ゆーぱの部屋 ~幸福の科学の教えから~
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
 



こういうブログは、そのままの設定だと字が小さくって読みにくいなあと感じる人? そんな現象(老眼ですね)が出てきたり、体のあちこちが痛んで来たりしてて、人生そろそろ中盤を過ぎたかなあ、そろそろ引退後のこと考えなきゃとか思ってる人、いませんか?

このブログの読者には、シルバー世代の方はあまりいないみたいなんだけど、でも、少々この方面の話題が少なくなってしまったので、久しぶりに。

幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の生命の世界』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人間である以上、「生老病死」は避けられません。避けられないものを無理に避けようとすれば、それは、沈みゆく太陽を呼び戻そうとするのと同じことになります。
 「人間は老いていくものだ」と自覚することが大切なのです。
 老いると、体が不自由になり、思うように動きません。頭は朦朧(もうろう)とし、目はかすみ、だんだん、世の中から疎外されて、邪魔者扱いされるようになります。これは辛いことです。
 しかし、それは〝解放の日″が近づいていることを意味しているのです。「自由自在の天界に戻る日が近づいてきているのだ」と思わなければいけません。その日を心待ちにする心境が大事です。
 そして、毎日毎日、執着を減らしていくことです。あの世に還るために、だんだん、この世のことを整理し、この世への執着を断って、心の準備をしていくことです。
(196~197ページ)

体が老いていくことの本当の意味。

晩年の日々のあるべきすごし方──。

人ごとではなく、もうそんなに若くないよなあって感じることも多いこのごろです。

ちょっと昔にはとっても遠い世界だったこういったお教えが、最近はとても心に響いたりもしています。

これから人生の春を迎える人、また春まっさかりの人であっても、いずれは必ず夏をすぎ、秋をすぎていくわけで。

この大川隆法先生のお教えを心に留めておけば、この人生、最後までポジティブにすごしていくことができるのではないかと私は思っているのです。

 

『永遠の生命の世界』

 大川隆法著

 

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長生きするって、いいことなのかなあ。さーっと太く短い人生のほうが、いいんじゃないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『日野原重明の霊言──幸福なエイジレス人生の秘訣』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように述べておられます。

 今年の七月十八日に、ドクターの日野原重明先生が亡くなられた。まさに生涯現役の手本のような百五歳の人生であった。
 私も幸福なエイジレス人生の秘訣は説きたいと常々思っているのだが、実体験を伴わないと説得力は十分ではない。この点、日野原先生の見事な人生から来る説教は、なかなか説得力があり、実に有難い。日野原先生のような人生が生きられたら、この国の問題は、ほとんど自動的に解決してしまうのだ。
 実際に霊言をしてみての感想なのだが、実に暖かく、軽やかな感じだった。二時間程度話しても全く、疲れを感じないのだ。長生きをすると、生きながらにして、「天使の心境」を味わえるのかもしれない。
 二十一世紀中にも人生百年時代を迎える日本にとって、とても貴重な一冊になったと思う。
(1~2ページ)

長生きをすると、生きながらにして、「天使の心境」を味わえる──。

日野原先生は、数々の業績を積み重ねられただけでなく、百歳をすぎても医師として現役で仕事をしておられるので有名でした。

そんな方が帰天されたら霊言を出されないのかなあ、という期待に見事に答えたのが本書です。

帰天してからわずか4日後、日野原先生は、霊となってどんなことを見聞きし、考えておられるのか。

そのあたりを赤裸々にご自身の言葉で語られた本書は、まず、霊的世界の真実をまた一つ明らかにした書です。

そして、いずれは人生の黄昏を迎える私たちにとって希望の書でもあるのだと、深く私は感じ入っているのです。

『日野原重明の霊言』大川隆法著


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歳をとってきたら、なんで体が不自由になるかなあと思っている方は多いと思います。歯が悪くなったり、老眼になったり、腰が痛み出したり、更年期障害だったりと、若さが失われてくるにしたがって、自分の体のことが日々の問題になってくる。なんで神さまは、もっと人間の体を長持ちするように作ってくれなかったんだろう? 死ぬ直前まで、若いままの体で元気でいれれば、その方がいんじゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『復活の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 年を取ると、幼児化していき、自分の体が思うようになりませんが、「体が不自由だ」ということは、魂が肉体を脱ぎ捨てるために必要なことなのです。体があまりにも自由自在だと、あの世に行きたくなくなります。体が不自由になり、「嫌だな。もう死にたいな」と思えるような予兆現象が出てこないと、心の準備ができないのです。
 あの世に行くことは、赤ちゃん、新生児になって生まれ変わるようなものです。年を取って体が不自由になることは、あの世への移行においては、しかたがないことというより、むしろ、ありがたいことなのです。
 年を取ったならば、誰であろうと、死ななくてはなりません。お年寄りが死ぬことによって、新しい生命が生まれてきます。次の生命、魂が、赤ちゃんになって、次々と生まれてくるのです。「赤ちゃんが生まれてくる」「孫が生まれてくる」ということは、「お年寄りが死んでいく」ということであり、入れ替わりなのです。そう思わなくてはいけません。
 人間は、死んで、あの世に還り、また、この世に生まれ変わってきます。
 「赤ちゃんが生まれてくる」ということと、「お年寄りは、あの世に還らなくてはいけない」ということを、「これは宇宙の理法なのだ」と思って、受け入れなければいけません。
(146~147ページ)

