ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



なんだかイスラム過激派がどうしたって話ばっかり聞く気がするけど、本物の宗教って、何なのかねえ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『酒井雄哉日本天台宗大阿闍梨に引導を渡す』(幸福の科学出版)のあとがきで、次のように説いておられます。

 大阿闍梨、大僧正として、生前、人々に尊敬を受けていた方が、死後の世界で、自らの魂の処し方が分からないのは、大変気の毒であった。
 しかし、私は酒井氏の童顔の満面の笑みの奥にひそむ「無明」「無知」について見逃さなかった。
 千日回峰行で仏になれるなら、死後、足のない幽霊になって何の修行ができるのか。歩くことが生きることなら、「智慧とは一体何なのか」「悟りとは何か」の問いに答えられるか。
 一般の人にも参考になるだろうが、宗教関係者にとっても必読、あるいは必見・必聴の指導例であると思う。
 「人間は何のために生き、死んだらどうなるのか」
 この問いに答えられない宗教は本物ではないのだ。
(338~339ページ)

死後、足のない幽霊になれば、千日回峰行はできない。

「人間は何のために生き、死んだらどうなるのか」という問いに答えられない宗教は、本物ではない──。

千日回峰行を二度も満行された、日本天台宗の大僧正の霊言です。

本書のまえがきは、発刊直後にご紹介しました。

酒井雄哉氏の著書の広告を見たりすることもありますが、でも、その教えで本当に悟れるのか、成仏できるのかを誤魔化してはいけない、と改めて思ったりします。

本書については、大川隆法先生が自ら、「宗教関係者にとっても必読」と述べておられるのを、絶対に見逃してはならないと改めて私は思っているのです。
 

『酒井雄哉日本天台宗大阿闍梨に引導を渡す』

 大川隆法著


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じっくりと勉強するのもいいんだけど、目前の試験があるんだし、超高速で学習できる方法って、ないのかね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大学生からの超高速回転学習法』――人生にイノベーションを起こす新戦略(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 オーソドックスな正統派秀才の勉強法を伝授しようとして、この本を企画したのだが、仕上がってみると、かなり変則的で異色の勉強法になってしまった。真面目な大学生諸君や若手エリートたちよ、許したまえ。私は、「仕事ができなくなる勉強法」や「貧乏から脱出できない勉強法」を説くことができないのだ。そういう勉強法は、何十年も大学で教えていて著書が一冊で終わりになって、人生に満足している先生にたずねるとよい。
 私は、本の年間発行点数で、世界ギネス記録保持者だが、先月も1カ月で38冊刊行したとかで、これがミステリーやSFでなく、学術的な本なので、型破りも度が過ぎているだろう。自衛隊の情報関連将校の話によると、5百人ぐらいのブレーンが手分けしないと私の本の生産量は不可能なそうだが、残念! 工場は私の頭一つである。
 考え方と頭の鍛え方次第で、こうなるという参考例なので、1つでも2つでもヒントになれば、あなたの人生を前進させられるだろう
(1~2ページ)

大川隆法先生は、「仕事ができなくなる勉強法」や「貧乏から脱出できない勉強法」を説くことはできない。

頭一つで、学術的な新刊書を1カ月で38冊刊行しているのは、考え方と頭の鍛え方次第でこうなる、という参考例である。

1つでも2つでもヒントになれば、読者の人生を前進させられるだろう――。

雑談のような話を本にして何冊も刊行する方が世にはおられますが、大川隆法先生の著作は、まったくそんなレベルの書物ではありません。

「理論書」は、どれもこれも深い教養に裏打ちされた深遠な内容が説かれた、傍線を引きながら読める書物ばかり。

そして「霊言集」は、どの霊人の霊言も、個性が際立っていて、とうてい創作ではあり得ないものばかりです。

それが、2時間くらい話をして1時間校正すれば、1冊の本ができ上がるというのです。

そんな著作群を生み出す大川隆法先生が、どんな勉強をしてこれだけの生産性を発揮しておられるのか、本書ではその秘密の一端が明かされます。

大川隆法先生の創作の秘密を知りたい方はもちろん、その中から1つでも2つでも知の深め方のヒントをつかみたいと願う方にもお勧めできる1冊だと、改めて私は思っているのです。
 

『大学生からの超高速回転学習法』

 大川隆法著


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カント哲学って、ほんとにむずかしいよね。大川隆法先生はどう評価しておられるのよ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『カント「啓蒙とは何か」批判』――「ドイツ観念論の祖」の功罪を検証する(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 カント哲学の難しさには定評がある。それゆえにこそ現代まで「謎」が残って研究する者が絶えない。
 本書、『カント「啓蒙とは何か」批判』は、ある意味で近代・現代のやり直しである。「もしカント哲学が、わかり易い言葉で真理を説いていたら、現代社会は一体どうなっていたか」のシミュレーションである。
 私たち「幸福の科学」の活動も、一種の現代の啓蒙であり、政治・経済・国際問題・科学・宗教、いろいろなところでカント思想の末流とぶつかっている。
 できるだけ内容を判りやすくするために、哲学の専門用語は避けたが、それでも一定の難しさは残っているだろう。
 別にカントの思想全体を否定しているわけではない。カントが中世思想からの離脱に「翼」を与えたことは認めつつも、カントの「批判」に「反批判」を加えたということである。
(3~4ページ)

