ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



宗教って、いい宗教もあるんだろうけど、悪い宗教も多いでしょ。どう見分ければいいの? なーんて、疑問に思ってる人、いませんか? 

幸福の科学の大川隆法先生は、『人生成功の秘策』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 宗教の正邪を見分ける基本的な基準は、その宗教に入った人が、おかしくなるか立派になるか、ということです。
 長い眼で見ると、世間の眼はごまかせないのです。オウムに入れば、おかしくなって、どこへ進出しても嫌われるのです。ところが彼らは、「周りから差別や迫害を受けている」「住民たちが自分たちに害を加えている」「国家の謀略だ」と言っていますが、どこに進出してもそうしたことが起きるということは、縁起の理法からいっても、自分たちに原因があることは明らかです。
 要するに、その教団に入っている人たちが、狂っていき、おかしくなっていくなら、それは邪教なのです。逆に、内部にいる人たちが立派になっていくなら、それは正しい宗教なのです。普通の人が見てもわかる基準は、内部にいる人たちが立派になっていくか、おかしくなっていくか、ということです。
 周りから嫌われるような状況が長く続くようなら、それは間違っているということです。周りから好かれるような、すばらしい人がたくさん出てくるようなら、それは正しい宗教だということです。究極的には、ここがポイントです。
(47~48ページ)

宗教の正邪を見分ける基本的な基準は、その宗教に入った人が、おかしくなるか立派になるかである。

周りから嫌われるような状況が長く続くなら、その宗教は間違っているということだし、周りから好かれる、すばらしい人がたくさん出てくるようなら、正しい宗教だということである。

長い眼で見ると、世間の眼はごまかせない──。

オウム教や旧統一協会の例を考えると、なるほど、なるほどと思えます。

外から見ているだけでは、すぐには分からないかもしれない。

でも、短い時間では判断できなくとも、長い目で見たとき、多くの人の目は誤魔化せない。

こういう少し気の長い目線で、世間のいろんな宗教を見ていく必要があることを、今日は改めて教えていただいたと私は思っているのです。

 

人生成功の秘策 ―宗教のパラダイム・シフト― (OR books) 『人生成功の秘策』

 大川隆法著

 

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 私って、どうしてもっと背が高く生まれなかったのかしら。どうして、太る体質に生まれちゃったのかしら。もっと小顔に生まれたかったわ。足は、もっと長かったら・・・。なーんて不満抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀再誕〔携帯版〕』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

あなたがたの多くは、肉体的外形にとらわれすぎる。
あなたがたの多くは、肉体の悩みにとらわれすぎる。
自分の体を見、背が高いとか低いとか、
太っているとか痩せているとか、
美人であるとか、そうでないとか、
いろいろなことを苦にし、日々それを話題にしているであろう。
しかし、これなども愚かな人びとの考えであると、私は思うのだ。
肉体というものは、ひとつの乗り物であるのだ。
ひとつの乗り物であって、
魂が今世において修行をすることができれば、それでよいのだと思う。
それ以上を願うな。
魂の修行のために、十二分に役に立ってくれるのであるならば、
それでよいではないか。
それ以上のことを願ってはならない。
それ以上のことで、思い煩(わずら)ってはならない。
心に誓って、
肉体のみのために、肉体のことのために、
悩みすぎないことが大事だ。
悩まなければならないことは、もっとほかにある。
その心だ。
その心をこそ、悩め。
その心の悪しきことを、
間違いに満ち満ちていることをこそ、悩め。
心が美しくないかどうかを悩め。
心が美しくなければ、それは自然とまわりに表われる。
心美しくなくば、その人の目は美しいものとはならない。
心が乱れているならば、
心が澱(よど)んでいるならば、
その人の目は曇ってゆくであろう。
その人の目は、邪悪な光で満ちることになろう。
その人の目は、陰険な思いをたたえるようになるであろう。
心高慢とならば、その人の鼻は実際以上に高く見えるであろう。
いつも、ツンとした高い鼻のようにも見えてくるであろう。
心正しくなくば、その人の口は曲がって見えるであろう。
常に、他の人に皮肉を言い、
常に、他の人を批判する人の口は、とんがり、また曲がるであろう。
そのようないやな口となって、表われてくるであろう。
また、心穏やかならざる人は、
その身のこなしにおいて、表われてくるであろう。
常に、他の人を責め、他の人をさいなむ人には、
それなりの身のこなしがあるであろう。

しかし、心穏やかなる人は、
時間のなかにあって、時間を忘れさせる。
地域のなかにおいて、地域を忘れさせる。
人びとのなかにあって、人びとの存在を忘れさせる。
それは、常に柔和で穏やかであるからだ。
柔和で穏やかである、そういう心の持ち主の肉体は、
決してまわりの人に不愉快を感じさせない。
人びとよ、肉体を調律する前に、
まず心をこそ調律せよ。
肉体を素晴らしいものとする前に、
まず心をこそ素晴らしいものとせよ。
日々、柔和となれ。
怒ってはならない。
(そし)ってはならない。
愚痴ってはならない。
以上のことをよく心に刻め。
(135~140ページ)

誰の肉体だっても完璧ではない。

その弱点の部分に悩んでいる暇があったら、心を整えること。

つまりは「心の修行」をすることで、じつはとても美しい人になれる。

そんな大事なことを、大川隆法先生は教えておられたのではないかと、改めて私は感じいっているのです。

 

