ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



憑依なんて言って、やっぱり精神病の一種なんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 西洋医学では、「憑依といわれる現象がある」ということは分かっているのですが、「なぜ、そういうことが起きるのか」という問いに答えられないのです。それについては、どうしても分からず、科学的に説明ができません。そう呼ばれる現象があることは分かっていても、それを医学的には説明できないわけです。
 医学というものは、肉体としての人間を研究しているので、どうしても根本に唯物論的な考えがあります。それはそれで使命としてはよいのですが、憑依現象についても、「脳に何か関係がなければいけない」と考えて、「脳の作用、あるいは脳の構造上の問題である」と捉えがちです。憑依現象を精神科の案件とした場合にも、だいたい、「脳における何らかの障害である」と考えるのです。
 また、心というものについても、「脳の作用に付随して発生するものだ」と考えます。そして、「心は、脳の一種の機能として、精神作用としてあるのであって、脳のほうが、何か具合が悪くなると、精神作用のほうも歪んでくる。それによって、『霊が見える』『霊の声が聞こえる』などと言い出したり、『自分は○○の霊だ』などと語りはじめたりする患者が出てくる」というような扱いをしています。
 それで精神病院に入れられている人は多いのですが、精神病院に入れられても、基本的には治りません。なぜなら、医学そのものが憑依現象について理解できていないので、治す方法はないからです。「薬を飲ませて、おとなしくさせる」「隔離して、一般の人との摩擦、一般社会との摩擦を避ける」ということぐらいしか方法はないのです。(中略)
 もちろん、ほんとうに、身体の構造上、何か障害があって、錯乱状態になる人もいるとは思います。“機械”のほうが故障している場合もあるでしょう。しかし、そうでない場合もあります。要するに、心のほうの問題が原因で、いろいろなものが見えたり聞こえたりすることがあるのです。
 「いろいろな霊がやってくる」「○○の霊が、いま来ていた」などと言うと、それがおかしく聞こえるようになってきているのが現代ですが、おかしく聞こえるほうが、ほんとうは、真実の世界から見たら、おかしいのです。
(88~92ページ)

西洋医学では、憑依現象がなぜ起きるのかが説明できない。

脳における何らかの障害だとして、精神病院に入れられる人は多いが、医学では治す方法はない。

しかし、霊がやって来たというのがおかしく聞こえるほうが、真実の世界から見たらおかしい──。

大川隆法先生は、あの世とこの世があるという真実を前提に、「波長同通の法則」に基づく憑依の原因とその対処法について、さまざまな角度から教え続けておられます。

この大川隆法先生のお教えは、理性に照らして、とても合理的に理解できる、理路整然としたものです。

そしてそれは、霊界と神秘世界に関する巨大なお教えの中でも、まだ初歩的分野ではないでしょうか。

それを現代医学はまったく理解することなく、いまだに憑依現象への対処方法としては、薬でおとなしくさせるだけだったり、一般社会から隔離するだけだったりというのも、残念な話ではあります。

あの世(つまり霊的世界)があること、そこに霊存在がいることを認めさえすれば、簡単に理解し解決できる問題もたくさんあるわけです。

医学や医療に携わっているみなさんには、ぜひともこの大川隆法先生のお教えに触れていただきたいものだと、とても切実に私は願っているのです。
 

『神秘の法』

  大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




共産党って、最近、委員長が変わったそうだけど、トップの人って、ほんとはどんなこと考えてるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『共産主義批判の常識』――日本共産党 志位委員長守護霊に直撃インタビュー(幸福の科学出版)で、日本共産党の志位和夫委員長(当時)の守護霊の言葉(「霊言」)を、インタビュー形式で次のように紹介しておられます。

綾織 『共産党宣言』のとおりにやっていくのですか。「相続権の廃止」とか、「銀行の独占」とか、「運輸機関の国有化」とかもありますけれども。
志位和夫守護霊 ん? それは、そうでしょう? だって、生まれただけでさあ、親の巨大な土地から、財産から、家から、貯金から、全部もらえたら、身分の格差がものすごく開き、また大地主が始まって、貴族階級が復活するじゃないですか。
小林 確認ですけれども、『共産党宣言』には、「金融機関は、国営の銀行一本に統一する」というように書いてありますが。
志位和夫守護霊 もちろん、それで、よろしいですよ。うん。(中略)
 まあ、だから、国営銀行……、日本銀行は、共産党が支配するわけだから、日本銀行券は、共産党券になるし、一万円札には、志位和夫の顔が刷られるわけですよ。(中略)
 そういうふうになるわけで、いくら刷るかは、私のさじ加減だ。(中略)
小林 『共産党宣言』には、「累進課税を強度に強化する」ということも載っていますが、いかがでしょうか。
志位和夫守護霊 うん、そう。まあ、ちょっと、マルクスやから、生ぬるいところがあるよな。そのへんに、ちょっと、「世間に迎合しよう」という気持ちがまだ残ってるよな。
綾織 本心としては、累進課税ではないわけですね?
志位和夫守護霊 まあ、累進課税なんていうのは要らなくて、もう、全部取ったらいいのよ。(中略)
 うんうん。だから、最低限の生活費を超えたものは全部取ったらいいのよ。累進なんていうのは、ちょっとねえ、まだ妥協する気持ちがあるね。「ほかの政治勢力が強い」ってことを認識してるんだ。(中略)
 まあ、人間に優しい政治をやれば、基本的にそうなるんだよな。基本的にそうなるんだよ。うん。
 これが、“最大多数の最大幸福”なんだよ。よく、おたくの教祖に言うといてくれ。“最大多数の最大幸福”っていうのはねえ、要するに、みんなをフラットにすることなんだよなあ。(中略)
 みんな、フラットにするんだ。これがいいんだ。そら、そうですよ。ピザをみんなで分け合って食べるときに、一切れだけ大きさが違ったら怒るでしょうがあ。(中略)
 “最大多数の最大幸福”が共産党員の幸福で、それを聞かない安倍みたいな連中は、“最大多数”から、ちょっと外れる。一部、「安倍一族を、今、どのように退治するか」っていう問題が残るけど、このへんは処刑されるから。
小林 あっ、処刑ですか。
志位和夫守護霊 だから、一部、不幸になる人が出るけれども、99パーセントの人は幸福になるんだよ。うんうん。そういうことですよ。
(191~198ページ)

