ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



うちって、お金は十分ないし、できる人材は少ないし、経営資源がぜんぜん足りないんだよね。どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『社長学入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 時間は有限の資源です。誰にとっても一日は二十四時間であり、組織で働いている人たちの時間を総計しても、人数分以上に増えるものではありません。
 しかし、発展性の高いものは、どれもみな、常に、「どのようにして時間を縮めるか」というところに視点があります。時間を縮めることによって、発展するのです。
 例えば、新幹線ができたことによって、日本のGDP(国内総生産)がそうとう膨大なものになったのは事実です。それは、一日にできる仕事の範囲が非常に広がったことを意味しています。東海道を寝台車で下らなければならなかった時代、あるいは、歩いていかなければならなかった時代に比べて、GDPが増大した理由は、移動の時間が縮まったことにあるのです。
 「時間を縮める」、あるいは「回転率を上げる」という方法は、成果を大きくする方法です。
 季節商品というものがありますが、「夏のもの、夏の商品は、夏になったらつくる」ということだけならば、一年のうち、あとの季節は手が空いている状況になります。
 「一年のうち、夏にしか生産活動や販売活動を行わない」という考えもあるかと思いますが、夏のものであっても、冬の間につくることのできるものもあります。例えば、「アイスクリームは夏につくるもの」と考えているかもしれませんが、冬につくって、それを保存しておいてもよいわけです。こういうこともありえます。(中略)
 時間の観点で行うと、いろいろなことが変化してきます。
 「どのようにして時間を縮めていくか。どのようにして仕事速度を速めていくか。成果を出すまでの時間を、どのようにして速くするか」ということは、主として、次の成果を生むためのプロセスになります。一つのことが解決しないと、なかなか次のことには取りかかれないものですが、時間の部分を縮めると、それだけ次の仕事に早く取りかかれるのです。
 究極の「タイムベース・マネジメント」は、「一日の苦労は一日にて足れり」ということです。「一日一生」という言葉がありますが、「その日のうちにできることは、その日のうちに全部やってしまう」ということです。
 これは大事なことであり、「時期が来なければ働かない」「ほかの事情があってできないので、今日はしない」などということは、「タイムベース・マネジメント」から外れていることなのです。
 「いかにして、時間を縮めていくか。いかにして、やり方を短縮していくか」ということが大事です。
 時間を縮めることは、同時に、時間を生み出すことになります。例えば、ある場所へ行くのに、新幹線なら三時間かかるけれども、飛行機なら一時間で着くとすれば、二時間分を余分に働けるようになるわけであり、その分の時間が生み出されたことになるのです。
(32~36ページ)

時間は有限の資源である。

「時間を縮める」あるいは「回転率を上げる」という方法は、成果を大きくする方法である。

究極のタイムベース・マネジメントは、「一日一生」「一日の苦労は一日にて足れり」ということである――。

うーん、悟りの言葉によって、マネジメントの要諦を教えられる。

今日のお教えは、人生の達人というだけでなく、まさに「仏」だからこその経営論の一つではないかと、改めて私は思っているのです。
 

『社長学入門』

 大川隆法著


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悪魔を呼び出した霊言ってあったよね。でも、悪魔とかサタンってほんとにいるにしても、どんなこと考えてるのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『エクソシスト入門──実録・悪魔との対話』(幸福の科学出版)で、こう紹介しておられます。

 大川隆法 次に、誰か、呼びたい方はいますか。
 (会場から「覚鑁(かくばん)」という声)
 覚鑁で行きますか。(中略)では、ちょっと手を合わせてください。

 (約二十秒間の沈黙)

 覚鑁、出よ!

 覚鑁〔以下、「覚」と表記〕 (両腕を広げたあと、胸の前で交差させる)ハアー。覚鑁である。
 A── 質問いたします。
 覚── ううーん。
 A── あなたは真如苑と阿含宗という密教系の教団に影響を与えていると伺っておりますが、どのように支配しているのでしょうか。
 覚── 私は……。うーん、私は、なぜ地獄に堕とされたのか、分からん。われは、阿含、つまり仏法の真理ここにありと思いて、悟りを開いたつもりであったのに、なぜ私が地獄に堕とされたのか、分からん。私の悟りのほうが、より多くの者を救済できるはずなのに! なぜだ。なぜだ!
 A── 密教の修行を重ねていたと聞いていますが。
 覚── そうだ。私は必死に仏道修行をした! なぜ、なぜ、われは仏陀のもとに還れなかったのか、分からん!
 A── 法力を追求されたのでしょうか。
 覚── われが、まことの修行者であったことは、後世の弟子たちが証明しておる。
 A── しかし、弘法大師空海の教えを行じつつも、新しい教えを説いて、高野山を追い出され、根来の寺に追われたのではないでしょうか。
 覚── うーん、わが教えのほうが、より多くの人々を救済できると思ったのだ。
 B── どんな教えだったんですか。
 覚── 一乗じゃ。私の教えは一乗の教えであった。
 A── 三乗思想とは違う、一乗思想ということですね。
 覚── そうだ。修行の階梯を超えて、より多くの者を、より多くの衆生を救済できる教えであったはずなのだ。
 A── 反省の教えというものはあったのでしょうか。
 覚── うーん、反省などは、信仰者には必要ないのではないのか!
 A── 何ゆえに反省が必要ないとお考えか。
 覚── …………。
 A── 法力のみでよいとお考えか。
 覚── …………。うーん。(右腕を上げて拳を握り締める)
(154~157ページ)