携帯版 仏陀再誕 THE REBIRTH OF BUDDHA ―縁生の弟子たちへのメッセージ― (OR books) 『仏陀再誕〔携帯版〕』

 大川隆法著


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ね、よく「地球を見守る宇宙存在」って言葉を聞くんだけど、それって、どういうことなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『R・A・ゴール 地球の未来を拓く言葉』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 (前略)本書は、メシア資格を持つ宇宙存在からのメッセージである。地球産の神々の力、民族神の力を超えたところまで教えは弘がりつつあるということだ。
 「R・A・ゴール」も一つのヒドゥン・ネーム(隠された名前)でもあるが、「R・A」はラ・ムーの「ラー」(王の意味もある)でも、リエント・アール・クラウドの最初の二語の頭文字でもあろう。悉達多(梵語シッダールタ)は、「目的を成就したもの」の意であり釈尊の俗名であるから、「ゴール」は、シッダールタの意味合いもあろう。ゆえに仏陀・釈尊の宇宙魂の暗証でもあろう。(中略)
 西洋的文脈では、モーセを導いた「ヤハウェ」や、イエスの「天なる父」にニュアンスは近かろう。
 いずれにせよ、本年は「ウィズ・セイビア」(救世主と共に)の気概をもって力強く、ねばり強く、忍耐強く、生き抜かねばなるまい。
 人類よ、もう「その時」は到来したのだ。
(1~2ページ)

「R・A・ゴール」という宇宙存在については、「こぐま座アンダルシアβ星の宇宙人。宇宙防衛軍の司令官の一人であり、メシア資格を持つ。宗教家的側面を併せ持ち、惑星レベルで優れた文明をつくる力を備えている。現在、大川隆法として下生しているエル・カンターレを防衛する役割を担っている。」と紹介されています(14ページ)。

本書は2021年に刊行された、いわば予言書と言ってよい書物だと思われます。

バイデン大統領で、世界の混乱が加速すること、コロナは自然発生ではなく、その原因は中国にあること、ワクチンに効果がないこと等々が、明確に語られています。

まさに、「地球の未来を拓く」ためには必読の書物であると、私は思っているのです。

なお、大川隆法先生の作詩・作曲で、「宇宙の四大メシア楽曲シリーズ」の第1弾として、CD&デジタル配信で『R・A・ゴールの慈悲』が発表されています。こちらも、強くお勧めです。

R・A・ゴール 地球の未来を拓く言葉 (OR BOOKS)

『R・A・ゴール 地球の未来を拓く言葉』

 大川隆法著


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神様や仏様って、ほんとにいるのかな。いるんだったら、アメーパとかから進化してきたサルが先祖で人間ができたって、学校で教えられるのは間違ってるのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『新・心の探究』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 結果に対しては原因があるということを考えれば、やはり、この世界を創ったものがあると考えることは、常識的に考えても筋が通っております。
 この世界を偶然にできたと考えるのは、最近の流行ではあるけれども、これはある意味で、長い目、あるいは広い目で見るならば、異常な思考といわざるをえません。偶然に人間ができるでしょうか。人間がアメーバーから偶然に進化してくるでしょうか。
 人間というものは、いってみれば、超高層建築のようなものです。四十階建て、五十階建ての高層建築のような、目的性を持ったしくみを持っているのです。
 ところが、現在の進化論の主流というのは、偶然の連鎖によって人間ができていると、現時点の肉体と精神を持った人間ができていると主張しております。
 これはいってみれば、コンクリートのかたまりや砂や砂利や、あるいはブロックとか、鉄筋とか、こういうものが転がっていて、偶然に風が吹き、偶然に雨が降って、コンクリートがこねあげられて、そして、いつの間にか鉄筋が積み上がって、つまり、偶然に地震か何かで鉄筋が積み上がって、そして超高層ビルができた、というのと同じなのです。
 人間のしくみの複雑さを知れば知るほど、それが偶然に、そういう材料の寄せ集めでできたものでないことは、明らかであります。それは、目的性を持っているのです。人間の肉体だけを見ても、DNAとかRNAとかいうような、遺伝子の情報システムによって、人間の肉体ができているということが、生物学によって解明されているけれども、これをもってしても説明とはなっていないのです。
 なぜ両親からDNAとかRNAとかいうような遺伝子の情報が伝えられるのか。この情報とは、そもそも何なのか。この分析ができていないのです。偶然にそういう情報が伝わると考えるのは異常であります。
 これは、今の例でいうならば、五十階建ての超高層建築ができたなら、その設計図を窓からひらりと落としたならば、隣にもまた同じようなどルが建ったということと同じようなことになります。遺伝子情報があるからといって、まったく同じものができるという、その不思議そのものを探究しなければ、意味がないわけです。ビルの設計図を落としたところで、もう一つのビルは建たないのです。ビルを建てるためには、その設計図を見て、それを造る人がいなければ建たないのです。そういうことだと思います。
(31~33ページ)

この世界を偶然にできたと考えるのは、最近の流行であるが、ある意味で異常な思考である。

人間のしくみの複雑さを知れば知るほど、目的性を持っているのであって、それが偶然にできたものでないことは明らかである。

結果に対しては原因があるのだから、この世界を創ったものがあると考えることは、常識的に考えても筋が通っている──。

「神」と呼ぼうが「仏」と呼ぼうが、この世界を創った造物主があるのだ、と考えるのは、自分の頭でよくよく考えてみると、とても理にかなっている、ということですね。

アメリカでは、けっこう以前から真剣に、進化論を学校で教えていいのか、教えるにしても、それはまだ立証されてない仮説だと教えて、神がこの世を作って人を作ったという聖書の考え方も一緒に教えるべきだという議論が、盛んになされてると聞きます。

