ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



そんなタイトルの本が3冊も出されてるけど、「現代の法難」がやってきてるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊の『現代の法難③──ハトホル信仰とは何か』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

まえがき
 大悟三十周年、立宗二十五周年の区切りの書である。「ハトホル」という恐怖の女神について、当会でまだ説かれていないために、その「虚」を突いてきているらしいので、リーディングで霊査したまでである。
 二十九歳で出家して、三十五歳で降魔成道したはずの釈尊に、入滅間ぎわまで悪魔がつきまとっていたことが仏典には述べられている。おそらくは、四十五年間の伝道期間の間に、発展段階に合わせて、折々に教えや戒律のイノベーションをはかったことが、古参の弟子たちとの葛藤を生み、その都度、悪魔の試みがあったのだろう。仏教学者たちにも、その霊的実態は理解できないらしい。
 ただ言えることは、私が地球レベルで具体的救世活動を始めてより、現代の法難が立ちあらわれているということだ。それは「旧い常識」が滅び去ってゆく姿なのかもしれない。

あとがき
 信仰を立てるということ、弘めるということ、いずれも難しいことである。弟子たちも試練だろう。人間としての弱みに視点を置くか、仏としての輝きに信頼を置くかだ。
 しかし、すべては過ぎ去ってゆくだろう。
 諸行は無常、諸法は無我なのだ。
(1~2、197ページ)

本書の帯には、「『法難』の黒幕が、ついに口を開いた。」というセンセーショナルな一文が書かれています。

また、「救世主の仕事を阻止する黒幕的存在として、いまなお暗躍しつづけているという自称『女神ハトホル』。『4人の救世主を葬った』と語る、その邪霊を公開霊言の場に呼び出し、現代の法難のルーツを徹底追究した。」とも。

前回の『ナイチンゲールの真実』に続き、いわゆる「大川きょう子氏問題」の真相に興味をもつ方にとって必読の文献が、またもや刊行されたわけです。

「諸行は無常、諸法は無我」という、このあとがきのお言葉の意味を考えつつ、今回もしっかりと読み込んでみたいものです。



『現代の法難③──ハトホル信仰とは何か』

大川隆法著


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大川隆法先生って、もう著書が700冊を超えたんだってね。どうしてそんなに出してるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 私は、数多くの書物を読んできましたが、「ほんとうによい書物に巡り合うと、いままで、そこそこの感動をしていたものが、まったくかすんでしまう」という経験をしたことが、何度もあります。いわゆる「魂を奪われる」という経験です。そういう本に出会ったときの喜びは、長く心のなかに続くものです。これが、「一冊の書物との出会い」と言われるものでありましょう。
 その一冊の書物に出会うためには、人は、通常、何百冊かの本を読まなければなりません。一冊の書物との出会いは、何百冊かの書物を乱読し、あるいは精読することによって、初めて得られるものです。しかし、それは、必ずどこかで出てくるものであると思います。
 かつて、私は、「心」について書かれた本を、貪るように読みつづけたことがあります。幾冊も幾冊も読みつづけ、ほんとうに、「これでもか、これでもか」というところまで勉強したことがあります。それでも、自分の満足のいく本、納得のいく本に出会うことは、少なかったと言えましょう。
 海外で出されている非常に有名な本であっても、読んでみると、いま一つ感動が伝わってこないこともありました。そのときに、「これは翻訳が悪いのだろうか。それとも、他の理由によるのだろうか」というようなことを、いろいろと考えてみたりしたものです。
 しかし、「やはり、著者の掘り下げが足りないのではないか。もっともっと、ほんとうの意味で役立つ書物、魂の成長において役立ち、肥やしとなるような書物が、あってもよいのではないか」と感じることが多くありました。
 そして、そういう本を求めて、さまざまな読書経験をし、本を渉猟しつづけたわけです。
 ところが、あるとき、私は次のように思い至ったのです。
 「すでに他の人によって書かれた本によって、魂が歓喜することを求めるのはやめよう。そうではなく、自分が探しても探しても得られなかったような書物を、今度は自分自身で書いてみよう。自分がほんとうに読みたかったような書物を、自分で書いてみよう。他の人が書いたもので見つからないのなら、自分で書いてみよう。そして、そういう書物を世に問うてみよう。
 自分自身でそういう書物を書き、自分自身でその本を読んで勉強すればよいではないか。『自分で書いて、自分で勉強する』ということだってあるのではないか」
 そのように思い至ったわけです。
 私は、いま、続々と新しい書物を世に出しつづけていますが、それも、このときの気持ちが心の奥底にあるからなのです。
 現在の日本の出版界では、一年間に約七万点もの新刊書が出しつづけられていますが、「心の喜びを求めている人にとって、一冊の、満足のいく書を手にすることが、どれほど難しいか」ということを、私は嫌というほど経験しました。(中略)そうであるならば、できるだけ多くの人に、その一書を提供する機会をつくりたいと、私は、いま、切に願っています。
(49~52ページ)

ほんとうによい書物に巡り合うと、魂が奪われ、いままでそこそこの感動をしていたものが、まったくかすんでしまう経験ができる。

しかし、そういう本への出会いが数少なかったため、自分がほんとうに読みたかったような書物を自分で書いて、自分自身でその本を読んで勉強すればよいではないかと、思い至った。

心の喜びを求めている、できるだけ多くの人に、一冊の満足のいく書と出会う機会をつくりたいと、大川隆法先生はいま、切に願っている──。

大川隆法先生の説法は、相前後して発刊される御法話が収録されたCDと、書籍になったものとを比べてみればすぐわかるのですが、話し言葉を書き言葉に修正したりする程度の編集だけで、そのすべてが心の糧となる書籍になって行っています。

いくら修練を重ねておられるといっても、人間わざではありません。それ以前にそもそも、人間、そんなに毎回毎回、内容の異なる、しかも中身のあることを、25年にわたって途切れることなく語り続けることなど、できるものではありません。

これこそまさに「仏陀(ぶっだ)の御業(みわざ)」ともいうべきものではないでしょうか。

そして、700冊を超えてまだ続々と書物が刊行され続けている、その御業の奥には、大川隆法先生が稀代の読書家であるからこそ持っておられる、「心の喜びを与える書籍を生み出すことへの深い情熱」が流れてるんだってことを、今日は学ぶことができたんだと思います!



『成功の法』

大川隆法著


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