ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



この教えは本物だと思うんだよね。でも家族は、あの世なんてあるわけないでしょ、救世主とか仏なんて、バカ言いなさいよ、なんてね。一番身近な人さえ、説得できないんだよね…。 なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りの極致とは何か』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

「信じない」というだけなら、まだ許されるかもしれない。
もっと愚かな人たちが、今の世の中には満ち満ちている。
それがどのような人たちであるか、
あなた方も想像はつくであろう。
真実の生き方に目覚めた人たちに対して、
彼らを嘲笑し、あざ笑い、
自分だけの値打ちを下げるのみならず、
他の多くの人びとを
迷いの淵に引っぱってゆく人たちがいるということだ。
その誘惑は、この地上に肉体を持って生きている以上、
とてつもなく大きなもののように思われるかもしれない。

しかしその時に、踏みとどまって考えよ。
自分というものの尊さは、
そうした人たち一人や二人、
あるいはそれ以上の人数がいたとしても、
そうした人たちの言説によって揺り動かされるような、
そんなちっぽけなものであったのだろうか。
自分が自覚したところの、その心の尊さは、
そんなちっぽけなものであったのだろうか。
そんな頼りないものであったのだろうか。
むしろ、己れ自身の自覚が、
いかに小さなものであったか、
いかに弱いものであったか、
そこに問題があるということなのだ。

ゆえに、真理の道にいったん入った者は、
たとえいかなる状況が自らのまわりに降ってこようとも、
たとえいかなる環境が己れを待ち構えていたとしても、
それを言い訳にしてはならない。
そうした環境は、
すべて己れ自身の心の弱さに起因するのである。
己れの弱さは、己れ自身の責任によって生じているのである。
その時、あなた方自身の、
その決意が、その自覚が、
本物であるかどうかを試されているのだと
思わなければならない。
他人のせいや、環境のせいにすることなく、
己れ自身の責任と思って
人生行路を生きてゆくことができるかどうかを、
今試されているのだと
思わなくてはならない。
(27~30ページ)

この教えを信じることをいちばん身近な人に反対されることがあるかもしれない。

でも実は、それはすべて、己れ自身の心の弱さに起因するのである──。

「縁起の法」はここでも働いているわけです。

すべては自分自身の責任なのだ、と深く自覚できたときに。

いまは試しのときだと知って、戦う決意が固まったときに。

そのとき、まわりの環境は、自らの心の望む方向へと劇的に改善されていくものだと私は深く信じているのです。

 

『悟りの極致とは何か』

 大川隆法著

 

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今朝、寝坊しちゃって、だんなさんに、朝ごはん出してあげれなかったんだよねー。だんなさん怒ってるのに言い返しちゃって、朝から夫婦ゲンカ。あーあ。どうしたらよかったのかなあ? なーんて悩み持ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『コーヒー・ブレイク』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「朝、ご主人が起きて待っているのに、奥さんは寝ていて、ごはんがまだできていない」というときがあります。(中略)
 ここで、戦いをして、心に毒をつくるというのは、間違いです。
 「しまった!」と思ったところからが勝負です。「『しまった』と思ったところから、いかに切り抜けるか。そして、よい結論まで到達するか」ということです。

 「人間は、二つのことを同時に考えられない」という法則があります。こういうときには、その法則を使うのです。別名、「子供だまし」ともいいます。
 幼い子供は、ちょっと親が目を離すと、泣きます。親がそばにいないと分かると、冷遇されたと思って泣きます。そのとき、遊び用のボールなどを用意しておいて、ボンと投げるわけです。そうすると、子供は、はっとそちらを見て、急にそちらへ違いはじめます。そのあいだに用が足せるのです。
 これを子供だましといいますが、ほんとうに子供は泣きやみます。
 それと同じことは、ご主人が相手でもできるわけです。』
 「あなた、先日、〇〇さんが、あなたは仕事ができるって、ほめてましたわ」などと、ポーンと言うと、「えっ」という感じになり、とたんに、ご主人の怒りはそこで切れます。子供だましの方法と同じです。
 ご主人は、「いったい、おれの何をほめていたんだ」と訊きます。そして、奥さんから、「あなた、何か、最近、ものすごく仕事で成功されたんだそうですね」などと持ち上げられ、「まあね。言ってみれば、おれは朝飯も食わずに仕事に行くぐらい熱心な男だからね」と言います。それで終わりです。
 「人間は二つのことが同時に考えられない」という法則を、「大人だまし」に使うことです。あとからフォローするのは簡単なことです。
 怒りの波動や悩みの波動があったら、いったん、それを他のことにコロッと変えさせるのです。考え方を変えさせ、その想念を切ってしまいます。すごい波動を受けたら参ってしまいますから、それをバシッと切ってしまうのです。
 そのあとで、また時を改めて、たとえば、ご主人が夜帰ってきたときに、おかずを一品、余分につけ、「あなた、今朝はすみませんでした。今朝の分で、余分に、これをつけておきましたから」という具合に補完するのです。
 そして、その日だけのことにして、「一日一生」で終えてしまうわけです。
 でも、誠実さは忘れないでくださいね。
(70~74ページ)

夫婦ゲンカって、よくあることだけど、相手の怒りの波動をまともに受けてしまうと、心に毒を作ってしまって、あとが大変。

「人間は二つのことが同時に考えられない」という法則があるので、まずは見え透いた「子供だまし」でいいから、ポーンとほめてしまって、怒りの想念を、その場でバシッと切ってしまう。

