ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



自己実現って、どういうメカニズムで達成されていくのかな。念の力? それだけなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 自己実現達成のためのメカニズムは、主として次の四つの要素から成り立っていると言えましょう。
 第一には、出発点として、「意志」というものがあります。まず、実現しようとする意志がなければだめなのです。「やる気」と言い換えてもよいでしょう。(中略)
 第二は、「理想」です。これを「ビジョン」と言ってもよいでしょう。「どのようなものを達成しようとするのか」というビジョンが必要です。(中略)
 第三は、「手段、方法の検討」です。手段、方法の検討がなされなければいけません。前節で述べたような、「自分の内的努力で達成していくのか。より合理的でシステマティツクな方法をとり、質的な変化をさせるのか。あるいは、量的に戦力を増やすことによって達成していくのか」という、戦術的、戦略的な、さまざまな方法論の研究が必要です。
 そして、第四には、「達成後に、どうするのか」という観点があります。すなわち、「二年後、三年後、五年後に自己実現がなされたときの、次の展開として、どのようなことを考えているのか」という、次なる目標まで含めておくことが必要なのです。(中略)
 たいていの人は、自己実現といっても、実に小さな自己実現を考えています。「家を少し大きくする」とか、「商売が、もう少し儲かるようになる」とか、「ボーナスが、一、二万円、増える」とか、この程度の自己実現にとどまっていることが多いのです。
 しかし、もっともっと大きなものを奥に描いておかなければいけません。その「大きなものを奥に描いている」ということが、実は、多くの協力者を呼び込むための方法論になっているのです。
 いっそう高い理想を持っている人のところには、多くの協力者が集まってきますが、小さな理想しか持っていない人のところには、人々は集まってきません。すぐに達成してしまいそうな理想、たとえば、「年末には売り上げを一・二倍にする」という程度の目標では、人は、なかなか燃え立たないものです。(中略)
 したがって、この第一段階のメカニズムのなかに、次なるものをすでに含めておく必要があります。自己実現のメカニズムそのもののなかに、発展的手法が織り込まれなければならないのです。(中略)
 たとえば、「達成した時点で、その協力者たちには、どのような報酬があるのか。彼らをどのように遇さねばならないのか」ということです。単に、「彼らにご褒美を出す」というだけではなくて、「その達成した足場を基準として、次に、彼らは、いかなるステップを踏み出すのか」ということです。ここまで考えておく必要があると思います。ここまで考えている人にとっては、自己実現というものは、そう難しいものではないでしょう。
(238~242ページ)

自己実現達成のメカニズムは、第一に「意志」、第二に「理想」、第三は「手段、方法の検討」、第四に「達成後に、どうするのか」。

自己実現のメカニズムそのもののなかに、発展的手法が織り込まれなければならない。

ここまで考えている人にとって、自己実現は、そう難しいものではない──。

このあたりの深さが、世間でよく見られる念いだけを強調する自己実現法と、仏法真理における「発展」の教えとの違いを、くっきりと指し示している。

そう改めて私は思っているのです。
 

『成功の法』

 大川隆法著

 

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オレって、同期の中では、ダントツに優秀なんだけどなあ。でも、成功できないって、なんでなんだろ。おかしいよな? なーんて悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人生の王道を語る』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 優秀だと思える人──自分もそう思っていますし、傍目(はため)から見てもこの人は優秀だと思える人が成功しない理由というのは、突き詰めていくと、たいてい、この一点になることが多いのです。それは、要するに自分より優れている者、強い者に負けたくないという気持ちがあって、成功した人の、その成功にケチをつける心が必ずあるということです。こういう心のある人が、残念ながら、優秀だけれども成功しないのです。やがて失敗していきます。(中略)
「あいつはたまたま運がよかったんだ」、あるいは、「あいつは要領がよかっただけなんだ」という言葉を使うことがよくありますが、こういう言葉は、これから幸福になっていこう、成功していこうと思う気持ちがある人は、絶対に使ってはなりません。
 他の人が成功したことを、その人の努力以外のそうしたものに帰してしまおうとする心、そして自分とは関係ないとする気持ち、これは無くさなければなりません。こういう気持ちがあると、成功した人のいいところを学ぶことができないのです。ケチをつける卑怯な心があると、学ぶことができないのです。
 成功者といえども、完全な人格ではないでしょう。自分のほうが勝っているところもあるかもしれません。しかし現に成功した人がいたなら、成功者は成功者として認めて、そのなかから参考になるところを学んでいく。これが自分も成功していくための方法なのです。その人にケチをつけ、批判をしたところで、一時的な気休めにはなるかもしれないけれども、自分が幸福になることもなければ、成功することもありえないのです。断じてこれを排除せねばなりません。嫉妬心はいちばん危険です。これが多くの人が成功していけない理由なのです。(中略)
 弱い者、失敗する者を愛する気持ち。これは、正義の観点からみて正しいこともあるけれども、幸福理論からいくと、そうした失敗する人ばかりをかわいがる気持ちがいつもあると、自分もいつしか不幸を愛していくようになり、決して成功できなくなっていきます。
 弱き者、失敗した者に対する慈しみ、同情というのは大事なことです。しかし、それが自分自身の心の傾向性になってはなりません。そうであっては、真に向上することはできないのです。やはり、成功していく者、強き者、立派な者から学んでいくという気持ちが大事なのです。(中略)
 自分は失敗して、人はうまくいったとき、まず、その人の悪口を言うことだけはやめる。いや、それだけではまだ足りない。やはり、その人を褒めなければいけません。その人を褒める、祝福する。そして、「立派な姿を見せていただいて、ありがたかった」という感謝の言葉を述べる。そうであってこそ初めて、自己の学びになり、自分の進歩になっていきます。
 自分がそのようになりたいならば、そのイメージというものを肯定することです。それによって、自分はそういうふうになっていけるのです。
(103~107ページ)