当然の話ではありますよね。

この日本においても、この「進化論」というのは、いかに普通でない理論であるか、むしろ間違いと言うべきものではないかという認識が、もっともっと広がってほしいと、改めて私は思っているのです。
 

新・心の探究 ―神の子人間の本質を探る―

『新・心の探究』

 大川隆法著

 

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あの人が羨ましいー、っていう感情は、嫉妬だと思うけど、人間だから、しょうがないことなのかな。どう考えればいいんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『愛、無限〔新装版〕』(幸福の科学教典部)で、こう教えておられます。

 嫉妬に打ち克つ方法は何でしょうか。それは祝福の心です。自分が嫉妬している対象こそが、実は自分自身の理想像にほかならないのです。(中略)
 みなさんも、よくよく心しなければなりません。みなさんが嫉妬する場合、その相手はたいてい、みなさんが理想とするものを持っている人です。自分がまったく関心を持っていない人に対しては、嫉妬しないものなのです。
 それは、みなさんの体験からも明らかでしょう。自分が活躍したいと思う分野で、自分以上に光っている人であるからこそ、その人に嫉妬をするのであって、そうでない人には嫉妬しないのです。
 雪山で上手にスキーをしている選手に対して、たいていの人は嫉妬を感じることがありません。それに深い関心を持っていないからです。しかし、プロのスキーヤーを目指している人であれば、嫉妬を感じることがあるでしょう。そうしたものです。
 結局、自分の魂が強く求めている対象に対して、嫉妬をしやすいのです。そのことを知って、嫉妬の思いを切り換えなくてはなりません。
 自分が理想とする相手は、尊敬すべきであり、肯定すべきなのです。自分もそのようになりたいと思ってこそ、その理想に対して、一歩一歩、近づいていくことができるのです。ところが、嫉妬を始めた瞬間から、もはや近づくことはできなくなって、遠ざかっていきます。
 嫉妬したあと、人間はどうなるでしょう。「あの人のようになりたくない」ということを言いはじめます。なんらかのかたちで、嫉妬の対象である人に対してマイナスの評価を与えます。
 しかし、「あのようにはなりたくない」「あんな人は、大したことがない」「あんな人のことは、何とも思っていない」などといった言葉を繰り返すことによって、自分自身が、その理想の対象から、だんだん遠ざかっていくことになるのです。
(86~88ページ)

嫉妬に打ち克つ方法は、祝福の心である。

嫉妬している対象こそが、実は自分自身の理想像にほかならない。

だから、嫉妬すれば、その理想から遠ざかるが、尊敬し肯定すれば、その理想に一歩一歩、近づいていくことができる──。

大川隆法先生は、最初にはっきりと答えを述べておられます。

嫉妬に打ち克つ方法は、「祝福の心」である、と。

その根拠として提示されるのは、嫉妬している対象こそが、実は自分自身の理想像にほかならない、という事実です。

ここで説かれた具体例を自分自身の問題に置き換えてみると、考えれば考えるほどに、まったくそのとおりであることがしみじみとわかってきます。

だから、嫉妬によって、自分の理想像を否定してはならない。
 
逆に、祝福することによって、尊敬し肯定していくことで、自分が理想に近づいていくことができる。
 
大川隆法先生は、これこそが心の法則であるということを、誰もがわかるようにやさしく教えて下さっていたんだと思います。

改めて、ほんとに大事な教えをいただいていたのだなと、今日も深く私は感じ入っているのです。

 

愛、無限 〔新装版〕―偉大なる信仰の力― (OR books) 『愛、無限〔新装版〕』

  大川隆法著

 

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プレアデスという星団からは、金髪で地球の白人そっくりの宇宙人が来ている」という話を、以前、紹介しました。さて、彼らは何をしに、地球に来てるのでしょうか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ユートピア創造論』(幸福の科学出版)に収められた、1989年の論考で、こう説いておられます。

 地球以外の星にも偉大な人類が住んでいます。地球人から見て、二千年ぐらい進んでいる人類もいれば、六千年ぐらい進んでいる人類もいます。
 いま地球には異星人がかなり飛来しています。なかでもプレアデス星団というところから大量に来ています。現在はここからの飛来がいちばん多いのです。
 プレアデス星人たちは、肉体を持った集団移住をまだしていませんが、彼らの一部は、魂として地球人の肉体に宿り、地上に生まれてきています。そして、今後、肉体を持って移住してくる人たちが地上に住むための準備をしています。
 このように、地球人の肉体に宿り、地上で魂修行をした人たちを先達として、プレアデス星人たちは、本格的な移住ができるように計画しているのです。
 そうした異星人たちの移住は、世紀が変わるところから起こり、少しずつ明らかになってくるだろうと思います。その動きは二十一世紀から始まりますが、二十五世紀、二十八世紀、三十世紀と、だんだん本格的なものになっていきます。異星人が大編隊を組んで地球に移住してくるようになるのです。
 しかし一方では、地球の古い人類の一部が地球を去っていきます。霊的に去っていく人たちもいますが、肉体を持ったかたちで、いろいろな乗り物に乗って地球を去る人たちも出てきます。
 そうした人たちは、さらに進化した惑星を目指したり、あるいは、進化の途上にあって、まだいろいろな可能性のある惑星を目指していくのです。
 それは、これから約十世紀のあいだに起きてくる出来事です。その間、みなさんはおそらく一回や二回は地上に生まれるでしょう。そして、そうした出来事を現実に体験するだろうと思います。霊的世界においては、これはすでに計画として見えていることであり、かなり前から準備が進んでいるのです。
(56~57ページ)