そのあとは、ときを改めて、謝るべきところはしっかり謝ってフォローすればよい──。

さすが人生の達人のお教えです。

これは「一日一生」で生きていくための具体的な方法論の一つでもあるのだと、改めて私は感じ入っているのです。
 

『コーヒー・ブレイク』

 大川隆法著

 

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うちの嫁、オレがちょっと女の人と話でもしてたらすごく怒るんだけど、嫉妬心って、あっちゃいけないんだよね? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『感化力』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 嫉妬心には効用もあります。嫉妬心には、他の人の自己顕示欲を抑える役割があるのです。
 ある人の自己顕示欲が強すぎる場合には、周囲の人は必ずそれを引っ張りにかかります。(中略)
 たとえば、きちんとした仕事をして認められ、周囲から尊敬されている人が、立派な家を建てたとき、他の人が嫉妬しても、それは嫉妬した人に跳ね返っていくだけです。
 ところが、増上慢のところ、身分不相応なところがある人の場合には、その人について、「何か変なことをして、お金を儲けたに違いない」などと言うと、嫉妬された側もこたえるのです。
 このように、嫉妬心には、他の人が自己顕示欲によって増上慢になり転落することを防ぐ役割、増上慢の芽を摘む働きがあるのです。嫉妬心が調和の原理として働く場合もあるわけです。(中略)
 夫婦間の嫉妬心にも一定の効用があります。
 奥さんの嫉妬に悩んでいる男性は多いだろうと思います。しかし、奥さんの健全な嫉妬心があるがゆえに、家庭が崩壊しないことも事実なのです。
 奥さんが寛容な人で、「あなた、家庭など気にしなくていいから、お好きにどうぞ」と言っていると、家庭は崩壊してしまいます。
 奥さんは、ご主人の帰宅時間や土日の行動が気になるので、ご主人を管理したりするわけですが、こういう健全な嫉妬心が家庭を護る面もあるのです。
 ただし、嫉妬心が強すぎてヒステリーになると、逆に夫婦の不調和を生んでしまいます。何事にも両面があるのです。
(69~71ページ)

嫉妬心には効用もある。

他の人の自己顕示欲を抑える。

また、家庭を守る面もある──。

もちろん、嫉妬心は煩悩の一つであって、やはりよいものではないはずです。

しかし、効用もあるというのは、教えていただかないと気がつかない、人生の叡知でないでしょうか。

この世には、無駄なんてないのだと改めて私は感じいっているのです。

 

『感化力』

大川隆法著

 

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なんだか、つれあいの言うこと、いちいち気に触るんだよね。着てるものは、なんだこれはって思うし、性格も悪いし、顔もまずいし、髪型はヘンだし。好き合って結婚したはずなんだけど、最近、そんな感じ。もう別れちまうかな? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福へのヒント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 家のなかに悪霊がいなくなり、守護霊しかいない状態になると、家庭内には笑みが絶えなくなります。ところが、家に悪霊が入ってくると、とたんに人のことが悪く見え、愚痴や不平不満などが出はじめます。
 たとえば、ご主人の守護霊が、にこにこしながらご主人と一緒にいれば、ご主人には、あなたがとても美人に見えます。ところが、ご主人の守護霊がどこかに行ってしまい、代わりに悪霊が二、三匹憑いていれば、ご主人はあなたに対して、「髪型や服装が気に入らない。笑い方も気に入らない。料理の味も気に入らない」と、何もかもが気に入らなくなります。悪霊が憑いていると、色眼鏡でもかけたようになり、悪いことばかり目につくのです。
 したがって、他の人の悪い面ばかりが気になりはじめたならば、悪い言葉を出す前に、「悪霊が来ているな」と思って、ブレーキをかけてください。
 悪霊撃退に抜群の効果があるのは、私の法話のカセットやCDです。それらをかけると、悪霊は逃げ出します。悪霊が来ていそうなときには、私のカセットやCDをかけるとよいのです。
 たとえば、台所仕事などをしているとき、変にいらいらするようであれば、私のカセットやCDをかけながら仕事をしてみてください。夜、妙に眠れないときには、それらをかけて寝るとよいでしょう。
 悪霊の憑いている人に会うと、その悪霊を自分が引き受けてしまうことがありますが、その場合でも、私のカセットやCDを聴けば、悪霊は取れます。
 また、私の法話のビデオは、カセットやCDの何倍もの効果があります。お年寄りや子供などで、本を読むことが難しい人でも、ビデオを観ることはできます。活字にあまり向かない人には、ビデオがよいでしょう。
 それから、幸福の科学の根本経典である『仏説・正心法語』や『祈願文①』『祈願文②』の読誦も非常に効果がありますし、私の理論書を一章ぐらい読むと、光がサーッと入るので、それによって悪霊を取ることもできます。もちろん、当会の精舎や支部などで行われる悪霊撃退の祈願等に参加すれば、効果は絶大です。
 どうか、家庭から悪霊を追放してください。そうすれば家庭は明るくなります。
 幸福の科学でしっかり修行していれば、家庭は必ずやユートピアになることでしょう。
(170~172ページ)

突然なんだか、家族やまわりの人の悪いところばかり気になりはじめたときは、悪霊が来てるのでは? と考えてみること。

そして、根本経典や祈願文を読み上げたりしてみること。

幸福の科学の精舎や支部などで行われる「悪霊撃退祈願祭」に参加してみること。

そこまでできなくても、大川隆法先生の書籍を読んでみたり、その法話のCDを聞いたり、ビデオなどを観たりすること。

つまりは、幸福の科学でしっかり修行することで、悪霊は家の中から追放されていく。

なんだ、今日は、家庭ユートピアのつかみ方を、悪霊追放という角度から教えて下さっていたのだと改めて私は理解できた気がしているのです。

 