失敗者への慈しみや同情の気持ちは大切にしつつも、成功者から学んでいくという気持ちを自らの心の傾向性とするように努力すること。

成功者から学ぶためには、ケチをつける卑怯な心を持たないようにすること。

さらに進んで、成功者を褒める努力をすることで、成功のイメージを肯定すること──。

心の中によき種をまき、育てていくことで、成功はつかんでいくことができると教えていただいています。

大川隆法先生は、その一つの応用例を、ここで説いておられるのだと私は思っているのです。

 

『人生の王道を語る』

 大川隆法著

 


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以前、「成功のための考え方」の記事があって、「考え方」こそが最重要なキーのひとつだけど、でもそれだけではないってことでしたよね。じゃ、その先は? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄の法』(幸福の科学出版)で、その続きとして、こう教えておられます。

 成功するためには、「正しいビジョン」と同時に 「粘りつづける心」も持たなくてはなりません。すなわち、努力の持続、最後まで粘り抜くことが大事なのです。「成功するまでやりつづけよう」と思い、最終目的地に到達するまで根気よく粘ることです。(中略)
 最終目的地へ向かう途中においては、とにかく考えに考えを重ねて、いろいろなことを発想する必要があります。商売の繁盛においても企業の発展においても、豊かなアイデアが大事であり、いろいろなことを次から次へと思いつかなければいけません。
 大きな目標を定め、いったん決めたことは断固やり抜くという姿勢を持っていたとしても、目標に至る過程では、うまくいかないようなことが次々と起こります。したがって、そのつど、新しい考え方を出していくことが必要です。
 新しい困難に対しては、新しい考え方で戦わなければいけません。病原菌などに対して肉体は常に戦っていますが、それと同じように、苦難や困難、挫折の原因がやってきたならば、それと戦うことが大切です。「新しい考え方を発明し、戦って勝たなければいけない」と思ってください。(中略)
 「新しい困難には、新しい発想、新しいアイデアで戦う」──これが根本です。
 反省の習慣のある人は、毎日、夜寝る前などに、「きょう一日、自分は正しいことを考えたか」などと反省しているでしょう。あるいは、週末に反省する人もいれば、幸福の科学の精舎や支部で反省を行なう人もいることでしょう。
 ただ、苦しみや悲しみ、挫折や困難に遭遇したときには、過ちを反省するだけでなく、もう少し積極的に、「自分は新しいアイデアで戦ったか。新しい発想を出したか」ということも考えていただきたいのです。
 一日が終わるときに、「きょうは何か新しいことを思いついたか。新しいアイデア、新しい企画を出したか。新しい発見があったか。新しい〝武器〟を製造したか」と考えていけば、しだいに積極的になっていきます。(中略)
 物事を後ろ向きに考えるよりは、「困難と戦うための、新しいアイデアを出したか。何か判断をしたか。新しいものを人生に付け加えたか」ということを考えたほうがよいのです。
 物を発明することだけが発明ではないのです。人生の生き方も発明しなければなりません。だれもが自分自身のオリジナルな人生を生きているのですから、他の人の発明がそのまま自分の人生に使えるとは限りません。オリジナルな人生のなかで、各人がどのような新しい発明をするかが大事なのです。
 新しい「考え方」、新しい「心構え」、新しい「発想」、新しい「行動」を発明しなくてはなりません。「何によって人生に勝ち、成功の道に入るか」ということを常に考える必要があるのです。
(174~178ページ)

粘りつづける心。

そして、新しい困難には新しい発想、新しいアイデアで戦うこと。

そのために、何によって人生に勝ち成功の道に入るかを、常に考えていくこと──。

今日は、成功するためには必要な大切なことについて、前回に引き続いて、とっても示唆にとんだお教えをいただいたのだと思います。

繰り返し読み込んで、このお教えを自分のものにしていきたいと私は改めて思っているのです。

 

『繁栄の法』

 大川隆法著

 

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「人を生かす」って、頭では分かるんだけど、でもどうやればできるようになるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人を生かすというのは難しいことです。これには究極がなかなかありません。一対一で他の人を導くこと、その人にやさしくすることは、努力すればある程度は可能ですが、多くの人を導く場合には、指導力に上限はありません。
 いくら力があっても、なかなかすべての人を導いていくことはできないというのが、人間の真実の姿だと思います。
 他の人びとを生かしていくために必要なものは二つあります。
 一つは知力、あるいは知識です。頭がよいというか、いろいろなことを考えられるということです。
 「どうすれば、その人がよくなっていくか」を考えるためには、それだけの材料が必要です。そして、「その材料をどう使えば、どのようになるのか」という原因・結果が見えなければいけないのです。
 「こうすれば、その人はこうなる」「こうした教えを説けば、このような反応がある」「こうした努力をすると、このような結果になる」などという原因・結果のプロセスが見えないと、人を正しく導くことは難しいのです。
 それゆえに、幸福の科学で説いている「知」は、実は「原因・結果のプロセスを見抜く力」と言ってもよいでしょう。「こうした種をまけば、こうした実ができる」という関係を知ることが大事なのです。
 これは、書物を読んだり、いろいろなものを見聞することによって得られますが、こうした知識以外に、もう一つ大切なのは経験です。経験によっても、人間は知ることがあるのです。
 もちろん、経験は試行錯誤的になることがよくあります。最初は失敗が多く、「このやり方ではうまくいかない」ということを確認するにすぎない場合もあります。
 しかし、人間の考えることや行なうことには、ある程度のパターンがあり、その数は限られているため、いろいろなことを経験することによって、「こうした状況に置かれると、人間はこのようなことをする」ということが分かるようになります。経験を積むことで、他の人を導けるようになるのです。(中略)
 これ以外に方法があるとすれば、知識や経験を持っている人を、自分のアドバイザーとすることです。これが三番目の道です。自分には知識も経験もないならば、そうしたものを持っている人の力を借りるのです。
 それには、まず、知識や経験を持った人が援助してくれるような人間にならなければなりません。その原点は、素直な気持ち、謙虚な気持ち、他の人びとから教えを受けるという気持ちです。
(55ページ)

