ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



ねえ、善とか悪って、普遍的なものだよね。善は善、悪は悪なんだよね? なーんて哲学的な疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 そうしてみますと、この世にある悪というものの姿が、はっきりとわかってきます。「悪というものが、実際は実在するものではない」ということ、「悪とは、それぞれの人間が、自分の個性のままに、自由に生きよう、伸びていこうとするときに、お互いにぶつかり合って生じるものである」ということが、わかってきます。
 よく「人・時・所」と言いますけれども、人と人との関係によって、あるいは、時をわきまえないことや時期を逸したこと、時間が違うことによって、また、場所を間違えたことや、その置かれた立場が違うことによって、悪は起きてくるということがよくわかります。
 「人」が違うというのは、「その人に対しては、そのようにしてはいけない」ということをしてしまうことで、それが悪になることがあります。
 自分の妻や夫に対しては、してもよいことでも、他の人にしてはならないことがあります。自分の子供に対しては、してもよいことであっても、他人の子供に対しては、してはならないことがあります。自分の商売の相手に対しては、してもよいことであっても、そうでない人に対しては、してはならないこともあります。これは「人」が違うわけです。
 あるいは、「時」によって変わってくることがあります。
 朝一番ならしてもよいこと、昼間ならしてもよいこと、夜ならしてもよいことがあります。これを間違えて、たとえば、昼間ずっと寝ていて夜になったら活動する、といった生活をしていれば、当然、社会的不適応を起こすこともあります。
 あるいは、時期的に見て許されないこと、たとえば未成年なら飲酒や喫煙をしてはいけない、というようなこともあります。要するに、子供が飲めば身体に有害であったり精神行動において有害であるために、成年に達すれば罪のないことでも、未成年では許されないことがあります。
 あるいは、「所」が違うということがあります。
 幼稚園では、子供たちは悪ふざけをしてもいいかもしれませんが、会社で、みんなが仕事をしているところで悪ふざけをしたら、それは悪になりかねません。あるいは、満員電車のなかでは、大声で叫べば悪になることもあります。そのように、場所によって善悪が分かれることも当然出てきます。
 このように、善悪というものは、「人と時と場所」の組み合わせによって、いろいろと変わってくるものなのです。(中略)このように、善悪というものは、そうした「人・時・所」によって現われる、つまり、それがすべての人に調和的に働いたときには善になり、不調和に働いたときには悪になる、ということを知ります。
 そして、それを単に知っただけではなくて、「なぜ、そういう不調和が起きてくるのか。それは人間の考え方、行動に基づくものだ」ということを見抜いていくのです。
(126~129ページ)

悪というのは、実在するものではなく、それぞれの人間が、自分の個性のままに自由に生きよう、伸びていこうとするときに、互いにぶつかり合って生じるものである。

つまり、善悪は、「人と時と場所」の組み合わせで変わってくるのであり、それがすべての人に調和的に働いたときには善になり、不調和に働いたときには悪になる。

そして、そういう不調和が起きるのは、人間の考え方、行動に基づくのである──。

ちょっとむずかしい議論だったでしょうか。

今日は、「般若の智慧(はんにゃのちえ)」について説かれたお教えの一部を、ご紹介してみました!

心の挑戦―宗教の可能性とは何か (OR books)

『心の挑戦』

  大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




やっぱり、成功だし、進歩だし、繁栄・発展だよね。それしかないよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀再誕』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

ここで、私は、足ることを知るという考え方を、
もう一度、説いてみたいと思う。(中略)
足ることを知るという考えが、どれほど大事であるかということを、
知らなくてはならない。
それは、ともすれば進化のみを追い求める男性的な社会において、
調和の原理を取り入れることにもなるであろう。
足ることを知るということによって、
人びとは両極端の思いから去ることができる。
また、上と下というこの上下の両極端からも去ることができる。
左右の両極端、上下の両極端を去り、
そして、中道に入るという道のなかに、
足ることを知る生き方があるであろう。(中略)
足ることを知るということは、
決してブレーキをかけよということではない。
それは、適正なる発展ということなのだ。
適正なる発展ということを考えないと、
すべてのものは失敗に終わってしまう。
樹木であっても、適正な発展があってよいのだ。
草や花であっても適正な発展というものがあってよい。
もし、ひまわりの花が十メートルの高さになったとしたならば、
ひまわりは苦しかろう。
いかに土中から水を吸い上げるかということが、
彼の急務となり、焦りとなり、苦しみとなるであろう。
ひまわりは、やはり二メートルの高さでよいのだ。
また、違った考えもあるであろう。
柿なら柿という木に、数多くの実がなれば嬉しいであろう。
しかし、この実がなりすぎたらどうなるかということを考えたらよい。
なりすぎることによって枝は曲がり、また、その実の味は落ちる。
味が落ち、そして、
その木にとって無駄な仕事をしたことになってしまう。
数多く実をつけることによって、人びとに喜ばれるとは限らない。
味が落ちれば、人はそれを喜ばなくなるのだ。
やはり、適正な数で、
素晴らしい味の実をつけることがよいことであって、
ある時は豊作となり、ある時は凶作となって、
左右に揺れ、上下に揺れることをもって正しいとは言わない。
いつもいつも人びとの期待に応えて、適正の量、適正の味で、
柿の実をならせることが、正しいことであるのだ。
そのような考えを忘れてはならない。
すべて、物事の成功には、適正ということが大事である。
何事も、やりすぎてはならない。
やらなすぎてもいけない。
中道という道は、決して一時的なことではなく、
無限の成功をつくってゆくための道であるということなのだ。
今、自らの仕事というものをふり返って、
どこか適正を欠いているところがないかどうかを、常づねに点検せよ。
適正を欠いていないかどうかを点検するということが、
中道に入るということなのだ。
この中道に入るための方法の一つとして、
足ることを知るという視点もまたあるのだ。
そのことを忘れてはならない。
(185~190ページ)〔携帯版192~198ページ〕

もちろん、大川隆法先生の教えには、「発展」があります。

でも、それとともに、「調和」、そして「足ることを知る」や「中道」という教えもあるわけで、けっしてワンパターンではありません。

つまり、時代や社会の事情、自らの仕事の調子や体調、ライバルの動き等々、さまざまなファクターで置かれた状況は変わってくるわけです。

そんなことも念頭に置きつつ、この「適正なる発展」というお教えを思い返し、改めて味わってみたいと私は思っているのです。

仏陀再誕―縁生の弟子たちへのメッセージ (OR books)