 

『幸福へのヒント』

 大川隆法著

 


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仕事が毎日いそがしくって、とうてい家のほうに時間をさいたり、エネルギーを使ってる余裕ないんだよね。ちょっとうちの家庭、壊れかけてるけど、しょうがないよね。・・・なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 そこで、私は提案したいのですが、「家庭も非常に大事な仕事の場である」と思っていただきたいのです。
 人間には、本来、二種類の仕事があるのです。一つは、「家庭の外で働く」というかたちでの仕事、もう一つは、家庭生活のなかでの仕事です。この二つは、どちらも聖なる仕事なのです。
 ところが、「外なる仕事は仕事であるが、内なる仕事は仕事ではない」と考える人があまりにも多いのです。彼らは家のなかのことを軽視します。一夜の宿りか何かのように考えて、家庭を租末にします。しかし、そのツケは、やがて社会全体に回ってくるのです。
 いま、アメリカという国は病んできています。その原因として、「アメリカの家庭の多くが崩壊している」という事実が挙げられるでしょう。
 現在のアメリカでは、夫婦の半分は離婚をします。その結果、多くの子供たちが、片親によって育てられたり、自分の実の父や母ではない人に育てられたりしなくてはならず、異母きょうだいや父親の異なるきょうだいと共に育つ場合もあります。
 そういう子供たちが大人になると、彼らは、「自分は充分にかわいがられなかった」という思いを持ち、その思いが、さらなる家庭の荒廃を生み、社会全体に、やる気のない雰囲気を蔓延させるのです。
 これは、個人主義が行きすぎて、人々が家庭の持つ神聖な役割を忘れ去った結果でしょう。
 私は、日本の将来を深く深く憂えるものです。日本は、このアメリカのようになってはなりません。日本の人々は、家庭を大事にしなくてはなりません。
 夫婦の半数が離婚する国に育つ子供たちは、かなりの確率で情緒障害を持っていると言わざるをえません。彼らは、実社会に出てからも、奪う愛に生き、「もっともっと愛を与えてもらいたい」という気持ちで生きていくようになります。
 そういう人が増えた社会は、自己顕示欲や闘争心、破壊する心に満ちた世界です。そこでは、常に人より上に立つことのみを求める人たちが闊歩(かっぽ)するようになるでしょう。そして、弱い者へのいたわりや、同じく魂修行をしている仲間への愛が、薄れていくに至るのです。
 やはり、根本は家庭にあります。素晴らしい家庭は、それだけで、素晴らしい一個の芸術品だと言えるのです。
(215~218ページ)

仕事も大事である。

でもそれと同様に、家庭も、非常に大事な仕事の場である、ということ。

こういうふうに根っこの考え方を変えるだけで、限られた時間やエネルギーを、仕事と家庭にどう配分していけばいいのかが、自分なりに分かってくる気がしてきます。

家庭を大事にしよう。

連れあいを、子供たちを、大事にしよう。

もし、いま家庭が壊れかかっているのに気づいたならば、まずは、これまで外の仕事に注いでいたエネルギーの一部を、家庭の方にも割く努力をすること。

それが建て直しのはじまりとなるのではないかと私は思っているのです。

 

『限りなく優しくあれ』

 大川隆法著

 

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あーあ、なんであんなことでケンカしちゃったのかな。あのとき、なんだか自分が自分でないみたいな言葉が出てきちゃって、とりかえしつかないくらい怒らせちゃったんだよね。・・・なーんてことで悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『理想国家日本の条件』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 家庭のなかで不和が起きるときは、ほとんど九十九パーセント、悪霊の作用があります。もちろん、この世的に考えて合理的な理由も多々あるわけですが、その背後には必ず悪霊の作用があります。
 ですから、夫婦不和、夫婦喧嘩、離婚騒動が起きるときには、もう一度踏みとどまって、これはほんとうに自分の考えなのかどうかを、よく考えていただきたいのです。そういうときは、相手がものすごく悪く見えてきます。いくら考えても相手が悪いと思えるような状況が、確かにいくらでも出てくるのです。そして、相手にこそ悪霊が入っているに違いないと思うわけですが、そう思うときには、自分自身のほうに悪霊が入っていることのほうが、実ははるかに多いのです。
 他人が悪く見えるときには、悪霊が入っていることが多いのです。それをよく知ってください。「まわりがみんな悪人だと思えるほどの悪人はいない」という言葉がありますが、その通りなのです。家族でも他の人が悪く見えるときは、自分自身が悪いことのほうが多いのです。ですから、その考え方が自分自身のものなのか、それとも、他の世界のもの、はっきりいえば憑依している悪霊から来ているものでないかどうかを、よく考えていただきたいのです。
 きのうまで仲よくしていた夫婦でも、悪霊に憑依されると考え方がコロッと変わってしまいます。そして、結婚してからの相手の欠点、あるいは結婚する前から気がついていた欠点までふり返り、「だから、この結婚は間違っていたのではないか」と思えるようなことをたくさん思い出して、それを合理化したくなります。「あの時も、あの時も、あの時も、あなたはこうであった」、あるいは「おまえはこうであった」と、ふだんは忘れているようなことまで思い出します。
 そして次には、本人だけではなくて、その実家の問題などに思いがいきます。「そもそも実家が悪い」とか、「兄弟が悪い」「友人が悪い」「会社が悪い」といった、その人の家族関係、親族関係などにまで思いが向いていって、全部を否定したくなります。そして、「ああ、この結婚は間違いだった。前世の緑がなかったのに、間違った結婚をした」ということを考えるようになるのです。これは完全に悪霊の作用です。(中略)
 要するに、本人が持っている執着や煩悩、あるいは人を裁く心、悪を見る心、こうしたところに悪霊が感応してきて、その考え方を増幅させていくのです。そうなると、自分が自分でなくなるのです。
(143~146ページ)