他の人びとを生かしていくために必要なものは、一つは知力や知識、二つめには、経験。

自分にそれがなくとも、知識や経験を持っている人をアドバイザーとすればよい。

そのためには、素直で謙虚に教えを受ける気持ちを持っていることが大切である──。

自分の手一本というやり方もあるんだろうとは思いますが、やっぱり人を生かすことができなければ、社会に出て成功するのはおぼつかない気がします。

ここでは、自分だけでできない場合への対処法まで、懇切丁寧に教えていただいているわけで、とてもとてもありがたいことだと思います。

いつもながら思うのですが、今日もまた、人生の達人の凄さに私は感じ入っているのです。

 

『人を愛し、人を生かし、人を許せ。』

 大川隆法著

 

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宗教には興味あるんだけど、政治とか経済にはまったく興味もてないんだよね。でも、これから現代社会で生き抜いていくためには、そんなのもぜんぜん分からないというんじゃダメだよね。どうすればいいのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『感化力』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ある分野に対する苦手意識を克服するには、その分野に関心を持つことが必要です。
 関心を持てば、いろいろなかたちで情報が入ってきます。テレビ、ラジオ、新聞など、情報源は数多くあります。まず関心を持つことです。そうすれば、必要な情報は集まってくるのです。(中略)
 しかし、自分なりの一定の視点を得るためには、関心を持つだけでは駄目です。ある程度、知識の蓄積がなくてはいけません。すなわち、勉強が必要なのです。
 知識の蓄積があれば、人の意見に振り回されずに物事を見ることができます。
 そのためには、どのくらいの蓄積が必要でしょうか。これは、なかなか難しい問題ですが、できれば、その分野の本を千冊ぐらい読むことが必要だと思います。そのあたりが一般的なラインでしょう。
 政治・経済などの一般的な教養書を千冊ぐらい読んでいると、新聞記事や、テレビで発言しているジャーナリストおよびキャスターたちの嘘や間違いが、だいたい分かるのです。もっと数多く読めば、さらによく分かります。
 ただ、現代人は忙しいため、「本を千冊も読むのは大変だ」という人も多いでしょう。その場合は、それより少ない冊数でもかまわないので、大事だと思う分野を重点的に勉強するとよいでしょう。
 八割の労力で自分の専門分野を勉強したならば、残りの二割の労力で、自分が苦手な分野について、コツコツと情報を集め、知識を蓄積していけばよいと思います。
 ある分野に関する本を百冊ほど読んでいると、マスコミの嘘が分かるレベルまでは行けなくても、その分野について多少の専門的な話ができるぐらいまでは行けます。
 すぐに百冊は読めなくても、年に十冊読めば十年で百冊まで行けます。年に二十冊読めば五年で行けます。そのくらいの数なら、読めないことはないでしょう。(中略)
 小さな分野であれば、やはり百冊ぐらいが一つの目安だと思います。現代人は忙しいから大変でしょうが、仕事などの合間に少しずつ努力することが大切です。そうすれば道は開けるのです。(中略)
 なお、幸福の科学からは、仏法真理の本がすでに何百冊も出ていますが、さまざまな教養を網羅しているので、幸福の科学の本の百冊は他の教養書の一万冊分ぐらいに相当すると言えます。(中略)
 さらには、「友人を活用する」という方法もあります。賢い友人を持ち、その人に、「これは、どういうことか」「何が正しいのか」などと訊けば、教えてくれるでしょう。自分で勉強すれば十年かかることが、耳学問だと、一、二分で済みます。一言で終わりなのです。
 賢い友人を持つためには、あなたが「よい人」にならなくてはいけません。要するに、賢い人が「付き合ってもよい」と思える人になることです。
(53~57ページ)

理想は、千冊。そこで、まずは百冊を目指して、克服したい分野の本を、計画的にコツコツと読み進めること。

それと同時に、自分がよい人になることで、賢い友人をたくさん持って耳学問することができれば、極めて短時間で智恵を得ることができること。

そして、どんな本から読んだらいいか分からないのであれば、政治や経済をはじめ、さまざまな教養を網羅している幸福の科学の本から読むこと。

そうすれば、仏のフィルターを通した叡知が凝縮されているので、とても効率的に学びを得ることができるってことなんだと私は思っているのです。

 

『感化力』

大川隆法著

 

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経営書なんか読むと、部下をしっかり指導して育てろって、たいがい書いてあるよね。でも、人って本質がそうそう変わるもんじゃないし、子供ならまだしも大人になった社会人を教育するなんて、最初から無理だよね。最初から使える人材を探すしかないんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の革命』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ほんとうに成功していくための、いちばんの勘どころは何かといえば、やはり人です。人材です。
 「人を生かす」ということが、結局は成功の秘訣なのです。
 これさえ押さえれば、お金などその他の問題は片付いていくのです。
 「人を生かしきるか、あるいは殺してしまうか」──これにかかっています。
 したがって、まず、いま自分の協力者として現われている人たちから最大限の力を引き出すことが必要になります。
 その際、「人は教育によって必ずよくなり、進歩する」と、教育の効果を信じることが大切です。これは信仰にも似た思いかもしれません。
 「早いか遅いかの違いはあるが、教えて導けば人は必ずよくなり、素晴らしい結果を生み出すようになる。こちらが努力すれば、相手も必ずよくなっていく」ということを信じられるかどうかが、真に成功できるか否かの分かれ道です。
 人にはそれぞれ才能があり、実力の差があります。しかし、根本の人生観において、教育効果、指導効果というものを信じられるかどうかが、その人の人生を分けることになります。
 それを信じることができないのならば、その人は指導者になる素質が低いのです。
 そうした人は、専門的な仕事のなかで自分の特性を磨いていくことです。自分の特性を生かしてスペシャリストとして生き、ゼネラリストになろうとはしないことです。
 一方、「教育や指導によって、人は必ずよくなるものだ」ということを信じられる人は、ゼネラリストとしての道を歩むことです。
 自分がどちらのタイプかを見きわめることもまた、大いなる成功への道だと思います。
 たとえ教育効果が信じられないタイプだとしても、専門職を目指す生き方を選ぶことによって、成功する道があるのですから、どちらにしても成功は可能なのです。
(96~98ページ)

自分は、根本の人生観において、他の人への教育効果、指導効果を信じているか──。

信じることができる人は、ゼネラリストとして、あるいは経営者として成功していくことができる。

でも、どうしても信じることができない方は、自分の特性を生かして、スペシャリスト(専門職)としての成功を目指していけばよい。

どちらだけが正しくて、どちらかが間違っているというのではなく、どちらにしても成功は可能なんだ、って。

人間というのは、とても不完全な生き物だと思うんですけど、でも、その発展途上の私たち人間に注がれた仏のまなざしは、ほんとうに、暖かいと思いませんか?

