ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



言葉なんて、結局はむなしいものじゃないの? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、英語説法経典『Power to the Future』で、こう説いておられます。

 Today, I want to talk about “Be Strong.”
 I first started giving lectures overseas in November 2007, in Hawaii, with “Be Positive.” Now I want to talk to you regarding “Be Strong.” In this modern world, this is a very important topic for you to know about.
 You are busy, of course, in your studies and in your business, but be strong and hold these two words in your mind every day. I think this is very important. It is a very short sentence, but it will make you brave and lead you to be a courageous man or woman.
 These are just words, but words have power. They sometimes lead you to depression and sometimes to a good condition. The outcome depends on the words that occur in your mind. This means that words are very important. I believe so.

 今日は、「強くあれ」ということについて述べたいと思います。
 私の海外での説法は、2007年11月のハワイでの「Be Positive(積極的であれ)」から始まりましたが、今日は、「強くあれ」ということに関して、みなさんに話をしたいと思います。これは、みなさんにとって、ここ最近、非常に大事なことです。
 みなさんは、もちろん、勉強や仕事で忙しいと思いますが、日々、強くあってください。この言葉を、日々、心のなかで思うことが非常に大事です。私は、そう思います。たいへん短い言葉ですが、この言葉は、みなさんを勇ましくし、勇気ある男性あるいは女性へと導くのです。
 これは単なる言葉にすぎません。しかし、言葉には「力」があるのです。言葉は、あるときは、みなさんを意気消沈させ、また、あるときは、みなさんを調子のよい状態へと導きます。それは、みなさんの心に浮かぶ言葉にかかっているのです。
 ですから、言葉というのは、非常に大事です。私は、そう思います。
(16~17、34~35ページ)

Be Strong.(強くあれ。)

Be strong and hold these two words in your mind every day.(この言葉を、日々、心のなかで思うことが非常に大事である。)

Words have power──.(言葉には「力」がある。)

大川隆法先生が、海外の信者向けに、日本語のときと同じように何の原稿もなしに、英語で説かれた説法の一節に、対訳がつけられたものです。

このような英語説法の積み重ねによって、海外の信者はどんどん増えて行っているわけです。

今日は、短いけれども深い意味が込められたこの力強いお教えから、幸福の科学が世界宗教へと飛翔しつつある秘密の一端を学ぶことができるのではないかと私は感じているのです。
 

Power to the Future―未来に力を (英語説法シリーズ)

『Power to the Future』

 大川隆法著

 

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「正語(しょうご)」って言葉があるんでしょ。宗教なんだから、やさしい言葉を語らなきゃね。だから、宗教団体が裁判なんかで争ったりするのは、間違いなんじゃないの? なーんて疑問、もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀(ぶっだ)の証明』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 ただ、みなさんが心しなければならないのは、言葉を正すということが消極的な方向に現われてしまい、正しいことも言えないようになることです。間違ったこと、悪いことを言う人が、銃弾をいくらでも撃つように言葉数が多く、正しい見解のもとに活動している人が、それに対して何も言い返せず黙っていることによって、悪を増長させ、正しい者たちの集団をぐらつかせるようなことが現実にあったならば、これはやはり間違いであると思わなければなりません。(中略)
「仏陀の説いていることは間違っている」と言われて、「はい、そのとおりです。忍辱(にんにく)いたします」と引き下がる仏弟子はいないのです。「それは、あなたの考え違いである。仏陀の教えは、こうしたことにおいて正しいのである。あなたのほうが邪見なのである」と反論するのは、仏教徒として当然のことです。この批判、ないし論理的な切り返しは、感情的に怒ることを伴わずにできることです。必要なことは、押しの強さであり、言葉の論理的な組み立てなのです。
 ですから、悪を受容し、それを増長させることをもって、正語の教えとするべきでは絶対にありません。それは間違いです。(中略)
 特に当会は非常に人の好い方が多いため、この正語のところで間違って、口の悪い人たちを優勢にさせてしまう傾向があるので、人の間違いに対しては、きちんと正していくことが大事です。その際に、「いたずらに感情的にならずに、やはり事実を根拠として、あるいは理論を根拠として、的確に批判をしていき、相手を悟らしめることが愛なのである」ということを、きっちりと理解しておくことです。
 間違った見解のもとに、いろいろな活動をしている人は、地獄に堕ちていきます。ですから、こうした人たちを救うためには、その見解が間違いであることを教えてあげなければならないのです。それを教えてあげることができないのならば、伝道は成り立たないのです。
 世の中の人は誤解しているのです。知らないことがたくさんあるのです。だからこそ、教えてあげる必要があるのです。間違った見解に対しては、それが間違っていることを指摘しなければなりません。そして、「正しい見解とはこのようなものです」ということを教えてあげなければなりません。
 正語においては、消極的に「こうしたことを言ってはいけない」ということもありますが、積極的に「正しい法論を説く」ということも、非常に大事なことです。決して〝弱々しき善人″になるべきではありません。
(32~35ページ)

悪を受容し、増長させることをもって正語の教えとするのは間違いである。

間違った見解(邪見)に対して反論するのは、仏教徒として当然のことであって、論理的な切り返しは感情的に怒ることなくできる。

人の間違いに対してはきちんと正し、相手を悟らしめることが愛であるのであって、決して〝弱々しき善人″になるべきではない──。

なるほど、なるほど、です。

幸福の科学がときに裁判をすることがあるのも、こういう仏法真理の理論が背景にあることを、改めて教えていただいた気が私はしているのです。

 

  『仏陀の証明』

 大川隆法著

 