なるほど、なるほど、ですね。

あの世に還るための心の準備として、体が不自由になっていくのは、必要なことだったんですね。

老齢期をどういう心構えで乗り切って行くか。

そのための大事な大事な「智慧」をいただいた気が改めて私はしているのです。

 

『復活の法』

大川隆法著

 

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先祖供養って、どうすればいいの? 仏壇に線香をあげればいいの。お墓参りに行っても、お坊さんのお経、何言ってるかわからないしさ。・・・なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『霊界散歩』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 先祖供養には、なかなか厳しい面があります。
 あの世を信じないまま死に、苦しんでいる人は、あまり行くところがないので、子孫が先祖供養をすると、子孫のところへ行きます。
 先祖の霊が、たとえば血の池地獄や孤独地獄などで、もがき苦しんでいるときに、地上の子孫が仏壇などの前で一生懸命に先祖供養をすると、先祖は、自分を助けるための白い縄が上からするすると下りてきたように感じます。それをつかんで手繰ると、上がることができるのです。そして、子孫のところに出てきます。
 その際、子孫の側に、その先祖を供養して成仏させる力があれば、先祖は救われますが、その力がないと、子孫が逆に引っ張り込まれることも多々あります。
 そのため、先祖供養は、しっかりと真理を勉強した上で行っていただきたいのです。
 死んだ人が霊界についての知識をまったく持っていないと、その人は、私の説法を聴いても、自分の波動と合わないことが分かるだけで、法話の内容を、すんなりとは理解できません。生きている人たちのなかにも、私の説法を聴いて理解できない人がいますが、死んだ人でも、そういう人がいるのです。
 したがって、先祖供養の際には、子孫が、亡くなった人のレベルに合わせて、私の説いている教えの一部を噛み砕き、その人に分かるようなかたちで伝えてあげることが大事です。
 墓参りをしたり、線香を上げたり、仏飯を供えたりしても結構ですが、そのときに、その人の生前の生き方で、「この人の間違っているところは、たぶん、ここだろう」と思える点について、その人に必要な真理を、口に出してもよいし、心のなかで言ってもよいので、噛み砕いて話してあげることです。
 先祖供養をしているうちに、自分のほうが、体が重くなったり、調子が悪くなったり、寝込んだりするようなら、力不足なのです。
 その場合には、幸福の科学の精舎や支部で供養をしたほうがよいでしょう。個人では、そう簡単には地獄霊に勝てません。(中略)
 先祖供養は、なかなか大変な仕事です。一人を成仏させるだけでも大変です。本人が、生前の苦労など、いろいろなことを、全部、思い出しながら反省し、この世の積れや垢を落とさないと、あの世に旅立てないのです。
 人が亡くなったときには、できれば、そういう反省会を地上の人たちがやっていただきたいものです。
(58~62ページ)

ということは、まずは、幸福の科学の支部で春と秋に行なわれる、「幸福供養祭」に参加することですね。

また、幸福の科学には、総本山・那須精舎(栃木)と聖地・四国正心館(徳島)に、「来世幸福園」という霊園があります。

もちろん誰でも参拝することができますし、納骨や永代供養もお願いできます。

詳しくは、支部や精舎に問い合わせしてみたらよいのではないかと私は思うのです。

 

『霊界散歩』

大川隆法著

 

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“先祖の因縁があなたを不幸にするから、その因縁を断たねばならない”っていうような話を聞いたことある人? 行法をしてもらったり、壺とか塔とかを買ったり、高い供養料が必要だったりするって、ほんとなのかな? 先祖供養って、“因縁”なんてのを切るためのものなの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 考えてみますと、この因縁話の場合に、ありえることも一つあります。
 確かに、身内のなかに──父母、祖父母、あるいはその前の先祖に──不成仏の霊がいるということは現実にあると思いますし、ずっと手繰っていけば、不成仏霊がいないような家系というのはないでしょう。ですから、そういう方が子孫に影響を与えているということは、理論的にはありえることです。(中略)
 ただ、幸福の科学では、「そうした悪霊の霊障があれば、確かに体調の不調や、さまざまな間違った判断による苦しみが生まれることはありえるけれども、自分自身の心を磨いて、行ないを修めていくことによって、あるいは心自体を調えていくことによって、そうした悪霊の波動を断ち切ることができる」ということを、お教えしています。そして、「地上に生きている人が正しい生活を送ることによって、間違った生き方をして苦しんでいる先祖たちも、その姿を見て救われることがある」という話もしています。
 これは、たとえ話でいえば、こういうことです。父親が多大な借金を背負っていて、また息子は息子でまったく別に同じような借金を背負っているとしましょう。その借金を背負っている息子が父親の借金を返すことができるでしょうか。そういう問題を提起してみると、「できない」というのが答えです。ところが、「事業に成功して大きなお金を持っている息子が、父親の借金を返すことができるか」という設問の場合には、「できる」ということになります。これが先祖と子孫の関係であるわけです。(中略)
 豊かであればこそ、他人の借金を払うことができるのです。
 この「豊かである」ということは何かというと、今世において徳を積んでいるということなのです。それは、仏法真理に基づいて日々修行をしているということです。光の徳を積んでいること。光を蓄積していること。天の蔵に富を積んでいること。それがあってこそ、苦しんでいる人に対して、その光を廻向(えこう)することができるのです。光を手向(たむ)けることができるわけです。これが、先祖を供養する場合の正しいものの考え方なのです。
(251~254ページ)