世間の「常識」からは、かなり外れた話ですが、人間の魂は、太陽系とか地球という修行場に縛られているのではありません。

実は、大きく、長い目線で見ると、銀河系の果てからやってきたり、逆に行ってしまったりして、大銀河のスケールで、修行場を変えていく魂さえもいる、というのです。

こんな壮大な教えを受けてしまうと、自分の抱えている悩みって、とっても小さなものだったんだなあって、改めて感じたりします。

しかも、大川隆法先生は、1989年に発刊されたこの書籍で説かれたとおり、その後、宇宙人の魂が宿った人をリーディング(霊査)して、宇宙人の魂に言葉を語らせ、数多くの書物として出版するという、もうあり得ない御業(みわざ)を、数多く示しておられるわけです。

こういった大きな視点(まさに神様の視点ですよね)を、話としてだけでなく、客観的事実として立証する領域まで踏み込み、どんどん進んでおられる。

だからこそ、大川隆法先生のお教えは、ほんとうに救世の法(教え)であったのだと、改めて私は思っているのです。

 

ユートピア創造論ー人類の新たなる希望 『ユートピア創造論』

 大川隆法著

 

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人を妬んでしまうことって、よくない感情なのは分かるんだけど、でも、どうやって克服していったらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 なぜあなたは他人の成功が妬ましいのでしょうか。それを、いま一度、自分の胸に手を当てて考えてみていただきたいのです。(中略)
 そうすると、思い当たることがあるはずです。それは「自分が興味や感心を持っていない領域については、他人の成功を妬ましく思うことはあまりない」ということです。
 こうしてみると、問題の整理ができます。あなたが他人の成功を妬ましいと思う場合、実は、その成功はあなたの感心領域にあるものであり、その人はあなたの理想像でもあると言えるのです。妬ましいという気持ちは、ほんとうは、あなた自身がその人に成り代わりたかったということなのです。(中略)
 結局、他人が妬ましくてしかたがない人には、次の二つのことを受け入れてもらう必要があります。
 第一に、「あなたが妬ましく思うものは、あなたにとって感心の強い領域がいったい何であるかを教えている」ということです。
 第二に、「あなたが妬ましく思う相手は、あなたの敵ではなく、実はあなたの理想像であり、あなた自身がその人のようになりたいと思っているのだ」ということです。(中略)
 あなたは第一段階として、自分自身を客観的に見て、自分の才能をよく知るとともに、自分に対する他人の真実の評価をよく考え、はたして自分はその妬ましく思う相手と同じ成功を手に入れる可能性があるか否かを考えることが必要です。
 そして、それがまったく可能性のない世界のことであり、宝くじを当てるようなものであるならば、あきらめることです。(中略)
 そのときには方向転換が大事です。つまり、「あくまでも自分に可能性のある領域で自己実現を果たす」ということが大事なのです。(中略)
 それでは、第二の場合、つまり、ある程度の可能性がある場合には、どうすればよいのでしょうか。(中略)
 この場合には、やはり、努力する以外に手はないのです。
 単に相手を妬ましいと思うのではなく、相手が自分の理想像であるという現実を認めなければいけません。相手の成功した姿を憎むのではなく、相手を自分の理想像として見なければいけないのです。
 理想像としての相手のなかには、自分が持っていないものが必ずあるはずです。それを見つけ、努力して身につけていくことです。そうした工夫が大事です。
(42~49ページ)

他人の成功を妬ましいと思う場合、その成功は自分の感心領域にあり、その人は自分の理想像でもあって、ほんとうは自分自身がその人に成り代わりたかったのである。

だから、自分自身を客観的に見て、自分が同じ成功を手に入れる可能性があるかを考え、まったく可能性のない世界のことであるならば、あきらめることである。

ある程度の可能性がある場合には、理想像としての相手のなかに自分が持っていないものが必ずあるので、それを見つけ、努力して身につけていくことである──。

ここでは、妬みがわきおこる原因が客観的に分析され、それに対する対策が、とても分かりやすく説かれています。

特にポイントになるのは、妬ましいと思う相手が実は自分の理想像である、というところではないでしょうか。

これを素直に認めることができたとき、自分には可能性がないと冷静に考えて方向転換を図るか、可能性がある分野であれば、理想像に自分を近づけるべく努力を重ねるのか、という対策を立てることができそうです。

つまり、今日のお教えをしっかりと味わってみると、幸福になるための方法論は、やはり「科学」だったのだと、改めて私は思っているのです。

 

「幸福になれない」症候群ーグッドバイ ネクラ人生 (OR books)

『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著

 

