ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



人間はあの世とこの世を転生輪廻(てんしょうりんね)してるって、幸福の科学では教えてるんでしょ。でもほんとなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀再誕』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

しかし、私は言っておく。
事実は事実、真実は真実。
何人もこれをねじ曲げることはできない。
あなたがたを、たとえあざ笑い、否定し、批判し、
また、誹(そし)る者が現れても、彼らは何も知らないのだと思いなさい。
何も知らない彼らが、
真実を知っているあなたがたを批判することはできないのだ。
人は、自らが知りえたること以上のことを言うことはできない。
自らが認識しえたこと以上の認識を示すことはできない。

同じ時代に、同じ地域に、同じような立場で生まれ合わせたとしても、
それぞれの魂の境涯はさまざまである。
それは、永遠の進化の過程において、
ある者は早く進み、ある者は歩み遅くついてきているからだ。
その事実が、地上にある間には、なかなかわからない。
いや、むしろその逆であることも多い。
この世では、この世的に住みよい人、
この世的に住みやすくしたいと思う人間、
この世的によりよく生きたいと思う人間を、
重用する傾向がある。
それゆえに、あの世を信じ、あの世の世界の幸福を願う人間が、
この世では生きにくくなっているやもしれぬ。

されど、勇気を奮い起こせ。
真実を知っている者は、強くなくてはならない。
真実を知っている者は、心弱くあってはならない。
口さがない者たちの批判に負けてはならない。
表面的な理解しかできていない者たちの批判に、負けてはならない。
真実は真実、事実は事実。
世の常識を、世の常識としていつまでも通用させてはならない。

諸々の比丘、比丘尼たちよ。
私は、おまえたちに、これだけはどうしても言っておきたいのだ。
おまえたちの最低限の仕事として、
人びとに永遠の生命を教え、
また人間が
この世とあの世を転生輪廻している存在であるということを、
教える必要があるということなのだ。
実は、この思想こそが、
人間として生まれ、生き、成長してゆく過程において、
発見するところの最大の真理であるのだ。
ほかにいかなる地上的真理を学ぼうとも、
それらの真理の値打ちは、この真理にはかなわない。
この真理から見れば、ほんの子供だましにしかすぎない。
人間が永遠の生命を生き、転生輪廻をしているという事実、
その事実を知った時に、人びとの価値観は変わらざるをえない。
人びとの価値観はまったく一八〇度の転換を見るようになるであろう。
すなわち、それより後、
人びとは、自分の人生をもっともっと長い時間のなかで、
考えることができるようになってゆくということなのだ。
(257~261ページ)〔携帯版267~271ページ〕

人間には永遠の生命があり、この世とあの世を転生輪廻している。
事実は事実、真実は真実である──。

2009年も暮れゆこうとしています。

今年は、勇気の年であり、幸福実現党の立党と選挙を体験し、また、映画『仏陀再誕』が全国公開された年でもありました。そして、このブログにとっては、記念すべき1000回の記事更新を達成した年でもありました。

この激動の年を、映画の原作『仏陀再誕』に説かれた仏言を味わいつつ、静かに見送っていきたいと思います。

本年もこのブログを愛読して下さった皆様、本当にありがとうございました。また、来年も、よろしくお願い申し上げます!



『仏陀再誕』

大川隆法著


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不況だよね。こういうときこそ、顧客のニーズをしっかりとつかまないと、経営は傾いちゃうよね。でも、どうやったら、その顧客ニーズをつかめるのかな? なーんて悩んでる経営者の人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『社長学入門』(幸福の科学出版)のあとがきで、こう教えておられます。

 「顧客ニーズをつかむ」ということは、本章で述べた「運」ということとも少し関係するかもしれません。運の良い人はニーズがすぐに分かります。(中略)その運のもとになるものは、ひらめきです。同じものを見ても何もひらめかない人もいます。何を感じるかが大切なのです。(中略)それは、各人の守護霊や、さらに霊格の高い指導霊たちの力でもあるでしょう。(中略)
 そこで、「どうしたら、ひらめくか」ということですが、ひらめきのなかには、「人間の頭のなかに蓄積されているものが発酵して出てくる」という場合も当然あります。したがって、その側面で見るならば、「常に求め続けている」という姿勢が大事です。
 「何かニーズはないか」と常に思っている人にはニーズが見えてきますが、思っていない人には見えてきません。常に求めている人が、あるときにひらめくものなので、求め続けることが大事なのです。
 「ニーズを知りたい」と求め続けて、あらゆる機会にそれを捉えようとする人、すなわち、「テレビを見る」「ラジオを聴く」「街を歩く」「風呂に入る」など、あらゆる機会に、いつも考え続けている人には、ひらめきが来ます。(中略)
 さらに、その人の求め続ける姿勢とも関係がありますが、「祈り」というものもあります。
 祈った者には応えが来ますが、祈らない者に応えは来ません。不公平だと思うかもしれませんが、これは事実です。私のように霊的な能力を持つ者には、それがすぐに分かります。祈れば、天使が現れて、助けようとしてくれますが、祈らなければ天使は来ません。彼らも忙しいのです。「助けが必要であるかどうかは自分で判断してください」と思っていて、祈りがない場合にまでお節介はしません。
 したがって、あの世の天使たちに対して祈れば必ず応えが来ますが、祈らなければ応えは来ません。普段はやってこないような霊人に対しても、その名を呼び、祈れば、やってきます。これは現実にあることなのです。(中略)
 十年前や二十年前にこの世を去った優秀な経営者のなかには、この世の人に「自分の“衣鉢”を譲りたい」「自分は死んだけれども、この世で事業をしている人に自分のノウハウを譲りたい」と思っている人が数多くいます。そういう霊人は、経営についてずっと考えを練り、ひらめきを求めているこの世の人に、霊感のかたちでアドバイスを下ろしてくれるのです。(中略)
 霊界からのアドバイスを受ける方法は、まず、その人が真剣に求めていることです。
 それから、心に曇りがないことです。無私の心で無心に求めていること、つまり、「世のため人のために、やらなければいけない仕事なのだ」と思い、無心に求めていれば、応えが来ますが、我欲を出して、「もう少し贅沢をしたい」「個人的に、いい格好をしたい」などという思いがある場合には、天上界からのアドバイスは来ません。そういう場合には、逆に悪魔のほうからの“アドバイス”が来るかもしれません。
 そういう意味で、企業経営にも宗教的な修行が合体してくるのです。
(349~356ページ)