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わたしって、いつもダメなのよね。また失敗しそうだし、うまくいかないみたいだし。どうしたらいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『「幸福になれない」症候群』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 年ごろの女性が最も頭を悩ませるものに縁談がありますが、ある程度のところまで行きながら話が流れた経験が二、三度あると、それが一つの傷となることがあります。そのため、ほんとうに話がまとまりそうになっても、「また失敗するのではないか」と思い、相手に何か言われる前に、自分のほうから断ってしまう人がいるのです。そして、何日もたってから、「しまった」と後悔したりします。こうしたことは、いくらでもあります。
 これは、失敗が身についてしまい、どうしても失敗以外に考えられなくなっているのです。そして、失敗が向こうからやってくるのが恐ろしいので、自分から先に失敗をしてしまうわけです。このようなことが実際にあります。(中略)
 悲観的な発想から逃れる方法は次の二つしかないと思います。
 一つは、マイナスのことに思いをめぐらせる時間を短縮することです。
 悲観的な考え方をする人は、頭のなかに、いつも失敗ばかりを思い描いているはずです。ふと気がつくと、過去に自分が話した言葉などが、頭のなかをぐるぐる回っているのです。
 したがって、悲観的なことを考える時間を少しずつ短縮していく工夫が必要です。一度よく考えたならば、あとは考えないことです。これも一種の習慣であり、慣れるとできるようになります。
 自分が悲観的なことばかり考えていると気づいたならば、瞬時にそれを断ち切り、あとは考えない習慣をつけることです。つまり、よい意味での物忘れを意図的に多くしていくのです。
 もう一つの方法は、発想の「光明転回」です。身近なもののなかで、自分が少しでも喜べるものを、どんどん発見することです。
 たとえば、会社のなかでおもしろくないことがあって、「いつも自分はうまくいかない」と思っている人でも、家庭生活のほうに目を移してみると、料理があまり得意ではない奥さんが、おいしい料理をつくる日も、たまにはあるでしょう。そうしたときには、「これはおいしい。おれはいい女房をもらった」と、思い切ってほめてみるのです。そうすれば、奥さんは喜びますし、自分自身も何となくうれしい気持ちがするものです。
 このように、身の回りには喜びの種がいくつもあります。それを積極的に発見していくことが大切です。「自分は生かされている」「自分は幸せである」と思えるようなことは身の回りにたくさんあるのですが、それを発見していないだけなのです。(中略)
 一日のうちで何か一つは、よい材料を発見することです。「一日一善」という言葉もありますが、一善をなさずとも、よいことを何か一つ発見するだけでも、大いなる進歩なのです。一日のなかで、喜びの種、幸福の種を必ず一つは発見してください。それによって道が開けていくこともあるのです。
(132~137ページ)

悲観的な発想から逃れる方法は、次の二つしかない。

一つは、マイナスのことに思いをめぐらせる時間を短縮し、あとは考えない習慣をつけること。

もう一つの方法は、発想の「光明転回」であって、身近なもののなかで、自分が少しでも喜べるものを、どんどん発見することである──。

なるほど、なるほど、と思います。

今日のお教えによって、悲観的な発想をする自分に苦しんでいる、一人でも多くの方が、人生を切り拓いて行かれますようにと、心より祈念したいと私は思っているのです。

「幸福になれない」症候群―グッドバイネクラ人生 (OR books)

『「幸福になれない」症候群』

 大川隆法著


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昔、吉田茂って総理大臣がいてさ、日本は軍事費にあまりお金をかけないで、経済大国として発展する道を選んだのが、今の日本の繁栄を生んだんだって、学校で習ったよ。この方針は正しかったのかな? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『日本外交の鉄則』(幸福の科学出版)で、日英同盟を締結し、日露戦争を集結させた、明治期の有名な外交官である小村寿太郎の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 まあ、考え方を変えたほうがいいんじゃないか。受け身すぎるよな。「相手に何かをされたら、どうするかを考える」という発想で、全部が後手後手で来ているよね。やはり、もう少し、イニシアチブを取って、「うちは、こうしたい」という考えを、もっと出さないといけないんじゃないかな。
 それと、今の行き詰まりは、結局、戦後の吉田茂がいちばん悪いんだと、わしは思うけどね。
 吉田さんは、「軍事費を削減して経済一本にしたら、日本は儲かって繁栄する」という考えで政治を行い、「それで、うまくいった」ということで、ほめ称えられているんだろうけど、吉田さんが天国に還っていないのを見れば、これには何か間違いがあったんだと私は思うよ(『マッカーサー 戦後65年目の証言』〔幸福の科学出版刊〕第2章「吉田茂の霊言」参照)。
 国家主権を捨てるような行為は、やはり、政治家としては許されない行為なんだ。思想家は、その思想が間違っていたら地獄に堕ちるように、政治家も、政治家としての信条や考え方のなかに間違いがあったら、やはり、その責任を問われるんだと思う。
 敗戦のときに日本が多少弱かったのは分かるけれども、アメリカが「再軍備せよ」と言ってきた段階で、それをはねつけ、金儲けだけに走った。これが根本的に間違っているんだよ。
 アメリカは日本を丸腰にするつもりでいたけれども、朝鮮戦争が始まったあと、「これはいけない」ということで、日本に「再軍備をしなさい」と言ってきた。その段階で、これを奇貨として、やはり、きちんと憲法改正をし、当たり前の国家にするべきだったね。政治家は、少なくとも敗戦後十年以内に、もとの国に戻す努力をしなくてはいけないんだよ。
 それをしなかった罪は、けっこう大きいと私は思う。
 そのあと、日本は、国民が単なる商人階級に落ち、国家が本当にカルタゴのような通商国家と化して、金儲けに邁進し、世界から軽蔑されながら大きくなってきたわけでしょう? やはり、どこかで、「舵を切る人」が必要だったと思うな。
 そして、日本は国家としての尊厳を失ったな。国家としての尊厳を売り渡し、前垂れを着け、「金さえ儲かればよろしいです」という感じで、へいこら、へいこら、ぺこぺこしている状態だね。侍ではなくて、“越後屋”になったのかな。そんな国家になったわけだ。
 すでにヨーロッパには日本より経済的規模の大きい国がないにもかかわらず、いまだに、そんな状態なのだから、「日本が、まだ国家として存立している」ということ自体が奇跡に近いな。それは、「われらが日本を庇護している」という、アメリカのプライドのおかげでもあったんだろうとは思うけどね。
 でも、日本のネックの一つは“吉田ドクトリン”であろう。
(109~112ページ)

今の行き詰まりは、結局、吉田茂に責任がある。

吉田茂の「軍事費を削減して経済一本にしたら、日本は儲かって繁栄する」という考え方(吉田ドクトリン)は、吉田茂が天国に還っていないのを見れば、間違いだったことがわかる。