先祖供養は、年に1回とか2回、お彼岸とかにやっていいんだけれど。

でも、大事なのは、生きている私たちが、日々、光の徳を積んで、天の蔵に富を積んでいることですよ、と。

そうであって初めて、私たちが蓄えている光をご先祖にたむけることができる。

これが、正しい先祖供養の考え方だ、ということなんだと思います。

“先祖の因縁”というような怪しげな霊話で脅して、高額な供養を強要してくる、おかしな宗教には、ほんとうに気をつけたいものだと私は思うのです。 

 

『心の挑戦』

大川隆法著


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人生を一生懸命、駆け抜けてきて。子どもは独立したし、定年だし、まだまだ若いと思ってたけど、電車に乗ったら、席を譲られるようになってきて。さてあとは、どうやって生きていったらいいの、なーんて人、いませんか?

また、そんなお父さんとかお母さんに、何を伝えればいいのかなあ、とか考えてる人、いませんか?

シルバー世代に向けて、幸福の科学の大川隆法先生は、『悟りに到る道』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 人生の最後の十年ぐらいというのは、非常に大きな意味を占めています。実際は、すでにこの世的な仕事を終わっていることが多いでしょうが、この十年ぐらいというのは非常に大きな意味合いがあり、これが来世の入学試験の前の期間なのです。ここをどのような精神状態で過ごすかということが、来世の生き方に非常に関係があります。
 気をつけてほしいことの第一は、いわゆる「和顔愛語(わげんあいご)」──優しい顔、安らいで和らいだ顔、それから、優しい愛ある言葉です。そうした優しい顔、人に対する優しい言葉、これを特に気をつけてください。これは毎日毎日の心がけです。鏡を見たときに、優しい顔をしているか。それから、人に対して、好意のこもった話、その人が聞いてよろこぶような話ができているか、これをまずチェックしていただきたいのです。心の状態が悪いと、まず顔つきが悪くなってきますから気をつけてください。
 顔の点検のひとつに、「慈眼(じがん)」というものがあります。鏡で自分の目をよく見てください。慈眼、慈悲の目であるかどうか。光を持った、目尻の優しい、そういう目かどうかをよく見ていただきたいのです。
 地獄に行く方というのは、普通、目が濁っています。自分の目を見て、目が濁っているかどうか、よく見ていただきたいのです。目が濁っているようですと、まだ修行が残っていますから、どうか心を透明にして、他の人に対する優しい心を起こしてください。
(56~57ページ)

まだ若い(はずの)私なんかは、このお教えを読んで、うーん、今まで間違いばっかりやって生きてきたけど、でも、まだまだこれから十分にリカバリーがきくんじゃないかと、ちょっとホッとしてます。

最後の10年の大切さ。

そして、毎日毎日の心がけとしての、「和顔愛語(わげんあいご)」と、「慈眼(じがん)」。

まだまだ若い世代であっても、これからさっそく心がけたいお教えだと、心から私は思うのです。 
 

『悟りに到る道』

大川隆法著



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もう60になって、定年なんだよね。これからの幸福って、どこに求めたらいいんだろう? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『孔子の幸福論』(幸福の科学出版)で、論語で有名な孔子の霊の言葉(「霊言」)を、次のように紹介しておられます。

 六十歳は、還暦ということになるけれども、一般には、定年を迎える人が多いことは多い。
 このころには、体力的に弱ることもあり、自分の将来に対して不安になることもあり、また、子供も完全に手が離れていくこともあるので、未来に対する希望が薄れてくる。そういう年が、六十という年だと思うんだ。
 ただ、やはり、ここで、「一生の意味をだいたい終えるか終えないか」という判断がなされるのかなという気がするね。
 六十歳にして、まだ、学ぶ心を忘れない者には、それから先に、晩年の大成が待っていると私は思う。
 つまり、六十歳にして、まだ、自己投資というか、自分自身の将来に対する努力研鑽を忘れない人は、さらに豊かな完成期の晩年を持つことができるだろう。一方、六十歳にして「人生をだいたい終えた」と思う人は、普通の人であり、「好々爺として生きていく。よき老人として、周りの人に迷惑をかけずに生きていく」ということが目標になろうなあ。
 このように、六十歳は、「人間としてのさらなる完成があるかどうか」ということがかかった年齢だ。六十プラスマイナス何年かあると思うけれども、ここでもう一度発心する人には、さらに先の未来が待っていると思う。
 普通の人の場合は、一般的な仕事、例えば、事務仕事や筋肉を使うような肉体的な労働ならば、だいたい、六十歳ぐらいで終わってしまうことが多い。しかし、六十歳にして、まだ、知的投資をし、勉学に励むようであれば、その人には、もう一段、大きな完成への道が待っているだろうね。もう一段、大きな師として、多くの人たちから仰がれるような未来が待っているのではないかな。そのように思うね。
(43~45ページ)