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ムー大陸とか、アトランティス大陸って、マンガやSF小説なんかでよく見るんだけど、本当にあったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の科学の十大原理(上巻) ──エル・カンターレ「教えの原点」』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 今から一万五千年あまり昔のことです。
 現在の日本を真南に下った所に、ジャカルタという都市のある島(インドネシアのジャワ島)がありますが、この島は、実は今から一万五千年ほど昔まであった大きな大陸の中心地でした。
 この大陸のことを「ムー大陸」といいます。そして、この大陸に栄えていた国のことを「ムー帝国」といいます。
 今から一万五千数百年前でしょうか、この大きな大陸が没していったわけです。幸福の科学以外にも、神智学の書物など、さまざまな文献を通しても、そうした大陸があったことを見聞きしたことがあるのではないでしょうか。
 この大陸に、今から一万六千数百年前に、ラ・ムーという偉大な帝王が生まれました。(中略)
 その後、このラ・ムーの生命体は、今から一万二千数百年前、アトランティス帝国に生まれ変わりました。現在の大西洋の、ヨーロッパと北米を結ぶ中間点に、バミューダ海域という所がありますが、ここには、その当時、偉大な帝国がありました。
 アトランティス帝国は、非常に科学文明の発達した国でした。ある意味では、このアトランティス帝国の科学技術には、現代の文明水準をも超えている部分がありました。後れている部分もありますが、超えている部分もあったのです。
 この当時、すでに飛行船が発明され、空を飛んでいました。『太陽の法』にもサラッと書いてありますけれども、この飛行船は、長さが二十メートルから三十メートルぐらいのクジラ型のものでした。
 この飛行船の上には背ビレのように小型ピラミッドを付けてあり、太陽エネルギーを変換して動力として使い、後尾にプロペラを付け、これを回して飛んでいたのです。
(93~96ページ)

ムー大陸やアトランティス大陸は、1万数千年の昔、ほんとうに実在していた──。
 
幸福の科学の信者にとっては、もはや常識になっている話ではあります。
 
映画『太陽の法』では、これが実際にどんな世界だったかが、とても美しく具体的に描かれていました。
 
その真実を、大川隆法先生が、1987年のご講演「愛の原理」で、淡々と語っておられたことを、改めてお伝えしておきたいと私は思っているのです。

 

幸福の科学の十大原理(上巻) ーエル・カンターレ「教えの原点」ー (OR BOOKS)

『幸福の科学の十大原理(上巻)
 ──エル・カンターレ「教えの原点」』

大川隆法著

 

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信仰によって成功するって、どういうことかな。「御利益信仰」とか「金もうけ宗教」とかいう、宗教への批判があるけど、それとどう違うんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間が自助努力をしているとき、同時に、それを超えた大いなる他力もまた救いの手を差し伸べているのです。大きな慈悲がいつも臨んでいることを忘れずに、その慈悲と手を結ぶような自助努力をしていくことが大切です。このような世界観を持つべきだと思います。
 したがって、信仰と成功は対立するものではないのです。信仰を否定すれば成功するわけではありませんし、反対に、何らの自助努力もせず、成功の方法論をまったく無視して、信仰だけで成功できるわけでもありません。
 人間が修行の目的でこの世に生れてくることを考えれば、自助努力はやはり必要であり、創意工夫し、智慧を磨くことが大切です。しかし、同時に、地上の人間を助けようとする力が働いていることも忘れてはいけません。
 ただ、「自分を助けようとする力が働いているから、何も努力しなくてよいのだ」という甘え心では、高級霊の波動も近寄ってこなくなります。「天はみずから助くる者を助く」という言葉のとおりなのです。
 天は、自助努力の精神、セルフ・ヘルプの精神を持っている人をこそ、手助けしたいのです。(中略)
 そして、自助努力や創意工夫をしているなかにも、実は他力は臨んでいるのです。努力をすればするほど、インスピレーションがわいてくるようになりますが、インスピレーションには他力的な要素がかなりあるのです。(中略)
 ただ、インスピレーションを受けるためには、地上の人間の側に、それを受け止められるだけの力が必要です。(中略)
 したがって、インスピレーションを受け取れるだけの器をつくる努力が必要です。そうした努力を継続していくなかに、よいインスピレーションが下りてくるようになるのです。(中略)
 そのインスピレーションを逃さずにつかみ、天上界の高級霊に感謝し、さらにまた、努力、精進を重ねていくことです。このくり返しが成功を生んでいきます。
(215~218ページ)

人間は、修行を目的としてこの世に生れてくるのだから、自助努力はやはり必要であるが、同時に、それを超えた大いなる他力も救いの手を差し伸べている。

しかし、だから何も努力しない甘え心では、高級霊の波動は近寄ってこなくなる。インスピレーションを受け止められる器をつくる努力を継続していくなかに、よいインスピレーションが下りてくるようになる。

そのインスピレーションを逃さずにつかみ、天上界の高級霊に感謝し、さらにまた、努力精進を重ねていくことのくり返しが、成功を生んでいく──。

ここでは、大川隆法先生が説かれる「成功」とか「繁栄」が、どういうイメージのものなのかが、とても分かりやすく説明されています。

ほんとうの信仰を持つと、必ず成功できるのだ、ということになりそうです。

これは、とても魅力的な考え方であるだけでなく、それを誰もが実体験できる。

なんて、ありがたくて、うれしくて、そして、もの凄い話だと私は思っているのです。

 

奇跡の法―人類再生の原理 (OR books) 『奇跡の法』

  大川隆法著

 