『仏陀再誕』

  大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




エクソシストが出てくる映画で、悪魔ばらいしてるのがあるけど、あれって、ほんとなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『エクソシスト入門──実録・悪魔との対話』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 まず、本章のテーマである「エクソシスト(exorcist)」とは何かということですが、日本語に訳すと、「悪魔祓(ばら)い師」ということです。そして、エクソシズム(exorcism)が、「悪魔祓(ばら)い」ということになります。(中略)
 幸福の科学の三帰信者であれば、基本的には、仏法真理の教学と、『仏説・正心法語』の読誦、『祈願文①』の「悪霊撃退の祈り」等で、エクソシストとしての活動を行うことは可能だと思います。
 ただ、その人の悟りに合わせて法力は強くなってくるので、日頃の教学、精進が連動すると考えてください。
 在家の信者でも、よく勉強し、修行している人には、『仏説・正心法語』などを読誦するだけで、簡単な悪霊であれば、憑いているものを取る力はあると思います。真理の話をして、「正心法語」のCDをかけるだけでも、悪霊を取る力があるでしょう。
 ただ、そうした普通の地獄霊、不成仏霊の背後には、悪魔や魔王などが控えていることもあります。
 この世のヤクザでも、小者だと思って相手をしていたら、その後ろに親分が控えている場合があるように、悪霊の場合も、悪魔や魔王とつながっていることがあるので、あまり図に乗って相手をしていると、自分が敵わないような強い相手が出てき始めるので、気をつけなければいけません。
 悪霊外しや悪魔祓いは、ある程度、個人でもできないことはありませんが、なるべく幸福の科学の支部や精舎等で行ったほうがよいと思います。
 その場合、悪魔の側は、「仏・法・僧」を相手にして戦わなければいけなくなるので、向こうも正規軍でないかぎり互角には戦えません。こちらが教団全部とつながっていると、向こうは個人戦ではとても敵わなくなるのです。
 「三宝に帰依する」「三帰誓願によって仏・法・僧とつながる」ということは、自分の身を護り、他の人に憑いている悪霊を外し、悪魔祓いをする上での力になるのです。「仏・法・僧と一体になって対抗する」ということであれば、強い力を発揮できます。
 そういう意味で、三帰信者になると、エクソシスト能力も一段と高まってくると思います。さらに、出家修行者においては、その修行の度合いに応じて力が変化してきます。
 修行者が転落する原因は、「貪(貪り)・瞋(怒り)・癡(愚かさ)」の「心の三毒」、あるいは「慢(慢心)・疑(疑い)・悪見(間違った見方)」を含めた「六大煩悩」です。たいていは、このどれかに引っ掛かっています。悪魔に、これで引っ掛けられて、やられることがあるのです。(中略)特に、宗教家の場合は、やはり、「慢」のところに引っ掛かることが多いようです。(中略)
 霊体質の人も、気をつけないと、慢心することがあります。慢心していると、「敵のほうが強くなれば、自分がやられてしまう」ということが分からなくなるのです。(中略)
 したがって、エクソシストとしての活動を行う場合、基本的には、三宝帰依によって組織戦に持ち込んだほうがよいと私は考えます。
(19、65~68ページ)

幸福の科学の三帰信者であれば、仏法真理の教学と、『仏説・正心法語』の読誦、『祈願文①』の「悪霊撃退の祈り」等で、エクソシストとしての活動を行うことは可能である。

悪霊外しや悪魔祓いは、ある程度、個人でもできないことはないが、なるべく幸福の科学の支部や精舎等で行ったほうがよい。

気をつけないと、慢心していると自分がやられてしまうことが分からなくなるので、エクソシストとしての活動を行う場合、基本的には、三宝帰依によって組織戦に持ち込んだほうがよい──。

少し前にヒットした映画「ザ・ライト」では、カトリックのエクソシストが悪魔と戦うための武器というのは、お祈りと聖水、十字架くらいしかなかったと思います。

幸福の科学では、三帰誓願した信者(「三帰信者」)であれば、誰もが拝受している『仏説・正心法語』、そして『祈願文①』には「悪霊撃退の祈り」という修法があります。

さらに、支部や精舎に足を運べば、もっともっと高度な悪魔祓いの祈願(たとえば「悪霊調伏〔あくりょうじょうぶく〕祈願」「悪霊封印秘鍵〔あくりょうふういんひけん〕」)などを受けることで、ものすごく強力な光で悪魔と戦うこともできます。

うーん、改めて考えてみると、悪魔が幸福の科学を嫌がり、ことあるごとにその活動を邪魔しようとしている理由は、こんなところにもあるのではないかと、私は思っているのです。

エクソシスト入門 (OR books) 『エクソシスト入門』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回、月の裏側にアブダクションされて連れて行かれた人の話があったよ。で、そこで、どんな宇宙人に会ったの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宇宙人リーディング』(幸福の科学出版)で、公開霊言の一種として、目の前に座る男性(Cさん)の心の奥底をリーディングして、その続きを、次のように伝えておられます。

 円盤のなかに入って……、それから宇宙服を脱ぎ、あなたは歓談していますね。あなたは、何か飲み物のようなものを出されて、宇宙人と思われる者たちと歓談しています。
 そこにはテーブルがありますね。テーブルも椅子もあります。その部屋は、うーん、まあ、円形状で、それほど広くはありません。十畳よりやや広いぐらいです。窓はありません。(中略)
 あなたの正面に座っている人は、頭の上が……、これはなんだろう。(中略)白い線が入ったバーコードのような感じで、それをかき上げたような頭をしていますね。(中略)
 言葉をしゃべっています。手はついているし、ヤギではないけれども、ヤギに似ている。ヤギに似た感じの顔立ちですね。耳のところに、渦巻き型の角のようなものがあるのが特徴的ですね。
 それが、あなたの正面に座っている人です。おそらく、偉い人なのだろうと思います。鼻は、やはりヤギのような鼻をしています。ただ、口は、人間の口に近いです。首もあります。
 そして、マントのようなものを着ていますね。マントの後ろ側は紫色をしています。そして、金の縁取りがあって、金色の房が出ています。(中略)体には、何か薄いコスチュームを着ていますね。(中略)色は、銀色に近い色合いで、なぜか左胸の上あたりが金色にピカピカと点滅して、光っていますね。体の前の部分にはしわがあって、腰のあたりにはベルトがあります。(中略)ベルトの下に、上着の端が少し出ていて、下はズボンをはいているように思われますね。
 ヤギに少し似ていますが、そのように、かなり偉く見える感じで、おそらく、この人が艦長だと思われます。(中略)
 その両側に座っている人がいます。テーブル自体は、それほど大きいものではなく、直径が一・五メートル程度の丸テーブルです。
 あなたから向かって右側に座っているのは、女性です。こちらはヤギの顔ではなく、とてもきれいな女性で、頭にカチューシャのようなものを着けているのが特徴ですね。
 このカチューシャは、黒に見えますが、実は黒ではなくて濃紺ですね。濃紺のカチューシャをして、髪の毛はブロンド(金髪)です。そして、髪の毛は長く、明らかに肩にかかっていますね。目は、青い感じで、着ているものは宇宙服に似ています。北欧系の美女のような感じに見えますね。
 地球人かもしれないけれども……、でも、地球人ではないですね。地球人そっくりの美人で、あなたは、「美人だなあ」と思って座っています(会場笑)。(中略)
 また、向かって左側に座っている人は、ややマントヒヒに似た顔をしていて、いちおう言葉をしゃべっています。体は、人間のようなかたちですが、顔はマントヒヒによく似ていて、顔の周りに毛が生えていますね。
 毛は、やはり、栗毛、栗色の毛かな。目は……、これは、何色と言うのだろう。エメラルドグリーンのような色の目をしていますね。
 こういう三種類の宇宙人がいます。みな、違う種類だ思われます。
(95~99ページ)

アブダクションされたCさんが、円盤の中で出会った宇宙人は、三種類だった。

まず、ヤギに似た感じの顔立ちで、耳のところに渦巻き型の角のようなものがある宇宙人。

次に、濃紺のカチューシャを着けた長い髪はブロンド、青い目でとてもきれいな、女性の宇宙人。

最後に、マントヒヒに似た顔だちで、顔の周りに栗色の毛が生えている、エメラルドグリーンの目をした宇宙人──。

なんともなんとも、不思議な話ですが、今日は、私の素朴な感想は控えることにしたいと思います。

そして、「この宇宙人リーディング」、さらにはその後に始まった「UFOリーディング」で、さらに新たな情報が追加されているわけで。

というあたりは、またの機会に!