(日本共産党が政権を取ったら)マルクスの『共産党宣言』に書かれているとおり、相続権の廃止、銀行の独占、運輸機関の国有化をやっていく。

しかし、「累進課税を強度に強化する」程度では生ぬるいので、最低限の生活費を超えたものは全部取り、みんなをフラットにするのが“最大多数の最大幸福”である。

一部、不幸になる人は出るけれども、99パーセントの人は幸福になる――。

政権与党を批判する舌鋒は鋭いですけど、いざ自分が政権を取ったらどんな政治をするつもりか、その本心を、日本共産党の志位和夫委員長(当時)の守護霊が語ったやり取りの箇所です。

最近、委員長(党首)を退いて、中央委員会議長になったそうですが、日本共産党の最高指導者の立場にあることは変わらないと報じられているようです。

それにしても、肉体を持ったご本人の話はなんだか分かりにくくとも、守護霊はとてもストレートに本心を語ってしまうわけで、要するに、マルクスの「共産党宣言」のとおり、場合によってはそれを先鋭化させた政治を考えていることになりそうです。

そうすると、邪魔な人たち(ここでは当時の安倍首相の一族が例として挙げられています)は、“処刑”してしまうことになるわけです。

そして、“みんなをフラットにする”と言いながら、自分だけはその“フラット”な一般大衆とは別の存在と考えているわけで、そんな政治は、かつてのソ連で、そして今もまだ中国や北朝鮮で、実際に行なわれていることに気がつきます。

そんな政治思想(マルクス主義)が、本当に正しいと言えるんでしょうか?

神仏に改めて教えていただくまでもなく、すでに答えは明らかではないかと私は思っているのです。
 

『共産主義批判の常識』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




だいぶ年齢いっちゃったんだよね、もう伸びていったり、しないものなのかなあ? なーんて悩みかかえてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ストロング・マインド』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 やはり、「ライバルの優れたところを素直に認めて、自分たちもチャレンジしていこう」という気持ちを持たなくてはいけません。
 そのように、「人をほめられるようであれば、自分にも、まだまだ成長する余地があるのだ」ということを知っておいたほうがよいと思います。
 人をほめられなくなったら、もう、その先は行き止まりです。人の優れたところや、新しく出てきたよいものを、ほめられる心境があれば、会社であれ個人であれ、まだまだ伸びていけますが、口を開けば批判と悪口しか出なくなったら、だいたい、その先は行き止まりなのです。そういうことを知ってほしいと思います。
(193ページ)

人をほめられなくなったら、その先は行き止まりである。

人をほめられるようであれば、自分にもまだまだ成長する余地がある。

ライバルの優れたところを素直に認めて、自分もチャレンジしていこうという気持ちを持たなくてはならない──。

今日は、人生において大事なアドバイスのひとつを、またいただいたんだと思います。

人がまだまだ伸びていくかどうかは、年齢ではない。

大事なのは心の持ちようだと改めて理解できたように、私は思っているのです。

 

『ストロング・マインド』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




大川隆法先生の霊言集って、まだ生きてるのに、有名な評論家の守護霊の霊言集が出たりしてるでしょ。ちょっと前に亡くなったと思うけど、竹村健一って、どうなのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『竹村健一逆転の成功術』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 とにかく竹村さんは異色の人だ。もともと頭のいい人なんだが、その短所を開き直ってみせて、自分の武器にかえてしまう技がすごい。
 しかし、根本的には勤勉な努力家であり、人心掌握術にたけていらっしゃるのだと思う。
 若き日に私もニューヨークに総合商社の研修生として派遣された。日本語書店で売っていた青春出版社の『ビッグ・トゥモロウ』なんかに、竹村さんや渡部昇一さんがたびたび登場して、若い人たちに人生の成功法を教えているのを読んで、自分も五十代になったら、二十代の人たちに夢を語り、成功への希望を教えられる人間になりたいと思った。今、少し違った形ではあるが、私も若い人たちに未来への夢を語れる人間となった。
 ニューヨーク時代には、「竹村健一・渡部昇一・堺屋太一の三ピン鼎談」の企画があって、各社の社長や重役、部長クラスが招待された。たまたま私の上役が商用があって、二十代半ばの私にチケットが渡された。セミナーでは、竹村さんが、サングラス風の眼鏡をかけて、パイプをくゆらせながら灰皿を探して動き回る動作がやけに印象的だったが、本質的にはシャイな人なんだなと感じた。
 今回、このような形で守護霊インタビューをして頂くことになった。竹村式同時併行処理の技術は、私も三十年使わせて頂いたが、人生の生産性を高めるのに役立った。
 この場を借りて感謝したい。