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状況はものすごく厳しい人生の一大事に、自分の信仰にかけてあんなに祈ったのに、奇跡は起きなかったんだ。仏に見捨てられちゃったのかなあ。どう受け止めればいいの? なーんて悩んでる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教選択の時代』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 この世に生きている人間は、自分の本来の使命と目的を、完全に悟りきることはできません。いかなる目的を持って、いかなる計画を持って、この世に生まれてきたかということは、この世を去ってあの世に還らなければ、百パーセントはわかりません。したがって、三次元において、「自分はこのようになったほうがよい」と思って祈っても、その祈りがかなえられる場合と、かなえられない場合とがあります。(中略)
 たとえば、中学生が試験の問題を解く時に、「仏よ、この間題の答えを教えてください」と祈るとします。そして、それに対して答えが下ってきて、それを解く、そういうことだけをくり返すことが、ほんとうに仏の心に適ったことかどうかは、想像すればわかると思います。(中略)
 自分が出した答えが正解か不正解かは、やがて試験の成績が返ってきた時にわかります。その時に、自分の不充分なところを反省して、努力精進する子には道が開け、そうでない子、すなわち、仏に祈ったけれども答えが与えられなくて、「だから仏は信じない」と考える子には、残念ながら、ますます悪い結果が現われてくるであろう、ということが想像されるわけです。(中略)
 この世において、その立場において、「自分の願っていることが、ほんとうに仏の心に適(かな)っているかどうか」ということは、なかなか人間にはわからないことがあります。その願いが仏の心に適うものであるならば、奇蹟が目の前に開けてくることを祈ることはよいでしょう。
 しかし、もし、それが現われてこないものであるならば、現われてこないなかに、仏の御心があります。仏の念いがそこにあるのです。「あなたは、ここから何かを学びなさい」という教訓が、そこに現われているのです。そして、その教訓を得ることなくして、その人には、次の課題、次の関門が与えられないこともあります。(中略)
 ですから、一つひとつが、必ずしも最終的な成功ではないということです。いったんは失敗に見えたことであっても、実は、その人の考え方や人生を軌道修正するために、非常に大事な、示唆に富んだ現実であることも多いと言えます。
(55~59ページ)

人は、自分の本来の使命と目的を、完全に悟りきることはできないから、「自分はこのようになったほうがよい」と思って祈っても、その祈りがかなえられる場合と、かなえられない場合とがある。

その願いが仏の心に適うものであるならば、奇蹟を願うのはよいが、もしそれが現われてこないならば、現われてこないなかに、仏の御心がある。

失敗に見えたことであっても、実は、その人の考え方や人生を軌道修正するために、非常に大事な、示唆に富んだ現実であることも多い──。

うーん、厳しい教えです。

でも思い返せば、「人生は一冊の問題集である」とも教えていただいているわけです。

つまり、大川隆法先生は、この大事な教えの意味を、こんなふうに、より具体的に解説して下さっていたのだと改めて私は思っているのです。

 

宗教選択の時代ーネオ・ジャパニーズ・ドリームへの胎動 (OR books) 『宗教選択の時代』

 大川隆法著

 

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あーあ、なんだか不幸なんだよね。なんでなんだろ、どうしたらいいんだろ? なーんて悩みかかえてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション③ー情熱からの出発ー』(幸福の科学出版)第2章「悟りの極致とは何か」で、こう教えておられます。

己の心に厳しくありなさい。
己の人生に対して責任を持ちなさい。
そこからすべてが始まってゆくのです。(中略)
みなさんが現在、不幸であるのは、
神のせいでも、みなさんの守護霊のせいでも、
親やきょうだいや友人たちのせいでもありません。
その心の状態をつくっているのは、
日々一瞬一瞬に、自分が選択しているところの、
その「思い」にあるのです。
その「思いの積み重ね」にこそあったのです。
思いを積み重ね積み重ねして、
現在の心境というものはできてきたのです。
それがあなたであるのです。
あなた自身であるのです。
「あなた自身が何者であるか」を知りたくば、
過去の事実だけを見る必要はない。
過去の「思い」を見れば、それが「すべて」であるのです!
(82~83ページ)

いま不幸であるのだとしたら、それは誰のせいでもない。

自分のひとつひとつの「思い」の積み重ねが、いまの自分をつくっている。

自分が何者であるかは、過去の「思い」がすべてを示している──。

大講演会での仏陀(ほとけ)の獅子吼(ししく)が、活字に起こされたお教えの一節です。

厳しい言魂ですけれども、心に響きます。

しっかりと受け止め、よくよく味わってみると、不幸でなくなるためには、これから自分の「思い」をただして行きさえすればいいんだ、と気がつきます。

じゃあ、どうやってその「思い」をコントロールすればいいのか。

それは、これまでこのブログで、けっこう度も取り上げてきたテーマではありますし、今後もまた、折々に取り上げて行きたいと思います。

でも今日はともかく、「人間は、自分で自分を不幸から脱出させることができる」という大事な真理を、まずはお伝えできればと私は思っているのです。

 

大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション3 ー情熱からの出発ー (OR BOOKS) 『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション③
 ー情熱からの出発ー』

 大川隆法著


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幸福の科学って、世界宗教になるって話、聞いたけど、なんで世界宗教なんて目指さなきゃいけないの? なーんて疑問持ってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション⑥ー悟りに到る道ー』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 戦争が起きる(中略)もっと根源的なる理由は、「お互いに理解することができない」ということ、「相互の理解ができない」ということが原因となっております。
 理解できない原因は、文化に共通項がないことが多いからです。だから、理解できないのです。共通の言語を持たない、共通の文化を持たない、共通の行動様式を持たない。そこに「不信」が生まれ、相手の考えが理解できないところから「憎しみ」が生まれ、「争い」が生まれてきます。これも、戦争の大きな大きな原因の一つです。
 これをなくしていくためには、人類共通の文化とでも言うべき価値基準というものが、どうしても必要になるのです。これをつくらないかぎり、キリスト教文化圏だけでは世界を包摂できない。それは二千年の歴史が証明しています。(中略)
 儒教やキリスト教や仏教やイスラム教や、こんなものを超えた「全地球的な価値観」をつくり、これを浸透させるということです。世界に浸透させるということです。
 この価値観が、この文化が共通の言語の代わりになるのです。
 これをつくらんかぎり、どうしてもどうしても、世界は一つにはならないのです。(中略)
 目先の一年や二年、五年や十年、このくらい先に起きる小さな戦争は、
 今、私たちの力ではどうすることもできません。
 しかしながら、それが泥沼化し、人類が堕落していく方向から、
 全世界を一つにして「新たな繁栄」をつくり出していく方向へと、
 転換するための力となることは可能であると、私は思うのです。
 そのためには、一見、迂遠で遠回りなようにも見えるけれども、
 世界の多様なる価値観や、
 歴史を超え、
 文化を超え、
 民族を超え、
 言語を超えて、
 唯一なる神の理念から降りているところの、
 この多様性を説明し切り、
 さらに、それを統合する努力こそが必要なのです。
 これができるところは、全世界に幸福の科学以外に絶対にありません!
 これ以外にないんです。
 これのみが人類の希望なのです。