宇宙人リーディング (OR books)

『宇宙人リーディング』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




うちのだんな、会社で営業の責任者なんだけど、大病が続くんだよね。私がしてあげれること、ないのかな?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福へのヒント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 営業系統の仕事は神経を非常にすり減らすため、そういう仕事の人は、たいてい体を悪くします。どのような病気になるかは人それぞれですが、ストレスが何らかの病気になって現れてくるのです。
 営業では、付き合いの面でも無理がかかります。お酒の付き合いもあるでしょうし、ゴルフなど、休日の接待もあるでしょう。
 営業部長になるような人は、どこかで必ず無理をしています。(中略)営業で第一線を駆け昇ってきた人であるならば、体にガタが来るのは当然だと思います。むしろ、“名誉の負傷”だと思うべきかもしれません。そうならないためには、早々と出世を諦めなくてはならないでしょう。
 会社の仕事はほんとうに大変なのです。「できるものなら、会社を辞めてしまいたい」と思うこともあるでしょう。しかし、なかなか、そうはいかないものです。(中略)
 あなたのご主人は、これまで、かなり無理をしてきており、疲労とストレスの蓄積によって体が傷んでいるのです。
 したがって、あなたがご主人にすべきことは、まず、「体を悪くしてまで、よく頑張った」という点を認めてあげることだと思います。
 そして、ご主人に一日でも長く働いてもらうためには、家庭をくつろぎの場にし、ご主人のストレスを取ってあげることが必要です。
 また、ご主人がなるべく休養を取れるようにしてあげることです。
 ご主人は、仕事熱心で一途な人でしょうから、本来なら休まなければいけないところで休みを取らず、無理をしているはずです。しかし、人間には無理の利く限界があるので、ご主人が無理をしすぎる前に休ませなくてはなりません。そうするのが賢い奥さんです。
 ご主人を見ていて、「そろそろ危ない」と思ったならば、早めにブレーキをかけ、強制的に休ませることが大事です。
 あなたは、これまで苦労し、傷ついてきたご主人の心を楽にしてあげなくてはなりません。押し付けがましく、いろいろと言っても、ご主人は反発するだけです。そうではなく、「どうすれば夫のストレスが抜けるか」ということを考えてください。
 体を休めたならば、ご主人はよくなっていくと思いますが、ご主人の体があまりにも悪いようであれば、その仕事にピリオドを打ち、もっと楽な仕事に変わったほうがよいかもしれません。
 基本的には体にガタが来ているのです。したがって、単に治療だけで治るものではないでしょう。
 しかし、あなたが、「夫は、長いあいだ、無理をしてきたのだ」ということを知り、ご主人を理解してあげれば、それだけで病気が治ることもあります。
 さらに、宗教的には、反省や瞑想、祈りなどの修法が有効です。これについては、近くの幸福の科学の支部や精舎をお気軽に訪ねてみてください。「病気平癒祈願」などもあります。
(43~46ページ)

営業系統の仕事をしている人は、神経をすり減らすストレスから、たいてい体を悪くする。特に、営業で第一線を駆け昇ってきて営業部長になるような人は、どこかで必ず無理をしている。

妻がそういう夫にすべきことは、まず、体を悪くしてまで頑張った点を認めてあげること。そして、家庭をくつろぎの場にして、ストレスを取ってあげること。なるべく休養を取れるようにしてあげること。

さらに、宗教的には、反省や瞑想、祈りなどの修法が有効なので、近くの幸福の科学の支部や精舎を気軽に訪ねてみてほしい──。

なるほど、なるほど。

そう言うほかない、ほんとうに貴重なアドバイスをいただいたと思います。

この教えが該当すると感じる方は、ぜひこちらをご覧になって、支部や精舎を気軽に訪ねてみられますように!

幸福へのヒント―光り輝く家庭をつくるには (OR books)

『幸福へのヒント』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「魂の兄弟」って、どうなってるの。何度か説明を聞いたと思うんだけど、霊言なんかに出てくると、よく分からなくなるんだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『太陽の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 九次元大霊は、個性をもつ意識体ですが、人間の人体に宿るには、あまりにもエネルギー体としては巨大すぎます。そこで、九次元大霊が三次元に肉体をもつ場合には、その意識体の一部を使って出てきます。(中略)魂は、あくまでも人間としての個性をもった霊であり、肉体を去って九次元に還れば、大霊のなかの記憶の一部の領域におさまってしまいます。この観点から考えるならば、九次元大霊は、魂の数としては無数にわかれることができることになります。いわゆる自由自在なのです。
 しかし、八次元如来界の光の大指導霊になってきますと、少し事情がちがってきます。彼らももちろん大霊ではありますが、かなり個性化、人格化が進んできます。そして、ほとんどの場合は、ひとつのまとまった霊として天上界で生活しておりますが、必要があれば、何体にでもわかれて活動します。薬師如来なら薬師如来としての統一された八次元人格はあるのですが、たとえば、医療関係での活躍を期待される時期ですと、何千体、何万体にでも分光していって、世界各国の地上人や霊人たちを指導しはじめます。つまり、八次元如来は、統一人格をもちながらも、同一目的のためならば、必要な数だけ、必要な作用の数だけの分霊が可能なのです。九次元大霊が、光の性質はひとつでありながら、多目的の人格をとりうることと、この点がちがっています。
 七次元菩薩界になってくると、人格霊としての個性化がはっきりしてきます。つまり、八次元以上の霊だと、地上界に出たことのない意識体が天上界にありますが、七次元霊のすべては、人間霊としての経験を積んでいるからです。エル・カンターレ系の七次元の雲は、チーム・ワークを重視し、原則として、六人で一組になっています。六人のうち、一番中心的なリーダー役の霊を「本体」といい、ほかの五人を「分身」といいます。そして、この六人が交代で地上で菩薩行を行ない、原則つぎに地上に出る予定の者が、学習を兼ねて守護霊をつとめることになっています。しかし、複雑な現代社会に対応するため、一番最近地上に肉体を持った霊が守護するケースが増えつつあります。各人の経験はすべて共有され、魂の傾向は同じです。
 たとえば、人間が胴体と両手、両足、頭という六つの構成要素でできているように、六人の魂のグループがひとつの霊をつくっているのです。
 しかし、六次元光明界に入ると、六人で一体といった意識はほとんどもてなくなって、各人が個別化してきます。ですから、彼らに魂の兄弟とか、本体、分身といっても、少し通じにくくなります。
 この光明界以下の世界では、いまから一億年あまり前に、「パイトロン」という、高次元の光を増幅、放射する巨大装置によって、もといた六次元レベルの魂を本体として、さらに五人の分身、コピー人霊としてつくられた者もいます。しかし、分身部分は霊格がやや低まり、主として四次元幽界、五次元善人の住人となったようです。こうした人霊の霊格を高める必要があって、ここ一億年あまりのあいだには、人間は、煩瑣にこの世とあの世との世界を転生輪廻するようになってきました。
 六次元以下の世界では、各人が地上で魂修行を行なうとき、主として本体部分が、守護、あるいは、指導をしているようです。ただ、もとの本体分身の六人の組みあわせでは、地上経験の差で意識に極端なズレが生じて、ふつごうが起きる場合には、仏の光を受けてグループの再編成も一部起きています。
(83~89ページ)