いずれにしても、私たちが個性を育んで成長し発展していくことを、仏はよしとしておられるってことだと改めて私は思っているのです。

 

『幸福の革命』

 大川隆法著

 

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オレって、なんで仕事で失敗ばかりしてるのかなあ。能力はあると思うし、やる気も十分だし、若さってのは、できない理由にならないと思ってるんだけど? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀の証明』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 苦しみや悩みの原因には失敗があると思いますが、失敗は何によって起きるかというと、結局、ほとんどが「癡(ち)」──愚かさによって起きるのです。
 賢い人であれば失敗しないことを、愚かであるために、むざむざ失敗していくのです。賢い人は、「ああ、これは失敗するな」ということが見えているので、その人に対して忠告するのですが、本人は言うことをきかずに、突入していって失敗します。これは、日本全国で、いつも起きています。残念ながら、愚かであることによって、何が正しいかがわからずに、判断が違うほうにいくのです。
 よりによって全部、反対のほう、間違ったほうへ判断していくならば、その愚かさには根本的な原因がある、と考えなければいけないと思います。
 その愚かさの原因は、一つには、定見、一定の見識を持っていないということです。その見識はどこから来るかというと、(中略)やはり、その業務に適した知識、すなわち業務知識です。業務に関係のない知識を持っていても、しかたがありません。業務に関する知識を持っていること。それから、業務での経験を持っていること。ほとんどこれから、見識というものは生まれてくるのです。(中略)
 その経験のなかには、失敗も含まれています。失敗もまた大きな経験であって、あまり偉くなる前に、小さな失敗をしておくことは大事なことなのです。あまり早く偉くなりすぎた場合には、大きな失敗をすると大変なことになります。自分も大変ですが、組織も大変な危機になることがあります。
 できたら、それほど偉くないうちに、平社員か主任ぐらいのときに、小さな失敗をしておいたほうがいいのです。ところが、地位が低い時に失敗をしないで、支店長になってから失敗を犯すと、大きなダメージになります。社長になってからの失敗は、ダメージがものすごく大きいのです。
 ですから、なるべく初期の段階で、失敗はこまめにしておいて、「こうすれば失敗する」という因果の理法を、よく体得しておくことが大事なのです。(中略)
 結局、その愚かさの原因は、その人にいま必要な知識と経験を欠いていることがほとんどなのです。この場合には、たとえば艮きアドバイザーを得るなどのように、何かで補わなければいけません。あるいは、自分の能力を超えていることに対しては、欲のところを少し抑えなければいけないのです。「自分はそこまでは無理だ」と思うなら、腹八分目ではありませんが、そこまでしないで抑えることが大事です。(中略)
 得点を上げることばかりを考えて、失点をたくさん出してしまってはいけません。得点が上がらない場合には、失点を抑えるという考え方もあるのです。たいていの場合、分を超えたことをやろうとして失敗することが多いのです。特に事業経営的なものでは、それがあちこちで目につきます。
(198~202ページ)

「癡(ち)」って難しい言葉が出てきました。要は、愚かさ。これが人生の悩み、苦しみの原因となっていることが多いってこと。

若いから失敗するというのは、知識も経験も足りないのが原因であることが多いのだから、まず業務に関する知識を身につけ、経験を積んでいくこと。

でも経験の不足は、よきアドバイザーを得ることで埋められる。

また若いうちは、小さな失敗を怖れないこと。失敗で得られる因果の理法の経験を体得しておくことが、将来、重要な立場になったときに効いてくる。

欲を抑えて、失点を抑える考え方も取り入れていくこと──。

うーん、短い引用ですけど、人生の成功のための叡知が、ここに凝縮されてるのだと私は思っているのです。
 

『仏陀の証明』

 大川隆法著

 

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仕事でちょっと成功してきてるんだよね。そういうときって、何か注意点、あるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『希望の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 みずからが成功する過程において、「自分一人の成功にしない」ということは、極めて大事なことです。(中略)
 一生懸命に働いているのに、まったく他の人々から認められず、尊敬もされないのでは、辛いでしょうし、やる気もでないでしょう。何十年も働いていくためには、出世意欲を持つことは、よいことだと思います。ただ、課長や部長、役員になっていく過程のなかで、仕事や、自分の志の全部を、「自分の成功」という一点に絞りすぎないことが大事です。(中略)
 たとえば、自分が部長になる過程で、ほかの人に対して、その人の成功のために、仕事のお手伝いをしてあげたり、引き上げてあげたり、自分の成功のノウハウを分けてあげたりするのです。(中略)
 成功の流れのなかにある人は、ほかの人から、かなり、うらやましがられたり嫉妬されたりするものです。
 それは、ある程度は、しかたがないことです。(中略)ただ、嫉妬される立場になった場合には、「他の人のために生きたい」という気持ちを常に持っておくことが大切です。それを外に出す必要はありませんが、常に心のなかに持っておくのです。
 また、他の人が自分より大きな成功をしたときには、自分のほうにも競争心や嫉妬心が出てきたりしますが、それを、極力、抑えることです。そして、自分の思いに反するとしても、その成功をほめてあげることです。「素晴らしいですね」と祝福してあげるのです。
 たとえば、他の会社が自分の会社よりも、どんどん大きくなっていったときには、「あそこは、たまたま、うまいことをやって成功した」などと言わずに、「素晴らしい成功ですね。わが社も、できれば、そのようになりたいと思っております」と言える気持ちを持ったほうがよいのです。
 「人を呪わば穴二つ」という言葉があります。人の不幸や失敗を願うと、その貧しい心が、結局は自分のほうにも失敗を引き寄せてしまうのです。
 みなさんも、人の失敗を願っている人を、それほど、応援したり、支持したり、担いだりしたくないでしょう。むしろ、人の幸福を願っている人を担ぎたいでしょう。それと同じことです。
 「その会社が成功すれば、ほかの会社がみな不幸になる」というような会社は嫌なものです。会社が大きくなってもよいのですが、「産業界全体のために頑張りたい。この産業で頑張ることによって、できるだけ国全体や世界に潤いを与えたい」という気持ちを持っていることが、成功を続けるための条件なのです。(中略)
 「ほかの人の成功を願う」ということは、お人好しに見える面もあるのですが、自我我欲を、目一杯、出しきるのではなく、それを抑えることによって、実際は、多くの人々の支持を受けることになり、実りの大きな幸福や成功を得ることができるのです。
(192~196ページ)

