ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



いやあもう、人間関係ってほんとにむずかしいよね。いやになっちゃった。どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心を癒す ストレス・フリーの幸福論』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間関係で悩んでいる人たちに、最初に言っておかなければならないことは「ものの見方」についてです。すなわち、「物事を見るときの見方や感じ方は、本当に人それぞれであり、誰もがまったく同じではない」ということです。そして、ここから人間関係の問題のすべてが始まっているのです。
 これについて、たとえ話を紹介しましょう。
 アメリカで、アルコール中毒の患者たちを更生させる仕事をしている人が、セミナーで次のような実験を行ったそうです。
 その講師は、まず、コップを二つ用意し、片方には真水を入れ、もう片方には、濃度の高いアルコールを入れました。そして、水の入ったコップに、ミミズを一匹入れたところ、ミミズは元気に外へ這い出してきました。そのミミズを捕まえて、今度は、アルコールの入ったコップに放り込んだところ、ミミズは、しばらくすると死んでしまったのです。
 そこで、セミナーの講師は、アルコール中毒患者に、「みなさん、どうですか。この実験から何か学ぶことはありますか」と訊きました。
 もちろん、その講師は、立場上、「アルコールは、生き物がたちまち死んでしまうほど有害であり、怖い毒物でもあるのだ」ということを印象付ける目的で質問したわけです。
 ところが、患者の一人から、「アルコールを飲めば、お腹のなかの虫を殺せることが分かりました」 という返事が返ってきたのだそうです。
 確かに、そういう考え方もあるでしょう。「ミミズが死ぬぐらいだから、アルコールを飲んでいれば、お腹のなかの虫も死ぬだろう。常にお腹の消毒ができてよい」という考え方もあるわけですね。(中略)こういうところから人間関係のすれ違いは起きてくるのです。(中略)
 人は、同じ事実を見ても、それぞれ、違った解釈をします。特に、手の焼ける人は、エゴイスティックというか、自己中心的に物事を考えるようなタイプです。こういう人との人間関係の調整は困難を極めます。
 アルコール中毒患者の話を笑い話として紹介しましたが、そういう「同じ事実に対して、まったく違う解釈をする人」は現実にいます。したがって、「好意をもって相手に接したとしても、相手がそう受け取らない場合もある」ということを知らなければなりません。(中略)
 ただ、「いろいろな見方がある」ということ自体は許容しなければいけません。「他の人の見方や感じ方は自分と同じではない。同じ事実に対しても、いろいろな見方がありうるのだ」ということを知らなければいけませんし、それを知ることが、その人自身の認識力の大きさ、あるいは、他人に対する寛容さや包容力につながっていくのです。
 ところが、「自分の見方がすべてであり、それ以外の見方はないのだ」と思いすぎると、人間関係を向上させていくのは極めて難しいと思います。
(62~66ページ)

物事の見方や感じ方は人それぞれであり、人は同じ事実を見てもそれぞれ違った解釈をするのであって、好意で相手に接しても相手がそう受け取らない場合もある。

ここから人間関係の問題のすべてが始まっているのであり、この事実を知ることが、その人の認識力の大きさ、他人に対する寛容さや包容力につながっていく。

逆に、自分の見方がすべてであり、それ以外の見方はないと思いすぎると、人間関係を向上させていくのは極めて難しい──。

なるほど、なるほど、と深く腑に落ちるお教えです。

なぜあのとき、友だちとの関係が壊れてしまったのか、今の今までわからなかった謎が、いま解けた気がします。

仏によるこの深いアドバイスを素直に受け入れることで、誰もが人間関係をよりよくしていくことができること間違いなしだと私は思うのです。
 

 

『心を癒す ストレス・フリーの幸福論』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




老子ってさ、「無為自然」って教えたなんて聞いたことがあるんだけど、ほんとはどんなこと考えてたんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『老子の復活・荘子の本心』(幸福の科学出版)で、天上界の老子の言葉(霊言)を、こう伝えておられます。

 ここ(幸福の科学)で「心を支配しよう」なんていうことを教えとるんだろうから、あんまりそれを否定すると、わしの霊言がボツになるので、まあ、それは否定しちゃあいかんが、「コントロールしよう」と思うところに苦しみが生まれるわけよ。
 もう「自由に解き放つ」のがいいのよ。思いのままに生きたらいい。「ほかの人がどうしているか」は、どうでもいいのよ。
 「ほかの人がこうしているから、自分もそうしよう」なんて思うところに苦しみがある。これが現代の病のもとだ。それでストレスになって、ガンになったりして死ぬんだよな。
 だから、根本に立ち戻れば、そういうことはあきらめて、「わが道を行く」という思想が大事なんだよ。
 人は人、我は我。別の道を歩んでおる。その「偉大なる無為の大道」を歩むことだ。
 「無為」って分かるかな? 「何にもしないで生きていけるのが最高だ」という意味だ。(中略)
 さあ、困っただろう。あなたがたが教えようとしていることは“邪教”だ(会場笑)。中国の警察は取り締まらなければいけない。そんなものが流行ったら、中国人が早死にしてしまう。これは“敵国の謀略”だ。そういう思想が入ったら、みな、あくせく働いて、努力して、死んでしまう。病気になって死ぬんだ。
 わしの思想を信じとれば、何の病気もなく、悩みもなく、憂いもなく、ただただ何もしないでも幸福な生活が送れて、いつの間にかあの世に羽ばたいていける。素晴らしいなあ。
 まあ、春の日のひばりのようなもので、ひばりは花粉症を知らないから幸福なんだ。花粉症を教えてやると不幸になるんだよ。
 だからね、「知らない人」は幸福で、「知った人」は不幸になるんだよ。余計なことは知らないのが、いちばんなんだ。要は、余計なことを教えすぎるんだよ。
 例えば、「菌」なんかがあるのを知らないころのインド人は幸福だったんだよね。インド人は、汚い生活をしていても、菌の存在を知らないうちは幸福だった。しかし、「黴菌というものがあって、それが病気のもとだ」なんていうことを、最近、西洋からいろいろと教えられて、みな、だんだん不幸になりつつある。
 中国人にも、ちょっとそういうところが出てきつつあるね。欧米の思想や日本の思想が入ってきて、「農作物に農薬をかけたらいけない」だとか、「何々は体に害がある」だとか、細かいことをいっぱい言われて、みんな困っとるのよ。ああいう思想を入れてもらうと不幸になるから、入れてほしくないのよ。
 あなたね、野菜なんていうのは、昔から肥を掛けて(栽培したものを)食っとったんだから、そんなもん、どうってことないのよ。だから、そんな「菌」なんて恐れてちゃあいけない。
 あ、悪かったかね、こんな話は。まだご飯前かね、君らは(会場笑)。
(41~45ページ)