国家主権を捨てるような行為は、やはり政治家としては許されない行為であった──。

大先達・小村寿太郎のこの霊言は、後輩の外交官にして大政治家・吉田茂に対して、非常に厳しいものです。

吉田の仕事に対してここまで厳しい評価を下した人が、これまでいたんでしょうか。

でも、外交官や政治家という職にある人たちは、国民すべての運命を左右することがあるわけです。

とするならば、その成し遂げた仕事の結果責任が厳しく問われることを、この霊言は端的に示しているのだと私は思っているのです。

日本外交の鉄則 『日本外交の鉄則』

 大川隆法著

 

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お彼岸だったね。太平洋戦争で亡くなった身内がいるんだけどさ、学校では、日本は悪い国で、近隣諸国にものすごい迷惑をかけたみたいなこと、教えられるよね。とすると、戦争で亡くなった人って、犬死にだったってことなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『国家の気概』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 第二次世界大戦で、日本がしたことと、同盟国であったドイツがしたことには違いがあります。
 ドイツはユダヤ人の大虐殺を行っています。何百万人ものユダヤ人を、善悪によるのではなく、「ユダヤ人である」という理由だけで迫害し、アウシュビッツ強制収容所などに送り込み、毒ガスで殺したりしました。
 一方、日本がしたことは何でしょうか。それは、「日本が戦わなかったら、どうなっていたか」ということを考えてみれば分かります。
 第二次世界大戦の前には、アジアのほとんどの国は欧米の植民地になっていました。四年間、アメリカと戦った結果、日本は負けましたが、アジアの国々は、ほぼすべて独立できたのです。そして、アフリカの国々も独立していきました。この部分については、やはり「解放戦争」としての面があったと言えます。(中略)
 もちろん、「アジアを解放する」といっても、その戦いの過程においては、朝鮮半島や中国、その他のアジアの国々の人々が巻き添えになっているので、その点については、私も心が痛みます。
 ただ、当時、「黄色人種は劣等民族であり、白色人種には絶対に勝てない」と思われていて、アジアの国々は独立できないでいたし、インドも、百数十年もの間、イギリスに支配されていたわけです(中略)が、欧米と戦って勝てるところを、日本がアジアの人々に見せたために、この欧米の論理が崩れたのです。(中略)
 日本は戦争に負けましたが、航空母艦決戦を行うなどして、四年近く、アメリカと戦いました。(中略)最後は日本も降伏するわけですが、アメリカ軍は硫黄島と沖縄での戦いを見て、心底、日本人が怖くなったのです。これは本当です。
 硫黄島の戦いでは、日本よりアメリカのほうが死傷者数は多かったのです。沖縄戦でも、アメリカは多くの死傷者を出しました。
 硫黄島と沖縄で必死に戦ってくださった方々のおかげで、日本本土への上陸作戦は回避されたのです。アメリカは、「日本本土に上陸して地上戦を行ったら、アメリカ人の死者は百万人では済まない。日本本土への上陸作戦はできない」と判断し、原爆を落として何とか決着をつけようとしたわけです。(中略)
 日本軍が戦ったことの功罪はいろいろあると思いますが、少なくとも、「功」の一つとして、「『有色人種は差別してもかまわない。有色人種は劣性民族なので、彼らの国を植民地にしてもかまわない』という欧米の論理を崩した」ということが挙げられます。このことは、大きな功績として認められるべきです。
 もう一つ大事な点は、本土決戦が回避された結果、「戦後、日本が発展するための余地が残った」ということです。勇ましく戦って亡くなられた方々のおかげで、戦後、日本はまだまだ発展することができたのです。
 敗戦によって、いったん〝ゼロ″になったかと思われましたが、それまでに蓄積した技術力や学問の力、国民の勤勉性はなくなりませんでした。そのため、戦後、日本の歴史で過去最高と思われるような発展を享受できています。
 尊い命がたくさん失われましたが、決して無駄死にではありません。「勇ましく戦った方は英雄である」と考えてよいと私は思うのです。
(58~68ページ)

戦争で尊い命がたくさん失われたが、決して無駄死にではなく、「勇ましく戦った方は英雄である」と考えてよい。

日本とドイツがしたことの間には大きな違いがあって、日本が黄色人種も白色人種に勝てることを見せた結果、欧米の植民地だったアジア・アフリカの国々はほぼすべて独立できたから、この部分については「解放戦争」としての面があった。

硫黄島と沖縄で必死に戦ってくださった方々のおかげで、日本本土への上陸作戦が回避された結果として、戦後、日本が発展する余力が残り、日本は大発展することができた──。

太平洋戦争の霊的真相については、一度、ご紹介しましたので、今日は、合わせて説かれている霊的な部分は省略して、この世的に理解できる史実部分に絞ってご紹介しました。

お墓参りするときに、こういう史実を知っているだけでも、胸を張って、尊敬の念いで、ご先祖さまを供養できるのではないかと私は思っているのです。

国家の気概 -日本の繁栄を守るために (OR books) 『国家の気概』

 大川隆法著


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『創造の法』って本があるでしょ。でも、しがないサラリーマンだし、芸術家みたいに何かを創ってるわけじゃないからさ、オレには関係ない世界なんじゃないの? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『創造の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 この世の中では、「創造する力」を持つ創造的な人間というものは、何か事業を始めるにしても、個人として職業を選ぶにしても、会社や組織のなかで出世するにしても、やはり、素晴らしい価値を生みます。
 創造的な生き方ができれば、十倍、百倍の値打ちを、人生に付加価値として付けることができるのです。それを知らなければいけません。
 創造性とは、単に機械の発明のようなものだけにかかわるのではありません。実は、人生全般に影響が出るものなのです。
 例えば、家庭問題においては、家庭争議から離婚へと進む場合がありますが、創造性を発揮すれば、離婚は十分の一ぐらいにまで減らすことが可能です。
 「自分は、こうしたい」と言う妻と、「自分は、こうしたい」と言う夫とがぶつかって、お互いに譲らず、決裂するというおそれがある場合、どうすればよいでしょうか。(中略)
 自分に与えられた問題に対しては、自分なりの解決法を考え出さなければいけません。ただ、人には、どうしても、手抜きをしてしまうところがあり、自分の主張だけを通そうとして他の人とぶつかり、「あの人とは相性が悪いのだ」と考えてしまいがちです。
 しかし、そうではありません。これは、「仕事が十分ではない」ということなのです。会社で人間関係のトラブルを起こす人は、家庭でも同じようなトラブルを起こすものです。
 かなり古い調査になりますが、ハーバード大学の調査に次のようなものがあります。
 会社をクビになった人について、「なぜクビになったのか」という原因を追究したところ、三十数パーセントは、能力不足によってクビになっていますが、残りの六十数パーセントは、人間関係の問題でクビになっているのです。「人間関係がうまくいかなくなって、会社を辞めざるをえなくなる」ということが、アメリカにおいてもあるわけです。
 やはり、人間関係の調整においても、発明・発見が要ります。「この人とはどうしても合わないが、うまくやっていくためには、どうしたらよいのか」「会社の組織のなかで、うまくやっていくためには、どうしたらよいのか」ということを考えに考えて、解決案を出していかなければならないのです。
 そうすれば、それを見事に突き抜けて、組織のなかでも仕事がうまく回るようになり、周りともうまくいって、自分も出世するようになっていきます。
 創造性というものは、「組織のなかにいるから発揮できない」というようなものではありません。粘土をこねて、ものをつくるようなことだけが、創造性の発揮ではありません。家庭のなかであろうが、会社のなかであろうが、今、自分がいる環境のなかに、創造性を発揮する余地は、いくらでもあるのです。
(23~27ページ)

