ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



創業のときから一緒にやってた人が、事業が大きくなってきたのに、それに合わせて大きくなってくれなくって、役に立たなくなってきたんだよね。大事な創業メンバーなんだけど、どうすればいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『経営入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 小さな会社においては社長が最大の人的資源ですが、会社が大きくなるにつれ、その規模にふさわしい人材が途中から入ってきて、しだいに内部の体制が固まってきます。
 その際に、創業のころからいる人たちが能力不足で役に立たなくなり、彼らに対して非常に残念な処遇をしなければならない場合も出てきます。
 しかし、初期の人たちが厳しい処遇をされる会社というのは、発展している会社なのです。したがって、そういう事態になったときには、自分の会社が発展したことを喜ばなければなりません。ほとんどの会社は十年一日のごとき経営をしているので、それだけの発展があったというのは喜ばしいことなのです。
 ただ、創業時には貢献したが、会社の規模が五倍や十倍になった段階で幹部として使えなくなった人に対しては、「給料は十分に出すけれども、部下はつけない」という処遇が必要です。要するに、会社の被害を大きくしないことが大切なのです。
 もちろん、明確に「辞めたい」という意思表示をした人に対しては、それ相応の金銭的処遇をし、気持ちよく送り出してあげることが大事です。
「会社が脱皮していくにつれて、そういう厳しい処遇をするのも経営者の仕事である」ということを心得ておかなければなりません。(中略)
 また、親族の場合も同じです。もともとは親子や兄弟、夫婦などで経営していた会社が、大きくなるにつれ、そういう人たちの能力では運営が厳しくなってくることもあるでしょう。
 その際に、どのような処遇をするかも非常に難しいものがあります。特に兄弟がライバル関係になった場合は、厳しいものがあるでしょう。
 しかし、基本は同じであり、その人が能力的に無理ならば、利益を分け与えるなど、金銭的なメリットは、ある程度残したとしても、部下まで与えて組織全体の業務を阻害させるようなことは避けなければなりません。
 そして、どうしてもうまく処遇できない場合には、会社や財産の分割といった手段によって、別個のものにしていくことも必要になります。
 このような非情さを持ち、理性に基づく判断ができるようでなければ、トップとして立っていくことはできず、やがては自滅していくことになるのです。
 いずれにしても、経営者として成功していくためには、厳しい経営判断を一種の「禅機」(悟りを得る機会)として、不退転の心境を磨いていかねばなりません。
「鋭さ」「厳しさ」、そして「智慧」といったものを持たなくては、小さな会社であっても社長は務まらないのです。
(158~161ページ)

会社が大きくなって、創業のころからいる人たちが能力不足で役に立たなくなってきたときは、「給料は十分に出しても部下はつけない」という処遇が必要であるし、明確に「辞めたい」という意思表示をした人に対しては、それ相応の金銭的処遇をし、気持ちよく送り出すことが大事である。

このような非情さを持ち、理性に基づく判断ができるようでなければ、トップとしては自滅していくことになる。

経営者として成功していくためには、厳しい経営判断を一種の「禅機」(悟りを得る機会)として、不退転の心境を磨いていかねばならない──。

今日は、小さな会社を経営する方へのお教えです。

これは会社を経営しているのではない人にとっても、会社経営の厳しさの一端に触れる、とても貴重なお教えではないかと、改めて私は思っているのです。

経営入門―人材論から事業繁栄まで―

『経営入門』

  大川隆法著


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幸福の科学に入るって言っても、最初は「会員」じゃない。「三帰誓願者」になるって、なんだかハードル高そうだし、行事なんかの御布施の目安も、会員よりも高くなったりするんでしょ。会員のままでいいんじゃないかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『逆境の中の希望』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 幸福の科学の信者には三帰誓願者と会員とがあります。(中略)
 当会に入ることを望んでいる人には真面目な人が多く、「真理の勉強や修行が進んでからでないと、信者になってはいけないのではないか」と思い、遠慮している人が多いため、「もう少し気楽に入れるように」という理由で、三帰誓願者以外にも、会員というかたちで入会できることにしているのです。
 ただ、この両者には、もともと、それほど扱いに差があるわけではないので、会員のみなさんは、どこかで早く発心し、三帰誓願者になっていただきたいと思います。
 三帰誓願者になったほうが、もちろん、光は強くなり、いろいろな奇跡が起きやすくなります。これは当然のことです。そして、救う側としての力は、もっと強化されてくるのです。(中略)
 布施など金銭的なことを考え、「三帰誓願者になるより、普通の会員でいたほうが、金銭面での負担が軽い」という理由だけで、三帰誓願者にならず、会員のままでいる人もいるかと思います。
 しかし、布施は、自分にとっての修行であり、功徳を積むことであって、何かを買うための対価ではないため、「値段が高い」と考えるようなものではありません。「目に見えないもののために金銭などを差し出す」ということによって、修行を重ね、功徳を積んでいるのです。
 したがって、「お布施ができるような身分の自分になりたい。しっかりと仕事をして収入を上げたい」と考えてみてください。
 また、自分自身に収入がない主婦の場合には、ご主人に対して、「あなた、もっと出世して、きちんとお布施ができるようになってください。幸福の科学の信者なら、もっと偉くなり、お布施ができる経済的余裕をつくってください」と言って尻を叩き、課長は部長を、部長は役員を、役員は社長を目指して頑張るように、プッシュしなければなりません。
 決してマイナス発想をしないでください。(中略)三帰誓願者の値打ちは高く、「この国を護る光である」と私は思っているので、ぜひ増えていただきたいのです。
 会員のほうは、どんどん増えていますが、三帰誓願者のほうは、養成するのに多少の手間がかかるため、伸びが少し弱く、その傾向は全国的にあります。しかし、ここは、光の直流が流れてくるところなので、多くなければ駄目なのです。
 三帰誓願者は、ある程度、修行の年数がたつと、いざとなったら、支部長や講師に代わって、同じような仕事ができる立場にあります。一定の法臘(ほうろう)(弟子になってからの年数)がある人には、それだけの力があるので、そういう人は数多くいたほうがよいのです。
「会員のままのほうが金銭的負担が軽い」と思っている人がいたら、そういう人には、「実際には、三帰誓願者になるほうがよいのです。こちらのほうが、あの世へ行ってから、“お得”です」と述べておきます。
(136~142ページ)

