今のままで幸福なんだけど、なんで他人のこと、考えなきゃいけないの。人それぞれでいいんじゃないの、なんて思ってる人、いませんか? 幸福って、なぜ広げていかなきゃいけないんでしょうか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『信仰と愛』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
幸福というものは、自分ひとりのものにしてしまうと、腐って死んでゆくのです。そんなものなのです。食べようと思ってたくさん食べ物を持っていても、長い間置いておくと腐ってゆくように、幸福というものは自分だけ幸福になってそれで終わったらだめなのです。
自分が幸福になったならば、「こんな幸福をいただいたということは、本当にありがたいことだ」と、その幸福をまず惜しむことが大事です。「自分に力があるからこうなったんだ。自分が偉いからこうなったんだ」、このようにうぬぼれるのではなく、「こんな幸福をいただいたということは、非常にありがたいことです。自分のように修行が十分でない者にも、こんな幸福が与えられたということはありがたいことです」と謙虚に受けとめる。これは「惜福」です。福を惜しむということです。
そして、その幸福を他の人に分けてあげる。これは「分福」です。福を分けてあげるということです。
さらに「植福」、福を植えるというのがあります。将来のために福を植えてゆくことです。それは、今はまだその途次にない方、まだそういう状態にない方のためにも、将来のためにも、何か自分のできることを今のうちからしておくということにもなりましょう。
(175~176ページ)
幸福というのは、自分ひとりのものにしてしまうと、腐って死んでゆくものである。
自分が幸福になったら、まず、「自分のように修行が十分でない者に、こんな幸福が与えられたのはありがたい」と謙虚に受けとめる(「惜福」)。
そして、その幸福を他の人に分けてあげて(「分福」)、今はまだそういう状態にない人のため、将来のために、何か自分のできることをしておくこと(「植福」)である──。
この「惜福・分福・植福」というのは、幸福の科学で、お布施のことを「植福」と呼ぶようになった、そのもとになったお教えだと思います。
幸福は、愛と同じで、与えて広げて循環していかないと死んでしまう。
幸福を分けあげ、与えてあげることは、けっして損になるどころか、むしろ自分に返ってくる、自分のための行為でもあるんだってこと。
この教えの意味が、今日はとっても腑に落ちた気が私はしているのです。
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『信仰と愛』
大川隆法著 |
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