ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



私って、女同士だとけっこう素直に話できるんだけど、好きな彼には、本心と反対のことばっかり言っちゃうんだよね。どうしたらいいの? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 こういう性格はひとつの癖であるわけですから、それをまず知らなければなりません。
 癖というものは、考え方がひとつの方向にどうしてもパターン化されることを言います。あなたはそういうパターンを、生まれ育ってくる過程で、いつのまにか知らず知らずに身につけてしまったのです。それはパターンですから、あなたが意識し、強い意志でもってそれを変えようと思わないかぎり、どうしてもくり返しくり返し現われてくるものなのです。
 だからまず、「それが自分の癖なんだ。自分の考え方のパターンなんだ」ということを見抜いて、「よし、このパターンを変えるぞ」と心に誓わなければ何事も始まりません。そうしなければ、何度も何度も同じことをくり返してしまいます。好きな人には嫌いだと言い、嫌いな人には好きだと言ってみたり、矛盾したことを言ってあとで苦しむのはあなたです。そして満天の星空を眺めて、「私はなんて苦しい毎日を送るのだろう。世の中には私を救ってくれる人はいないのだろうか」と、はらはらと涙を流すことになるわけです。
 しかし、ほんとうはあなたを救ってくれる救世主が他にいるのではなくて、あなた自身が自分を救える救世主そのものなのです。そしてその方法とは、いま言ったように、心の態度を変えようと決意することなのです。
 ですから、まずつねに自分の感情のブレというものをよく知っている必要があります。そして、「今日はひじょうに感情的に高ぶっているな」と思うようなときには、朝、家を出るときに「今日は言葉に気をつけよう」と、まず思わなければなりません。(中略)
 そして、なにかひどい言葉が出そうになったら、まず深呼吸をするのです。一呼吸をおくのです。まず言葉を出す前に、「ちょっと待て」と思って空気を吸い込んでみる。そして吐いてみる。そしてまだその言葉が出るようなら、出してもいいでしょう。この間わずか二秒か三秒だと思います。その間、ワンクッションおくということ、これが大事です。(中略)
 ただ、一呼吸おいて、そのあいだに「いや、これはやめておこう」という判断が加わったならば、これは天の助けです。あなたの守護霊の助けです。そのときに、ちょっと間をおいて言葉を弱めるとか、言わなくてもよいことは言わない。そのようにすることが大事です。
 もし万一、抑えがきかなくて言ってしまった場合、言ってしまったあとでハッと気がついたならば、家に帰ってからさめざめと泣くのではなくて、その場で、「ごめんなさい。今日は私、どうかしてました」と、ひと言あやまるのです。それによって事態は全然違ってきます。
 たいせつなことは、悩みを長く持ちすぎないことです。その一瞬、一瞬に自分を変えていこうとすることが大事です。
(18~21ページ)

自分自身が、自分を救える救世主そのものなのだと知ること。

自分で自分の心の態度を変えようと決意すること。

一瞬一瞬に、自分を変えていこうとすること──。

まずは思うこと。

そして実行すべきことを、とても具体的に懇切丁寧に教えて下さっています。

このお教えに素直に従って、自己変革して、好きな人には好きだと素直に言える自分になる。

幸せな人生は自分の手でつかめるものだと私は思っているのです。

 

『幸福のつかみ方』

 大川隆法著

 

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もう適齢期をすぎかけてるのにな。大事な仕事もあって、なかなか結婚に縁がないの。これだけ縁がないってのは、もしかしたら、今回の人生では結婚しないことになってるんじゃないのかな。でも、家庭生活が大事なんでしょ、無理にでも結婚しないといけないの? なーんて深刻な悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福への方法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生の幸福には、一時的、刹那的な幸福もあるでしょうが、そうしたものが真なる幸福なのではありません。長く続けていける幸福、そして、あの世にも持っていける幸福こそ大事であるという観点を、いつも忘れないようにすべきなのです。
 家庭のことについて述べましたが、もちろん離婚や再婚をする人も数多くいます。あるいは、独身で一生を送る人も一定の割合で存在します。
 そうした人たちのなかには、魂修行において必要があるために、そうなっている人もいます。その場合には、人と違う人生を生きているということを考えすぎ、悩みすぎるのは、よくないことだと思います。
 「私の人生において、天が普通の家庭生活を許してくださらないのならば、いま与えられている環境のなかで、私はベストの生き方をしよう」という考え方を持つことが、非常に大事なのです。
 この世には、独身の人によって支えられている職業、そうした人がいなくなると成り立たない職業が数多くあります。そうした使命を持った人もいるのです。
 また、何度か離婚や再婚をしても、そのなかで尊い魂修行をしている人もいるので、それが悪いというわけではありません。新しい縁ができたのならば、その新しい縁のなかで、またユートピアを築いていこうと努力することが大事なのです。
(46~48ページ)

大川隆法先生は、全人類を見据えたときに、その大部分の方にあてはまる教えとして、まず、結婚し家庭生活を営むことの大切さを説いておられます。

けれども、一定割合で独身で仕事をしていく人がいることもまた、認めておられます。

そして、離婚、再婚をせざるを得なくなった方の人生も、認めておられるんですよね。

要は、その与えられた環境の中で、ベストの生き方をしようと決意し努力していくことが、とても大切なんだと、改めて納得できた気が私はしているのです。

 

『幸福への方法』

 大川隆法著

 