コントロールしようと思うところに苦しみが生まれるから、自由に解き放つのがいい。

人は人、我は我。ほかの人がどうしているかは、どうでもいい。思いのままに生きたらいい。

何にもしないで生きていけるのが最高であって、その「偉大なる無為の大道」を歩むことだ──。

「対機説法」という言葉が思い浮かびます。

老子は、現代日本の言葉で、とても楽しい語り口で説いて下さっているわけですが、なんとわかりやすい話でしょうか。

まさに老子その人であるからこそ、現代ではよく分からなくなっているその思想のエッセンスの部分を、こんなふうにやさしく、しかも手みじかに説いてくださっているのだと私は思うのです。
 

『老子の復活・荘子の本心』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )




前回、「心の中にどのような種子をまくかについては、十分に注意深くあってほしい」と教えていただいたと思うよ。で、どんな思想の種子を心の中にまけばいいの?

幸福の科学の大川隆法先生は、『Think Big!』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 若いころには、感性が豊かで、感受性が強いため、いろいろなものを感じやすいものです。特に、悲しいことや悲劇的なこと、不幸なことに対して、ものすごく感応しやすいので、注意が必要です。
 例えば、肉親の死や事故、病気など、身近で経験したことに非常に影響を受けやすいのですが、その影響が長く続くのは、あまりよいことではありません。不幸なことに、あまり反応しすぎると、心のなかに、不幸を愛する傾向性が出てくるようになります。つまり、不幸のなかにいないと、自分が自分でないような気持ちがして、安心できなくなってくるのです。
 若いときは、感性が豊かな時期であるからこそ、ネガティブ(否定的、消極的)な発想や思想、考え方などが心のなかに入り込んできたら、そういう考え方が根を下ろさないように気をつけなければいけません。(中略)
 人間は同時に二つのことを考えることができないので、否定的な考え方に代わるものとして、その正反対の考え方を、努力して入れていくように工夫すべきです。
 何か否定的な考え方が出てきたら、「そうは言っても、こういう考え方もあるのではないか」というように、逆の見方をして、それを肯定的で積極的なものの見方に変えていくのです。
 「これはピンチだけれども、考えようによってはチャンスかもしれない」「あの人は私のことをとても悪く言い、批判するけれども、言っていることは当たっているので、これは自分の欠点を直すチャンスかもしれないし、もしかしたら、あの人は私を教育しようとしてくれているのかもしれない」というように、考え方や受け止め方を変えてみることが大事です。
 そのように、本当は人生の試練と受け取れるようなものであっても、もっと肯定的で積極的なものに考え方を変えていくことはできるのです。考え方の種が肯定的で積極的なものであれば、未来に花咲き、実るものも、必ず、その延長上にあります。
 常に、そういう考え方を持つように努力していただきたいのです。
 伸びていくものに対しては、やはり抵抗があるものです。周りから批判をされたり、押さえつけようとされたりすることがあります。(中略)しかし、あの竹の子の姿を見てください。竹の子は、場所を選ばずに、いろいろな所から出てきます。床の下から床を突き破って伸びてくるほどの、非常に強い力があります。
 竹の子のように、グイグイ伸びていこうとする力を持つことが大事です。「とにかく、伸びていこう。成長していこう」と強く思うことが、未来を拓くことにつながっていきます。
 その際に、若い人の感受性の強さから来る不幸感覚やダメージなどから、立ち上がる力を持つことが大切です。(中略)
 一晩寝たら、翌日には元気に立ち上がることです。そのように、新しい力を得て、何度でも立ち上がる力、リバウンドする力を持つことが大事なのです。
(35~40ページ)

若いころには感性が豊かで感受性が強いが、不幸なことに反応しすぎると不幸を愛する傾向性が出てくるから、ネガティブな発想や思想、考え方などが心のなかに根を下ろさないよう気をつけなければいけない。

人は同時に二つのことを考えることができないので、正反対の肯定的で積極的なものの見方を常に努力して入れていくように工夫すれば、未来に花咲き実るものも、必ずその延長上にあることになる。

その際、不幸感覚やダメージなどから何度でも立ち上がる力、リバウンドする力を持つことが大切であって、一晩寝たら、翌日には元気に立ち上がることである──。

何という、前向きに、そして積極的に、人生を切り拓いていけるお教えでしょうか。

若いうちからこの教えを素直に受けいれ、自分の心にまく種をコントロールすることができたならば、その人は偉大な人生を歩むことができること必定だと、私はほんとうに心の底から思うのです。

 



『Think Big!』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




芥川龍之介の短編小説って、なんだかリアルで、とても読ませる名作が多いよね。あれって、もしかしてその世界に同通して書いてたりしたのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『芥川龍之介が語る「文藝春秋」論評』(幸福の科学出版)で、その芥川龍之介自身の言葉(霊言)を、幸福の科学の里村専務理事との対話の形で、次のように伝えておられます。

里村 今は、「霊界にいる」という認識はお持ちなのでしょうか。
芥川龍之介 当ったり前じゃないかよ。そりゃあ、俺が書いたものを見たら分かるでしょう?霊界を信じてなくて、あんなものを書けるわけがないでしょう?(中略)
 私は別に無神論者じゃないですからね。信仰心だって、ないわけじゃないし、霊界も信じていたし、いや、むしろ、「研究していた」と言うべきだろうからね。霊界は、やはり、インスピレーションの源だからねえ。
里村 それでは、生前、霊能力がおありだったのでしょうか。
芥川龍之介 うーん。まあ、霊感は強かったな。(中略)とっても強かったなあ。
 最期は、ちょっと憑依された感じがするな。それに母も発狂したしさ。多少、霊体質のところがあって、霊がかかってくる体質ではあったんだよな。
里村 それでは、人に憑いている霊的存在なども見えたのですか。
芥川龍之介 うーん。まあ、おたくさまは“ご本家”だから、ご本家と同じようにはいかないけどさ(笑)。それは、ちょっと違うかもしれないけれど、何となく直感みたいなものはあったと思うな。
里村 (中略)まさに、見てきたかのように、地獄の様相や、そこにいる人の姿形などを描写されていましたが、あれは実際に「視えた」のでしょうか。
芥川龍之介 うーん。「視えた」と言ったら嘘になると思うが、やはり、小説家が原稿に没頭しているときには、宗教家が瞑想しているときとそう変わらないぐらいの没入感があるからね。一心不乱に原稿に取り組んでいると、書いている世界と同通してしまうことがあるわけよ。
 だから、今、言ったようなところだけではなく、例えば、羅生門について書いていたら、時空間を超えて、その時代の何らかの存在と通じてしまうようなところがあるしさあ。河童を書けば、河童の世界と通じてしまうし、「蜘蛛の糸」のようなものを書けば、そうした救済の世界につながることもある。
 作品のための勉強をしていくうちに、何となく自分の感情が吸い込まれていく感じというか、地獄にいる人間の気持ちに通じることがある。あるいは、畏れ多いが、お釈迦様の気持ちのようなものを多少は感じるときもあるしさ。(中略)
 「杜子春」のようなものを書くには、ある程度、中国の仙人界の勉強もしていないと駄目だけれども、こういうものを書いていると、やはり、その世界のものとつながってくるところがあり、霊界に存在するものたちから、毎晩、インスピレーションが下りてくるので、それをもとにして書いていると、「自分自身が書いているのかどうか」が分からなくなる瞬間はあるね。手がひとりでに動くような感じで書き始めるときがある。
 時代考証がしっかりした歴史小説を書くときには、やはり、それなりに作業が必要であって、大変なこともあるんだけどな。
(32~37ページ)