あとがき
 新しいものに次々と関心を示す、竹村式 元祖電波怪獣のあり方には、啓発されることが多かった。
 しかし、その自信の根源は英語力にあることを私は見逃さなかった。おかげさまで、私も「時代を斬れる」宗教家となった。時代への影響力も姿をかえた愛なんだ、と痛感している今日この頃である。
 ご長命を祈りつつ、竹村式成功術を私なりに、逆転・発展の力にかえていきたいと思う。
(1~3、184~185ページ)

竹村式同時併行処理の技術は、人生の生産性を高めるのに役立った。

新しいものに次々と関心を示す、竹村式 元祖電波怪獣のあり方には、啓発されることが多かった。

竹村氏の自信の根源は英語力にあることを見逃さなかったおかげで、「時代を斬れる」宗教家となった──。

竹村健一氏、まだ生前の2013年に発刊された霊言集です。

少し昔のことですが、竹村健一氏の過去世について、月刊「ザ・リバティ」に載った記事が書籍になったこともありましたので、それなりの方なんだろうとは思っていました。

しかし、大川隆法先生が、このまえがきとあとがきで竹村氏に示された敬意の念は、注目に値します。

竹村氏の守護霊は、日下公人さんよりも後になったことに怒りながら登場しますが、その怒りかたが、竹村氏本人とそっくりの感じです。

また、大川隆法先生のお父様(故・善川三朗名誉顧問先生)との秘話を語るなど、語り口はとても面白く、その内容も、またとても勉強になるものだと思います。

本書は、竹村ファンにはもちろんのこと、タイトルとなった「成功術」を知りたいすべての方に、強くお勧めできる書籍であると、改めて私は思っているのです。
 

『竹村健一逆転の成功術』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ね、『「週刊新潮」に巣くう悪魔の研究』なんて本のこと、昨日のこのブログで紹介されてたよ。なんでこんな激しいタイトルの本を出したの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「週刊新潮」に巣くう悪魔の研究』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 このたび(二〇一一年二月下旬~三月上旬)、「インド・ネパール巡錫」へ行ってきましたが、(中略)インドのホテルに泊まっていても、ある行事の前日の晩に、やはり、“邪魔するもの”がやって来たのです。それで、私が、「何者か」と訊いたところ、「『週刊新潮』の悪魔」と名乗りました。これは珍しいケースです。(中略)
 それが、亡くなった歴代の編集長なり、社長なりだったとしたら、一般の人にはあまり知られていないので、捕捉するのは難しいかとは思いますが、それだけではないでしょう。もしかしたら、宗教系の悪魔も入っているかもしれません。
 特に、「週刊新潮」は、長年、創価学会を攻撃し続けていますので、宗教に対しては、自信を持って戦う体制をつくっているのかもしれないし、最近、創価学会のほうの反論も弱くなってきているため、余力が生じて、当会のほうにも手を回してこようとしているのかもしれません。
 そういう意味で、「週刊新潮」は創価学会批判等をやっていたため、彼らに対しては、当会のほうも批判を手控えていたところがありました。講談社については批判しましたが、「週刊新潮」とか、「週刊文春」とかについては、手控えていたところがそうとうあったのです。
 ただ、世代が変わったのかもしれません。最近の「週刊新潮」や「週刊文春」は、「ちょっと判断が甘いな」という感じがずいぶんしますし、特に、「三流週刊誌に堕してきたのではないか」という感触が非常に強くあります。
 この背景には、「インターネットや携帯電話等の普及によって、週刊誌の経営基盤が、今、そうとう揺らいでいる」ということがあると思うのです。
 そのように、経営基盤が揺らいでいるために、一流誌を目指しても、やはり売れないといけないので、どうしても、三流週刊誌的になって、センセーショナルなものや、人の低次な欲望に訴えかけるようなものを記事にしたがる傾向が出てきているのでしょう。(中略)
 とにかく、「『週刊新潮』の悪魔」と名乗った者がいるので、ちょっと、このあたりを追及してみたいと思います。
 これは非常に難しい仕事なので、正体がつかめるかどうかは分かりません。「『週刊新潮』の悪魔」という名で呼んで、出てくるかどうか、私も、少し疑問ではあります。
 もし、それがはっきりつかめなかった場合には、現在の編集長なり、社長なり、編集担当者なり、そういう人のあたりまで、追及していく必要があるかなと思います。
 今、どういう考えで当会に接しようとしているのか、このあたりの背景を、霊的に探ってみたいと思っています。
 以前、蟷螂(とうろう)の斧(おの)かとは思いましたが、朝日新聞社の社長(二〇〇三年当時)の守護霊インタビューまで行って追及したところ、あの大きな新聞社でも恐縮したことがあったようですので、「宗教だって一噛みぐらいすることはある」ということを、やはり知っていただいたほうがよいかと思います。
(20~23ページ)

そういうわけで、その「『週刊新潮』の悪魔」と名乗った者を呼び出して、霊言させて、それを一冊の書籍にまとめて刊行されたってことなんですね。

大川隆法先生の霊能力のすごさ、幸福の科学の凄味が、まさに凝縮された一冊、なのかもしれません。

『「週刊新潮」に巣くう悪魔の研究』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




朝日ジャーナリズムって、あの朝日新聞のこと言うんでしょ。その朝日ジャーナリズムに、守護神がいるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『現代の法難④──朝日ジャーナリズムの「守護神」に迫る』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう教えておられます。