みずからが成功する過程において、自分一人の成功にしないように心がけること。

自我我欲を抑えて、ほかの人の成功を願い、お手伝いをしてあげたり、引き上げてあげたり、成功のノウハウを分けてあげたりすること。

他の人の成功を祝福すること──。

これって、考えてみると、仏法真理のもっとも基本中の基本である「与える愛」を、成功の過程(プロセス)に具体的にあてはめたらこうなるという、とても分かりやすいお教えでないかと私は思っているのです。

 

『希望の法』

 大川隆法著



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成功するには、覇気(はき)って大事だよね。目上がどうとか、上司だとか部下だとか言ってるんじゃなくって、実力主義でいかなきゃね。・・・なーんて勢いのいい若い人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『人生の王道を語る』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「王道」を語るにあたっては、「覇道(はどう)」とは何かを知らねばなりません。王道の対極にあるものとして、覇道というものがあります。この覇道に生きる者であっても、この世的に位人臣を極めることはありえますし、優秀なる人物であり、才能あふれる人物であることもあります。しかし、彼らには主として二つの特徴があるのです。
 その一つは、先ほど言いましたように、品性というものに香りがない、別の言葉で言うならば、品性において尊敬できないものがあるということです。それは、その人の魂の傾向性が、違ったところに向いているということを意味するのです。これが第一の関門なのです。この品性が違った方向に向いている人には、王道に入る資格がまずありません。
 この品性とはいったい何であるか。これについて語ろうとすれば、多くの言葉を費やすことになりましょうが、いやしくも王道に人らんとする者であるならば、その心のなかを見られ、その姿を見られ、他の者の目に己が姿をさらされたとしても、陰日向(かげひなた)なく、誰恥じることなき姿である必要があるということです。人前でいくらとり繕ったところで、その裏で、他の人の目に決してさらすことができないような思いを持ち、言葉を発し、行ないをしているならば、これは品性劣ると言わざるをえません。
 そして、覇道に生きる者のもう一つの特徴は、折り目正しさ、礼儀正しさというものの欠如でありましょう。あちこちに、やり手といわれる方は数多くいるでしょう。しかし、そのなかで王道に入るのではなく覇道に入っている人の特徴は、自分の上にある者、自分の上司にあたる者、優れたる者に対して敬意を表さないというところにあるのです。強き者を見て、いたずらにそれを愚弄し、あるいは軽蔑の言葉を表わし、単に尊敬しないだけではなく、陰でその人たちのことを悪しざまに言う心、これがすなわち礼を失した心です。こうした心で生きている人が、覇道に生きる者なのです。
 みなさんのなかには、みずからをエリートと思っておられる方も数多くいるでしょう。しかし今、己が心を止めて静かに振り返っていただきたい。自分は王道に入っているか、覇道に入っているかを──。覇道に入りし者は、この世において、たとえいかなる地位や名声を得ようとも、やがて、生きているうちか、あるいは地上を去った後に、必ず破滅が待ち受けているのです。それを知らねばなりません。
 ゆえに、優秀なる人びとよ。他の人びとより優れたる資質を持ちたる人びとよ。まず第一に、礼の心を忘れるな。これを忘れたときに、あなた方の優秀さは、神の光を呈さぬものとなります。この礼の心を忘れたとき、それは覇道に陥ることとなるのです。これをまず守らねばなりません。
 そして、この礼の心は、あなた方が十年、二十年、三十年を通して、やがて出世の階段を歩んでいくときに、じつはどうしても必要なことでもあるのです。この礼儀正しさが、この折り目正しさが、この秩序を愛する心が、これがあなた方を世の波風から守ることになります。それは、単に処世のうえからのみ考えても、まことに優れた生き方であるということを知らねばなりません。
(209~212ページ)

人生において真なる指導者として成功するためには、「人生の王道」を知らなくてはならない。

そのための条件の第一は、「礼」の心である──。

今日は、真なる指導者の条件の一つ目が説かれた部分を、少しだけご紹介してみました!