 それ以外にも、もちろん、いいものは幾つもあるでしょう。
 それは、私も認めます。
 いい考えもあるでしょう。道徳もあるでしょう。そういう団体もあるでしょう。
 それを、私は認める。
 しかし、
 彼らは、「今、この地球時代の人類を救う力」は持っていないということも、
 私はまた認めるものであります。

 今、世界を一つの価値観の下に統合できるのは、
 幸福の科学のこの思想をおいて、ほかにありません。
 われらは、すべての統合を目指しています。
 すべての統合こそが、
 すべての価値観を統合して共通の言語を築くこと、
 共通の文化を築くこと、
 これが、人々が多様なるままにお互いを理解し、
 永遠の神に向かって向上していくための唯一の可能性であるのです。
 私たちは、そうした大きな視野の下に、今、戦いを開始しているのです。
(180~189ページ)

活字になってしまうと、あの迫力は、どうしても十分に伝わらないものがあります。

1990年に大阪で行なわれたこの講演会「未来への聖戦」の本会場に、私はいました。

純粋で大きな理想を、人類の希望を、流れるように語られる、大川隆法先生の情熱をこめた説法の言魂に本当にしびれたのを、昨日のことのように覚えています。

それから34年もの日々がすぎ、大川隆法先生が掲げられた理想は、その素晴らしい教えは、ますます輝きを増している。

一人でも多くの人にこれを伝えたいと思うのは、決して私だけではないと、強く強く私は信じているのです。

 

大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション6 ー悟りに到る道ー (OR BOOKS) 『大川隆法 初期重要講演集 ベストセレクション⑥』
 ー悟りに到る道ー

 大川隆法著



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妊娠してしちゃったんだけど、中絶っていけないのって考えてる人、いませんか? また、中絶したことあるんだけど、これからどうすればいいのか、悩んでる人は?

幸福の科学の大川隆法先生は、『運命の発見 説法自由自在②』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 中絶によっていま霊界は大混乱していることは事実です。日本では何百万人も中絶されているようですが、これでは計画にずれが出ますし、しかも魂に傷が残ってしまいます。せっかく人間として何十年か生きようとして出てくるのに、おなかのなかにいるときに中絶されてしまうと、それが傷になって残るのです。次回出ようとするときに、また同じ目にあうのではないかという恐怖心が残るわけです。
 また、いったん出て来て、地上の空気を吸ってしまったり、人間としておなかのなかに宿って、人間の意志を持つ程度にまで成長した場合には、あの世に還ると、もう一回、子供からやり直さなければなりません。すぐ元の姿には戻れないのです。地上的にいうと二十年ぐらいはかかります。本人に縁のある霊たちが来て、その霊的な子供を、赤ん坊から元の大人の自覚に戻るまで、あの世で面倒をみなければいけないわけです。これは魂の進化にとっては、ひじょうにマイナスです。(中略)
 中絶に関していえば、なるべく避けるにこしたことはありません。しかし、どうしてもやむをえない経済的事情、身体的事情もあります。たとえば奥さんのからだが弱くて子供を産めば死ぬかもしれない場合、母体を守るという意味での中絶もあるでしょう。
 そのように、やむをえない場合もあるので、中絶は必ずしも許されないことではありません。けれども、そのときには、出たかったけど出られなかった魂に対して、両親が十分、あの世で間違いなく成熟できるように、そして心に傷が残らないように、思ってやることが大事です。それが人間として、最低限の義務ではないでしょうか。
(69~70ページ)

中絶は、転生の計画にずれが出るし、魂に傷が残ってしまい、母体に宿って意志を持つ程度にまで成長していた場合は、あの世で子供からやり直さねばならず、魂の進化に非常にマイナスである。

だから、中絶はなるべく避けたほうがよいが、どうしてもやむをえない事情もあるから、必ずしも許されないことではない。

そのときには両親が、出られなかった魂に対して、あの世で間違いなく成熟できるように、心に傷が残らないようにと、十分思ってやることが大事である──。

このご両親の思いを形にするには、「祈願」が考えられるのではないでしょうか。

幸福の科学の信者に与えられる『祈願文』には、「愛児・水子供養経」というお経が収められています。

また、幸福の科学の支部や精舎では、「水子供養」の祈願をお願いすることができたと思います。

興味のある方は、ぜひ、お近くの幸福の科学の支部や精舎に問い合わせされますよう、お勧めしたいと私は思っているのです。

 