芥川龍之介は、霊界も信じていたし、むしろ研究していた。

霊感は強く、多少、霊体質のところがあり、最期はちょっと憑依された。

霊界が視えてはいなかったが、一心不乱に原稿に取り組んでいると、書いている世界と同通してしまうことがあり、手がひとりでに動くような感じで書き始めるときがあった──。

もちろん短編が多いということがあるにしても、作家としていまだに名前がよく知られている秘密が、さりげなく語られているのではないでしょうか。

本書もまた、あの芥川龍之介のたしかな個性を感じさせる、とてもとても貴重な一冊であると私は思うのです。
 

『芥川龍之介が語る「文藝春秋」論評』 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




日本って、国連で常任理事国になってもいいんじゃないかなあって思うんだけど、反対する意見もあるんでしょ。なんでなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『国を守る宗教の力』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は、「客観的に見て、日本が国連の常任理事国入りをするのは当然である」と考えています。
 それを阻んでいるものは、自虐史観、すなわち、自分たちの国を「悪なる国家だ」と見るような歴史観です。
 反省には美しいところがありますが、反省も、度が過ぎると、いわゆるマゾになり、人に迷惑をかけてしまいます。あまりに自虐的な人は、周りの人を引きずり込むため、扱いに手がかかるわけです。
 したがって、正当な自己像を持つことが大事です。
 日本は、長年、国連の分担金を世界で二番目に多く負担してきましたが、その国に発言力がないのは、やはり、おかしいことです。
 中国や韓国は、日本の常任理事国入りを引っ込めさせるために、南京事件や従軍慰安婦などを、一生懸命、持ち出してきては、「日本人はいかに非人道的な人種か」ということを言っているのでしょう。
 しかし、なぜ、彼らは、日本だけを糾弾し、ヨーロッパが何百年間も植民地支配を行ったことについて糾弾しようとしないのでしょうか。
 例えば、ヨーロッパは、アフリカを植民地支配し、黒人を奴隷にしていました。日本の場合、そこまではしていませんが、ヨーロッパは、人身売買としての奴隷貿易を堂々と行っていたのです。それは、かつてのアメリカ合衆国もそうです。当時の欧米人たちは、有色人種を猿の仲間と見ており、仏性や神性があるとは思っていなかったのです。
 ところが、「そうした国々が正式に謝罪をした」という話は特に聞いたことがありません。そのように考えると、「日本人は、ちょっと反省の度が過ぎているのではないか」と思います。
 もちろん、戦争行為においては、非人道的なことがいろいろと起きるだろうと思いますが、日本は、少なくとも、ナチスがガス室で六百万人も殺したようなことはしていません。
 また、中国は、「日本軍は南京で三十万人を虐殺した」と主張していますが、三十万人も殺せるものではありません。それは、原爆を三個ぐらい落とさなければできないことです。当時の日本軍の武装から見て、原爆三個分に相当する人を殺すのは無理な話です。
 いわゆる南京事件に関しては、「日本軍将校二人が、どちらが早く日本刀で百人斬れるかを競争した」(百人斬り競争)とも言われていますが、そもそも、日本刀で百人も斬れません。刀が曲がったり、刃こぼれしたりするので、無理なのです。
 中国は、こうした誇張した話が好きな国のようですが、「事実に基づかないことでもって、相手に罪悪感を与え、正論を言わせないようにする」ということの背後には、やはり、何か後ろめたいことがあるのだと思います。自分たちの側に何か隠蔽したいものがあり、そこを糾弾されると困るので、そういうことをしているのでしょう。
(68~71ページ)

日本は長年、国連の分担金を二番目に多く負担してきたのに、発言力がないのはおかしい。客観的に見て、日本が国連の常任理事国入りをするのは当然である。

それを阻んでいるものは、自分たちの国を悪なる国家だと見る「自虐史観」であるが、正当な自己像を持つことが大事であって、日本人は反省の度が過ぎている。

日本を常任理事国入りさせないため、南京事件や従軍慰安婦などを一生懸命持ち出してきている中国や韓国は、なぜヨーロッパが何百年間も植民地支配を行ったことを糾弾しないのか。日本は、少なくともナチスがガス室で六百万人も殺したようなことはしていない。南京で三十万人虐殺など実際にできるはずもない──。

仏陀は反省を説かれますが、だからといって、度がすぎた反省で自らの国を滅ぼすことを是とされるわけではありません。

ちょっと厳しめと感じられるかもしれませんが、それは、間違った言論に対しては、正々堂々と正論で反論すべきことを教えておられるのだと、私は思うのです。
 

『国を守る宗教の力』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




週刊文春って、それなりの週刊誌だと思ってたんだけど、幸福の科学について変な記事をけっこう出したりして、もう2つも訴えられてるんでしょ。なんでなのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「文春」に未来はあるのか──創業者・菊池寛の霊言』(幸福の科学出版)で、その週刊文春を発行する文藝春秋社の創業者である菊池寛の言葉(霊言)を、幸福の科学の里村専務理事らとの対話の形で、次のように伝えておられます。

