ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



幸福の科学って、1990年代の前半には、大々的に終末予言の本を出してたと思うんだけど、いまはどうして、そういう本は出さなくなったの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『感化力』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 1990年や91年ごろ、私は、霊界の霊人たちの、いろいろな意見を、わりと広く聞き入れていました。当時は、イスラム教にかかわりのある霊人たちの意見もかなり聴いていましたし、また、どちらかというと霊界の裏側の存在になりますが、予言者系統の霊人たちの意見も聴いていたのです。
 しかし、その後、1994年から、私は、仏教系の教えを中心に、幸福の科学の教義をまとめ直し、それと合わないものは整理しはじめました。
 したがって、現在の私自身の考えには、1990年、91年前後とは少し変わってきている部分があります。
 全体的に見て、予言者系統の霊人は「崇り神」的な傾向を持っているように思います。一人や二人ではなく、いろいろな人を見て、そのように感じるのです。また、裏側の人ほど、予言的なことを言いたがるようです。(中略)
 予言者系統の霊人たちの予言には、やはり、不幸の予言のほうが多いのです。
 予言は、当たることもあれば、当たらないこともあります。当たらないことがあるのは、不幸の予言が当たらないように努力している人たちもいるからです。
 しかし、不幸の予言をすると、予言をした人自身が、その不幸を望んでいるように思われてしまいます。
 そこで、私は、「あまり、そういうことを言わないほうがよい」と考えて、1990年代の終わりごろから、そういう予言は撤回して、いまは言わなくなっています。
 天上界には、いろいろな意見がありますが、幸福の科学としては、採用した意見についての責任が生じるので、責任が取れる意見にまとめていくほうがよいのです。
(147~150ページ)

1990年や91年ごろは、霊界の裏側の存在である予言者系統の霊人たちの意見も聴いていたが、予言者系統の霊人は、全体的に見て「崇り神」的な傾向を持っている。

予言は当たることもあれば当たらないこともあり、それは不幸の予言が当たらないように努力している人たちもいるからだが、不幸の予言をすると、予言をした人自身が、その不幸を望んでいるように思われてしまう。

天上界には、いろいろな意見があるが、幸福の科学としては、採用した意見に責任が生じるので、責任が取れる意見にまとめていくほうがよいと考え、今は不幸の予言を言わなくなっている──。

ここで大川隆法先生は、「不幸の予言が当たらないように努力している人たち」とさりげなく言っておられますが、それがまさに、幸福の科学だったのではないでしょうか。

つまり、1990年代の幸福の科学の活動こそ、この不幸の予言をあたらないようにする活動でもあったのだと思えます。

そして、大川隆法先生は、そういった活動を経た上での深いお考えのもと、アラーやノストラダムスなどの不幸な予言書を出されなくなったことが、とても腑に落ちた気が私はしているのです。

 

『感化力』

 大川隆法著

 

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