちるはずのやつが、当選したんだよ。それで選挙のコツを覚えちゃったんだよ。やっぱり、意表を突かないといかんのだ、意表を。
 それは、ちょっとしたアクシデントっちゅうか、事故に遭ってな。わしは、演説会場に辿り着くまでに大変な目に遭って、それで“雪だるま”みたいになった姿で会場に現れて演説をやったんだよ。その雪がいっぱい付いた“雪だるま”でやっとるところがよかったんだ。
 そうすると、みな、「こんなになってもやるのか」と思って、「逮捕されたか、どうか」というようなことなど忘れてしまうわけだ。ポッと忘れてしまって、「これだけ熱心にやる人だから、そんなに悪い人じゃない」と思ってくれるわけだな。
 これで、わしは、だいたい選挙のコツみたいなものを覚えたなあ。
 だから、こういうのを知ってる人は、雨に打たれながらテレビカメラに撮らせたりしているよ。暴風雨のなかで濡れながらやるとかね。多くの人が、そういう普通でない状況をよく見ていることを知ってるわけだ。(中略)
 まあ、「普通、選挙運動する人なら、こういうふうにする」という常識的な考え方があると思う。しかし、みなが「まさか!」と感じるような頑張り方を見せないといかんわけだな。「こんなことは、普通はやらんものだ」というところを見せないといかんわけだ。
 今は夏だから、“雪だるま”になるのは、若干、難しいとは思うけどさ。「担架で運ばれて登場する」とか(会場笑)、ほかにいろいろあるんじゃねえか。(中略)
 だから、「ここまでやるか!」というところを、君、見せないといかんよ。もう、最後の最後になったら、階段から一回ぐらい転げ落ちろ(会場笑)。選挙の街宣カーの階段から転げ落ちてだな、ほんとは痛くなくてもええから、足に包帯を巻いて、ミイラみたいな片足になるわけだ(会場笑)。そして、杖を突きながら出てきて、「それでも、私は戦いをやめません!」と言うてやればいいさ。明治時代にも、「板垣死すとも自由は死せず」っていうのがあったじゃないか。(中略)
 でも、やっぱり、「自分はどういう人間か」ということをアピールすることは大事だ。まあ、政策も聴いてはくれるが、これはあとのほうからなんだ。まずは、人間として気に入られるかどうか。これが大事だな。
(154~158ページ)

みなが「まさか!」と感じるような頑張り方を見せればよい。

「自分はどういう人間か」ということをアピールすること。

政策よりも、まずは人間として気に入られるかどうかが大事である──。

え? 田中角栄って、逮捕されたのはロッキード事件だけじゃなかったの? と思って調べてみると、たしかに、若いころにも逮捕されてるんですねー。

多くの経験に裏打ちされた深い内容はもちろんですけど、でも、この語り口。親しみやすくって、分かりやすくって。

この、人を引きつける話の面白さが、田中角栄という政治家が「人間として気に入られる」ために、ずいぶん貢献してたんだろうなって思える、そんな霊言だと私は思っているのです。

『救国の秘策』

  大川隆法著


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仕事ができるようになるには、読むのが大事って分かったんだけど、でも、読むのが苦手なんだ。どうすればいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 読むことと同じく、聴くことも、情報を集めること、材料を仕入れることです。具体的には、ラジオを聴くことやテレビを観ることがそうですし、そのほかに、ビデオテープやカセットテープ、CDなどもあります。テレビやビデオは映像を見るものですが、音声を聴くものでもあります。
 聴くことも人間の持っている能力の一つであり、耳を通じて情報を集めること、材料を仕入れることも非常に大事です。他の人の話を聴くことも大事なのです。
 みなさんは、「耳も重要な武器である」と思わなくてはなりません。目だけでなく、耳も仕事の武器として使えるのです。
 忙しいときには、目と耳を別々に使って、テレビを観ながら本を読むことも可能です。本を読みながらでも、耳で聴いていれば、テレビの内容は分かります。そういうこともできますし、耳には、それ以外の使い方も可能でしょう。
 このように、耳も充分に使うことです。
 「耳も仕事の武器として使えるのだ。耳を上手に使えば、仕事がよくできるようになるのだ」ということに気づいていない人が意外にたくさんいます。しかし、聴く能力も非常に大事であり、耳からも勉強ができるのです。学校の授業などにおいても、かなりの情報が耳から入ってきます。
 耳から入る情報は、意外に、目から入る情報よりも定着率が高く、目で読むよりも、他の人が話していることを耳で聴くほうが、けっこう記憶に残りやすいのです。
 現代はテレビ全盛の時代です。テレビを観るほうが、本や新聞を読むよりも楽なので、現代人はテレビを観ることが多くなっています。
 しかし、知的効果について、テレビと読書を比較すると、テレビの一時間は読書の十分程度にしかすぎないと思います。かなりよくできたテレビ番組であれば、情報量は多いこともありますが、たいていの番組は内容が希薄であり、「平均的に見て、一時間のテレビ番組は、読書に換算すると、十分程度の知的効果しかない」と感じます。(中略)
 もっとも、読書では得られない知識がテレビから得られることもあります。たとえば、海外ものの番組などの場合がそうです。自分にとって専門外の分野や、自分が経験したことのない世界に関しては、テレビで観ると、よく分かることがあるのです。
 自分とあまり関係のない分野の知識は、普通はなかなか入ってきませんし、そういう分野の本は、読む気も起きません。たとえば、「自分は歯科医である。歯のことは、よく知っている」という人が、一念発起し、遠洋漁業の本を買ってきて一生懸命に読むなどということは、ほとんどありえない話でしょう。しかし、遠洋漁業の船団がアフリカの喜望峰を回ってマグロ漁をしているところをテレビで観れば、「こうやって漁をしているのか」ということが分かります。
 このように、テレビでは、自分とあまり関係のない分野の情報を簡単に得ることができます。自分が経験できないようなことについては、テレビ番組の情報価値は、わりに高いのです。
(102~105ページ)