運の良い人はニーズがすぐに分かる。そのもとになるものは、ひらめき。そのためには、常に求め続けている姿勢が大切である。

さらに、祈ること。祈れば、天使が現れて、助けようとしてくれる。真剣に求め、心に曇りがなく、無私の心で無心に求めること──。

要するに、この世的には、常に求め続ける姿勢を持つこと。

そして、祈ること。

そのためには、幸福の科学の「精舎」の研修に行って、天上界の応援を、無私の心で無心に求めるのが大切だってことに、なりそうですよね!



『社長学入門』

大川隆法著


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日本って、最近、犯罪が多い気がするよね。どうしたら減るのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 現在の世の中を見渡してみると、あちこちで犯罪が増えています。もちろん、「法に触れる」という意味での犯罪が目につきやすいわけですが、私には、違った意味での犯罪が気になってしかたがないのです。
 世に言う「犯罪」という言葉は、思いより行為を対象にしており、他の人の権利を侵す行為が犯罪と呼ばれています。しかし、これは、ほんとうの心の秘密を知らない人の考えであると言っても過言ではないでしょう。
 ほんとうに犯罪が起きているのは、心のなかにおいてなのです。行為として、この世に現れた犯罪は、心のなかに現れた犯罪の十分の一にしかすぎないのです。
 この地上から、他人を害する行為をなくすには、まず、人の心のなかから、他人を害する思いをなくさねばなりません。他人を害する思いを人の心のなかからなくすことができて初めて、他人を害し、他人の権利を侵す行為が地上から消えてなくなるのです。
 思いが原因であり、行為は結果です。結果をなくすためには、原因を探究し、原因の根を取り除くことが肝心です。
 それでは、「思いにおいて犯罪を犯さない」とは、どういうことでしょうか。それは、「他人の権利を侵害しない」という消極的な考えが中心であってよいわけではなく、積極的に、「他の人々を幸福にしていこう」という思いを持つことから始まるのです。
 よく言われるように、人間の心は同時に二つのことを思うことができません。心のなかに悪いことを思い描かないためには、悪いことを取り除くことに専念するよりも、むしろ、よいことを思おうとするほうが大事なのです。
 よいことを常に心に描くようにすれば、必ず、悪い思いは一掃されることになります。よい思いを心のなかに描きつづける行為こそが、「心に悪を抱かず、悪を行わない」ということを戒律として自分に課すことにもなるのです。
 いや、結果は、それ以上に素晴らしいものとなるでしょう。なぜなら、自分の心のなかが、他の人々への善意と愛に満ちているならば、その善意や愛を受けた人々も、必ずや喜びを胸に抱くはずだからです。
 彼らは、その喜びを心のなかに隠していることができるでしょうか。それを単に隠しているだけでは、「自分が人間である」という事実すら確認できないことになるでしょう。人間であるならば、他の人から優しい思いや行為、思いやりを受けた喜びは、必ず感謝となって表れてくるはずです。
 その感謝が、愛を与えてくれた人への感謝になるか、それ以外の人への愛の行為となるかは、時と場合によるでしょう。しかし、いずれにせよ、「悩みの渦中にあった人が、他の人から愛を受けることによって、マイナスの発想をやめ、プラスの発想へと心を切り替える」という瞬間が生まれます。これは実に大切なことだと思います。
(52~55ページ)

ほんとうに犯罪が起きているのは、心のなかにおいてである。思いが原因であり、行為は結果にすぎない。

だから、この地上から、犯罪をなくすには、まず、人の心のなかから、他人を害する思いをなくさねばならない。

それは、他人の権利を侵害しないというような消極的な考えではなく、積極的に、他の人々を幸福にしていこうという思いを持つことから始まる。

よいことを常に心に描くようにすれば、必ず悪い思いは一掃されるし、それ以上に、他の人々への善意と愛に満ちた思いは、素晴らしい結果を生み出していく──。

つまりは、積極的に他の人々を幸福にしていこうという善念、愛の思いを持った人々に満ちあふれた社会は、仏国土ユートピア社会になっていくってこと。

そんな社会を創り出すために、私たち一人一人が愛の思いを持って、まずは小さくとも、自分のできる範囲で、与える愛を実践していきたいものですよね!