悪魔は、なぜ自分が地獄に堕ち、悪魔となってしまったのかが、分かっていない──。

この日、大川隆法先生は、審神者(さにわ)として、霊を呼び出し、職員の一人が務めるチャネラー(霊声者)に霊を入れて対話をさせておられました。

このすぐあとの対話に出てきますが、覚鑁(かくばん)は、2009年公開の映画『仏陀再誕』で、悪役の荒井東作に憑依していた覚念という僧侶のモデルとなった、有名な悪魔です。

今日も、さわりしかご紹介できないわけですが、興味がある方は、ぜひとも、この驚異の書物の全体を読んだうえで、この霊言という「現象」について、判断して下さいますように!

エクソシスト入門 (OR books) 『エクソシスト入門』

 大川隆法著


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なんだかものすごい劣等感で、生きてるのがつらいんだよね。どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、書籍『ハウ・アバウト・ユー?』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 劣等感は「他人との比較」から生まれてくるものです。(中略)
 この世では大勢の人が一緒に暮らしていかなければなりませんが、どのような人にも、「ある部分は優れているが、ある部分は劣っている」という“でこぼこ”はあるものです。そんなものです。
 すべての人が同じ“人造人間”のようなものであってよいはずがありません。
 「まったく同じサイズで、同じ性能と機能を持ち、寿命も同じ、馬力も同じ」ということであれば、それはロボットと同じです。人間が、そんなものであるはずはありません。
 人間には、いろいろな違いがあるから、楽しいし、可能性があるし、面白いのです。
 そして、一人の人間だけでも面白いのですが、「人と人との組み合わせ」ということも面白いのです。違うタイプの人同士の組み合わせによって、いろいろなことができるところが、また素晴らしいのです。
 「劣等感や嫉妬心のもとにあるものは、他人との比較」であると述べましたが、人間は他の人と違っていて当たり前なのです。バラエティーに富んでいるからこそ、世の中は面白いのではないでしょうか。

 誰もが同じだったら、生まれてくる意味などないのです。
 違う人がたくさんいるから面白いのです。
 他の人たちから刺激を受け、切磋琢磨しながら生きていくことができるわけです。
 あるときは先生になり、あるときは弟子になり、お互いに教えたり教わったりしながら生きていくから、人生は楽しいのです。(中略)

 「私は劣等感を持っています。劣等感のかたまりで、ここも、あそこも……」と挙げていっても、解決はつきません。(中略)
 他の人にあれこれと訴えかけて、慰めてもらったところで、どうなるものでもないのです。(中略)
 やるべきことは、自分で精進をし、小さな成功を積み重ねて、自信をつけていくことです。
 自信をつけていくことによって、劣等感は薄まってきます。小さな成功が積み重なっていくと、だんだん、劣等感を持っていた自分のことを考えなくなってくるのです。

 劣等感でいっぱいの人は、やはり不幸でしょう。一日中、自分の劣等感について考えている人は、不幸だと思うのです。
 しかし、劣等感のことを考える時間がしだいに少なくなってきたときには、どうでしょうか。(中略)劣等感のことを忘れている期間が長くなってきたときには、あなたは幸福になってきたのでしょうし、成功してきているのです。
(154~160ページ)

劣等感は、他人との比較から生まれてくるが、人間には違いがあるから楽しいし、可能性があるし、面白い。

他の人と違っているからこそ、他の人から刺激を受け、切磋琢磨しながら生きていけるのであって、誰もが同じだったら、生まれてくる意味などない。

自分で精進をし、小さな成功を積み重ね、自信をつけていけば、だんだん劣等感を持っていた自分のことを考えなくなってくる――。

うーん、今日はとっても力強い、元気が出るアドバイスをいただいたのではないでしょうか。

明日からまた、気を取り直して頑張れるような気が、私はしてきているのです。
 

『ハウ・アバウト・ユー?』

 大川隆法著


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ねえ、月の裏側にはほんとは何があるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ダークサイド・ムーンの遠隔透視』――月の裏側に隠された秘密に迫る(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 驚異的な内容であろうと思う。地球に居ながらにして、月の裏側の遠隔透視をいとも簡単にやってのける能力を、あっさりと信じろというほうが無理かもしれない。
 日本にも昔、月の裏側を念写した超能力者がいたが、私の場合は、数秒から三十秒ぐらいの精神統一で、自分の視覚を伴う霊体の一部を月の裏側まで瞬間移動させ、あたかもテレビのレポーターがインタヴューしたり、レポートする要領で、月の裏側について解説することができる。この神通力を何と説明するかは難しいが、釈迦の六大神通力のうちの「神足」と「天眼」を合わせたようなものだろう。私の残った霊体の部分は、地球にとどまって解説できるので、何とも不思議な現象だ。
 単純に信じられるかどうかは別にして、とまれ、ご一読を願う次第である。
(1~2ページ)