聴くことも人間の持っている能力の一つであり、耳を通じて情報を集めること、材料を仕入れることも非常に大事である。

耳から入る情報は、意外に目から入る情報よりも定着率が高い。

また、テレビの一時間の知的効果は、読書の十分程度にすぎないが、自分が経験できないようなことについては、テレビ番組の情報価値は、わりあいに高い──。

なるほど、なるほど、です。

最近は、目を酷使してましたけど、改めて考えてみると、耳のほうはなんだか軽くみてた気がします。

せっかく仏に与えられている、あらゆる能力を使い切っていくことって、とても大事なことなんじゃないかって、今日、私は深く反省してしまったのです。

『幸福の法』

 大川隆法著


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「無我」なんて言われても、自分があって、その自分をこの世でしっかりと主張しないと、この世で自己実現できないじゃない? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 無我の思想は、別の言葉で言えば、「自分を捨てる」という考え方でもあります。
 「自分を捨てる」というのは、「より高次な自分を得るために、低次な自分、すなわち、物質界にとらわれて悶え苦しんでいる自分を捨てる」ということでもあるでしょう。「欲しい、欲しい」と、奪う心になる、その気持ちを捨てていくことによって、より高次な自己実現を成すことができるようになるのです。
 いちばん多く捨てた人が、いちばん多く得ることもあります。
 いちばん多く捨てた人とは、どういう人でしょうか。それは、客観的には有限のものである、自分一人の命を、数十年、あるいは百年の命を、自分以外のもののために使いきった人のことです。そのようにすればするほど、その使いきった命は、さらに大きな命となって、よみがえってくるのです。
 有限の命を自分のためだけに使った人は、その命がそれ以上のものになることはありません。しかし、有限の、数十年の人生を、自分以外のもののために、五十パーセント、六十パーセント、七十パーセント、八十パーセント、九十パーセント、九十九パーセント、百パーセントと使った人は、その命が何十倍にも何百倍にもなって生まれ変わってくるのです。
 そういうことができる人とは、どういう人でしょうか。
 少なくとも、価値観の基準、原点が、この世にあれば、利他に徹することはできません。
 価値観の基準、原点が、この世にあって、外見だけ、そのように見える生き方をする人は、いわゆる偽善者であることが多いと思います。「人にほめられたいがために、自分を飾るために、名誉心のために、虚栄心のためにやる」という場合が多いでしょう。
 偽善ではなく、ほんとうに自分を捨てられる人がいたならば、それは霊的な人であり、仏や神に愛されている人です。あるいは、自分の気持ちのなかに仏や神と同通するものがある人です。そうでなければ、そういう生き方はできないはずです。
 人間は、本能のままに行けば、自分をより拡張する方向に、自己、自我を拡張する方向に努力していきますし、それが、この世的な成功の原理のように思われているところがあります。確かに、そうしなければ、負けてしまうように見えることもあります。この世的には敗北に見えることが多いでしょう。
 しかしながら、もう一段大きな、ほんとうの意味での勝利を願うのであるならば、視点を、百八十度、くるっと変えなければいけません。
 より多くの人々のために生きる人、より多くの人々のために命を捨てる人こそ、より多くの実りを得、より多くの命を得、仏神から頂いた命を、十倍、百倍、千倍に生かしきることができるのです。
(310~313ページ)

無我の思想は、「自分を捨てる」という考え方でもある。

いちばん多く捨てた人が、いちばん多く得ることもある──。

うーん、なるほどなるほど、です。

今日も、前回に引き続き、「無我」についてのお教えを、ご紹介してみました!