幸福の科学では、気楽に入れるようにという理由で、三帰誓願者以外にも、会員というかたちが設けられている。

しかし、三帰誓願者になったほうが、光は強くなり、いろいろな奇跡も起きやすくなる。その値打ちは高く、この国を護る光である。

お布施とは、自分にとっての修行であり、功徳を積むことであって、何かを買うための対価ではなく、「値段が高い」と考えるようなものではない。こちらのほうが、あの世へ行ってから、“お得”である──。

まあ、お得という言い方は、そもそも宗教にはなじみませんが、損得勘定でものを考えがちな方に対する待機説法なんだと思います。

仏が下生されている今、仏の直弟子になれる機会は今世しかないのだ、ともよく言われます。

ぜひとも一人でも多くの方が三帰誓願されて、大事な『仏説・正心法語』以下の大切な経文を拝受されますようにと、心より私は思っているのです。

舎利弗の真実に迫る (OR books)

『逆境の中の希望』

 大川隆法著


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原子力って、事故が起きたら危険だけど、石油が出ない日本としては、やっぱり原子力しかないんじゃないかな。それとも、これから別のエネルギー源が見つかるのかねえ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『震災復興への道』(幸福の科学出版)で、「プレートテクトニクス説」で有名な地球物理学者・竹内均の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 「どれだけのエネルギーを賄えるか」ということを考えて言うとしたら、左翼系の反対運動はそうとう出ると思いつつも、やはり、原発は、何らかのかたちで保護し、改善し、前進させないといけません。そうしなければ、次は、エネルギーを巡っての戦争が起きるのです。
 世界的に、「原発事故の被害を止めたい」「原発をやめましょう」ということになるかもしれませんが、そうなると今度は、エネルギー確保を巡っての戦争が起きると思われるので、日本は、この危機を通り越して、何とか、安全な原発の開発、原子力エネルギーの安定供給をつくり出していく必要があると思いますね。(中略)
 原子爆弾や水素爆弾のようなものに対しての反発はそうとうございます。つまり、原子力に関しては、人を殺す道具として考えた場合には、強い反発があるわけです。しかし、無限のエネルギー源として平和利用するかぎりにおいては、天上界から見て「悪」でも何でもありません。これは、私の意見だけかどうかは分かりませんけれどもね。
 要するに、いろいろな事故は、進化のためのステップとしての実験資料の面もありますので、今回の事故によって、あまり後退してはいけないと思うのです。
 高速増殖炉「もんじゅ」も、ずいぶん使えないでおりましたが、半永久的に使えるエネルギーというのは、やはり、夢のようなエネルギーですからね。そういうものを一般の人に理解させるのは、なかなか難しいことですけれども、国家の安定にとっては極めて大事なことだと思いますね。(中略)
 全国に五十何基ある原発周辺の住民は、今後、みんな反対に回ってくると思いますが、「原発が全部停止したときには、次は日本占領が待っている」と考えていいと思いますね。
 特に、日本は、原子力の軍事利用が全然できておらず、かなり後れを取っていますね。ここは、後進国へと転落していくかどうかの分岐点の一つだと、私は思います。だから、原子力そのものを憎むのではなく、やはり、原発の安全性を高められないことをこそ恥と思うべきかと思いますね。(中略)
 まあ、おそらく、次のエネルギー源として開発されるものが出てくると思いますけれども、少なくとも、二十一世紀中は、これが有力エネルギー源であることは間違いないですねえ。
 「次のエネルギー源は、おそらく、重水素かなあ」と、私は見ているんですけれどもね。
 水の分子式はH2Oですが、水には、質量数の大きい水素と結合したものがあるんです。そして、この重水素のところから分離するエネルギーが、きっと次なるエネルギー源になるのではないかと見ています。まあ、それが実用化されるまでには、まだ、もう少し時間がかかるのではないかと思いますね。
 これが開発されると、海水から無限のエネルギーを取り出すことができるようになっていくはずですが、ただ、「二十一世紀中は、まだ原子力発電を完全に捨てられない」という感じを受けております。
(127~131ページ)

日本は、今回の危機を通り越して、何とか安全な原子力発電の開発、原子力エネルギーの安定供給をつくり出していく必要がある。

原子力は、無限のエネルギー源として平和利用するかぎりでは、天上界から見て「悪」でも何でもなく、少なくとも21世紀中は、これが有力エネルギー源であることは間違いない。