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ひとり娘なんだ。両親が大好きだし、この両親を置いてお嫁に行くなんて考えられないんだけど、つき合ってる彼もひとりっ子でさ。親は、「養子に来てくれる人が見つからなかったら、もう家にずっといてもいいよ」なんて言ってくれるんだけど、でも彼は好きだし。どうすればいいの? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 感情の問題、いわゆる情の問題は、情で解決をしようとしてもなかなか解決がつくものではありません。
 こういったときには、まったく別の次元から判断をするのがよいと思います。感情の問題を感情で解決しようとするのではなく、感情の問題を、たとえば理性のレベルで、あるいは知性のレベルで判断していくほうがよいと思うのです。(中略)
 そこで私が提案したいことは、あなたが残りの人生をご両親といっしょに暮らすとして、いっしょにいられる時間と、あなたが夫となるべき人と家庭をもって暮らす時間のどちらが長いか、ということを考えなければならないのではないかということです。
 そうしてみると、あなたの夫となるべき人といっしょに生活する時間は、平均寿命から考えて、だいたい五十年近く残されていることになります。この五十年に近い歳月をともに暮らしていこうとするのですから、これは、あなたにとって大きな大きな冒険であるわけです。その相手があなたの意に反する方であったならば、たいへんな苦難困難の人生となることでしょう。
 親がすすめたから、あるいは親の老後の面倒を見てほしいという理由だけで結ばれたご主人である場合、ご両親が健在のうちは、ご両親の意見のもとに結婚したということで自分に言い聞かせることができても、ご両親はやがて亡くなり、地上をいち早く去って行かれる方がたですから、そのご両親が亡くなった後、二十年、三十年、夫とともに生きていくあいだの言い訳はいったいどうなるのでしょうか。
 あるいは逆に、まったく結婚をしないで、自分は両親の老後の世話だけをすると決めていたとしても、ご両親が亡くなった後、あなたはひとりでご両親のことを恨みながら生きていくのでしょうか。いったいどうされるのでしょうか。
 これは年数から言っても、その後の人生の幸・不幸からみても、やはり、あなたがこの人と結婚したいというその気持ちをたいせつにするほうがよいと思います。その心に素直に生きていかれることがたいせつです。(中略)
 ご両親は、最初は反対されるかもしれません。自分たちの老後のことを考えたり、あるいは娘につり合う相手をと一生懸命に欲を出して探しても、なかなか相手が見つからなかったりと、いろいろなことでご両親の悩みもありましょうが、最後はあなたの「幸福」という観点から選ばれたらよいのです。
 そうした判断をしておくと、後にあなたが親になったときに、子供の立場で考えることができるようになり、あなたの子供たちもまた感謝するようになっていくのです。
 親というものは、本質的に子供を愛しているものですから、その愛がほんものであるならば、やはり子供の幸福というものを中心に考えなければなりません。
 ですから、ひとり娘であっても比較的早い時期に「この子の幸福のために道を拓いてあげよう。自分たちの老後のことは、また自分たちの力でなんとか考えていこう」という心の姿勢を確立していくことが、子供たちの幸福にもつながるものであると私は思います。
(77~81ページ)

愛する両親との感情のしがらみで、決断がつかないのならば、感情の問題を感情で解決しようとせず、理性や知性のレベルで判断すること。

そして、合理的に、あなたの「幸福」という観点で考えたほうがよい。

親の愛がほんものであるならば、子供の幸福を中心に考えなければならない──。

なるほど、なるほど、です。

今日もまた、人生の達人の叡知を教えていただいたのだと改めて私は思っているのです。 

 

『幸福のつかみ方』

 大川隆法著

 


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(しゅうとめ)さんと同居してるんだけど、愚痴がいっぱいだし、小言も毎日言われて、もう疲れ果ててるんだ。どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 姑の愚痴、小言を聞かされて参っている人にアドバイスをするならば、一つ目は、「将来の自分の姿を思い描いて、謙虚な態度でいなさい」ということです。(中略)
 「いまは若々しいあなたも、四、五十年もたてば、あなたが嫌悪している姑と同じ年齢に達する」という事実です。その日はそう近いことではありませんが、いずれは必ず来るのです。(中略)
 そして、あなたは自分が若いころにまったく同じことを思っていたのをすっかり忘れて、「息子は恩知らずだ」「娘は世間知らずだ」と、死ぬまで相手を悪く言いつづけることになります。
 人間は常に自分中心に物事を考えるため、立場が変わると分からなくなるのです。「若いときの自分は、まったく同じように思っていた」ということを、数十年の歳月のうちにすっかり忘れてしまい、「自分は一生懸命に子供を育てた。熱心に教育を施した。当然、そのお返しがあってしかるべきであり、子供が私の気に入らない相手と結婚するはずはない」と思うに至ることがよくあります。
 ここで私があなたに学んでいただきたい教訓は、「人間はどうしても身勝手な考え方をしやすく、物事を自分中心に考えてしまいがちである」ということです。(中略)
 アドバイスの二つ目は、「姑は人生の先輩だと知りなさい」ということです。
 男性は社会に出て、会社で上司や先輩にそうとうしごかれますが、女性は、そうした〝洗礼″を受けないままに結婚することも少なくありません。そのため、教育してくれる人は姑ぐらいしかいないことが多いのです。嫁には姑が意地悪に見えるかもしれませんが、それはまた愛のムチでもあります。
 男性が会社で働くとき、「上司が意地悪だから会社をやめる」というわけにはいかないのと同様に、「姑が厳しく接するから嫁をやめる」というわけにはいきません。すべてのものを、魂を磨くための素材として、ありがたく受け取っていくことが大事なのです。
 最後に、もう一つだけ述べておきましょう。結婚の縁は、たいてい、生まれてくる前から決まっています。夫となる人を決めてきているということは、同時に、夫の両親も決まっているということを意味します。これが真実なのです。
 したがって、「嫁と姑の仲は難しい」とよく言われますが、嫁と姑は、実の母と娘よりも関係の深い魂であることが多いのです。それほど深い縁があるということを知らなくてはなりません。
 自分が嫁で相手が姑であっても、来世、生まれ変わったときには、自分が姑で相手が嫁になることもあります。今世で嫁姑の関係がうまくいかなかった場合には、来世で立場が逆になることもあるのです。
 そのときに、はたしてあなたはどのような態度をとるのでしょうか。姑であるあなたが、嫁を見て手放しにほめるかどうか、自分の胸に問うてみていただきたいと思います。
(159~164ページ)