『神秘の法』

 大川隆法著


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坂本龍馬って、幕末に海援隊を組織したりして、ほんとにスケールが大きい人だったと思うんだけど、いま生きてたら、いったい何をするのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『龍馬降臨──幸福実現党・応援団長 龍馬が語る「日本再生ビジョン」』(幸福の科学出版)で、坂本龍馬の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 宇宙戦艦ヤマトをつくるよ。今の海援隊は宇宙戦艦ヤマトじゃ。それは地球防衛軍じゃ。地球防衛軍をつくらないかん。
 だから、日本が軍備をしちゃいかんというんだったら、もう自衛隊なんてやめてまえ。で、「日本は、もう自衛隊なんかつくりません。日本の軍隊なんか要りません。地球防衛軍を創設いたします」と、これでいいんですよ。そいで、そんなかの旗艦を「宇宙戦艦ヤマト」と名付ければよろしい。(中略)
 あんまりナショナリズム的に言うのが、悪いことのように言われるんだったら、日本に地球防衛軍を創設する。これが海援隊だ、今で言えばな。
 明治前の海援隊は地球防衛軍に相当するものだ。規模的には、そのくらいの考え方に相当する。
 だから、あなたがたには、ぜひ、宇宙戦艦ヤマトの建造にかかっていただきたい。うん。そして、地球の危機に取り組んでいただきたい。
 宇宙戦艦ヤマトは、地球上のさまざまな争い事をなくすためにも活躍せねばならんが、もし宇宙から巨大隕石が地球を襲ったときには、地球から発進して、それを撃ち落とさねばならん。
 そういう意味では、「宇宙技術も開発しなければならない」ということだな。今、軍隊のことも言ったが、「宇宙技術もやらないかん」ということだな。「宇宙に対しても警戒を怠るべからず」ということだ。
 巨大隕石も来るかもしらんが、宇宙人も、いっぱい来ておるぜよ! (中略)そんなに明確な攻撃は、今、されてるわけではないけれども、偵察部隊で、いっぱい入ってきとるんで、突如、現れてきて、攻撃行動をされることだって十分にある。
 そういうことで、宇宙研究も、ものすごい遅れとるぜよ! これ、いかんぜよ。
 だから、宇宙防衛も考えておればだな、国の防衛も一緒さあ。宇宙人と戦えるぐらいだったら大丈夫だよ。どこと戦っても十分に守り切れる。「今の海援隊」ということなら、そのくらいの地球防衛軍、ないし、地球を宇宙から防衛する気持ちまで持ったものを、わしは考えるなあ。(中略)
 さっきも、核アレルギーがどうのこうのと、まあ、ちんまいことを言うとったからのう。だから、核アレルギーじゃなんじゃ言うんだったら、核兵器なんか言わずに、宇宙を目指して、「宇宙開発」と言うとりゃええんだ。(中略)
 だから、宇宙開発を、もうガンガンやったらええ。そりゃ、今の「新産業起こし」にもつながることやろ。職がない人はいっぱいおるんだから、職をつくってやれ。それには宇宙開発だ。宇宙に行って、資源を開発したり、住めるとこも開発したりする。夢があるじゃないか。(中略)
 そうすれば、同時に、それは国防にもつながるだろ。
(131~137ページ)

幕末の海援隊は、地球防衛軍に相当する──。

いやあ、宇宙戦艦ヤマトに、地球防衛軍ですかあ。

龍馬という人は、ほんとうにスケールが違うんだなあと私は思っているのです。

『龍馬降臨』

 大川隆法著


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うちの子、非行に走っちゃって、どうしようもないの。これって親のせいなのかなって反省してるんだけど、いま死んだら地獄に行っちゃうのかな。いまからどうすれば、いいのかな? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福へのヒント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 物心が付いてからは、ある程度、自己責任というものが生じてきます。したがって、中学生や高校生あたりで、非行に走ったり、犯罪的な行為をしたりした子供が、そういう状況のなかで亡くなった場合は、自己責任が生じ、作用・反作用の法則がきちんと働くのです。
 その結果、彼らは地獄という世界に必ず行くことになります。
 地獄には、いろいろな所がありますが、彼らが行く所はそう多くありません。地獄界の比較的浅い層のなかに、傷害、暴力、脅しなどの犯罪者たちがよく住んでいる、やくざの世界に似た所があります。彼らは、そういう地獄に行くことが多いようです。
 それ以外には、性犯罪などで、また違った所に行く人もいますし、泥棒などを重ねている子供は、いわゆる畜生道、動物界に行くこともあります。
 子供の非行等の大多数は、情緒障害を起こして、親に暴力を振るったり、近所の子供たちとけんかや争いをしたりするというような場合が多いでしょう。そういう子供の心は地獄の阿修羅界に通じています。そこは、「自分が倒されるか、相手を倒すか」という、恐怖の連続の世界であり、はっきり言って、正しい生き方に目覚める機会は、かなり先になります。(中略)
 子供の非行の原因はどこにあるかというと、第一原因は家庭教育にあると見てよいと思います。もっと端的に言うならば、家庭教育のなかで宗教教育が欠けていることです。ここが最大のネック(障害)です。
 そして、これを助長するがごとく、文部科学省の教育等においても、宗教や倫理などを家庭で教えにくいような指導をしているように思われます。(中略)
 国と宗教の関係において、現在は非常に悲しい状況にあります。したがって、その改善にはもう少し時間がかかるでしょうから、まずは、家庭教育のなかで信仰を教えていくことが必要です。
 そのためには、家族のなかに、少なくとも一人は幸福の科学の会員がいてほしいのです。そして、家族に仏法真理を伝えていただきたいのです。
 少年犯罪、青年犯罪のほとんどは情緒障害によるものです。その情緒障害は、「宗教的良心というものを家庭のなかでつくれなかった」ということに起因しています。それは、「親に宗教的な素養がなかった」ということが非常に大きな原因になっています。
 そういう子供たちは、努力すれば救えるものなのです。ところが、努力せずに放置しているから、そうなっているのです。
 まず親が仏法真理を知り、それを子供に伝えていくことが大事だと思います。
(154~159ページ)

子供であっても、物心が付いてからは自己責任であり、非行や犯罪的行為をするなかで亡くなったら、地獄に行ってしまうことになる。

子供の非行の第一原因は、家庭教育のなかで宗教教育が欠けていることにある。

まずは親が仏法真理を知り、それを子供に伝えていくことが大事である──。

要するに、子供の非行を防止するためには、仏法真理、つまり大川隆法先生の教えを学び、子供に伝えていくことが、もっとも効果があるってこと。

この大切な事実を一人でも多くの人に知ってもらえたらと私は強く強く願っているのです。

 