『限りなく優しくあれ』

 大川隆法著


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「ソウルメイト」って言葉、聞いたことがあるんだけど、なんなの、それ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人は、自分自身のことを「独立した個人」と思い、それぞれの一生を生きていますが、この世における人生は、言ってみれば、「大きな木の枝から出ている一枚の葉っぱ」のようなものなのです。(中略)
 若芽として出た葉っぱは、太陽の光エネルギーをたくさん浴びると、炭酸同化をして、どんどん生長し、葉の緑が濃くなっていきます。(中略)やがて、秋になると、緑色だった葉っぱが、赤色や黄色へ、さらに茶色へと変色していきます。
 これは、人間で言えば、「人生の盛りを過ぎ、だんだん年を取ってきた」という段階に相当するでしょう。(中略)
 そして、「この葉っぱは、もうすぐ落ちるだろう。いつ落ちるだろうか」と、周りから見られるころになると、ある日、北風がヒュッと吹いたときに、はらりと落ちて、人生が終わるわけです。(中略)
 その枝の近くには、ほかにも何本もの枝が生えていることが分かります。
 これと同じように、あなたの魂に近い魂、昔、枝分かれした魂があります。あなたの魂と同じころに創られ、あなたと関係のある魂が存在するのです。
 これを、英語圏では、よく、「ソウルメイト」と呼んでいます。魂の兄弟とは別に、いつも一緒のグループで魂修行をしている人々がいるのです。
 魂的に縁のある人々は、“同期生”として、転生輪廻のたびに、だいたい同時代に生まれます。時代が変わっても、たいていは、親しい仲間が、ある程度のグループになって、同じようなときに生まれ、家族や親戚になったり、仲のよい友達になったり、職場でいつも顔を合わせる同僚になったりするのです。(中略)
 このように、何か縁のある魂たちが、何十人ものグループとなって、この世に生まれるのが普通であり、一人だけでポツンと生まれることはありません。(中略)
 さらに、その枝を手繰っていくと、もっと太い枝となります。そして、一本の「生命の幹」が現れてきます。魂が地上に出てくるときに幹となっている部分があるのです。
 たとえば、日本人として繰り返し生まれている魂のなかには、九州地方や関西地方など、ある特定の地域に磁場を持っていて、その辺りを中心に何度も生まれている人がいます。
 何か縁がある所に一本の幹があって、それにかかわる人たちが、集合的に、グループとして、たくさん枝を出しているのです。また、社会のレベルや国のレベルで集合した魂のグループもあります。(中略)それがまた、いろいろなところにつながりながら、一本の大きな木につながっているのです。
 そういう大きな木の幹から出ている枝のなかの、小さな枝の先の葉っぱの一枚として、あなたは生きています。
 魂は、個人として独立していると同時に、実は、大きな大きな「生命の大樹」ともつながっています。
 そういう仕組みのなかで、転生輪廻を、繰り返し何度も行っているのが、人間の姿なのです。
(231~237ページ)

私たちの魂と同じころに創られ、私たちと関係のある魂。

ある程度のグループになって、転生輪廻のたびに、だいたい同時代に生まれ、家族や親戚になったり、仲のよい友達になったり、職場でいつも顔を合わせる同僚になったりする。

これが、ソウルメイト──。

私たちは、けっして一人なんじゃなくって、「魂の兄弟」と呼ばれる人々が、今生まれてきている自分を含め6人一組で霊界にいて、順番に守護霊を勤めてくれるんだけど、それ以外に、グループとなってまとまって生まれてくる、魂たちがいる。

そして、それだけじゃなくって、私たち人間の魂全体は、大きな大きな「生命の大樹」ともつながっているってこと。

なんて大きな世界観、そして宇宙観なんでしょうか。でもこれこそが、魂のほんとうの真実なんだってこと、なんですよね!



『生命の法』

大川隆法著


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仕事に命をかけるには、天命を見極めよって、いうんだけど、でも、そんなの分からないじゃない。やっぱり偉くなりたいからさ、オレって、とにかく起業して、社長やりたいんだけどな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『経営入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 自分の天命を見極めることは、仕事に命をかける方法であると同時に、自己の悟りでもあります。「『いかなるか、これ、本来の自己』ということを、仕事を通じて探究せよ」ということなのです。
 すなわち、「自分自身を知れ。仕事の世界には他の人が存在する。そのなかで、自分の果たすべき仕事、役割は、どのようなものであるか。天命を自分自身で知れ」ということです。
 自分の天命を見極めるのは、極めて厳しいことであり、また、つらいことでもあります。ある意味では、自分自身の力量や能力、才能、持って生まれた運などを、第三者の目で見抜かなければいけないのです。
 しかし、そこから目を背けてはいけません。生まれてから現在までの自分自身を第三者の目で見てみると、その力量や能力、天分などが、ある程度、分かってくるはずです。(中略)自分の天命を見極め、それを受け入れたならば、次に、適材適所をよく考えることが大切です。(中略)
 自分をじっと見て、自分は「鑿(のみ)」として使える人間なのか、「鉋(かんな)」として使える人間なのか、「鋸(のこぎり)」として使える人間なのかを考えなければいけません。
 そして、「鋸の役割が自分には最も向いている」と思うならば、そこに自分の最高の仕事を求めていくべきです。あるいは、「鑿のように一本の溝を細く掘っていくのが自分の仕事だ」と思えば、その道に生きるのも一つの選択です。
 そのように、自分自身の器をよく見極めなければいけないのです。
 本当の喜びとは、すべての人が同じ職業に就くことでもなければ、すべての人が同じ立場に就くことでもありません。それぞれの人間が、持って生まれた天命を生かし切ってこそ、本当の喜びがあるのです。
 金槌(かなづち)には金槌の喜びがあります。金槌に「鉋の役割をしなさい」と言っても無理です。金槌は釘を打ち込んでいくことに、やはり喜びがあるのです。
 したがって、「自分の本来の喜びは、どこから得られるのか」ということを、よく知る必要があります。「経営トップとしての仕事をすることが喜びだ」という人もいれば、「補佐役こそが最高の能力発揮の場だ」という人もいるのです。(中略)
 それぞれの役割を十分に知ることが大事です。これは、単に「足ることを知る」ということではありません。天命を知った上で、自分を最高度に発揮し、発展させるための考え方なのです。
 天命と違うところでいくら努力をしても、ある意味で“努力逆転”になるのは当然のことです。(中略)人にはそれぞれの天命があるので、それに忠実に生きていくことが最高の自己発揮になります。天命とは全然違うところで努力をしても、やはり成功はしないものです。
(60~66ページ)

本当の喜びとは、すべての人が同じ職業に就いたり、同じ立場に就くことではない。それぞれの人間が、持って生まれた天命を生かし切ってこそ、本当の喜びがある。

極めて厳しく、つらいことでもあるが、そこに目を背けてはいけない。

自分の天命を見極めることは、仕事に命をかける方法であると同時に、仕事を通じた自己の悟りでもある──。

お金が儲かりそうだからとか、カッコいいからとか、みんなが行きたがるからというだけで、自分の仕事を選んではいけない。自分の目指す立場を決めてはいけない。

よくよく見極めるのはつらいんだけど、自分というのは、歴史上の偉大な人物に比べてしまうと、そんなに偉大じゃないのかもしれない。才能も、器も、運も、たいしたことはないのかもしれない。

でも、自分には自分の持って生まれた個性があり、天命がある。それをしっかり探究したうえで、それに沿って自己発揮し、発展していくというのは、今世の自分だけが味わえる幸福への道だってこと、なんですよね!