六十歳は、定年を迎える人が多く、未来に対する希望が薄れてくる年だと思う。

六十歳にして人生をだいたい終えたと思う人は、普通の人である。

六十歳にして、自分自身の将来に対する努力研鑽を忘れない人は、さらに豊かな完成期の晩年を持つことができるだろう──。

「六十にして耳順う」という論語の言葉が語り継がれています。人の言うことを逆らわないで聴けるようになった境地のことだったと思います。

しかし、論語から2500年。当時とは寿命が違うんでしょうけれども、天上界の孔子さまは、21世紀の現代日本において、同じことは説かれないわけです。

還暦を迎えても、まだまだ努力研鑽することができるというのは、大変なことだと思います。

「生涯現役」という言葉も思い浮かびます。

でも、平均寿命というのも、男性でも80歳を超えて、女性は86歳を超えたと報じられていたように思います。

60歳になっても、まだ残りの人生、20年も25年もあるわけで、単に余生をすごすだけでは、ちょっと長すぎます。

努力研鑽によって、晩年、それだけの実りを得ることができることを、天上界の孔子さまは保証して下さっているわけで、とてもありがたい今日のお教えだと私は思うのです。
 

『孔子の幸福論』大川隆法著


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トシ食ってきちゃったよ。でも、いくつになっても成功していける方法って、あるんじゃないのかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊『エイジレス成功法』――生涯現役9つの秘訣(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように説いておられます。

 今まさに必要とされている本だし、現代的な「救世の法」の一部でもあろう。若い頃は悲観的な考え方をしがちだった私も、人生をトータルでみると、おおむね楽天的に生きている。(中略)
 映画研究の時間が少し多くなってきているが、映画製作も十作目ともなればやむをえないだろう。それでも老眼鏡もかけず、年間二千五百冊~三千冊ぐらい読むペースで、しっかりした学問的な本を読み続けている。
 頭は今のところ学生時代と比べても悪くなっていないし、判断力や洞察力は高まっている。体力、ウエイト共によく維持コントロールできている。やっと『エイジレス成功法』を説く資格が出てきた状態だ。この本も読者に決して損をさせない一冊だ。老いて手にすれば百万両。若くして手にすれば「富、無限」だ。立ち読みなどしてはいけない。買って帰って、毎年繰り返して読み直してほしいと思う。
(1~3ページ)

この本も読者に決して損をさせない一冊だ。

老いて手にすれば百万両。

若くして手にすれば「富、無限」だ──。

まさに、の一冊です。

大川隆法先生は、ある程度の年齢になってから説くべき教えがある、という趣旨のことは、昔から語っておられたんだと思います。

そろそろ、そういった年齢に近づいておられるからこそ、シルバー層に向けた「法」を説き始められたのだろ思います。

「生涯現役」という御言葉は、単なるスローガンではないことが、しっかりと腑に落ちてくる気がします。

大川隆法先生がここで説かれるとおり、こういった人生の方向性を決める書物というのは、どこかで立ち読みしたりしてつまみ食いですますのではなく、きちんと手許に置いて何度も繰り返し読み直すことで、魂に薫習(くんじゅう)していくべきだと私も思うのです。
 

『エイジレス成功法』大川隆法著


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第二の人生って、もうトシもとってるし、成功するなんて、難しいよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『Think Big!』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 これからの時代には、四十代や五十代、あるいは六十代以降でも、新しい語学を身につけたり、別の職業に転身したりする人が多くなることでしょう。
 最初に勤めた会社を辞めて次の会社へ移ったときには、未知の仕事、経験したことのない仕事があるだろうと思います。正直なところ、誰しも、経験したことのないものは怖いものです。二十代なら、新しいことに取りかかるのは容易ですが、六十代の人にとっては、今さら新しい仕事に取りかかるのは、実につらいことです。
 しかし、例えば、「前の会社では部長を張っていて、部下を五十人も持っていた」という実力があるならば、別の会社で再スタートしても、しばらくしたら、マネジメント力や判断力、経験、経営能力等において、その会社で初めて仕事をする人とは必ず違いが出てくるだろうと思います。
 そういう意味では、自分自身に対して自信を持たなければいけません。そして、自分を鼓舞し、励まさなければいけないのです。
 いちばん大事なことは、「自己暗示には力がある」ということを、よく知っておくことです。前述した「アイム・ファイン」の精神と同じで、繰り返し繰り返し、自分で自分に暗示をかけることが大事です。「私は大丈夫だ。やれる。絶対にできる」というように、何度も何度も思い続けることです。そうすると、本当にできるようになってきます。何歳からでもスタートは可能なのです。
 そのためには、愚痴を言いすぎないことが大事です。「できない、できない」と、言い訳を周りにあまり口外しすぎると、何もできるようにはならないので、「私はできるのだ」「できるようになろう」と肯定的に考えることです。
(86~88ページ)

未知の仕事がつらくとも、前の会社でつちかった実力があるならば、マネジメント力や判断力等で、その会社で初めて仕事をする人とは必ず違いが出てくるだろうから、自分に自信を持ち、励まさなければいけない。

大事なことは、自己暗示には力があることを知り、愚痴を言いすぎず、繰り返し繰り返し、絶対できると自分に暗示をかけることである。

何歳からでもスタートは可能である──。

なんとありがたいメッセージでしょうか。

自分に自信を持つ。

思いの力の大切さ。

自己暗示の力の大切さ。

まだまだやれるぞ。がんばれよ。

そんな大川隆法先生の慈悲のお言葉が行間にこだましているようです。

これから再スタートを考えている方、がんばりましょうね!
 