『幸福へのヒント』

 大川隆法著



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1960年の安保闘争を理論的に指導したことで有名だった、政治学者の丸山眞男って、死後、天上界に還ってるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『日米安保クライシス―丸山眞男vs.岸信介』(幸福の科学出版)で、丸山眞男の霊の言葉(「霊言」)を、質問者Aとの対話の形で、次のように伝えておられます。

丸山眞男 うん? 亡くなったって? 君は私と対話してるんだろ? 対話してる相手に対して、「死人だ」って言う。これ、失礼だよ、君。それが分からないのか。
A── でも、今が二〇一〇年であることは、ご存じですか。
丸山眞男 そんなの、分かるわけがない。君、それを言うのか。君は精神病院に行かなきゃいけない。君は自分が未来人だと言ってるわけだろ?
A── 先日、大川隆法総裁はマルクスの霊を呼び出されたのですが、マルクスの霊も、今のあなたと同じようなこと言っていました。
丸山眞男 ふーん。
A── マルクスも、自分が死んだことに気が付いていないようですけれども、あなたも、かなり似ているんです。
丸山眞男 マルクスが死んだことぐらいは、私は知ってるよ。歴史上、そうなってるよ。
A── では、あなたは、死後の世界というものは認めていたのですか。
丸山眞男 うん?
A── 死後の世界。
丸山眞男 うーん、ま、学問的には解明されてないな。解明されてないものは、ないのと一緒だ。
A── 「死後の世界はない」と。
丸山眞男 あるかもしれないけど、どちらかといえば、「遺族の情緒的な感情を護るために、仮想現実として、そういう世界があってもいい」というレベルの問題じゃないかな。
 遺族にとっては、「亡くなった人に、もう会えない」ということは悲しいから、「霊界というものがあって、ときどきは、あの世に還ったおじいさんやおばあさんに会える」とか、「死んだお父さんやお母さんに会える」とか、「お彼岸に会える」とか、「法事のときに来てくれる」とか、「自分も死んだら、あの世で会える」とか、そういうふうに思うのは肉親の情だよな。
 その肉親の情を断ち切ってしまうほど私は非情じゃないから、そこまでは言わない。「亡くなった者を偲ぶ者の感情を護る」という意味での高等な作法として、そういうものが仮定されても構わないとは思うけれども、現実問題としては、君、「学問的に検証できないものは認めない」というのが科学的態度ですよ。
A── そうすると、丸山先生は唯物論者なのでしょうか。
丸山眞男 いや、別に唯物論者だとは言わないけど、私は、カント以来の哲学の流れに沿って、ものを考えているわけであり、どちらかといえば、それは「不可知論」のほうに近いかな。
 だから、「明らかでないものについては、学問は立ち入らない」ということかな。「実験で明確に検証できるものについては、研究対象になるけれども、実験で分からないもの、魑魅魍魎については扱わない」ということだね。
 孔子も、「怪力乱神を語らず」と言っているように、「怪しげな幽霊や鬼などのようなものについては語らない」というのが、学者としての正しい態度だな。
(42~46ページ)

ここにご紹介したやりとりでも一端が伺えますが、丸山眞男は、死後、地獄に堕ちており、自分が死んだことも知らないまま時間が止まっていて、これはカール・マルクスなどと同様でした。

死後の世界を信じていない唯物論者が、自分が死んでも霊として生きているという事実を認めようとしないのは、当然のことなのかもしれません。

でも本人が認めようが認めまいが、あの世は厳然としてあります。人は、永遠の生命を生きており、死んでも霊として存在します。

こういう悲しいやり取りを霊言集で読むたびに、このもっとも基本的な事実は、なんとしても一人でも多くの方に、お伝えしていかなければならない。

改めて、そう強く強く私は決意しなおしているのです。

日米安保クライシス―丸山眞男vs.岸信介 (OR books) 『日米安保クライシス―丸山眞男vs.岸信介』

 大川隆法著

 

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学校の勉強って大切だよね。学校の勉強をしっかりしておけば、人生、成功できるんでしょ? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『希望の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 洋の東西を問わず、「成功するためには能力が必要である」と言われています。
 しかし、私の、これまでの人生を振り返ってみると、能力だけで言えば、いろいろな面で私より能力があると思える人はたくさんいましたが、それが必ずしも成功に結びついていないように見えます。(中略)
 たとえば、「考え方が明るい」「考え方が積極的で建設的である」「失敗したら、よく反省をする」「約束を守る」「陰で悪いことをしない」などといった部分は試験の点数には現れてこないものですが、そういう、試験の点数で測れるもの以外のところで何か違いがあったように思います。(中略)
 成功するためには、学校では教えてくれない成功法則を、できるだけ学んでいく必要があると言えます。
 これは、ほんとうに教えにくいものなのです。
 たとえば、お金儲けの方法、お金持ちになる方法は、学校では教えることのできないものです。
 お金持ちになる方法を講義するには、自分もお金持ちになっていなければならないでしょうが、小学校や中学校、高校、大学の先生で、実際にお金持ちの人は少ないのです。もちろん、「親の資産があって、お金持ちだ」という人はいるかもしれませんが、本人がお金儲けに熱中していたならば、おそらく教師や学者はできないでしょう。一般には、その正反対の場合が多いので、お金持ちになる方法は、なかなか学校では教えることができないのです。
 「恋人や結婚相手に、よい人を選んで、幸福になる」という方法も、学校では教えてくれません。これも、なかなか教えることのできないものです。
 親が教えることのできる場合もありますが、親自身が結婚で失敗していることも多く、その場合は、親も、どうしたらよいかが分からず、子供に教えることができません。そのため、子供も親のまねをして失敗することが多いようです。
 また、その延長ではありますが、人間関係をよくしていく方法、人間関係でうまく調整をつけていく方法も、学校では教えてくれません。
 試験の点数の上げ方や、「どうすれば入試に合格できるか」というようなことは、学校や塾で教えてくれますが、お金を儲ける方法、よい伴侶を得る方法、友人や知人などとの人間関係を良好に保って発展させる方法については、教えてくれるところはまずないのです。
 人生で実際に大事なことは、ほとんどが“リング”の外にあるのです。そういうものを教えてくれるところはないので、リングの外において、阿吽の呼吸で、いろいろなことを経験的に学んだり他の人から学んだりしながら、それを身につけられる人だけが身につけるというかたちになっています。
(113~117ページ)