まず、将来の自分の姿を思い描いて、謙虚な態度でいること。

次に、姑は人生の先輩だと知ること。

最後に、霊的には、姑と嫁は、実の母と娘よりも関係の深い魂であることが多いと知ること──。

うーん、すごいアドバイスですよね。

特に、「私は夫を選んだけど、姑さんを選んだんじゃないのに…」と思ってる人へは、三番目でしょう。

実は姑さんと自分の間には、深い深い魂の縁があるのかもしれないって視点を持ったときに、自然に解決していく問題がたくさんあるのかもしれません。

ほんとに深い人生の叡知を、今日は教えていただいたのだと改めて私は感じているのです。

 

『「幸福になれない」症候群』

  大川隆法著

 

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夫が、愛してくれないみたい。もうやっていけないのかな? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生とは、階段の上に生まれ、そこを生活の場としているようなものです。すなわち、そこは階段なので、一歩でも動くとすれば、上昇への道を辿(たど)るか、下降への道を辿るか、この二つしかないのです。
 夫婦が誓い合って結婚したということは、「人生の途上において、二人の階段がどこかで交差し合い、同じ段に二人で並んだ」ということです。結婚後、この二人が進んでいく道は、階段を上るか、下るか、このどちらかしかありません。
 要するに、心が揺れ、判断に迷うときには、「私たちは、いま、階段を上っているのだろうか。それとも、下っているのだろうか」と、自問自答していただきたいのです。
 妻である自分の言うことが、あるいは、夫である自分の言うことが、階段を下っていく行為に相当するならば、それを考え直す必要があります。二人で力を合わせて階段を上らなければなりません。
 片方が上りを目指し、片方が下ろうとしているならば、上っていこうとする者は、決して自分一人だけが行こうとするのではなく、力強くありなさい。そのとき、力が足りないのならば、愛の力を信じなさい。仏の力を信じなさい。そして、言葉によって相手を励ましていくことです。
 家庭愛において大事なことは、言葉による愛です。新鮮で感動的だった出会いのころは、素晴らしい言葉を語ることは簡単だったでしょう。しかし、毎日の生活を経ながら、なおかつ新鮮で素晴らしい言葉を出しつづけることは、難しいことなのです。
 それは、太陽が、毎日、地表を照らしてくれることに対して、人々が、ともすれば感謝を忘れがちであることと似ているかもしれません。太陽は、毎日、東の空から昇ってくれるからこそ、ありがたいのであって、太陽に感謝する気持ちがあるならば、毎朝、感謝しなくてはならないでしょう。
 夫婦も、太陽に感謝するのと同じく、毎日、お互いに楽しく暮らしていけることを感謝し合わなくてはなりません。感謝をし、その感謝を口に出し、言葉としていくことを常としなければなりません。それが大事です。
(92~94ページ)

人生とは、階段の上に生まれ、そこを生活の場としているようなものであって、結婚した2人が進んでいく道は、階段を上るか下るかのどちらかしかない。

片方が上り、片方が下ろうとしているならば、上っていこうとする者は、力強くあれ。力が足りないならば、愛の力を、仏の力を信じ、言葉によって相手を励ましていくことである。

家庭愛において大事なことは、言葉による愛である。感謝し、その感謝を口に出し、言葉としていくことを常とするのが大事である──。

いま、夫婦の危機を迎えているかた。

危機というほどではないけれども、倦怠を感じているかた。

最近は、つれあいに対して、愛の言葉を語っていたでしょうか。

感謝の言葉を、口にしていたでしょうか。

当たり前に感じすぎているとき、感謝を口に出すのは、簡単なことではないと思います。

でも、それをあえて努力し、毎日やってみること。

そうすれば、下りかけていた階段を、2人して上がっている自分を発見することができるってことではないかと私は思っているのです。

 

『限りなく優しくあれ』

 大川隆法著

 


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みんな私の悩み、聞いてくれないの。私を避けて、遠ざかっていくの。なんでなの、ひどいじゃないの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人生の王道を語る』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 過去の不幸というものを抱きしめている人は、結局、幸福になろうと考えていないと言わざるをえないのです。不幸を握りしめて、それを愛しすぎているがゆえに、その人が接触する周りの人びとをも悪い影響で包んでしまうのです。他の人びとがその人と会っていると、心が暗くなってきます。暗い心になってくる。だから、思わず知らず足が遠のいていくようになります。その人と話をしていると、だんだん暗くなってくる。それで遠ざかってゆく。
 そうすると、その暗い話をしている人はどうなるかというと、「私はこんなに不幸なのに、私のことを同情してくれる人はおらず、逆にみんな、どんどんどんどん遠ざかっていく。世の中の人は、なんて冷たい人ばかりなのだろうか。誰も一片の愛もないのだろうか。自分の話に耳を傾けてくれる人もいない。みんな遠ざかっていく」、そのように感じ、そしてさらに不幸の再生産を繰り返していくようになっていきます。
 これなども、心の法則を知らないがために、自分で不幸をつくり出し、悲劇の主人公になっていくタイプと言えましょう。(中略)
 憎悪、嫉妬、不平不満、愚痴、こうしたものがごく自然に心のなかから出てくるとしても、それを放し飼いにしてはならないということです。そうです。心のなかから出る嫉妬だとか、猜疑心だとか、不平不満とか、愚痴とかいう野獣を、放し飼いのごとく口から出し、自分の内から出して、そのままに走らせたときに、その野獣は他の人を害するだけではなく、返ってきて自分自身にも噛みついてくるのです。その事実を知らなくてはなりません。(中略)
 自分がそのような不幸の思いを生産しているなら、そして口からそういう野獣たちを町のなかに放っているとするならば、ここに柵を下ろす必要があります。そして野獣たちを出さないようにしなくてはいけません。そうしないと、その野獣たちが自分にも他人にも悪いことをしていきます。まず柵をして、これを出さないようにしなければいけません。マイナスの思いを、そこでいったん止めなければいけないのです。断固として止めなければいけません。
 過去いかに不幸なことがあっても、それを同情してもらったところで、真なる幸福は決して来ないのです。もし同情されてよろこんでいるようならば、その人は、そうした浅薄なよろこび、浅く薄いよろこびに、その麻薬のような誘惑に勝てなくなって、いつも他の人の同情を引くような生き方をしていくようになります。その結果、自分自身をだめにしていくのです。
 自己憐憫(れんびん)というのは、決してどこへも通じない道であるということを知らねばなりません。
(89~92ページ)