九次元大霊は、光の性質はひとつでありながらも、多目的の人格をとって、魂の数としては無数にわかれることができ、八次元如来は、統一人格をもちながらも、必要な作用の数だけの分霊が可能である。

エル・カンターレ系の七次元菩薩は、チーム・ワークを重視し、原則として六人の魂のグループがひとつの霊をつくっており、各人の経験はすべて共有され、魂の傾向は同じである。

六次元光明界の霊は、六人で一体といった意識はほとんどもてなくなって、各人が個別化している──。

「魂の兄弟」については、何度かご紹介してきました。

高級霊の霊言で、この話題が分かりにくいことがあるのは、四次元から九次元までの霊人たちのうち「魂の兄弟」の説明があてはまるのは、七次元菩薩界以下の霊人たちだけで、八次元如来界とか九次元宇宙界の霊人たちにはまったくあてはまらないのも、原因の一つではないでしょうか。

要するに、霊界の真相というのは、そうそう単純なものではないわけで、どの次元に焦点をあてるかによって、見え方が変わってくるということなんだろうと思います。

そして、そのすべてを俯瞰(ふかん)する壮大な空間論をさりげなく説いておられる大川隆法先生こそが、やはり真の「仏」であるのだと、改めて私は思っているのです。
 

太陽の法―エル・カンターレへの道 (OR books) 『太陽の法』

  大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




新しい産業って、どういう方向で考えたらいいのかなあ。オレって発想が貧弱で、自分だけじゃ思いつかないんだけど? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来産業のつくり方』(幸福の科学出版)で、ソニーの創立者・盛田昭夫氏の言葉(霊言)を、次のように紹介されています。

 要するに、体力の落ちた高齢者たちでも、楽に仕事ができるような世界にすることだよ。そのための機械類の進化や技術の進化が、まだ十分には求められていないと私は思うね。(中略)
 例えば、こういうふうに話した言葉を、何て言うかな、プリントアウトするような機械自体はあるけれども、まだ商業ベースに乗るレベルまで行っていないよな。(中略)
 年寄りがパソコンを苦労していじっているようでは、七十歳、八十歳になったら、本が書けなくなるじゃないか。それは無理だよね。しかし、しゃべった言葉が自動的に活字になれば、それは楽になるよ。(中略)
 それから、車の運転などでもそうだ。ハンドルを握って、ブレーキやアクセルを踏んで運転しているよね。オートマチックでかなり楽になってはいるだろうけれども、これから先のことを考えたら、もう一段、進まなければいけないと思うんだよ。
 やはり、口で命令を発するだけで動く車が必要だと思う。ただ、運転中に、いろいろな人からガチャガチャ言われると、大変なことになるから、「誰が運転者なのか」ということだけを確定すれば、その人が言ったとおりに動く。
 今、カーナビは、行き先を指定したら、行き方が地図などに出るんだろ? 同じように、運転者が行き先を指示したら、あとはそのとおりに運転してくれる。手や足を使わなくても、「はい、ストップ」とか、「速度を落として」とか、「はい、そこを直進してくれ」とか、「前の車を追い越してくれ」とか言うと、すべて上手にやってくれる。こういう車を、やはり、つくらなければいけない。(中略)
 これから、高齢人口がすごく増えてくるので、その高齢者たちが、日常生活や職業を続けていくことを徹底的に便利にすることが大事だ。そういうところに、産業というか、技術をシフトしていくという運動は、絶対、不可欠なことだね。
 これをやれば、今、政府が言っているような、増税による過大な財政負担で、若い人が未来を悲観するような社会になることを避けることができる。
 企業の力でそれを避けることができるんだよ。その方向性を目指せば、避けることはできるので、ぜひ、「今まで働くことができた年齢よりも、長く働けるようにするためには、何ができるか」というようなことを、ものづくりの世界の人たちが力を合わせて考えてほしいね。
 自動車や携帯電話、テレビ、コンピューター系など、ものづくりの会社は、「生涯現役世界」をつくるために何ができるかを考えてほしいんだ。(中略)
 基幹産業として、もちろんロボットの世界はあってもいいと思う。
 例えば、介護ロボットのところだね。あったら便利だよな。犬を呼ぶように、「おい、ポチ」と言ったら、スッと来るような“ポチロボット”がいたら、やはり便利だよな。(中略)
 その逆もある。それは子供のところだね。「自分で自分のことが全部できない、小さな子供を、どうやって安全に保育できるか」ということだ。それを介助できるロボットがあるといい。ついでに学習機能まで付いていると、もっといいよね。
(176~187ページ)

これから高齢人口が増えてくるので、例えば、しゃべった言葉が自動的に活字になる器械や口で命令するだけで動く車のように、高齢者たちが日常生活や職業を続けていくことを、徹底的に便利にする産業や技術が、絶対に必要になる。

これをやれば、政府が言っているような、増税による過大な財政負担で若い人が未来を悲観するような社会になることを避けることができる。

ぜひ、ものづくりの世界(会社)の人たちは、今まで働くことができた年齢よりも長く働けるようにするためには何ができるか、「生涯現役世界」をつくるために何ができるかを、力を合わせて考えてほしい──。

今日ご紹介したのは盛田昭夫氏ですが、幸福の科学や幸福実現党は、発想に困ったら、こんな豊かな発想の天才だった霊人たちを招霊して、こんなあふれる泉のようなアドバイスを、直接受けることができるわけです。

2010年に本書が発刊されてから、もう11年の歳月がすぎましたが、まだまだ時代は、本書の霊言に追いついていないようです。

ほんっとに凄いとしか言いようがありません。

一人でも多くの方が、この天上界の霊人たちの素晴らしい発想に触れて、日本の未来産業のヒントを得てくださいますようにと、心から私は願っているのです。

未来産業のつくり方―公開霊言豊田佐吉・盛田昭夫 (OR books) 『未来産業のつくり方』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