酒井 「週刊文春」は、いろいろなところから訴えられて何回も裁判で負けています。
菊池寛 今のマスコミっちゅうのは、もう、みんな“ヒット・エンド・ラン”なんだ。まずはバットで殴って、とにかく球を打って走る。
 空振りでもいいや。何ちゅうんだ? 三振してキャッチャーが球を逃したときに走るのがあるじゃないか。
里村 振り逃げですね。
菊池寛 それで一塁を取れることがあるよね。で、一塁へ球を投げたら、一塁手が逃しちゃって、二塁まで行けちゃったりすることもあるからさあ。
 だから、走らんより、走ったほうがいい。
酒井 最近の週刊誌では、裁判で負けても、それは勲章になるようです。(中略)牢屋に入っても勲章になるヤクザと、考え方が変わらないですよね。
菊池寛 昔は、ちょっとねえ……。今は、名誉毀損の被害額も大きくなってるけど、昔は百万以内になってたから、「出したほうが勝つ」っていうのが多かった。
 まあ、訴える側も弁護士費用がかかるし、結局、いろんな仕事ができなくなるから、それを考えると、「バットで打っても、実際に反作用が来るのは、三分の一もないか、十分の一ぐらいしかない」と見て、「計算上、トータルでは得が出る」っていう方程式がはっきりとあったかと思うんだな。
 アメリカみたいに何億とか何十億とかやられたら、たまんねえからさあ。ほんとは、このくらいの教団の総裁に対して、こんな記事を書き、アメリカ的に損害賠償をやられたら、百億円だぜ。(中略)それが五十万ぐらいで済ませられるんやったら、やっぱり、バットを振ったほうが儲かるわのう。
里村 それで得になるのは、おかしいと思います。(中略)
菊池寛 これは、あれじゃないか。今は“関ヶ原”なんじゃないの? 「新潮」も保守系の雑誌じゃないか。(中略)
 かつて保守系の硬派と言われた雑誌等が、保守系の硬派で、メディアに進出してきてるあんたがた宗教団体と、ぶつかってる感じかなあ。
 だから、これは意外に“関ヶ原”なのかもしれない。「彼らは、あんたがたに客を取られないように、総力戦でやっている」と見るべきなんじゃないの?
里村 私としては、保守なら保守で、共存共栄でもいいんです。
菊池寛 そこに嫉妬してるのよ。関心が全然違うところにあるものには嫉妬しないんだけど、関心が似てるところにあって、「文春」や「新潮」よりも、「キレ味のいいもの」とか、「先見性のあるもの」とか、「みんなの支持を受けるようなもの」とか、「あっと驚くようなもの」とかを、もし、硬派記事で書かれたら、彼らには、やっぱり立つ瀬がないわけよ。(中略)
 だから、わしが言ってるとおり、“関ヶ原”なんだよ。「下手したら、この業界が潰れるかもしれない」っていう感じは持ってるんじゃないか。
(52~56ページ)

マスコミは、いわば振り逃げでも、実際に反作用が来るのは十分の一ぐらいしかないから、トータルでは利益が出ると考えている。

今は意外に“関ヶ原”であって、かつて保守系硬派と言われた週刊新潮や週刊文春が、保守系硬派でメディアに進出してきてる幸福の科学とぶつかっている。

彼らは、下手したらこの業界が潰れるかもしれないという感じをもって、客を取られないように総力戦でやっていると見るべきなのではないか──。

まるで漫才か落語のような親しみやすい語り口ですが、でも内容はかなりシビアです。

さすが有名作家にして文藝春秋社の創業者として名を残している菊池寛、これは、マスコミと幸福の科学の戦いを、ものすごく冷静に論評しているのではないでしょうか。

しかし本当に“関ヶ原”ということであれば、この戦いは、そう長くかからず決着がつくことになると私には思えるのです。
 

『「文春」に未来はあるのか』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




愛にも段階があって、「愛する愛」、「生かす愛」、「許す愛」があるっていうんでしょ。最初のふたつはよく分かる気がするけど、「許す愛」って、なんだか納得できないし、その先の愛って言われても、ね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 それから、この世の生きとし生けるものの姿に感動します。草花たちの生きている姿にも感動し、動物たちが一生懸命に生きている姿にも仏の光を感じるようになります。そして、動物たちにも魂の修行があるということが分かってきます。
 動物たちも一生懸命に修行をしています。食糧を求めて知恵を巡らしたり、敵から身を護るために必死になったり、子育てに努力したり、冬の雪の日には、凍え死にしそうになりながら、なけなしの草を探したり、一生懸命に努力をし、生きていくために苦労しています。彼らも、もう一段の魂の進化を求めて、苦労しながら努力をしているのです。
 「人間への道のりは長いけれども、根本的には同じようなものが動物のなかにも宿っているのだ。彼らのなかにも、人間と同じ喜怒哀楽の心は宿っている。『これから、長い長い転生の過程のなかで、やがて人間になっていきたい』と、みんな願っているのだろうな」
 動物たちの姿が、そのような目で見えるようになってきます。
 「生きとし生けるもののなかにある、仏の生命が見えてくる」という、この悟りの段階が、許す愛の世界なのです。この段階に来ると、生かす愛までの段階では、まだ充分に見えていなかったものが見えてきて、許す愛の気持ちになってくるのです。
 もう一つ上の「存在の愛」は如来の愛です。これは大きな大きな境地です。ただ、この愛については、まだあまり考えなくてもよいでしょう。まず、愛する愛、生かす愛、許す愛の実践に、一生懸命に取り組んでいけばよいと思います。(中略)
 「家族で仲よくする」「友人と仲よくする」というような愛は、確かに小さなものかもしれません。最初に述べた、「身近な人たちを愛していく」というのは、小さなことかもしれません。しかし、その一歩から始まって、大きな大きな慈悲に成長していかなくてはならないのです。
 このように、愛には発展段階があります。
 もちろん、それぞれの愛の段階には、共通したものが当然あります。愛する愛のなかにも、生かす愛は一部入っていますし、生かす愛のなかにも、愛する愛がありますし、許す愛もあるでしょう。
 また、小さな存在の愛には誰もがなっているでしょう。まずは、家庭のなかで存在の愛にならなくてはいけません。父親は父親として光り輝き、母親は母親として光り輝き、子供は子供として光り輝くことです。そして、学校で照らし、あるいは地域で照らすことです。そういう小さな存在の愛は誰にでも可能性があるでしょう。
 各段階の愛は、それぞれ別のものでありながら、同じものでもあるということです。それは、「愛の現れ方に、どういう段階の差、発現の差があるか」という見方であって、それぞれ、どの面も、あることはあるのです。「どの面がいちばん強いか」というだけのことなのです。
(254~258ページ)

草花たちの生きている姿、動物たちが一生懸命に生きている姿にも魂修行があり、仏の生命があることが分かってきて、この世の生きとし生けるものの姿に感動できる悟りの段階が、許す愛の世界である。