創造性とは、ものをつくることだけではない。

創造的な生き方ができれば、十倍、百倍の値打ちを、人生に付加価値として付けることができる。

組織のなかにいても、家庭のなかでも、創造性を発揮する余地は、いくらでもある──。

つまり、『創造の法』という書物は、そこで説かれた教えを、どう自分の職業生活、日常生活、家庭生活に活かしていけばいいのかという、幅広い視点で読むことができる。

また、「クリエーター」と呼ばれる職種の人だけでなく、会社員や経営者、学生、青年、主婦、シルバー層をはじめとして、あらゆる層の人々に、強くお勧めできる書物であるのだと、改めて私は思っているのです。

創造の法―常識を破壊し、新時代を拓く (OR books) 『創造の法』

  大川隆法著


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いまやっぱり「国難」だよね。コロナもだけど、まず不況だよね。たとえば天上界の松下幸之助だったら、この日本を救うためにどうしたらいいって、教えられるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『松下幸之助 日本を叱る』(幸福の科学出版)で、松下幸之助の霊自身の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。

 私は、基本的に、この国を救いたかったらね、この国で働いている者たち、あるいは会社が、「産業報国の精神で、産業を興して国を富ませ、そして発展させよう」という思いを持っているかどうか、これにかかっとると思うんですよ。
 結局、戦後の民主主義と言うてもだね、“バラバラ民主主義”になってるよね。バラバラだよね。“個人主義的民主主義”というか、会社は会社でバラバラに、個人は個人でバラバラに幸福の追求はしてるかもしらんけれども、「国家のために、天下のために、社会のために」とか言うこと自体が、古い戦前のことで、反動的で保守的で間違っているように考える風潮があるよね。
 だから、「この国の状態を救いたかったら、どうしたらいいか」ということやけども、それは、君、ばらまき政策なんかじゃなくて、やはり報恩だよ。報恩ね。
 会社および会社で働く人たちが、この日本という国に生まれて、ここで育って生活できていることに対する感謝・報恩の気持ちが、今、薄れとるよね、どう見ても。
 ほかの国に生まれてごらんよ。日本よりいい国に生まれることは数少ないですよ。稀ですよ。やはり、もっと貧しい、厳しい国が多い。「この国に生まれ合わせた」ということは、ありがたいことですよ。
 それも、戦後、産業人が営々として頑張ったために、これだけ発展したんだよ。それで、みんな、豊かな生活を享受できている。たまたま、今、不況があるかもしらんけれども、その基本的な精神だね、先人たちの遺した偉業っちゅうのを忘れないで、自分たちも、そういう気持ちを持たなきゃいけないな。(中略)
 だから、自分たちが、「欲しい、欲しい」「くれ、くれ」という方向を向いているのはおかしいよ。やはり、自分たちのほうが、お国のために、社会のために、人々のために、何か尽くさなきゃいかん。
 こんな考えを持って会社経営をやれば、会社は発展せざるをえんし、同時に、利益はあがるわな。利益があがれば、黒字になって、税金も納められる。税金が納められたら、国の税収だって増えるんですよ。
 税収を増やそうとして、国がいろいろなことを言うてるけども、こんな、ただでもらうことばかり考えている国民や会社をつくったら、そんなもの、増えるわけがないでしょう。赤字が増えるばっかりだな。
 これは、基本的な考え方を逆にせないかんと思う。(中略)とにかく、個人主義が悪いほうに働いている。私欲主義、私利私欲に流れとる。これを、やはり変えなきゃいかん。
 そやから、政治家や首相も、やはり、そちらの方向に人を持っていかなきゃいかんよね、あのアメリカでケネディさんが言うとったようにな。「国家が国民のために何をしてくれるかでなくて、国民が国家のために何ができるか、それをこそ私は問う」というようなことを、大統領になったときに言うたじゃないか。
 あれを言えるぐらいの強い指導者が欲しいな。
(17~21ページ)

この国を救うには、この国で働いている者たちや会社が、産業を興して国を富ませ、発展させようという思いを持っているか、にかかっている。

この日本という国に生まれ育って生活できていることに対する感謝・報恩の気持ちが薄れてきている。

国民のほうが、お国のために、社会のために、人々のために、何か尽くさなくてはならない──。

今日の引用部分は、結局のところ、生前の松下幸之助が掲げた「産業報国」の精神について、いまの言葉でわかりやすく、説得力をもって解説してくださったんだと思います。

松下幸之助翁は、天上界で日本の将来を憂え、その復活のための肉声のアドバイスを降ろしておられる。

この驚愕の事実、そしてその学び多き内容を、一人でも多くの人が知ってほしいと、改めて私は思っているのです。

松下幸之助日本を叱る―天上界からの緊急メッセージ (OR books)