『経営入門』

大川隆法著


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彼って、愛してくれるのはいいんだけど、ちょっと嫉妬が強くってさ、縛られちゃって、何もできないの。別れちゃったほうがいいのかな? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、書籍『ハウ・アバウト・ユー?』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 やはり、愛のなかには、一部に健全な嫉妬心はあるでしょう。
 嫉妬心そのものは、なくすことはできません。
 嫉妬心は、向上心や競争心などとも関係しているので、たぶんゼロにはならないでしょう。(中略)
 松下幸之助は、「嫉妬心は狐色に程よく妬かなければならない」と、上手な言い方をしています。
 「真っ黒焦げ」になるほどに妬いては駄目なのです。
 しかし、まったく妬かないというのも駄目で、「きつね色に、こんがりと妬くのがよろしい。その程度にしなさい」と言っています。
 これも一種の中道でしょうか。珍しい教えかもしれませんが、「嫉妬心における中道」ということでしょう。
 夫であれ妻であれ、やはり多少の嫉妬心や独占欲はあると思います。
 特に、夫婦の片方が趣味やサークル活動などに熱心になったりすると、心配になって、いろいろ言いたくなるでしょうが、「嫉妬心は、きつね色ぐらいまでですよ。焦げ茶になったり、真っ黒になるまでいったら、やりすぎですよ」ということです。
 もっとも、「嫉妬心をまったく持っていない」という場合も、ちょっとどうかと思います。
 「ご自由にどうぞ。全然、何も気にもしていないし関心も持っていませんから、どこへ行って、どこで死のうとかまいません」というのは、愛がないのとほとんど同じなのです。
 きつね色にこんがりと妬いて、害を与えないぐらいの嫉妬心で止めるのがよいのです。そのあたりで止めれば、幽霊にならずに済みます。
 しかし、「真っ黒焦げになるまで妬いたら、幽霊になりますよ」と、ご注意を申し上げておきたいと思います。
 これは、夫に対しても子供に対しても同じことです。真っ黒になるまで妬いては駄目です。きつね色にこんがりと、うっすらと妬けるぐらいまでにしてください。(中略)
 嫉妬というのは、「愛している」ということの意思表示でもあるので、少しはかまわないのですが、真っ黒まで妬いてはいけませんし、相手を完全に籠のなかに入れても駄目です。
 「少しは嫉妬しつつも、ある程度、相手を信じつつ、自由にしてあげる」という、そのあたりの加減が大事です。
 また、世間の人は全部が同じ立場ではありませんので、相手の職業などに合わせた調整をして、ある程度の立場に立った人には、それなりの“できた奥さん”になっていかなければ、難しいこともあります。
 そのように、相手の立場相応に、女性のほうも進化していかなければならないというわけです。
(68~73ページ)

嫉妬心は、向上心や競争心などとも関係しているので、なくすことはできない。愛のなかにも、一部に健全な嫉妬心はある。

だから、少しは嫉妬しつつも、ある程度、相手を信じつつ、自由にしてあげることが大切である──。

うーん、大川隆法先生は、嫉妬は悪しき感情だからすべてダメだとは、言われないんですね。

嫉妬といっても、その中には、健全な嫉妬もある。そしてそれも、個々の相手の職業や立場などに合わせた、許される嫉妬の加減がある。

つまりは、「嫉妬心における中道」を私たちは追究していかなければならないってこと、なんですよね!



『ハウ・アバウト・ユー?』

大川隆法著


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事業やってる以上、自分の事業は無限に発展し続けなきゃって思うのは、企業家の本能だし、当然のことでしょ? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『リーダーに贈る「必勝の戦略」』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「チェーン店を広げよう」と思っている経営者は、「自分の会社のチェーン店が、日本中に、何百、何千と広がっていくことこそが理想である」と考えているでしょう。しかし、世の中には、自分の会社だけが存在するわけではなく、同じような仕事をしている同業他社がたくさんあります。
 同じようなコーヒーチェーンもあれば、同じようなラーメン屋も、同じようなスーパーもあります。
 「外食産業では、開店して三年以内に約七十五パーセントが撤退する」というのは、「過当競争によって同業者が潰し合っている」ということでしょう。日本の人口自体は、いま、ほとんど増えないので、過剰な供給があれば、結局、「お客様に選ばれる」というかたちで淘汰されることになります。
 自分の会社が発展することだけを考えている人から見れば、それは、なかなか受け入れがたい結果であるかもしれません。
 ただ、もう一つ別の視点、すなわち、全体を見る目も必要です。同業他社の努力や、「お客様が何を選ぶか」という結果をよく見て、自分に与えられた「分」や器、与えられるべき名誉というものを、じっと見通す目も必要なのです。
 「自分にふさわしい結果が現れてくる」ということは、知っていなければいけません。「希望は実現する」とはいえ、やはり、理想の難度が高くなればなるほど、実現の可能性が低くなることは事実です。(中略)
 人間には欲があります。その欲は、ある程度までは、その人を成長させるための原動力になります。しかし、その欲が拡大していく過程では、足が絡まって倒れるようなかたちで、うまくいかなくなることもあります。
 船の底にカキ殻がたくさん付いてくるように、成長に伴い、いろいろな欲望が付随して現れてきて、邪魔になってくることもあれば、他の人の考えや人間関係などで、しがらみができることもあり、ストレートにいかなくなるときがあるのです。
 ある程度のところまでは、欲に基づき、「欲を伸ばす」というかたちで元気にやっていけますが、ある成長点を超えたあたりから、今度は、「欲を捨てる。欲を畳んで絞り込む」ということが必要になってきます。このように、成功の原理が変わってくることがあるのです。
 槍術では、「槍は突くよりも引くほうが難しい。引く速度がかなり速くなければ名人にはなれない」と言われています。槍を突いて穂先が刺さっているあいだは、槍を縦横無尽に使うことができないからです。引くのが速い人の場合は、槍を自由に動かせる時間が長く、その範囲も広いのです。
 欲は次から次へと出てきますが、「これは、自分には、ふさわしくないものだ。自分の器、自分の適性から見て、ふさわしくない」と思ったとき、あるいは、時流や時期を見て、「いまは、ふさわしくない」と思ったときには、欲を畳み、そして、次に備えることが大切です。それができる人が、さらなる成功を続けることになるのです。
(151~154ページ)