家庭のなかで不和が起きるときは、その背後にはほとんど悪霊の作用がある。

そのときは、それがほんとうに自分の考えなのかどうかを、よく考えるべきである。

他人が悪く見えるときには、悪霊が入っていることが多い──。

つまり、家庭で争いが起きて、自分が自分でなくなるような考えがわいてきたときには、「いや、待て。これは悪霊が来てるんじゃないのかな?」と、とりあえず考えてみることが大事だってこと。

でも、だから家庭不和は悪霊のせい、自分は悪くないってわけじゃなくって。

悪霊が来るのは、自分自身が持っている執着や煩悩、人を裁く心、悪を見る心などが原因であるわけで、そこは改めて反省しなきゃいけない、ということだと私は思うのです。

 

『理想国家日本の条件』

 大川隆法著



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同居してる夫の両親って、困ったお年寄りで、毎日つらい思いをしてるんだけど、どうしたらいいのかなあ? なーんて悩みを抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福へのヒント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 お年寄りが「奪う愛」の傾向になるのは、ある意味では、やむをえないところがあります。お年寄りは子供にどんどん似てくるのです。
 その理由は肉体機能の低下にあります。脳の機能が低下するため、いわゆるぼけが始まったり、わがままになったりします。しだいに三歳児のようになり、「駄々をこねる」「人の意見を聴かない」「突然、何かをしたがる」といったことが起こります。
 また、お年寄りは、「自分は老い先が短く、いつ死ぬか分からない」と思うため、「言いたいことを言っておかなければ損だ。やりたいことをやっておかなければ損だ」という焦りの気持ちから、いろいろと突拍子もない行動をすることもあります。人生の最後の時期に来て、世の中から「用済み」とされ、未来に自信も希望もないのであれば、何かで心を慰めないと気が済まないのです。
 ただ、お年寄りがあまりにもわがままを言うときには、たいてい悪霊の影響があります。また、お年寄りがぼけた場合には、脳の機能低下だけが原因ではなく、霊障であることも多いのです。
 年を取ると、不安感が強まり、被害妄想が膨らむものですが、「嫁や息子が何もしてくれない」という不満や、「自分が社会から認められない」という、やるせない思いが募ると、地獄霊を引き付けやすい精神構造ができ上がるのです。
 悪霊の憑依がなくなり、来世への希望を持つようになれば、お年寄りはかなり違ってきます。したがって、お年寄りは、来世のことをしっかりと知る必要があります。
 お年寄りには、「死は、この世の卒業式であり、本来は素晴らしいものである。あの世へ行くときには〝通知表〟が渡され、素行の部分に『優』が付いていないと、あの世で困ることになる」ということを教えなくてはならないのです。
 この世での魂修行を終え、あの世に移行することは、現在の学校を卒業して、上級の学校へ行ったり、社会に巣立ったりすることと同じであり、この上なく幸福なことなのです。
 あの世へ行くことを恐れる必要があるのは、地獄に堕ちる人だけです。仏の心に基づいて、やれるだけのことをやり、この世での使命をきちんと果たし、あの世についての学習も終わって、「あとは死を待つばかり」というようになった人は、ほんとうは、解放感で満たされ、「お迎えの来る日が待ち遠しくてしかたがない」という心境でなければいけないのです。
(164~166ページ)

そうかあ、と思います。

お年寄りにこそ、仏法真理をお伝えしてあげなきゃいけないのだと、改めて教えていただいた気が私はしているのです。
 

『幸福へのヒント』

 大川隆法著

 

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家庭なんて、嫁まかせだしなあ。仕事さえきちんとしとけば、別に気にする必要ないんじゃないの? なーんてこという人がいるけど、そうなのかな。家庭生活って、どう考えたらいいんでしょうか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ティータイム』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 家庭生活は、人生修行の半分と考えてよいでしょう。学校生活には教科書がありますし、会社の仕事にもマニュアルがあります。しかし、家庭生活には、誰もが参考にしうるようなテキストがないのです。自分の育った家庭環境を模倣するか、各人が試行錯誤して、新しい流儀を生み出すしかありません。他人の家庭生活はのぞけないし、世間話をしても、本当のところはわからないものです。
 私は、家庭生活を幸福にするための教科書や参考書を提供するのが、宗教の使命の一つだと思います。
(まえがき)

 人間は霊的存在で、この世からあの世へと移行していきますが、人生の幸福の前提部分が家庭生活です。家庭生活が円満であれば、そう簡単に地獄などに赴くものではありません。
 家庭の幸福という土台を固めてこそ、職業上の成功が一層の幸福へと花開いていきます。難しいことではありますが、努力してみる価値はあります。
(あとがき)

家庭生活が、人生修行の半分を占めるのだと理解することが、まずは主発点。

そうすれば、家庭生活を円満にするための智恵が、いかに大切なものかが分かってきます。

そして、その真実をしっかりと教えてくれるものこそが、宗教であることも。

そういうふうに理解が進んで、宗教の教えの真の意味が、よりよくわかってくるのだと私は思うのです。

『ティータイム』

 大川隆法著

 