誰かに自分の悩みを聞いてほしいって気持ち、よく分かります。

でも、過去の不幸を握りしめて、自分自身で不幸な思いを生産してませんか?

それは、結局、幸福になろうと考えていないってこと。

幸福になりたいのであれば、まずは、心のなかから出てくる悪しき念いの野獣を、口から出してしまわないこと。

そして、マイナスの思いを、断固として止めること。

それが幸福になるための出発点だってことを、大川隆法先生は教えて下さっているんだと私は思うのです。

 

『人生の王道を語る』

 大川隆法著

 

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あーあ、うちの旦那って、すぐ手を出してくるのよね。もう別れてやりたいんだけど、でも子供がねえ。・・・なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 夫が毎晩、酒を飲んで帰ってきては、妻を殴ったり蹴ったりすることもあるでしょう。こうした場合には、なぜ夫が荒れるのか、その原因を探求してみる必要があります。
 夫が酒乱になって家で暴れるのならば、妻であるあなたのほうにも問題があるはずです。少なくとも理想的な女性でないことだけは間違いありません。山内一豊の妻のような理想的な妻がいて、夫が酒乱になるとは思えないからです。おそらく、妻のほうにも、自分では気づいていない問題がそれなりにあるはずです。
 そうした妻は、たいてい口うるさいことが多く、自分のことは棚に上げて、夫に文句ばかり言います。「あなたはいつまでたっても出世しない。同期の○○さんは、あんなに偉くなったのに」「あなたは稼ぎが少ない。銀行の預金が全然増えない」「あなたは家庭サービスができない」「夜の生活がほんとうに少ない」などといったことをいつも言っているに違いありません。
 そのようなことを言われると、夫はいやなものです。そのため、酒を飲んで気をまざらわし、感覚をマヒさせて帰ってきます。そうすると、妻がいっそう口うるさく言うので、殴ったり蹴ったりしはじめるのです。
 こうした場合に大事なのは、相手を責めるのではなく、まず自分を変えていくことです。夫にとって居心地のよい家庭になるように努力してみることが必要です。
 また、夫の暴力が多い家庭には、もう一つの特徴として、「妻の料理がへたである」という傾向があります。男性は意外に食道楽であることが多く、妻の料理がへたで口に合わないと、家に帰ってきてもおもしろくないのです。そうした人は、夜、酒を飲みながら、おいしいごちそうでも食べているほうが、よほど楽しいのです。
 容姿端麗で、美貌によって夫を喜ばせられる妻はそれでけっこうですが、そうでない妻の場合は、せめて料理の研究でもして、おいしいものを夫に食べさせる工夫をすることです。妻の料理がじょうずになれば、夫は妻の言うことをきくようになります。
 まずいものを食べさせられて言うことをきくのは納得がいきませんが、おいしいものを食べさせられると、しだいに言うことをきくようになるのです。
 日々、おいしい料理をつくれるように工夫してみることです。そうすれば、夫は意外に変わってくるだろうと思います。
(197~200ページ)

なぜ夫が荒れるのか、その原因を探求してみる必要がある。

妻である自分のほうにも問題がないかを考え、まず自分を変えていくこと。

居心地のよい家庭になるように努力し、日々、おいしい料理をつくれるように工夫してみること──。

もちろん、DV(ドメスティック・バイオレンス)の被害にあっている方、本当に毎日がおつらいと思います。

でも、相手の行動や心を変えることは簡単にできるものではありません。

そんなとき、自分のできる範囲で、自分のあり方を変えてみるだけで、あっと言う間に事態が改善することがあると、大川隆法先生は教えられます。

まさに人生の達人が示される叡知ではないかと私は思うのです。

 

『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著

 

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結婚相手は、天上界で生まれる前に約束してるって教えがあったと思うんだけど、でも、私の相手って、どう考えても、約束してきてないんじゃないかな。間違って違う人と結婚しちゃったんじゃないかなあ。 なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、人生の発見 説法自由自在①(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 高級霊たちの考えというのも、やはり自由意思というものにひじょうに大きなウエイトをおいているのです。高級霊たちから見て、「こういうふうな人生を生きなさいよ。」と言いたいけれども、本人がどうしてもという場合、それはやはり本人の意志のほうに任されるのです。そして、そのかわり、その運転の結果は自分で責任をとりなさいということなのです。高級霊たちは、まっすぐ道路を走りなさい。」とよく言うのですが、どうしても右に曲がりたいっていう人がいるのです。その場合ハンドルが動かないようにするかといったら、そうはしないということです。
 ですから、運命論というのも人間心ではなかなかわかりません。たいていの場合、あの世に還ってはじめてそうだったかということがわかるのです。
 ですから、生きていく過程において出会った人、それぞれとやはり縁があると思って、その縁をいい原因をつくるために、いい結果が出るように、来世においても今世においても、まずいい種蒔きのつもりでいい人間関係をつくっていくことです。自分と出会う人は、まあ広い意味ではみんななんらかの縁生はありますから、そのように考えてください。広い目で見れば、同時代の日本に生まれるということだけでも、そうとうの縁生があるわけです。ですから、そのなかで、ましてや自分の親族になったりするような方というのは、そうとうなにかの縁があると考えていいと思います。(中略)
 やはり縁というものを考える、仏教的な東洋的な考え方のなかには、人生のひとつの真理というものがあるように思います。ただ、それで挫折したとしても、人生にはいくつか選択の道はありますので、それをまたつきつめていってください。いたるところに幸せの種はあると考えていただいてけっこうだと思います。
(68~70ページ)