本書は、立ち読みができないような特別包装がされた豪華本になっています。でも、やはりそれだけの価値は、あるのではないでしょうか。

もう今日は、何も言うことはない気がします。

まさに、大川隆法先生の比類なき霊能力、恐るべし、です。

なお、「六大神通力」については、こちらの記事が参考になると思います。

『ダークサイド・ムーンの遠隔透視』

 大川隆法著


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人間、やっぱり最後まで大事なのは、知力だよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『Think Big!』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 最後は勇気です。人間の能力など、それほど大きく変わりはしません。やはり、最後は勇気なのです。
 知識が豊富だったり、地位が高かったりすると、意外に勇気がなくなっていくので、それが困るわけです。
 例えば、「よく勉強している人」としては、大学の教授などがそうでしょう。そのなかでも、東大の教授あたりになると、「さらによく勉強しているだろう」と一般には思われています。しかし、東大の教授になってしまうと、実は本を出さなくなってきます。怖くて出せないのです。
 東大の教授には権威が必要であり、もし変なことを本に書いて批判を受けたりすると怖いので、勇気を持って本を書くことができないわけです。「もっと調べてからでないと書けない」というような理由で、どんどん先延ばしにし、思い切ってトライすることができなくなってくるのです。
 よく勉強し、頭もよい人であれば、本当は本をたくさん書かなければいけないはずですが、実際には、どんどん書けなくなっていきます。そういうものです。
 会社の仕事でもそうです。大きな会社で、責任ある立場に就くと、本当は勇気を持って判断しなければいけない問題に対して、書類を山積みにし、判断せずに放置してしまう癖がついてきがちです。そのように、問題からすぐに逃げる癖がついてくるのです。
 そして、優秀な人が優秀な結果を残せないことが、実際にはよく起きてきます。
 したがって、必要なものは勇気です。勇気が大事なのです。
 人間は、勇気によって変わることがあります。「ここ一番」のときには、勇気以外に頼りになるものはありません。知力などには限界があるのです。
(80~82ページ)

知力などには限界がある。最後は勇気である。

知識が豊富だったり地位が高かったりすると、勇気がなくなっていき、優秀な人が結果を残せないことが、よく起きる。

人間は、勇気によって変わることがある。「ここ一番」のとき、勇気以外に頼りになるものはない――。

「勇気」の大切さを、まさに口を酸っぱくして、説いてくださっている一節です。

耳が痛いと感じる方も、多いのではないでしょうか。

でも、だからこそ、大川隆法先生はあえて強めの言葉で教えてくださっていることに思い至ります。

そして、ふつふつと、勇気がなかった自分自身を叱咤激励する気力がわいてきたように私は思っているのです。
 

『Think Big!』

  大川隆法著


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これから発明しようと思うんだけど、これからの未来、どんな発明があるといいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来にどんな発明があるとよいか――未来産業を生み出す「発想力」(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように説いておられます。

 今のところ、まだこの地上では、発明・発見・証明されていないことを創造すること。これは、私自身の仕事の中心概念でもある。
 私も、とにかく人がまだ発見していない真理を発見し、人がまだ気づいていない未来を洞察するのが好きなのである。
 幸福の科学大学の未来産業学部でも、ぜひとも世界初の発明・発見をしてほしいと思う。日本からノーベル賞をバンバン出そう。なに、そんなに難しいことではない。人の役に立つことで、未来の創造に貢献すれば、それでよいのだ。
 クリエイティブな頭脳を創ろう。面白い人間になろう。
 そして夢を大切にしよう。
(152~153ページ)

この「あとがき」には、さりげなくですが、ものすごく大切なことが凝縮して書かれているように思えます。

これまで、大川隆法先生の仕事の中心概念が何か、ということを見切った人が、はたしていたでしょうか。

その重大な問題について、大川隆法先生ご自身が、「発明」という言葉をひとつのキーワードにして、さらっと簡潔に、でもよくよく味わってみると、ものすごい深みをもって解説しておられる。