実用化されるまでには、まだ時間がかかるが、次のエネルギー源は、おそらく重水素である──。

本書は、2011年の東日本大震災の直後に刊行されたものです。

それから10年が経過しても、本書の提言はまったく色あせていません。

要は、まだまだ原子力、そして次は重水素、なんですね。

エネルギー行政に関わっている方、あるいは次世代エネルギー源を探し求めている方は、たくさんおいでではないでしょうか。

そんなみなさんは、ぜひとも、この有名な地球物理学者の卓見を参考にしてくださればと、改めて私は思っているのです。

震災復興への道―日本復活の未来ビジョン

『震災復興への道』

 大川隆法著


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学校の先生やってるんだけど、生きがい感じないんだよね。どうしたら、生徒を呼べるような人気のある先生になれるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学学園の創立者でもある大川隆法先生は、『教育の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 まずは、やはり、努力をする必要があります。努力をしても、給料は変わらないかもしれませんが、それは給料の問題ではありません。「子供たちに学ぶことの喜びを教えることができる。そして、子供たちは、教師である自分から教わることに幸福感を感じている」ということは、自分自身の生きがいにつながることです。
 そうして、「お役に立っている」「子供たちの未来に夢を与えることができている」ということを実感できるのは、非常にうれしいことなのです。そして、そうなるためには、やはり、プラスアルファの努力をしなければいけません。
 教師が、最低限の努力で済まそうとすると、生徒も必ず最低限の努力で乗り切ろうとするようになります。
 今は、学校に睡眠を取りに来ているような子や、運動だけをしに来ているような子、あるいは、気分転換をしに来ているような子もいます。なかには、授業中に、教室でキャッチボールをするような子もいます。教師にとっては、まことにもって悔しいかぎりでしょうが、やはり、生徒から、尊敬を勝ち得なくてはいけないと思います。
 そのためには、まず、「自分の専門の科目に関しては、ある程度、深いところまで掘り下げる」という努力をすることが大事です。 「これだけ勉強していれば、教員として、何とか給料分の仕事はできているだろう」と思える範囲はあるでしょうが、やはり、プラスアルファの努力をして、自分の専門領域について掘り下げていくことが大事なのです。
  それは、必ず生徒に伝わっていきます。不思議ですが、生徒には分かるのです。教師の勉強している姿が見えなくても、「そういう人である」というのは必ず伝わります。プラスアルファの努力をしている人は、そういう雰囲気がオーラのように出てくるので、子供たちにも分かってくるのです。そのため、尊敬を受けるようになります。
 一昔前であれば、子供たちに、「尊敬する人」について訊くと、親でない場合は、学校の先生を挙げたものでした。しかし、今では、学校の先生が挙がることはほとんどなく、塾の先生の名前が出てくるのです。(中略)
 予備校は、「四月に入った生徒のうち、一学期が終わった段階で三分の一残っていたら、講師の腕がいい」と言われるぐらい厳しいのです。要するに、受講生は、「一時間を費やすのに値しない授業である」と思ったら、授業料を捨ててでも、どんどん逃げていきます。(中略)「役に立たない」と思われたら、もう、その瞬間に見切られるのが、予備校の世界であり、一般の店舗と同じ状況が起きているのです。
 しかも、予備校のなかには、教室にカメラを取り付けて、事務局が授業の内容をチェックしているようなところもあります。「講師に人気があるかどうか」ということも、ピシッと把握されているのです。
 一方、公立学校の場合、校長であっても、授業の様子を見ようとしたら、やはり教員たちから嫌がられて、できないでしょう。(中略)
 しかし、世間はもっと厳しいのです。それが現実である以上、やはり、教師もプロとしてプラスアルファの努力をしていくことが大事であると思います。
(189~194ページ)

教師もプロとして、プラスアルファの努力をして、自分の専門の科目に関しては、ある程度、深いところまで掘り下げる努力をすることが大事である。

その努力の雰囲気はオーラのように出てきて子供たちにも伝わり、教師として尊敬を受けるようになる。

子供たちに学ぶ喜びを教えることができ、子供たちが自分から教わることに幸福感を感じているのは、自分自身の生きがいにつながる──。

今は荒れる学校も多く、予備校や塾との競合も激しくなっていて、学校の先生というのは、とても大変な仕事となっているように思います。

でも、ここでも「縁起の理法」(因果の理法、原因・結果の法則)が働くことを知り、プロとしての努力をしっかりと重ねることができるならば、必ずその「因」は、子供たちの尊敬や、自分自身の生きがいという「果」となって現われる、ということを今日は教えて下さっているのだと思います。

そしてこれは、どの職業にも通じる普遍の真理ではないかと私は思っているのです。

教育の法―信仰と実学の間で (OR books)

『教育の法』

 大川隆法著


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宇宙人が地球を侵略してくる映画を見たよ。でも、あれは映画なんであって、ほんとに侵略してくるなんて、あり得ないよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

大川隆法先生は、『宇宙人による地球侵略はあるのか』で、まさにその疑問に答えておられます。そのまえがきとあとがきを、ご紹介します。

まえがき
 私たちの宇宙人リーディングも、いよいよ「スターウォーズ」の世界に近づき、かつ霊的世界をも解明している点では、それをも超えていきつつあるようだ。
 本書では、有名な宇宙物理学者ホーキング博士の「宇宙霊魂」ともいうべきものを呼び出したが、私たちが事前に予想していた、先駆的光の天使としての天才とは様相を異にしたものだった。宇宙の悪なる「何か」のPR役としての役割を果たしているかのようであった。詳細はまず本書を通読して頂くべきだろう。

あとがき
 SF的映画としての宇宙人による地球侵略ものは数多くあるし、本年特に多くなってきているようである。ハリウッド関係者にも何らかの情報ないし、インスピレーションが集中しているものと思われる。
 本書では「宇宙の邪神」の姿と意図をかい間見ることもできるが、同時に、宇宙の正義を守るために活躍する「アンドロメダの総司令官」の姿も描かれている。「恐怖」だけが地球を支配することはあるまい。「希望」と「勇気」が、同時に地球を守っていることを忘れてはなるまい。
(1、231ページ)

「スターウォーズ」の世界を超えていきつつある、宇宙人リーディング。

かい間見える「宇宙の邪神」の姿とその意図とは?

宇宙の正義を守るために活躍する「アンドロメダの総司令官」の姿とは?──

簡単に要点を説明することは困難な、ほんとうにディープな世界が展開されています。

大川隆法先生が説いておられるとおり、その詳細を知りたい方は、まずは本書を通読されることをお勧めします。

そして、本書の刊行からほぼ10年が経過した、いま。

大川隆法先生の説かれる「宇宙の法」は、この宇宙人リーディングからさらに進んで行っているわけですが、そのあたりは、また次の機会に!