最初の「身近な人たちを愛していく」というのは、小さな一歩だが、そこから始まって、大きな慈悲へと成長していかなくてはならない。

このように愛には発展段階があるが、各段階の愛は、それぞれ別のものでありながら、同じものでもあって、どの面もあることはあるが、どの面がいちばん強いかということである──。

「愛する愛」「生かす愛」、くらいまではなんとか分かる気がするけど、「許す愛」になると、かなり難しくって、なかなか理解できた感じにならない方もおられるでしょう。

また、それぞれの愛は、別のものなの? なんて疑問もわいたりする方もおいでじゃないでしょうか。

今日、こういう形で説いていただくと、そのあたりが、しっかりと理解できるように思えますし、この「愛」の教えは、頭でわかっただけじゃなくって、日々実践していかなくてはならない大切な教えなんだってことが、今日は私にもしみじみとわかった気がするのです。
 

『幸福の法』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ね、あの有名なダーウィンって、いま天上界でどうなってるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『進化論―150年後の真実』―ダーウィン/ウォーレスの霊言(幸福の科学出版)で、ダーウィンが招霊された直後の様子を、月刊「ザ・リバティ」の綾織編集長との対話の形で、次のように紹介しておられます。

(約五秒間の沈黙)
ダーウィン (咳をする)ウウウ、ウ? アアー。アアー、ウー。
綾織 ダーウィンさんでいらっしゃいますか。
ダーウィン アー。ハア。
綾織 話は可能でしょうか。
ダーウィン うーーーん、うーん。うーん。
綾織 日本語は大丈夫でしょうか。
ダーウィン うーーーん。うーーん。うーーん。分からん。(舌打ち)分からん。
綾織 何が分からないのですか。
ダーウィン 分からない。分からない。何もかも分からない。分からない。
綾織 あのー……。
ダーウィン 分からない。
綾織 すでにご自身が亡くなっているということは、お分かりでしょうか。
ダーウィン ああ?うー、うーん。ずいぶん時間がたったような気もするから、まあ、そんなに長生きできる人はいないかなあ。ということは……。
綾織 あなたは一八八二年にお亡くなりになりました。
 今は二〇一二年、ここは日本でございます。
ダーウィン うん、まあ、そういう仮説も成り立つ……かなあ。うん。(中略)
綾織 ダーウィンさんは霊界におられたと思うのですが、本日、日本の宗教団体である幸福の科学の大川隆法総裁が、あなたをお呼びになりまして、今、東京でお話を伺っている状態です。
ダーウィン うーん。日本の生物を調べてないなあ……。もうちょっと日本の生物を研究しなくてはいけない。うん。
綾織 今も、いろいろと研究をしている状態なのでしょうか。
ダーウィン うん、そう。そら、そうですよ。人生はもう「永遠の研究」ですよ。研究に研究を継がなければいけない。
綾織 今は、どういう方面に関心を持って研究されているのでしょうか。
ダーウィン うん?
綾織 どういう方面の研究を中心的にされているのでしょうか。
ダーウィン うーん、なんだかねえ。ここはどこなんだろうねえ。うーん、ボルネオ付近の洞窟のなかにでも落ちたのかなあ。虫を調べているうちに落ちちゃったような感じかなあ。なんかねえ、閉じ込められちゃったんだよなあ。
綾織 あなたの周りは暗い状態なのですか。光がなかなか射してこないのでしょうか。
ダーウィン うーん、なんだか、洞窟みたいなんだよなあ。
綾織 ということは、独りでいらっしゃる状態なのですね。
(38~43ページ)

大川隆法先生は、1987年に初版が出された経典『黄金の法』で、ダーウィンは、その思想的誤りによって無間地獄にいると説いておられました。

そして、じっさいに招霊してみられたところ、まさにそのとおりであったわけです。

それにしても、この種の霊界にいる霊が呼び出されると、いつも同じようなやり取りになっています。

無間地獄というのは、本人にとっては、150年以上たっても何がなんだかわからない世界なのだと、今回私は深く感じたのでした。
 

『進化論―150年後の真実』 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




東日本大震災って、被災地はまだまだ大変なんでしょ。どう考えて整理していけばいい災害だったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『されど光はここにある』のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 東日本大震災から、まもなく満二年になる。
 巨大地震や津波、放射能被害については、洪水の如き報道がなされたので、今さら多くを語るつもりはない。
 私は、民主党国難政権と国民の不幸とに関係があることを、何度も繰り返し訴えたが、三年以上の歳月をかけてようやく認められて来つつある。
 それにしても、この間、仏教を含む既成宗教が、あの世も魂の存在も信じていないのに慰霊祭をやったり、被災民の心のケアにあたったりという行為を目にするにつけ、あきれてモノが言えない状態が続いた。さらに、反原発、脱原発運動(左翼平和運動)に多くの宗教が巻き込まれているのを見て、あまりの無明の深さと、宗教の後進性にあきれはてた。
 今、新しい希望に向かって、この国が変わりつつあることをうれしく思っている。

あとがき
 世の流れに抗して、正論を言い続けるのは、勇気のいることだ。しかし、私たちの活動は、「されど光はここにある」ということを、この国の人々に示しえたと思う。
 真理は負けない。そして頑固なものである。
 この国の国民を正しく導き、未来への希望の法灯をかかげ続けたいと思う。
(1~2、217ページ)

少し前に刊行されていたのに、ちょっとご紹介が遅くなってしまいました。2013年3月2日付けで書かれたまえがきとあとがきです。

あの大震災と原発問題について、正しい仏法真理の立場で、真正面から説かれた一書です。

被災者のみなさんやその関係者のみなさんにはもちろん、これに興味関心がある方、すべてにお勧めできる大事な経典だと私は思うのです。

 

 

『されど光はここにある』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




勇ましい女性を、何かっていうと、ジャンヌ・ダルクみたいにいうことあるじゃない。で、そのジャンヌ・ダルクって、どうしてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『ヤン・フス ジャンヌ・ダルクの霊言』のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 「信仰とは、これほどまでに熱く激しいものなのか。」
 原稿の著者校正をしつつ、思わず知らず、目がしらが熱くなってきた。
 現在では、チェコの神ともされるヤン・フス。そして、フランスの救世主ともいうべきジャンヌ・ダルク。その激しくも強い闘いの裏には、純粋な神への信仰心があったと言うべきだろう。
 私は今、「信仰と正義」について考え続けている。
 そして歴史は偶然に創り出されるものではないと感じている。
 選ばれし者たちよ、新しい時代を切り拓くのだ。
 いつの世にも俗人は多く、守旧派の権力者にあなた方は囲まれている。勇気をもって、未来への道を突き進むのだ。