吉田松陰の生き方については、一度、ご本人の考えそのものを、霊言でご紹介したことがありました。でも、大川隆法先生は、どう考えておられるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教立国の精神』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「二十九歳余りで亡くなって名を遺す」というのは、現代的には難しいことです。なかなか遺るものではありません。(中略)
 松陰は、下田でペリーの黒船に乗り込み、アメリカへ渡航を申し入れて断られ、そのあと、幕府の役人に捕縛されましたが、実は、伝馬町の牢屋敷に護送される途中で、(中略)「かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」という歌を詠んでいます。「このようにしたら、このような結果になることは、分かってはいたのだけれども、やむにやまれぬ大和魂で、やってしまった」という意味です。
 「彼は、アメリカ渡航を目指していた」と言われています。「幕府の規定からすれば、日本人が無許可で海外渡航を行えば、必ず、『国禁を犯した』ということで捕まり、処罰されることは分かっていたけれども、その気持ちがやまず、とうとう、夜間、舟を漕ぎ寄せて黒船に上がっていった」というわけです。(中略)
 吉田松陰は、十歳ぐらいで藩主に講義をしたほどの神童であり、幼いころから英才でした。そして、長州藩の兵学師範でもありました。そういう人が、国禁を犯し、海外渡航に失敗して捕まり、処罰されるということは、不手際を犯したようにも見えます。
 しかし、彼の名前が上がった理由は、結局、「教え子たちが、その後、明治維新の大立者、大物になった。短期間で弟子たちを感化し、総理大臣級の人をたくさん育てた」ということだと思うのです。
 彼の人生を見ると、「長く生きればよいというものではない。短くてもよいから、激誠の人として、『誠』というものがほとばしり出るような人生を生きたならば、必ずや後世に遺るものがあるのだ」ということを感じます。
 ある意味で、非常に宗教家的な面も持った人であると思います。この世で何かを成し遂げたわけではないけれども、その生き様に多くの人々が感化を受けたのです。
 「後世、それほど尊敬される人でありながら、同時に、罪人として処刑もされている」という、時代の理不尽さはあります。
 普通の人々は、「法律に合った判断が正しい」と考えるわけですが、現代から見ると、昔の時代の法律には、おかしいと思えるものは、いくらでもあります。
 歴史的に見ると、偉い人は、よく殺されたりしています。ソクラテスもしかりですし、イエスもそうです。(中略)
 この世的には、ある意味で、生きるのが下手な人ではあるでしょう。無骨ではあるけれども、自分の思いに非常に正直に、真っ直に生きた人であると思います。(中略)
 結果がどうであれ、あるいは、あらかじめ結果が分かっていても、意見を言わなくてはいけないときもあります。そういうときには、「その時代に受け入れられることばかりを望んではいけない」と思うのです。
 言っておかねばならないことや、後世への遺産として遺さなければならないものがあるときには、損得を抜きにして、あるいは、自分自身の利害を考えずに、行動しなくてはなりません。それは、松陰で言えば、死をも賭しての行動であったと思うのです。
 そういうことが、時代を拓くきっかけになることもあるわけです。
(252~258ページ)

二十九歳余りで亡くなって名を遺すことができた理由は、短期間で弟子たちを感化し、総理大臣級の人をたくさん育てたことである。

彼の人生を見ると、短くてもよいから、激誠の人として、『誠』というものがほとばしり出るような人生を生きたならば、必ずや後世に遺るものがあることを感じる。

結果がどうであれ、あるいは、あらかじめ結果が分かっていても、意見を言わなくてはいけないときには、損得抜きに、利害を考えずに行動しなくてはならない。そういうことが、時代を拓くきっかけになることもある──。

すべての人が同様の生き方はできないかもしれません。

でも、やはり大川隆法先生は、吉田松陰の生き方を、高く評価しておられるのだと、改めて私思っているのです。

宗教立国の精神 (OR books)

『宗教立国の精神』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




幸福の科学って、いつのまにか海外でどんどん広がってるんでしょ。どうしてなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄思考』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 二〇一一年の夏には、アフリカのウガンダにも大きな支部精舎が建ちました。今、アフリカの信者数は、ちょうど二万人を超えたところです(二〇一一年末時点)。私自身、アフリカにはまだ一度も行ったことがないのですが、それほどの伝道が進んでいるわけです。また、インドの信者数は、すでに十万人をはるかに突破し、百万人を目指して増え続けている状態です。
 そのように、海外のほうでは、今、ものすごい勢いで当会の教えが広がっていて、日本とは少し違う動き方をしています。
 そのウガンダで最初に伝道をしたのは日本の外交官夫妻でした。(中略)伝道の“遺伝子”は確かに根付いていて、今、信者数は万の単位まで行っています。
 また、二〇一一年の九月に巡錫したマレーシアでも、現地の信者たちが、十年間、自分たちだけで努力して、支部精舎を建ち上げていました。大したものです。ブラジルの信者たちも正心館を自力で建ち上げました。そのように、海外では、私が伝道に行っていなくても、信者たちが自力で施設を建ち上げていっています。
 そうした動きが、日本国内のほうでも、ようやく全国的に広がってきました。(中略)しかし、私は、むしろ、海外へ伝道に行き始めてから、「この教えには本当に普遍性がある。これは、世界に通じる教えなのだ」ということを確信しつつあります。
 思想・信条が違い、宗教が違い、民族が違うのに、私の教えが通じるのです。これは、何とも言えない感覚です。相手がカトリックでも、プロテスタントでも、イスラム教徒でも、仏教徒でも、みな通じるのです。
 その事実を、二〇一一年の「アジア・ミッション」(アジアの各地への伝道)で痛感しました。
 まず、インドとネパールという、釈迦の活動の地と生誕の地を回り(二月末~三月上旬)、それから、カトリック教国のフィリピンや、仏教と道教が少し入っているものの、無神論の強い香港を回りました(五月)。さらに、宗教は特にない人工国家のシンガポールと、イスラム教国のマレーシアを回り(九月)、最後に、小乗仏教(上座部仏教)の国であるスリランカを訪れました(十一月)。
 いずれの地でも、私の言っていることがズバッと聴衆のハートに通じるのです。ある意味で、日本以上に通じるものがあると感じました。それは、おそらく、彼らには宗教に対する偏見がないからだろうと思います。
 彼らには、日本人のように、「宗教に対して一定のスクリーン(幕)をかけ、まず疑ってかかる」というようなところがありません。彼らは「宗教はよいものだ」と思っています。そのため、幸福の科学に対しても、「いったい、どういう内容の宗教なのだろう」という関心を持って見ていることが多いのです。
 私は、立宗当初から、「幸福の科学の教えは、すべての世界的な宗教とかかわっており、それらを否定していない」と説いていますが、それが、二十五年以上たった今、実証されつつあるわけです。
 当会は、おそらく、日本国内よりも海外のほうで、はるかに大きくなるでしょう。
(117~121ページ)

思想・信条が違い、宗教が違い、民族が違うのに、海外ではどの国でも説法がズバッと聴衆のハートに通じている。

海外へ伝道に行き始めてから、この教えには普遍性があり、世界に通じる教えなのだと確信しつつある。

幸福の科学は、おそらく、日本国内よりも海外のほうで、はるかに大きくなるであろう──。

世間ではまだ認識していない人が多いのかもしれませんが、2011年に大川隆法先生が決行されたアジア諸国へのご巡錫(「アジア・ミッション」)は、主エル・カンターレの教えの普遍性を、世界に示すことになっています。

日本人は、宗教をまず疑ってかかるのが普通になっているようですが、これはまったくグローバル・スタンダードではないことが、この事実からもわかります。

その後も当然のことながら、海外で教えは広がり続けているわけですから、「世界宗教・幸福の科学」が、海外から逆輸入される日は、本当にそう遠くはないのだろうなと、改めてしみじみと私は考えているのです。