人生で成功するためには、お金を儲ける方法、よい伴侶を得る方法、人間関係を良好に保って発展させる方法など、学校では教えてくれない成功法則を、できるだけ学んでいく必要がある。

人生で実際に大事なことは、ほとんどが“リング”の外にある──。

幸福の科学の精舎では、まさにここで指摘されているような学びを得られる研修、そしてそれに関連する祈願などが、数多く公開されています。

要するに、幸福の科学は宗教だけれども、学校では教えてくれない成功法則を、自分のものにすることができる場でもある。

知らない人が聞くとおそらく驚きの事実を、今日は改めて確認できたと私は思っているのです。

『希望の法』

 大川隆法著

 

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ねえ、アメリカの大統領選って、民主党のバイデン候補のほうが優勢なんでしょ? 共和党のトランプ大統領って、やっぱり再選されないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊の『米大統領選 バイデン候補とトランプ候補の守護霊インタビュー』(幸福の科学出版)のあとがきで、こう教えておられます。

 率直なところ、両者の意見を比べてみて、私は、トランプ氏再選が世界にとって望ましいし、日本にとっても望ましいと思う。
 チャイナ・ウィルス説は、世界の左翼系マスコミと中国擁護派活動家たちが水面下で活動し、自然発生説や世界同時複数発生説を多数派に持っていこうとしている。しかし、情報公開をせず、言論の自由のない今の中国の主張は認めがたい。十五年ほど前から研究されていたコウモリの「コロナウィルス」が、武漢のウィルス研究所に関係なく広がったとは思えない。また武器として使用された疑いも否定しがたい。
 バイデン氏が次期大統領になると、中国が次の覇権国家になる可能性が出てきた。米国民に、独創的政治家と独裁者の区別がつき、正しい選択をしてくれることを祈るばかりである。
(3~4ページ)

いやあ、まず本書の帯を見て、仰天しました。

「神は、次期大統領として、トランプを使命された!」と、大書されています。

大川隆法先生は、本書のまえがきでも、ここに引用したあとがきでも、客観的な意見を淡々と述べておられますし、本書自体、バイデンとトランプ両候補の守護霊に、その本音を淡々とインタビューした内容が、そのまま公開されたものです。

でも、読めば読むほどに、アメリカのためであるのはもちろんのこと、日本のためにも、世界全体のためにも、次期大統領はやはりトランプ候補以外にはあり得ない話であることが、ひしひしと分かってきます。

トランプ候補の守護霊インタビューはすでに何冊か出されていますので、その本音の考えは、予想どおりのものだと感じます。

ところが、バイデン候補の人柄や考え方などは、あまり日本には伝わってきませんので、その語られた本音は、ひとつひとつ驚くことばかりです。

特に、日本に対する考え方は、日本人としては恐るべきものと感じざるを得ません。

そんな両候補の守護霊インタビュー全体を読み終えて、この衝撃的な帯コピーを見直してみると、これはまさに一言で本書の内容を書き表していたことに気がつきます。

いずれにしても、本選が間近になってきたアメリカ大統領選挙の行方に、少しでも興味関心がある方にとって、必読必携の最重要書籍がついに発刊されたのだと私は強く思っているのです。

米大統領選 バイデン候補とトランプ候補の守護霊インタビュー 『米大統領選 バイデン候補とトランプ候補の守護霊インタビュー』

 大川隆法著

 