 

宇宙人による地球侵略はあるのか (OR books) 『宇宙人による地球侵略はあるのか』

 大川隆法著


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ね、神社に参拝に行くでしょ。柏手(かしわで)って打つじゃない。あれ、なんでなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福への方法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 なぜ神社では神前にて柏手を打つのかを考えてみましょう。
 単に合掌するだけでは何の音も出ませんが、柏手を打つと、はじけるような音がします。これには二種類の意味があると私は思うのです。
 一つは、柏手を打つという動作と、その動作から発する音が、周りの空気を非常に揺さぶることによって、一種の邪気を払っているということです。周りの悪霊、あるいは悪い想念といったものを払うという意味で、柏手を打っているに違いないと思います。実際、柏手にはそうした効果があります。
 もう一つは、手をたたくことによって、自分自身の“眠っている”魂に対し、「目覚めなさい」と教えているということです。
 人間は、毎日毎日生きていると、どうしても惰性に流されていき、ともすれば、本来の自己というものを見失いがちです。そのため、「自分は今回、魂の学習、魂修行のために、霊界から母親のお腹に宿り、この世に生まれたのだ」という崇高な記憶を忘れてしまいます。そして、人類は原始時代から現在までのあいだに少しずつ進化してきたのだ、というような意識にとらわれてしまいます。
 しかし、「そうではない。人間はこの世に肉体を持って生きているだけの存在ではない」「本来の自己の姿に目覚めなさい。本来のあり方に目覚めなさい」ということを、自分自身に呼びかける意味でも、柏手があるのだと思うのです。
 神に向けて柏手を打てば、神も気がついてくれるかもしれませんが、自分自身も、柏手を打ったそのときに心の底からハッとして、「自分はいままで居眠りをしていたのだろうか。こんなことではいけない。本来の自己に気がつかなければいけない」「本来の自分ではなかった。自分は居眠りをしていたのだ。この音で目覚めなければいけない」ということに気づかなければなりません。そうした意味もかねて、柏手を打つのだと思います。
 したがって、柏手を打つ動作というものは、決して神前だけで有効な行為ではありません。みなさんが自宅で日本神道系の神と話をしようとするとき、あるいは、お願いごとをしようとするときに有効な方法の一つでもあります。
 たとえば、精神統一に入ろうとしても、疲れていてうまくいかないとき、あるいは、その日一日いろいろな人と会ったために、心がどうも清々しくなくて、精神統一がうまくいかないときには、正座でもして背筋をピンと伸ばし、柏手を大きくパンパンと打ってから、手を合わせて精神統一に入ると、瞑想や反省がしやすい場合もあると思います。そうした作法もあるわけです。
(92~95ページ)

神前で打つ柏手には、二つの意味がある。一つは、動作と発する音で周りの空気を揺さぶり、邪気を払う。二つには、自分自身の眠っている魂を目覚めさせる。

柏手は、日本神道系の神と話をしようとするとき、願いごとをしようとするときに有効な方法の一つでもある。

正座して背筋をピンと伸ばし、柏手を大きくパンパンと打ってから、手を合わせて精神統一に入ると、瞑想や反省がしやすい場合もある──。

神社に参拝する人は、この柏手(かしわで)に関する教えを頭においておくと、役に立つかもしれないと私は思っているのです。

幸福への方法―この世とあの世を貫く人生論 (OR books)

『幸福への方法』

 大川隆法著



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「Think Big!」って言葉を聞く気がするけど、これって、何なの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『Think Big!』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、次のように教えておられます。

まえがき
 若い人たちには、いろんな物事が困難に満ちて見えていることだろう。劣等感に悩んだ人は多かろう。
 逆に、自己顕示欲に悩まなかった人も少なかろう。
 劣等感と自己顕示欲の間にあって、心揺れながらも、未来を切り拓いてゆくことこそ、青春を生きる者の特権である。
 あなた方に『Think Big!』という言葉を贈りたい。東京には、今、スカイ・ツリーがその勇姿を見せてきているが、そのタワーが設計図以上に高くなることはありえない。
 大きな夢を心に描き、コツコツとした努力と、時には、人生ここ一番の勇気で、未来を築いてゆくがよい。

あとがき
 物事は、まず、やり始めることが大事だ。次には、創意工夫を続けつつ、やり続けることが重要だ。
 私自身、『スィンク・ビッグ!』という言葉に、何回救われたかわからない。
 若い頃、アメリカ武者修行で体得した、一番の悟りがこの言葉かもしれない。
 『ビー・ポジティブ!』(積極的であれ!)や『ビー・ブレイブ!』(勇気を持て!)がこれに並ぶ言葉だろう。
 本書は、若者にぜひとも読んで頂きたい成功論の一冊である。
(1~2、214~215ページ)

本書の刊行から、10年近くの歳月が過ぎ去りましたが、でも、本書の価値はまったく変わっていません。

まさに本書は、若者向けの成功論の決定版。

成功したい若者は、すべからく本書を読むべし! と強くお勧めしておきたい、と私は思っているのです。

Think Big! (OR books)

『Think Big!』

  大川隆法著


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ラムディア文明について、何度か紹介してきました。で、今日は前回の最後に出てきましたが、ラムディア大陸が海没した真相はどうだったの? という疑問について、ご紹介します。