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寝たきりの病人の看病だけで毎日がすぎて、肉体的にも精神的にも、もう限界。って人いませんか? どう考えたらいいんでしょう。また、そういう悩みを抱えた方に、どうアドバイスしてあげたらいいんでしょうか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私には、看病して疲れておられるご家族のかたに、あえてムチ打つ気持ちはありません。しかし、家族に病人が出たという厳しい環境のなかで、いかに朗らかに、いかに明るく、いかに希望に燃えて生きられるかということが、あなた方の魂を光らせるための試練になっているのです。
 考えてみれば、ヤスリをかけられるときには、その金属は痛くて悲鳴をあげているように思われるかもしれませんが、その後にはピカピカに光るものです。また、サンドペーパーをかけられてピカピカに光っていく木もあります。木目は、ザラザラしたもので何度も何度も擦られるとき、もし人間のような気持ちがあるとすれば痛いのでしょうが、それでも、その時期を通り越してみると、みごとにピカピカに輝く、美しい素材になっていくことがあります。
 人生もこれと同じなのです。あらゆる苦しみや悲しみも、魂を光らせるためのヤスリだと思ったときには、どんなものでも耐えていけるのです。
 むしろ、そうした悲しみのときにこそ、宗教的な飛躍というものが訪れることがあります。そうしたときにこそ、人間は救いを求め、魂の領域において一段と飛躍をすることができるのです。
 ですから、病人が出たからといって、それを自分の不幸の言い訳にすることなく、そうした病人が出たことによって、自分が魂の修行の機会を与えられたことに感謝をし、そして、そのなかで己れの心の修行をすることです。
 そしてまた、病人が家庭に出たということで、与える愛、尽くす愛、奉仕とはなにかということを考えさせられもするのですから、これはまさに、他人に対する献身の心を学ぶ機会ではないかと思います。
 愛というものは、その基礎に忍耐と寛容を伴っているものなのです。調子のいいときだけ相手を愛する。たとえば、夫が調子がいいときだけ夫を愛する、妻が美しいときだけ妻を愛するのは簡単ですが、夫が仕事上で失敗したり、妻の美貌が衰えてきたときに、なおも愛するということはなかなか難しいことでしょう。しかし、それでも愛していこうとするその忍耐と寛容の心が、やはり愛というものを裏打ちするものだと思うのです。
 病人も同じです。家族として仲よくやってきた者のなかに不幸が起きたなら、それを辛抱強く見守ってやることが大事です。(中略)
 すべての運命を恨むことなく、すべてを自分の魂の糧として選びとっていくなかに、真なる幸福というものは光ってくると思うのです。
(118~121ページ)

うーん、厳しくも温かい、仏のアドバイスですね。


やっぱり、こういう問題にぶちあたったときの考え方の基本は、「人生は一冊の問題集である」という観点なのだ、ということなのだと私は思うのです。

 

『幸福のつかみ方』

 大川隆法著

 

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世の中、ひどい人がいますよね。どんなにこちらが心を平らかにしてても、激しい言葉、悪意のある言葉をぶつけてくる人。イジワルをしてくる人。こちらをカッとさせるために、存在してるんじゃないのかな、って思えたりして。

しかもそれが、赤の他人や、せいぜい知人・友人というなら、もう付き合わなければいいんだけれど、家族のなかにそんな人がいたり、夫や妻だったりすると・・・。さてさて、どうしたらいいんでしょうね?

幸福の科学の大川隆法先生は、『理想国家日本の条件』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 まず考えるべきことは、先ほどと同じで、言葉の調律から始めることです。人を傷つける言葉、相手を裁く言葉、相手をほんとうにこっぱみじんに砕き、失意の底に落とすような言葉、そういう言葉を出さないことです。
 喉元まで出かかっていても、ぐっと思いとどまって、口を閉めてしまうことです。激しい言葉が出そうになったら、深呼吸してください。心のなかで、一、二、三、四、五、六……と数えてください。十も数えたら、その言葉は出さなくてすみます。出さなくてもいい言葉は出さないことです。もちろん、心のなかで思わないのがいちばんいいのですが、いったん思ってしまったならば、次はそれを言葉に出さないことです。
 言葉に出してしまったら、その言葉自身が生き物となって動きはじめます。仕事をします。耳を通じて、相手の頭のなか、心のなかに入って、相手のなかからも憎しみというものを喚び起こします。そして、さらに激しい言葉が相手からも出てきます。その結果、両方からの応酬になって、そこに血みどろの戦場が現われてきます。ですから、まず、相手を傷つける否定的な暗い言葉を出すまいという、最初の関門を守ってください。(中略)
 大事なことは、心に曇りをつくらないこと、毒を食わないことです。相手のほうに悪い点があるのかもしれませんが、その悪を自分自身のなかに植え込んで増幅させる必要はありません。
 ここで大事な考え方は、「他人の心は、自分の自由にはならない」ということです。これをよく知っておいてください。これはどのような王様でもそうなのです。身体は拘束できます。奴隷にすることも、殺すこともできます。しかしながら、その人の心は自由にはできません。どんなことがあっても自由にはできないのです。そのように、心は王国なのです。善き心であろうが悪き心であろうが、その人自身のものなのです。
 ですから、他人に対して腹が立ってしかたがないときには、その他人の心自体を支配することはできないということを、もう一度思ってください。そして、そのときに、みなさんがすべきことは何でしょうか。
 他人の心は支配できないけれども、自分の心は百パーセント支配できるという事実がここにあるのです。自分の心は自由自在です。どのような環境においても、どのような心を持つかは百パーセント自分自身で決められることなのです。ここがポイントです。他人の心は変えられなくても、自分の心を変えることはできます。
 しかし、自分の心が変わることによって、そこから発散される善念、善なるエネルギー、光が、実は他人を変えていくのです。感化していきます。他人の心自体を支配して変えることはできませんが、他人に影響を与えること、感化することは可能です。そしてそれは、なんと自分自身を変えることによって、そうなっていくのです。
(148~152ページ)