まえがき
 最初は週刊誌の小さな記事の背後に、何らかの意図があるかを確かめるために始めた試みだった。しかし、イモヅル式に出てきたのは、戦後日本の「民主主義体制」と「平和憲法」に巣くうウイルス性の深い病根であった。
 私たちは意外に大きなものと戦っているらしい。推理小説風に次々と明かされてくる衝撃の事実に、驚きを禁じえない。
 朝日新聞から産経新聞まで、公平無私の態度で読み込んでいる私には、特別な先入観や偏見はない。ただただ「真実とは何か」「正しさとは何か」を求め続けているだけである。ただ言えることは、死んでも、自分があの世にいること、霊的存在であることを認めない人たちの側に「神の正義」はないということだ。
 この本自体が、「宗教が世を照らす公益事業である」ことを証明して余りあるものとなっているだろう。

あとがき
 「悪魔に魂を売る」という言葉がある。その言葉は今も生きている。そして、悪魔も仕入れた「魂」で商売をやっているらしいという、その舞台裏を明らかにしたのが本書である。
 私としても、自分の学問のルーツを裁断し、背教者を戒めることは、身を切るようなつらさである。
 しかし『「週刊新潮」に巣くう悪魔の研究』(幸福の科学出版刊)と本書を併せて読めば、砂上に建つ戦後マスコミ民主主義に警鐘を鳴らすことも、立派に、救世事業の一環であることがわかる。
 独りの宗教家の勇気と気概がこの国を救いますことを。わが言葉に従う人々が、悪魔の勢力に打ち克ちますことを。この地上に正義が、打ち樹てられますことを。信仰は悪魔より強いことが証明されますことを。
(1~2、298~299ページ)

ここで触れられている「週刊誌」というのは、朝日新聞系の週刊誌・週刊朝日のことでした。

その幸福の科学を扱った記事の意図を確かめるために行なわれた公開霊言で、最初には記事を書いた記者の守護霊、次に、編集長の守護霊、最後に、その背後にある者が招霊されます。

ところが、現われた霊は、朝日新聞はもちろん、戦後日本の「民主主義体制」と「平和憲法」を守護していると称する大憲法学者の霊だった、というミステリアスな展開です。

この3つの霊はいずれも、自分があの世の存在であることや、霊であることを認めなかったわけですが、大川隆法先生は、このような霊の側に「神の正義」はない、と断じておられます。

2011年の本書の刊行から、10年あまりがたちましたが、週刊朝日は2023年に休刊(と称する「廃刊」)になって、マスコミ市場から姿を消しました。

ちょっと長い目で見れば、「縁起の理法」という言葉が思い浮かぶ展開です。

「戦後マスコミ民主主義に警鐘を鳴らす」本書は、マスコミ関係者はもちろん、「民主主義」や「平和憲法」に興味を持つ方にとって、必読の文献だと改めて私は思っているのです。

『現代の法難④』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




神秘の力を持ってるって、やっぱりすごいよね。どうやったら、身に付けることができるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『神秘学要論』――「唯物論」の呪縛を超えて(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

 霊的なものにあまり敏感でない人たちが、もし、そのような世界を感じようとしたら、どうすればよいでしょうか。
 『聖書』にあるように、イエスはそのポイントを、「心清き者は幸いである。彼らは神を見るであろう」と、わずか一条で、はっきりと言っています。
 「心清き者」とは、「心を清らかにしたる者」です。要するに、「この世で生きて、心に付いた塵や垢の部分を落として、透明度を高めた人は、神を見るであろう」ということを、方法論の一つとして、キリスト教で言っているわけです。
 仏教では、これは「反省」になります。そういう霊感は、「八正道」を中心とした反省行や瞑想行を通じて身につけるようになっているのです。
 釈迦が、菩提樹下で大悟したときにも、真夜中に禅定している間に、「三明を得た。『過去・現在・未来』(三世)を見通せるようになった」というように言われています。これは、「霊能力を持った」ということです。
 この世を超えた世界の、何らかの霊的な体験を、そのときに得たというのは、ほぼ間違いないでしょう。その体験が、やはり、伝道への自信になったのだと思われます。
 つまり、単純なことであって、真理を批判的に読むのではなく、それを受け入れ、自分のこととして実践し、心を清らかにする作法を、「反省」なり、「瞑想」なり、「祈り」なりを通して行っていくことによって、霊的な体験をいろいろとするようになるであろうと思うのです。
(52~55ページ)

イエスは、「心清き者は幸いである。彼らは神を見るであろう」と言っている。

仏教では、「八正道」を中心とした反省行や瞑想行を通じて、そういう霊感を身につけるようになっている。

真理を受け入れ、「反省」「瞑想」「祈り」などを、自分のこととして実践することによって、霊的体験をするようになるであろう──。

キリスト教でも、短い教えですが、神秘の力の開発法が聖書で説かれている。

仏教では、「八正道」をはじめとしたさまざまな反省法や瞑想法が、教えとして残っています。

それらを大川隆法先生は、なぜその方法で、神秘の力が開発できるのか、その理論を明快に説いておられます。

また、キリスト教や仏教での方法論の意味をも、現代人にわかるように、日本語で、やさしく、しかも論理的に解説して下さっているわけです。

その教えに従った反省行や瞑想行は、全国各地の幸福の科学の大型研修施設「精舎」や「正心館」で、「研修」などの形で誰もが体験することができます。

「神秘の力」に興味がある方に、お勧めです!
 