そう考えてみたとき、こんな凄味のある「あとがき」を導いた本書の本文もまた、一人でも多くの方に読まれるべき大切な内容だったのだと、改めて私は思っているのです。
 

『日本よ、国家たれ!』

 大川隆法著


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会社はじめたんだけど、やっぱし小さくてもきちんと「経営」するのが大事だよね。どっから手をつければいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『経営入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 会社を始めるに当たり、会社が成り立っていくために必要なものは何でしょうか。
 会社の創業において必要なものは「経営」ではありません。創業のときに必要なものは「商売」です。商売が成り立つことが大事なのです。
 商売とは、何かを売って対価を得ることです。「何かを売って対価を得る」ということで商売が成り立つわけで、買い手がなければ、そもそも商売は成り立ちません。これが原点です。
 買い手、顧客、需要というものがなければ、商売は成り立たないのです。これが創業の出発点であったことを、ゆめゆめ忘れないでいただきたいのです。商売があって始まった会社なのです。
 ところが、ある程度以上に大きくなると、それを忘れて、会社の機構をいじり始めるようになります。内部の組織をいじっていれば、経営をしている気持ちになってくるのですが、それはとんでもない間違いです。
 まず、「商売ありき」なのです。会社は商売があって始まったものであり、お客様が商品を買ってくれるから、自分たちが食べていけるのです。
 商品が売れて売り上げがあり、その売り上げから経費(費用)を差し引いたところに収益(利益)が出てこそ、商売は成り立ちます。
 売り上げより経費(費用)のほうが大きかったならば、当然、経費(費用)倒れで潰れてしまいます。
 仕入れ、あるいは、その製品をつくるためにかかった人件費や材料費、運搬費など、さまざまな経費(費用)を差し引いたあとに利益が出てこそ、商売が成り立つのであり、利益が出なければ商売は成り立たないのです。それが原点にあることを知ってください。
 まず、人々の需要を満たすもの、人々の欲する商品やサービスがあり、それが経済的価値を生んだからこそ、商売がスタートしたのです。これが原点なのです。
(178~180ページ)

会社の創業において必要なものは、「経営」ではなく、「商売」である。

商売とは、何かを売って対価を得ることであって、それが創業の出発点であったことを、ゆめゆめ忘れないことである。

ある程度以上に大きくなると、それを忘れて、会社の機構をいじっていれば経営をしている気持ちになってくるが、それはとんでもない間違いである――。

なるほど、なるほど、です。

今日は、誰であっても分かるように、平易な言葉で繰り返しを重ねて、経営の出発点、商売の基本を教えて下さったのだと、改めて私は思っているのです。
 

『経営入門』

  大川隆法著


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二宮尊徳ってよく聞く気がするけど、偉い人だったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄思考』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 「貧乏神のささやきを受けている」と思ったら、それを聞き入れては相成りません。
 特に、今は教育関係者にも貧乏神が取り憑いていることが多いので、その人たちに教わると、教わったほうも貧乏になっていきます。その人たちは、そういう間違った教育を、一生懸命、やっているのです。
 やはり、子供たちにも企業家精神を身につけさせることが非常に大事です。しかし、先生たちが“貧乏神教育”を身につけていると、そういう先生に教わった人たちは、みな貧乏になっていく可能性が非常に高いのです。これでは駄目です。(中略)
 二宮尊徳像は、昔は、ほとんどの小学校に立っていて、私の通った小学校にもありました。
 二宮尊徳という人は、実は、いわゆる日教組教育と戦う性質を持っている人なのです。彼は資本主義の権化であり、「一生懸命、勉強すると、そのあと、お金も儲かるし、事業にも成功する」という考え方をして、勉強と金儲けを結びつけた人なのです。
 これからの学校教育にとって、この二宮尊徳精神は非常に大事です。
 子供たちに勉強をさせ、事業が成功するような考え方を身につけさせたら、学校は本当に大きな貢献をしていることになるので、政府が税金を使って学校関係に投資をしても、それは実によいことだと私は思います。
 しかし、学校に税金を投入しても、子供たちが授業を一生懸命に受けたところ、貧乏になったり、税金を払えない会社や倒産するような会社をつくったりするようでは意味がありません。そういう人を大量につくられたら、困るのです。
 出世したり、収入や財産が増えたりすることを、「悪だ」と教えられたら、豊かになりようがありません。あるいは、社長になったり、大企業家になったり、資本家になったりすることを、「悪だ」と教えられたら、そういう人に、なりようがないではありませんか。
 「社長になったら地獄に堕ちるぞ」と言われたら、社長にはなれません。「平社員のままで置いておいてください」と言うしかないのです。もし、「平社員は、みな天国へ行く。社長や重役は、みな地獄へ行く」という教えを説かれたら、地獄へ行くのは怖いので、偉くなりたい人は誰もいなくなります。
 そういう考え方をするのではなく、やはり、より多くの人たちに、世間のお役に立ってもらわなくてはなりません。
 会社的に見ても、社員をより多く雇い、その人たちに給料を払うことができて、多くの人に人生の生きがいを与えることのできる人が必要です。
 「この会社に勤めてよかった。仕事にやりがいがあり、生きがいがあった。会社が発展し、世の中のためになって、とてもうれしかった。よい人生を送れた」と思い、感謝する社員が数多く出てくる会社にすることができたら、その人たちの地位が上がり、重役や社長になっていくことは、よいことなのです。
 そういう方向に行かなくてはなりません。そうなっていくように、学校教育の段階から、企業家精神を養っていかなければならないのです。
(91~95ページ)