繁栄思考―無限の富を引き寄せる法則 (OR books)

『繁栄思考』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




九次元霊だって言われるエンリルと、地獄の帝王と言われるルシフェルって、もともと他の星から一緒に来たんだって、聞いたことがあるよ。ほんとなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神々が語る レムリアの真実』(幸福の科学出版)で、やはり九次元霊にして、ラムディア文明では大聖エレマリアとして生まれた、ゼウスの言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 「エンリルたちは、昔、宇宙人として地球に来た人たちである」という情報(中略)については、確かに事実と合っていたのです。
 ただ、エンリルは、地球に来た最初の宇宙人ではありません。
 このエンリルは、文明実験として、パイトロンというものを使い、人霊の増幅計画、拡大計画のようなことを行いましたが、結局、あまり、いい出来にはならなくて、失敗に終わりました。
 ただ、要するに、宇宙の技術でもって複製をつくり、地球の人霊を増やそうとした部分でもって、造物神のように名乗っているのかと思います。
 しかし、現実には、今言ったように、混乱はここから起きているし、この人が地球に来るときに、宇宙から連れてきた副官がルシフェルなのです。
 このルシフェルが、「サタン」という名前で地上に生まれたあと、地獄に堕ち、その後、その後始末で大変になっているわけですね。
 彼らは、言うことをきかないのです。言うことをきかない、我の強いタイプの種族なんですね。そして、力の強さを競う傾向があるのです。
 その自我の部分が、結局、ルシフェルが地獄界の生き物として封じ込められた原因だと思います。
 彼らの元の星は、いわゆる“恐竜の世界”のようなものだと思ってください。恐竜の世界であれば、「食うか、食われるか」というような、強いものが勝つ世界です。
 そのような世界では、勝てばいいのですから、強ければ強いほどいいわけであり、場合によっては、相手を食べてしまえばいいわけです。
 そういう世界での正義とは何かというと、「相手を食べられるほど強い」ということです。
 巨大な歯を持っていたり、腕力や爪の力が強かったりする。あるいは、あるものは空を飛べる。あるものは、尻尾で打つ力が非常に強い。これは、今で言えば、格闘技の世界のようなものでしょうか。
 そうした、「相手を食べられるほど強いものが、神に祝福されている」というような考えが、その惑星にはあったのだと思うのです。そこでは、科学技術も進んでいたけれども、そういう面もあったのだと思うんですね。(中略)
 エンリルが天上界にまだ残れている理由は何でしょうか。
 そうした「弱肉強食」のかたちのなかにも、やはり、進化の原理があり、一部、人類を繁栄させる思想につながっている部分があるので、「完全に悪である」とは言えないでいるところはあるのです。
 ただ、これが、「単なる支配欲や、攻撃性、排他性に転化したときには、やはり地獄的なものになる」という、きわどいところがあるわけですね。
 例えば、ニューヨークは、競争の都市であって、繁栄していると同時に、貧困層や、堕落した者、犯罪者をたくさん生むような面があります。「弱肉強食が過ぎると、そういう面が出てくる」ということですね。
(101~103ページ)

エンリルたちは、昔、宇宙人として地球に来ており、そのとき、連れてきた副官がルシフェルであるが、我の強いタイプの種族であり、力の強さを競う傾向がある。

このルシフェルが、「サタン」という名前で地上に生まれたあと、地獄に堕ち、その後、その後始末で大変になっている。

しかし、そうした弱肉強食にも進化の原理があり、一部、人類を繁栄させる思想につながっている部分があるので、完全に悪だとは言えないところがある──。

この問題に関する『太陽の法』の教えについては、何度か、ご紹介したことがあります。

先の記事でも触れましたように、このエンリルとルシフェルは、「レプタリアン」と呼ばれる宇宙人たちであることがすでに明らかに明らかにされています。

また宇宙人リーディングでは、レプタリアンは進化の神でもあるという話になるわけですが、いずれにしても、このあたりには、まだまだこれから明かされていく秘密があるのではないでしょうか。

「宇宙の法」がさらに進展し、人類の秘史がさらに明かされていくことを、改めて心より期待したいと私は思っているのです。

神々が語るレムリアの真実―ゼウス・マヌが明かす古代文明の秘密 (OR books) 『神々が語る レムリアの真実』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




アイデア、出したいよね。それも、すっばらしいやつがいいんだけど、どうしたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『創造の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 「馬上・枕上・厠上」の三上や、散歩中、喫茶店にいるときなどに、アイデアが出やすいとされていますが、それらに共通する条件は「リラックスしている」ということです。(中略)ただ、その前の段階があるのです。
 「不断に、何かを強く求めて研究したり精進したりしている状態が続いていて、そのあとのリラックスタイムに何かがひらめいてくる」ということが多いので、ひらめきを得る前の段階を忘れてはいけないわけです。
 「ただ休んでいればよい」ということではないのであって、「一生懸命に何かを求め、考え続けている人が、少し日常から離れてリラックスしたときに、アイデアを得やすい」ということなのです。
 したがって、私は、どちらかというと、リラックスしてアイデアが浮かぶ前の段階を重視したい気持ちを持っています。
 アイデアを得る前に、「アイデアを得たい」という強い熱意や願望のあることが大事なのです。
 必要に迫られると、人間は、さまざまなことを考えに考えるものです。
 経営者は、一般に、必要に迫られて、考えを重ねているはずです。アイデアを出したり判断をしたりするために、かなり頭を使って考えていると思いますが、やはり、「必要に迫られる」ということ、あるいは、「強い熱意を持つ」ということが大事です。
 松下幸之助は、「『二階に上がりたい』という強い熱意があればこそ、人は、梯子をつくったり、階段をつくったりするのだ。『二階に上がりたい』という熱意がなければ、そのようなものは誰もつくりはしない」ということを述べています。
 「どうしても二階に上がりたい」「どうしても屋根の上に上がりたい」という熱意があれば、人は梯子や階段を発明し始めますが、そういう熱意がなければ、建物は平屋建てばかりになります。
 そのように、「どうしても、こうしたい」という強い熱意があれば、人は何でも考え出し、アイデアをひねり出してくるものです。
 「どうしても星をもっとよく見たい」と思えば、人間は望遠鏡を発明するようになります。「どうしても東海道をもっと速く楽に移動したい」と思えば、新幹線ができたり、飛行機が飛んだりするようになります。「どうしても月に行きたい」と思えば、ロケットも飛ぶようになります。
 まず、熱意というものが大事なのです。「こうしたい」という強い気持ちを持っていると、その強い熱意に引かれて、必要なアイデアが引き寄せられてきます。「実現したいもの」を持っていなければ、それに必要なアイデアを磁石のように引き付けてくることができないのです。
 例えば、「海外に行きたい」という強い熱意を持っていれば、語学を勉強したい気持ちになります。そして、それについてアイデアがたくさん浮かぶこともあります。「これを実現したい」という強い気持ちがなければ、そうはならないものです。(中略)
 どうか、強い熱意を持っていただきたいと思います。そのときに必ず発明は生まれてくるのです。
(58~62ページ)