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私、劣等感が強いんだ。これは自分の「人生の問題集」の最重要問題じゃないかって思えるんだ。時間をかけて、じっくり克服していかなきゃって思ってるんだけど?  なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『感化力』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 教えというものは相手によって変わります。教えには、入り口の教えから始まって、中級や上級まで、いろいろなものがあり、どのあたりの人を対象にするかによって考え方が変わるのです。
 「自分の心を深く見つめて、劣等感などマイナスの部分を取り除いていく」という考え方は、わりあい、広く浅く、多くの人に当てはまる教えです。「とりあえず、自分の心のなかにあるマイナスの部分について点検してみよう」というのは、比較的、重要ではあっても、最初の段階ぐらいの教えなのです。
 勉強が進んでいくにつれて、次の段階では、さらに、いろいろなことを勉強し、考える必要があります。
 「劣等感を取り去ろう」という考え方の、一つの問題点として挙げられるのは、「自分のことしか考えていない」ということです。劣等感に悩んでいる人は、たいてい、自分のことしか考えていなくて、ほかの人のことを考えたことがまったくないのです。
 ときには、少し自分のことを忘れ、もう少し広い世界を見て、「世の中をどうにかしたい」という気持ちを起こさなければいけません。
 自分が生かされている、ほんとうに大きな世界を知って、「劣等感と優越感のあいだを揺れる心というものが、いったい、どれほどのものなのか」ということを、よく考えてみてください。そうすれば、それにどれだけの時間をかければよいかが分かるはずです。
 劣等感との闘いに時間を費やすことは、無駄ではありませんが、一生を費やすほどのことではないのです。劣等感と優越感のあいだを、振り子のように揺れて一生を終えたならば、人生を振り返ったときに、何ら生産的な生き方をしていなかった自分というものを発見するはずです。
 劣等感との闘いは、いったんは経験する必要のあるものだと思いますが、それにあまり時間をかけすぎると損をします。そこから早く抜けなければいけません。大切な人生なのですから、「もっと生産的なこと、もっと積極的なこと、もっと建設的なことを考えよう」という思いを持つことが大事なのです。
(218~220ページ)

劣等感に悩んでいる人の多くは、自分のことを考えているだけで、ほかの人のことを考えたことがない。

ときには、少し自分のことを忘れ、もう少し広い世界を見てみること。自分が生かされている、ほんとうに大きな世界を知ること。

劣等感との闘いは、一生を費やすほどのものではない。大切な人生、もっと生産的なこと、もっと積極的なこと、もっと建設的なことを考えようという思いを持つことが大切である──。

劣等感は、多くの人がぶつかっている問題ではないでしょうか。

でも、こんな角度からお教えいただくと、自分だけでは見えなかった部分が本当によく見えてくる気がします。

そして、人生の師にして仏陀が法を説いてくださることのありがたさが、改めてしみじみと分かってくる気がしています。

今日は、前回に続き、もう少し大きな目から説かれた教えを、ご紹介してみました!

『感化力』

大川隆法著

 

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昔から、金星人と会った、なんて人が書いた本が出てたりするけど、金星に人がほんとに住んでるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宇宙人リーディング』(幸福の科学出版)で、次のように伝えておられます。

 すでに調査された結果によれば、「金星の三次元(物質世界)には人間は住んでおらず、四次元以降の世界(霊界)に金星都市ができていて、この世の存在ではない四次元霊界に金星人の町がある」というような報告がなされていると思うが(『宇宙人との対話』第5章参照)、それは、まあ、ある意味では当たっており、ある意味では当たっていないと思われる。
 確かに、四次元世界に金星都市があることは事実であるし、その四次元世界からUFOが飛び立って三次元化し、この世界にやってくる場合があることも事実だけれども、金星においても、実は、霊界だけではなく、三次元世界にも生物は棲んでいる。(中略)
 金星の海は、硫酸ガスが溶け込んでいる海なので、地球で言うと、普通の生命が棲むことは極めて難しいけれども、金星では、もう何億年もたっているので、これに適応できるような生物が、すでに棲んでいる。あなたの魂は、その生物の肉体に宿ったことがある。(中略)いわゆる美しいスタイルの金星人ではなく、その水のなかに棲む生き物なので、「水棲人」と言うべき水棲動物である。
 それは、酸性が強い、高温の水のなかに生きることができる生き物で、地球にはいないタイプである。この生き物そのものは、UFOに乗って地球に来ることはできなくて、金星に棲み着いている。
 地球であれば、例えば、海に棲むイルカなどは、「知能が高く、人間とそう変わらない」と言われている。金星においても、三次元で生活するもののなかには、「知能は高いけれども、人間ではない」という存在が、実際には存在しているのである。
 特に、その酸性の海に棲まなければならないので、酸に強い防護服に似た感じの皮膚を持っている。体長は三メートルぐらいある。
 地球にある生き物で、いちばん似ているものがあるとすれば、たいへん失礼ではあるけれども、爬虫類ではなく、両生類に近い生き物である。ただ、外見は、まあ、爬虫類を思わせるような装備というか、強固な皮膚組織を持っている。
 いちばん近い姿を、あえて言うとすれば、イボガエルである。「三メートルぐらいのイボガエル」というのが、いちばん近い姿と言うべきである。だから、そうとう強固な、厳しい環境でも生息できる肉体になっている。(中略)
 足の指、手の指には水かきがついている。
 目は、基本的に、白目の部分が赤もしくは橙色をしており、そのなかに、猫の瞳のような、縦に細い瞳が入っている。(中略)
 あなたは、金星で、そういう経験を積んで生活してみたものの、やはり、その姿であっては、知能は高くても、高度な文明生活ができないため、志願して、地球に転生することを望んだ。
 だから、四次元の霊界に還ってきたあと、四次元から三次元に物質化する円盤に乗り、地球への転生志願者の一人として、地球に生まれてきたわけである。
 地球に来た年代は、おそらく、うーん……、アトランティスより、もう少し古い時代のように、私には思われる。その時代に、円盤に乗ってやってきている。
(42~48ページ)

・・・驚くべし!

これって、月刊「ザ・リバティ」の里村編集長(当時)の想念帯を、大川隆法先生が、その「六大神通力」を駆使して読み取って(リーディングして)、その内容を説明しておられるシーンの活字起こしです!