天上界での約束を守れるような守護・指導霊の指導があったとしても、この世の自分の考えでそれに従わず、約束を破ってしまうこともあるが、その霊的真実は、あの世に還らないとわからない。

今の相手が約束してなかった人であっても、相当な縁がないと結婚まではいかないものだし、そうでなくとも、新たな縁が生まれたのだから、その中で努力を重ねていくべきである。

かりに今回の結婚で挫折したとしても、また別の道を探せばよいのであって、いたるところに幸せの種はあると考えてよい──。

順調な結婚生活も、またそれがうまくいかなかった場合であっても、それはそれで新しい経験をしたのであって、それが「魂の糧」を得るための今世の人生修行というものだ、と。

つまりは、天上界での約束があったかどうかにこだわる必要はない、ということなのでありましょう。

ほんとうに、仏の教えは、縦横無尽だし、いろんな観点から学べるものだと改めて私は感じているのです。

 
『人生の発見 説法自由自在①』

 大川隆法著

 

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大学で田舎から出てきて、だいぶたつんだけど、どうしても都会の生活になじめないんだ。いっそ田舎に帰ろうかなあ? なーんて悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 都会になじめない女性というのは、結論を言えば、純朴で、染まりきらない女性であるということなのです。純粋さがあるということです。魂に純白の輝きがあるということなのです。これは、ある意味においてはひじょうに大切なことです。
 私はむしろ、「いや、都会になんか染まってほしくない。都会に住むのは仕事上やむを得ないけれども、その地方の純粋な雰囲気を、どうかとどめておいてほしいものだな」と思います。
 世の中には似た者同士がいるもので、あなたのその地方出身の純朴な雰囲気、あるいは魂の汚れのないその輝きに魅かれて、「ぜひとも僕の奥さんになってください」と言ってくるような男性はかならずいるのです。そしてその方は、かならずしも都会出身ではなく、地方の出身で大都市に住んでいる男性かもしれません。
 そうした男性のなかには、都市型女性に辟易(へきえき)して、もうどうしたらいいのかわからないという方もいるのです。そういう男性は、あなたのような純粋さを持っている女性に出会うと、ほんとうに砂漠でオアシスを見つけたような思いをするものです。
 あともうひとつだけつけ加えておくならば、都市型生活に順応している女性は、結婚した後ほんとうに家庭生活でうまくいくかというと、かならずしもそうならないのではないかな、と私は思っています。結婚前にチヤホヤされた女性が、結婚してみるとなかなか家庭生活がうまくいかないということはよくあります。
 都市型女性の代表的なものといえば、たとえばブラウン管やいろいろな雑誌で活躍しているような、頭もよくて、見栄えもいい女性などがすぐ想像されます。ところが、こういう方が家庭生活においてかならずしも大成功するわけではありません。
 純朴な心を持っている人は、結婚前にはそれほど優遇されない、チヤホヤされないことがあるかもしれません。ところが、そうした人が実際に家庭に入ってみると、なかなか粘り強く、また向上心があり、努力しようとする心があるので、むしろ結婚生活がうまくいくことがあります。
 それは、結婚のときに自分が最高だと思っている女性、キラキラと光を放っている女性と、「まだまだ自分は最高ではない。これから努力していかなければ十分な女性には成長できない」と思っている女性との違いと言ってもよいでしょう。
 自分はまだまだこれからだ、と思っている人には、無限の可能性があります。あなたには変化していく勇気と、変化していくチャンスが与えられているのです。その純粋さを無駄にすることなく、コツコツと努力して自分を変革する強さにしてください。かならずやあなたは人生の最終的な勝利者となれるでしょう。
(132~135ページ)

都会になじめなくても、むしろそういう女性をこそ求めてる人もいる。

そういう女性は、家庭に入ったとき、むしろうまくいくことがある。

自分の強みを生かし、コツコツと努力して、自分を変革する強さにしていくこと──。

うん、とっても勇気がわいてくるお教えをいただいたのではないかと私は思っているのです。 

 

『幸福のつかみ方』

 大川隆法著

 