『Think Big!』大川隆法著


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長生きするためにってことで、一度教えてもらったけど、その続きがあるんでしょ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生涯現役人生』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 長寿を得るための方法論として、二番目に言えることは、「自分が長く健康であることを強く信じ、それをイメージする」ということです。これが大事です。
 心のなかで、くり返しくり返しイメージしたものは、やはり、成就してきます。人間は、そのようにできているのです。
 人間とは、魂が肉体に宿って生きているものであり、肉体は、あくまでも、心の表現形態です。つまり、心の表れというか、心のなかで思った“かたち”が外に出てくるのです。(中略)「肉体をどうこうする」ということもあるでしょうが、まず、心のほうのイメージが外見に出てきますし、性格というものもまた、心の表れです。結局、心が、人生を決めていくわけです。
 したがって、まず、しっかりした心のビジョンを持たなければいけません。
 たとえば、早死にするイメージを持ちすぎてはいけませんし、また、不幸な晩年を生きるイメージを持ったり、そういう晩年をくり返し自分で“予言”したりすることも、よくありません。こうしたことをしていると、本当に不幸を引き寄せてくるのです。
 なるべく、「幸福な長寿を得ている」という自己の姿を、くり返しくり返しイメージすることが大事です。
 最後は、信仰の世界に入り、神様、仏様にお任せする気持ちでいるのが最もよいでしょう。取り越し苦労や持ち越し苦労をする人は、なかなか長寿を得られません。やはり、「お役に立つかぎり、神仏は私を生かしてくださるだろう」と信じることです。神様、仏様にお願いするかたちで、幸福な晩年になることを信じ、それをイメージしておくことが大事なのです。
 イメージすれば、そのイメージはやがて実現していきます。時間をかけて、徐々にではありますが、それが実現してくるのです。
 「晩年、自分は悲惨な目に遭う」「家族や親族、友人から見放される」などということばかりを一生懸命にイメージしていると、だんだん孤独な老人になっていくので、そうではなく、「明るい晩年を送る」ということを、強く強く、何度も何度もイメージしておくことが大事です。暇があったら、くり返しイメージすることです。
 くり返し描いたイメージは必ず実現します。結論がそうなると、それに向かって、自分がだんだん変化していきますし、幸福な晩年を引き寄せるような、よい波動も出てきます。この「信じる力」「想念の力」というものを知っておいたほうがよいでしょう。
 一番目の楽天主義ともかかわりますが、「よりよい未来を強くイメージしている人は、幸福な未来を引き寄せる。一方、破滅的な未来をいつも考えている人は、そうなりやすい」ということです。
 やはり、心の波長と合わないものは引き寄せないので、明るく生きていると、悪いものは去っていきます。たとえ悪いものが来たとしても、同調しないため、比較的短い期間で離れていくのです。
(52~56ページ)

長生きするために二番目に言えることは、「自分が長く健康であることを強く信じ、それをイメージする」ということ。最後は、神仏にお任せする気持ちで、幸福な晩年になることを信じ、イメージしておくこと。

人間とは魂が肉体に宿って生きているものであり、肉体はあくまでも心の表現形態であるから、心のなかでくり返しくり返しイメージしたものは、やはり成就してくる。

一番目の楽天主義ともかかわるが、心の波長と合わないものは引き寄せないので、明るく生きていると悪いものは去っていく。結局、心が人生を決めていくのである――。

心の持ち方の大切さ。

そして、心の力のすごさ。

私の拙い体験に照らしても、このお言葉がいかに真実であるかをしっかりとお伝えできそうな気がしています。

「長生き」という言葉が気になる世代になった方は、今日の大川隆法先生のお教えをぜひ心に留めて、生きていくことをお勧めしたいと私は思うのです。
 

『生涯現役人生』大川隆法著


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若いのがいいね。年をとるって、いやなことだよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『未来の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。