幸福の科学の大川隆法先生は、『神々が語る レムリアの真実』(幸福の科学出版)で、九次元霊にして、ラムディア文明では大師マルガリットとして生まれた、マヌ神の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 われわれは、芸術のほうを中心にやっていたのですが、実は、宇宙から人がだいぶ来ていました。ときどき、そうなるのですが、当時も、宇宙人との交流があったのです。
 ただ、ラムディアにおいては、科学技術的なものが、まだ、そんなに発達しておらず、異星人との間には、圧倒的な技術差がありました。
 そのため、彼らの指導によって、いろいろと便宜供与を受けていたような状態でした。(中略)しかし、その反面、彼らも、ラムディアの芸術的な部分や感性的な部分等について、勉強していました。要するに、ラムディア人を通じて、いろいろな色彩や音楽、感覚的な喜びを勉強し、「肉体器官を通じての可能性が、どこまであるのか」ということを研究していたのです。(中略)
 実は、琴座に、三つほど星があって、この三つの星で争いが起き、宇宙間戦争のようなことが行われていました。当時、彼らは宇宙を目指していて、地球植民地化計画を進めていたのです。
 「琴座の三つの種族のうち、どれが、地球文明の主導権を握るか」ということで、琴座の三つの星人たちが、三つ巴になって、地球争奪戦のようなことを始めたのです。(中略)その争いが地球に持ち込まれ、ラムディアがひとつの舞台になったのです。
 そのときに、彼らは、われわれが無知であるところの戦争の仕方を教えたんですね。部族が幾つかあったのですが、それぞれの部族に違う技術を教えたのです。(中略)これは、『太陽の法』には書かれていません。
 これに対して、当時の宗教の教えとしては、今の日本と同じく、平和憲法風に、戦争禁止ということが金科玉条のように守られていて、「芸術の優劣においてのみ、各民族は争って勝ち負けを決めてよい」というような指導だったのです。
 そのため、「科学技術をもって戦い、優劣を決める」ということに対して、まったく無防備な状態だったのです。(中略)
 そうして、内戦というか、戦争が始まり、われわれにとって未知の兵器がたくさん出てき始めました。
 例えば、光線ビームのようなものが飛び交ったり、それから、今の原爆にも似たものですね。すごくまぶしい光線が発されると同時に、町が破壊されてしまうような、そうした原爆に似たようなものもありました。
 さらに、もう一つの武器としては、いわゆる「地震兵器」というようなものが開発されていました。宇宙人から、そういう技術を伝授された民族がいたのです。(中略)人工的に地震を起こし、相手の町を壊滅させれば、相手が、「戦争でやられた」と思わないうちに、相手を葬ることができるわけです。こういうことを教えた連中がいるのです。
 そして、実際に、その地震兵器で町を滅ぼしたりするようなことも行われており、そうしたことが、大陸に対して非常に大きな影響を現実に与え始めたんですね。(中略)
 私の時代ではなく、そのあとの時代になりますが、人工地震を起こす実験にのめり込んだ連中が出てきて、とうとう、その技術をものにします。そして、その兵器を使って戦争し合うようになり、最終的に、自らの力で大陸を破壊してしまったのです。これが、私の側から見た真実ですね。
(124~131ページ)

当時も、宇宙人との交流があって、科学技術的なものの供与を受けていた。

琴座の三つの星で争いが起き、三つ巴になって、地球争奪戦のようなことを始め、ラムディアがひとつの舞台になって、幾つかあった部族に違う技術を教え、戦争の仕方を教えた。

宇宙人から教えられた未知の技術によって、「地震兵器」が開発され、これを使って戦争し合うようになり、最終的に、自らの力で大陸を破壊してしまった。これが、マヌ神から見た大陸陥没の真実である──。

この10年ほど、「宇宙の法」の法門が開かれ、さまざまな分野において、秘されていた真実が明かされづけています。

大陸が陥没して一つの文明が消滅するに際しても、じつは宇宙人がからんでいた、というのは驚くべきことです。

まだまだ秘されたラムディア文明の真実が出てきそうですが、それはまた次の機会に!

神々が語るレムリアの真実―ゼウス・マヌが明かす古代文明の秘密 (OR books) 『神々が語る レムリアの真実』

 大川隆法著


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いやあ、仕事で忙しいしさ、信仰生活も宗教活動もしなきゃだから、家庭なんて、わりとどうでもいいよね。しょうがないよね、時間は限られてるんだからさ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 信じ合い、調和した家庭をつくるなかに、大きな光が出てきます。そういう家庭を「光の出城」といいます。この光の出城をつくるのです。ここから出発していくのです。まず足元を固めていかなくてはなりません。
 断じて、妻と夫が競い合い、お互いの長所を削ぐようなことがあってはなりません。親と子においても同じです。互いを生かし合う関係をこそ選ばなくてはなりません。
 男女調和の道、家庭調和の道、家庭ユートピアの道から始まっていくものこそ、ほんとうに世界を救っていく力となるのです。
 仏法真理の道についても同じです。「妻だけ、あるいは夫だけが幸福の科学の信者になっている」という家庭もあるでしょう。「子供だけが信者になっていて、両親はまだ信者になっていない」という家庭もあるでしょう。しかし、一人で行くよりも、共に行くほうが、この旅は素晴らしいのです。
 「夫婦が相和し、仏法真理の下に生きる。親子が協力し合い、真理家庭を築いて進んでいく」ということこそ、第一歩なのです。そのような家庭が地に満ち満ちてきたときに、その社会や国から光が出てくるのです。
 信仰がある家庭からは光が出ています。霊天上界から見ると、その家から光が出ているのです。霊天上界から地上を見下ろせば、数限りない家がありますが、そのなかで、光が出ている家があります。そこは、仏の心に適った生き方をしている家庭なのです。夫婦が調和し、親子が調和し、仏法真理を学びながら生きている家庭からは、光が出ているのです。こういう家庭を築いていかなくてはなりません。
 そして、光に溢れた家庭を日本国中につくっていくことこそが、幸福の科学の仕事でもあるのです。色とりどりの花が咲き誇っている光景を、みなさんは「素晴らしい」と思うでしょう。私もそう思います。「花一輪よりも素晴らしい」と思います。「そのような、光溢れる家庭に満ちた国こそ、理想国家である」と私は信ずるものです。
 本章では、「限りなく優しくあれ」という話を、ごく身近な、小さなところから説いてみました。
 家庭ユートピアがつくれない人は、「仏法真理の修行者として、まだまだ未熟である」ということを、深く反省しなくてはなりません。
 まず、「家庭のなかを光に満たす」ということから始めてください。みなさんの家庭が、理想的な、光に満ちたものとなれば、それは隣人にも友人にも広がります。当たり前のことです。
 どうか、このことを忘れないでください。「家族全員で仏法真理に生き、光に満ちた家庭にしていこう。仏の目から見て光っているような家庭にしよう」と、強く強く願ってください。
 ここでは、ごくごく易しい話をしました。しかし、易しい話ではあっても、その本質においては、かなり難しいものがあるということを、深く肝に銘じていただきたいと思います。
(42~46ページ)