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夫の両親と同居してるんだけど、姑(しゅうとめ)が口うるさくって、嫌で嫌でしょうがないの。どうしたらいいの? なーんて不満を抱えた人って、多いんじゃないかな?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 あなたが南海の孤島で生きるのならばともかく、人間社会のなかで生きる以上は、なんらかの縁というものは無視できないのです。これはやや運命論的になるかもしれませんが、あなたの結婚相手が前世において定めた〝運命の人〟であるならば、あなたはその人の家族とも、魂的にはなんらかの関わりがあると考えなければなりません。
 前世、前々世、さらにその前の前世において、かならずや、どこかであなたとも縁のあった人たちであることは、たしかなのです。どこかで友人であったり、親であったり、兄弟であったり、親戚であったり、あるいは職場の同僚であったり、いろいろな親密な縁があったことだけは間違いがありません。
 また、嫁と姑の軋轢(あつれき)というものは、よく言われることですけれども、魂的に見たならば、嫁と姑というものは、ひじょうに縁が探いものなのです。魂的には、切っても切れないほどの深い縁があることが多いのです。
 というのは、自分の実の母親というものは、生まれてから二十数年間、自分を育ててくれた、いわば教育者であったわけですけれども、嫁入り先の姑というのは、嫁に行ってからのあなたを、また何十年か教育してくれる方であるのです。ですから、あなたには、ふたりの偉大な教育者が生まれつき待っていたと考えなくてはなりません。
 実の母は、生まれてから成長するまでのあいだ、すなわち、あなたが自分の意志でどうにもできない段階での教育者でありましたが、夫の母というものは、あなたが大人になって、一人前の判断力を備えた後、あなたを教育すべく現われてくる人でありますから、これはあなたが自主的に選んで入る師弟関係にも似ていると言ってよいかもしれません。
 ここで感情的な反発が起きるのは、よく知られていることですが、たいていの場合、あなたの姑になる方が、あなたよりもはるかに人生経験も多く、いろいろなことを知っているがために、あなたのやっていることが危なっかしくて見ていられないということが多いように思うのです。そういうときにあれこれと注意をしたくなるわけで、注意をされたほうは新入社員のようなものですから、一つひとつがひじょうにこたえる、こういうことが魂の葛藤になっているように思います。(中略)
 さまざまに窮屈な思いをすることもありましょうが、それはあなたが実社会で訓練されるのと同じような魂の訓練をしているのだと思わなければなりません。ですから、いろいろな環境が出てきても、すべてをみずからの向上のために役立てようと思うことです。
 それと、舅、姑、あるいは小姑と、いろいろ出てくるでしょうけれども、どの人にもそれぞれよいところはあるものです。ですから、「長所とつき合えば悪人はいない」と言われるように、それぞれの人の持っているよいところを学ぼうという心で接していますと、自然自然に、あなたにとっては勉強になりますし、また、先生役になっている人たちも、勉強されていると思えば、あなたにはなかなか健気なところがあると感心してくれるものなのです。どうか知恵を磨いてください。
(93~96ページ)

結婚相手が〝運命の人〟であるならば、姑(しゅうとめ)も魂的には、切っても切れないほどの深い縁があることが多い。

窮屈な思いをすることがあるのは、実社会で訓練されるのと同じような魂の訓練をしているのだと思わなければならない

「長所とつき合えば悪人はいない」のであって、よいところを学ぼうという心で接して、すべてをみずからの向上のために役立てようと思うことである──。

大川隆法先生は、要は、魂の縁生という霊的観点を踏まえて、魂修行だと思ってのぞむことだというアドバイスをしてくださっているのだと私は思うのです。

 

『幸福のつかみ方』

 大川隆法著



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男の人はいいなあ。女に生まれた以上、毎月毎月、生理があって、体調が悪くなるし、感情も揺れやすいし、ほんとに不便なのよね。なんで女性には、こんな面倒なものがあるの。神さまって、何考えてんのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『運命の発見 説法自由自在②』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 さて、女性がなぜそういう生理現象というハンディを背負っているのかということですが、そのなかに、やはりなんらかの魂の学びがあることは事実だろうと思います。(中略)
 女性であるということで、男性と違ったハンディはあると思います。さらにいうならば、出産まで一年近くおなかのなかに子供がいるということ、これも厳粛な事実です。(中略)また、子供が生まれてから成人するまで二十年近い歳月がかかります。動物のなかには、二十年もかかって大人になるような動物はありません。たいていの場合、動物たちは生まれてすぐ動けたり、あるいは一年もすれば大人になります。しかし人間は二十年もかかります。このへんに何かひとつの計画があるということを知らねばならないと思います。
 すなわち、女性が子供を産み、育てるという過程において、それが神聖な仕事であり、大変な仕事であるということを教えるしくみが働いているように思うのです。(中略)
 ですから、女性がひじょうに不便に見えるようであっても、それは結局のところ、それだけの苦難、困難、あるいは生理的な不安感を通り越しながら、「人類の生命を維持していくという聖なる仕事をしているのだ。」ということを自覚してほしい、こういう意味あいがそのなかにあるのではないかと感じます。(中略)
 そういう情緒不安定になるようなことが現象として起きるがために、それが原因となって、女性の繊細さ、優美さが出ていることも事実であろうと思います。また、そうしたときに自分を内省的に観るという機会を与えられていることも事実です。
 また、子供の魂が肉体に宿るということをとってみれば、女性のほうが男性よりもはるかに霊的な存在であるといえます。(中略)
 その反面として、ナイーブな面、繊細な面というのがずいぶんあります。それを悪い面として見れば、情緒不安定とか、犯罪が起きやすいとかいえるでしょうか、いい面として見れば、心のひだがそれだけ深いわけであり、いろいろな人の感情がわかり、芸術や美、文学、こういうものを味わうだけの力があるといえるのです。
(52~56ページ)

神仏の偉大な計画があって、出産と育児のプロセスの神聖さが人間に教えられている。

これを前提として、女性の体の仕組みとか特質とかがあって、女性の生理もその一つである。

その結果として、女性だけに与えられている大切な長所、つまり繊細さとか優美さ、心のひだが深くて芸術を味わう力などがある──。

このように教えていただいたとき、一見めんどうであっても、そのありがたさが改めて少しずつ見えてきた気が私はしているのです。

 