同業他社の努力や、お客様が何を選ぶかという結果をよく見て、自分に与えられた「分」や器などを見通す目も必要である。

「自分にふさわしい結果が現れてくる」ということを、知っていなければならない。

また、人間には欲があり、ある程度のところまでは、これを伸ばすかたちでやっていけるが、ある成長点を超えたあたりから、今度は、欲を捨て、欲を畳んで絞り込むことが必要になってくる。

このように、変わってくる成功の原理に対応できる人が、さらなる成功を続けることになる──。

要するに、発展といっても、自分に与えられた「分」や器による限度はあるし、成功の原理も一本調子ではないんだってこと、なんですよね!



『リーダーに贈る「必勝の戦略」』

大川隆法著


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家族同様に暮らしてたペットが死んじゃったんだ。お葬式したんだけどさ、そのあとはどうすればいいの? 家族同様だったんだから、やっぱり人間と同じように、節目ごとに供養はしなきゃだよね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『霊的世界のほんとうの話。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 たいていの場合、ペットは、死んだあと、すぐに生まれ変わることが多く、あの世にいる期間は長くて十年です。普通は一年以内に生まれ変わることが多く、あの世には短い間しかいません。
 ペットの供養をすること自体はかまわないのですが、あまり長い間、供養をすることには、意味がないのです。
 さらに言えば、あまり長く祀って供養をすると、ペットの魂は、そこにいなければいけないものだと勘違いして、ずっと居ついたりすることがあります。そのため、彼らの転生輪廻の妨げになる場合もあるのです。
 わが家で飼っていたウサギは、死んでから一カ月ぐらいで生まれ変わっていきました。ウサギの魂は霊界で一つの集団となり、そこから生まれ変わってきます。地上の母ウサギのおなかに入って、ポンポンと生まれてくるのです。
 そのようなことを考えると、長期間ペットを供養することには疑問があります。
(149~150ページ)

ペットの供養は、霊的に見て、あまり長い間するのは意味がない。さらには、あまり長く供養していると、彼らの転生輪廻の妨げになる場合もある──。

うーん、こんな霊的真実があることを見通し、私たちにかみくだいて教えてくださる方こそ、真の仏陀(ぶっだ、ほとけ)だってこと、なんですよね!



『霊的世界のほんとうの話。』

大川隆法著


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過去の実績って、大事だよね。これだけ実績を積んできたから、けっこうこれから安泰だって思ってるんだ。そうだよね?

幸福の科学の大川隆法先生は、昨日発売されたばかりの最新刊『創造の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 これからの時代、過去の延長上に未来は築けないだろう。昨日の成功を今日は捨て去り、今日の成功を、明日は破壊し、さらなる創造の新境地を拓く。そうであってこそ、未来に生きる人たちにも夢が花咲くのだ。
 私たちは、日々に老化させ、朽ち果てさせようとしている見えない力と闘っている。
 いままではこれでうまく行ったという意味での『常識』を墨守している人たちは、滅びていく種族である。あたかも、マヤやアステカの文明のように。
 だから川の流れに逆らって泳げ。世間の評価が定まったら終わりだと思え。いつも人と違ったことを考え、言い、実行せよ。チャンスは必ず、いつか巡ってくる。その時は、迷わずゲットせよ。それが新しき創造への道である。
(1~2ページ)

この凝縮された「まえがき」には、本書一冊を費やして語られた「創造」のための秘訣が、珠玉の言葉で示されているのだと思います。

時代の変革期のいま、この書物をじっくりと学んで、いつも人と違ったことを考え、言い、実行し、チャンスを確実につかむことで、創造を重ねることができる人となっていきたいもの。そして、私たち自身の手で、日本の未来を切り拓いて行きたいもの。

大川隆法先生は、それをこそ、私たち一人一人に強く望んでおられるんだってこと、なんですよね!



『創造の法』

大川隆法著


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働く女性なんだけど、部下を持つ立場になったの。偉くなるっていいことだとは思うんだけど、でも初めてのことだし、どういう心がまえでいたらいいの? 