「幸福の科学」は、一種の啓蒙活動であり、政治・経済・国際問題・科学・宗教と、いろいろなところでカント思想の末流とぶつかっている。

本書は、もしカントがわかり易い言葉で真理を説いていたら、現代社会は一体どうなっていたかのシミュレーションである。

カントが中世思想からの離脱に「翼」を与えたことは認めつつも、カントの「批判」に「反批判」を加えた――。

本書のタイトルを見るだけでは、ただちにそれとは分かりませんが、もちろん本書は、そのイマニエル・カント霊本人の「霊言集」です。

カント自身が呼び出されて、あの難解なカント哲学の真意を、現代日本語を用いて解説したら、どうなってしまうのでしょうか?

天上界のカントは、現代の国際情勢をどう見ているのでしょうか?

また、いま何に関心を持っているのでしょうか?

それが、この一冊で現代日本で明らかにされている。

その凄さの実感と驚きを、哲学の分野に興味関心を持っている方にはもちろんのこと、一人でも多くの知を求める方に知っていただけたらと私は思っているのです。
 

『カント「啓蒙とは何か」批判』

 大川隆法著


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前回、すごくむずかしい学校を出てるのに仕事ができない人の3つの特徴ってのを教えてもらったよ。じゃあ、そういう人は、どうしたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『不況に打ち克つ仕事法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 それでは、この三つのどれかに当てはまる人は、どうすればよいのでしょうか。
 気配りについて当てはまる人は、まず、あまり自分のことばかりを考えないことです。そして、「ほかの人たちが、どのようなことを考え、どのようなことに関心を持ち、何をしているのか」ということを観察することです。自分のことしか考えていないから、気配りができないのです。
 頭のよい人であっても、自己中心になり、自分のことしか考えていない人はたくさんいます。自分の言いたいことしか言わず、「ほかの人は、どのように考え、どのように反応しているのか。どのような問題点を抱えているのか」ということについては関心がないので、周りの人のことが分からないのです。
 こういうタイプの人は、少し、自分のことに夢中になるのをやめて、他の人に対して目を向けるべきです。
 例えば、電車のなかでも、新聞ばかり読んでいないで、少しは新聞を閉じ、「今、周りの人は、どのようなことをやっているのか。何を話しているのか。どのような週刊誌を読んでいるのか。どのようなしぐさをしているのか。誰が席を立って誰が座っているのか。お年寄りはどのへんに動いていくのか。子供はどうしているのか」など、いろいろなものを見てみることです。そうすれば、世の中の問題点がよく見えてくるのですが、そういう関心がない人は、どうにもならないのです。
 会社のなかにおいても、そうです。自分の仕事だけに熱中してはいけません。やはり、「今、ほかの人は、どのような電話をしているのか。どのような受け答えをしているのか。どのような仕事をしているのか」ということを、広い目で見れなくてはいけないのです。
 これが見えない人は、あまり成功しません。言われた仕事を達成することにしか専念していないからです。(中略)
 次に、「勘を磨く」ということですが、これも、受験勉強には必ずしも付随しないものだと思います。「ヤマ当て」の天才は別として、普通は、必ずしも付随しません。
 それでは、勘を磨くには、どうすればよいかというと、やはり、「孤独な時間を過ごしたことのない人には、勘がひらめかない」ということが言えます。
 「孤独な時間を過ごす」というのは、自分一人のときに、物事を考えたり、あるいは、本を読んだりすることですが、そのように、自分一人の時間・空間のなかで自分を見つめたことのない人には、勘が働かないのです。
 いつもガチャガチャと忙しくせずにはいられない人は、いわゆる「ベータ波動」の人です。こういう人は勘が働きません。
 反省や瞑想は、孤独な時間を過ごすためのよい機会です。そういう機会に、人と話をせずに、しばらく自分を静かに見つめる時間を持つことです。そうすると、勘が鋭くなってくるのです。これも一つの修行だと思います。
(192~195ページ)

気配りについては、あまり自分のことばかりを考えないことであり、ほかの人たちが、どのようなことを考え、どのようなことに関心を持ち、何をしているのかを観察することである。

勘を磨くには、孤独な時間を過ごすこと。自分一人のときに、物事を考えたり、あるいは本を読んだりすること。

反省や瞑想は、孤独な時間を過ごすためのよい機会なので、そういう機会に、しばらく自分を静かに見つめる時間を持つことである――。

さてさて今日は、仕事ができない人の3つの特徴のうち、「気配りができない」と「勘が鈍い」の対策を教えていただいたわけです。

そうすると、「イマジネーションがない」の対策が気になるところですが、それは、またの機会に!
 