2010年に本書は発刊されたんでしたが、当時、まさにこの「リーディング」の場面の映像そのものが、幸福の科学の精舎で公開されていました。

それから10年。

公開霊言シリーズの書籍も、もう550冊を超えたそうです。

改めて、ものすごい奇跡の御業(みわざ)に、同時進行で立ち会ってきているのだなあと私は思っているのです。

 

宇宙人リーディング (OR books) 『宇宙人リーディング』

 大川隆法著

 

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豊かになるとか言ったって、要は金儲けじゃないの。宗教者は、やっぱり清貧でしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ここで言っておきたいのは、各人の信条そのものを曲げることはできないということです。もし清貧、清く貧しいことをいいことだと思うならば、それはそれでかまわないと思います。清貧を信条として生きるのは、それはそれでいいでしょう。そうした生き方もあります。
 ただ、この場合には、人をうらやまないということを、自分に対する戒律として必ず規定してください。清貧にあまんずるのはその人の自由ですが、決して、それを他の人に対する裁きに転じないようにしてください。人にはいろいろな生き方があり、考え方があります。「自分は清貧をもってよしとするが、これを決して人に押しつけることはしない。人をうらやんだり、嫉妬したりしない」――こうしたことが大事です。
 もし清貧をよしとする心を嫉妬心に転ずるならば、貧しいということは悪になります。逆に、貧しいということが、物質的なものに執われず心の波長が精妙であるということならば、この貧しさは善です。しかし、貧しいことがかえって他の人の物質的なものへのうらやみ、羨望を生んで、心に曇りをつくっていくならば、この貧しさは悪です。
 こうした悪を、もし自分や自分の周りに発見したならば、それと戦い、それを克服していくことです。貧しさが自分を縛り、みじめにし、そして他の人をうらやみ嫉妬する自分をつくっていると思うならば、努力して克服していくべきであると思います。
 あり余るほどの資産があって悩みをつくる人もいるでしょうが、資産がゼロ、あるいは負債状態にある場合と、手元に豊かな資金がある場合とを考えてみると、やはり豊かなほうが心の調和はとりやすいということが、原則として言えると思います。
 俗に、「お金の心配をしないほどのお金」とよくいいますが、その程度の富は、やはり善であると思います。不自由しないほどのお金というのは、やはり善であって、これを肯定しなければ、人をうらやんで生きていく、みじめな生き方になっていきます。
 清貧で生きていくならば、人のことはうらやまないことです。人のことをうらやむような自分であるならば、努力してその貧しさから脱却することです。それを、自分ではっきりと目標として立てるべきです。そして、ある程度の豊かさを目標とするならば、それなりの努力をしていく必要があると思います。
(141~144ページ)

清貧を信条とするのはよいが、その場合、人をうらやまないこと。他の人に対する裁きに転じないこと。

貧しいことが、他の人の豊かさへの羨望を生んで、心に曇りをつくっていけば、貧しさが悪となる。

資産がないのと豊かなのとでは、豊かなほうが心の調和はとりやすいので、「お金の心配をしないほどのお金」という程度の富は、やはり善である──。

清貧に徹するというのも、ほんとうにそれで心の調和がとれるかを考えたときには、たしかに考えものです。

このお金の問題でも、やはり「中道」の考え方が必要だってことなんだろうと私は思うんですが、みなさんはいかがお考えですか?

『常勝思考』

 大川隆法著

 

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これからは国内だけでやっててもダメだよね。やっぱ、人件費が安い国に進出しないと、企業の未来はないよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『社長学入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 海外への進出においては、カントリーリスクというか、政治的なリスクがあって、一企業ではいかんともしがたいものがあります。そのため、大きな政治の転換という波に呑まれると、どうにもならないところがあるのは事実です。
 ただ、そういうリスクがあることは承知の上で、今は、新規に出なければいけない時代でもあります。
 しかし、「国内でうまくいかないから、海外に出て成功しよう」というところは、原則、潰れると思って間違いありません。(中略)
 国内で駄目なものが、海外に行って、そんなにうまくいくわけがありません。日本語が通じて、文化も風習も、人情も、地の利も、仕入れ先も、販売先も、同業他社が何をやっているかも分かっている日本で敗れた会社が、そういうことの分からない海外に行って、勝てるわけがないのです。当たり前のことです。
 勝てるとしたら、まだ、よそがどこも来ていないところで小さな商売をやれば、勝てるかもしれません。しかし、よそが来たら負けるに決まっています。それだけのことです。
 海外に出て成功するのは、国内で、今、不況期にもかかわらず健闘しているところです。国内で倒産の危機にあえいでいるようなところが海外に出たら、失敗します。国内で、「同業者はみんな苦しんでいるが、うちは調子が良い」というところが海外に出れば、成功します。
 これは、経営的に言うと、ダム経営型と同じです。ダム経営においては、「ダムに水をため、それを、必要なときに流し、必要がないときは止める」というやり方をします。
 「国内で大成功し、ノウハウなり、資金なり、いろいろなものがたまっていて、余力があって海外に出ていく」という企業は、いちおう、「損切り」をしていると思います。「このくらいまでは、全部、焦げついたとしても、うちは潰れはしない」ということを、だいたい見越してやっているのです。
 そういうところと、「ここで成功しなければ潰れる」というところとでは、違いがあります。
 大企業のトヨタも、中国に進出し、天津に工場を建設しましたが、「最初の年間生産台数は三万台」と言っていました。ずいぶん手堅いものです。もし三万台のうち一台も売れなかったとしても、トヨタにとっては、どうということもないでしょう。(中略)
 ところが、夢想家ほど大きくやるのです。すぐ「何百万台」などと考えるのは夢想家のほうであって、そういう人は、「命懸けで会社ごと勝負をかける」というようなことをします。
 トヨタのように儲かっているところほど、「小さく手堅くやって、評判を上げてから、大きくやる」というような考えでいきます。そういうところはうまくいくのですが、人件費の安さだけに活路を求めていくようなところは潰れると見てよいでしょう。厳しいものです。
(264~267ページ)