幸福の科学の大川隆法先生は、『勇気の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 女性が社会に出て、五年、十年と経験を積み、部下を持つようになったときには、ある“法則”が働いてきます。
 それは、一つには、「女性の上司というものは、女性の部下に対して非常に厳しくなりやすい」ということです。こういう法則は、あまりはっきりと説かれたことはありませんが、実際にあるのです。
 また、別の面から見ると、「女性の上司は“若い女性”をほめない」という傾向があると言えます。女性が男性と違うのは、この点です。男性は女性の部下を嫌いません。しかし、女性は、女性の部下に対して非常に厳しく、特に若い女性の部下をほめません。これは法則としてはっきりとあるので、よく気をつけていただきたいと思います。
 女性は、人を使う立場に立ったならば、女性の部下をほめられるような心境にならなくてはなりません。
 女性が管理職になるときに、実は、最初のネックになるのはここです。男性たちから見ても、仕事ができる女性はたくさんいます。しかし、その女性を管理職にするときに、いちばんネックになるのは、「女性の部下が使えるかどうか」というところなのです。「男性の部下を使えないのではないか」ということよりも、「女性の部下を使えないのではないか」ということが心配されるわけです。
 女性が女性を使うことが、いちばん難しいのです。女性同士のいじめがいちばん激しいのです。この女性同士のいじめに男性のほうが参ってしまうので、女性を管理職に登用するときにネックになることがあります。
 したがって、女性が人を使う立場になったときは、若い女性の部下を、「年が若い」という理由で、いじめたりしてはいけません。かわいがることが大切です。さらに、自分の部下の仕事を公正・中立に判断し、適正に判定するとともに、「ほめるべきところは、きちっとほめて、その人を育てよう」という気持ちを持つことが大切です。
 今は若くて、「自分が管理職になったときの姿は想像できない」という女性でも、将来、その立場になると陥りやすいことなので、よく覚えておいてください。年若い女性の部下を持ったときに、若いというだけで、いじめてはいけません。
 ほかの女性をほめられるような女性は、男性からの評判が非常に良くなっていきます。そういう女性であれば、会社も安心して管理職に引き上げていけるのです。「ほかの女性を使ってくれるようだ」ということが分かるので、会社は安心して登用してくれます。
 個人として能力があることは分かっていても、人が使えないと、チームが崩壊して仕事ができなくなり、全体にマイナスが出るため、管理職に上げることはできないのです。
 これからは、女性のリーダーがたくさん出てくる時代になります。女性のみなさんも、できるだけ公平・公正な判断ができるように、ほかの人の仕事や能力を中立の立場で見ることができるように努力することが大切です。
 「女性だから」という理由では許されないのです。男性と同じように仕事をしたければ、やはり、公正・中立な判断をするようにしなければいけません。
(176~180ページ)

女性の上司は、女性の部下に対して厳しくなりやすい。特に若い女性をほめない傾向が強いので、人を使う立場に立ったら、女性の部下をほめられる心境になり、かわいがることが大切。

さらに、自分の部下の仕事を公正・中立、適正に判定するとともに、人を育てる気持ちを持つことが大切である──。

働く優秀な女性は、この大川隆法先生のアドバイスをしっかり受け止めて、どんどん能力を発揮していってほしいものですよね!



『勇気の法』

大川隆法著


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偉大な人になるためには、偉大な考えを持つこと、なんだよね。だったら、オレって、その資格、十分なんだけど? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の仏陀』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

けれども、私は言う。
確かに、そのように、非凡な内容のことを考え、
他の人が決して思いつかないような
偉大なことを考えることは、
重要なことであるが、
その前に前提があるということを。
それは、おまえたちの心が清らかでなければ、
どのような偉大な思想も無駄になるということなのだ。

人間の魂にとって、いちばん大切なことは、
その魂の基が清らかであるということなのだ。
魂の根っこがよく洗われ、
不純なものがないということなのだ。
魂が透明であるということなのだ。
これがまず先決のことであり、
これを考えることなく、膨大な知識を詰め込んでも、
残念ながら、それは実りあるものとならないのだ。
そう、これもまた、砂上の楼閣の一つにしかすぎないのだ。

見よ、
世の中で、成功したと言われる人を。
世の中で、大知識を持っていると言われる人を。
彼らは、まさに、
この砂上の楼閣を築いているのではないだろうか。
人間としての、その本性において、
清らかなものを持っているか。
無私なるものを持っているか。
そういう心を持つことなく、
自分の事業欲のために、
知識欲のために、
出世欲のために、
さまざまな思想を詰め込み、
学問をし、専門知識を吸収したとしても、
それらのものは不毛である。
一陣の風が吹いてきた時に、
やがて、砂上の楼閣は、もろくも崩れてゆくであろう。
この一陣の風とは、無常の風である。
あの世から吹いてくる風である。
どのような人間も逃れることのできない、
人生の終わりの時に吹いてくる風である。
この一陣の風に見舞われたら、
このような砂上の楼閣は、ひとたまりもないのだ。
その土台から崩れてゆかざるをえないのだ。

ゆえに、魂が跳躍する前には、土台を固めよ。
これが大事なことなのだ。
日々、己れの心を振り返り、
邪悪なるものが、そのなかにないかどうかを振り返るのだ。
みずからの心のなかに、よこしまなる思いはないか。
みずからの心のなかに、貪欲な思いがないか。
みずからの心のなかに、虚栄心に満ちたものはないか。
みずからの心のなかに、他を見下す心がないか。
みずからの心のなかに、
自分自身の魂を破滅させるようなものがないかどうか。
そうしたことを考えるのだ。
こうして、日々、己れの魂の生地を洗濯するのだ。
魂の生地をきれいに洗濯し、それを乾かしてこそ、
見事な色柄をつけることも可能であるのだ。
白い生地には、さまざまな絵を描くことができるのだ。
このことを大事にしなさい。
(201~207ページ)

心が清らかでなければ、どのような偉大な思想も無駄になる。

本性において、清らかであるか。無私であるか。

そのために、日々、己れの心を振り返り、己れの魂の生地を洗濯せよ──。

つまりは、人生で偉大な成功をしようと思っている人にとって大切なのは、じつは、日々の「反省」でもあるってこと、なんですよね!