リラックスしているときにはアイデアが出やすいが、その前の段階がある。

ただ休んでいればよいわけではなく、一生懸命に何かを求め、考え続けている人が、少し日常から離れてリラックスしたときに、アイデアを得やすいのである。

そのためには、「アイデアを得たい」という強い熱意、願望のあることが大事である──。

世上では、ひらめきを得るための技術論は数多く出回っているように思います。

ところが、その前の段階としての「努力」、そして、心のあり方としての「熱意」を大川隆法先生は重視されるわけです。

たしかに、知ってみれば、納得のお教えだと思います。

この「智慧」を意識して用いることができれば、その成果は天と地の違いになるのではないかと、改めて私は思っているのです。

創造の法―常識を破壊し、新時代を拓く (OR books)

『創造の法』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




5つの角がある星のマークを、五芒星(ごぼうせい)って言ったりすると思うんだけど、あれって、よく宗教で使われるよね。どんな意味があるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『日本を救う陰陽師パワー 公開霊言 安倍晴明・賀茂光栄』(幸福の科学出版)で、映画や小説で有名な陰陽師(おんみょうじ)・安倍晴明(あべのせいめい)の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 ええ。まあ、これは「秘中の秘」なのです。
 当教団の修法等にも似たものがあるし、ユダヤの「ダビデの星」も似たようなものですけれども、陰陽道の五芒星というのは、基本的に二つの役割を果たしています。
 一つは、星を象徴しておりますので、「宇宙のパワーを引き入れる」という役割です。
 もう一つは、それを、「悪なるものを封印し、撃退する」というパワーとして転用するためのシンボルなんですね。
 この教団においても、「エル・カンターレ ファイト」という修法がございますが、思想的には、ほとんど似たようなものだろうと思われます。
 また、あなたがたは、「正心宝」(幸福の科学の法具の一つで、首にかけて身につける)というものを付けていると思いますが、そのなかには、星のマークが入っているものがありますね。
 今年いっぱいぐらいには、「宇宙の法」がだいぶ明らかになってくるだろうと思いますので、もう少しすると、宇宙の力を現実に引いてこられるようになるでしょう。
 そして、この「救世主」といわれる存在が、「ただの救世主ではない」ということが、もうすぐ、はっきりと分かってくるようになると思います。
 すなわち、「宇宙の意識を引いてきて、それを変換する力がある」ということが、もうすぐ明らかになってくると思いますね。
(54~55ページ)

本書は、2010年の夏に刊行された書籍でした。

さすがに「秘中の秘」だけあって、はっきりとは語ってくださってはいません。

しかし、この10年あまりで、主エル・カンターレがじつはいかなるご存在であるかは、宇宙人までが登場して、かなり明かされてきていると思います。

そのあたりについては、また次の機会を見つけて、少しずつご紹介していきたいと私は思っているのです。

 

日本を救う陰陽師パワー―公開霊言安倍晴明・賀茂光栄 (OR books)

『日本を救う陰陽師パワー』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




幸福の科学では、あの有名なドラッカーの霊言集なんてのも出してるって聞いたんだけど、やっぱりドラッカーを評価してるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『危機に立つ日本』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ピーター・ドラッカーは、処女作を発表したころからヒトラー政権の先行きを見抜いていました。彼は、ドイツでナチスが第五党派ぐらいだったころから、「ヒトラーが天下を取ると危ない」ということをすでに見抜いていて、その後、論文で警鐘を鳴らし、いち早くロンドンに逃げています。賢いといえば、非常に賢い人でしょう。(中略)
 ドラッカーは、そういう全体主義の姿を見て、第二次大戦が終わったあと、「全体主義の台頭による世界戦争を再び起こさないためには、どうすればよいのか」ということを考えました。「やはり、個人の力だけでは、いかんともしがたい」ということで、全体主義を防ぐ、システム的な方法として、「マネジメント」という世界を開いたのです。
 つまり、「個人」と「国家」との間に、「企業」というものを介在させることを考えたわけです。大きな企業になると、一定の政治力や経済力を持ちますし、国家に代わって、失業対策もできれば、いろいろな工事もできます。また、圧力団体として政治的に力を持つこともできます。
 そのように、企業を育て、企業に力を持たせることによって、個人と国家の間に一種の防波堤をつくることを考えたのです。企業自体は民主的経営が可能なので、それによって、全体主義が二度と起きないような社会をつくろうとしたわけです。
 さらに、その企業についても、ドラッカーは、「一個人であるカリスマ経営者が大きな企業をつくることもあるが、そういうカリスマに頼ってはいけない」と言っています。「天賦の才能、カリスマ的な才能だけで、一代で大財閥をつくるような企業家もいるが、当たり外れがあるし、そうした人はまれにしか出てこないので、そういうものに頼ってはいけない」ということです。
 そして、ドラッカーは、知識や情報のレベル、あるいは技術のレベルで、マネジメントというものを体系的に学び、企業家が次々と会社を起こしていけるようにしようと努力したのです。
 その方向に則ってやれば、一定の規模の企業をつくることができます。企業家は、決してカリスマである必要はないわけです。さすがに凡人とは言えないかもしれませんが、努力する優秀な人がいれば、経営者を次々と輩出していき、大きな企業をつくっていけるのです。そして、経営者を交代させることもできます。
 それが、全体主義が起きるのを防ぐ力になるのです。企業は、自分たちの利害に基づいて行動し、将来的に、自分たちが経営的につまずいたり不幸になったりすることを防ごうとして公共的な動きをします。
 したがって、ドラッカーは、「企業こそが個人と国家との間の“緩衝材”として十分に成り立つだろう」と考え、第二次大戦のようなものを二度と起こさないための方法の一つとして、マネジメントの世界を開拓したのです。
(75~79ページ)

ドラッカーは、全体主義を防ぐシステム的な方法として、「マネジメント」という世界を開拓した。

企業を育て、企業に力を持たせることによって、個人と国家の間に一種の防波堤をつくることを考えた。

企業は、利害に基づいて行動し、将来的に自分たちが経営的につまずいたり不幸になったりすることを防ごうとして公共的な動きをする。これが、全体主義が起きるのを防ぐ力になる──。

この一節をみただけでもわかりますが、大川隆法先生は要するに、マネジメントの世界を開拓したピーター・ドラッカーを、とても高く評価しておられるのだと、改めて私は思っているのです。

危機に立つ日本―国難打破から未来創造へ (OR books) 『危機に立つ日本』

 大川隆法著

 