あとがき
 私たちは今、世界史上最大の奇跡に直面しているのかもしれない。神の御姿と、その世界計画の一部が、霊言集というかたちで明らかにされつつあるのだから。
 それにしても、私の愛する者たちが、これほどまでに、激しく、熱く戦ってきたとは──。
 今、私たちは、大きな時代の転換点ともいう渦巻きの中にいるのだろう。苦難と忍耐の中、勇気をふり絞り、信仰に生きることの尊さを示していこう。
 人生とは、その長さではなく質なのだ。神と正義があなたの人生とともにありますことを。
(1~2、184~185ページ)

信仰と正義。

選ばれし者たちよ。

神と正義があなたの人生とともにありますことを──。

今日は、研ぎ澄まされた大川隆法先生のお言葉に、余計な解説を試みてはならない気がしています。

一人でも多くの方が、このジャンヌ・ダルクの言魂に、そして、ヤン・フスの言魂に、じっさいに本書で触れられますようにと私は心より願うのです。
 

『ヤン・フス ジャンヌ・ダルクの霊言』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




文系と理系ってあるでしょ。うちの子って、どっちに進んだらいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『じょうずな個性の伸ばし方』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 文科系と理科系の違いは何でしょうか。
 文科系には、人間を“いじる”のが好きな人がよく行き、理科系には、人間ではないものをいじるのが好きな人がよく行きます。
 別な言葉で言い換えると、「人の上に立ちたい」という魂傾向を持っている人が文科系に行きたがり、「人の上に立ちたい」というより、「自分の才能を生かしたい」と思うタイプの人が理科系に行きやすいのです。
 そのため、どちらかというと、理科系の人のほうが「人に使われるタイプ」になることが多いようです。要するに、「人に使われたとしても、専門職のほうが自分の魂を生かせる」と思えるような人が理科系によく行くのです。
 一方、文科系に進みたがる魂は、ある程度、政治的なものや支配的なものを持っていることが多いようです。つまり、過去世において人を使った経験の多い人が、文科系に行きたがるのです。
 したがって、「自分の子どもは、文科系に行くべきか、理科系に行くべきか」ということで判断に迷うときには、「人の上に立ち、人を使うのが得意なタイプなのか。それとも、自分の研究や専門分野に打ち込んでいくのが得意なタイプなのか」という視点から子どもを見て、「この子にとって、どちらに進んだほうが、より幸福になるか」ということを考えればよいでしょう。
 「この子は、人の上に立っていくほうが幸福になるタイプだな」と思えば、文科系に進めるのがよいでしょうし、「この子は、好きなことに、一生懸命、打ち込んでいくタイプだな」と思えば、理科系に進めるのもよいでしょう。そういうことが言えます。
 現状では半分ぐらいの人が理科系に行きますが、理科系には向いていない人が、そうとう理科系に行っています。幸福の科学の信者には理系の人も多いのですが、会社でコンピュータなどを扱うことにストレスを感じ、当会で心の勉強をしている人も多いのです。
 理科系に向いている人が人類全体に占める割合から考えると、「全体の約五割が理科系に行く」という現状は、おかしいのです。少し多すぎます。実際には向いていない人が、そうとう理科系に入っています。
 これが、新宗教の信者に理科系の人が多い原因でもあります。本来は理科系には向いていないため、ストレスが生まれ、それで宗教に道を求めてくるわけです。理科系の学問では心の問題をほとんど教えないので、そのへんで、寂しさや苦しさ、満たされないものを感じ、宗教に行く人が多いのです。当会にも、そういう人はわりに多いようです。
 文科系と理科系の分かれ目は、以上のような点にあることが多いのですが、いずれにせよ、ある程度の才能を持っている人の話です。そうではない人は、どちらに行っても、どうということはありません。才能の傑出している人の場合には、前述した基準で判断できますが、そうではない人の場合には、どちらに行っても大きな差はないのです。
(140~143ページ)

「人の上に立ちたい」という魂傾向を持っている人が文科系に行きたがり、「自分の才能を生かしたい」と思うタイプの人が理科系に行きやすい。

したがって、文科系か理科系かで迷うときには、「人の上に立ち、人を使うのが得意なタイプなのか。それとも、自分の研究や専門分野に打ち込んでいくのが得意なタイプなのか」という視点から、どちらに進んだほうが、より幸福になるかを考えればよい。

ただし、これはある程度の才能を持っている人の話であって、そうではない人は、どちらに行っても大きな差はない──。

うーん、なるほど、過去世の経験、なんですね。

自分を振り返ってみても、そのとおりのように思えます。

お子さんに、そしてもちろん自分自身にとっても、今日のお教え、とっても勉強になるのではないかと私は思うのです。
 

『じょうずな個性の伸ばし方』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




、幸福の科学と週刊新潮って、まだ裁判で戦ってるんでしょ。編集長の守護霊って、どんなこと言ってるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「週刊新潮」編集長・悪魔の放射汚染』(幸福の科学出版)で、週刊新潮の酒井逸史編集長の守護霊と、里村英一・幸福の科学専務理事と綾織次郎「ザ・リバティ」編集長らとの対話を、次のように紹介しておられます。

里村 でも、あなたが二〇〇九年に編集長になられてから、創価学会報道が、本当に冴えない感じになりましたよねえ。
酒井逸史守護霊 まあ、事実上、もう終わってきたからねえ。池田のことはいろいろと取り沙汰されてるけど、「事実上、もう終わった」っていうのが、大方の見方だろ?
 あとは、最後のあがきみたいな感じで、「海外から勲章を何個集めるか」だけしか仕事がないのは、目に見えてるしさあ。もう大きくならないのは分かってるんでしょ?
 だから、みんな、死ぬのを待ってるんだ。死んだときに、後追い記事で、金正日の死亡後の記事みたいな感じのものを出せるように、どこも用意してると思うよ。それはやるつもりだけどさあ。(中略)
綾織 そこで、「これからは幸福の科学だ」ということですか。
酒井逸史守護霊 うん。認識的にはそうだよ。この二十年以上、生き延びてきたっちゅうのは、なかなかたくましい“悪性ウイルス”だよなあ。(中略)
綾織 先ほど、「幸福の科学イコール悪」というような話もありましたけれども……。
酒井逸史守護霊 うん。エイズのようにしつこいわ、あんたがたは。
綾織 具体的には、幸福の科学の何が「悪だ」と認識されているのですか。
酒井逸史守護霊 え? やっぱりねえ、「世の中には、だいたい悪なるものが先に流行る」と思わなきゃいけない。善なるものが流行るっちゅうことは、今の世の中では、めったにないんだよ。(中略)「悪が流行る」っていうのは、なぜか……。
太守 それは、あなたたちが流行らせているんです。
酒井逸史守護霊 悪はねえ、騙すのがうまいから、先に流行って広がるんだよ。
太守 いや、あなたたちが騙すのがうまいんです。
酒井逸史守護霊 よい宗教ってのはねえ、何百年ものちに認められるもんなんだよ。
 だから、「現在ただ今に『よい宗教』と思われる」っちゅうことはありえないので、そういうふうに見えるのは、あんたがたが「数多くのトリックを使ってる」ということなんだよ。
里村 ほう、ほう。
酒井逸史守護霊 「現在ただ今、『よい宗教』のように見える」っていうことは、これは宗教としては絶対おかしいんだ。ほんとに「よい宗教」は、その時代には悪に見えて、迫害されて、後の世に評価されるんだよ。
里村 つまり、あなたの目には、今、幸福の科学がかなりよい宗教に見えているわけですね。
酒井逸史守護霊 だって、ほかのマスコミを見たら分かるじゃん。叩けないでいるじゃないか。(中略)
 大手の新聞社がさあ、広告をいっぱい載せまくって、毎月、一カ月に何本も載せてるじゃん。あの朝日が、ほぼ完落ちじゃないか。
(41~45ページ)