『永遠の仏陀』

大川隆法著


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「仏性(ぶっしょう)」って、人間がみんな持ってるっていうんでしょ。ほんとなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 霊には耳はありませんが、生きている人間の声を聞くことはできます。彼らには鼓膜はありません。しかし聞くことはできます。音楽を聴くことも可能で、生前好きだった音楽をかけてもらうと、霊になったあとでも、それを聴けば喜びます。生前好きでなかった音楽の場合には、霊になったあとに聴いても喜びません。
 そのように、肉体を失ったあとでも、同じような感じ方を持っています。これが、「心」といわれるものなのです。
 そのなかには、もちろん頭脳的な作用もあります。この世的な頭のよし悪しというものがあります。昔は、「頭がよい人は脳味噌の皺の数が多い。頭の悪い人は皺の数が少ない」というように言われたこともあります。しかし、現実には、この肉体を失い、脳を失っても、魂のなかには考える作用があります。(中略)
 このように、この世的にいろいろと体験することを受けとるもの、そしてそれについて善悪、美醜、好悪などの価値判断をするもの、それを「心」といいます。その「心」があって初めて、人間は「人間」と言うことができます。これがなかったら、人間は「地球上でまったく偶然に動いている物体」という以上のものではないと思います。心があるからこそ人間は人間であり、かつまた尊いものなのです。
 しかも、不思議なことに、その心は、親が一緒ではない者どうしでも、同じような法則性を持っています。善悪、美醜の感覚というものは、割合に共通したものがあります。もちろん、人によって、その意味づけ、判断に多少の違いはあっても、たとえば、美しいものを見て美しいと感じる感覚、また甘いものを食べて甘いと感じる感覚は、原則は一緒です。
 日本に住んでいる人も、地球の裏側に住んでいる人も、甘いものを食べれば甘いと感じます。しかし、同一の親から生まれたわけではありません。それも何千年、何万年、それ以上のあいだ、まったく別に生活していたはずです。まったく別々のところにいたのに、甘いものは甘い、辛いものは辛いと感じる感覚があります。(中略)
 また、うれしいときには笑い、悲しいときには涙を流します。(中略)そのように、個人個人の小さな誤差はあったとしても、一定の条件のもとに同じような感じ方をします。人間の心には、そういう共通性、普遍性があります。言葉は通じなくても、そういうところがあるのです。(中略)
 これが実は、みなさんの心のなかにある「仏性」なるものの現われ方なのです。仏性というのは、いったい何であるかというと、要するに、この世で起きるさまざまな出来事や経験を感じとることができるということ、その感じ方に幾通りかの感じ方、一定の方向性があるということ――これが実は仏性のそもそもの始まりなのです。(中略)
 仏性――仏の性質、悟りの性質というものは、実はすべての人が、魂の感覚として、一定の価値判断をすることができるという可能性のことを言っているのです。
(64~70ページ)


人間は「心」で、この世的にいろいろと体験することを受けとり、善悪、美醜、好悪などの価値判断をする。

善悪、美醜の感覚、味覚、好悪の感情などは、みんなわりあい共通しており、一定の方向性があるが、これが実は、人間の心のなかにある「仏性」の現われ方なのである──。

たしかに、海外の人と交流してみると、言葉は違っても、けっこう物事に関する感覚が似通っていて、話が通じることに驚いたことがあります。

要するにそれは、地球に生まれた人類として、仏の子として、みんな「仏性」を持ってるからなんだってこと、なんですよね!



『心の挑戦』

大川隆法著


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「光の天使」って聞いたことがあるんだけど、これって何なの。霊的な貴族みたいな人がいるってことなのかな。人間の魂って、平等なんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ユートピア創造論』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 霊界において、九次元には救世主の世界、八次元には大指導霊・如来たちの世界、七次元には指導霊・菩薩たちの世界があります。そして、六次元の上段階には諸天善神たちの世界があります。
 彼ら光の天使たちというのは、結局のところ、ユートピア創りのための指揮・監督者たちなのです。長年の転生輪廻のなかで、指導力があると認められた人たちが、個性ある大勢の魂たちの、それぞれの長所をさらに引き出しながら、全体を調和させていくという役割を担っているのです。
 つまり、如来や菩薩というのは、決して地位が高くてふんぞり返っている人たちではなく、卓抜な指導力ゆえに先生役を頼まれている人たちなのです。
 したがって、たとえ如来や菩薩であろうとも、最初から最後まで、ランクづけされた光の天使として存在しているわけではありません。転生の過程で指導力が低下したときには、先生役から外れる場合もあります。
 逆に、平凡な魂であったものが、長年の転生輪廻のあいだの努力・精進のおかげで、しだいに指導力を増し、多くの人びとの先生役を頼まれることもあるのです。
 このように、魂の世界は、「努力すれば光の量が増し、怠ければ光の量が減少する」という、明確な法則のもとに運営されています。
 すなわち、個性あるそれぞれの魂は、進歩する機会は「平等」に与えられ、努力の結果に対しては「公平」に処遇されるように、配慮されているのです。
(21~22ページ)

光の天使(如来や菩薩)とは、決してふんぞり返っている人たちではなく、卓抜な指導力ゆえに先生役を頼まれている人たち。

だから、指導力が低下したときには、先生役から外れる場合もあるし、逆に平凡な魂だったものが、転生の過程の努力・精進で、しだいに指導力を増し、先生役を頼まれることもある。

魂の世界では、努力すれば光の量が増し、怠ければ光の量が減少する。進歩する機会は「平等」に与えられ、努力の結果に対しては「公平」に処遇される──。

つまりは、私たちの誰もが、自らの努力を重ねていくことによって、光の天使になっていけるってこと、なんですよね!