二宮尊徳は、資本主義の権化であり、「一生懸命、勉強すると、お金も儲かるし、事業にも成功する」という考え方をして、勉強と金儲けを結びつけた人である。

子供たちにも企業家精神を身につけさせることが非常に大事であって、これからの学校教育にとって、この二宮尊徳精神は非常に大事である。

子供たちに事業が成功する考え方を身につけさせたら、学校は本当に大きな貢献をしていることになるので、政府が税金を使って学校関係に投資をすることは実によいことである――。

今日のお教えで大川隆法先生は、二宮尊徳精神をもう一度見直して、この日本をもっとよくしていこう、繁栄させていこうと、強く強く訴えておられるのだと、改めて私は思っているのです。
 

『繁栄思考』

  大川隆法著


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どうしたら、人生をよりよく生きることができるのかなあ? なーんて真っ直ぐな疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 現代は、物質文明が非常に発展し、繁栄しているように見え、また、科学技術が進み、医学の技術も進んだために、もはや神の領域まで解明されたかのように誤解している人々が増えています。彼らは、この世的には頭脳優秀な人々でしょうが、真実の世界から見るならば、きわめて哀れな智慧しか持っていないと言わなければなりません。
 智慧とは、人生をよりよく生きていくための力です。もし、人生を破壊し、世界を狂わせる知識のことを智慧と呼んでいるならば、それは間違ったものであると言わざるをえません。
 現代においては、知識は増え、物質的な繁栄はますます盛んになっているように見えますが、そこに必要とされている「真実の智慧」が忘れ去られています。人類の教師といわれた釈尊やソクラテス、イエスの時代が、もう二千年以上も昔のことになってしまい、彼らが太古の人間であると思われているために、現代人はうぬぼれ、増上慢になっています。
 真実はいつも単純ななかにあります。単純なところに真相があります。この宇宙はきわめて単純な原理で成り立っているのです。
 人間をはじめ、すべての生き物、万物は、根本仏、根本神の念いによってできています。この宇宙は、根本仏、根本神の念いによって具象化した世界なのです。そうした世界のなかにおいて、人間は自由意志を与えられ、生命として生存しているのです。
 その一時(ひととき)のあいだ、仏や神の眼から観れば一瞬ともいうべき、わずか数十年か百年のあいだ、人間は自由意志のままに生きることができます。しかし、その生き方が根本の成り立ちに反し、根本の意図に反する場合には、真実の幸福からはほど遠いと言わざるをえないのです。
 あなたがたは常に根本に立ち戻らねばなりません。根本に立ち戻り、「真実の信仰なくして、成功もなく繁栄もない」ということを知らねばなりません。
(230~232ページ)

現代においては、「真実の智慧」が忘れ去られている。

真実はいつも単純ななかにある。根本仏、根本神の念いによって具象化した世界のなかで、その眼から観れば一瞬のあいだ、人間は自由意志を与えられ、生存している。

その生き方が根本の成り立ちや意図に反すれば、真実の幸福からはほど遠い。真実の信仰なくして、成功もなく繁栄もないのである――。

まずは、真実の信仰を持つこと。

いろいろな説明の仕方があるでしょう。

けれども、今日のお教えに照らしてみれば、それは、この大宇宙が根本仏・根本神の念いによって創られていることを信じることにはじまるのだと、私は思っているのです。
 

『奇跡の法』

  大川隆法著


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ね、天使って、ほんとにいるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 さらに、天使というものについても、「天使は、昔の物語に出てくるような想像上の存在でもないし、『原始のころに神がガッチリと創った』という存在でもない。繰り返し、この世に生まれてくる過程で、多くの人々を救い、幸福にして、あの世でも人々を導こうと思っているような人たちが、天使になっているのだ」という現実を知らなくてはいけません。
 天使は、元は人間なのです。人間の経験者なのです。
 人類の歴史は、一般に考えられているよりも、はるかに古いものです。したがって、ここ数千年のあいだに天使だとか神だとか言われている存在は、みな、人間として地上に生を享けたことのある人たちです。そして、多くの人を導き、あの世でも仕事を続けている人たちなのです。
 「自分には、天使になる可能性もあったのだ。また、逆に、悪魔になる可能性だってあったのだ。天使も悪魔も、創られたものではなくて、自己の思いが実現したものなのだ」ということを知ってください。
 「怒っていて、怖い形相の人は、鬼のように見える。角が生えているようにも、口が裂けているようにも、牙が生えているようにも見える。その鬼の姿が、あの世では実在化してくる。心がそうなら、そうなってくるのだ。一方、天使の心を持てば、あの世では天使の姿になってくる。魂というものは、人体と同じような姿のものとして自己認識をしているけれども、ほんとうは、自由自在の存在なのだ」ということを知らなければいけないのです。
(79~81ページ)