これからは幸福の科学だと認識している。

朝日新聞をはじめとして、大手新聞社が幸福の科学の広告をいっぱい載せまくっている。

しかし、よい宗教というのは何百年ものちに認められるもののはずだから、幸福の科学が、かなりよい宗教に見えているのは絶対おかしいと思っている──。

これからは幸福の科学の時代だ、というのは正しいと思うのですが、それにしても、このひねくれたものの見方は、さすが、あの週刊新潮の編集長の守護霊、という感じです。

とても逆説的な言い方ですが、要するに、週刊新潮編集長の守護霊は、幸福の科学という宗教が、客観的によい宗教のように見えていることを語っているのは重要ではないでしょうか。

いずれにしても、本書は、週刊誌というのが何を考えて記事を造っているのかを知りたい方にとって、必読の文献になっていると私は思うのです。
 

『「週刊新潮」編集長・悪魔の放射汚染』 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




TPPって、要するに関税をなくしていく条約みたいなものなんでしょ。これに日本も参加するのは、外国のお米が入ってきやすくなるから、お米を作ってる農家が参加に反対してるって聞いたことあるよ。やっぱり日本のお米は、関税で守らなきゃいけないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、幸福実現党の立木党首(当時)との対談書籍『国家社会主義への警鐘』(幸福実現党)で、こう教えておられます。

 TPP(環太平洋パートナーシップ)の問題にもかかわるけれども、(中略)「外国からの輸入米に七百八十パーセントの関税をかける」というのは常軌を逸していると思いませんか。(中略)
 「これだけ関税をかけなくてはいけない」ということは、「外国米には意外に優れものがある」ということを意味していますね。本当に日本のお米のほうがおいしいんだったら、こんな関税は要らないし、あっても一割か二割の税率でいいはずだけど、「八倍か九倍の値段にしなくては守れない」という状態では、これは、ほとんど、絶滅危惧種の保護動物のようなものですよね。
 だから、もう、基本的には、農民をやめてもらったほうがいいのと違いますか。農民をやめて、株式会社の社員になってもらったほうが、よろしいのではないでしょうか。バイオテクノロジー系の会社などに大規模に管理してもらい、そこの社員として働いてもらってもいいのではないでしょうかね。
 「農業にはノウハウが必要なので、個人がやらなくては駄目だ」という説が根強くあるんだけど、そうは言っても、長くやれば、会社であっても農業がうまくできるようになるんですよ。
 まったく場違いな会社がやっても駄目で、例えば、自動車会社が農業をやっても成功はしないだろうと思いますが、食品系の会社など、ある程度、農業に適性のある会社であれば大丈夫でしょう。
 カゴメなどのように、農業に進出して、けっこううまくいった会社もあります。農作物を使って製品をつくっている会社には、ある程度、農業のやり方が分かるところがあるのです。農作物をつくる段階からかかわり、品質等に注文をつけているからですね。
 そういう会社に、もっと農業に参入してもらいたいものです。
 ずっと補助金が要るような職種に関しては、少し見直しをかけたほうがいいように思います。
(80~83ページ)

こんな高い関税率をかけているのでは、日本のお米は、絶滅危惧種の保護動物のようなものである。

稲作は、バイオテクノロジー系の会社などが大規模にやって、農民はそこの社員として働いてもらってもいいのではないか。

もちろん、まったく分野が違う会社では駄目でも、食品系の会社など、ある程度、農業に適性のある会社であれば大丈夫だろうから、そういう会社に、もっと農業に参入してもらいたい──。

幸福実現党との党首との対談集で、政策について語り合っておられるからでしょうか、かなりストレートで厳しいお言葉です。要は、関税で農業を守るのはよろしくない、自由な貿易を推進すべきであると、大川隆法先生は考えておられるのだと思います。

また、いまは法律の制限があって、企業の参入がむずかしいわけですが、農業に企業が大規模に参加することはもっと認められるべきだ、というのが大川隆法先生の考えであるわけです。

いまの安倍政権は、農業分野についても、じつは今日ご紹介したような大川隆法先生のお教えを、かなり取り入れて実行しようとしていると考えたときに、TPPの交渉の向かう方向もだいたい見えてくるのではないかと私は思うのです。

 