『神秘学要論』――「唯物論」の呪縛を超えて

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




靖国参拝について、天上界の昭和天皇はどう考えてるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『保守の正義とは何か』(幸福の科学出版)で、まさに昭和天皇その人の言葉(霊言)を、次のように伝えておられます。

 これは宗教的なものを伴わなければいけませんので、やはり、天皇家が、その責務を本来は負わなければならないと思っております。
 しかし、私の代に、靖国参拝が政治利用されることを深く憂慮して、靖国に行かなくなったことが一つの災いの種となって、その後、「内閣総理大臣の靖国参拝は是か非か」というようなことがマスコミのテーマになったり、政治家の色分けの基準になったり、また、中国との外交関係の“リトマス試験紙”として使われたりしています。そのことに関して、「はなはだ遺憾なことである」と思います。
 靖国参拝は、基本的には、宗教的行為だと思います。(中略)基本的に、靖国参拝は、「天皇がまず参拝をし、先の大戦で悲惨な運命を辿った人に対して、“遺憾の意”を表するのではなく、慰霊をする」ということが大事です。安らかに、安らかに天上界に還るように、靖国で、祈願・祈祷するのが、本来の職務であります。
 現在、「それをするためには、憲法改正が必要である」という解釈が主流であるならば、残念ながら、できないけれども、そうであれば、皇居内にて、公開することなく、慰霊の行事をすべきであると思います。
 靖国という場所そのものが問題ではありません。慰霊の気持ちは、亡くなった者には通じるものでありますから、天皇が、「戦死した方々を慰霊する」という思いを心のなかで伝えることは非常に大事であるし、「これが、日本神道の長としての天皇の本来の役割である」と思っております。(中略)
 同じ国民として、国を護るために戦った英霊を、日本の国内において、きちんと慰霊し、慰撫し、「天上界にお還りになれるように」とお祈りするのが、天皇の本来の職務です。「それを認めない」というのであれば、「教育ならびに言論は、左翼的なマスコミの影響下にある」ということかと思います。
 ですから、右翼こそ、言論の自由や信教の自由を護るべく、強く主張しなければならない立場にあるのではないでしょうか。
 また、「国交上の友好関係を保つかどうか」の問題があるので、非常に難しいのですが、「朝鮮半島の方々や中国大陸の方々が、心証を害される」というようなことが報道されるので、歴代の内閣は大きく影響を受けているのだろうと思います。
 ただ、私は、靖国問題を交渉の種に使って、日本政府を揺さぶってくる諸外国の勢力については、残念ながら、あまり好感は持っておりません。
 なぜならば、われわれ日本人は、例えば、原爆で亡くなった方々に対して、慰霊は行っておりますけれども、原爆を落としたアメリカ人に対して、呪いの言葉をかけたり、恨みの言葉を発したりしているわけではありませんし、他の国の国民に対しても、同じようにしているはずです。
 基本的に、「自分の国の国民で、戦死した人たちを慰霊する」ということは、やはり、その民族の誇りでもあるし、義務でもあると思っております。
(65~71ページ)

靖国には、天皇がまず参拝をし、先の大戦で悲惨な運命を辿った人に対して、安らかに天上界に還るように、慰霊をすることが大事である。

憲法上、それができないのであれば、皇居内にて公開することなく慰霊の行事をすべきである。

それが、日本神道の長としての天皇の本来の役割である──。

とても上品に表現しておられますが、昭和天皇はやはり、内閣総理大臣の靖国神社参拝の問題で、近隣諸国がいろいろ難癖をつけてくるのはおかしいと考えておられるのだと思います。

ましていわんや、自衛隊の方々が靖国神社に参拝したことが問題だなどとは、絶対に言われないだろうと、私は強く思っているのです。

 

『保守の正義とは何か』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




国の未来を拓くなんて、やっぱり、民間にいたんじゃ無理だよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『創造する頭脳』――人生・組織・国家の未来を開くクリエイティビティー(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように説いておられます。

 役人の発想は、基本的に、「なぜ、できないのか」「なぜ、ダメなのか」を中心に回っており、それをいかに整然と説明するかに知力を使っているのである。例外的に文句をつけようがなくなった時のみ書類がパスして、事業が始動するのである。その奥には、責任を取りたくないという自己保身がある。これは、勇気・責任感・積極性・行動力を中心に形成される経営者マインドの正反対のものである。
 いくら税金を投入しても無駄である。むしろ小さな政府を目指して、倒産の恐怖を自分で背負いながらチャレンジしていく民間に任せるべきだ。「創造する頭脳」は未来を積極的に切り拓こうと決断できる勇気の持ち主にこそ与えられるのだ。
(124~125ページ)