天使とは、繰り返しこの世に生まれてくる過程で、多くの人々を救い、幸福にして、あの世でも人々を導こうと思っている人たちである。

人類の歴史は一般に考えられているよりもはるかに古く、ここ数千年のあいだに天使や神だと言われている存在は、みな人間として地上に生を享けたことのある人たちである。

魂というものは、ほんとうは自由自在の存在なのであって、天使も悪魔も、創られたものではなく、自己の思いが実現したものなのである――。

今日は、天使という存在を題材にしていただいたことで、ちょっとだけですが、天上界の秘密の一端に触れることができた気が、改めて私はしているのです。
 

『神秘の法』

  大川隆法著


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夢もいいけど、大きすぎるのは考えものなんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『忍耐の法』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 ただ、私は次のように考えているのです。
 大きな目標を掲げ、それに挑戦しても、目標に到達できなかったり、成功できなかったりして後悔する人は、たくさんいるでしょう。しかし、そうした失敗や、成功できなかったことへの後悔よりも、人生を振り返ってみて、自分の夢が小さすぎたことを後悔することのほうが、やはり重要ではないでしょうか。
 人生の扉を閉じるときに、「ああ、長年、何十年も生きてきたけれども、自分が持っていた夢は小さすぎたなあ」というような後悔だけはしたくありません。私は、そういう気持ちを強く持っています。
 大きな成功をした人は、たいていの場合、自分の夢が小さすぎたことを後悔しています。
 例えば、「一生の間に一億円をためるぞ」という目標を立てた人の場合、いろいろな職業を経験しながら、いずれ、それに到達することも多いと思いますが、到達したら、そのとたんに生きがいがなくなってしまう人もいます。それは、「一億円をためる」という目標自体に、何らかのプラスの価値が付いていないからです。
 「何々をするために一億円をためる」ということなら、まだよいのですが、それがなく、ただ、「一億円をためる」という目標があるだけならば、それを達成したとき、することがなくなってしまうのです。
 一億円そのものについては、宝くじで当たることもあれば、会社で出世し、収入をためて得ることもあるでしょう。株で儲けることもあれば、新規事業を起こして儲けることもあるでしょう。
 しかし、この「一億円をためる」という目標だけを考えていたら、おそらく、死ぬ前に出てくる後悔は、失敗した数々のことについてではなく、自分の夢が小さすぎたことについてであろうと思います。
 その時点、その時点では、「まさか」と思うほど大きな夢に感じられることであっても、時間がたち、経験を得て、実績を積み重ねていくと、それほど大きな夢や目標ではないことが多くなるのです。
 ところが、その前の時点では、「自分には、とても到達できない、困難なこと」のように見えることが多いわけです。
 したがって、戦うべきなのは、むしろ、その脆弱な精神力、怯む心、「失敗したくない」と恐れる心、小さな成功で慢心してしまう心です。
 また、挑戦を避けることによって、「成功したことしかない」と考え、小さな夢のなかに生き続けることをこそ、残念に思うべきであろうと思うのです。
(110~113ページ)

人生を振り返ってみて、自分の夢が小さすぎたことを後悔したくないものである。

その時点では、まさかと思うほど大きな夢に感じられることであっても、時間がたち、経験を得て、実績を積み重ねていくと、それほど大きな夢ではないことが多くなる。

戦うべきなのは、むしろ怯む心、失敗したくないと恐れる心、小さな成功で慢心してしまう心である――。

大川隆法先生は、大きな夢を描け!と、私たちを励まされます。

そのお教えを素直に信じ、実践した若者たちは、何十年後かに、そのお教えの正しさを実証している自分に、ふと気がつくことになるのだと私は思っているのです。
 

『忍耐の法』

  大川隆法著


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幸福の科学の教えって、あまりに多すぎてよく分からないんだけど、何が基本教義なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の科学の基本教義とは何か』――真理と信仰をめぐる幸福論(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

 今日は、できるだけ、大学の担当者からすれば“どっ外れた答え”を出していこうと思っています。なぜかというと、「すでにあるもので基本教義をまとめることはできる」と思うからです。それよりも、「考えるヒント」のようなものを出していったほうがよいでしょう。
 そういう意味では、いささか禅問答的になるかもしれませんが、違った観点からの意見を述べていきたいのです。
 「『幸福の科学の基本教義とは何か』を読めば、幸福の科学の基本教義が分からなくなる」というような結論になっても、いっこうに構わないと私は思っています。基本教義が分からなくなって、「何が基本教義なのか」ということを、誰もが勉強したくなるのなら、それでも構わないのです。
 皮肉ですが、「一冊だけを読んで“終わり”にしようとする輩は許さない」(笑)(会場笑)と考えているので、それほど簡単に“解放”する気はありません。
 「今の時点で、私は、何をもって基本教義と考えるか」ということについて、「ベースになる本を要約して、そのポイントを述べる」というかたちなら、いろいろと答え方はあるでしょうし、「数多くある著書のなかから、どれか一冊を選ぶ」というかたちで答えるやり方もあろうと思いますが、著者の立場としては、それを言うことはできません。「これだけを読めば結構です」と私が言ったならば、ほかの本は読まれなくなるので、口が裂けても言うことはできないのです。(中略)
 「教義のまとめ」は実に難しいものであろうと思いますし、長く勉強したからといって、あるいは私の近くにいたからといって、それが分かるものでもないところがあります。その人の器や認識力に合わせて感じ取るものがあるのではないかと思うのです。(中略)
 幸福の科学の基本的な教えとして、「四正道」がありますし、『仏説・正心法語』では、さまざまなことが説かれています。また、『太陽の法』に説かれている教えも、いろいろとあります。
 そうしたものに書いてあることを要約し、それを学んでいただくことも、もちろん、大事なことだと思います。
 しかし、改めて、言葉を換えて言うとするならば、「幸福の科学の基本教義」とは何でしょうか。
 それは、「神仏から頂いたミッションを遂行すること」です。これが「基本教義」ということになります。
(16~19、47ページ)

