下村博文・文科大臣って、新国立競技場の問題の責任が重すぎて、ようやく辞任する考えだそうだけど、安倍総理が慰留して、すぐに辞任じゃなくって内閣改造のときに交代するだけなんだって。そんなに立派な政治家だったのかねえ? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『文部科学大臣・下村博文守護霊インタビュー』(幸福の科学出版)で、下村文科大臣の守護霊の言葉(「霊言」)を、インタビュー形式で、次のように紹介しておられます。
木村 最初から最後まで、結局、お金の話、あるいは、政治的な駆け引きの話であって、教育に対する熱い情熱とか、人材育成に対する夢とか、「人を育てることで、どのような国家をつくりたいか」ということに対する見識とかが希薄であられることが分かりました。
下村博文守護霊 いや、そんなことはない。そういうことを言ったら、君らの大学は通らないんだよ。だから、「下村博文を総理大臣に」(机を叩く)っていう運動をやるぐらいじゃないと。そのぐらいのデモをやって、ビラを撒くぐらいやらないと、そらあ、駄目なんじゃないの?
そのぐらいすればねえ、それはちょっと、やっぱり変わるんじゃない? 君らは、ちょっと考え方が間違ってんじゃない? 「攻めたらいい」と思ってんだったら、間違いですよ。NHKと朝日新聞の前で、「下村博文が、次の総理大臣にふさわしい」っていうビラでも撒きなさいよ。そうしたら話は違いますよ、全然。
木村 だいたい、お考えが分かりました。
下村博文守護霊 政治家っていうのは、こういう生き物ですよ。
だから、こういう生き物が理解できないなら、幸福実現党のみなさんに政治家になる素質はないから、諦めたほうがいいよ。宗教は宗教で生きていきなさいよ。
政治っていうのは、こんな汚い世界なんですよ。この汚いねえ、ハイエナみたいな世界のなかで、生き延びなきゃいけないのよ。死体をあさりながら生きていくのよ。これが政治家の世界なんですよ。そういう悪いやつとも付き合わなきゃいけないんですよ。ヤクザみたいな連中といっぱい。政治家は、宗教だけでもいろんな“変なの”と付き合って生きていかないかんのですよ。トータルで勝利を収めないと、首がなくなるんですよ。こういう世界なんですよ。
だから、ほんとに、君らが純粋な宗教だったら、宗教のなかに籠もって、ちゃんと、そのなかで耕していただきたいなというのが私の本心です。
(136~138ページ)
この1度目のインタビューが行なわれたのは、昨年の幸福の科学大学認可の審査の最中、2014年5月のこと。そして、インタビューアは、認可申請をしていた幸福の科学学園の木村理事長。ご紹介したのは、その最後の部分です。
木村理事長は、下村文科大臣に対して、教育に対する熱い情熱、人材育成に対する夢、国家づくりへの見識などを問おうとしたわけですが、まったくそういう話にならないインタビューとなってしまったことが、この最後のやり取りで端的に見てとれます。
守護霊インタビューというのは、この世の肉体を持った本人へのインタビューと異なり、心理学的には「潜在意識」から直接情報をとることに近い現象ですから、肉体を持った本人であれば絶対に語らないような、本人が腹の底に隠し持っている本音が出てしまうことが多いといいます。
ここでご紹介した下村文科大臣の守護霊の言葉は、まさにその本音が、あまりに赤裸々にストレートに語られてしまっているようです。
たしかに“ハイエナみたいな世界で生き延びている”という政治家も、世の中にはいるのでありましょう。そして、下村文科大臣は、そういった旧来型の政治家の典型だということなのかもしれません。
下村文科大臣は、本書を含め4度にもわたって、その赤裸々すぎる本音が霊言集という形で明らかにされています(『文部科学大臣・下村博文守護霊インタビュー(2)』、『スピリチュアル・エキスパートによる文部科学大臣の「大学設置審査」検証 (上)(下)』、『永田町・平成ポンポコ合戦』――文科大臣に化けた妖怪の研究)。
いくらその本音が世間に公開されても、まったく動じる様子もなくその地位を維持してきたというのは、まさに見上げたもの、なのかもしれませんが、しかし、教育行政に携わる政治家は、そんな人であってほしくないというのが、一般国民の普通の感覚ではないでしょうか。
後任の文科大臣には、こんなしぶとくしたたたかに生き延びるようなタイプの人ではなく、もっと見識を備えた立派な政治家になってほしいものだと強く強く私は願うのです。
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『文部科学大臣・下村博文守護霊インタビュー』大川隆法著
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