『松下幸之助 日本を叱る』

 大川隆法著


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努力って言葉、よく聞くよね。でもね、いま楽しければいいんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『青春の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 努力の意味について、さまざまなことを述べてきましたが、「最後に、これだけは言っておきたい」と思うことがあります。
 それは、「騙されたと思って努力してみなさい」ということです。
 特に、子供や若い人たちに対して、「騙されたと思って私の言うとおりにやってみなさい」と言いたいのです。
 「いまを楽しまなければ損だ」と言う人は数多くいるでしょう。「二十年後、三十年後、あるいは、死ぬときのために努力するなんて、ばかばかしい。まして、死んだあとのために努力するなど、ばかばかしい」と思う人が大多数です。
 そして、何十年か先のため、老後のため、あるいは、死んだあとのために努力する人は少数です。しかし、少数であるからこそ、そういう生き方をした人は、リーダーになることが可能なのです。
 数が少ないからこそ、そちらの生き方に賭けると、勝ったときのプラスは、ほんとうに大きなものになります。
 私の言っていることの正しさが、あとになるほど明らかになってくるでしょう。
 あとから取り返すことはできないので、「騙された」と思って努力してみてほしいのです。
 人生にとって努力は非常に大事なものです。
 運命はあるとしても、それとは別に、やはり、自分でやっていかなければならない部分があります。
 「自分自身による創意工夫や発見」「自分を律していく心」「自分を強く、たくましく、勇ましく、育てていく心」、こういうものが、大きな成果を生み、みなさんが、来世で、あの世に還っていくときに、大きな光の塊となるための肥やしになるのです。
 どうか、それを信じて、努力していただきたいと思います。
(232~235ページ)

人生にとって、努力は非常に大事なものである。騙されたと思って、私の言うとおりに努力してみなさい。

何十年か先のため、老後のため、死んだあとのために努力する人は少ない。だからこそ、そういう生き方をした人は、リーダーになることが可能である。

数が少ないからこそ、そちらの生き方に賭けると、勝ったときのプラスは、ほんとうに大きなものになる──。

仏にもし騙されたら、それこそ本望かもしれませんけれども、これはあえて努力を強く勧めるためのレトリックでありましょう。

じつは、幸福の科学の教えに触れてから、努力がいかに大事なものであるかを日々学び続けている気が私はしているのです。


青春の原点―されど、自助努力に生きよ (OR books)

『青春の原点』

 大川隆法著


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ニーチェって、偉大な哲学者でしょ。やっぱり天上界に還ってるのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ニーチェよ、神は本当に死んだのか?』(幸福の科学出版刊)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 若い時分にカール・ヒルティの『幸福論』を読んでいたのが免疫になったのか、ニーチェには憧れることもなく、思想的に同調することも私にはなかった。単純に考えれば、中国禅の趙州和尚(AD七七八~八九七)の「大力量人」や空海の「即身成仏」の思想、さらに遡って釈尊の「仏性・成仏」の思想も、極端化しすぎると、ニーチェの「超人思想」に見えなくはない。しかし、そこに古典学者・哲学者としてのニーチェの限界もあろう。仏教の縁起の思想や悟りの階梯論が勉強として不十分だったのだろう。
 イエスにしても、この世の肉体上の十字架での死のみにとらわれると、神とその独り子と言われた方のこの世的弱さばかり強調されることになるが、ヒルティはこれに対し、「復活の信仰」こそキリスト教の神髄だと看破している。聖書では五百人以上の目撃者が記録されている。「超人」を目指して「狂人」と化して死したニーチェ。その若すぎた天才の文学的煌めきが、世を救うことはなかった。

あとがき
 古代ペルシャ(イラン)の宗教家ゾロアスターの思想は、現在ではその片鱗が伝わるのみで、全貌は判らない。
 ただ、この世での善悪をはっきりとカミソリの刃で切り分け、天国へ往く者と地獄へ往く者を二元論的に分けることと、鳥葬の風習は伝えられている。
 ニーチェはゾロアスターことツァラツストラをして新しい神、「超人」としてデビューさせようとした。ツァラツストラ(ニーチェの自己投影)、それは映画的には、スーパーマン、スパイダーマン、バットマン、アイアンマンのようなものだったのかもしれないが、現実の政治としては、ヒトラーとして現れた。詩的で格調高いツァラツストラの説教の中に、「われ世に勝てり」と称したイエス・キリストの言葉を読み解けなかった悲劇がある。
 人生は長く生きなければ、経験的に判りえない真理もあるのだ。善悪の彼岸は、悟りし者にしか判りえない。
(1~2、174~175ページ)

趙州和尚の「大力量人」や空海の「即身成仏」の思想、遡って釈尊の「仏性・成仏」の思想も、極端化しすぎるとニーチェの「超人思想」に見えなくはないが、そこに仏教の縁起の思想や悟りの階梯論が勉強として不十分だったニーチェの限界がある。

ニーチェの「超人」は、スーパーマン、スパイダーマン、バットマン、アイアンマンのようなものだったのかもしれないが、現実の政治としては、ヒトラーとして現れた。

善悪の彼岸は、悟りし者にしか判りえない──。

やはりニーチェは、悟りし者ではなかった、ということです。

本書の帯には、「その叫びは、深い地獄から聞こえた。」と印象深い形で書かれています。

ニーチェはいったい何を語ったのか。

それはぜひ、みなさま自身で、本書を手に取ってたしかめていただきますように。
 

公開霊言 ニーチェよ、神は本当に死んだのか? (OR books)