言葉を換えて言うとするならば、幸福の科学の基本教義とは、神仏から頂いたミッションを遂行することである――。

まさに「考えるヒント」のようなものでもあり、禅問答のようにも思えるお教えです。

でも、幸福の科学の教えの「今」が分からないと感じている人にとっては、大きな手がかりとなる大切なお教えだと、改めて私は思っているのです。
 

『幸福の科学の基本教義とは何か』

 大川隆法著


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オレの人生って、なんで、苦しいこととか、悲しいこととか、乗り越えられないような難題とかばっかしなんだろうね? なーんて深刻な悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 これまで述べたような見方で人生を捉えていくと、人生について、まったく違った見方ができるようになります。
 そうすれば、この世の、さまざまな苦難・困難といわれるものも、ある意味で楽しみになるのです。
 それは、ちょうど、スポーツをするときの快感のようなものです。
 クラブ活動でも何でも、運動を始めたばかりのときは、筋肉痛になって大変ですが、体を鍛え、慣れてきたら、楽しくなってくるでしょう。走ることも、慣れてきたら、汗を流すことで爽快感を得られるようになります。
 人生にも、それと同じようなところがあるのです。
 どうか、そのような大きな目で、自分の人生を見直してみてください。そうすれば、これまでとは違った目で人生を見ることができるようになるでしょう。
 たとえば、「夫婦仲が悪い」と思っている人が、そのような目で夫婦関係を見直してみると、どうなるでしょうか。
 「自分は、いつも妻と喧嘩をしているけれども、今回の人生の問題集として、ここに何かテーマがあるのかもしれない。過去世で夫婦として生きていたときの問題が残っていて、それを今世に持ち越しているのではないだろうか」というように、第三者の目で客観的に考えてみてください。
 そして、「自分には、どのようなテーマが残っているのだろうか。もしかしたら、いつもいつも、転生のたびに、同じことをしているのかもしれない。それならば、今世のうちに、この問題を解き切ったほうがよいのではないか。もし、自分にとって、そういう問題集が必要なのであれば、今世で何とか解決してみよう」などと考えていただきたいのです。
 人には、それぞれ、一定のパターン、性格や傾向があるため、以前に遭遇した出来事に似た場面が出てくると、やはり、同じようなことをしてしまうところがあります。
 飛行機や船、自動車、電車など、それぞれの乗り物には、特徴、癖があるように、それぞれの人間には、一定の特徴があり、癖があるので、ある人が特定のシチュエーション(状況)に置かれた場合、たとえば、以前と似たような人間関係で生まれたり、似たような事件が起きたりしたときには、だいたい同じような対応をしがちなのです。
 そのようなときには、いったん立ち止まり、「うーん、ここに何か自分の人生のテーマがあるようだ」と、頭をひねって考えていただきたいのです。
 そして、「同じような問題が繰り返し出てくるということは、ここに何か自分の性格上の欠点があるのだろう。ひとつ、これを克服しよう」と考えてみることです。
 このように、何か問題に直面したときには、そのつど勉強していただきたいのです。
(227~230ページ)

これまで述べたような見方で人生を捉えていくと、人生についてまったく違った見方ができるようになり、さまざまな苦難・困難も、ある意味で楽しみになる。

それは、ちょうどスポーツの快感のようなものであって、運動を始めたばかりのときは筋肉痛になって大変だが、体を鍛え、慣れてきたら、楽しくなってくるのと同じようなものである。

人は、以前と似た問題が出てくると、同じようなことをしてしまうところがあるので、そういうときには、ここに何か自分の人生のテーマがあるようだと考え、そのつど勉強していただきたい――。

冒頭に述べられている「これまで述べたような見方」というのは、このブログで以前、さまざまにご紹介してきた、人生を魂の学校と捉えるような見方ということではないかと思います。