 

『人生の王道を語る』

 大川隆法著

 

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努力してきて、ようやく私なりの成功をつかむことができたんだ。ちょっと今、裕福な感じ。こういうときに、注意すべきことってあるのかな? なーんて、ぜいたくな悩みもってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福への道標』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 まず、自分がある程度の成長をし、成功をおさめたと思うならば、次にすべきことは、この幸福の種を次第しだいに広げていくことだと思います。その一つは、自分が幸福の種を両手一杯に持ったならば、この一部を他の人にお裾分けしてあげること、そういう「分福(ぶんぷく)」の姿勢が必要であろうと思います。(中略)
 さらに現在の一時的な成功、これをよしとするのではなくて、将来にわたる発展・繁栄を願うべきです。したがって、現在のその豊かさと幸福を満喫しつくすのではなくて、その一部を将来のために残しておく、あるいは将来への種まきとしておく。そういう先行投資に使っていくという考え方があると思います。これは「植福(しょくふく)」という考え方です。
 さらに、次なる福の考え方は、「惜福(せきふく)」という考え方があります。福を惜しむということです。それは、自分が幸運な結果を手に入れたり、大成功を手に入れたときに、その福をすべて公開し、見せびらかし、そして吹聴し、自分は成功したのだと喜びを満面にたたえて、言いふらしていると、その人の徳性というのが次第に下がってきます。そして、人から疎まれるようになってきます。福を惜しむ、「惜福」という考え方は、せっかく入ってきたその成功を、指の隙間から逃さないように、笊(ざる)から逃さないように大切に大切にする考えです。
 芥川龍之介の短編のなかに、『杜子春』という小説があったと思います。これは、中国の物語ですが、ある仙人に宝のありかを教えられた杜子春が、そこを掘ってみるとザクザクと宝が出てきた。ところがその宝を彼が待ったということを聞き知って、彼の親類縁者、友人たち、いろいろな者が集まってきて食客になります。そして、飲めや歌えやが続いて、三年たてばまた元の木阿弥になる。こういう話であったと思います。
 すなわち、人は身分不相応な富を手に入れると、どうしても大盤ぶるまいをしてしまいます。そして、またすぐ元のとおりになってしまう。また成功したときには、まわりの人がお追従(ついしょう)をいったり、日ごろ友だちでもなかった者までが、急ににわかな友だちになったり、いろいろと寄って来て甘い汁を吸いにきます。そして、いつのまにかその富はなくなっていきます。こういうことがあります。まさしく「惜福」という考え方を知らなかった、と言ってよいでしょう。
 実際に、思わぬ大金が入ったり、思わぬ成功をおさめたときに、それをそのまま全部使ってしまわないことだと思います。そのうちの一部はやはり大切に大切にしまっておくことで、そして自分が使ってよいものはこの程度だというふうに考えて、その範囲のなかで、やはり消費活動あるいは、そうした富の使用を行なうべきだと私は思います。
(66~68ページ)

なんどか紹介してきましたけど、自分なりの幸福をつかんだと思うときにすべきことは、まず、その一部を他の人にお裾分けしてあげること(「分福」)。

そして、将来への種まきをしておくこと(「植福」)。ここから転じて、幸福の科学では、神仏へのお布施を、天の蔵に富を積む善行として、植福と呼んでお勧めしているんでした。

さらに、今日、少し詳しくお伝えしたのが、三番めの「惜福」。思わぬ大金が入ったり、思わぬ成功をおさめたときに、それをそのまま全部使ってしまわないこと。その一部は大切にしまっておくこと。

この3つの考え方は、どれかにかたよってしまうと道を誤ってしまいがちですが、3つをそれぞれバランスよくと心がけていると、見事に発展する豊かな成功に至ることができる、ということではないかと私は思っているのです。

 

『幸福への道標』

 大川隆法著

 


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学歴社会なんでしょ。幸福の科学でも勉強しなさいって教えてるんでしょ。でも、勉強ってダメなんだよね。それじゃ、人生で成功できないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「頭が悪いから失敗する。頭がよいから成功する」ということは、必ずしも一律に言えるようなものではないのです。
 現代においては、学歴ピラミッドができているので、数として見たら、勝者よりは敗者のほうが、率は圧倒的に多くなります。ただ単に学歴や試験の勝敗だけでいけば、たいていの場合、七、八割の人は、敗者のほうに入るのです。
 そのため、それだけで人生の幸・不幸というものを考えたら、不幸な人ばかりになります。しかし、それは現実には正しい判断ではありません。
 学歴や試験での勝利は一つの手掛かりではあるのです。その自分が得たきっかけを手掛かりにして、さらに努力していけば、成功への道になります。しかし、そこであぐらをかいたら、それで終わりであり、大したことはないのです。やはり、汗水垂らして働く人のほうが、その後、成功していくのです。
 そういうものなので、学歴評価的なもの、あるいは学力評価的なものを絶対視してはいけません。実際、それで勝者になった人でも、その後は苦しんでいることがあるということは、知っておいたほうがよいでしょう。それを知ったほうが、敗者になった人も、たぶん心は安らぐだろうと思います。
 学生時代に勉強しすぎた人の場合は、「学生時代に遊んでばかりいた人が、社会に出てから、なぜ、あれほど出世したり、お金が儲かったりするのか」ということが不思議でならず、それが苦しみのもとになっています。しかし、その遊んでばかりいた人は、試験に出ない範囲のところで仕事をし、試験に出ない範囲のところの能力が評価されているので、それはしかたがないことなのです。
 そういう意味で、天は公平であり、ある人に対して、何かの才能を与えたら、ほかの才能は与えないものです。そのため、「自分には、この才能はない」という場合、その人には何かほかの才能があることがよくあるのです。
 したがって、「才能というものは、どこに埋もれているか分からないけれども、いろいろな人が、それぞれ才能を持っているのだ」ということを知らなければいけません。
(167~169ページ)

学歴や試験の勝利は一つのきっかけではあって、それを手掛かりにさらに努力していけば成功への道になるが、そこであぐらをかいたら大したことはない。

学生時代に遊んでいた人が社会に出て成功するのは、試験に出ない分野での仕事や能力が評価されているということである。

才能はどこに埋もれているか分からないが、いろいろな人がそれぞれの才能を持っていることを知らなければならない──。

大川隆法先生が教えて下さっているのは、結局、こういうことでしょうか。

学生で、まだ自分が何をやったらいいか分からない人は、まずは目前の学校の勉強に集中すること。

でも、学校の勉強ができるかどうかは一つの才能ではあって、それ以外にも人間の才能はさまざまにあるから、別の才能を自分で見つけ出して行くことも、人生を歩んでいく醍醐味の一つである、と。