『ニーチェよ、神は本当に死んだのか?』

 大川隆法著


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今日、心が折れちゃった。どうすればいいの? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 本章では、少し変わった題ではありますが、「心が折れてたまるか」というテーマで述べていきます。
 近年、「心が折れる」という表現がよく使われています。この言葉が広まるきっかけとなったのは、あるスポーツ選手の引退時の発言だったようです。その人は、試合終了後、プツンと気持ちが切れて引退を決意し、「心が折れた」と語ったそうです。(中略)
 「心が折れる」と言うと、「立てておいた線香が、ポキッと折れたのか」という感じに聞こえますが、心はそれほど簡単に折れるものではありません。割り箸などは二本に割れますが、それでも、横向きに折ることはなかなかできません。
 そのように考えると、「『心が折れる』とは、どのような心を想像しているのか」と、疑問に思わなくもないのです。
 幸福の科学では、「心は、本来、光の珠のようなものである」と理解しています。すなわち、「神仏の光に満ち満ちた、球体のようなもの」と考えています。
 しかし、この世に生きている間に、塵や垢、埃など、さまざまなものが心に付着し、心が曇っていくことがあります。そこで、そのようになった心を、反省等によって磨き、光り輝かせることで、元の真ん丸い球体のような心に戻す必要があるわけです。そして、それが、天上界に還ったときの姿そのものになります。
 したがって、私は、「『光に満ちたエネルギー体』としての心こそが、真実の心である。心とは折れようのないものだ」と考えているのです。
 一方、今の世の中で考えられているような心は、非常に柔で、シンプルで、単純なもののように思われます。(中略)
 確かに、時代背景を見れば、それも、若干、理解できないわけではありません。この二十年ほど、社会全体には停滞感が強くありますし、先行きの見通しについても、それほど明るい材料はないわけです。(中略)
 そのなかで、個人あるいは会社における、個々の状況においては、うまくいかずに、「ポッキリと折れる」という感覚を経験している人は多いかもしれませんし、今後も増えるかもしれません。(中略)
 本章のテーマである、「心が折れてたまるか」という言葉は、仏教的には「一喝」に相当するものです。すなわち、「今の日本は、あまりにも弱くなりすぎているのではないか」と私は言いたいのです。
(84~88ページ)

心は、神仏の光に満ち満ちた、球体のようなものであって、折れようのないものである。

今の日本は、あまりにも弱くなりすぎているのではないか。

心が折れてたまるか──。

愛に満ちた仏の一喝。

素直に受け止めたいと、改めて私は思っているのです。

未来の法―新たなる地球世紀へ (OR books)

『未来の法』

  大川隆法著


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富を持つことって、いけないことだっていう宗教、多いでしょ。でも、ほんとうにそうなのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄思考』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 基本的な問題として、「弱者に優しい」ということ自体は構わないのです。弱者に対して優しい気持ちを持つことは結構です。
 しかし、誰もが貧しくなり、弱くなっていく方向で社会をつくったら、結果的に全体が下がっていきます。そうなると、弱者が救えなくなります。社会に弱者を救うだけの力がなくなってくるのです。
 「勤勉に働いたり、創意工夫をしたりして、大きな富をつくる人たちや、会社を経営して成功する人たちを、憎んだり、嫉妬したりする」というカルチャーをつくると、人々は、ほかの人から嫉妬されたり憎まれたりすることを嫌がり、富や成功を手に入れないようにしようとし始めます。「ほかの人と同じだったら、そう思われないで済む」と考えて、経済活動のレベルを下げるのです。
 その結果、その社会は、低いレベルで、平準化、標準化してきます。「上」が努力をやめてレベルを下げてくると、「下」も下がったままなので、弱者を救う人がいなくなってしまうわけです。
 国家の財政赤字は、こういう理由で起きてきます。税金を集めても、その使い方が悪いために、国を豊かにすることができません。国を豊かにする使い方ができないので、実は財政赤字になっているのです。
 会社の場合も同じです。赤字は社長一人でもつくれます。
 結局、勤勉で、富の創造を肯定する思想を持っていなければ、やはり、豊かにはなれないものなのです。これを間違わないようにしてください。
 旧い宗教には、富について、悪のような言い方をしているものも多く、仏教も例外ではありません。仏教にもキリスト教にも、そういうことを言っているものが多いのです。
 しかし、教祖が生きていた時代には、貨幣経済がそれほど発達していませんでしたし、原始教団は貧しかったことが多いので、当時の教えは、そのままでは現代の資本主義の世の中に当てはまりません。
 そのため、旧い宗教には、「富は悪だ」というような言葉を、その言い訳に使っていることが多いのです。それを知らなければいけません。
(76~78ページ)

富が悪のような言い方をしている旧い宗教も多いが、教祖が生きていた時代には貨幣経済がそれほど発達していなかったし、原始教団は貧しかったことが多いことによる。

大きな富をつくる人たちや成功する人たちを、憎んだり嫉妬するカルチャーをつくると、人々は富や成功を手に入れないようにし始める結果、社会は低いレベルで平準化していき、弱者を救う人がいなくなってしまう。

勤勉で富の創造を肯定する思想を持っていなければ、やはり豊かにはなれない──。

大川隆法先生は、神仏の目から見て正しい思想を、この現代日本で、現代人にわかる言葉で、しかも現代にあった形で説いておられます。

その教えは、日本人だけに向けて説かれているわけではなく、世界の人々に向けて語られています。

大川隆法先生が海外で英語説法をされると、集まった聴衆にはその内容がきちんと伝わり、その場で幸福の科学に入会する人が続出しているのは、その証拠だと思います。

勤勉に働き、創意工夫などで大きな富をつくり、成功していくことを積極的に奨励する宗教が登場したことは、この日本だけでなく世界にとっても、大きな福音だと改めて私は思っているのです。

繁栄思考―無限の富を引き寄せる法則 (OR books)