『不況に打ち克つ仕事法』

 大川隆法著


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去年のこのブログでは、フロイトって、どこに還ったのか、はっきり書かれてなかったよね。実際は、どんな様子だったのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『フロイトの霊言ー神なき精神分析学は人の心を救えるのか』(幸福の科学出版)で、そのフロイトが招霊された直後のインタビューの模様を、次のように紹介しておられます。

綾織 1939年に亡くなられて、それ以降、ずっと、その場所にいらっしゃるのですか。
フロイト まあ、そう……、何? 「1939年に亡くなられて、それ以降、ずっと」とは、どういうことかな?  
綾織 今は、2012年です(収録当時)。亡くなられてから、70年以上たっているわけですけれども……。
フロイト 70年。うーん、70年。70年。うぅーん。
 君は、少し妄言癖があるから、精神分析をかけてみたほうがいい。
 君は、「未来人だ」と、私に言おうとしてるんだ。まあ、そういう人はいるよ。患者で、ときどき来るからさ。
綾織 いえ、39年に亡くなられて……。
フロイト まあ、いいよ、いいよ。未来人ね。君は、未来から来たんだ。
 幼児体験に、何か、傷があるんだと思うよ。幼児のころ、未来に対して、すごく大きな夢を抱いていたのに、それが挫折したはずだ。君は、それを忘れ去っているんだよ。
 「未来には、きっといいものが来る」と思っていたのに、何か挫折を経験して、それが深いところに沈んでいる。深層意識に沈んでいるんだ。それを、えぐり出せば、君の、その未来人幻想が消えるから。
綾織 お亡くなりになったあとのことは、覚えていらっしゃいますか。
フロイト ああ?
綾織 1939年にお亡くなりになったあとのことを思い出していただけますか。
フロイト 「あとのこと」って、どういうこと?
綾織 1939年にお亡くなりになったことは、認識されているわけですよね。
フロイト うーん。私は、夢解釈をよくしているからね。だから、今、目が覚めてやっているのか、夢のなかで研究しているのか、そのへんの区別が、よくつかないんだ。もしかしたら、夢といっても、自分の夢のなかにいるだけでなく、他人様の夢のなかに入り込んでる可能性もあるんだな。
綾織 もしかしたら、お亡くなりになったのではなくて、お眠りになっている可能性があるのでしょうか。
フロイト そうそう、だから、今、眠っている間に、深層心理の世界というか、無意識の世界のなかに入り込んでいって、探検しているうちに、なんか、穴ぼこに入っちゃったような感じがする。
 精神分析医として、これをどう解決すべきか、今、考えているところだ。
 君の言う時間は、よく分からないんだが、寝てるときには、時計を外すので、持ってないしなあ。
(28~32ページ)

フロイトは、1939年に自分が亡くなって70年以上たっているとインタビュアーが言うのは、妄言癖であり、精神分析をかけてみたほうがいいと考えている。

また、インタビュアーは、幼児のころ、未来に対してすごく大きな夢を抱いていたのに挫折したはずであり、その深層意識に沈んでいる挫折経験をえぐり出せば、未来人幻想が消えると考えている。

今、目が覚めているのか夢のなかなのか区別がつかず、精神分析医として、これをどう解決すべきか考えている――。

精神分析を始めたことで高名なフロイトは、1939年に亡くなったわけですが、このやり取りで分かるとおり、自分が死んだことをまったく認識していませんでした。

そして、単に死んだことが分かっていないだけでなく、何かというと“精神分析”しようとするなど、インタビュアーが何をどう言っても耳に入らない状況だと思えます。

霊の存在を知る人にとっては、あの高名な精神医学の大家が、こんなやり取りしかできないことに深い悲しみを覚えるところですが、唯物論者の方には、この霊言自体が理解不能なのかもしれません。

しかし、世界の真実というのは、霊は実在して、あの世で永遠の生命を持っており、人間は肉体と霊でできていて、あの世からこの世に魂修行をするために生まれてきているわけです。

死後70年以上もあの世で惑っている、こんな霊の実態をみるにつけても、一人でも多くの方にこの世界の真実を知ってもらわなくてはならないと、改めて私は思っているのです。
 

『フロイトの霊言』

   大川隆法著


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オレって、こんなに仕事がんばってるし、休みの日も勉強して人格を練ってるのにさ、会社ったら、オレの実力に見合った肩書くれないし、給料も上げてくれないんだよね。もうちょっと評価してくれても、いいんじゃないの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『大悟の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 「自己啓発をして、自分を発展させていきたい」と考え、正しい道に入って精進しているのであれば、しだいに自分の評価が高まってくるのは、喜ぶべきことだと思います。ところが、心の修行をしている人でもそうなのですが、人間は、えてして名聞欲(みょうもんよく)が過ぎるのです。
 したがって、いつも自分の実力を客観的に見ておくことが必要です。「自分の実力はこの程度であり、この程度の評価なら受けてもよいが、それより大きな評価を受けるのは、評価されすぎである」「私は自分の実力を過信しているのではないか。過大評価しているのではないか」というように考えるのです。
 自分の実力を過大評価した場合には、たいてい事業に失敗します。
 また、他の人に対して、自分の実績や実力、あるいは精進以上の評価を求めたときには、「奪う愛」になり、客観的には自分に対する評価が下がりはじめます。
 名聞欲が過ぎると、「あまり働いていないのに、あなたは、なぜそれほど偉くなりたいのですか。なぜそれほど役職に就きたいのですか」と言われることになります。
 また、財欲と名聞欲の両方が過ぎると、「あまり働いていないのに、なぜそれほど地位や給料を欲しがるのですか。いまの十倍は働いてから、そう言うべきです」などと言われることになるでしょう。
(63~64ページ)