役人の発想は、経営者マインドの正反対のものである。

むしろ、倒産の恐怖を自分で背負いながらチャレンジしていく民間に任せるべきだ。

「創造する頭脳」は、未来を積極的に切り拓こうと決断できる勇気の持ち主にこそ与えられる──。

人というのは、ある職業につくと、その職業特有の発想をするようになるものだ、ということだと思います。

職場での訓練ということもあろうし、また、その職業特有の空気というものでもあるかもしれません。

いくら優秀な人たちであったとしても、公務員(役人)の立場になってしまうと、役人の発想しかしなくなる。

そして、いま大川隆法先生が説いておられる「創造する頭脳」というのは、「経営者マインド」でもあるということなんだと思います。

このマインド(心や精神)は、勇気、責任感、積極性、行動力を中心に形成されるとも教えて下さっています。その正反対にあるのが、役人のマインドだ、とも。

「民間」というと、格下のイメージで語られることも多い気がするんですが、そんなことは全然ない。

要は、「創造する頭脳」はそんな「民間」の勇気ある人々にこそ与えられる、と力強く教えておられるのだと改めて私は思っているのです。
 

『創造する頭脳』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




中国って、共産党が絶対なんでしょ。経済成長はずっと続いてるし、このままアメリカに代わって、覇権国家になっちゃうのかねえ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『アダム・スミス霊言による「新・国富論」』(幸福の科学出版)で、アダム・スミスの霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 中国が、今、いちばん恐れていることは、旧ソ連のようになることですよ。だから、ゴルバチョフの失敗を繰り返さないようにしようと、一生懸命にやっているんですね。(中略)
 なぜソ連邦は崩壊したのか。実は、彼の思想自体のなかに、その崩壊の芽はすでにあったんですね。その崩壊した原因を突き詰めていくと何があるか。結局、彼は、グラスノスチ(情報公開)ということをやったわけです。
 自由な経済をつくるためには、「情報入手の自由」がなければならないんですよ。情報が統制されていたのでは、地下経済しか発展しないし、あるいは、政府公認の経済しかできないことになるのです。
 そうすると、基本的に、経済は国有化、国営化せざるをえないわけですね。したがって、官僚の経済原理が機能している範囲内ではうまくいくけれども、それが機能しなくなる時点、機能不全を起こす時点が、必ず来るんですね。
 官僚の経済原理は、農業国から工業国へテイクオフ(離陸)する段階においては、ある程度、機能します。中進国になるぐらいまでは機能するのですが、中進国から先進国に入っていく段階で、機能しなくなるときが来るんです。
 先進国になると、知識や情報をベースにした「智慧の経済学」に移行していくんですね。そして、智慧をつくるためには、「情報交換の自由」「情報入手の自由」が必要になるんです。市場経済にとっては、それが必要になるので、今、「経済がうまくいっている」と思っていても、本当はもう、中国には限界が来ています。
 最近、中国では、グーグルと中国政府との衝突や、国内の暴動に関する報道管制など、いろいろな問題が出ています。二十年前の天安門事件でも、天安門広場でのデモに対して戦車を出し、同胞たちを殺戮していくシーンをCNN等で流されたため、「中国というのは、こんなに非近代的な国である」ということが分かってしまいました。
 そのため、一切、そういう情報が流れないように、情報警察がものすごく発達して、取り締まっているわけです。
 しかし、これは敗れると思います。(中略)情報が自由に取れなければ、世界レベルでの、グローバル・ネットワーク下での経済を起こすことは不可能なんです。「世界各地で、今、何が起きているか」ということが、刻一刻、分からなければ、今の経済は成り立たないんですね。
 だから、この「情報入手の自由」、あるいは、情報公開という部分で、中国には、おそらく崩壊が起きると思われます。(中略)
 その崩壊が起きる時期は、自分たちがピークを極めようと思っている、まさしくそのころだと思われます。もう一段の欲が出たときに、崩壊するはずです。

 彼らはショックを受けるでしょう。そして、「資本主義的発展の裏には、宗教に代表されるような、神を信じる心や、倫理観というものがあるのだ」ということや、「情報入手の自由、情報交換の自由なくして、第三次産業国家への移行はできないのだ」ということを、彼らは知るようになるでしょう。
(61~66ページ)

自由経済には「情報入手の自由」が必要であり、情報が統制されていれば、経済は国有化せざるをえないが、中進国から先進国に入っていく段階で、機能不全を起こす時点が必ず来る。

先進国になると、知識や情報をベースにした「智慧の経済学」に移行していくが、智慧をつくるためには、「情報交換の自由」「情報入手の自由」が必要になるから。

その自由がないため、今、経済がうまくいっているように思えても、中国にはもう限界が来ている──。

「経済学の父」とも呼ばれる18世紀の経済学者、アダム・スミスによる、中国崩壊の予言です。

その透徹した視点。

そして、「資本主義的発展の裏には、神を信じる心や倫理観がある」という言葉は、明らかに神格を持つ高級霊であることを示しているようです。

こんな驚くべき霊言を、現代日本語で学べるのは、ほんとうに奇跡というほかないだろうと、改めて私は思っているのです。

『アダム・スミス霊言による「新・国富論」』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




入試たけなわだよね。受験戦争なんて、なんであるんだろうね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ミラクル受験への道』(幸福の科学出版刊)で、こう説いておられます。

 いずれにしても、まずは何かで頭角を現さなければ、認められるということはないのです。みなさんは、まずは芽を出さなければいけません。モヤシみたいに芽を出すか、タケノコみたいに芽を出すか、いろいろ違いはありますが、まずは芽を出さなければいけません。それは、何かの“武器”でもって、実社会や大人の世界で、自分の存在を認めてもらわなければいけないということなのです。
 そして、「受験」という機会は、実はいちばん大きな土俵だと思うのです。全国レベルの土俵で、ある程度、みなさんにチャンスが与えられているのだと思ったほうがいいでしょう。
 「受験戦争」というような言葉もありますが、実際、死ぬわけではありませんから、戦争などというものではありません。「受験に敗れたら死ぬ」というのなら、それは大変です。「大学入試に落ちたら死ぬ、あるいは死刑になる」なんていったら、これはもう大変です。本当に命懸けになりますが、現実はそんなことはありません。大学はいくつもあるし、どの大学に入っても、別に殺されるわけではありません。
 要は、「満足度」の問題です。親の満足度、自分の満足度、世間の評判、こういうところに違いがあるだけです。死刑になるわけでもないし、戦争で死ぬわけでもありません。受験戦争と言っても、あくまで、「同年代の人たちと比べて、自分の努力が認められるかどうかということを客観的に測られる」というだけのことです。
(85~87ページ)