 自分の年齢が上がることには、ありがたい面があります。若いころには難しいのですが、年を取ると、自分より優秀な年下の人を使えるようになるのです。
 自分と同年代であれば、才能が拮抗したり、お互いにライバル関係になったりして、一緒に仕事ができないことがあるのですが、そういう人についても、自分と年が離れてくると、だんだん、部下として使えるようになります。やはり、世の社長族がたいてい年を取っているだけのことはあります。
 確かに、自分が五十代、六十代、七十代になってくると、「この人は、三十歳のころの自分よりも十倍ぐらい仕事ができる」と思うような人でも使えるようになります。
 例えば、現在六十歳の社長が三十年ほど前に会社を起こしたときには、その会社は“おんぼろ会社”で、ろくな人材がいなかったとしても、それから三十年ぐらいたって会社が大きくなると、優秀な人がたくさん入ってきます。そして、六十歳ぐらいの年齢になると、たとえ自分より優秀な人が入ってきたとしても、そういう人を使えるようになるのです。
 そのように、「年齢が上がる」というのはありがたいことであり、それには、「優秀な人と競争をしなくても済むようになる」というメリットがあるわけです。
 つまり、「若いころに同年代であれば、この人は自分のライバルになっただろう」と思われるような人であっても、自分が年を取って年齢に差ができると気にならなくなります。その結果、自分より能力の高い年下の人を使えるようになってくるのです。
 ただ、年齢が離れていても嫉妬する人はいるので難しいのですが、自分より若い人に嫉妬をするタイプの人がリーダーであれば、その組織は先細りしていくでしょう。
 「会社や組織を、もっともっと発展させよう」と思うならば、若い人のなかから優秀な人がどんどん出てきて、次々と上の立場に上がり、力を発揮できるようにしなければいけません。
 今、会社や組織でリーダー的な立場にある人には、若いころ、自分が頭角を現し、成功軌道に乗ろうとしたときに、同輩や先輩、上司など、いろいろな人から嫉妬され、潰されそうになった経験があるはずです。
 そういう人が、年上となり、後進の者を導く立場になったときには、今度は、「自分自身が、若くて優秀な人に嫉妬しないようにする」ということを一つの修行課題としなければなりません。若くて能力のある人、覇気のある人、やる気のある人、素質のある人を、潰さずに引き立て、育てていくことです。
 若い人が、多少、失敗をしても、それを受け止めて、「自分が責任を取るから、思い切ってやれ」と言ってあげたり、「若いときの失敗は決定的なものではない」ということを教えたりして、上司が自分の器の大きさを見せることが大事になってきます。
(74~77ページ)

年齢が上がることには、ありがたい面があって、優秀な人と競争をしなくても済むようになって、自分より優秀な年下の人を使えるようになる。

会社や組織を、もっと発展させようと思うならば、若い人のなかから優秀な人がどんどん出てきて、次々と上の立場に上がり、力を発揮できるようにしなければいけない。

年上となり、後進を導く立場になったときには、自分自身が若くて優秀な人に嫉妬しないようにすることを一つの修行課題とし、若い人が、多少、失敗をしても、それを受け止めて、器の大きさを見せることが大事になってくる──。

年齢が進んでいくことのありがたさ。

そして、年齢があがったベテランの修行課題とふるまいかた。

大川隆法先生のお教えは、それこそ、老いも若きも学び続ける価値に満ちていると改めて私は思うのです。
 

『未来の法』大川隆法著


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だんだん年齢が高くなってくると、もの覚えは悪くなるし、体は昔みたいに動かないし、できないことが増えてくるんだよね? なーんて悩み抱えてる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『忍耐の法』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。

 今の私は、けっこうな年齢になってきたので、言い訳をしたい気持ちや、「昔はできた」「若いころはできた」と言いたくなる気持ちが出てくることもあるのですが、それを完全に止めることはできなくても、それにブレーキをかけなくてはいけないと思います。
 「昔はできた」ということを、いくら言ったところで、どうにもなりません。やはり、「今はできるのか」「これからできるようになるのか」ということを問うべきです。
 「意外に、年齢や経験に関係なく、新しく努力し、挑戦すると、道は開けることがある」ということを、私は数多く経験しています。
 幾つになっても、「新しい挑戦」は可能です。十代のときと同じように、未知なるものに次々と挑戦し、それを乗り越えていこうとすることが大事なのです。
 もちろん、どう考えても確率的に非常に低いものにおいて努力することは、それほど有利なことではありません。(中略)
 しかし、ある程度、頭と経験があればできるもののうち、自分が一定の興味・関心を惹かれるものについて努力していけば、そうとうなところまで行きます。年齢と関係なく、それは起きることなのです。(中略)
 私は、幸福の科学を始めて、かなりたったころ、ずいぶん体重が増え、多少、仕事がつらくなってきた面もあったので、昔やっていたテニスを再開したことがあります。ただ、昔やっていたときから、もう十数年から二十年ぐらいたっていたので、腕は完全に落ちていました。
 再開した一年目ぐらいには、あまりうまくできなくて、腕に覚えのある男性秘書と試合をしても、いつも私が負けていました。だいたい一ゲームぐらいは取らせてくれるのですが、「三」対「一」ぐらいの割合で負けるような腕にしかならなかったのです。
 しかし、四年ぐらい続けてみると、私のほうが強くなってきました。
 また、そのときにはプロのコーチを呼んでいたのですが、プロのコーチと球を打ち合って六百回もラリーができたり、百回もスマッシュラリーができたりしたため、「プロになるつもりですか」と言われたぐらいです。
 体力的なことについては大して自信はないのですが、それでも、「中学時代などには、ある程度、できた」というものがあったわけです。ただ、間が空いていたので、腕は落ちていたのですが、それをやり直したところ、一定のところまでは腕が上がりました。そういうこともあるのです。
(118~121ページ)

けっこうな年齢になってきたので、言い訳をしたい気持ちや、若いころはできたと言いたくなるが、それにブレーキをかけ、今はできるのか、これからできるようになるのかを問うべきである。

年齢や経験に関係なく、新しく努力し挑戦すると、意外に道は開けることがある。幾つになっても新しい挑戦は可能だから、未知なるものに次々と挑戦し、それを乗り越えていこうとすることが大事である。