人間は、えてして名聞欲(みょうもんよく)が過ぎるものである。

いつも自分の実力を客観的に見ておき、過信を自ら戒める必要がある。

自分の実力を過大評価すれば事業に失敗し、実績や実力、精進以上の評価を他者に求めれば「奪う愛」になって、自分に対する評価が下がりはじめる――。

今日のお教えは、思い当たることがある方が多いのではないでしょうか。

こんなかたいブログをまめに読んで、自己啓発しているタイプの方は、特に、かもしれません。

以前、自分で思っている自分の実力と、外部からの評価にはギャップがあって、2割くらいは外部の評価のほうが低いものだという、役人の世界を極めた方の話を読んだことがあります。

このギャップを埋めようとすると、えてして人は、自分の評価を下げるのではなく、外部の評価を上げてほしいと望んでしまうのではないでしょうか。

そしてそれこそが、今日教えていただいている、過ぎた「名聞欲」であり、「奪う愛」だということなんだと思います。

自分にあてはめて考えてみると、ちょっとショッキングな話ではありますが、でもこれは、なかなか自分だけでは分からない大切な人生の「智慧」の一つなのだと、私は思っているのです。
 

『大悟の法』

  大川隆法著


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幸福の科学の霊言集って、むちゃくちゃ出てるじゃない。いくらなんでも、ちょっと多すぎないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『野獣対談 元祖・幸福維新』(幸福実現党)で、次のように説いておられます。

 幸福の科学には、「越えられない一線」というものは、基本的にはありません。
 生きている人でも、死んでいる人でも、私から逃げることはできないんです。アンドロメダ星雲まで行くと、さすがに一時間ぐらいはかかりますが(会場笑)、地球圏であれば、もはや逃げられる人はいないので、ターゲットは誰でも大丈夫です。(中略)
 これは、そういうものなので、しかたがありません。
 実際に、一般のアンケートでは、あの世や宗教を信じている人は、三、四割ぐらいしかいないので、そのなかで、さらに、霊言を信じる人となると、なかなか一割もいないかもしれません。けれども、一定以上の数を集めたら、蓄積効果により、どこかの時点で、「これはもう、信じるしかないな」ということになるのではないかと思います。
 「週刊新潮」の編集長は、「霊言など嘘だ」と思うのであれば、「妄言」で、“霊言”を毎週、出版なされたらいいのです。こちらから有名人を指名しますから、できるものなら、やってみたらいい。それぞれの守護霊の霊言を、どうぞ、ご執筆、ご口述なさってください。そちらは、物書きのプロなんでしょうから、どうぞやってください。
 私は、「週刊誌の編集長の守護霊霊言には、それを本にして出しても売り物にならないぐらいの内容しかない。やはり、その人物の中身と霊言の内容が連動してくる」ということも、きちんと実証しているわけです。
 これは、ある意味で、大きな革命なんだと思います。
 過去に、宗教はたくさんあり、「あの世がある」ということを説いた人は数多くいますよ。でも、単に「信じよ」と言うだけでした。しかし、今度は、「信じよ」と言うだけではなく、あの世の霊人の個性や内容を、一生懸命に提示して見せているわけです。
 松下幸之助さんの霊言も、『松下幸之助の未来経済リーディング』で三冊目ですけれども、松下さんの思想の忠実な後継者で、元PHPの江口克彦氏(2010年の参院選に当選)が、松下さんの二冊目の霊言(『沈みゆく日本をどう救うか』〔幸福実現党刊〕第2章参照)をもとにして、国会で野田首相に質問をしたぐらいです。
 江口氏は、松下さんの晩年に、京都にある松下さんの別邸・真々庵で、一対一で向かい合い、本をつくっていた方です。その人が松下さんの霊言を見て、「これは本物だ。直接、松下さんに会ったこともない人につくれるものではない」と思ったわけですよ。
 ですから、私は、「やれるものなら、どうぞ、やりなさい」と言いたいのです。一冊ぐらいなら、まねをして書けたとしても、「誰の霊言でもやれるか」といったら、まずできません。
 そういう意味では、幸福の科学は、マスコミの限界を超えてしまったのかもしれませんね。
(137~140ページ)

幸福の科学には、越えられない一線というものはなく、生きている人でも、死んでいる人でも、逃げることはできない。

霊言を信じる人は1割もいないかもしれないが、一定以上の数を集めたら、蓄積効果により、どこかの時点で信じるしかないことになる。

過去に宗教はたくさんあり、あの世を信じよと説いた人は数多くいるが、しかし幸福の科学は、信じよと言うだけではなく、あの世の霊人の個性や内容を提示して見せている。これは、マスコミの限界を超えた、大きな革命である――。

何百冊もの霊言集を続々と刊行しておられるのは、やはり、とうてい人間ワザとは思えません。

それも、公開霊言として収録された映像が、活字に起こされて編集されたものばかりですから、製作のプロセスがすべて真実であることは疑いようのない事実です。

その1冊1冊が、違う霊人であればすべて個性が異なり、同じ霊人であれば個性が一貫しているのは、内容をきちんと読みさえすれば、誰もが確認できるものです。

これだけの奇跡を見せ続けておられる大川隆法先生の「霊言集」ですが、マスコミは、この大事件について知ってはいても、あたかもないもののように、一切報道しようとしません。