『ユートピア創造論』

 大川隆法著

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天国というのは永遠の楽園なんだから、地獄とかと違って、悲しみとか苦しみってないんでしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 普通は、「悲しみや苦しみは地獄特有のものであって、天国にはない」と言われています。それでは、人間が涙する、つまり泣くということを、仏はもともと予定していなかったのでしょうか。あるいは、天国にいる人は笑うことしかできないのでしょうか。こうしたことについて考えてみましょう。
 「喜怒哀楽は人間の基本的な感情である」ということは否めないと思います。喜怒哀楽、すなわち、喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、こうした感情は基本的にあると言わざるをえないのです。
 たとえば、喜びの反対にあるのは悲しみでしょうが、悲しみは喜びの不在かといえば、それだけでは説明のつかないものがあります。
 昔から一元論と二元論の争いがあって、一元論の立場からは、「悪は善の不在である」「寒さというものはない。それは熱の不在、暖かさの不在である」というような言い方をします。アメリカの光明思想家で、ニューソートの草分けの一人であるエマソンも、そのように考えていたようです。
 確かに、これは一面ではあたっているのです。寒さは熱の不在であり、悪は善の不在でしょう。しかしながら、それだけでは説明できない何かがあるわけです。
 悲しみは涙を伴うものですが、涙が出るという現象は喜びの不在かといえば、必ずしもそうとは言えません。喜びがないだけでは、涙が流れることはありません。そこで、やはり悲しみというものもあることを、みなさんは知らねばならないのです。
 次に、楽しみの反対である苦しみという感情があるかないか、楽しみのみが実在で苦しみは実在しないのか、楽しみがないところに苦しみがあるのか――こうした問題についても考えてみましょう。
 苦しみというものも、やはり、ないわけではないのです。たとえばテニスなどのスポーツをして、一時間や二時間、汗を流したあとは、さわやかさ、爽快感を感じます。しかし、その前には汗を流すという現象があったことは事実です。そうした肉体的な疲労や苦痛感が、その後の爽快感につながっているのです。
 このように、この世とあの世の大部分には、二元的なるものがあると言わざるをえません。究極の仏が、光一元であり、善一元であり、愛一元であって、善きものでしかないとしても、仏が三次元の地上界や四次元、五次元という下位霊界を創ったのは、魂の進歩、向上というところに主眼があったのです。
 魂の進歩、向上は、相対の世界においてもたらされることが多いのです。互いに切磋琢磨し、磨き上げることがなければ、向上することはなかなかむずかしいものです。一元論の世界、つまり喜びしかないという世界は、素晴らしいように見えても、ある意味では、ぬるま湯的な世界であることも事実でしょう。
 そうした理由から、仏は方便として、悲しみや苦しみと思えるものを、地上界や下位霊界においては与えているのです。
(87~92ページ)

この世とあの世の大部分には、悲しみと喜び、苦しみと楽しみというように、二元的なるものがある。

仏が三次元の地上界や四次元、五次元という下位霊界を創ったのは、魂の進歩、向上というところに主眼があったが、それは相対の世界においてもたらされることが多い。だから仏は方便として、悲しみや苦しみと思えるものを、地上界や下位霊界においては与えている──。

今日は、ちょっと哲学的でむずかしい話題でしたが、天上界(それも四次元、五次元の下位霊界に限定されていますが)にもやはり、悲しみや苦しみがあるんだってこと、なんですよね!



『永遠の法』

大川隆法著


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いやあ、伝道だっていうんでしょ。もう大きな教団になってるんだから、いいんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、1998年に刊行された書籍『幸福の革命』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 国の繁栄は、正しい宗教の繁栄から始まります。そして、これから求められる正しい宗教は、民族の枠を超えたものでなくてはならないのです。
 二十一世紀の世界の流れは、すでに見えてきました。「科学万能の二十世紀がつくり出した大量の暗黒想念を、いかにして晴らすか」ということが、次の時代の課題です。また、二十一世紀には、民族と宗教の問題が世界各地から噴出するでしょう。その問題を解決するための世界宗教の出現こそが、現在、人類にとって最も求められていることなのです。いま世界宗教が現われるか否か――これが、人類の未来を変えていけるかどうかの鍵を握っています。
 未来というものは、縁起の理法によって変えることが可能です。一人ひとりの心によって、行動によって、変えることができます。そして、多くの人の力を結集することによって、さらに大きく変えていくことができるのです。
 私がこの地上に生まれたのは、人類の未来を変えるためです。明るい二十一世紀を拓いていくためです。みなさんに未来を贈るためです。未来の人類に幸福を与えるためです。
 幸福の科学という団体は、この国で最大の存在の一つになりました。しかし、総裁である私自身の考えは、教団としての幸福の科学の利害をすでに離れています。私の心は、万里の波濤を乗り越えて、全世界人類の救済のなかにあります。「地球的仏法真理の確立こそ、わが使命である」と考えているのです。(中略)
 私が説く法は、現代人が理解できないような、形骸化して単なる漢文となった教えではありません。私は、現代語という、現代の人びとに分かるかたちでの教えを、現在進行形で説いているのです。
 そして、その法を全世界に宣べ伝えるべく、集い来たりたる諸菩薩が、みなさんではないのでしょうか。菩薩とは、みずからもまた仏に至る道を歩みつつ、「数かぎりない人びとを幸福にしよう」と願ってやまない存在です。みなさんも菩薩になることができます。人間は生まれによって決定されるのではありません。人間は思いと行ないによって、「いかなる人間であり、いかなる人生を送ったか」ということが決められるのです。この世の中において、この宗教的真理のなかを生きるとき、みなさんはすでにこの世の存在ではありません。実在界の諸如来、諸菩薩と一体になって、この地球を救おうとしている存在です。下生した菩薩であり、「地涌の菩薩」なのです。みなさんこそ、世界を変えていく力です。一人ひとりの力は小さくとも、結集した力は非常に大きなものとなるのです。
 世界を変えていきましょう。「幸福の革命」を起こしていきましょう。幸福の革命を起こして、それをいったいだれが否定するというのでしょうか。
 一人でも多くの人を幸福にする、そのための慈悲の実践行こそ、真なる宗教の使命であり、宗教が公のものであることの証明でもあるのです。「これ以上、宗教に関する不毛な議論をさせてはならない」と私は考えています。宗教は公のものです。公器です。それは、人類を幸福にする結果によって実証されるのです。
(176~184ページ、掲載スペースの都合で、詩篇形式を散文に直してご紹介しました)

二十一世紀には、民族と宗教の問題が世界各地から噴出する。その問題を解決するための世界宗教の出現こそが、人類にとって最も求められている。

幸福の科学は、この国で最大の存在の一つになったが、総裁である大川隆法先生の心は、その利害をすでに離れ、全世界人類の救済にある。

一人でも多くの人を幸福にする、「幸福の革命」を起こすことが、真なる宗教の使命であり、宗教が公のものであることの証明でもある──。

10年以上前に刊行された書籍でもすでに高々と、幸福の科学は世界宗教になって、すべての人々を救うのだ、幸福にするのだと宣言されていたってこと。

それは、大川隆法先生が、仏陀であり、救世主だからだってこと、なんですよね!



『幸福の革命』

大川隆法著


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