まずは、言葉の調律をすること。

どんなに相手が悪いと思っても、まず耐えて、とにかく、悪しき言葉を出してしまわないようにすること。

これは、なんとか努力すればできそうな気がしますね。

そして、相手を変えようとするのではなく、自分の心を変える努力をすること。

これは、そう簡単ではないかもしれないけれど、でも、「心の法則」で、自分の心を変えれば相手も変わる。

これは事実なんですよね。

この事実を知って、自分の力で人間関係を改善する努力はできるというのは、ものすごい福音ではないかと私は思うのです。

 

『理想国家日本の条件』

 大川隆法著

 

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子供を上手に育てたいよね。どうしたらいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『あげママの条件』――子供を上手に育てる8つの「考え方」
(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 私は一九〇〇冊にのぼる著書を刊行し、二四〇〇回に近い説法を重ね、教団運営もしながら、男の子三人、女の子二人を育ててきた。正直言って、仕事が遅く、単線型の頭だったらとうてい無理だったろう。
 子供の教育にも関心があり、自分自身でも可能な限りかかわってきたので、一見回り道に見えたその経験が、仏法真理塾〈サクセス№1〉や幼児用の〈エンゼル・プランV〉、不登校児支援スクール〈ネバー・マインド〉、障害児支援の〈ユー・アー・エンゼル〉の運動につながった。
 また、学校教育としては、学校法人〈幸福の科学学園〉という中高一貫校を、那須と関西に開いた。二〇一五年四月には、千葉に〈ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ〉を創った。東大・京大・早慶合格を蹴って入学してくる優秀な学生も多い。
 本書は、教育に関する実体験と、人生学をも含んだ霊的観察もふまえて書かれたものである。たぶん、学校教育の常識を超えた宝物を、あなたは発見するだろう。
(1~3ページ)

本書は、教育に関する実体験と、人生学をも含んだ霊的観察もふまえて書かれた。

学校教育の常識を超えた宝物を、あなたは発見するだろう──。

男性である大川隆法先生が、「ママ」について説かれるとは、これはいかに? ではあります。

しかし、本書を読むことで、この疑問は氷解するでありましょう。

子供を上手に育てる「考え方」をつかむことができれば、それは教育をはじめとする幅広い場面で応用できるんだと思います。

子育てに悩む一人でも多くのお母さんたちに、まずは手にとっていただきたい一冊であると私は思うのです。
 

『あげママの条件』大川隆法著


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うちのおばあちゃんって、ボケがちょっと激しいのよね。どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 それは、多くの場合、精神を刺激するもの、生きがいがないことに原因があります。お年寄りも何らかの生きがいが欲しいのです。
 もし、お年寄りを邪魔者扱いし、生きがいを奪い去ってしまったのが当のあなたであるならば、それは大きな問題です。
 あなたも年をとれば分かると思いますが、人間は年をとると気が弱くなってきます。そして、「自分は要らなくなるのではないか」ということが最大の恐怖となるのです。
 したがって、年をとっても元気でいろいろなことができるように、お年寄りの生きがいをつくってあげることも主婦の心掛けの一つです。
 まったくの邪魔者にされ、生ける屍として見捨てられていたならば、ボケることによって抵抗でもしないと、人間は生きていけるものではありません。痴呆症の老人のなかには、家庭内で自分が優遇されていないことへの抵抗が、そうしたかたちで表われている場合もあるのです。
 したがって、ボケ防止のためには、お年寄りの役割や仕事をつくり、生きがいを与えてあげることです。
 そのようにして、お年寄りの自尊心を高めてあげれば、彼らもそれなりに納得して生きていくことができます。
 お年寄りを邪魔者扱いするのはあなたの勝手ですが、邪魔者扱いすればするほど、痴呆症になる確率は増えていきます。その世話をしなければならないのは、結局、あなたなのですから、長い目で見れば、あなたは損をするのです。
 したがって、自分の実の両親や義理の両親が、機嫌よく働き、健康で長生きしてくれるように、いつも願っておくことです。
 とにかく、お年寄りが生きがいを持つことを阻害しないように、お年寄りを邪魔者扱いしないようにすることです。これもまた主婦業の一つだと心得てください。
(178~180ページ)