そんなマスコミの姿勢がはたして本当に公正なものなのか。

それはもう、自然に明らかになっていくのは間違いないと、改めて強く私は確信しているのです。
 

『野獣対談 元祖・幸福維新』

 大川隆法著


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マザー・テレサって、亡くなってもうだいぶたつでしょ。天上界で、どうしてるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『マザー・テレサの宗教観を伝える――神と信仰、この世と来世、そしてミッション』(幸福の科学出版)のまえがきで、こう説いておられます。

(和訳)
 インドのコルカタに、聖女といわれたマザー・テレサがいた。彼女がイエスに呼び戻されてすでに16年が過ぎた。あなたは、おそらく、「おお神様(ウソであって下さい)!」とか「ジーザス・クライスト(そんなバカな)!」というかもしれない。
 私にはその理由がわかるが、されどこれが真実である。
 アフリカのウガンダに住む聖職者が「レビ記」を引用して、かつて私を批判したことがあった。「死者の言葉を語る者を信ずるなかれ」と。しかし、それでも私は言う。来世こそが真実の世界なのだ。この世にかつて生きた者たちは、今もかの地で何かをなしているのだと。『旧約聖書』や『新約聖書』をひもといてみれば、天上界からの啓示(霊示)にことかくことはないだろう。そこに語られしは、天使たちや、人格神の言葉なのだ。
 ここに、今、私はマザー・テレサの御霊を招んだ。本文がその真実の会話である。わが言葉を信ぜよ。私こそが「エルの神」であり、今、日本に生きる者である。

 There was a nun who was called Saint MOTHER TERESA in Kolkata, India. Sixteen years have passed since she was called back by Jesus. You might say “Oh! God!” or “Jesus Christ!” I understand the reason, but this is the Truth. A priest who lives in Uganda, Africa, once criticized me according to “Levi.” “Don’t believe the person who conveys the words of the dead.” But, I dare say, another world is the real world, and people who lived in this world, still act in that place. You are able to read a lot of “Revelation” from Heaven in “the Old Testament” and “the New Testament.” These are voices of Angels or God who has Human-like personality.
 Here, now, I summoned the soul of MOTHER TERESA. The following is the real conversation. Believe in me. I am the “God of El,” who lives in Japan.
(2~5ページ)

本書は、英語で行なわれた、聖女マザー・テレサへのインタビューの活字起こしに、日本語訳が付けられたものです。

マザー・テレサの人柄と、その語る「愛の言葉」は、生前とまったく同じであるように感じられます。

聖女マザー・テレサは、天上界に還って、何を見、何を考え、そしていま、どんな活動をしているのでしょうか。

マザー・テレサの関係者やキリスト者はもちろん、その語る言葉に触れてみたい方は、ぜひとも本書を手にとられますようにと、改めて私は祈念しているのです。
 

『マザー・テレサの宗教観を伝える』

 大川隆法著

 

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成功っていろいろあるけど、真実の成功を収めたいじゃない。そのためには、どうしたらいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 この世において真実の成功を収めることは、難しいことではありません。それは、宇宙の法則と一体となって生ききることです。そして、宇宙の法則と一体となって生ききったことの証明が、「最高の自分を多くの人々に与える」ということなのです。「最高の自己を差し出す」ということです。
 この世においては、物を与えれば、与えた分だけ自分から減るように見えます。しかし、霊界の法則においては、与えれば与えるほど、その人がますます富むようになっているのです。「与えれば与えるほど、与えられる」というのが、霊界の法則なのです。
 成功も同様です。「常に最善のもの、最高のものを、より多くの人々に差し出そう、提供しよう。そして、より多くの人々の人生に貢献しよう」と願っている人の人生こそ、最高の成功で彩られるのです。
 利己心に出発するのではなく、利他の思い、愛他の思いで生ききることです。「より多くの人に最高のものを与えきろう」と思って生きることです。そこに創意も生まれ、工夫も生まれてくるでしょう。成功とは、そのようなものです。
 まず、信仰心なくして成功はないということです。そして、この大宇宙は、実は豊かな創造のエネルギーで満ち満ちているということです。それが、仏の子であり神の子である、あなたがた一人ひとりの本質でもあるのです。それが本質であるからこそ、その豊かな成功を呼び込むためには、ごくごく素直な考え方をとり、本来の仏性のままに生きていくことが大事なのです。
(233~234ページ)

真実の成功を収めるためには、「与えれば与えるほど、与えられる」という宇宙の法則(霊界の法則)と一体となって生ききることであり、そのためには、最高の自分を多くの人々に与えること、最高の自己を差し出すことである。

信仰心なくして成功はないのであって、利己心に出発するのではなく、利他の思い、愛他の思いで生ききるところに、創意も工夫も生まれてくる。

大宇宙に満ち満ちた豊かな創造のエネルギーが、仏の子(神の子)である人間の本質であるからこそ、豊かな成功を呼び込むためには、ごく素直に、本来の仏性のままに生きていくことが大事なのである──。