今日のお教えで、なんだかありがたくって、生きる勇気が湧いてきた気が私はしているのです。

 

 

『幸福の法』

 大川隆法著

 

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(こころざし)が大事だって教えてもらってるんだと思うけど、でも、どんな志を立てればいいのか分からないんだけど? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 どのような志を立てればよいか分からない人に対しては、次のアドバイスをしたいと思います。それは「あなたがいま、いちばん興味や関心を持っていることは何か」という問いに答えていただきたいということです。あなたが最も興味や関心を持っているもののなかにこそ、あなたの才能は眠っているのです。
 あなたが水泳に興味があるのならば、山登りをいくらやってもおもしろくないでしょう。水泳に興味がある人は、やはり、水泳をやっているうちに、その才能が出てくることがあるのです。あるいは、英語の勉強をしたい人が、設計の勉強ばかりしていてもおもしろくないでしょう。
 興味や関心があるということ自体が一つの才能でもあります。そして、興味や関心がある分野にこそ、才能を発揮する場があるはずなのです。
 したがって、とりあえず、自分が特に興味を持っている分野を掘り下げていくことが大事です。スポーツでも、語学でも、その他の勉強でも、あるいは趣味の領域でもかまいませんが、自分が関心を持っている領域をとりあえず三年間掘り下げて、その道で一流か、一流に近いセミプロの段階までいくことです。
 そのようにして、三年間、努力を積み重ねて、ある程度の自信がついたならば、次は、その領域を広げていくことです。人間の関心はけっこう広いものであり、一生のあいだで一つのものにしか関心がないという人は少ないのです。一つの関心領域を、ある程度のところまで掘り下げたならば、それ以外で関心のある分野に移り、自分の器を広げていくことが大事です。
 このような努力をしている人は、どこかで必ずその才能を生かすチャンスに恵まれて、次なる飛躍が可能となるのです。
 要するに、私が言いたいのは、「努力をしていない者には決して道は開けない」ということです。努力していることが前提条件なのです。
 努力していても道が開けないこともありますが、それは「どれだけ時を待てるか」という問題だと言ってよいのです。一生を通じて努力が報われない人はめったにいません。また、万一、生きているあいだに報われなかったとしても、後世、その価値が発見されることもあります。
 たとえば、宮沢賢治は小説や詩をたくさん書きましたが、彼が世に認められたのは死後のことです。生前は、郷里で教員をしたり畑仕事をしたりしながら、自己顕示欲から遠ざかって、つつましく生きていました。ところが、その彼が死後にあれほど有名になったのです。そうしたこともあります。
 いずれにせよ、「魂を光らせる努力をしていた」という事実は、いつの日か明らかになるときが来るでしょう。それを信じて努力していくことが大切です。
(126~129ページ)

興味や関心がある分野に自分の才能がある可能性が強いから、とりあえず、まず3年間をめどにして、努力を積み重ねてみること──。

「努力」という「因」によって、なんらかの成果という「果」が得られるというのが、「縁起の理法」(原因・結果の法則)の根本ではあります。

ただ、大川隆法先生のお教えが凄いと思うのは、努力しても道が開けないときであっても、それはどれだけ時を待てるかの問題だ、というところではないでしょうか。

宮沢賢治のように、死後に作品の価値が認められて有名になった人もいるけれども、死後も認められないままで終わる人もいる。

しかし、その人のほんとうの価値は、天上界に還ったときにはかられる。

そのとき、「縁起の理法」はたしかに完結するということだと私は思っているのです。

 

『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著

 

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どうしてこんなに、挫折したり失敗したり、何にもいいことないのかな。こんなんじゃ、成功するなんて夢の夢だよね?・・・なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝思考』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 病人もそうですが、挫折や失敗のさなかにある人も同じでしょう。「自分ひとりだけが、どうしてこんな目に遭(あ)っているのか」という感じになりやすいのです。
 そうしたときには、どうか目を開いて、もっと心を開いて、多くの人びとを見ていただきたいのです。どのような人がいるかを見れば、決して順調な人ばかりが成功しているわけではないことがわかるはずです。何らかの失敗や逆境をバネにして、それ以上にがんばっている方が必ずいるはずなのです。(中略)
 こうした方がたは、そうした逆境のなかにあって、必ず何かをつかんだのだと思います。そうした逆境のなかにありながら、普通の人でも達せられないようなところまで上がってくる方、登ってくる方には、必ず共通する面があります。
 このような方がたに共通する面について、私が観察して思うところをあげてみます。
 まず第一点は、そうした逆境や困難を、決して他の人のせいにしないということです。決して、他の人のせいにしたり、運命をのろったりするようなことはしません。そのようなことをしても、何のプラスにもならないということを、充分に知っているからです。他の人のせい、運命のせいにしない──これが第一点です。
 二点目は、自分に与えられた運命を受け入れているということです。「これさえなければ」と考えるのではなく、その悪しき運命や逆境を受け入れています。受け入れているということは、それを現実だと見なして、その現実からいかに立ち直るかを考えているということです。悪しき運命、現実を受け入れる決意、勇気があるのです。
 三点目は、その逆境から必ず教訓を見出しているということです。この逆境が自分に教えんとしているものは、いったい何であるのかを、必ず見つけ出しています。その教訓を学んでいて、それが後のちまで、その人の心の宝になっているのです。必ず、大事な宝になっています。
 四点目は、「他の人を頼りにしよう」「他の人の援助で生きていこう」とは決してしていないということです。そうした不利な境遇のなかにいても、あくまでも独立独歩、独立不羈(ふき)の精神、あるいは自助努力の精神を忘れていません。与えられた運命を運命として見て、その現状を現状として受け入れ、しかし受け入れてそのままで満足するのではなく、それをみずからの力で打開しようとしているということです。この過程を必ず通っています。
(35~39ページ)