もちろん、どう考えても(成功の)確率が非常に低いものにおいて努力するのは有利ではないが、ある程度、頭と経験があればできるもののうち、自分が一定の興味・関心を惹かれるものについて努力していけば、そうとうなところまで行く――。

大川隆法先生は、若者たちに対してはもちろんのこと、ある程度の年齢がいっているみなさんに対しても、柔らかくではありますが、叱咤激励されているのだと思います。

若い人たちが台頭してきてるのに、できないことが増えていく自分に落ち込んだりしてるひまがあるくらいならば、新しく努力し、挑戦することを勧めておられるのでありましょう。

何歳になられても、いやこれまで以上に、驚異的な質と量で仕事をし続けておられる大川隆法先生の後ろ姿に見習って、まだまだ新しく努力し、挑戦する気持ちを忘れたくないものだと強く強く私は思うのです。
 

『忍耐の法』大川隆法著


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長寿を願うのは、仏の目から見ても祝福されることだって教えてもらったと思うけど、じゃあ、長生きするためには、どうすればいいの? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生涯現役人生』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 長寿を得た人の共通点を見てみると、まず一番目に、「楽天的である」ということが挙げられます。やはり楽天家が多いのです。(中略)
 積極主義のなかには、成功につながるものもありますが、楽天主義は、そうではなく、もう少しこだわらない生き方です。基本的には、明るく肯定的な人生観ですが、競争主義や戦いにどっぷり浸かる生き方でもなく、また、無理をして体を鍛えまくる生き方でもないのです。(中略)
 長生きをしたければ、くよくよしないことが大事です。(中略)「無理をしない」というのも大事です。(中略)その意味で、知力や体力、気力などについて、自分の限界を知っておかなければいけません。「無理をしすぎないところで、セーブ(抑制)する」というのも、人生の智慧なのです。
 さらに、「怒らない」ということが大事です。いつもカッカカッカと怒っている人は、寿命を縮めているのと同じです。怒ると、非常に強い毒素が体内にたまるため、怒ってばかりいる人は、神経系統や内臓系統が傷んでくるのです。
 こうしてみると、ある程度、あるがままの人生というか、無理をしない範囲で、「自分は、自分の人生を生きる」と思い、みずからの人生を肯定的に大切に生きていくことが大事だと言えるでしょう。(中略)
 あまりに嫌なことは、ケロッと忘れるに限ります。人間は、年を取ると忘れっぽくなっていきますが、それも、ありがたい話です。忘れるからこそ、生きていられる面もあるのです。(中略)
 いつも新しいことにチャレンジしている人ほど忘れます。いつも、新しいことに取り組んでいると、過去のことは忘れてしまうものですが、それがよいのです。(中略)
 まわりの人にあまり期待しすぎず、「私は私で気軽に生きています。明るく生きています」という具合に“自家発電”をして、ポッポポッポと自分から明かりを出すような感じでしょうか。こういう人の幸福は、最も取りにくく、奪い去りにくいのです。
 そして、その輝きも、ほかの人から称賛されて生じる輝きではなく、自分の内からにじみ出てくる輝きであれば、本物です。ですから、人の目を意識しすぎず、「生きるのが楽しい」と思えるようなことを、毎日、自分で発明していくことが大事であると思います。人の目を意識しすぎると、無理をするし、自分の失敗や挫折体験が大きく見えてしまうのです。
 自我が通らなくても、それで怒ってしまってはいけません。まわりの人が、いろいろとお世話をしてくれることに対して、多くのことは期待せずに、自分で自分の道を照らしていくことです。それも、自分のできる範囲でやっていくことです。そのようにして、楽天主義を貫かなければいけません。
(22~32ページ)

長生きするためには、まず第一に、楽天的であること。

くよくよせず、怒らないこと。無理をしない範囲で、みずからの人生を肯定的に大切に生きていくこと。いつも新しいことにチャレンジして、嫌なことは忘れること。

まわりの人に期待しすぎず、人の目を意識しすぎず、自分のできる範囲で“自家発電”をして、内からにじみ出てくるような輝きで生きていくこと――。

これはまさに、人生の叡知が詰まったお教えではないでしょうか。

で、二番目には、というあたりは、また次の機会に!

 

『生涯現役人生』大川隆法著

 