『繁栄思考』

  大川隆法著


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この21世紀の経済って、どういうトレンドなの。ずーっとデフレなんだけど、インフレにならないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来創造のマネジメント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 まず、基本的に考えておかねばならないことは、二十一世紀の大きなトレンドについてです。(中略)大きな流れとしては、やはり「デフレ基調」だと思います。日本だけではなく、世界的に見て、デフレ基調が大きなトレンドだと思うのです。
 一方、二十世紀は「インフレ基調」でしたが、その理由は、大半が戦争と革命の時代であったからです。「戦争の時代」というのは、とにかく、物資を大量に消費します。いろいろなニーズが出てくるため、物をたくさんつくらなければいけません。消耗品も必要ですし、それ以外のインフラ系においても、いろいろなものが必要になってくるのです。
 したがって、戦争中心の世界においては、経済の流れは、どうしてもインフレ基調になります。革命などが起きた場合にも、そうなります。
 二十世紀には、大きな戦争が二つ終わり、その後、米ソの冷戦が終結しました。これは、事実上、「第三次世界大戦が経済戦争のかたちで終わった」ということを意味します。
 米ソは、実際の戦争をすることなく軍備拡張競争を行ったわけですが、当時のレーガン大統領が赤字覚悟で米国の軍事拡張を行い、宇宙からも攻撃するという「スターウォーズ計画」までやり始めたところ、ソ連経済のほうがパンクしてしまい、戦わずして冷戦が終わりました。しかし、これは事実上の戦争であったのです。(中略)
 その意味で、二十一世紀には、大きな戦争の余地はそれほど残っていないと思います。もし、あるとすれば、中国関連でしょう。中国に絡んだ世界大戦があるかどうかが、「インフレ基調になるか、デフレ基調になるか」の判断の分かれ目です。
 もし、中国を絡めた世界大戦のようなものが起きた場合には、それがインフレ要因になるので、基調として、物価などが上昇する流れになります。
 しかし、日米関係が安定している間は、そして米国経済が極端に崩壊しないかぎり、基本的にそれはないと考えてよいと思います。
 なぜなら、日米の経済規模を足すと、だいたい世界の三分の一を占めているからです(二〇〇九年度)。日米両国の協調体制が続くかぎり、この二大大国を相手に戦える国は、二十一世紀においては存在しないと思われます。戦っても負ける可能性が高いでしょう。
 中国やインドは、人口が共に十億を超える巨大国ですが、経済力としては、まだ弱いので、どう考えても日米の二大大国と一年以上戦えるはずがありません。
 したがって、日米協調が続くかぎり、大戦争は起きず、局地戦レベルのものしか起きないと考えてよいのです。
 台湾や朝鮮半島など、幾つか、戦争の可能性のある地域はありますが、局地戦レベルのものしか起きないと思われるので、インフレ要因は小さいと見てよいでしょう。
 ただ、そうした局地戦争が起きたときに、一時的に、多少、物の需要が起きるようなことはあると思います。例えば、一九五〇年代に朝鮮戦争が勃発した際、日本経済が特需景気によって回復したこともありましたが、そのように、三年か四年ぐらい、特需景気のようなもので部分的なインフレが起きることはあっても、二十一世紀の流れとして、インフレは考えにくいと言えます。
(104~108ページ)

20世紀のような戦争と革命の時代には、インフレ基調になるが、米ソによる第三次世界大戦が、事実上、経済戦争のかたちで終わったことで、21世紀に大きな戦争の余地はそれほど残っていない。

もし戦争があるとすれば中国に絡んだ世界大戦があるかどうかだが、日米関係が安定し、米国経済が極端に崩壊しないかぎり、基本的にそれはないと考えてよい。

局地戦争が起きたときに、特需景気のような部分的インフレが起きることはあっても、21世紀の大きなトレンドは、日本も世界も、デフレ基調である──。

ほんとうに、明快です。

大川隆法先生は、たんに宗教の世界の方というだけではないことが、この教えあたりからも、わかる人にはわかるのではないかと私は思っているのです。

未来創造のマネジメント 『未来創造のマネジメント』
 大川隆法著


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読売新聞グループ本社代表の渡邉恒雄って人、ナベツネって呼ばれてたと思うけど、まだ存命のマスコミ界の大物だよね。どんな人なのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『ナベツネ先生 天界からの大放言──読売新聞渡邉恒雄会長守護霊インタビュー』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。

まえがき
 巨大マスコミで長年君臨していると、様々な批判の銃弾を浴びて、責任を取るかたちで辞職に追い込まれるのが常だ。そのため、マスコミのトップは顔も名前も一般国民に知られていることは少ない。その中にあって、「ナベツネ」こと渡邉恒雄さんは、折々に話題を振りまきながら、不沈戦艦のように浮かびつつ、自らも砲弾を発射する稀有な存在である。
 ポピュリズム批判程度の本で人生の最後にするのではなく、「人生の達人としての秘訣」のようなものを何か引き出せないかと思ったのが、私の率直な気持ちだ。私の思い通りのものはつくれなかったが、質問者の関心がジャーナリスティックなところにあったからだろう。私の母より六歳も年上で、かつ、世界最大の新聞の現役主筆であり続けられる人生の先輩に、「本心」から「先生」とつけてしまった次第である。
 守護霊意見が、一部、読売新聞の会長としての公的立場とくい違うところもあろうかと思うが、「酒でものんで、若い者たちに話をしたら、こんなこともあるかもね。」ぐらいに思って下されば幸いである。

あとがき
 おそらく「ナベツネ先生」は、正直で、気持ちの大きい方だろうと思う。そして人の気持ちを読み解く能力に特長をもっておられる方かと思う。
 「『幸福実現党』に議席を獲らせてやりたい」とおっしゃった時、たとえ守護霊霊言であるにしても、政党幹部諸氏は感激していた。マスコミの「談合的黙殺シフト」に、皆、耐え忍んで来たからである。
 ドイツの首相は宗教政党出身であるし、今、アメリカの大統領選を争っているロムニー共和党候補も、青年時代、モルモン教徒の宣教師としてフランスで伝道していた。宗教を信じる者が、国を正しく導くべく政治家を志すことは、決して道徳に反することでも、異常なことでもない。そのあたり前のことが、あたり前にできるように、大マスコミの果たすべき使命も大きいと信じてやまない。
(1~2、152~153ページ)

同じマスコミ人であっても、朝日の主筆やNHKの放送総局長などに対する態度と、えらい違いです。

大川隆法先生が、一連の守護霊インタビューの中で、「人生の先輩」として、これだけ敬意を表しておられる人は、初めてではないでしょうか。

大きな器を感じさせる高い視点で、説得力のある意見を述べる守護霊。ナベツネ先生こと渡邉恒雄氏は、期待以上の「大物」でした。

本書の刊行から10年の月日がたちましたが、大川隆法先生が述べておられるように、続編として、「人生の達人の秘訣」といった話を、ぜひ読んでみたいものです。

いずれにしても、マスコミに興味がある方はもちろん、世界最大部数を誇る読売新聞を今もまだ率いる人物が、何を見て何を考えているのかに興味がある方、必読の文献であると私は思っているのです。

ナベツネ先生天界からの大放言―読売新聞・渡邉恒雄会長守護霊インタビュー (OR books)

『ナベツネ先生 天界からの大放言』

 大川隆法著


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大川隆法先生って、対談集を多く出しておられるけど、なんでなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『HS政経塾・闘魂の挑戦──江夏死すとも自由は死せず』(HS政経塾)で、こう説いておられます。