今日も、短い中に深みのある、とても大切なお教えをいただいたと思うのですが、ただ、仏性のところは、ちょっとむつかしいかもしれません。

そこでまずは、「与えれば与えるほど、与えられる」という大宇宙の法則を信ずること。

そのために、最高の自己を差し出し、最高の自分を多くの人々に与えること。

逆に言うと、“自分の生活が先で、他の人のために行動するのはあと”みたいな考え方をせず、出し惜しみするようなケチな心を持たないこと。

今日のところは、まずこのあたりをしっかりと押さえ、日々実践していきたいと私は思っているのです。
 

『奇跡の法』

  大川隆法著

 

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あの伝説の卑弥呼って、どんな女性だったんだろうね? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『卑弥呼の幸福論』――信仰・政治・女性の幸福(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 神秘的で不思議な感じのする方である。
 ただ全般に言えることは、古代の女性指導者に要求されていた資質は、現代的男女競争社会で求められているものとは違っていたということである。
 「信仰」や「愛の深さ」そして「魂の清らかさ」が、指導力の源泉にあったということで、日本神道系全般について言えることかと思う。
 古代の優れた女性リーダーは、男女同権を強力に主張する現代の妻のような権利を主張するのではなく、男の子を育む母のような気持ちで男性を束ねていたのではないかと思われる。
 この立場を西洋文明から見て遅れていると見るか、それとも、もう一つの優れた東洋文明と見るか、じっくりとお考え頂きたいと思う。
(3~4ページ)

神秘的で不思議な感じのする方である。

古代の女性指導者に要求されていた資質は、「信仰」や「愛の深さ」そして「魂の清らかさ」だった。

古代の優れた女性リーダーは、男の子を育む母のような気持ちで男性を束ねていたのではないか――。

もちろん卑弥呼という方は、古代に実在した女性リーダーだったわけです。

その方が説く幸福論とは、どんな内容なんでしょうか。少なくとも、男顔負けの…、というものでないのは間違いないと思います。

卑弥呼が統べていた「邪馬台国」のほうに興味がある方は、以前の卑弥呼の霊言でその秘密が明かされていますので、そちらをどうぞ。

『卑弥呼の幸福論』

 大川隆法著

 

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大川隆法先生は、念仏を唱える仏教(浄土宗とか浄土真宗)について、どう考えておられるの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『他力信仰について考える』――『黄金の法』講義(3)(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。

 この法話をするにあたり、私は事前に、源信、法然、親鸞、それから聖徳太子などの“関係者”を呼んで話をしました。
 「呼んで話をする」とは、この世的には分かりにくい話で、どういうことかと思われるかもしれませんが、私は霊と話ができる珍しい人間であるため、関係者が言ってほしくないこともあろうかと思い、少し意見を聴取したのです。
 だいたいの人は特に異論がないようでしたが、親鸞には少し意見があり、「『念仏宗は仏教ではない』と言わないでほしい。やはり、仏教のなかに入れておいてほしい」という一点について、願い出てきました。
 親鸞は、「間違っても『仏教ではありません』と切って捨てないでほしい。切って捨てられると困るので、仏教に入れてほしい。『浄土宗、浄土真宗も、エル・カンターレの慈悲の側面を強調した宗教である』というように理解してもらってほしい。そうでないと仏教から出てしまうので困るのです」と言っていたことを、あらかじめ述べておきます。(中略)
 そのような要請があったので、基本的に、「念仏宗も仏教の範囲内である」というラインのなかで話をしていくことにします。仏教のなかにおける「解釈の違い」、あるいは、「強調する点の違い」の範囲であるということで、浄土宗や浄土真宗等も仏教に入れておきたいと思います。多少怪しいと思うところがあっても、そこは「解釈の違い」ということにしておきます。
 人間として、いろいろなことを考えるのは当然のことですし、「仏教でカバーしない範囲がある」というのも残念なことです。仏教は寛容な教えなので、できるだけなかに取り込んでいきたいと考えています。
 基本的なスタンスとしては、そのようなところです。
(10~13ページ)

この法話にあたり、源信、法然、親鸞、聖徳太子などの“関係者”を呼んで意見を聴取したところ、親鸞が「念仏宗は仏教ではないと言わないでほしい」と願い出た。

そこで、「解釈の違い」あるいは「強調する点の違い」の範囲ということで、浄土宗や浄土真宗等も仏教に入れて話をしていくことにする。

仏教は寛容な教えなので、できるだけなかに取り込んでいきたいと考えている――。

過去の高名な仏教者はもちろん、聖徳太子まで呼び出して話ができる、というのは、世界最大の霊能者であられる大川隆法先生の面目躍如、といったところです。

でもそれだけでなく、さまざまな「仏教」の教えを掲げた宗派がある中で、どれが仏教の教えでどれが違うというのを、権威をもって判定される方は、いったい誰なのか、です。

それはまさに、「再誕の仏陀」、つまり2500年前に仏教を創始されたお釈迦さまが、現代日本に生まれ変わって法を説いておられる、大川隆法先生だからこそ、であるわけです。