『国家社会主義への警鐘』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




日銀の三重野元総裁に対して、大川隆法先生って、日本経済を大不況に陥れた「バブル潰し」の犯人の一人だって厳しく批判しておられたんでしょ。それって、どうしてなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『平成の鬼平へのファイナル・ジャッジメント──日銀・三重野元総裁のその後を追う』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 三重野氏が日銀の副総裁のころ、日本ではバブル化が進んでいましたが、彼は、総裁になるや否や、金融引き締めに入り、三度にわたって公定歩合を引き上げました。(中略)
 「公定歩合を上げる」とは、どういうことでしょうか。日銀のお金を他の銀行が借りて融資に使うので、日銀が他の銀行にお金を貸すときの金利である公定歩合が上がると、要するに、企業等が銀行からお金を借りた場合、それを銀行に返すときの利子が高くなります。(中略)お金を借りるときの利子が高くなれば、通常、以前よりお金を借りなくなります。日銀は、公定歩合を引き上げることによって、人々が土地やマンションなどの不動産を買うことをやめさせようとしたわけです。(中略)
 同時に、もう一つ、今の財務省、当時の大蔵省の銀行局長の通達による、土地関連融資の総量規制というものもありました。
 その通達を出したのは土田正顕銀行局長です。(中略)これは一銀行局長の「通達」にすぎません。要するに、国会によって審議されたものでもなければ、世論によるものでもなく、銀行局長という役人が書いた一通達により、土地関連融資の総量規制が行われたのです。土地等に対する融資の総量規制を指示する内容の一片の紙を、各銀行に送っただけなのですが、各銀行が、いっせいに、土地関連融資を止め始めたため、不動産関連の企業がバタバタと潰れ始めました。(中略)
 これについては、昨年亡くなられた評論家の谷沢氏が、「銀行局長くんだりが、法律でもないのに、通達で、こういうことをやったわけだけれども、それでよかったのか」というような批判を、以前、ある雑誌に載せたことがあります。(中略)同様の内容の批判を、再度、産経新聞に強烈な文章で書いていました。(中略)
 渡部昇一氏も、これについては谷沢氏と考えが同じです。
 日本国憲法には、「財産権の保障」に関する規定があり、「財産権は、これを侵してはならない。」と、きちんと書いてあります(第二十九条)。
 ところが、国の大蔵省銀行局の通達一本で、国民の財産が半分以下になるとか、土地が半額になるとか、そういうことが起こったのです。(中略)憲法では私有財産を保障しているのに、国が、政策によって、国民の財産を半分以下に減らすとか、四分の一にするとか、そのようなことをしてよいのでしょうか。
 日経平均株価は、史上最高値の約三万九千円から、一時は七千円台にまで下がりました。五分の一ぐらいになったわけです。
 株で財産を持っていた人は、これによって、明らかに財産を圧縮されました。悪人扱いをされ、財産を減らされたわけですが、社会主義国家ではない国で、こんなことが行われてよいのでしょうか。(中略)
 左翼系のマスコミの論調は、「バブル潰しは当然だ。それが正義だ」というものであり、両者の対立は十年ぐらい続いていたのです。
 私は、「バブル潰しは間違っている」という判断をしていました。
(20~29ページ)

三重野氏は、日銀の総裁になるや否や、人々が土地やマンションなどの不動産を買うことをやめさせようとして、三度にわたって公定歩合を引き上げる金融引き締めを行った。

同時に、大蔵省(今の財務省)の銀行局長が、土地関連融資の総量規制を通達で行なった。

この2つによって、日経平均株価が五分の一ぐらいになったが(「バブル潰し」)、大川隆法先生は、これは間違っていると判断していた──。

つい先日、新しい日銀の総裁が決まりましたが、何代か前の日銀総裁で、「平成の鬼平」などと呼ばれた三重野氏の「功」と「罪」は、これからもっともっとハッキリしてくるのかもしれません。

それにしても、幸福の科学は宗教のはずですが、大川隆法先生のお教え(そして霊言集)を次々と学んでいるだけで、日本経済の動きの意味がこんなにもスッキリと理解できるようになることに、私は素直に驚いているのです。

 

『平成の鬼平へのファイナル・ジャッジメント』 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「常勝思考」とか「発展思考」って、あったでしょ。ほかに成功するための考え方って、ないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 みなさんが平面の世界に生きているとして、そのなかで迷路に迷ったら、もう、どうしようもないような気持ちになるでしょう。確かに、平面の世界のなかで迷路に迷えば、どうにもならないかもしれません。
 しかし、これを立体的な世界のなかで解決しようとすれば、わりに簡単です。平面の迷路を抜けることができなくても、ノミのごとく、空中をピョンと跳ねれば、出口に跳んでいくことは可能なのです。
 このように、「道は無数にある」といっても、二次元の平面的な道ばかりを探してはいけないわけです。三次元の世界において、他の道があるのです。
 したがって、自分が、いま、ある一つの次元のなかで問題を抱えて苦しんでいるとするならば、「まったく違った観点から、それを解決していく」ということが大事なのではないかと思います。
 あたかも、ノミが軽々と迷路を跳び越えていくように、人間も、四次元の思考によって、三次元の問題を軽々と跳び越えていくことが可能なのではないでしょうか。
 通常の人間は、「垂直思考」というものを中心に生きています。
 たとえば、井戸を掘っているときに、水が出てこないとするならば、「これは、まだ掘り方が足りない」と思って、どんどん深く掘りつづけるというのが垂直思考です。(中略)
 ところが、これに対して、「水平思考」という考え方があります。これは、「ある地点で井戸を掘って、水が出なければ、まったく違う所を掘ってみる。いろいろな所で、いろいろな井戸を掘ってみる」ということです。これを水平思考といいます。
 こういう方法は、現にあるのですが、実生活においては、なかなか思いつくことができません。(中略)「自分には、これしかない」と思ってしまうのです。
 たとえば、「いまの会社で行き詰まっている。上司とは合わない。部下とも合わない。昇進のめどもない。仕事がおもしろくない。しかし、会社を辞めると家族が飢え死にしてしまう。さあ、どうしたものか」と、ハムレットばりの心境で生きている人は、世の中に幾らでもいます。
 しかし、このときにとるべき結論は二つしかありません。「そういう職場であっても、それを何とか打開すべく頑張っていくか。それとも、新天地を求めるか」という、このどちらかしかないわけです。
 そして、どちらをとるかを決めかねているならば、「どうすれば決められるか」ということを考えればよいのです。
 まず、「自分自身の判断で決める」という方法があります。「友人に訊いてみる」という方法もあります。あるいは、「転職ということについて徹底的に調べ上げてみる」という方法もあります。(中略)また、「自分の会社には可能性がないと思っているが、ほんとうに、そうなのかどうか」ということを、徹底的に研究してみることです。
 そうすると、意外に道が開けてくることもあります。
(110~114ページ)

平面の世界で迷路に迷っても、三次元の世界からは他の道が見つかるように、人間も、四次元の思考によって、三次元の問題を軽々と跳び越えていくことが可能ではないか。

通常の人間は「垂直思考」を中心に生きているが、「ある地点で井戸を掘って水が出なければ、いろいろな、まったく違う所で井戸を掘ってみる」という、「水平思考」という考え方がある。

たとえば、どちらをとるかを決めかねているならば、「どうすれば決められるか」を考えてみればよい──。

この「水平思考」は、以前から提唱されているもののようですが、大川隆法先生が世に紹介するに値すると判断されたわけです。

よくよく考えてみると、困難な問題の解決のための糸口を与えてくれる、とても有用な方法論であることが少し理解できたように私は思うのです。
 

『成功の法』大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!)
ブログランキング・にほんブログ村へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