夫婦が調和し、親子が調和し、仏法真理を学びながら生きている家庭からは、光が出ている。

そのような光溢れる家庭(「光の出城」)に満ちた国こそ、理想国家である。

まず、「家庭のなかを光に満たす」ということから始めよ──。

いやあ、「家庭ユートピアがつくれない人は、仏法真理の修行者として、まだまだ未熟である」と、厳しく語られています。

でも同時に、「その本質においては、かなり難しいものがある」とも説いてくださっているのは、これこそが仏の慈悲であるのだと私は思っているのです。

限りなく優しくあれ―愛の大河の中で (OR books) 『限りなく優しくあれ』

 大川隆法著


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宗教学者って、なんだか、言ってることが変な気がしてしょうがないんだけど、なんでなんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『悲劇としての宗教学』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、次のように教えておられます。

まえがき
 現代日本の宗教への不信感、偏見をぬぐい去るためには、その源流を探り当てねばなるまい。
 先年のオウム真理教事件の際に、私は、東大宗教学科卒の宗教学者たちが、なぜこれほどまでに善悪が判らないのか不思議でならなかった。なぜオウム教を本物だといって持ち上げるのか。それを宗教として間違っていると批判している私の方をまるでニセモノだと言わんばかりの論調だった。というか、むしろ、「法学部の卒業生が、俺たちのナワバリを荒すな」と言わんばかりだった。おそらく、彼らが外見上、チベット密教の真似をしている(修行形態、服装)のを信じ、背広にネクタイの私の方は信じなかったのだろう。
 しかし、昨年、私はインドやスリランカなどの仏教聖地で万の単位の大講演会をやったが、現地の聴衆は私の外見ではなく、英語説法のバイブレーションと内容を信じた。また現地のTV、ラジオ、新聞でも大々的に報道された。彼らは信仰者の立場から良心で判断したのだろう。
 「悲劇としての宗教学」は終わらせなくてはなるまい。専門家であるならば、多少のリスクを背負って、善悪を一般人に教えなくてはならないだろう。
 宗教学者を十把一からげにしてはならないので、一点申し添えておくとすれば、東大の宗教学の教授(当時、助教授)の島薗進氏は、九〇年代の初め、つまり、一九九五年のオウム事件の二~三年前に、著者に会って、個人的に、「オウムは間違っている。」とうめくように述べられたことを書き添えておく。他の同僚たちより見識が進んでいることを知り、かすかにホッとしたことを憶えている。
 とまれ、一人でも多くの宗教に関心のある人に、本書の一読を願いたいものである。

あとがき
 決してうぬぼれることなく、自戒しつつ述べるが、私は、数多くの宗教の善悪を判断できる、数少ない宗教家の一人であると思っている。その意味で、新宗教について論評するマスコミ人にも、宗教学よりも、私の本の方を信用して頂けたらと思う。政治や法律、経済、経営、時事問題、教育にまで言及するので、理解できない人もあろうが、単に私がソクラテス的人間だということだ。あらゆる物事の中に真理を探究しようとしているだけなのだ。
 戦後マスコミの新宗教蔑視が、その源流を岸本宗教学に負うているとするならば、その毒水の流れを解明し、学問としての姿勢を正させるのも私の使命かと思う。
(1~2、203ページ)

よっぽど宗教学に詳しい人でなければ、岸本英夫という宗教学者の名前は知らない方のほうが多いと思います。

それでも、本書は、「宗教学」という学問分野に興味を持っている人はもちろんのこと、宗教そのものに関心がある人にとって、必読の書籍ではないかと、改めて私は思っているのです。

『悲劇としての宗教学』

 大川隆法著


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平凡な毎日なんだよね。努力はしてるつもりなんだけど、ぜんぜん成功できそうにないんだけど? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀再誕』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

私は今、たいへん平凡なことを言った。
平凡ななかに悟りの香りがあるという話をした。
さて、ではこの成功の条件であるところの悟りの香り、
魂が光っているという感覚と、
忍耐ということとはどういう関係にあるか、わかるだろうか。
すなわち、忍耐と成功とは、
平凡という言葉によってつなぎ合わされることとなるのだ。
非凡な毎日、非凡な生活のなかでは、
忍耐というものは、それほど大きくはたらかないかもしれない。
しかし、平凡な毎日を積み重ねてゆくということは、
限りなく忍耐を要求されることであるのだ。
平凡な毎日を送ってゆくということは、限りなく忍耐が必要となる。
平凡な毎日を送りながら、
そのなかで、天国の懐かしい情景をときおり心に想い巡らせて、
そしてそれを理想として生きてゆくということは、
絶えず困難で、絶えず難しい問題であると思える。

しかし、こうした弛みない努力こそが、
人をして、永遠に進歩させ続けるのだ。
修行の過程において、一躍悟ることは難しい。
一躍大いなる進歩をすることは難しい。
一冊の本を読み上げることができなくとも、
たとえ一行なりとも読み、
今日は一歩前進したと思えるような毎日を積み重ねることが、
実は大いなる未来を開いてゆくための鍵となるのだ。
成功には、忍耐が必要で、
忍耐を用いて成し遂げた成功は、
決して他の人びとの嫉妬をかうことはないであろう。
それは、その人が費やしたそれだけの努力が、
他の人びとの尊敬を受けるからである。
このように、忍耐を通して得られた成功には、
必ず徳というものが光っている。
この徳は、
他人の嫉妬心や僻みの心を完全に消し去るだけの解毒剤を有している。
すべからく成功者は、
このように、忍耐によって徳を身につけることが大事である。
さすれば、必ずその努力は、
報いがあって、しかも余りあるものとなるだろう。
余徳というものが生まれてくるに違いない。
私は、そう思う。
(239~242ページ)〔携帯版248~251ページ〕)