精神を刺激するもの、生きがいがないことに原因がある。

まったくの邪魔者にされていたら、ボケることによって抵抗でもしないと、人間は生きていけるものではない。

したがって、お年寄りが、機嫌よく健康で長生きしてくれるようにいつも願い、お年寄りの役割や仕事をつくり、生きがいを与えてあげることである──。

要はお年寄りが病的にボケていくのを、今は認知症と呼ぶようになったようですが、1998年の本書刊行当時は、痴呆症と言うのが普通だったようです。

これについて、「原因結果の法則」でみれば、明らかに原因があること、その原因に対応していくべきことを、大川隆法先生は教えられます。

なるほど、逆に自分がお年寄りの立場にたって考えてみれば、それはそうだと素直に納得できるのではないでしょうか。

私たちを育ててきて下さったお年寄りが、健康で長生きしてくださいますようにと、願い続けること。

そして、日々に新たな生きがいを感じられるように、愛をもって大切にしてさしあげることではないかと私は思うのです。
 

『「幸福になれない」症候群』 大川隆法著


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文系と理系ってあるでしょ。うちの子って、どっちに進んだらいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『じょうずな個性の伸ばし方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 文科系と理科系の違いは何でしょうか。
 文科系には、人間を“いじる”のが好きな人がよく行き、理科系には、人間ではないものをいじるのが好きな人がよく行きます。
 別な言葉で言い換えると、「人の上に立ちたい」という魂傾向を持っている人が文科系に行きたがり、「人の上に立ちたい」というより、「自分の才能を生かしたい」と思うタイプの人が理科系に行きやすいのです。
 そのため、どちらかというと、理科系の人のほうが「人に使われるタイプ」になることが多いようです。要するに、「人に使われたとしても、専門職のほうが自分の魂を生かせる」と思えるような人が理科系によく行くのです。
 一方、文科系に進みたがる魂は、ある程度、政治的なものや支配的なものを持っていることが多いようです。つまり、過去世において人を使った経験の多い人が、文科系に行きたがるのです。
 したがって、「自分の子どもは、文科系に行くべきか、理科系に行くべきか」ということで判断に迷うときには、「人の上に立ち、人を使うのが得意なタイプなのか。それとも、自分の研究や専門分野に打ち込んでいくのが得意なタイプなのか」という視点から子どもを見て、「この子にとって、どちらに進んだほうが、より幸福になるか」ということを考えればよいでしょう。
 「この子は、人の上に立っていくほうが幸福になるタイプだな」と思えば、文科系に進めるのがよいでしょうし、「この子は、好きなことに、一生懸命、打ち込んでいくタイプだな」と思えば、理科系に進めるのもよいでしょう。そういうことが言えます。
 現状では半分ぐらいの人が理科系に行きますが、理科系には向いていない人が、そうとう理科系に行っています。幸福の科学の信者には理系の人も多いのですが、会社でコンピュータなどを扱うことにストレスを感じ、当会で心の勉強をしている人も多いのです。
 理科系に向いている人が人類全体に占める割合から考えると、「全体の約五割が理科系に行く」という現状は、おかしいのです。少し多すぎます。実際には向いていない人が、そうとう理科系に入っています。
 これが、新宗教の信者に理科系の人が多い原因でもあります。本来は理科系には向いていないため、ストレスが生まれ、それで宗教に道を求めてくるわけです。理科系の学問では心の問題をほとんど教えないので、そのへんで、寂しさや苦しさ、満たされないものを感じ、宗教に行く人が多いのです。当会にも、そういう人はわりに多いようです。
 文科系と理科系の分かれ目は、以上のような点にあることが多いのですが、いずれにせよ、ある程度の才能を持っている人の話です。そうではない人は、どちらに行っても、どうということはありません。才能の傑出している人の場合には、前述した基準で判断できますが、そうではない人の場合には、どちらに行っても大きな差はないのです。
(140~143ページ)

「人の上に立ちたい」という魂傾向を持っている人が文科系に行きたがり、「自分の才能を生かしたい」と思うタイプの人が理科系に行きやすい。

したがって、文科系か理科系かで迷うときには、「人の上に立ち、人を使うのが得意なタイプなのか。それとも、自分の研究や専門分野に打ち込んでいくのが得意なタイプなのか」という視点から、どちらに進んだほうが、より幸福になるかを考えればよい。

ただし、これはある程度の才能を持っている人の話であって、そうではない人は、どちらに行っても大きな差はない──。

うーん、なるほど、過去世の経験、なんですね。

自分を振り返ってみても、そのとおりのように思えます。

お子さんに、そしてもちろん自分自身にとっても、今日のお教え、とっても勉強になるのではないかと私は思うのです。
 

『じょうずな個性の伸ばし方』大川隆法著


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結婚して何年もたつのに、赤ちゃんがやってきてくれないんだ。どうすればいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 最近、子宝に恵まれない女性がずいぶん多いように思われます。その背景には、女性の高学歴化による結婚年齢の上昇、あるいは、職場進出によるストレスの増加、こうしたものがあることは見逃せません。
 しかし、それと同時に子供のできない女性を見てみますと、やせ型の女性が多いことに気がつきます。(中略)豊満な肉体になれば子供が授かるかどうかは保証のかぎりではありませんけれども、一般的にやせすぎの方は、少し脂肪分をとられてふっくらした身体になられるほうが、出産にとっては好都合な条件ができるのではないかと思います。(中略)
 もうひとつは、霊的な観点から言いますと、生まれてくる前に親子の約束をしていないのではないか、ということが一応問題とされます。たしかにそういう方もいます。子供を産むと仕事ができなくなるとか、いろいろな理由によって、生まれてくる前に親子の約束をしなかった方がいます。
 またもうひとつは、縁のない方と間違って結婚したために子供が生まれない場合もあります。もともとはその人と結婚しようとして約束していた方と、なんらかの事情で結婚の相手としてめぐりあえなかった場合があるのです。
 たとえば、前世で約束していた相手が他の人と結婚してしまった。あるいは事故で死んでしまった。病気で亡くなってしまった。こうした不幸な原因によって約束の人と出会えなかった場合に、その人とのあいだで生まれる予定になっていた子供が、残念ながらあなたのところには生まれずに、たとえば先方のほう、つまりあなたと結婚の予定をしていた男性とその結婚した相手とのあいだに生まれてしまったというような場合があるわけです。そうした場合には、あなたに予定されていた子供がいなくなったということになります。(中略)
 もちろんそれでも、天上界には親は誰でもいいから生まれたいと思っている魂も一部いることはいるので、そういう魂を授かってくることは不可能ではありません。そのためには日頃からよくお祈りをしておくことです。「私のところに生まれてきたらどんなに幸福になるか」ということをいつも心に思って、天上界に向けて思念を発射しておくことです。そしてそれが嘘いつわりではなく、ほんとうにあなたのところに子供として生まれたら幸福になれそうな、そうした客観的な条件がそろってきはじめますと、考え方を変えてくる霊人もいることはいるのです。
 まずものごとはなんでもそうですが、人を呼び寄せようとするならばそれだけの魅力というものが必要です。ですから、あなたのところで魂修行をするのにふさわしい、そうした理想的な環境をつくるように努力してみてください。生まれてくる魂がなぜ嫌がっているのだろうかということを、もう一度客観的に見直してみてください。
 すなわち「あなたのところに子供として生まれたら、こういう困ることがある」ということがもしあるならば、その部分をいち早く直しておくことが大事ではないでしょうか。
(163~169ページ)