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ね、この間、この世は修行場にすぎないといっても、長寿を願うことは間違いじゃないことを、教えたもらったよ。でも、その理由って、まだまだあるんじゃないかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生涯現役人生』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 長寿を願う根拠として、二番目に言えることは、「長寿で帰天した人のほうが、この世に対する執着が少ない」ということです。
 長寿の人は、死に対する準備というか、この世を去る準備ができています。
 いま日本人の平均寿命は、男性で七十九・四歳、女性で八十五・九歳であり、平均すると約八十三歳です(二〇一一年のデータによる)。そのため、八十歳が近づいてくると、みな、「そろそろかな?」と思い、死に対する準備として、心の準備や、家族との別れの準備などをし始めます。
 しかし、それ以前に早くして死ぬと、準備ができていないため、執着が残りやすいのです。これは現実にそのとおりです。
 一方、平均寿命に近づいていくと、たいてい、死というものを考え始めますし、それを過ぎて、九十歳、百歳となっていくと、「もう、いつお迎えが来てもよい」という心境になっていくものです。
 そうして、この世に対する執着が少なくなっていき、ある日、セミが殻を脱ぐように“羽化登仙”して、あの世に旅立っていくわけです。これは、悪いことではありません。
 「生老病死」といって、肉体は老いていくものですが、老い自体は悪かと言うと、そうではありません。自分にも、傍目にも、「あの世に還る準備が進んでいる」「肉体という殻が固まってきて、それを脱いでいこうとしている」ということが客観的に見えるのは、それほど悪いことではないのです。
 ピンピンとした状態で死んだ場合、「執着を残すな」と言われても、やはり、残ってしまうものです。
 その意味で、「今回はよくがんばったな。よく生きたな」と思えるような人生を生きて、自然にこの世を去っていくのは、よいことです。長寿で帰天したほうが、この世への執着は少なくなるし、「人生をまっとうした。完成した」という気持ちも強くなるのです。
 もちろん、人生の中身も大事でしょう。「あまりに悲惨な人生で、長寿」というのはつらいものです。「わりに幸福な人生で、長寿」というのが最高だと思います。
(15~18ページ)

平均寿命の前に早く死ぬと、準備ができていないため執着が残りやすいが、長寿で帰天した人のほうが、この世を去る準備ができていて、この世に対する執着が少ない。

肉体は老いていくものだが、老い自体は悪ではなく、肉体という殻が固まってきて、それを脱いでいこうとしているのが客観的に見えるのは、それほど悪いことではない。

長寿で帰天したほうが、人生をまっとうしたという気持ちも強くなるので、今回はよくがんばったなと思えるような人生を生きて、自然にこの世を去っていくのは、よいことである――。

すでに晩年に入っておられる方にとってはもちろん、そろそろ老いについて考えるようになった方にとっても、心に響くところが多いんじゃないでしょうか。

高齢化社会なんて言われますけど、一人でも多くの方が、幸福に末永い人生を送ってくださいますように!
 

『生涯現役人生』大川隆法著


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ね、この間、この世は修行場にすぎないといっても、長寿を願うことは間違いじゃないことを、教えたもらったよ。でも、その理由って、まだまだあるんじゃないかなあ? なーんて疑問もってる人、いませんか?

幸福の科学の大川隆法先生は、『生涯現役人生』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。

 長寿を願う根拠として、二番目に言えることは、「長寿で帰天した人のほうが、この世に対する執着が少ない」ということです。
 長寿の人は、死に対する準備というか、この世を去る準備ができています。
 いま日本人の平均寿命は、男性で七十九・四歳、女性で八十五・九歳であり、平均すると約八十三歳です(二〇一一年のデータによる)。そのため、八十歳が近づいてくると、みな、「そろそろかな?」と思い、死に対する準備として、心の準備や、家族との別れの準備などをし始めます。
 しかし、それ以前に早くして死ぬと、準備ができていないため、執着が残りやすいのです。これは現実にそのとおりです。
 一方、平均寿命に近づいていくと、たいてい、死というものを考え始めますし、それを過ぎて、九十歳、百歳となっていくと、「もう、いつお迎えが来てもよい」という心境になっていくものです。
 そうして、この世に対する執着が少なくなっていき、ある日、セミが殻を脱ぐように“羽化登仙”して、あの世に旅立っていくわけです。これは、悪いことではありません。
 「生老病死」といって、肉体は老いていくものですが、老い自体は悪かと言うと、そうではありません。自分にも、傍目にも、「あの世に還る準備が進んでいる」「肉体という殻が固まってきて、それを脱いでいこうとしている」ということが客観的に見えるのは、それほど悪いことではないのです。
 ピンピンとした状態で死んだ場合、「執着を残すな」と言われても、やはり、残ってしまうものです。
 その意味で、「今回はよくがんばったな。よく生きたな」と思えるような人生を生きて、自然にこの世を去っていくのは、よいことです。長寿で帰天したほうが、この世への執着は少なくなるし、「人生をまっとうした。完成した」という気持ちも強くなるのです。
 もちろん、人生の中身も大事でしょう。「あまりに悲惨な人生で、長寿」というのはつらいものです。「わりに幸福な人生で、長寿」というのが最高だと思います。
(15~18ページ)

平均寿命の前に早く死ぬと、準備ができていないため執着が残りやすいが、長寿で帰天した人のほうが、この世を去る準備ができていて、この世に対する執着が少ない。

肉体は老いていくものだが、老い自体は悪ではなく、肉体という殻が固まってきて、それを脱いでいこうとしているのが客観的に見えるのは、それほど悪いことではない。

長寿で帰天したほうが、人生をまっとうしたという気持ちも強くなるので、今回はよくがんばったなと思えるような人生を生きて、自然にこの世を去っていくのは、よいことである――。

すでに晩年に入っておられる方にとってはもちろん、そろそろ老いについて考えるようになった方にとっても、心に響くところが多いんじゃないでしょうか。

高齢化社会なんて言われますけど、一人でも多くの方が、幸福に末永い人生を送ってくださいますように!
 

『生涯現役人生』大川隆法著


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