今は、カントリーリスクがあっても、海外に出なければいけない時代でもある。

しかし、国内でうまくいかないからと、人件費の安さだけに活路を求め、海外に出ようというところは、原則、潰れることになる。

海外に出て成功するのは、今、不況期にもかかわらず、国内で健闘しているところである──。

本書は、2009年に発刊された書籍です。

いまはコロナ禍で、その発刊時よりも、企業経営が厳しい時代です。

だからこそ、こういう貴重なお教えをしっかりと学び、時代の厳しさをしっかりと認識したうえで努力を重ねる企業こそが、未来に生き残り、さらに成長していけるのだ、と。

そんなことを、改めて学ぶことができた気が私はしているのです。

『社長学入門』

 大川隆法著

 

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就活やってるんだけど、でも、どうやって就職先を選んだらいいのかって、よく分かんないんだ。どういうふうに考えたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『松下幸之助 日本を叱る』(幸福の科学出版)で、松下幸之助の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 世間が「偉い偉い」と言ってほめ上げるような人気のあるとこへ、みんな行きたがる癖があるよな。人気のある会社になったら、もう、何十倍、何百倍のすごい競争で、みんな行きたがる。
 それで、その人気のある会社には、例えば東大出みたいなのがごろごろいて、あるとこなんか半分ぐらいいたり、役所なんかも半分を超えるとこがいっぱいあったと思うけども、こう、いっぱい集結する。
 例えば、役所なら、今、大蔵省はなんちゅうんや、財務省っちゅうんか、ああいうとこは、昔は東大出が九割ぐらいいたわな。九割以上いたかな。
 その財務省も、東大出を九割も採ったら、みんな局長になんかなれるわけないやろ。なあ。東大法学部を優秀な成績で出て、ヒラや。あるいは、まあ、課長にまでなる場合もあるけども、課長で止まるか、下手したらヒラで辞めるしかなくなると思うんやな。
 「こんなもん、人材の無駄遣いや」と、わしは思うんや。(中略)人材があんまり集結しすぎたら、使ってやれないし、優秀な人を殺してしまうんや。(中略)
 だから、「適性はなんぞや」と言うけどねえ、ほんまは、できる人は何をやってもできるんや。特別な才能を要求するもの以外はな、何をやっても、ほんとはできるんや。だから、あんまり、「みんなが行きたがるから行く」っていう考え方、あるいは、「そこだったら親が喜ぶから」っていう考え方で就職を決めるのは、やめたほうがええで。
 むしろ、生きがいとしては、今は無名かもしらんけど、自分として、「これは将来性があるなあ」と思うものに、やはり賭けていったほうがええで。不況だから、安定志向ってのは分かるんやけど、不況期に安定志向で行く人は、もう、ほんまに、自ら志願して「凡人になりたい」と言うとんのとおんなじやで。
 実際は、「不況期に、これから一勝負したろう」という野心を持ってるような会社を狙っていったほうがええなあ。わしゃ、そう思うよ。
 そうせんとなあ、ほかの会社に行ったら社長になれるような人でも、あんまり人材が集まりすぎたとこに入ったらね、ほんまに偉くなれんで終わりになってしまう。適材適所っていうても、そういうふうになるんや。潰し合いになってね、“殺し合い”になるから。
 だから、あんまり優秀な人が集まるっちゅうの、わしは「考え方が間違いや」と思うんや。やはり、「いろんな人がいて組織がうまいこといくんや」と思うんや。
 営業が向いてるようなタイプの人もいれば、作戦を立てるのがうまいような人もいるし、お金に才能がある人もいる。いろんな人が集まって、いい組織になるんで、おんなじようなタイプの人ばっかりが集まったら、ほんとは、ようないんや。
 だから、自分の個性を活かせるようなところを探したらええし、世間の評価なんか気にする必要はないと思うんや。わしは、そう思うよ。(中略)
 もう一つは、大きな意味での天命を信じるこっちゃな。わしは、そう思うな。「九割は天命や」と思うなあ。
(181~187ページ)

人気のある職場にみんな行きたがるが、むしろ、今は無名でも、将来性があるところに賭けていったほうがよい。

いろんなタイプの人材がいるからこそ組織はうまくまわるもの。

自分の個性を活かせるところを探したらよいし、世間の評価など気にする必要はない。

そして、大きな意味での天命を信じること──。

経営の神様と言われた松下幸之助翁のアドバイスには、やはり説得力がありますよね。

これから職業を決めるみなさん。

この天上界からのアドバイスを参考にして、どういう職場に将来性があるのか、自分の個性はどこで生きるのか、そして何が自分の天命なのかって観点を入れて、考えてみませんか?

『松下幸之助 日本を叱る』

 大川隆法著

 

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