まずは何かで頭角を現さなければ、認められるということはない。

受験という機会は、全国レベルの土俵で、チャンスが与えられている。

受験戦争といっても、実際に死ぬわけではなく、自分の努力を客観的に測られるだけのことで、要は「満足度」の問題にすぎない──。

いま、受験の渦中にある人や、そのご家族は、たいへんな思いをしておられることと思います。

でも、大川隆法先生は、仏の視点で、受験というものの本質を教えてくださいます。

要するに、誰が何にどの程度満足するかということにすぎないんだ、と見切ってしまったら、気が楽になってこないでしょうか。

むしろ、受験はチャンスなんだと前向きに捉えてみたとき、こんな貴重なチャンスを活かさない手はないわけです。

受験生のみなさんが、このお教えを胸に、少しでも明るくポジティブな気持ちで勉強に取り組んでいかれますように、心から祈念したいと私は思っているのです。
 

『ミラクル受験への道』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




お隣の北朝鮮は核ミサイルを開発してるし、中国なんか、日本の主要都市に核ミサイルの照準をあわせてるんでしょ。日本はどうすればいいのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『龍馬降臨──幸福実現党・応援団長 龍馬が語る「日本再生ビジョン」』(幸福の科学出版)で、幸福実現党の応援団長を自認する坂本龍馬の霊の意見(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 ああ、もう簡単だ。核兵器つくったらええ。そんなもん、どこの許可も要らん。主権国家なんだから、つくったらええんだ。(中略)「日本は核兵器をつくるけれども、これは、中国や北朝鮮が核を完全に廃止するまでの間だけである」と言って、つくるんだ。
 「向こうが核兵器を廃止して捨てたら、うちも捨てる。それまでは、防衛上、持ちます。しかし、本来、持ちたいと思っとるわけではない。彼らが核兵器を捨てるのを促すためにつくるけども、彼らが捨てたら、うちも捨てる」と言ったらええ。
 これで、なんにも文句ないじゃないか。これで対等じゃないか。これが対等外交じゃないか。どこが間違うとるんだ。向こうだけ核兵器を持って、こっちは持ってない。そんなの負けるに決まっとるじゃないか。やりたい放題だ。
 あちらが「撃つぞ」と言ったら、もう、それで白旗だな。日本の首相なんか何人でも替えられるよ。「この首相は気に入らんから、撃ち込むぞ」と言われたら、交代だ。もう、ほかに方法はない。どうするんね。一発で十万人死ぬぞ。(中略)
 今は、もうちょっと性能がいいものができとるだろうから、もっと死ぬかもしらんなあ。今の中国ぐらいのもんだったら、五十万人ぐらい殺せるもんはあるかもしらんな。それだったら、なんぼでも脅せますから。
 そして、アメリカのほうは引いていかせて、仲悪くさせようとしている。もう中国の戦略に乗っとるわな。これを、「黒船」と言ったり、「国難」と言ったりするかもしらんけど、人にやってもらおうと思わんと、自分らのほうから案を出したらええんだ。
 「日本を侵略する可能性のある近隣の国が、核兵器を廃絶した場合は、日本も持ちません。ただ、それまでの間は、一時的に、防衛上、多少、持たせていただきます。多少です。そんなにたくさん持とうとは思ってません。ただ、性能のいいやつを、多少、持ちたいと思っております」と言やあいいんだよ。
 ほんの十発か二十発でも持っとりゃあ、もう十分なんだよ。つくれるんだから。つくって持ってたら、「いざ、日本に核戦争を仕掛けるぞ」と言ってきても、「うちもつくってますけど、ええですか」と言ったらいい。経済力があれば、いくらでもやれるわけだからね。
 これに反対するのが正義だとは、わしは思わんね。アメリカが反対するのも、あんまり賛成には思わんね。
(61~66ページ)

核兵器をつくったらええ。主権国家なんだから、どこの許可も要らん。

核兵器をつくるけれども、これは中国や北朝鮮が核を完全に廃止するまでの間だけであると言って、つくればいい。

これに反対するのが正義だとは、わしは思わんね──。

これはまた、かなりの極論ですけれども、よくよく考えてみると、そうおかしな話ではないのかもしれません。

発想としてはとても面白いとも言えるのではないでしょうか。

ただ、いくら高級霊の意見だといっても、さすがに幸福実現党は、この坂本龍馬の意見を国防政策そのものにしてはいません。

政策として幸福実現党は、「抑止力の抜本強化を図るため、非核三原則を撤廃し、米国による核の持ち込み容認と、自前の核装備を積極的に検討」と掲げています。

いずれにしても、〝核″という言葉だけで思考停止してしまうのではなく、こんな形で自由にアイデアを出し合うことで、国の未来の安全保障は形作られていくのではないかと私は思っているのです。

『龍馬降臨』

  大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




世渡りってものがあるよね。この世では、バカ正直ってのも考えものですよ。なーんて言葉を聞かされて、そうなのかなあ、正直に生きた方がいいんじゃないのかなあ、って、悩んだりしてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の仏陀』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

まず、おまえたちは、うそをついてはならない。
正直を旨とせよ。
時に、正直に生きることが、
この世的に、どれほど愚かに見えることがあるとしても、
やはり、おまえたちは正直一途(いちず)に生きなくてはならない。