『運命の発見 説法自由自在②』

 大川隆法著



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この人が、私の約束してきた人だって、結婚することにしたんだけど、それだけでうまく行くのかなあ。何かアドバイスってもらえないんかなあ? なーんて不安に思っている婚約中の方、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 結婚当初の段階ではハッピーであっても、あとで挫折していく人、難破していく人がいると思います。いちばん難破しやすい人というのは、「男女というのは鍵と鍵穴のようなものであって、どこかに自分とピッタリ合う人がいるはずだ。そういう人と結婚すれば自分は幸福になるが、そういう人でなければ不幸になる」という考えを持っている人です。このように、ある程度、人間をモノのように考えている人の場合は、失敗することが多いのです。
 「Aさんなら自分を幸福にできるが、Bさんならできない。ところが、たまたま間違えてBさんと結婚したから、自分は不幸なんだ」という考え方をする人は、必ずどこかで家庭生活が破綻するようになっていきます。
 自分とピッタリ合う人というのは、つくっていくものなのです。最初からピッタリ合う人がいて、そのまま一生いけるというものではなくて、つくっていくのです。ある程度の許容限度内に入っていれば、あとは、合うタイプというのは、つくっていかなければいけないのです。
 したがって、「相手が自分と合わないのではないか」と思う前に、「何か工夫が足りないのではないだろうか。何か発想が足りないのではないだろうか。もうひと工夫あるのではないだろうか。何か欠けているところがあるのではないだろうか」ということを常に探究してほしいと思います。ピッタリ合う相手はつくっていくものだということです。
 女性は女性で、自分が相手についていけるようにしなければいけないし、男性は男性で、女性を理解してあげる方向に努力しなければいけないのです。この考え方を大事にしてください。
 絶対に合わないという人は、意外にそう多くないのです。ある程度までいっていれば、あとは努力で乗り切れるのです。何度か危機がありますが、危機のところは、努力し創意工夫をすれば乗り切っていけます。どうか努力を忘れないようにしていただきたいと思います。
(164~166ページ)

いくら「赤い糸」で結ばれた人であったとしても、それでも結婚生活には互いの努力が必要だってこと。

霊的世界を信じていて、あの世での結婚の約束があることをしっかり信じている人も、おられると思います。
 
今日ご紹介したところは、そんな宗教的な方に対してというだけでなく、またこれから結婚する人にも、すでに結婚している人にとっても、得難い人生の叡知を教えて下さっているのだと私は改めて感じているのです。

 
『常勝思考』

大川隆法著

 

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うちの夫、最近、わたしに対する愛情って、目に見えて減ってるのよね。帰りが不自然にいつも遅いし、わたしの誕生日忘れてたなんて、初めてのことだったし。やっぱり、外に女ができたりしたのかしら。あーあ、どうしよう? なーんて深刻な悩みをもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福のつかみ方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 浮気の兆候を感じたり、あるいは夫の愛情が減ったというふうに感じはじめたら、現実にそういう事態が起きる前に予防措置として、自分のほうをもう一度点検してみることです。夫に対してなにか尽くし足りないところはないか、あるいは結婚生活も何年かたって、自分がもう飽きられてきているのではないか、あるいは新鮮味がなくなってきているので、なにか少し違ったことをしなければいけないのではないか、こういうことをまず考えてみられるほうがよいかもしれません。(中略)
 神様は罪つくりなところがあるのか、太古より男性を飽きっぽくつくっております。男性というのは、つねに新しい刺激を求めるようになっています。(中略)男とはそのようによく気が変わり、また飽きっぽいところもあって、つねに新しい獲物を追いかけたがる存在だということも、まずは知っておいたほうがよいでしょう。
 そうしてトータルな面で、全人生において自分が幸福になるためには、夫をどのように上手に操縦するか、それを考えなければならないのだと私は思います。
 たまに事実として浮気が起きることがあっても、男性にとっては「はしか」のようなもので、一時期の遊びで過ぎていくことはよくあります。そうしたときに、生きるか死ぬかというような大騒動を起こすのではなくて、二十年、三十年の人生の荒波をともに越えていこうと誓った二人であるならば、どのような嵐の日にも、なんとか頑張って帆を張っておこうと努力してほしいのです。その努力は、報われる日がかならずきます。
 どうか刹那(せつな)的な衝動に走らないでください。「彼が浮気するなら私もするわ」というふうに相手を裁き、自分もまた破滅への道を歩む人も世の中にはいますが、そういうことをした場合には、まず後戻りすることはできなくなります。嵐になって少々風が吹き、雨が降り、そして波が荒れても、嵐というものはかならずや一晩、あるいは二晩、三晩でおさまり、そう長くは続かないものです。
 結婚というものは一種の船出ですから、次の港にはいるまで、そして最終目的港に着くまでにはいろいろなこともあるだろうけれども、「いったん船出した以上は、もう船から降りることはできないんだ。目的地まではしっかり行こう」と思って、歯をくいしぼることです。
 夫がもし悪いことをしたならば、かならずや彼も反省することがあるでしょう。そのときに、以前にも増して光り輝いたすばらしい夫になることもあるでしょう。
 そのあいだこそ、あなた自身の忍耐と自己変革の努力というものが求められていると思います。
(27~30ページ)

男とは、つねに新しい獲物を追いかけたがる存在だと、まずは知っておくこと。

トータルで幸福になるために夫をどう上手に操縦するかを考え、どんな嵐の日にも、なんとか頑張って帆を張っておく努力をすること。

あなたの忍耐と自己変革の努力は、かならず報われる日がやってくる──。

人生の旅には、いろんなドラマがあるんだと思います。

その一夜に出会った大嵐も、がんばって乗り切ることができた朝には、また素晴らしい大海原が目の前に広がっている。

そんな明るいイメージが浮かんでくるお教えとして、改めて私は学ぶことができた気がしているので。

 

『幸福のつかみ方』

 大川隆法著

 