霊的観点から言うと、生まれてくる前に親子の約束をしていない場合、また、縁のない方と間違って結婚したことが原因の場合もある。

しかし、これから新たな縁で子供を授かることもあるので、そのためには、日頃からよくお祈りをし、天上界に向けて思念を発射しておくことである。

そして、あなたのところで魂修行をするのにふさわしい理想的な環境をつくるよう努力することが大切である──。

社会的条件や肉体的条件もさることながら、大川隆法先生が説かれる霊的観点は、とても新鮮ですし、私たちにも実行可能な、強い救済力のある教えではないでしょうか。

その上で、幸福の科学の支部や精舎で、「子宝祈願」をお願いすることができるというのは、朗報ですよね!



『幸福のつかみ方』

 大川隆法著


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結婚しちゃったんだけど、でも、同じ相手じゃ、いつまでも我慢できないよね。自分は成長するんだし、そしたら、それに合わせて連れ合いがかわっていくのも当然なんじゃないのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間は地上で生きていますと、どうしても欲が募ってきます。あれもこれも手に入れたくなります。そして、自分が尊大になっていくことがあります。そのときに、毎日毎日、「足ることを知る」ということを中心に自己反省をしてみるとよいと思います。
 今日も生かされている自分。今日も、飢え死にすることもなかった。また、どんなにいろいろなことがあったとしても、今日も一日があった。地球が壊れてしまうこともなく、太陽が射さないこともなく、食べ物に困ることもなく、今日も一日が終わった。いろいろな苦しみや悩みもあったかもしれないけれども、今日の一日があった。(中略)こうした、毎日をいただいていることに対して感謝をすることです。
 そして、何もかも高下駄を履いて臨むのではなくて、自分自身の現在の人生を愛することです。他の人と比べたら満足がいかないところは当然あるでしょうけれども、あなたから見たら「羨ましい」と思っている他の人も、ほんとうはどうかわかりません。その人にはその人なりの苦しみがあります。(中略)
 それぞれの人がそれぞれの人生を生きている。自分自身の固有の人生を愛し、抱きしめること、それもまた「足ることを知る」ということなのです。物質欲には限りがありません。金銭欲にも限りがありません。また、出世欲や名誉欲、異性欲、こんなものにも限りがありません。(中略)
 足ることを知らずに、他の異性にのめり込んで、家庭を目茶苦茶にする人が跡を絶ちません。そうなるものとは、わかっていながら、欲が抑えられなくて、家庭を目茶苦茶にしていきます。
 しかしながら、正常な夫婦のあいだで子供が生まれて、その子供を育てていくには、三十年という歳月が必要です。三十年間家庭が安定するということが非常に大事なことなのです。それが乱れたときには、子供の将来もまた目茶苦茶になります。自分たちも、途中から人生が曲がり込んでいくこともあります。
 そこで、家庭を崩壊させないために必要なことは、いったい何であるかというと、やはり、この「足ることを知る」生活だと思うのです。(中略)
 日々、感謝の気持ちでもって、ともに、妻のよいところを見、夫のよいところを見、そして子供たちを育んでいくなかに、幸福を見いだしていくことです。妻にないような特色を持った女性ばかりを求めたり、夫にないような性質を持った男性ばかりを求めるような心でもっては、ほんとうの幸福は開けてはきません。
 この「足ることを知る」ということが、ほんとうは人生の最大の幸福を生むことでもあります。ですから、家庭の幸福をしっかり守るということも、現代的「足ることを知る」生活であり、これもまた中道の道である、ということを知っていただきたいのです。
 このような足ることを知る中道の生活をしていますと、いわゆる悪霊の侵入を防ぐことができます。(中略)家庭のなかに魔を入れないこと。それが、永遠に続いていく幸福なる道なのです。それはまた、日々の一つひとつを丁寧に踏みしめていく修行の道でもあると思います。
(197~200ページ)

欲には限りがないが、家庭を崩壊させないために必要なのは、「足ることを知る」生活である。

日々、感謝の気持ちでもって、ともに、互いのよいところを見、子供たちを育んでいくなかに、幸福を見いだしていくこと。

足ることを知る中道の生活をしていると、悪霊の侵入を防ぐことができる。これが、永遠に続いていく幸福なる道である──。

つまりは、家庭を崩壊させないためには、足ることを知る中道の生活が大切なんだってこと、なんですよね!



『心の挑戦』

大川隆法著


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