忍耐と成功とは、平凡という言葉によってつなぎ合わされる。

弛みない努力こそが、人をして、永遠に進歩させ続ける。

忍耐を通して得られた成功には、必ず徳というものが光っている──。

要は、平凡さに耐えて地道な努力を積み重ねることが、余徳ある成功への道であるってことなんだと思います。

改めて、なるほど、なるほど、です。

今日は、この仏の言魂を静かにかみしめたいと私は思っているのです。

仏陀再誕 携帯版 (OR books) 『仏陀再誕』

 大川隆法著


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いきなりだけど、正義って、なんなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『西郷隆盛 日本人への警告』(幸福の科学出版)で、明治維新の英雄・西郷隆盛の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 まあ、時代において主流を占めたるものが、人類の正義を決めてきたのは事実だ。
 だから、今、日本が没落の過程に入るならば、この国は「邪悪なるもの」として分類されることになるだろう。
 そして、日本を指導している神々、あるいは高級諸霊は数多くいるけれども、われらが霊界も滅びることになる。
 かつてのギリシャ霊界が滅び、エジプト霊界が滅び、ローマ霊界が滅びたと同じく、国の衰亡と、その国を守護・指導する神々の衰亡とは連動する。
 ゆえに、今後、われらが日本霊界の神々の、いわゆる高天原の存亡は、あなたがたの活動、活躍に、この一戦にかかっている。地上にて、この国が敗れていくようであるならば、神々の世界もなくなっていくであろう。
 今、この国を選んでエル・カンターレが下生されるということは、この国に何らかの意義がなくてはならないと私は思う。
 エル・カンターレが出ても、この国が、このまま衰退し、没落していくのならば、かつてのユダヤにイエスが出て国が滅びたのと同じになってしまうと思う。
 それは、やはり、イエスの時代に、強固な政治的指導者、軍事的指導者が出なかったことが大きかったように思われるな。
 今、大事なことは、まあ、「国を護る」と言ってはいるけれども、それだけではなくて、邪悪な心を持った者が他国を侵略しようとしているならば、それと潔よく対決する心も育てなければいけない。(中略)
 やはり、そこに、一片の正義の心ある武士(もののふ)が出なくてはならないであろう。
 そうした人材は、初期においては、民主主義に敗れるのが普通だろうと思う。しかし、危難の時代においては、人々がそれを求め必要とするであろう。そのときに備えて、われらは準備をせねばならないと考えるものである。(中略)
 いろいろな危難はある。「経済的に窮乏する」ということも、もちろんあるだろうが、それには人は耐えることができるであろう。(中略)ただ、他国による属領化、植民地化には我慢できないであろうと思われる。これに関しては、何としても、蛮勇を奮ってでも阻止せねばならないと思う。
 本年度、日本は中国に国民総生産において抜かれるであろうと言われている。さらに、彼らは勢いを増していき、アメリカの勢力をも駆逐しようとしてくるであろう。
 「大中華帝国」が、このアジアに広がっていこうとするであろう。それが実現すれば、正義は彼らにあり。日本は、かつてのような朝貢外交をしなくてはならないときを迎えるようになるであろう。
 しかし、そうであっては、エル・カンターレ下生の意味は、ほぼないに等しい。むしろ積極果敢に思想戦を挑んでいかねばならないと思う。
 「たかが百数十年前に生まれたマルクスとかいう人の邪悪な唯物論が、世界の半分を覆って、まだ生き延びている」というようなことは、まことに悲しむべきことである。マルクスが「アヘン」と言った宗教こそ、「真実の正義であり、力である」ということを、今、押し広げねばならない。
(98~103ページ)

時代において主流を占めたものが人類の正義を決めてきたから、日本が没落の過程に入れば、この国は邪悪なるものとされてしまう。

しかし、そうであっては、エル・カンターレ下生の意味はないに等しい。むしろ積極果敢に思想戦を挑んでいかねばならない。

邪悪な心を持った者が他国を侵略しようとしているならば、それと潔よく対決する心も育てねばならない。そこに一片の正義の心ある武士(もののふ)が出なくてはならない。宗教こそ、「真実の正義であり、力である」ということを、今、押し広げねばならない──。

本書刊行から10年余りたちましたが、本書の尊い価値は今もまったく失われていません。

古来から日本を指導する神々の一人である西郷隆盛霊の言魂は、雄々しく、気高く、力に満ちています。

この高級霊たちの深い愛を知ってしまった者の責任として、決然と立ち、戦っていかねばならないと、改めて強く強く私は思っているのです。

『西郷隆盛 日本人への警告』

 大川隆法著


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天才ってさ、やっぱし、生まれつきなのかなあ。いまから天才になる方法なんて、ないのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『真のエリートを目指して』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 しかし、私は今まで数多くの人を見てきましたが、一般的に言って、「ずばり、才能的に見て天才」と言い切れるような人は、残念ながら、世の中にはいません。
 天才と言われる場合、それはみな結果論です。
 その人が一定の業績や非凡な業績をあげたとき、それを見て、周りの人たちが、「あれだけの実績をあげたのだから、さぞ天才的な才能を持っているのだろう。天才に違いない」と認めてくれるようになります。しかし、そういう業績をあげる前の段階では、なかなか認めてはくれないものなのです。
 特に、文科系では、天才は、そう簡単に認めてもらえるものではなく、世に認められるのは早くても四十歳ぐらいのことが多いのです。
 学問的に一定の蓄積が要る領域においては、天才には、そう簡単になれるものではありません。それは、あくまでも努力の結果なのです。
 したがって、努力もせずに、「自分は天才にはなれない」と早々と決めつけたり、あきらめたりしないことが大事です。(中略)
 みなさんに分かるように、今、大リーグで活躍している、イチロー選手を例にとってみましょう。
 イチロー選手は、大リーグで首位打者を獲得した年に、日本政府から「国民栄誉賞を授与したい」と打診されましたが、辞退しました。
 彼は、一般的な日本人の目から見れば、一種の天才なのだろうと思います。彼が出した結果から、そう見えるのでしょう。しかし、本人には、「自分は天才である」という自覚はあまりないだろうと私は思います。
 彼は、小学校時代から、毎晩のようにバッティングセンターに通い、バットで球を打つ練習を、一生懸命、手にまめができるまでやっていました。「こんなに練習をしなければいけない自分が、天才なわけはないだろう」と、彼は思っているでしょう。
 また、彼は、「甲子園で優勝し、ドラフトで一位指名を受ける」というようなかたちで、華々しくプロ野球の世界に入ったわけではありません。
 そのため、「素質において天才だ」とは自分では思っておらず、「天才的な素質によるのではなく、誰も見ていないところでコツコツと努力することによって、現在の地位を築いてきた。だから、ほんの一年でも、その努力をやめてしまったら、自分は“ただの人”になってしまう」と思っていることでしょう。
 しかし、それを知っているところが非凡なのです。
 周りの人は彼を「天才だ」と言いますが、実際には努力しているのです。
 また、自分が好きな方向においてでなければ、天才にはなれません。好きであれば才能がまったくなくてもよいとは言いませんが、あえて言えば、「好きである」ということは、「ある程度、才能がある」ということでもあるので、その好きな方向において努力を継続していくことが大事です。
 「継続の大切さ」を知ってください。情熱を持って、あきらめずに努力していくことが、結局は天才を生むことになるのです。(中略)
 みなさんも、結果論として、いろいろと言われることはあるでしょう。
 しかし、私は、みなさんに、「情熱の天才」であってほしいし、「努力の天才」であってほしいし、「忍耐の天才」であってほしいし、「継続の天才」であってほしいと思います。
 続けていくこと、積み重ねていくことが大事です。それは、あとになればなるほど、絶大な効果を発揮してきます。ほかの人との違いが歴然としてくるのです。
(25~29ページ)