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付き合ってるときはよかったんだけど、結婚してみると、ダンナと、ぜんぜん意見が一致しないんだよね。約束してた人じゃなかったのかな。もう疲れちゃった。別れちゃおうかな。・・・なーんて悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 生まれてくる前に結婚を約束した相手であっても、地上で、二、三十年、生きてきた過程で、家庭環境や教育環境、生活環境、その他によって、自分とは、ずいぶんと考え方が違ってきています。そのため、相手の考え方の一つひとつが不思議に見え、違和感があるかもしれません。
 二、三十年かかって形成されてきたものを抜き去るには、同じだけの歳月が必要です。それなくして、夫婦のあいだで価値観が見事に一致するということは、なかなかないはずです。
 ただ、私はここで特に述べておきたいことがあります。
 価値観、考え方が自分と一致する者を受け入れることは、極めてたやすいことであり、自分と意見の合う人と一緒に仕事をすることも、自分と気の合う人と友達になることも、すべての考え方が自分と一致する人と夫婦になることも、簡単なことです。
 しかし、考えてみれば、夫婦生活は、極めて長い時間、地上での経験を二人で共有するものです。ある意味では、職業において経験する以上の時間を、二人で共有し合うことになるかもしれません。この時間のなかに、学びがまったくないならば、その人生は不毛ではないでしょうか。
 ゆえに、相手のなかに自分とは異質なるものを発見できたならば、それを喜びとすべきではないでしょうか。また、それを自分の反省材料とすべきではないでしょうか。自分にない考え方を相手が持っているというのは、素晴らしいことではないでしょうか。私はそう思うのです。
 相手の考えと自分の考えは、時と場合により、また、対象となる人により、結論を異にすることはあるでしょうが、「そのなかで、いちばんよいものを選んでいく」というやり方は、実社会のなかで、よりよき生き方をする方法と、極めて似ていると思います。
 夫婦生活は、「夫婦が話し合いによって結論を出していく」という生き方ですから、「夫婦の生活は民主主義の第一歩である。まさしく民主主義の基礎が夫婦生活のなかにある」と言ってもよいでしょう。
 妻と夫の意見がいつも合うということは、極めてまれなことです。そして、あるときは妻が勝ち、あるときは夫が勝つことになるわけですが、共に、それを感情的に受け止めることなく、二人の生活にとって、よりよい方向を目指していくことが大切です。
 妻の意見に従ってみて、うまくいったならば、夫は妻に対して、「やはり、あなたは賢い人であった」と、ほめ言葉を言えばよいのだし、うまくいかなかった場合には、妻は夫に対して、「私のほうが間違っていました。あなたの考えでやり直しましょう」と言えばよいのです。
 このような試行錯誤は、いかなる世界においてもあることです。ゆえに、「相手の言葉によく耳を傾ける」という性質を大事にしなければいけません。
(87~90ページ)

妻と夫の意見がいつも合うということこそが、むしろまれなのだ。

民主主義の基礎が夫婦生活のなかにあると知って、日々の夫婦生活のなかで学び、努力していくこと。

相手の言葉に耳を傾け、ともによりよい結論を、話し合いのなかで見つけ出そうとしていくこと──。

ここでは、夫婦とは何か、夫婦生活とはどうあるべきかについて、仏の叡知の一端が示されています。

この教えを信じ、実践して、幸福な夫婦生活をつかみたいものだと私は思うのです。

 

『限りなく優しくあれ』

 大川隆法著

 

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なんで私って、女に生まれたんだろう。男に生まれたかったな。自分の魂は、絶対に男だと思うんだけどなあ。・・・なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『信仰告白の時代』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 いま女性に生まれているのは、それだけの理由があるからです。したがって、「私は男性に生まれたかった」といくら言い張っても、それでは人生において、おそらく合格点はもらえないと思います。また、「私は女性として生まれたかった」という男性もいるかもしれませんが、いくらそう思っても、やはり合格点は出ないでしょう。「いま与えられているもののなかに、自分がやるべきことがあり、そこに仏の御心が現われているのだ」と思って、それを最大限に光らせていくことが大事なのです。
 人間には「魂の兄弟」というグループがあり、そのうちの一人が順番にこの世に生まれ変わってきて、人生経験を積みます。そして、あの世に還ると、その経験をグループのメンバーで共有し合っているのです。
 それはちょうど、手の五本の指と掌のようなものです。親指、人指し指、中指……と、指は違っても、全体が一つの手です。掌が魂の兄弟の本体で、そのほかに、短いけれども太い親指、ちょっと長い中指、かわいらしい小指など、こうした魂の兄弟がいるのです。そして、何かをつかむということを手全体でしているように、魂のグループ全体で経験を積んでいます。魂の転生輪廻をしながら、いろいろな人生経験をしているのです。
 私は、いろいろな人の過去世、つまり魂の兄弟を見たことがありますが、だいたい八割から九割の人は、男性は男性、女性は女性です。それが、やはり非常に多いのです。ただ、よく調べてみると、なかには、男性霊のグループのなかに女性霊が入っている場合もあるし、逆に、女性霊のグループのなかに一人や二人だけ男性霊が入っていることもあります。それぞれに何らかの魂修行の目的があって、そのような構成になっているのだと思います。
 したがって、どうしても、いま女性であることが納得いかない、あるいは男性であることが納得いかないという人は、転生の過程で、逆の性で生まれ変わることも可能ですから、実験したらよいと思います。
 しかし、今世、男性あるいは女性に生まれたならば、その性に基づいて、自分の今世の使命を果たしていくことが大事だろうと思います。
(170~172ページ)

ちょっと男っぽいという特徴をもっているのかもしれない。

けれども、今世、女性に生まれたというのは、何らかの魂修行の目的があって生まれてきたのだ。

だから、女性としての自分を最高に輝かせて、今世の使命を果たしていくことが大事である──。

大川隆法先生は、そういうふうに、力強く教えて下さってるのだと私は思うのです。

 

『信仰告白の時代』

大川隆法著

 

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