そんな凄い書物がいま、日本全国の書店だけでなく、ネットで簡単に手に入るという驚きの事実を、もっと多くの方に知っていただければと私は思うのです。
 

『他力信仰について考える』

 大川隆法著


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人生って、悩みとか苦しみばっかりだよね。なんだか、もう限界だって思うんだよね。つまんない人生だよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生には悩みや苦しみはたくさんあるでしょうが、それは実際、とてもありがたいことだと思っていただきたいのです。そのありがたさをしみじみと分かる必要があります。
 悩みがないということは、また、発展性もないことを意味します。みなさんが持っている悩みのなかには、解決がつかないものも、おそらくあるでしょうが、実は、そのなかに無限の発展の可能性が宿されているのです。
 失敗の多い人生を悔やむ必要はありません。失敗のなかには、次の創造の芽、発展の芽が、必ず隠されているものです。
 この自己認識の変容、拡大、発展こそが、実は魂の成長なのです。この自己認識の変化こそが、実は魂としての成功であり、それを得るために、肉体を持って、この世に生まれ、赤ん坊から何十年もかけて大きくなり、年を取って死んでいくのです。
 「自己認識の変容こそが、実は悟りの正体である」ということを知らなくてはいけません。
 私自身も、自己認識の変容をずいぶん経験しました。
 私は一九八五年から霊言集を出しはじめましたが、『日蓮の霊言』『空海の霊言』『キリストの霊言』(現在、『大川隆法霊言全集』〔宗教法人幸福の科学刊〕の第1巻~第6巻として刊行)と、三冊ぐらいを出したあたりで、「もう充分かな」という感じがしたのを覚えています。「もう充分な仕事をして、使命は果たしたのではないか」という感じを受けたのです。(中略)
 当時は、その後もこれほど営々と働くことになるとは予想していませんでした。しかし、それで終わりにはならず、「終わった」と思ったら、さらに次から次へと仕事が出てきて、終わらないのです。
 自分では「もう限界だ」と思っても、その限界の次が出てきます。不思議なことに、自分の限界を認識すると、その限界が突破できるのです。まことに不思議なのですが、「自分の能力としては、このあたりが限界で、これ以上は、もうできない。失敗もずいぶんしたし、これ以上は無理だ」と思ったあとに、だいたい限界突破をするのです。
 そこまで行かなければ限界は突破できないということなのでしょうが、苦しみはじめて、最後に、「何かもっとほかに方法がないか。考え方がないか」と、ウンウン言って考えていると、出てくるのです。
(53~56ページ)

悩みや苦しみのなかに、実は無限の発展の可能性が宿されている。失敗のなかには、次の創造の芽、発展の芽が必ず隠されている。

自分では「もう限界だ」と思っても、その限界の次が出てくる。不思議なことに、自分の限界を認識すると、その限界が突破できる。

自己認識の変容、拡大、発展こそが、魂の成長であり、この自己認識の変容こそが、実は悟りの正体である――。

誰しも、悩み、苦しみ、そしてどこかで何かの形で失敗してしまうものだと思います。

でもだからこそ、人間には無限の発展の可能性がある。

頑張ってがんばって、もう限界だよって思ったときに、その限界を突破できる。

それは、のんびりやってたら絶対に味わえなかった感覚。

そして、ちょっと前までは知らなかったけど、自分って人間は、ここまでできるんだったことを知る喜び。

つまり、自分の姿が違うように見えてきて、自己認識が変容する。

大川隆法先生は、これが一つの「悟り」を得たということだ、と説いておられるんだと思います。

そして、この「悟り」は、一度得ればおしまいというようなものじゃなくって、魂が成長するに伴って、段階を追って何度も何度も得ることができる、ということでもあるんだと思います。

今日のお教えを深く学んで、悩みや苦しみ、失敗に負けることなく限界突破していき、魂を成長させ、悟りを重ねて行ける、そんな自分になりたいものだと、改めて強く私は願っているのです。
 

『幸福の法』

  大川隆法著


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子供が生まれたんだけど、やっぱり現代でも天才教育って、必要なものだと考えておくべきなのかなあ? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『J・S・ミルに聞く「現代に天才教育は可能か」』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 J・S・ミルとのつき合いは、もう四十年を超えているかもしれない。神田の古本屋で、『自由論』の英語原典“On Liberty”の古本を見つけて購入して読んだが、なかなか難しくて、ミルの本心を読み解くのは簡単ではなかった。
 明治時代の日本人でさえ翻訳できた本を、東大文Ⅰ(法学部)合格の学力ですらすら読めないとは。やはりイギリスの本格的天才は違うのかな、と感じたものである。日本語訳や解説本を読んでいくうちに、この早熟の天才が、「結婚が早いもの勝ちであるのはおかしい。恋愛の自由を認めよ」とか、「英国教会はおかしい」とか、「二十歳ごろには勉強に疲れ、飽いて、バーンアウトし、音楽に救いを求めた」とかいう事情の背景に、テイラー夫人との禁断の恋があったことを知ると、何だかホッとした気がした。
 文系は知的蓄積がものを言うので、一般に早熟の天才は出にくい。ミル自身も長寿時代へのパラダイム・シフトを述べていることを知り、人生全体での成功を考えていった方がよいだろう。
(1~2ページ)