天才と言われるのは、結果論である。

「好きである」ということは、ある程度、才能があるということなので、その好きな方向において努力を継続していくこと。

情熱を持って、あきらめずに続けていくこと、積み重ねていくことが大事であって、それは、あとになればなるほど、絶大な効果を発揮してくる。

努力もせずに、「自分は天才にはなれない」と早々と決めつけたり、あきらめたりしないことが大事である──。

努力なんかせずに最初からできる人が天才なんだろうと、なんとなく思ってましたが、そうじゃないってことなんですね。

今日のお教えで、改めてたくさんの勇気をいただいた気がしています。

そして、すぐに成果が出ないからといって簡単にめげたりせずに、地道にがんばっていきたいものだと私は思っているのです。

真のエリートを目指して―努力に勝る天才なし (OR books)

『真のエリートを目指して』

 大川隆法著


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ね、「繁栄思考」って教えがあるんだってね。それって、何なの?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊の『繁栄思考』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように教えておられます。

 この世の中には、成功し、富を築く人たちを罪人視する風潮が蔓延している。いわゆる、バケツから逃げ出そうとするカニがいると、下のカニがハサミで引きずりおろす、例の傾向だ。バケツからの脱出に成功したカニが、その脱出成功法を他のカニに伝授し、次々と仲間を引き上げる文化を創り出したらどうなるか。次から次へと成功者が数珠つなぎで出てくることだろう。
 私は、『チャンスの平等』には賛成である。そこには自由からの繁栄がある。しかし、嫉妬心の合理化である『結果の平等』には必ずしも賛成しない。汗を流し、智恵を絞って成功した者が呪われ、なまけ者が得をする世の中を創ることは、著しく社会のモラルを引き下げる。
 『格差是正』の美名のもとにマルクスの亡霊を復活させるのはやめよう。『良い格差』は他の人々を勇気づけ、社会にやる気と活力を与える。『繁栄』を肯定するところから繁栄は始まるのだ。
(1~2ページ)

このまえがきにはじまる、「繁栄思考」のお教えは、コロナ不況に苦しむこの日本を救う、思想としての力が明らかにあります。

無限の富を引き寄せる。

繁栄の神に愛される。

こういった言葉に少しでも関心がある方にとって、いま必読の書籍だと私は思っているのです。

繁栄思考―無限の富を引き寄せる法則 (OR books)

『繁栄思考』

 大川隆法著


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幸福の科学って、週刊新潮とか週刊文春と裁判やってるって聞くけど、みんながみんな、そんなひどい週刊誌だけじゃないでしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「週刊文春」とベルゼベフの熱すぎる関係』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように教えておられます。

 他人の不幸を見て喜ぶ人が悪人で、他人の不幸を増幅させることを仕事とする者が悪魔である。こうしてみると、週刊誌の大部分は悪魔の支配下にあり、言論によって「悪魔の民主主義」の実現に加担しているといえよう。
 私は本心から、週刊誌の編集部に勤める人たちに、正しい信仰を持つことを勧める。あなた方が正義を保ち、地獄に堕ちないためのお守りの如きものだからである。
 本書はいささか変則的であるが、『「週刊文春」とベルゼベフの熱すぎる関係』─悪魔の尻尾の見分け方─という、やや週刊誌的な書名とした。週刊誌の愛読者層にも警鐘を鳴らすためである。
 本文中、個人批判に見える箇所があっても、私たちが、彼らを救いたいという慈悲の心で叱っていることを悟ってほしい。
(1、2ページ)

ベルゼベフといえば、イエスさまを荒野で誘惑したことで有名な、キリスト教系ナンバー2の悪魔です。

それなりの週刊誌だと言われることも多い週刊文春と、この悪魔の「熱すぎる関係」とは──?

本書は2012年の発刊ですが、当時の週刊文春の島田真(まこと)編集長の守護霊がインタヴューされることで、その秘密がスリリングに明らかにされていきます。

少し時間がたっていても、本書の持っている価値はいささかも変わりません。

本書こそは、週刊誌の編集部に勤める方々に対してはもちろん、週刊誌を愛読している方々に対して、今も強くお勧めすべき重要書籍だと私は思っているのです。
 

「週刊文春」とベルゼベフの熱すぎる関係―悪魔の尻尾の見分け方 (OR books)

『「週刊文春」とベルゼベフの熱すぎる関係』

 大川隆法著


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