うそを言って、世渡りをする者もある。
そのような者が次々と手柄を手にしているかに
見えることもあるだろう。
しかし、私は、おまえたちに言っておく。
うそを言い続けて、真に成功する人はいないということを。
そのうそは、いつか他の人の見抜くところとなり、
やがて、そのような人は辱めを受けることとなるだろう。
たいていの場合、この世に生きているうちに、
その辱めを経験することになるであろう。
しかし、万一、今生(こんじょう)において、
そのうそ、ばれることなく、逃げおおせたとしても、
人間には来世というものがある。
この来世というものの恐ろしさは、
そこでは一切のうそが通じないというところにあるのだ。
菩薩の心を持っていなければ、
菩薩たちの世界に済むことはできない。
また、地獄の鬼たちは、
鬼の心を持って生きていると言わざるをえない。
この地上を去った世界では、
一切のうそ、偽り、言い逃れは通用しないと
心しなければならない。

さすれば、この地上においても、
おまえたちの真価は、
正直に、おまえたち自身の、
その思いと行いを表しているところに現れるのだ。
もし、うそ、偽りを使わなければ、
おまえたちが世に認められないというならば、
そのような成功は、やがて、仮面をはがれ、
暗い淵のなかに投げ入れられることになるであろう。
よって、正直に生きる者は、最後には勝利するのだ。
それを忘れてはならない。
(54~58ページ)

うそを言い続けて、真に成功する人はいない。

正直に生きる者は、最後には勝利するのだ。

正直を旨とせよ──。

大川隆法先生の教えは、明快です。

その背景をちょっとむずかしい言葉で説明してみると、そこにあるのは「原因・結果の法則」(「因果の理法」)だと思います。

正直に生きていれば(原因)、その結果として、天上界に還ることができる。

うそ、偽りで生きていれば(原因)、その結果として、死後は厳しい世界に行ってしまう。

正直に生きるというのは、良心に照らして恥ずかしくない生き方をすることだろうと思います。

そして、この「良心」こそが、自分の中にある仏の性質(「仏性」)の一部だと考えてみたとき、なんだか、とても心があったかくなる気がします。

大川隆法先生は、ここでは神さまとか仏さまと言ってはおられません。
 
でも、言葉を換えれば、神さまや仏さまに見られても恥ずかしくないように生きよ、そうすれば天上界に還ることができる、と言っておられるのではないでしょうか。
 
そして、それこそが、信仰を持つことの大切な意味の一つでもあるのだろうと、改めて私は思っているのです。

 

永遠の仏陀―不滅の光、いまここに 『永遠の仏陀』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




演技論って、重厚な本もあったりするけど、やっぱしむつかしいよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『南原宏治の「演技論」講義』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 当会も「スター養成スクール」「ニュースター・プロダクション(株)」「ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ未来創造学部・芸能・クリエーター部門専攻コース」をもって活動している。(中略)
 ということで、「演技論」のテキストが必要になってきた。数十年のスター人生を生きてこられた故・南原宏治さんが手伝って下さるというので、一冊にまとめてみた。
 私自身は説法歴は長いが、俳優歴はないので、参考になった。一流スターとして数十年活躍を続けるのは、万に一つぐらいの確率なので、たぶん東大を卒業するより難しいだろう。照れかくしの奥にあるプロフェッショナルの厳しさを感じとって下されば幸いである。
(1~2ページ)

照れかくしの奥にあるプロフェッショナルの厳しさ──。

南原宏治といえば、悪役として名高い名優でしたが、生前、幸福の科学の本部講師としても有名な方だったと思います。

その名優だった本部講師の霊が、天上界から演技論を説いた講義が、「霊言集」として一冊にまとめられたわけです。

一見、手軽なソフトカバーであるけれども、まさに幸福の科学しか出せない、貴重な書物。

笑いの中に隠された、本物の俳優の凄味と奥深さ。

本書は、「演技」の世界に興味関心をもった方、必読の書物であると改めて私は思っているのです。
 

『南原宏治の「演技論」講義』

 大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




人間って、死んだらどうなるの? 生まれ変わってくるの? 動物に生まれ変わったりしないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『釈迦の本心』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「人間は、人間の魂として、すでに何億年も前から選別されており、人間の魂が動物に生まれ変わることはほとんどない」と言ってよいのです。人間はあくまでも人間として転生輪廻(てんしょうりんね)していきます。(中略)
 転生輪廻の思想をつかむことは非常に革命的です。今世だけだと思うからこそ、悩みや苦しみが数多く生まれてくるのです。「過去世があり、今世があり、未来世があるという流れのなかに、現在の自分がある」と知ることは、「未来において、自分がどのような生活を享受するか」ということを、自らの力によって決定できることを意味しているのです。
 これは「来世において、あるいは未来世において、幸福になろうとする者は、現在ただいまにおいて、その幸福の種をまいておけ」ということであり、自力という修行方法によって、みずからの未来の豊かさを確保できることを意味しているのです。
 すなわち、転生輪廻の思想は、現在において努力したことに対する保証なのです。
(150~152ページ)

生まれ変わりがあるんだから、人生は今世で終わらない。

今世の努力は無駄にならない。

何らかの形で、自分の魂の糧となって、また来世以降の自分の人生へとつながっていく──。

つまり、今世の努力は、来世を幸福にするって意味がある。

ただ、何度もこれから生まれ変わるとしても、この時代のこの国に、この名前とこの身体で、この立場で生まれてくるのは、やっぱり一度きりなんだよね。

そう考えてみると、この人生を、そして今の時間を大切に、一歩一歩努力して進んで行くことは、やっぱりとっても大切になんだということが、改めて腑に落ちた気が私はしているのです。

 

釈迦の本心―よみがえる仏陀の悟り (OR books) 『釈迦の本心』

   大川隆法著


(↓ 更新の励みに、ブログランキングに参加しています。このアイコンを毎日1クリックすることで、応援していただけたらうれしいです!) 
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 幸福の科学へ



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