(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




いまの環境って、ひどいんだよね。こんなところから成功しろなんて、もうありえない人生だと思うんだよね。そうじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 木でいえば、年輪というものがあります。
 私は昔、田舎の家で、自分でゴミを焼く焼却場のようなものをつくったことがあります。ブロックで囲い、石などを置いて、火がよそに移らないようにして、そこでゴミを焼いたりしていたのですが、そのゴミ焼却場のすぐ近くに木が生えていました。私は、その木は焼却の熱にやられてすぐに枯れてしまうだろうと思っていたのですが、そう簡単には枯れなかったのです。逆にグングンと強くなっていきました。そして、他の木が枯れても、その木だけは生長しつづけました。
 木の生長にとっては、近くでゴミを焼かれて火を出されるというのは、そうとう苛酷な環境であるはずなのですが、それでも、その環境下で生長した部分が年輪になって刻まれ、木の幹自体も太くなり、しかも生命力にあふれているのです。ところが、そのような所になく、いちばん環境のいい所に生えていた木が、台風などの強風で簡単に倒れてしまったりする姿を見ました。
 これなどは、人生に当てはめてみると、「いままでエリート人生で来ていた。家庭も豊かで、生活も楽で、何の不自由もなく、スイスイといっていた」というような人が、台風のときに倒れてしまう、すなわち、ある事件を境にして倒れてしまう姿に、よく似ています。
 ところが、一見きわめて環境の悪いところに育って、不遇のなかで力をつけてきた人は、そう簡単にはへこたれない力を持っています。そのように、艱難(かんなん)に強い性格をつくっていると、いろいろなところで切り抜けていくことができます。人生を切り抜け、年輪を重ねて、大きな人物になっていくことができるのです。
 偉人伝を読むと、苦労した話がよく出ていますが、これはやはり、厳しい環境のなかに置かれないと、年輪を刻んでいくことができないということを示しているのではないかと思います。厳しい環境を透過するということが、人生においては非常に大事なことなのだと思います。
 私は現在、みなさんに、人生の問題などを中心にいろいろとお話ししていますが、私にも苦しんだ時期がありました。そのときに考えたことが、いつのまにか自分自身の力になって、みなさんにお話しできるようなものへと変わってきたのです。
 他から受けた風、あるいは日照りや雪などで、自分の魂や肉体が刺激を受けたときには、これに対する抵抗力が、魂の内側に、一種の免疫のように出来てきます。そして、どのように対応していけばいいのかというノウハウが出来てくるのです。
 そうしたノウハウをつくってしまうと、その後は、新たな知識や他の人の経験などに照らし合わせて、いろいろな考え方ができるようになります。自分なりのそうしたノウハウというものが、結局は教訓となり、大いなる魂のエネルギーとなってくるのです。
(209~212ページ)

近くでゴミを焼かれていた木は、幹も太くなり生命力にあふれていたが、逆に、いちばん環境のいい所に生えていた木が、台風の強風で簡単に倒れてしまったことがあった。

つまり、環境の悪いところに育って、不遇のなかで力をつけてきた人は、そう簡単にへこたれない力を持ち、人生を切り抜け年輪を重ねて、大人物になっていくことができる。

自分の魂や肉体が、風や日照りや雪などで刺激を受けたとき、抵抗力が魂の内側にでき、対応のノウハウができてくる。それが結局は教訓となり、大いなる魂のエネルギーとなってくる──。

今日は、大川隆法先生が、「厳しい環境が人生の成功にいかに役立つか」を具体的に教えて下さっています。

この典型的な「常勝思考」のお教えは、人生のいろんな苦難困難のときに、なんて役立つんだろうと、改めて私は感じ入っているのです。

常勝思考―人生に敗北などないのだ。 (OR books)

『常勝思考』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ね、アフガニスタン(アフガン)で、反政府武装勢力のタリバンが、首都に侵攻して勝利宣言したんでしょ。イスラム教徒のアルカイダやタリバンって、ニューヨークでテロをやったりして、それがアメリカがアフガン戦争をやってた原因だったんでしょ。イスラム教の開祖のマホメット(ムハンマド)は、このあたりを天上界からどうみてるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『世界紛争の真実―ミカエルvs.ムハンマド』(幸福の科学出版)で、マホメット(ムハンマド)自身の霊言を、次のように伝えておられます。

 ワールドトレードセンターで三千人ほどの方が亡くなっていることは、確かに気の毒かとは思います。
 けれども、アメリカに殺されたイラク人は十万人どころではありません。もっともっと殺されています。アフガンにおいても、いったい何人の人が死んだか数えようがない状態です。何万人も、あるいは、もっと多いかもしれません。それだけの人が死んでいます。
 それから、アメリカは、とにかく、アルカイダを敵視し、ウサマ・ビン・ラディンを殺すことを目的にしていますが、アルカイダというのは非常に純粋な原理主義者の集団なのです。
 原理主義者というのは、キリスト教であれ、仏教であれ、イスラムであれ、どの宗教でもそうですが、その宗教が起きた時代の姿を、そのまま現代に再現しようとするので、現代社会と必ずぶつかるのです。(中略)
 「ウサマ・ビン・ラディンは、悪の権化であり、テロの総帥である」というように言われていますが、この人も原理主義者なのです。
 だから、「ムハンマドなら、どうしただろうか」というように考えるわけですね。「ムハンマドだったら、徹底抗戦するだろう。自分たちを滅ぼそうとする勢力に対して、徹底的に戦うだろう」というように原理主義者は考えるわけです。宗教的に純粋であればあるほど、そうなります。(中略)
 かつて、キリスト教の十字軍がエルサレムに攻めてきたとき、それを撃退し、大勝したサラディンは、イスラム教徒から英雄として扱われています。(中略)
 私から言えば、ウサマ・ビン・ラディンは極悪人ではありません。むしろ純粋主義者であり、はっきり言えば、「現代のサラディン」です。イスラム教国から見れば、少ない武器で抵抗勢力となり、世界的レベルで戦っている人であるからです。
 イスラム教徒のなかには、「彼らは過激派であり、イスラムとは関係がない」と言う人も多いのですが、それは、商売上、欧米とも付き合わなければならず、アメリカにもヨーロッパにも油を売らなければいけないので、そのように言っているのです。(中略)
 タリバンを、何か、秘密結社というか、特殊部隊の養成所のように捉えていますが、タリバンは、本来、「神学校」であり、イスラムの教えを教え込むところです。原理主義的な考え方が非常に強い神学校なのです。(中略)
 イスラム側から見れば、自分の命を賭して意見を通そうとしている人たちは、ある意味で、“維新の志士”であるのです。
 イスラム教徒の大勢は、「彼らは過激派であり、私たちと一緒にしないでほしい」と言って、逃げておりますが、実は、水面下では、支援しているというか、応援している人は多いのです。
 「ああいう方々がいなくなったら、いずれ、イスラエルに占領され、アラブは解体される」と見ている人がほとんどであるのです。
(93~101ページ)

イスラム教の開祖であるマホメット(ムハンマド)は、次のように考えている。

ニューヨークのテロで約三千人が亡くなったのは気の毒だが、しかしアメリカには、十万人にとどまらないイラク人が殺されたし、アフガンでも、何万人以上も殺されている。

アルカイダは、純粋な原理主義者の集団にすぎないし、タリバンは、原理主義的な考え方が非常に強い神学校にすぎない。

ウサマ・ビン・ラディンも、極悪人ではなく原理主義者にすぎず、むしろ「現代のサラディン」(イスラムの英雄)であって、イスラム教徒の大勢も、実は水面下では応援している人は多い──。

2010年の本書刊行後の2011年、ウサマ・ビン・ラディンは、米軍特殊部隊に殺害されてしまったわけですが、今日ご紹介したのは、天上界のイスラム教側からの見方でした。

それでは、天上界のキリスト教側は、どう見ているのか。

それは、また次の機会に、ご紹介したいと思います!

世界紛争の真実―ミカエルvs.ムハンマド (OR books) 『世界紛争の真実―ミカエルvs.ムハンマド』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