大川隆法先生は、何らかの失敗や逆境があっても成功している方に共通する4つのポイントを、今日は教えてくださっています。

第一に、逆境や困難を、他人のせいにしないこと。

第二に、与えられた運命を、受け入れる決意、勇気があること。

第三に、その逆境から必ず教訓を見出していること。

第四に、そうした境遇にいても、独立独歩、独立不羈の精神、自助努力の精神を忘れていないこと──。

うーん、とてもクリアなお教えじゃないでしょうか。

あとは、これを自分にあてはめたときに、具体的にどうすればいいかをしっかりと考えてみたとき、次にとるべき行動が、はっきりと見えてきそうです。

まさにこれこそ、人生の達人だけが説ける、真なる「智慧」の一つであると私は思っているのです。

 

『常勝思考』

大川隆法著

 

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自己実現のための方法って、この世で成功するために大事なものだよね。大川隆法先生も、かなり多くの教えを説かれてるしね。でも、何か注意点ってないんだっけ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『成功の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 自己実現の最大の注意点は、やはり、慢心してしまわないこと、簡単に、でき上がってしまわないことであろうと思います。
 では、そのためには、いったい、どうすればよいのでしょうか。この点についても考えておく必要があるでしょう。
 それは、次のような心構えを忘れないことであると思います。
 第一は、「常々、謙虚な姿勢をとり、謙虚な言葉を発する練習をしておく」ということです。自分をあまり高く見すぎないために、謙虚な姿勢をとっておくことが大切です。
 第二は、「行動をあまり派手にしすぎない」ということです。
 やたらと人の目に付くことをし、人に印象づけることばかりをしていると、それが意外なところで反感を買い、敵をつくるようになっていきます。「人の目をあまり刺激しすぎない」ということが大事です。これは謙虚さともかかわることですが、「行動が派手になりすぎない程度に、少しずつ、一歩、控えめに行動していく」ということが大切です。
 特に気をつけなければいけないことは、「成り金趣味のようにならない」ということです。「少し成功すると、それがガラス張りのように周りから見える」というようであってはいけないのです。そういうことであっては、さらなる成功はないと思ってよいでしょう。「ステップを上がっていくにつれて、しだいに足取りを固めていく」ということが必要であると思うのです。
 第三の心構えとして要求されることは、「常に、大いなるものへ帰依する気持ちを忘れない」ということです。これは、言葉を換えて言うならば、「自分が生かされていることへの感謝を忘れない」ということです。
 自己実現をなしていく人は、実力のある人が多いのですが、ともすれば、みずからの力を過信して、倣慢な人間になっていくことがあります。そのような人はやはり、感謝ということを視点に入れておかなければいけません。「常々、感謝を怠らない」ということです。
 これは、自分を生かしてくれている、いろいろなものへの感謝です。他人の協力に対する感謝はもちろん、家族への感謝、友人への感謝、いろいろな取引先への感謝、さらには、それ以外のものへの感謝が必要です。動物や植物にも生かされているわけですから、そういうものへの感謝も大事であろうと思います。
 そのように、「大きな意味で自分を生かしてくれている力に感謝していく」という気持ちを持っていればよいのです。
(247~249ページ)

慢心してしまわないこと、簡単にでき上がってしまわないこと。

そのためには、第一に、常々、謙虚な姿勢で、謙虚な言葉を発すること。第二に、行動を派手にしすぎないこと。

そして第三に、常に大いなるものへ帰依する気持ちを忘れないこと。言葉を換えれば、自分が生かされていることへの感謝を忘れないこと──。

これが、ある程度の自己実現ができてからも、さらに成功を重ねていくための大事な注意点ということなんだと私は思っているのです。 

『成功の法』

大川隆法著

 

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努力、努力っていわれるけど、そんなことしなくても偉くなれたり、お金が儲かったり、幸福になったりできる方法って、実はあるんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「人生には代償の法則が必ず働くのだ」ということを知ってください。
 何かを得ようとして努力しても、それがストレートには手に入らないこともあります。しかし、正当な目的のために、正当な努力・精進をしていた場合には、どこかの時点で必ず実りを得るようになってきます。
 汗を流し、智慧を絞り、工夫をし、精神的なエネルギーを使い、志を掲げ、熱意を持って生きたならば、必ず努力相応のものが表れてきます。それが、この世において表れないならば、この世を超えた世界において、光や人格の輝きとして、あるいは、天使の羽として表れてくるのです。そういうことがあります。(中略)
 世の中には、一見、〝うまい話″が数多くあります。
 しかし、「ほかの人は知らない抜け道があり、それを使えば、あなただけはうまくいく」というような耳触りのよい話は、九十九パーセントの場合、騙されているか、誤解しているか、このどちらかなのです。そのことを知る必要があります。
 やはり、「努力という代償を払わずして、何かを達成したり、魂にとって値打ちのあるものを得たりする」ということはありません。
 代償の法則は「縁起の理法」と呼んでもよいのですが、「得られるもの」と「払った代価」は、きちんと釣り合うようになっていて、最終的に帳尻は必ず合うことになっているのです。
 「努力をしたくないが、偉くなりたい」「努力をしたくないが、お金を儲けたい」「努力をしたくないが、幸福になりたい」などと考える人には、努力をしなかったことの代償として、おそらく苦しみが来ることでしょう。
(39~40ページ)

人生には、「代償の法則」(=「縁起の理法」)が必ず働くことになっているから、努力は必ず報われる。

努力の結果が表れないまま人生を閉じることになった場合でも、あの世に還ればその努力は、光や人格の輝きとなって、場合によっては天使になることで、必ず報われる。

逆に、努力もしないのに成功したり幸福になったりしようとすれば、その代償として「苦しみ」が来ることになる──。

だから、私たちは、何かを達成したり、魂にとって値打ちのあるものを得たりするためには、それに見合う努力をすべきだ、ということです。

うまい話に乗せられたりせず、成功に向けて、地道に努力を重ねて行くのが大切なんだと改めて学んだ気が私はしているのです。 


『生命の法』

大川隆法著

 

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