そして、「人生は一冊の問題集である」というもっとも初期のお教えも、改めてここで思い起こしたいものだと改めて私は思っているのです。
 

『生命の法』

  大川隆法著


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またノーベル賞の受賞者が発表されたりしてるけど、あの有名なノーベル賞学者の湯川秀樹博士って、どんな人だったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『湯川秀樹のスーパーインスピレーション』――無限の富を生み出す「未来産業学」(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 戦後、日本人として初めてノーベル賞を手にして、荒廃期の日本に希望と勇気を与えた湯川博士である。
 ご生前に、ストレートに宗教に関心を持っていたとは思えないが、その文学的才能や、古典の教養を感じとる時、人間は創造的な実力を養成し、熱いマグマのように煮立ってきた時に、ボコッとした新発明が飛び出すのではないかと思う。
 私も文系中の文系ではあるはずなのだが、なぜか、理学博士や工学博士の伝記を読むのが好きだ。
 未知なる世界に夢を持って挑戦し、一瞬なりとも幸運の女神の前髪をつかんでやろうとする、その勇気に感動するのかもしれない。
 「創造」こそ、未来に人類が生き残るための秘術である。本書が、新たなスーパーインスピレーションの源となることを祈らずにはおれない。
(1~2ページ)

物理学や科学に興味をもっていない方であったとしても、天上界に還った有名科学者が、霊として、どんなことを考え語るのかというのは、とても興味ある話題ではないでしょうか。

本書は、霊的世界に関心がある方にはもちろん、そんな世界に興味はなくとも物理学や科学に興味をもっている方に、強くお勧めできる書籍であると、改めて私は思っているのです。
 

『湯川秀樹のスーパーインスピレーション』

 大川隆法著


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心っていうけど、それって頭脳の働きなんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡のガン克服法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 医学者や生物学者などは心を頭脳の働きと考えやすいのですが、実際には、心は頭脳の働きとは違います。
 頭脳はコンピュータ的な役割を果たしていると思われます。
 ただ、コンピュータは人間に近づいてきつつありますが、コンピュータと人間は、あくまでも一定以上は近づくことができない関係になっています。
 なぜかというと、コンピュータには「つくり主」がいるからです。コンピュータをつくっているのは人間です。「コンピュータを、どのように機能させるか」というプログラムをつくった人が必ずいるのです。(中略)
 では、人間にとって、コンピュータの「つくり主」に当たるものは何でしょうか。それが、宗教において、神や仏、大宇宙の叡智と言われるものです。いろいろな言われ方をしていますが、「この世を超えた、はるかなる世界にある、偉大なる力」が人間を創ったのです。
 つまり、「人間がコンピュータをつくったように、人間に対して、大きな力が働いており、目的を持った人生を生きられるように仕向けている」と考えてよいのです。
 さらに、コンピュータと心の違いは何でしょうか。人間の心は創造性を持っています。それは、創り出す能力です。新しいものを創り出す能力、新しいものを考え出す能力です。(中略)
 また、人間の心は、「創り出す」という力だけではなく、もう一つ別の想像性、すなわち、イマジネーションの能力も、もちろん持っています。
 コンピュータと心とでは、これが根本的に違うわけです。(中略)人間の心は、インプットされたものに反応しているだけではありません。インプットされたものをもとにして、新しいものを創り出していく力を持っているのです。
 この意味において、「人間は神の子である」「人間は神に似せて創られた」と言われています。人間は、何かを新しく創り出す力、考え出す力を持っています。そういう偉大な存在だからこそ、人間は、「神の子」とも言われ、また、「神そのものの一部が自分のなかに宿っている」とも言われるのです。
 心について、もっと正確に表現すると、みなさんの肉体に宿っているのは、肉体と同じぐらいの大きさの霊体であり、その中枢部分、他をコントロールしている部分のことを、心と称しています。これは、主として意志や感情を司っている部分です。
 そして、その心の部分が、実は、天上界にいる神や仏、高級霊などから、霊流という一種の光のエネルギーを引いています。それが、彼らとつながっているものの正体なのです。(中略)
 実を言うと、人間は、霊天上界の高級霊界から下りているエネルギーの末端の塊です。これが人間の本質なのです。
 その意味において、「人間は、非常に尊い存在である」と言ってよいでしょう。人間は、神仏と同じような要素を、その一部に持っているのです。
(26~30ページ)

コンピュータが人間に創られたように、人間も、この世を超えたはるかなる世界の偉大な力によって、創られている。

人間の心は、創造性を持ち、イマジネーション能力も持っている点で、コンピュータとは根本的に異なるのであって、だからこそ人間は「神の子」として神の一部が宿っているとも言われる。

人間の肉体には同じぐらいの大きさの霊体が宿り、その中枢部分が「心」であって、神仏、高級霊などから一種の光のエネルギーを引いている。つまり、人間の本質は、高級霊界から下りているエネルギーの末端の塊である――。

今日のお教えは、真に悟った方のみが語り得る真実の人間論でありましょう。

そして、唯物論に凝り固まった現代医学への一喝だと感じます。

仏法真理に照らしたこの真の人間観を、素直に信じることができるかどうか。

それが、ガンをはじめとする難病を心の力で克服できるかどうかのカギになるのだと、改めて私は思っているのです。
 

『奇跡のガン克服法―未知なる治癒力のめざめ』

 大川隆法著


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