ミルも、長寿時代へのパラダイム・シフトを述べている。

知的蓄積がものを言う文系では、一般に早熟の天才は出にくい。

人生全体での成功を考えていった方がよい――。

本書において、IQ200の早熟の天才として名高いJ・S・ミルの発言には、とても慎重なものが多いように感じます。

特にミルは、自分のような早熟の天才を目指せ、とは述べていないようです。

現代社会は、自らの在世時よりはるかに寿命が伸びているわけですが、早期の天才教育よりも、人生全体での成功を考えていったほうがよいという考え方を示した、ということでしょうか。

偉大な天才の語るナマの言葉に触れることができる一冊。

新時代の教養書のひとつとして、改めてお勧めしたいと私は思っているのです。
 

『J・S・ミルに聞く「現代に天才教育は可能か」』

 大川隆法著


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外国語の勉強、もうできないってくらいやってるのに、ダメなんだよね。限界突破法みたいなの、ないのかなあ? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『外国語学習限界突破法』(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 「底なしつるべで水を汲む」という話が仏教ではある。底がなければ井戸につるべを落としてロープで引き上げても、何滴かの水しか得られない。それでも一日中やっておれば、バケツ一杯分ぐらいの水をためることはできる。
 長年、語学学習をやっておれば、似たような経験をした方は多いだろう。また何回もチャレンジしても語学の資格試験の壁を破れないということもあるだろう。その時に、「自分は才能がないんだ。バカなんだ。」とあきらめてしまわないことである。語学はやれば確実に力が伸び、何年かサボれば間違いなく学力の落ちるフェアな学問である。多言語をマスターしようとすれば、何本かの竹ざおの上で皿廻しをやっているような感じになるだろう。
 自分を励ましつつ、努力を続け、最後は勇気をもって谷を飛ぶことだ。「恥の文化」といわれる日本文化を超えることだ。
 自分より優れた人を嫉妬せず、自分の生まれ、育ち、環境のせいにせず、ひたすら一ページでも一分でも攻め込んでいくことだ。チャンスは必ず巡ってくるものだ。
(1~2ページ)

語学とは、やれば確実に力が伸び、サボれば間違いなく学力の落ちるフェアな学問である。

自分を励ましつつ努力を続け、最後は勇気をもって谷を飛ぶことである。

優れた人を嫉妬せず、生まれ、育ち、環境のせいにせず、ひたすら1ページでも1分でも攻め込んでいけば、チャンスは必ず巡ってくる――。

学生のみなさんだけでなく、社会人のみなさんであっても、英語やその他の言語の習得を志している方はたくさんおられると思います。

そんな方に、本書は大きな朗報ではないでしょうか。

このまえがきの大川隆法先生のお言葉を読んだだけで、なんだか力が湧いてくる気がします。

でも、まえがきだけでなく、ぜひ本書を手にとって本文も読んでみられますように。

今感じておられう学習の限界を突破できる秘策が、必ず手に入ると私は思っているのです。
 

『外国語学習限界突破法』

 大川隆法著


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幸田露伴って有名な作家がいたって、聞いたことがあるよ。その思想って、大事なのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『幸田露伴かく語りき』――スピリチュアル時代の〈努力論〉(幸福の科学出版)のまえがきで、以下のように説いておられます。

 あの旧い字体の幸田露伴の『努力論』『修省論』を読むことは、古文・漢文を読むことを苦手とする学生や現代の大人にも少々難しいだろう。私はたまたま、仏教の経典をよく読んでいるので、中国人の僧侶や日本の仏教者の古典的お経解釈本がよく読める。その意味で幸田露伴の仏教的素養がよく判るので、何とか現代語化して、本多静六博士同様、日本発の自助論型作家兼思想家の考え方を後世に残さねばならないと思っている。
 欧米に生まれていたら、もっともっと尊敬されていた人であることは間違いない。
 当会の海外信者にも、「『自助努力が必要だ』っていう教えなら『信仰』なんていらないじゃないですか」と問うてくる人が多いと聞く。本書がその答えであり、スピリチュアル時代の〈努力論〉でもある。
(1~2ページ)

幸田露伴は、自助論型作家兼思想家であって、欧米に生まれていたら、もっともっと尊敬されていた人であることは間違いない。

幸田露伴の考え方は、本多静六博士同様に、現代語化して後世に残さねばならない。

本書は、自助努力と信仰の関係に関する答えであり、スピリチュアル時代の〈努力論〉でもある――。

幸田露伴は、「金色夜叉(こんじきやしゃ)」で有名な尾崎紅葉と同時代の有名作家として、文学史の知識として憶えている方がいらっしゃるかもしれません。

幸福の科学においては、大川隆法先生が「植福」を、幸田露伴の著書『努力論』における「三福説(惜福・分福・植福)」にちなんで、仏神に捧げる御布施を意味する言葉として教えておられることで、とても有名な方だと思います。

そのオリジナリティに満ちた素晴らしい思想が、誰もがわかるいまの日本語で現代によみがえるというのは、いつも思うのですが、本当に凄いことです。

「スピリチュアル時代の〈努力論〉」、すべての方にお勧めです!
 

『幸田露伴かく語りき』

 大川隆法著


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