 当会では、二〇〇九年から政治に取り組んでいますが、私が政治そのものについて書いた理論書は、けっこう難しいと思います。宗教活動のほうでついてきた信者さんたちも、急にグググッと難しくなったので、読むのに脂汗をかいているというか、「読めない」ということもあるようです。(中略)
 つまり、「言っていることがよく分からないので、その内容を伝えられないし、訊き返されると答えられない」ということがあるので、もう少し分かりやすくする努力は要ると思います。
 その一つのやり方が「対話形式」です。対話形式にすると、読みやすくなるでしょう? これは、意外に普遍的なんですよね。
 例えば、ソクラテスの難しい哲学が、今も対話編というかたちで遺っていますし、仏陀も対話編をだいぶ使っています。イエスも対話をしていますし、いちばん代表的なのは孔子でしょうか。
 『論語』は、孔子と弟子との対談ですよね。漢字が入っているから、「難しいのかな」と思いますが、分かりやすい日本語に訳したら、孔子は、実に平凡なことを話していますし、困ったり、愚痴を言ったり、泣いたりしているところがたくさん出てきます。ところが、それが普遍性を持って、二千五百年も読まれているわけです。 
 私は今、政治に関しては、弟子との対話本を出しているのですが、そうすることによって、一般の人や信者の人たちが、「自分の代わりに訊いてくれている」という感じになり、読んでいるうちに何となく分かってくると思います。
 題だけ見れば難しそうな本でも、なかを見たら、「少しは読めるな」という感じが出ればよいと思っているので、私には、そんなに難しくする気はありません。できれば分かりやすくしたいですね。(中略)
 だから、最近は、「できるだけ面白くしなければいけない」と思って、少しおちょくったような題をだいぶ付けています。「中身は多少忘れても、表紙の題だけは覚えてほしい」ということなんですけれどもね。どうせ、話の中身は忘れられるでしょうから。(中略)
 今回は、「HS政経塾がある」「何か、気合が入っているらしい」ということと、「江夏死すとも自由は死せず」というキーワードを覚えてくれれば、あとは忘れてもらっても構わないでしょう(会場笑)。(中略)
 確かに、「政治の話を分かりやすくする」というのは難しいですよね。(中略)
 やはり、政治は言葉の勝負ですから、「キャッチコピーで戦う」という技術を磨かないといけません。(中略)「深い思想や理論を、全部読んで納得してもらう」というようなことでは、本当は駄目です。「短い言葉で、パッと印象がつかめる。分かる感じが出せる」ということは、一つの才能ですよ。(中略)
 だから、そういうキャッチは要るのではないかと思います。
(21~28ページ)

政治について書いた理論書はけっこう難しいので、分かりやすくするための一つのやり方が「対話形式」である。

この形式は意外に普遍的であり、ソクラテスの哲学は対話編というかたちで遺っているし、仏陀やイエスも対話をしており、代表的なのは孔子の『論語』である。

少しおちょくったような題を付けているのは、「中身は多少忘れても、表紙の題だけは覚えてほしい」という趣旨であって、政治は言葉の勝負だから、キャッチコピーで戦う技術を磨かないといけない──。

本書は、HS政経塾の江夏正敏塾長(当時、現・幸福実現党幹事長)との対談集です。

大川隆法先生の著書には、特に政治関連で対談集が多いことについて、そのタイトルが、あれ? と思うものがなぜ多いのかも含めて、大川隆法先生がご自身でやさしく解説して下さっているところを、今日はご紹介してみました!
 

HS政経塾・闘魂の挑戦

『HS政経塾 闘魂の挑戦』

 大川隆法著


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やっぱり、世の中を変えるようなことをやって、すごいやつだって評価してほしいよね? なーんてこと考えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『勇気の法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 スポーツや企業の例で述べましたが、「どのくらいの目標を立てるか」という問題は、ほかの世界でも同じです。目標が高くなれば高くなるほど、失敗は多くなります。しかし、それが、正しい方向であり、自分が興味・関心を持っていて、「やりたい」という気持ちがある道ならば、その道を突き進んでいただきたいと思います。
 特に、若い人には、「新しい時代を開くための礎となりたい」という大きな目標を掲げていただきたいのです。
 新しい時代は、一人だけで開くことはできません。数多くの人が理想を持ち、チャレンジし、その途中に倒れる人たちで“屍累々”になりながらも、怖れずに乗り越えていく者が次々と出てきてこそ、新しい時代が開けてくるのです。
 自分自身が失敗者になることを怖れてはなりません。「自分は屍累々のなかの一人になってもかまわないから、行ける所まで行きたい」と思うのが、やはり青年なのです。
 むしろ、自分が倒れたら、五年後、十年後、二十年後に、その志を受け継いで挑戦しようとする人に対し、「自分を乗り越えていけ。自分の失敗を参考にして、これを智慧に変えて、もっと先へ行け」と言って励ますようであってほしいのです。
 私も、批判などは、若いころから山のように受けています。宗教家として仕事をしていると、「出る杭は打たれる」などというレベルではなく、もっと激しいバッシング(非難)を受けていますが、平気でやってきたのです。
 「負けるものか」と思って、ずっと頑張っているうちに、しだいに仲間が増えてきました。私を信じる人が増えるに従って、だんだん団体ができてきて、そして何十年かたつと、世間の評価も、「まんざら嘘でもなかったのかな」という感じに変わってくるのです。
 人の評価というのは、ずっとあとからついてくるものです。
 したがって、「今すぐに人の評価が得られるのでなければ動けない」というような、卑怯な人間になってはいけません。自分が、「これは正しい」「これは真実だ」と思ったならば、それにチャレンジしていく精神を持たなければならないのです。(中略)
 どうか、孤独を怖れることなく、力強い人生を歩む勇気を持ってください。
(48~50ページ)

自分が失敗者になることを怖れてはならない。

人の評価は、ずっとあとからついてくる。

これは正しい、これは真実だと思ったならば、チャレンジしていく精神を持たなければならない──。

とくに若い人たちに向けて、勇気を強く鼓舞される、大川隆法先生の熱い言魂。

若い人だけではもったいないと思います。

それこそ老いも若きも、この教えをまっすぐに受け止め進んで行きたいものだと、改めて心素直に私は思っているのです。

勇気の法――熱血 火の如くあれ (OR books)

『勇気の法』

  大川隆法著


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