運命の発見 ―説法自由自在 2― (SUPER CONTACT 説法自由自在 2) 『運命の発見 説法自由自在②』

 大川隆法著


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あの世って、マンガとか、ドラマとか、小説とかでよく出てくるけど、昔の時代のままで止まってるみたいに思えるんだけど、ほんとにそうなのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 あの世もまた、この世と同時に変化しています。現代の人が亡くなれば、その人が生きていたときと同じような生活様式があの世にも現れています。現代において、あの世の世界を見てきた人は、数百年前、あるいは千数百年前の臨死体験の報告にあるような、古代の世界を見たわけではありません。いまは、極めて現代的なあの世というものができています。天国も地獄も変わってきています。都会も現れています。
 この世にあるものはほとんどすべて、似たようなかたちで、想念の世界において現実化してきています。多くの人々が「それがあってほしい」と思うと、そのようなものが出てくるのです。それが、あの世の世界です。
 多くの人々が「乗り物が欲しい」と思えば、それがあるかのように現れてきます。電車も飛行機も現れてきます。あの世に現実に金属があるわけではないのですが、そのように現れてくるのです。「地上の楽園」のようなものを望めば、現代における最高のテーマパークのようなものや美しい公園のようなものが現れてきます。それは古代の様相ではありません。現代の地上にあるものと極めてよく似たものが出てきます。
 「臨死体験では、必ず古代返りをして、大昔の世界ばかりが出てくるから、あの世は信じられない」と言う人がいますが、そんなことはないのです。すでに、現代的なあの世が始まっています。時代はほとんどずれていません。
 古代のままで時間が止まっている人々の世界もありますが、現代の人々に対しては、現代の人々に分かるようなかたちで、あの世での指導が行われています。方便として、そういう現代的な生活も展開されているのです。
 あの世には学校も病院もあります。この世にあるように存在します。そういう所で仕事をしている人も数多くいます。その内容も日進月歩で、次々と変わっています。昔であれば、霊界の学校に外国人はいなかったでしょうが、いまの霊界の学校には、外国の人たちも数多く学びに来ています。
 そのように、あの世は地上と同じように変化しているのです。
(296~298ページ)

あの世では、現代の人が亡くなれば、その人が生きていたときと同じような生活様式があり、この世にあるものはほとんどすべて、似たようなかたちで現実化している。

古代のまま時間が止まっている人々の世界もあるが、現代の人々に対しては、方便として、現代の人々に分かるようなかたちで、あの世での指導が行われている。

あの世もまた、この世と同時に変化している──。

新鮮な話に感じた人も、おられるでしょうか。

臨死体験の報告というのも、昔の書物だけでは分からないことが多いわけで、いま現在の報告も知らなきゃいけないと感じるお教えです。

その意味では、大川隆法先生が数多く出しておられる「霊言集」は、そういった情報の宝庫であることに、改めて気付いた気が私はしているのです。

 

幸福の法: 人間を幸福にする四つの原理


『幸福の法』

 大川隆法著


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人生を一生懸命、駆け抜けてきて、子どもは独立して定年だし、電車で席を譲られるようになってきて。あとは、どうやって生きていったらいいの? なーんて悩んでるる人、いませんか? また、そんなご両親に、何を伝えればいいのかなあ、とか考えてる人は?

幸福の科学の大川隆法先生は、シルバー世代に向けて、『悟りに到る道』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生の最後の十年ぐらいというのは、非常に大きな意味を占めています。実際は、すでにこの世的な仕事を終わっていることが多いでしょうが、この十年ぐらいというのは非常に大きな意味合いがあり、これが来世の入学試験の前の期間なのです。ここをどのような精神状態で過ごすかということが、来世の生き方に非常に関係があります。
 気をつけてほしいことの第一は、いわゆる「和顔愛語(わげんあいご)」──優しい顔、安らいで和らいだ顔、それから、優しい愛ある言葉です。そうした優しい顔、人に対する優しい言葉、これを特に気をつけてください。これは毎日毎日の心がけです。鏡を見たときに、優しい顔をしているか。それから、人に対して、好意のこもった話、その人が聞いてよろこぶような話ができているか、これをまずチェックしていただきたいのです。心の状態が悪いと、まず顔つきが悪くなってきますから気をつけてください。
 顔の点検のひとつに、「慈眼(じがん)」というものがあります。鏡で自分の目をよく見てください。慈眼、慈悲の目であるかどうか。光を持った、目尻の優しい、そういう目かどうかをよく見ていただきたいのです。
 地獄に行く方というのは、普通、目が濁っています。自分の目を見て、目が濁っているかどうか、よく見ていただきたいのです。目が濁っているようですと、まだ修行が残っていますから、どうか心を透明にして、他の人に対する優しい心を起こしてください。
(56~57ページ)

人生最後の十年ぐらいは、来世の入学試験前の期間であり、ここをどのような心境で過ごすかが、とても大事である。

気をつけたい第一は、「和顔愛語」(優しい顔、安らいで和らいだ顔、それから、優しい愛ある言葉)である。

地獄に行く方は、目が濁っているので、「慈眼」(光を持った、目尻の優しい目)を心がけ、心を透明にして、優しい心を起こすよう努力すること──。

うーん、これまでの人生を振り返ってみると、間違いばっかりやって生きてきたと思います。

でも、まだ若い(はずの)私は、このお教えで、これからまだまだ十分リカバリーできるかもしれないと、ちょっとホッとしたりしています。

最後の10年の大切さ。

そして、毎日の心がけとしての、「和顔愛語(わげんあいご)」と、「慈眼(じがん)」。

どんな世代だとしても、これからすぐに心がけたいお教えだと、心から私は思っているのです。 
 

悟りに到る道ー心の発見から発展へ (OR books) 『悟りに到る道』

 大川隆法著


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